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第一章 異世界の七人
「おい、まだ着かないのか? 遅れちまうぞ」 がたがたと不整地の道路を進むトラックの助手席で片桐が運転席の浅木に声をかけた。 「はあ、それが行けども行けどもこんな感じでして……」 「まったく。おまえ何回、日出生台に通ってんだよ」 苦笑いしつつぼやく。かれこれ二時間。こんな状況だ。片桐三曹以下、六名の隊員は日出生台演習場で使用する実弾の輸送に従事していた。 彼らの運転する二台の七三式トラックには大量の小銃弾、手榴弾、八十四ミリカールグスタフ無反動砲などが搭載されている。 片桐は今年二十七歳。一般曹候補士からたたき上げでやってきているいわば「職業軍人」だ。厳しさと部下に対する気遣いを持った下士官と評価が高い。 一見、そこいらにいそうな優男だが、部下にとっては部下思いだが雷が落ちるとおっかないことこの上ない。まさに理想的な三曹といえるだろう。 「三曹、どう考えてもおかしいですよ」 荷台から須本が声をかけた。 「いくら大分の山奥っていってもですよ。二時間も未舗装の道路を走っても人家ひとつないなんて……」 「だったら何だ? 狐にでも化かされて同じところをぐるぐる回ってるとでもいうのか?」 そうは言いつつも片桐もこの指摘には同意していた。たとえ迷子とは言え、何度か通ったことのある道だ。いくらなんでも見覚えのある場所が見えてきてもいいはずなんだが。 「三曹、登り坂が終わります。街が見えるんじゃないですか?」 運転席の浅木がハンドルを握りながら報告した。片桐は双眼鏡を取り出した。 「あれ?」 車列は小高い丘を登りつめたようだった。そしてそこで片桐たちが見たモノは、日本では北海道以外、まず見ることのできない地平線だった。延々と小高い丘が連なっている。そしてその大地は豊かな広葉樹で一面覆い尽くされているのだ。 「日田は? 由布岳は? 久住連山はどこだ?」 普段は部下の前では冷静沈着を心がけるところだが、思わずうろたえて双眼鏡であたりを見回した。太陽の向きを確認しつつ東方向を見ると、明らかに集落らしきモノが見て取れた。 「村だ。でもどこだ? 中津江まで出てきちまったのか……」 焦りながらひとりごちる片桐でもわかっていた。中津江なんかじゃない。そもそもその集落にはここから見る限り舗装された道路が通っていないのだ。 「とにかく、あそこまで行って道を聞くしかないな……」 予想もしなかった光景に運転席でぽかんと口を開けている浅木に発進するよう命じかけたときだった。横の茂みから何者かが飛び出してトラックの前に立ちふさがった。 「なんだ?」 片桐は目の前の人物を凝視した。そしてそのまま視線を動かすことができなくなった。 暗色の服と革製であろうブーツに身を包んだその人物は外国人に見えた。しかしその外見は世界のどの人種とも似通っていない。ちょっと高い鼻。緑色の髪の毛。そしてなにより、その身長の低さ。一メートルちょっとといったところだろうか。 「あ、あ、ああああ……」 浅木は物語の「七人のこびと」にも似た人物との遭遇で顎がはずれんばかりに口を開いている。後ろでがちゃがちゃと金属音が聞こえて片桐は我に返った。後ろを見てみると須本と中垣が自分の小銃に実弾を装填している。 「おい、須本、中垣。なにやってんだ?」 「三曹、おわかりでしょう? こりゃあ尋常なことじゃないですよ。身を守るモノが多いに越したことはないですよ」 普通だったら懲戒ものの規則違反だろうが、須本のこの言葉は少なくとも現在の状況を的確に表現しているに違いない。後続のトラックの高崎からも無線連絡が入る。片桐は目の前のこびとが七三式トラックの外観を好奇心にあふれた様子で、眺めているのを確認しながら高崎に答えた。 「高崎、斉藤と岡田に実弾を装填させろ」 「え?」 マイクの向こうで高崎は固まった。まさか、片桐三曹はなにを考えているんだ? いくらこんな状況だからといっても……。だが高崎の頭の中にはとてつもなくばかげてはいるが、今の状況を説明できる仮説が構築されていた。