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ゴミ捨てロシェにアーメン

オープニング

 聞かされたのは、その日の空が今にも雪が降り出しそうな灰色だったってこと、わたし自身を幾重にも包む薄汚れたボロ布のこと。クリスマスイブだって言うのに路上の片隅に置かれたダンボールの中に寝そべっていて、鳴き声一つ上げずに寒さに震えていたこと。
 そのときのわたしは赤ん坊だったので覚えていない。
 そう、わたしは捨て子だった。



「ロシェ! なんだっていきなり別れるって言うんだ!?」
「二度も言わせないで、飽きたのよ」
 ロシェはうるさそうに肩まで伸びたブロンドの髪をかき上げ、首もとのマフラーを直した。傍らに立つボーイフレンドの手を払ったロシェの右手は今、黒いトレンチコートのポケットに収まっている。
「飽きたって……まだ僕ら付き合い始めて二日じゃないか!」
「そういえば、人間の最も怖いものの一つは『飽きること』だってシスターが言ってたね」
 ロシェは肩をすくめると、ポケットから手を出してボーイフレンドに向かって小さく手を振ってみせた。
「バイ」
 彼女の口元には微笑。幼い頃からロシェの周囲にはカトリックのシスターたちが大勢いるので、優しい微笑みはお手の物だ。ロシェに微笑んでいるシスターたちも、彼女が慈悲の笑みをこんな風に使うようになるとは思っていなかったろう。
「……『ゴミ捨てロシェ』、ハイスクールでの噂どおりなんだね」
「知ってて付き合ったんでしょ?」
「……さよならだ」
「バイ」
 ボーイフレンドはロシェに背を向けると、寒空の中を歩き出した。今日は十二月二十三日のクリスマスイブの前夜。彼女たちがいる公園も派手なイルミネーションが飾られていると言うのに、彼の後姿はハロウィンの夜よりも暗かった。
 そんな元ボーイフレンドの背中に向かってロシェはもう一度だけ手を振る。
「…………ふふっ、また捨ててやったわ」
 寒空の中でロシェは小さく独り言を言い――
「うぐ……」
 思いっきり鼻をすすった。涙目になったロシェの鼻は、寒さも手伝ってみるみる赤くなっていく。ポケットティッシュを取り出して鼻をかむと、そのゴミを近くのゴミ箱へと思いっきり叩き込んだ。
「ったく、泣くぐらいなら最初っから捨てるなよ」
「……ヴィクター、いたの?」
 背後から声をかけられ、ロシェは三白眼をして振り返った。そこにいるのは二メートル近い大きな青年。年齢はロシェよりも四つほど上の二十歳くらいか。長い茶髪はニットの帽子の中に納まっている。羽織るコートは何年も使い込んだように古めかしい。
 ロシェの兄貴分である彼は、不機嫌な彼女を前にして困ったように後頭部を掻いている。
「ほっといて。愛情とか、愛着とか……そういうのって心地よく思えてイライラしてくるのよ。そう思ったら最後――捨てたくなるの」
 ロシェはうざったい目元の雫を拭うと、両手を広げて肩をすくめて見せた。
「八つ当たりだな、ロシェ」
「なに? それは私が捨て子であることへの?」
 ロシェが言うとおり、彼女は捨て子だった。十六年前のクリスマスイブに、ロンドンの片隅にある教会のそばに捨てられていた。その時彼女が身に着けていたのは、保温性のない何枚ものボロ布。
 ロシェの両親がどういう状況で彼女を捨てたかはわからないが、寒い夜、クリスマスイブにも関わらずその程度の衣服しか与えることができなかったのだから、両親が今健在なのかは想像に難くない。
「ヴィクター、妙な気遣いはやめてよね。これは私なりのストレス発散方法なんだから。部屋の物はあらかた捨てちゃったから、コレ以上捨てるものがないのよ」
 両親に捨てられたことを幼い頃から認識して育ったロシェは、『捨て癖』がついてしまった。物や、友人や、恋人でさえも捨ててしまう。
 ロシェは必要最低限のものしか部屋に置かない。
 ロシェは一週間以上続いた恋人がいない。
 ロシェは年齢の数よりも捨てた友人の方が多い。
「可愛そうに、さっきの少年」
 ヴィクターはロシェの元ボーイフレンドが去った方向を見ながら、呆れ交じりでため息をつく。
「『ゴミ捨てロシェ』を知ってて付き合ったんだし、付き合って二日だから傷も浅いでしょ」
 鼻を鳴らして言うものの、ロシェの声はかすかに震えていた。小さく鼻をすする音も聞こえてくる。
「ったく、捨て癖があるわりには捨てるとすぐ感傷的になって泣くし……中途半端だな、お前は」
「……ほっといて」
「そんなんじゃ、恋人は捨てることは出来ても、バージンは捨てること出来ないぞ。『ゴミ捨てロシェ』の名折れだな」
「ッ!」
 挑発するようなヴィクターの口調に、ロシェは歯をむき出しにして睨みつける。怒りと恥ずかしさで、彼女の顔は酒でも飲んだように赤い。両の拳は硬く握られ、ヴィクターが何かあと一言言えば振り上げそうな勢いだ。
「なんなら……俺が捨てるのを手伝ってやろうか?」
 そう言うとヴィクターは人差し指をロシェの顎にかける。
 瞬間――。ロシェの身体が硬直した。怒りと恥ずかしさで赤かった顔は別な感情で更に赤みを増す。握られた拳は解け、だらりと垂れ下がった。
「ヴィ、ヴィクター……」
 背の高いヴィクターは少し膝を屈め、少しずつロシェに顔を近づけていき――。
「あ、駄目だ。ガキくせぇ」
 自分の鼻を摘んで顔を思いっきり遠ざけた。
「この……っ!」
 ロシェの赤ら顔が、怒りのみで染まる。
「小学校の時に学校でお漏らして苛められた『お漏らしヴィクター』がデカイ口叩くようになったじゃない」
「おまっ……何で知ってんだ! 俺の黒歴史を口にするんじゃねぇっ!」
「黙れ女の敵! 歯ァ食いしばれ『お漏らしヴィクター』」
 ロシェは死刑宣告の言葉を叫ぶと、膝下まであるブーツを蹴り上げた。合皮製の固いつま先がヒットしたのは、ヴィクターの股間。
「――――!」
「アーメン」
 内股になってその場に崩れ落ちるヴィクターに背を向け、ロシェは胸の前で十字を切った。背後からは手負いの獣のような唸り声が、嗚咽と交じり合って聞こえてくる。
「ま……待つんだ、ロシェ……」
 ロシェがその場から立ち去ろうとしたとき、やっとといった感じでヴィクターが声を発した。振り向くと、彼は左手で股間を押さえたまま、右手をロシェに伸ばして引きとめようとしている。
「シスター=ラフォンから言われて来たんだよ。話があるから、教会に来いって」



