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アノマロカリスさん 著作 | トップへ戻る | |
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その日、俺はカツ丼を求めてさ迷っていた。
「普通のトンカツ屋は絶滅しちゃったのかねぇ」 もちろんチェーン展開のそれはある。ソバ屋のどれかに入ればカツ丼は食える。しかし。 「チェーン店じゃないトンカツ屋のカツ丼が食べたい」 その為に二時間も歩き回っていたのだった。でも、精根尽き果てた。俺はパルコのレストランフロアを踏破した足で、ふらふらと「和幸」に入っちまった。 ……その帰りの事だ。 エレベーターがスルスル開くと、そこが「トト山岡」だった。まあ、どう見ても普通の宝石店だったが、その日はちょいと違っていた。若い姉ちゃんが手招きしておったのだ。 「すいませーん、ちょっと」 「俺ですか?」 「お願いします。アンケートに協力してください。今日、本社からとっても怖い上役が来てて、ノルマこなさないと叱られちゃうの」 そんな事は知ったこっちゃない。俺に泣き落としは通じない。それにしても店員らしくない妙な言い回しだな。新人か? 内幕を暴露して相手の安心感を誘うのは俺の十八番だ。生意気な奴め。 「急いでるんですが」 「ホントにすぐですから、助けると思ってお願い」 しかし「急いでる」と言った時点で、俺は引き受けるつもりだった。物書きたるもの、何事も経験だ。ここ数年、希有な経験が出来そうな場合、なるべく首を突っ込むように心がけている。 それに、なかなか可愛い姉ちゃんじゃないか。まるで銀行の窓口受付嬢が普段着で、素のまま応接してくれるような魅力がある。 「有り難うございます」 姉ちゃんは何度も頭を下げた。 で、アンケート用紙。住所、氏名、年齢、職業、生年月日、年収、好きな宝石、etc…。正直に答えたぜ。正直にさ。さすがは俺。見事なデタラメ。うんうん、こんな地名あるよな。誕生石ならルビーなの♪ でも、事務員てのはホントだぜい。そう簡単に個人情報を漏らしてたまるか。ルール違反だからな。 書き終えると目つきの鋭い、中堅どころの店員が現れた。さっきの姉ちゃんと一緒に、二三、アンケートに関する質問をしてくる。 何だかキナ臭い感じがした。すると案の定、その瞬間がやって来た。 「実は、このアンケートを取らせていただいたのは、田中様が信用の置ける方なのかどうか調べる為だったのです」 「は?」 やった! と思った。きっとこれは小説のネタに成りうる事件の始まりに違いない。小学生の時分、学級新聞の天声人語欄を書いていたジャーナリスト魂がふつふつと蘇ってくる。 ちなみに田中ってのは、アンケートに答えた偽名だ。田中博文くん。俺の小学校時代の同級生。とある少女に愛の告白をし見事に散った愛の申し子。ちなみに彼の失恋宣言を新聞に載せたのもこの俺だったりする。 「我が社のCMをご覧になったことはありますか?」 「いえ、ジュワイヨクチュール・マキなら見ますがね」 「最近、宝石店のCMによる広告はあまり効果がないということで、我が社ではこの信用販売を行っているのです」 「どういう事ですか?」 大切なのは、引き際を誤らないことだ。もちろん、ここがパルコの一階で人通りも多く、相手が女だけであるから俺はこう答えたのだ。 とりあえず最初の姉ちゃんに「よくも騙したな」と視線をむける。姉ちゃんは申し訳なさそうな顔つきだが、俺必殺の「悟りの目」によれば、演技だ。間違いない。 「このダイヤ、お幾らだと思いますか?」 「さあ、百五十万くらい?」 そう答えると、中堅店員は「してやったり」という顔。隠していた値札を外してむっつり黙り、ホームルームで児童に反省を促す教師みてえな顔をした。 「……三百万ですか」 「これは店頭価格です。しかし、当店ではこのダイヤをお客様に二百万でお譲りします」 おいおい、幾らなんでもそりゃあないだろう。そんなうさん臭い話に軽々しく引っ掛かると思うのかね? 「へえ、そいつは驚きですな」 馬鹿にしたように答えると中堅は「少々お待ち下さい」と答えて奥に引っ込む。なかなか良い間の取り方。もったいぶる事は、高価な嗜好品を売りこむのに有効な技だからな。 間髪入れずに若い姉ちゃん。 「騙したみたいでごめんなさい。怒ってるでしょう?」 「いえ、別に。楽しんでいますよ」 いったい何処のデート商法なのか。俺はそんなに引っ掛かりやすそうに見えるのか。 「でも、本当にお得ですよ」 「一体どういう契約なんですか?」 と言ってるところで中堅が戻る。 「このグラフをご覧ください」 まあ、馬鹿馬鹿しくて言う気にもならんが、ボードに描かれていたのはダイヤ原石のコストグラフ。なるほど、丁度日本のバブル期に原石の価格が落ちている。 「我が社では、バブル期に安価なダイヤを大量に購入しています。ですから、この価格で提供できるのです。