もしも、それが事実であったならば、彼のこの命令は妥当であると言えよう。 「いいな?」 再度の片桐の確認で高崎は考えることをやめた。自衛隊では上官の命令がまず優先される。高崎は斉藤と岡田にそれぞれの小銃に実弾を装填するよう命じた。 「三曹、完了です」 全隊員の準備が完了したのを確認して片桐はトラックのドアノブに手をかけた。彼の意図を察した浅木が思わず声をあげた。 「三曹、やばいっすよ」 「心配するな、武器は持ってないようだ。いざとなったら援護しろよ」 それだけ言って片桐はドアを開け放って外に飛び降りた。ドアの開く音に驚いたのかこびとは少し肩をびくっとさせたようにも見えた。片桐はまず、とりあえず笑顔を作ってみることにした。人類皆兄弟。笑顔は敵意のないことを示す共通語だ。 「や、やあ?」 若干ひきつった笑顔でこびとに話しかける。数秒の間を置いてこびとも彼に敵意がないことを悟ったらしい。その高い鼻を持つ顔をほころばせた。 「あんたたちの来るのを待っていたんだよ。俺はバストーっていうんだ。村では長老が待ってる」 言葉が通じることがあまりに意外で片桐は少しうろたえた。 「ば、ばすとぉ? って君の名前か?」 二度三度と生唾を飲み込んでからようやく片桐はバストーと名乗るこびとに言葉を返すことができた。 「そうさ、そんなに珍しい名前じゃないよ。あんたは?」 「自分は陸上自衛隊三等陸曹の片桐だ」 バストーはひょいと首を傾げた。 「あんた妙な名前だな。まあ、いいや。じゃあ、片桐、その大きなモノに俺も乗せてくれよ。村まで行こう」 そう言うとバストーはすたすたとトラックに歩み寄った。運転席ではびびりまくった浅木が八九式小銃をバストーに向けていた。 「こ、これ以上近寄るな!」 震える声で浅木はバストーに叫んだ。こびとはそれに動じるわけでもなくけらけらと笑った。 「あんた、おもしろいモノ持ってるな。それどうやって使うんだ?」 「銃を見たことないのか?」 手で浅木を制しながら片桐がバストーに尋ねた。世界中どこを探したって銃を知らないヤツなんていない。だったらここはいったいどこなんだ。もはやその自問が意味をなさないと知りつつもそう思わずにはいられなかった。 「ないね。パタントならいくらでも見たことあるんだけど」 「パタント?」 今度は片桐が聞き返す番だった。バストー曰く、どうやらそれは弓矢の一種のようだ。 「パタントはすごい。特にアンバッドの持つパタントは強力なんだ」 またわからない言葉が出てきた。アンバッド、話の流れから人種や国名のようだが、当然世界地図にはそんな名前の国は存在しない。 「アンバッドってのは森の悪魔なんだ。それで、俺たちガントル族とクアド族の村をいつも襲うんだよ」 バストーと会話するごとに片桐たちの知らない言葉が次々と飛び出してくる。運転席の浅木と助手席の片桐の間に座ってバストーは次々と語り始めた。 彼の話によると、バストーたちこびとはガントルと呼ばれているようだ。そしてクアドというのは、彼の話曰く、片桐たちに近い人種のようだった。そしてアンバッドとは鬼のような外見で森に潜み非常にどう猛で、常に村を荒らしている連中のようだった。 この世界はヌボルと呼ばれていて、バストーにもそれがどのくらいの大きさかは知らないそうだ。噂では歩いて百日の距離にクアド族が大勢住んでいる国があるそうだが、どの方向にあるのか村の人間は誰も知らないようだ。 村の周辺には転々と集落が存在し、そこではクアド族とガントル族が共存して生活している。 村々は独立し、互いに交流はしてるそうだが、ここのところのアンバッドの襲撃で村々の連絡は途絶えがちということだ。 「で、バストー、なんで君はそんな危険な森にいたんだ?」 がたがた道で徐行するトラックの中で片桐は問いかけた。バストーは少し考えてからこう言った。 「長老様がアンバッドの襲撃に困って伝説のロザールの魔法を使ったんだ。あ、ロザールってのは伝説の古代王国でね。いろんな魔法でヌボルを支配していたらしいんだけど、大昔に滅びちゃったんだって。でも、クアド族は彼らの魔法を少しずつ伝承していて、長老は村が受け継いだ魔法であんたたちを召還したらしいんだ」 片桐は考えた。