 ロンドン。セント・パンクラス駅から三キロほど離れた場所にあるパンクラス教会。レンガ造りの教会は見ているだけで歴史の長さが覗えるようだが、規模が小さいこともあって観光客も立ち寄らないほど人気がない。本当に地域住民のための教会――それがパンクラス教会である。
 同時にここは、ロシェが拾われ、育てられた教会だ。裏手に回ればすぐそこにヴィクターの家もある。
「あらロシェ。ヴィクター君も」
「おかえりなさいロシェ」
 ロシェは教会の前を掃除するシスターたちと挨拶を交わしながら、育ったパンクラス教会のドアを開けた。いつもは薄暗い教会の内部だが、明日がクリスマスだというだけあってきらびやかな飾り付けがされている。入り口から祭壇までまっすぐ伸びるカーペットも念入りに掃除されたのが分かった。
 そしてその祭壇の前には、黒い修道服を着たシスターが一人、壁に掲げられた十字架に向かって祈りを捧げている。
「天地の創造主、全能の父である神を信じます」
 シスターが十字架に向かって呟いているのは、カトリックの使徒信条だ。
「父の一人の子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます」
 シスターは組んでいた祈りの手を離すと、参拝者用の長椅子に置いてある一本のボトルとグラスを手に取った。ラベルを見る限り、それはワインのボトルだ。
「主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、」
 シスターは祈りの言葉を呟きつつ、グラスにワインを注いでいく。
「……えぇと……中略――永遠の命を信じます。アーメン」
 そしてシスターは一気に祈りを省略し、アーメンの言葉とともにグラスのワインを飲み干した。「ぷはぁっ!」と歓喜の吐息とともにグラスを置くシスターの姿は、ビールを愛するジャパニーズに酷似している。
「おいコラ、生臭シスター」
「ひっ!」
 後ろから声をかけられ、シスターはビクリと背中を波立たせて振り返った。黒の修道服に映える白い肌と、青い瞳。年齢は三十代前半だというのに、顔だけ見るともっと若く見える。
 彼女の名前はラフォン=E=クロウ。このパンクラス教会のシスターの一人であり、ロシェを拾って育てた女性だ。教会の宿舎も同室で、ロシェに捨てられずにいる数少ない人間である。
「なに仕事中にワインなんか飲んでいるのよ」
「あらロシェ、おかえりなさい。ヴィクターもお使いありがとうございます」
 ラフォンはワインとグラスを椅子に戻すと、祈るように手の平を組んだ。
「私はワインなど飲んでいませんよ。私が飲んでいたのは我らの父、キリストの血です」
 ラフォンはなんの悪びれもなく、にっこりと笑う。ロシェが「キリストの血はワインの別名でしょ」と言ってもまったく気にした様子がない。
「今飲んでいたキリストの血はツェラー・シュヴァルツ・カッツェって言うんですよ。とても美味しいです。ロシェも飲みますか?」
「遠慮しておくわ。それよりもずいぶんと高そうなワインを買ってきたようね」
 ロシェはクリアブルーボトルのワインを手に取り、まじまじと眺めた。ラベルにはワイン樽に黒猫が座っている姿が描かれている。
「いえいえそんな。このシュヴァルツ・カッツェは安物ですよ」
 ラフォンは照れたように頬に右手を当てる。
 ところでこのシスター、自分が今キリストの血を安物呼ばわりしたことに気づいていない。
「ところで、何の用?」
「ああ、そうでした」
 ラフォンは思い出したようにポンッと手を鳴らし、壁に飾ってあるモールやレリーフを指差した。
「クリスマスイブの飾り付けを手伝ってもらいたいんです。今年もここでミサをやるので。聖歌隊の演奏には私も参加しようと思ってるんですよ」
 そう言ってラフォンはギターを弾く真似をして見せた。さて、聖歌隊の演奏にギターは必要だったろうか。
「というわけで、おねがいします」
「嫌よ」
 しかし、ロシェは考える様子もなく即答した。
「どうしてですかロシェ? 去年まではイヤイヤ手伝ってくれたでしょう?」
「イヤイヤって分かってるんじゃない……」
 ロシェは腕を組むと、その拒否的な態度を強調するように眉間にしわを寄せた。今の彼女はこの教会の中でさえ唾を吐き捨てそうな表情をしている。
「私はクリスマスが大嫌いなのよ」
 クリスマスを神聖な日とする教会の中だというのに、ロシェは構わず言い放った。
「ロシェ、そんなことを言ってはいけませんよ。クリスマスイブはあなたの誕生日ではないですか」
「誕生日? 捨てられた日の間違いでしょ」
「ロシェ……」
 ニヒルに口元を歪めるロシェに対し、ラフォンもヴィクターも返す言葉がない。
 クリスマスイブはロシェが生まれて初めて見捨てられ、人に裏切られた日。そんな日を喜べるはずなどなかった。
 例え教会の中で育ったからといって、深く根付いたこの感情は、ロシェがクリスマスイブを好きになることを許さない。
「ですがロシェ……シスターではないにしろあなたは教会の人間。教会に住む人間としてクリスマスを祝う手伝いと言うのは……」
「聖書を床に敷いてクローゼットの高さを合わせるようなシスターにだけは、何にも言われたくないわ」
 その言葉にラフォンは小さくうめき声を漏らして顔を引きつらせた。
「ロ、ロシェ! 駄目ですよ、そんな大きな声で言っては! 神父様に聞かれたら叱られてしまいます!」
「もう遅いわ」
 ロシェには、先ほどからずっと能面のような笑みを浮かべながらラフォンの背後に立っている神父の姿が見えていた。六十代とは思えないがっちりした体格であり、身長はヴィクターよりも高い。胸に光る十字架のロザリオが、鋭くも怪しい輝きを放っていた。
「シスター=ラフォン?」
「は、はいっ!」
 神父に名前を呼ばれ、ラフォンはシスターと言うよりは軍人に近い動きで姿勢を正した。彼女は胸の前で十字を切ると、祈るようにして手を合わせる。
「聖書が、どうかしましたか?」
「い、いえ……なんでもありませんよ? 聖書は今も私の部屋の本棚にあります」
 とは言うものの、部屋の本棚にある聖書はロシェのもので、ラフォンの聖書はクローゼットの下だ。
「そうですか」
 神父は口元に笑みを浮かべるが、目は笑っていなかった。神父の薄く開いた瞳は、だらだらと冷や汗を流すラフォンから長椅子の上においてあるワインへと移動する。コルクが開いたボトルと濡れたグラスは隠しようがなく、ラフォンが飲んでいたことは明らかだった。
「ラフォン、これは?」
「これは……イエスの血です」
「ほう、ワインですか」
 神父はワインボトルを手に取ると、それをまじまじと見つめた。神父の目とラベルの黒猫がにらみ合っている。
 その時、ふいに神父の顔が歪んだ。
「このワインは白ワインでは?」
「そうですが……」
「キリストの血と言うのは、一般的に赤ワインのことを指すことは知っていますよね?」
 ラフォンは無言で神父から目を逸らした。
 間違いなく、このシスターは知っていて飲んでいた。
「ラフォン=エフレム=クロウ、エフレムの洗礼名を取り上げられたいのですか?」
「そ、それだけはご勘弁を!」
 ラフォンはまた胸の前で十字を切り、すがるように神父に歩み寄る。しかし神父は甘ったるいワインの香りを漂わせるラフォンの頭を片手で押さえ、近づかせようとしない。
「はぁ、馬鹿らしい」
 そんな二人のやり取りを見ていたロシェは、呆れ返ったようにため息をついた。彼女はくるりと振り返ると、トレンチコートのポケットに手を突っ込んで歩き出す。
「ロシェ! 何処へ行くのですか? クリスマスの飾りつけは?」
「知らないわ。一人でやったらどう?」
「そんなぁ……。でもクリスマスのミサにはちゃんと出るんですよね?」
「さあね」
「うう、そんなに不機嫌にならないでくださいロシェ。明日の夜には私の取って置きのワインコレクションの一つを飲ませてあげますから。シャトーの二十年物ですよー!」
 ロシェはラフォンの言葉を完全に無視すると、ドアを開けて外へと消えていった。
「おいロシェ! ……ったく、どこ行くんだよ」
 ヴィクターは小さく悪態をつくと、ロシェの後を追って教会から出て行った。急に静かになった教会の中では、ドアが閉まった音がエコーしている。
「……あの子を見ていると痛々しいな」
「本当です」
 神父の言葉に、ラフォンは困却のため息を吐き出しながら同意した。
「……ああ、神の愛は彼女にも降り注いでいるはずなのに、何故かあの子はそれを受け入れようとしてくれない」
 神父は悲しそうに目を閉じると、ロザリオを額の高さまで掲げ、短く祈った。
「まったくです。教会で育ったにも関わらず、神の教えに反するような行動の数々――やはり捨て子だと言うことが彼女に強く影響しているのでしょうか……」
「それはお前の影響だ」
 ラフォンの悲しげな呟きに、神父は間髪いれず言い放った。