しかし、店頭価格では出せませんので、信用できる方だけにこの価格でお譲りしているのです」 「いずれにしても、私に宝石を買う金なんてないです」 「田中様の場合は、こう言ってはなんですが、安定した収入のある固いお仕事をされています。ローンを組んでいただければ二年で購入できると思います」 「あいにく宝石なんて要らないんでね」 「結婚のご予定は?」 「ありませんな」 「では、財テクとお考え下さい。二百万のローンを組み、二年後、ダイヤが必要無ければ、うちで三百万で買い戻します。それでやっと市場価格ですので、うちはそれで結構です」 「そちらに何の得がありますか?」 「運用資金が出来ます。また、ダイヤをそのまま購入していただければ、我が社の収益になります」 三百万のダイヤが二百万になるわけがない。手っ取り早く安ダイヤを売りたいだけか? あるいは、金だけ巻き上げてシケ込むつもりなのか。 ふーむ。そういうインチキ商法ですか。判っちまえば用はない。撤退だ。まてよ。これじゃあ、只の頑固男だな。まあ、実際堅物なのだが。この不埒な女共に一発ギャフンと言わせてやりたい。こういう機会は久しぶりだ。 「信用できない信用商法ってのは、まさにコレですな」 「何故です? お客様の得になりますよ?」 「いらんものはいらんと言っているわけです」 中堅女は不快を露に奥に引っ込んだ。それを合図に若い姉ちゃんが何処からとも無くアルバムを取り出す。 何だ? まだ面白いものがあるのか? おや、これは? ああ、これほどの悲劇があろうか! 取り出されたアルバムには、これまでこのインチキに引っ掛かった犠牲者の遺影が写っていたのだ。しかも皆ニッコリ笑って。 馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿! 人間はなんて愚かなのだ。殺意すら覚えた。いや間違いない。こいつら人間じゃあない。今すぐバラしてやる。きっと俺にはその権利がある。 だが、今の俺の有り様はどうだ? 休日に一人空しくカツ丼を食べる俺はどうなんだ。確かに、詐欺にはひっかからないのかもしれない。でも、叶わぬ夢を追い続けた挙句、先日、恋人にも見限られた。はっきり言って俺はちっとも幸せじゃない。 一方で、アルバムの連中は詐欺にひっかかったらしい。でも、もしかするとそんなことは問題ではないのかもしれない。写真の中の彼らはこんなにも幸せそうだ。あまりに眩しくて、不幸な俺には直視できないほどだ。 いったい何故だ? どうしてだ。 人間の幸福は、賢明によってもたらされる物ではないというのか? 幸福とはおめでたいという事なのか? 馬鹿を殺すナイフが欲しい。真っ先に自分の心臓に突き立てるために! 「皆さん、よろこんで契約してくださった方々です」 「へえ、盆と正月が一緒に来たみたいだ」 俺の言葉に、姉ちゃんは不可解そうな顔をした。 この詐欺師め。あんたにはプライドがあるのか? たらし込むしか能がないのか? あんたがあたり前の人間として生活しているかと思うと、ぞっとするぜ。世間の道理が如何に間違っているかよく分かる。 世が世なら、貴様は死刑だ。ハンムラビ法典の下、虫けらの様に殺されても文句の言えない畜生だ。でも、理不尽なお常識の庇護のお陰で、こんな奴でも一流宝石店の正社員なのだ。実に下らん。 笑える事に、一人身の男は、他ならぬこの姉ちゃんとツーショットでフレームに収まっていた。気恥ずかしそうな微笑みを浮かべて。 アベックはピースサイン。夫婦は二人揃って馬鹿面で。OLはトリオで。茶髪ピアス野郎もゴロゴロ。茶髪に馬鹿が多いってのはホントかもな。 「あんたに言っとくけど、俺はダイヤは買いません」 「どうしてですか?」 「どうしてもです」 姉ちゃんは哀愁をそそる顔をする。これが真実の表情であれば、こいつを馬鹿から救済できるなら、俺は一億だって安いと思う。払ってあげるよ絶対に。 そこに大ボスが現れた。なるほど「本社から来てる怖い上司」ってのは伏線だったわけね。俺にすがるような目をむける姉ちゃん。 「ご決断頂けましたか」 「何の決断です?」 俺はシラを切る。どこぞの本社ビルの会議室とかで出くわしそうな、スーツ姿のキャリアウーマン。うわっ、俺の一番嫌いな「自称切れる女」タイプじゃないか。 「どうしてですか? 我が社の販売の事を誰かから聞かれたのですか?」 おかしな事をいう。有名なのか? このインチキ商法は。 「いいえ。宝石店など無縁ですから」 「じゃあ、どうしてですか」 「宝石なんて要らんからです」 「貴方が要らなくても奥様はどうでしょう」 「付き合ってもいない女のことなど判りません」 「結婚しないつもりですか?」 「さあ、成り行きですな」 「する場合もあるということですね。でしたらいま買われた方がお得です」 「こんなチンケなカラットのダイヤなど要りません」 「では、もっと大きなものでは?」 「笑うかもしれないが、私は妻にプレゼントするなら世界に二つと無い代物をやろうと思ってます。