「待てってロシェ!」
 落ち葉を蹴り飛ばすように歩いていたロシェの背中に、ヴィクターの声が届いた。不機嫌なのを隠そうともせずに振り返ると、息を切らしながらヴィクターが小走りにやってくる。
「なに? またラフォンに連れ戻すように頼まれたの?」
「そんなんじゃねぇって」
 ヴィクターは乱れた息を正しながら答えた。
「お前が機嫌悪くなると何するかわからないからな。様子見だよ」
「人を危険物みたいな言い方はよして」
 ロシェは更に不機嫌さを増すと、再び落ち葉を蹴り飛ばしながら歩き始める。イブを明日に控えた住宅街はきらびやかな雰囲気ではあるものの、静かだ。その中でロシェが落ち葉を蹴り飛ばす音と、ブーツのかかとが石畳を叩く音だけが響く。
「ったく……よく言うよ、捨て犬をもう一回別の場所に捨て直すような女のくせに」
「あら、それはなかなか楽しそうね。今からやろうかしら」
 ロシェは小さく鼻を鳴らすと口元をいびつに歪めた。今の彼女なら、捨て犬を見つけ次第、嬉々として人気がなくて寒い場所へと捨て直しにいくだろう。
「そんな陰険で小さいことやって喜ぶなよ……」
「うるさいわね」
 ヴィクターの呆れ口調に対し、ロシェは据わった眼でにらみ返した。パンクラス教会のシスターたちが見たら、一斉に聖書を開いてなだめ始めそうな凶悪な瞳だ。
「聖夜とイブ……こんなクソみたいなイベントを明日と明後日に控えてちゃあイライラが収まらないのよ。出来るだけ大事なモノをゴミ箱に叩き込んで気分をスッキリさせたいわ」
「落ち着けロシェ」
「そう言って落ち着く人間がいるとでも? いいから、何か思いっきり大切な物はない? 捨てた瞬間にテンションぶっちぎって最高にハイになれるような大事な大事なゴミは?」
「困ったやつだな……」
 ヴィクターは後ろ髪を掻き毟ると、難しそうに低く唸った。
 それに対してロシェは、期待を持った眼でヴィクターを見つめるでもなく、飾り付けされた民家を淡白な表情で眺めていた。庭の木には電球がまきつけられ、玄関の前にはファーザー・クリスマス(サンタクロース)の置物が気取ったポーズをとっている。なんとなく、ロシェはその陽気な髭面をブーツで蹴り飛ばしたい衝動に駆られた。陶器製の置物はきっと粉々になるだろう。
「あ、そういえば……」
 何かを唐突に思い出したようなヴィクターの声が聞こえ、ロシェは我に返った。振り向くと、ヴィクターはさっきまでロシェが眺めていたサンタクロースの置物を指差している。
「子どものころ、友達と一緒にサンタを悪者にしようって話しがあったんだ」
「なに? それ……」
「そうだな……ほら、あれ見てみろよ」
 ヴィクターの人差し指が、サンタクロースの置物からそのすぐ隣になる小さなモミの木の置物に移動する。
「あのモミの木、毎年ローテーションでパンクラス地区の教会が子供のいる家に配っているんだよ。そしてあの置物を玄関先に飾っておくと、教会の人がイブにサンタクロースの格好をしてプレゼントを置いてくれるっていうイベントがあるんだ」
「……それで?」
「俺が友達と話したのは、教会に忍び込んでプレゼントを奪って、中身を蛇とか蜘蛛とかのゲテモノ系玩具に変えて戻して置くっていう……まぁ、頭の悪いイタズラだよ」
「へぇ……それからどうなったの?」
「忍び込んだ教会の神父さまがジャパニーズ・スモウの使い手で、プレゼントを奪う前にボコられた」
「ださ……」
 ロシェは呆れ交じりで小さく笑うと、今の話を頭の中で反芻した。今ロシェの頭の中には何か取っ掛かりがある。何かのアイデアがモザイクの向こう側にあるような、そんな感覚だ。
「プレゼントを奪う、ね……」
 プレゼントといっても地区の教会がボランティアで行うことだ。パンクラス地区の教会は大小合わせても両手の指で足りる数しかない。それだけの教会が資金を持ち寄ったとしても、用意できるプレゼントの質はたかが知れている。
 奪ったところでできることは、ヴィクターがやったような幼稚なイタズラだ。
 ロシェのイライラを解消できるようなことではない。
「奪う……ねぇ」
 教会で育ったロシェだが、そんなイベントがあることは知らなかった。毎年クリスマスになると、ロシェはもっぱら部屋に閉じこもってこの最悪な二日間を過ぎることしか考えていなかった。
「確か今年のローテーションは確かお前のとこのパンクラス教会だったと――」
「それよッ!」
 ヴィクターの言葉を遮り、ロシェは大声を上げた。モザイクの向こう側のアイデアが、ようやく形を成す。それに気づいた彼女の顔にさっきまでの不機嫌さはない。そればかりか、妙案を思いついた嬉しさの余りにヴィクターの胸を小突いた。
「サンタクロースのプレゼントを奪って全部捨ててやるのよ! 子どもたちの夢をまとめてゴミ箱に叩き込む最高の『ゴミ捨て』じゃない!?」
 ロシェの拳が握り締められ、体がガッツポーズを象る。
「今年がうちの教会ならイケるわ! 私がサンタクロース役をやって、プレゼントを全部捨ててやればいいのよ!」
「プレゼントを捨てるって……本気か?」
「当然よ。もちろん、手伝うわよね?」
「はっ、冗談じゃない。誰がそんなこと……」
「手伝わないつもり? 『お漏らしヴィクター』」
 その名前を呼ばれた瞬間、ヴィクターの体が硬直する。
「あなたの恋人、とっても美人よねぇ……。彼女が『お漏らしヴィクター』を知ったら、きっとヴィクターもゴミのように捨てられるのよね。……あら、そっちも面白そう。プレゼントを捨てるのとヴィクターが捨てられるのを見るの、どっちが楽しいかしら?」
「おまえ……ちょ、ちょっと待てよ。よく考えろ。そんなことをしたら神父様やラフォンがどんなに悲しむか……」
 冷や汗が浮かぶ顔を青くしつつ、説得を試みるヴィクター。それを見てロシェは意地悪く笑う。猫のように舌で下唇を舐めるロシェは小悪魔そのものだ。石畳にへばりつく彼女の影には先端が三角の角と尻尾が映っていてもおかしくはない。
「……わかった、手伝うよ。手伝えばいいんだろ…………」
「イエス・キリストに誓って」
「もう誓ったさ。イエスの返事を出したんだ」
 ヴィクターは肩を落としつつ、胸の前で十字を切った。



 夜の九時を過ぎた辺りで、ロシェはようやくパンクラス教会へと帰ってきた。すでに夕食は終わっており、シスターたちの日課は就寝前の祈りを残すのみだ。
 神父やシスターたちは宿舎に戻り、本来なら教会の中はすでに誰もいないはず。だが、ロシェが扉を開けると、教会の中では誰かが壁に何かを打ち付ける音が響いていた。
「ああ、ロシェ。お帰りなさい」
「……なにをしているの?」
 音の発生源はラフォンだった。彼女は脚立の上に立ち、壁に釘を打ち込んでいる。どうやらクリスマスの飾りを吊るすための釘を打っているようだ。
「お仕事をサボっていたので教会内の飾り付けを一人でやるという贖罪をしていたんですよ。他のシスターたちが夕食を食べているときも一人で飾り付けです……」
 ラフォンは半べそになりながら答える。自業自得なので同情の余地はない。ロシェ自身が何もしていないことは棚に上げて――なのだが。
「聖歌隊のギターの練習もしたかったのですが、『聖歌隊にギターは必要ない』と怒られてしまいましたし、ワインコレクションも没収されてしまいました……」
「当然ね」
「あ、でも一番大事なシャトーの二十年物は残しておいてくれたんですよ。さすが神父様。武士の情けです」
「武士の情けじゃなくて慈悲の心でしょうが。ここはどこの国よ?」
 分かっていることだが、このシスターのテキトウさにはロシェといえどもほとほと呆れてしまう。
「イブの夜にはロシェにも飲ませてあげますよ。あのシャトーは今年が一番飲み頃なんです。一緒に飲みましょうね」
 ロシェは小さくため息をつく。この能天気さは、絶対にこうはなりたくないということを前提として見習いたかった。
「ところでラフォン。あなた、その釘を打っている道具……なに?」
「え?」
 ラフォンは首をかしげる。今、彼女の左手は釘を支えており、右手には金槌ではなく何故か十字架のロザリオが握られていた。
「…………このシスター、ロザリオで釘を打ってやがるわ」
 このシスターはどういう神経をしているのか。――いや、これこそ無神経と言うのだろう。
「だって……金槌はこの前ロシェが捨てちゃったんですもん」
「だからってロザリオで釘を打っていい理由にはならないわよ。私が言うのもなんだけど、パンクラス教会のシスターたちの言葉を代弁させてもらうわ……『もっと主を愛し、シスターとしての自覚を持ちなさい』」
「あはは、本当にロシェが言うのもなんですね」
「うるさいわよ」
 ロシェは仏頂面をした後でラフォンに背を向けると、宿舎に続く扉がある教会の奥へと歩き出した。
「ああ! ロシェ! 手伝っ――」
「いやよ。これから神父様に『ある提案』をしなくちゃいけないの」
 ラフォンが言い終わる前にロシェは断る。
「……あ」
 と、そこで、ロシェは思い出したように足を止めた。ロシェはポケットに手を入れて振り返ると、ラフォンに向かっていやらしい笑みを浮かべる。
「そういえば、あなたから教えてもらった『お漏らしヴィクター』の話、役に立ったわ。ありがとう」
「はい?」