だから、こんな店じゃ話にならない」 しまった! つい熱くなって、ロマンチストの本性を漏らしてしまった。「自称切れる女」はこの手の話に強い。何たる失態だ。 「貴方の年収では無理です」 「私は今の仕事で終わる気は無い。自分で一人前になったと思うまで嫁も取らんつもりです」 ここぞと中堅登場。 「それは女心がわかってないわ」 続けて若い姉ちゃん。 「貴方の彼女は可哀想です」 トドメとばかりに上司。 「成功されなかったらどうするつもりですか?」 「文無しで野垂れ死にです」 上司、馬鹿に諭すように語る。 「貴方もいずれ結婚するでしょう。そのときに、奥様は恥ずかしい思いをすると思いますよ。夢を見るのも結構ですが、もっと女性の立場に立って考えてあげては如何でしょう?」 くそ、笑ったな! 俺の本体を。詐欺師の癖に他人の矜持を踏みつけやがったな。夢を実現できないと揶揄しやがったな。 「そんな嫁なら要りません」 と答えると「かわいそう」と大合唱。悔しい〜! いかんせん、俺はこういう方面で女に弱いのだった。 「存在しない女のことで、皆さん随分と心配してくれるもんですね」 本当は「詐欺師!」と罵ってやりたかったが、育ちの良さが許さない。国家一種試験の官庁訪問で味わった、悔しい思いが脳裏をよぎる。 『聞いたことのない大学ですねぇ』 『コネはありますか?』 役人達はそう言って冷笑し、俺はものの見事に不採用。くそう、俺は悪くない。あの時だって本当は逆に罵ってやりたかった。 早稲田や東大を卒業しないと、官僚にはなれないのか。 親や先輩が入省していないとダメなのか。 三流大学出身者は霞ヶ関へ登庁するだけで、非常識だと詰られなければならないのか? と。 そして俺は再び、こんな詐欺師にまで屈辱の満漢全席を食らうのか。 「それに二つと無いダイヤと言いますけど、ダイヤには二つと同じ石はありません。どれもこれも微妙に違うのですよ」 「無知ね」という感じで上司。しめた! 血路ここにあり。 「十人十色と言いますがね、人間てのはタイプ分類できるのですよ」 ゆっくりと切り出す俺。 「もちろん、一人一人を細かく見れば、二人と同じ人はいないでしょう? でも、女性が大好きな血液占いとか、性格診断とか、人間を分類してますよね? それは、人は、限られた材料で判断しなければならないからです。細かな違いがあるというのは尤もですが、ある程度の付き合いで見えてこない要素なんて意味がないんです」 こう言ってやると、若い姉ちゃんは目を丸くした。あんた根っから馬鹿なのね。 「博学ですね。本か何か読まれているんですか?」 こう言ったのは中堅。上司は不愉快そうな顔をしている。 「素人は、別に鑑定家じゃない。だから、石の微妙な違いなんてどうでも良いのです。見た目で判らない違いなんて意味がないんです。でも、素人でもワン・カラットかテン・カラットかっていう違いは分かります。大切なのは、糞みたいなブリリアントカットの違いじゃなくて、ダイヤか、ルビーかってことなんですよ」 形勢はまだ向こう寄り。しかし、上司はプライドが災いした。何も言わずにプイッと席を立ってしまったのだ。こっちの思惑どおり。 「お話は判りました。では、ダイヤはお売りしません。でもなかなか面白い考え方をしているのですね。よかったら、私供の販売方法について、ご意見など伺わせていただけますか?」 食い下がる中堅。 「お断りします。忙しいもので。もともと、アンケートに答えるだけの約束でしたから」 ちらりと姉ちゃんを見る。泣きそうな顔。死ぬまでやってろ。 「それではまた、機会があったらご利用下さい」 「そうですな。もしまかり間違って安ダイヤが欲しくなったら利用しますよ」 「いろいろ失礼があったと思いますけど、ご容赦ください」 「ぜんぜん。いつかどっかの通りであなたを見かけたら、握手しちゃうくらい御機嫌ですよ」 「わあ、約束ですよ」 常識に保護されてやっと人間でいられる彼らが、それを破って握手してくるようなことは絶対にないだろう。まことにケチな詐欺師になるようなエテ公は、もう、生まれてから棺おけに入るまで、常識によって殆どのことが内定している。まことに不自由で惨めで哀れなのだ。 俺はそんな風に考えて自分を慰めた。深い敗北感と傷ついた心を胸に、その場を後にした。 トト山岡が悪徳商法で訴えられたのはそれから数ヶ月。 倒産はその直ぐ後。 パルコの一階に行っても、違う宝石屋があるだけ……。 |
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●感想
一言コメント ・毒サイコー! この毒の味わいが理解できない人は人生損しているんじゃない? ・馬鹿、馬鹿、馬鹿!と皮肉めいた言い回しがとても面白かったです、楽しかった。 ・一味違う面白さ。他の作品とは良い意味で土俵が違う。 |
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