 翌日の午後四時。日照時間が短いロンドンでは、この時間はもう暗くなっている。そんな中、飾り付けがなされたパンクラス教会の前では、ロシェとヴィクターがプレゼント配布の準備を進めていた。
 見事、ロシェの『提案』は受け入れられたというわけだ。
「助かりましたよロシェ。あなたがサンタクロース役をやってくれるならば、私もミサに専念できます。正直ミサの時間を一時間遅らすことも考えていたのですが、どうやらその必要はないようですね」
 プレゼントの配布は、教会が所持するライトバンで行うことになっていた。神父はプレゼントが内包された大きな白い袋をバンの後ろに積みながらにこやかに喋る。本当ならこの神父がサンタクロース役をやる予定だったらしいが、バスケットプレーヤーも圧倒するような体格の彼が白髭をつけてこの大きな袋を持ったのなら、子どもは泣き出すのではないだろうか。
「まぁね。昨日も言ったけど、シスターたちがクリスマスの準備をしているのに私だけ何もしないって言うのは悪いって思ったのよ」
 ロシェは笑顔を浮かべつつ、ブロンドの髪を隠す帽子を直した。ロシェは今、赤と白の派手なサンタクロースの格好をしている。神父が着る予定だったそのコスチュームは特大で、ロシェが着ると上着だけで膝の辺りまで覆い隠してしまう。そのため赤いズボンは身に着けず、代わりにラフォンの修道服の予備を上着の中に着ていた。
 そのため今のロシェの格好はサンタとシスターの奇妙なコラボレーションとなっている。
「ヴィクター君もありがとう。大方ロシェに引っ張り出されたのだろうが……感謝しているよ。イブをボランティアに使うその奉仕精神、神もきっと見ていらっしゃる」
「いや、もう、なんか俺的にはどうにでもしてくださいって感じで……」
 ライトバンの運転席に座ったヴィクターはモゴモゴとくぐもった声で答えた。
 それもそのはず。彼は今、ゴム製のトナカイのかぶり物をかぶっているのだ。ロシェがサンタの格好をし、運転するのはヴィクター。ならばヴィクターがトナカイの役割なのは納得のいく筋だが、バックミラーに映る彼の姿はあまりに情けなかった。角の部分が長すぎるため、車内の天井に刺さっている。
 そんなヴィクターの姿は、オブラートに包んだ表現をして『変質者』だ。
「それじゃあ神父様、いってきます」
「ああ、頼んだよ」
 ロシェは助手席に乗り込むと、フロントガラスの向こう側を指差した。それに応じてヴィクターはゆっくりとライトバンを発進させる。
「……ヴィクター君。ロシェのことを見守ってあげてくれ。あの子に『ゴミ捨て』の名前は悲しすぎる」
 ライトバンの後姿を見ながら、神父はそっとロザリオを胸の前に構えた。



「うふふ、わくわくしてきたわね」
「……なぁ、ロシェ。やめるなら今のうちだぞ」
「なに? 怖気づいたの?」
 ロシェは車の窓枠にひじを置き、挑発するような口調で言った。だが、トナカイのお面をかぶったヴィクターは表情がわからない。
「イブにこんなことをやることもないだろうって思ったんだよ」
「イブだからやるのよ」
 ロシェは眼を細めて顎を少し上げると、小さく鼻をならしてシートにもたれかかった。
「……捨てられた日が辛いってのは察するけどよぉ。お前には教会があるじゃねぇか」
「だから? お説教は子守唄に聞こえてくるからよしてよね」
「お前さぁ。もしかしたら自分のことを――――」
「…………」
 ロシェは眉間にしわを寄せて押し黙った。その言葉の先を、聞きたくなかった。だが、ロシェの頭の中にはもう先の言葉が予想できてしまっている。
 もしかしたら自分のことを――
(もしかしたら私は、ゴミだったんじゃないかな……?)
 そのことを考えてしまえば、不安で息苦しくなる。胸は圧迫され、心臓は鞭を打たれた馬みたいに活発に走る。フロントガラスから見える一番星さえも憎たらしい。憎しみと不安が胃液と一緒に口から出てきそうだった。
 この不安はなくならない。
 しかし、否定することは出来る。
 その方法は、自らゴミを捨てる立場になること。ゴミを捨てる自分はゴミではない。自分は誰からも愛されないゴミではないと言える。
 だからこそ『ゴミ捨てロシェ』。
「黙って、ヴィクター。お説教は子守唄に聞こえる」
「……顔、青いぞ。酔ったか?」
「ええ。あなたの運転下手くそね」
「そう言うな。もうじき付く」
 そう言ってヴィクターはブレーキペダルを踏んだ。ライトバンは徐々にスピードを落としながら路肩へと寄っていく。停車した数メートル先には、ゴミ収集車の回収ボックスがある。
 ロシェは助手席で一度だけ深呼吸をすると、薄ら笑いを浮かべて回収ボックスを見た。
「本日はクリスマスイブ。ありとあらゆるゴミの日ね」
 ロシェは助手席から降りると、車の後ろに回ってプレゼントの入った袋を引き釣り下ろした。一体どれくらいの数が入っているのかはわからないが、かなり重たい。持ち上げることは出来ず、ロシェは引きずるようにして袋を回収ボックスまで運んだ。
「……回収ボックスにまでクリスマスカラーって、街は何考えてんのかしら」
 ロシェの両手を広げたほどの大きさの回収ボックスには、赤と緑のモールが巻きついていた。街路樹のイルミネーションから電源を分けてもらっているのか、ささやかな電球まで巻きついている始末だ。おまけに回収ボックスの上には小さなモミの木とサンタの置物まであり、回収ボックスと言うよりもクリスマスのオブジェに近い。
「まぁいいわ」
 ロシェは回収ボックスのふたを押し上げると、袋の口を開いた。袋の中には簡単に包装されたプレゼントがいくつも入っており、ロシェはとりあえず一番上にプレゼントを手に取った。
「プレゼント・フォー・ユー――ゴミ箱にね」
 シニカルな笑みを浮かべ、ロシェは手に持ったプレゼントをゴミ箱の中に放り投げた。プレゼントは回収ボックスの底に当たり、カタン――と寂しげな音を立てる。
 その音が、ロシェの背筋をぞくぞくと刺激した。
 誰かが楽しみにしていたプレゼントは今、暗いゴミ箱の底にある。拾い手はなく、ゴミ収集車にプレスされるのを待つばかりだ。ロシェはプレゼントだけでなく、誰かの喜びも一緒に捨てたことになる。
 ゴミ捨てロシェ。
(そう、ゴミを捨てる側の私はゴミじゃない、捨てられたのはゴミだったからじゃない)
 そう思えた瞬間、ロシェは袋から両手一杯にプレゼントを抱えた。そしてわずかな躊躇いもなくゴミ箱に投げ入れる。次々にプレゼントを取っては捨て、捨ててはまた捨てる。
 一つ捨てるたびに感じる「捨てる側の人間」の実感が気持ちいい。
「ロシェ、向こうから人が来るぞ!」
「だからどうしたの!? こんな楽しいこと、途中でやめらんないわよ!」
 ロシェは言いながら手に持ったプレゼントを回収ボックスの中へと叩きつけた。底で溜まり積もったプレゼントの山にまた一つ追加される音が聞こえてくる。
「これも、これも、これもゴミ!」
 ロシェは雪合戦で雪玉を乱射するようにしてプレゼントを投げ捨てる。
 通りを歩いてきた通行人が、サンタ姿で何かを捨て続けるロシェを見て怪訝な顔をするが、ロシェ自身は全く気にしない。むしろこの行為を目撃されることすら、ロシェの気分を更にハイにしている。
 一人でも多くの人に、自分が「捨てる側」だと言うことを認識させたかった。
 「ゴミ捨てロシェ」「彼女は何でもゴミのように捨てる」――学校でそんな風に陰口を叩かれても、ロシェは傷つくどころか更に自分を確立できた。たとえゴミを捨ててばかりの最低な人間のレッテルを貼られようとも、ゴミよりはマシだと思える。
 最低な人間でもいい。
 ゴミ以上ならばいい。
 ゴミはいやだ。
 ゴミのように捨てられるのは嫌だ。
 だから捨てられる前に捨ててやる。
 捨てれば、自分は捨てたものよりは上だと思えるから。
 より高価で、より大切なものを捨てれば、自分はゴミから遠ざかることが出来る。自分の価値をあげることが出来るようなことができるような気がする。
 捨て子なのはゴミだったからじゃないと思える。
「私は! ゴミじゃない!」
 ロシェはずいぶん軽くなった袋を持ち上げ、その口を回収ボックスの中につっこんだ。そして袋の後ろをつかむと中身を一気に回収ボックスへと流し込む。何度も袋を激しく揺さぶり、プレゼントが落ちる音が聞こえなくなるまで続けた。
「私は……ゴミじゃない」
 乱れた呼吸の中、ロシェは捨てられたプレゼントの山を睨みながらつぶやいた。
 最後にロシェはプレゼントの入っていた袋も回収ボックスの中へとつっこむと、少し疲れが見え始めた顔でライトバンの中へと戻った。
「……気分はどうだ?」
「これ以上ないってくらい、最高の気分よ」
 赤い帽子を取って息を吐くロシェの姿は、言動とは一致しない。
「そうか……意識がトンじまうほどか?」
「下品な言い方ね。あなた、そんなんじゃイギリス紳士になれないわよ」
「んなもん、このお面をかぶったときに諦めたさ」
 ヴィクターは憮然とした口調で言うと、サイドブレーキを下ろして車を発進させた。
 窓から見える回収ボックスの上のサンタは、憎たらしい笑みを浮かべている。



 プレゼントを捨てた後、二人はすぐに帰る気にはなれずにしばらく市内を当てもなく流していた。しかし当てもなく走るというのは意外と難しく、結局ヴィクターはパンクラス教会近くの公園前に車を止めることで落ち着く。
「少し疲れたな。……どこかのカフェでも行くか?」
「今日は国民的休日よ。こんな日はどこも閉まっているわ」
 ロシェは窓枠に頬杖をついたまま答えた。プレゼントを捨ててからという物、ロシェは一向に窓の外から目を離さない。自ら口を開くことはなく、ヴィクターの話にたまに相槌を打ち、問いかけの大半を無視すると言う感じだ。
「これで『ゴミ捨てロシェ』は街の有名人になるな」
「そうね」
「でも、俺はお前が気分爽快には見えないがな」
 ヴィクターの言葉に初めてロシェは振り返った。トナカイのお面を睨む目は、鋭い。
「それに、今回は泣かないんだな。いつも捨てた後は感傷的になって泣きべそかくクセに」
 ロシェは慌てて、窓の外に視線を戻す。彼女の背中は小刻みに震えだしている。ロシェは、泣き出しそうなのを歯を食いしばって我慢していた。後ろからでもかみ締めた顎が強張っているのが見えるので、ヴィクターにもそれが伝わる。
「……あのプレゼント、きっと楽しみにしていた子はいたのよね」
 嗚咽を無理やり声にしたような、酷く震えた声でロシェは呟く。
「そうだろうな。俺も子どもの頃もらっていたから分かるけど、けっこう楽しみだった」
「それを私は捨てたのよね。みんな楽しみに待っていたイブの夜に」
 捨てられたプレゼントの山は、子どもたちの楽しみと一緒にゴミ収集車にプレスされ、燃やされる。
「そうだな」
「それじゃあ……」
 ロシェは右手で前髪を握り締めるようにしながら振り返った。瞳からは、雨が降り出すようにポツポツと雫が落ち始めている。
「イブの夜に私を捨てた両親は、私が生まれるのを楽しみにしてなかったのかしら……?」
 涙交じりの震えた声は、悲しみよりも恐怖の色が強い。
「私は、いらない子だったのかな……? ゴミ、だったの……?」
 ロシェが涙を拭いながらする問いは、何年もしてきた自問自答だ。何年も悩んできたが結局答えは出ず、行き着く結果は一つ――
「ゴミは、いやぁ……」
 それだけだ。
「……なぁ、ロシェ」
 泣きじゃくるロシェを前に、ヴィクターはそっとささやくように語りかける。
「お前の親が何でお前を捨てたかは分からんけどな、ゴミはそんなに悪いものか?」
「あ、たり……まえ、じゃない……」
 ゴミ=不必要なもの。
 その方程式をいやと言うほど認識し、恐れているロシェにとってヴィクターの言葉は理解できない。
「俺はそうは思わないがなぁ」
「なん、で、よ。ゴミは、いらないから……ゴミ、なんじゃない」
 その言葉は、言ったロシェ自身をも傷つける。胸に渦巻く辛さは、髪の毛を引き抜きたくなるほど苦しい。
「ゴミよ! ゴミ!? いらないからゴミなんでしょ! ゴミなんて、邪魔なだけじゃない! プレスされて、燃やされて、誰にも必要とされない、存在自体が不必要なゴミよ! こんなに……こんなに悪いものなんて……」
 ロシェは悲鳴を上げるようにしてまくし立てる。
 ロシェが思うことは一つ。
 ゴミにはなりたくない。
「それじゃあ、ちょっとゴミの行く末を見に行かないか?」
「え……?」
 ロシェの返事を聞く前に、ヴィクターはアクセルを踏んで車を発進させた。
 サンタが手綱を放したトナカイは、勝手にロンドンの街を走り始める。



「ちょっとヴィクター。どういうこと?」
「まぁ見てろ」
 ヴィクターはつい先ほどまでロシェがプレゼントを捨てていた場所まで戻ってきた。
 ロシェは時折しゃくりあげながら、ヴィクターに言われたとおり窓の外から回収ボックスを見ていた。ふたを開ければ、今でも中には捨てられたプレゼントの山があるだろう。
「ほら、きたぞ!」
「なにが? ゴミ収集車?」
「ばか。今日は国民的休日だぞ。そんなもん来るか」
 ロシェは目じりに溜まった涙を拭いながら、ヴィクターの指差す方向を見た。
 そして、ヴィクターが指差したものを理解し、一瞬涙を流すことすら忘れる。
「なんで……」
 通りを歩いてきたのは、パンクラス教会の人々だった。神父を先頭としてシスターたちが通りを歩いてくる。しかもそれだけではない。彼らに続いてパンクラス地区に住む子どもたちもぞろぞろと列を作って歩いてきている。
「ハイみんな!」
 シスターたちは回収ボックスの前に子どもたちを集合させると、手を合わせて声を上げた。
「今年のサンタクロースは面倒くさがりでして、プレゼントはこの中にまとめて置いてあります! さぁ! 好きなプレゼントをもらっちゃいましょう!」
 シスターが言い終わるや否や、集まっていた子どもたちは一斉に回収ボックスからプレゼントを取り出し始めた。
 プレゼントを手に取った子どもたちは大事そうにそれを抱える。中には包装紙の隙間から中身を見えないか必死に試みている子もいる。待ちきれずに包装紙開けてしまう子もいる。回収ボックス前の人だかりの中に入れず、後ろの方で右往左往している子もいた。かと思えば、プレゼントよりもそれが入っていた袋を取り出して遊び始める子もいた。
 みんな、ロシェが捨てたゴミを手に、笑顔を浮かべている。
「見ろよロシェ。お前が捨てたゴミ、あんなに喜んでもらえているぞ」
「ヴィクター、これって……」
 ヴィクターはお面の後頭部を掻き毟る。
「ゴミかどうかは、一人一人で違うんだよ。例えお前がゴミだって思ったものでも、あの子達にしちゃプレゼントだ。だから――」
 トナカイのお面の下から、笑ったヴィクターの口が見えた。
「お前の親がお前をゴミとしても、お前が自分をゴミとしても、俺はお前をゴミにしやしない。神父も、シスターも、ラフォンもだ」
 ヴィクターは言う。
「お前はゴミじゃない」
「――……ッ!」
 言葉は出ず、ロシェの瞳からはさっき以上の涙が溢れてくる。嗚咽はプレゼントを手にした子どもたちの歓声にかき消された。
「ったく、大変だったんだぞ。あの回収ボックスに飾り付けするの。流石に見た目が回収ボックスのままじゃあ子どもたちも気分悪いだろうからな」
「どういう、こと?」
 ロシェの問いに、ヴィクターはにやりと笑った。
「俺とパンクラス教会のみんなで、わからずやのお前に『お前がゴミじゃない』ってことを教えてやろうって思ったんだよ。パンクラス教会が今年のサンタ役ってことを利用してな」
 ヴィクターの指が神父とシスターたちを指す。
「言い出したのはラフォンだ。まず俺がサンタのプレゼントを奪うって話をする。するとお前は捨てたがる。そしたら神父様にサンタ役を譲らせ、俺はお前に無理やり付き合わされるフリをしながら飾りつけた回収ボックスまで行く。後はシスターたちに地区の子どもたちにプレゼントの配布方法が変わるってことを連絡してもらう。――さすが育ての親だな。ラフォンはお前がどういう風に行動するかよく知ってるよ」
 お漏らしのエピソードを出されたときは本気で焦ったけどな――と、ヴィクターは苦笑した。
「コノヤロウ……私をかついだわね」
「お説教で分からせてやろうとしても、お前には子守唄に聞こえちまうんだろ?」
 ヴィクターが言うと、ロシェは一度だけ鼻をすすって小さく笑った。
 騙されたことへの憤りはない。主を愛し罪を洗い流す教会が、自分のために「騙す」という罪を犯してくれたのだ。教会が罪を犯す――その決意をしたパンクラス教会の人々を、ロシェは恨むことなどできない。
「ほら、手でも振ってやれよサンタクロース」
「ええっ!?」
 ヴィクターは助手席の窓を開けると、ロシェの背中を押した。窓から身を乗り出す形となったロシェは、恥ずかしがりながらも小さく手を振る。
 それに気づいた神父が、手を振り返した。
「サンタクロースだ!」
 そしてロシェに気づいた子どもたちも、次々とライトバンのそばへと駆け寄ってくる。その手にはゴミとされたプレゼント。大事そうに抱えている。
 そんな子どもたちを前に、ロシェは嗚咽を殺しながら微笑んだ。窓から身を乗り出し、近づいてきた子どもたち一人ひとりの頭を撫でる。今のロシェは、この子どもたちにとってもゴミではなく、愛すべきサンタクロースだ。
「人気者だなロシェ」
 ヴィクターもロシェと同じく身を乗り出す。
 が、しかし。
「ぎゃぁぁぁあああっ!」
 突然ロシェの背後から現れたトナカイ面を見て、子どもたちが悲鳴を上げた。子供たちは一斉に逃げ出し、シスターたちの胸の中で泣き始める。サンタ姿のロシェはともかく、トナカイのお面をかぶったヴィクターはバケモノにしか見えなかったようだ。
「泣いちゃったじゃない」
「……俺も泣きそう」
 ヴィクターはうなだれようとしたが、長い角が天井に刺さっているため、途中で引っかかった。心なしか無機質なお面ですら落ち込んでいるように見える。
「……ラフォンにも、色々言いたいことができちゃったわね」
 窓の外を眺めながら、ロシェは震えた声で呟いた。だが、子どもたちに囲まれるシスターたちの中にラフォンの姿はない。
「それじゃあいくか。ラフォンなら、今も教会で飾りつけをやっているだろうから」
「まだ終わってないの?」
「誰かが金槌を捨てたおかげでな」
 ヴィクターは運転席からパンクラス教会の方向を親指で指す。
「さぁ、教会に帰ろう。ラフォンにもお前がゴミじゃないって事を聞きに行こう」



 教会のドアを開けると、ギターの演奏とともに「きよしこの夜」の歌が聞こえてきた。オルガンで演奏する賛美歌の一つだが、何故か聞こえてくるギターの音はエレキギターだ。演奏者はもちろん、祭壇の前で気持ちよさそうに歌っているラフォンである。
「ラフォン!」
「え……ロシェ? ヴィクター?」
 ロシェは悠長に歩いてなどいられず、ヴィクターを置いて駆け足でラフォンの元へと向かった。彼女の顔を見た瞬間、ロシェの止まっていた涙腺は再び震えだす。
「ロ、ロシェ。これは違うんですよ! 私は別に飾り付けを途中でちょろまかして、聖歌隊の演奏に乱入するための練習とかは決して――」
 ラフォンのもとにたどり着いた瞬間、ロシェは彼女に抱きついた。そのためラフォンの言葉は途中で遮られる。
「ロシェ、どうしたんですか? もしかして、泣いてますか?」
「ラフォン……私……」
 しゃくりあげるロシェの嗚咽は、悲しみではなく歓喜のものだ。
「ゴミじゃ、なかった……」
 ロシェの言葉にラフォンは驚いたように目を丸くした後、小さく微笑んだ。そっと赤いサンタの帽子を取り、そのブロンドの髪を撫でる。
「……今更何を言っているんですか」
 ロシェの顔をぐしゃぐしゃにしている涙を、ラフォンは修道服の袖で拭った。
「ロシェがゴミだなんて、私は一回も思ったことがありませんよ」
 ラフォンはロシェの額にペッたりと張り付いている前髪を整える。
「ほらほらロシェ。もう泣かないでください。せっかく私に似て可愛い顔なのに、台無しですよー」
「血は、繋がっていないじゃない……ばか」
 少し拗ねたようにいうロシェ。
「でも私が親ですよ」
 ラフォンは、拗ねるロシェを笑い飛ばす。その笑みは、祭壇の聖母マリアの像にも勝る笑みに見えた。
「私がロシェの拾いの親で、名づけの親で、育ての親です。私が親で、ロシェが娘」
 ラフォンの言葉で、再びロシェの胸から何かがこみ上げてくる。
 思えば、ロシェを路上で冷たく朽ちるゴミにしなかったのは、捨てられているのを見つけて拾ってくれたラフォンのおかげだ。ロシェにとっては誰よりも感謝したい人。育ての親としてずっと一緒にいてくれたシスター。
 今まで捨て子のコンプレックスから拗ねて、荒んで、捻くれて、卑屈になって言えなかったが、今なら言えるかもしれない。
 『ありがとうラフォン』と。
「そういえば、話していませんでしたね」
「え?」
 突然、ラフォンは物思いにふけるように虚空に目を向けた。まるで遠い過去を見ているような、憂いを帯びた目だ。
「十六年前のこの日、私は宝物を拾ったんです」
「宝物? それって……」
 ロシェの鼓動が早くなる。宝物といえば、ゴミの反対語といってもいい。ずっと自分をゴミではないかと心の底で思っていたロシェにとって、最も憧れるもの。
「最初は、ただの哀れみだったのかもしれません。ダンボールの中に転がっている姿は、寂しげでしたから」
 ラフォンは手を祈りの形に組むと、まっすぐにロシェを見た。

「でも、今は、紛れもなく私の宝物です」

「ラフォン……っ!」
 涙はロシェの我慢を突き破り、瞳から溢れた。高ぶった感情は抑えきれず、ロシェは抱きしめようとラフォンに手を伸ばした。
 ――が、ラフォンはそのロシェの手を華麗にかわす。
「え?」
 避けられたロシェは、勢い余ってたたらを踏んだ。
「ラ、ラフォン?」
 ロシェの手を避けたラフォンは、参拝者用の長いすの上でなにやらゴソゴソやっていた。
 やがて取り出したのは、一本のワイン。
「いやぁ、最初は哀れみだったんですよ。十六年前のこの日、酒屋さんに行ったらこのワインが格安で売ってたんです。ロクに陳列もされないままダンボールの中に転がってたんですから、ずっと売れ残っていたんでしょうねー」
「え?」
 ロシェの動きが止まった。
 ラフォンは気にせず嬉しそうに続ける。
「実はこのワイン、銘柄に私の名前が入っていたんですよ。ですから『これも何かの縁かなー』と思って哀れみ混じりで買ったんです。缶ジュースと同じ値段だったんで、拾ったようなものですね。あ、拾ったって言えばこのワインを買った帰りにロシェを拾ったんですけど」
「……」
 ラフォンはワインのボトルを抱えながら嬉しそうに体を揺らしている。
「このワイン、シャトーという大手メーカーのものなんですが、80年代前期は駄目なワインしか作れなかったんですよね。それでこのワインも売れ残っていたみたいなんです。――ところが!」
 ラフォンは嬉しそうに長いすの背もたれを叩いた。
「実は中期にはその味を取り戻していたんです! ですが酒屋の店長はそれを知らずにタダ同然の値段で売りやがったんですよ! 私が買った時点で四年売れ残っていましたから、今年で二十年目です! ちょうど飲み頃です! 今このワインがどんな値段で売られているか知ってますか? ぷぷっ、笑っちゃいますよ! すげー拾いものをしましたよ!」
 ラフォンは手を組むと、心底嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
「これが、私が十六年前に『拾った』宝物です」
 ラフォンの笑みは今、聖母マリアを越えた。
「さぁロシェ! 今日こそ一緒にこの宝物を飲みま――――」
 ラフォンが叫び、ボトルを掲げた瞬間――

「このっ生臭シスターがあぁぁぁッ!」

 ロシェはラフォンの手からワインボトルを奪い、それで思いっきり彼女の頭をカチ割った。
 ボトルは粉々になり、ラフォンは床に倒れてワインまみれになりながら小さく痙攣している。
 ロシェは肩で息をしながら握ったボトルの欠片を投げ捨て、床で痙攣するラフォンに向かって侮蔑の視線を送った。ヴィクターでさえ、呆れて言葉も出ない様子だ。
「期待した私が馬鹿だったわ……」
 ロシェは胸の前で十字を切る。
「アーメン」
 ロシェはきびすを返すと、大またでドアへと向かった。
「ろ、ロシェ? どこ行くんだ?」
 ヴィクターの声にロシェは足を止めると、振り向かないまま答えた。
「……私が今まで捨てた宝物でも拾ってくるわ」
 そう言うとロシェはイブのロンドンの街へと歩き出した。



エンディング

「あぁ〜……シャトーがぁ……」
 ロシェが出て行き、眼を覚ましたラフォンは粉々になったボトルを見て悲しげにうめいた。惨めったらしく自分の顔に付いたワインを舐めている。
「自業自得ですよ。何故あそこであんなことを言ったんですか?」
 ラフォンはワインを舐めるのをやめ、静かな口調で答えた。
「……今までロシェのしてきたことは、決していい事ではありません」
 ラフォンはずぶ濡れ修道服の裾を掴むと、思いっきり絞った。雑巾を絞るようにワインが流れ出てくる。
「ロシェは自分がゴミじゃないと気づいて、救われました。でも、そうするとロシェは自分のしてきたことを悔いるはずです。私が優しい言葉をかければ、なおさら。懺悔は大事ですが、でも、それでも、ロシェには元気な姿が一番です。むしろ懺悔すべきなのは、教会のみんなにロシェを騙す手伝いをさせた私なのですから」
 ラフォンはそっと胸の前で手を組んだ。
「私はロシェに懺悔をしてもらわなくても、十分宝物だと思っています」
「……元気なところは、ラフォンに似たんでしょうね」
 ヴィクターが言うと、ラフォンは嬉しそうに笑う。
「もちろん。私が彼女の拾いの親で、名付け親で、育ての親ですから。…………でも」
 ラフォンはボトルの破片を摘み上げた。その破片には、ワインに濡れたラベルが貼ってある。
「このワイン、一緒に飲みたかったな」
 ロシェを拾ったときにラフォンが持っていた一本のワイン。
 このワインが一番美味しくなる年に、ロシェは自分がゴミじゃないと気づいた。
 ラベルに書かれたワインの名前。
 『シャトー ラフォン・ロシェ』
 いつか本当の親子になれるように。

 Amen


 END


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●感想
一言コメント
 ・ラフォンの破壊僧(?)っぷりがうけました。
 ・キャラ同士の掛け合いやキャラプロットに脱帽です。
 ・テンポが良いので最後まで面白く読むことができました。
  ちょっとホロリとする所もあって読み応えのある良い作品だと思います。
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