じゃあ、俺たちは元の日本からどこかわからない、彼らのいうヌボルにワープでもしてきたというのか。 「バストー? なんで俺たちなんだ? 俺たちはただ普通に演習に向かう途中だったんだぞ! どこの誰だか知らない山賊退治になんでおれたちが?」 矢継ぎ早にまくしたてる片桐にバストーは目を白黒させながら聞いていたが、ぶっきらぼうに答えるだけだった。 「そんなこと、俺があんたたちを呼んだわけじゃないんだから……。長老に聞いてくれよな」 二十分前後で車列は村の外壁に到着した。 村は藁葺き、煉瓦や木で組み立てられた粗末な家々がならび、その周囲を外壁らしき土壁のようなモノが覆っているのだ。その外壁にも投げ槍らしきモノや焦げた跡があちこちに見られた。アンバッドとやらの襲撃の跡だろう。 「さあ、片桐、長老のところへ行こう」 バストーはトラックの到着にうろたえる村の人々に挨拶しながら片桐の手を引っ張った。トラックは村の外にひとまず停めて徒歩で村に入る。 「なあ、俺の部下もいっしょにいいか?」 「ああ、いいんじゃないの」 村の中心に片桐たちはバストーの案内で進んだ。村人はバストーのようなこびとと、自衛官たちと同じような人間たちで構成されていた。彼らがクアド族なんだろう。クアドは人間と同じ背格好だが、髪の毛の色や目の色が人類にはない色をしている。 たしかに黒髪や金髪も多いが、青、緑……いろいろな色の連中も少しいた。そしてみんな一様に美しい。男女問わず、まるで彫刻のようだ。 自衛隊員たちはヘルメットにチョッキのフル装備に実弾を装填した小銃で身を固めておずおずと村の道を歩いていった。村人に敵意はないようだが、不気味なことには変わりない。本来なら大分の山奥の演習場にいるはずが、 どういうわけかこんな未知の世界にいるわけだ。 「長老と聖女様が待ってる」 バストーが早足で歩きながら片桐に声をかけた。 「聖女様だって?」 またしてもなじみのない単語が出てきて多少うんざりしながらも、ため息交じりにバストーに聞き返す。 「クアドの中で神聖な存在の女性さ。古代ロザール人の血を引いてて、代々女性が聖女になって長老と一緒に村を治めていくんだ。そして聖女は伝説の神々と話をして、村の将来について神様の指示を仰ぐんだよ」 巫女さんと王女様の合いの子みたいなものだろう、と片桐は想像した。彼の頭には卑弥呼に近いイメージが浮かんでいた。 おそらく、この村は村人の衣服や建物の様式からして、現代日本とはかなりかけ離れた文化水準にあるようだ。みな、古代ローマやギリシア神話に出てくるような衣装を身に着けている。たいそうな薄着だが、温暖な気候なのだろう。問題ないようだ。防弾チョッキを身に着ける片桐も迷彩服の袖をまくるほど暖かい。 そして、彼らを統括する「聖女」とやらが卑弥呼のような存在で村を統括していてもさほどおかしくもなかろう。 「三曹、俺たちいったい……」 高崎がほかの部下に悟られないようにそっと片桐に尋ねた。 「きっと神隠しにあったのさ。油断するな」 片桐はぶっきらぼうにそれだけ言うとバストーに続いて足早に歩を進めた。高崎は片桐の言葉を聞いて先ほど、バストーと出会ったときに考えた自分の仮説が彼の考えと一致していることを知った。 それを知ったところでどうにかなるわけではないが、とりあえず隊長の片桐と同じ考えであることが彼をほっとさせたのだ。 村の中心、ひときわ大きな邸宅へバストーは片桐たちを案内した。トラックには万一に備え須本、浅木を残している。 「長老、異世界ボビルから召還したクアド族をお連れしました」 バストーが中庭とおぼしき場所で大きな声で報告した。邸宅は古代ローマを彷彿とさせる柱が強調された趣で片桐たちを迎えている。 と、そこへ柱の間からぬっと老人が現れた。彼が長老のようだ。 「バストー、ご苦労だった。ボビルから来た勇者よ。わしが長老のザンガーンだ」 「陸上自衛隊三等陸曹の片桐です。いろいろとお聞きしたいことがあります」 ザンガーンと名乗る長老は、早速質問攻めの気配を見せる片桐の言葉を手で制した。ちょっとむったした表情を浮かべたが、片桐は我慢してザンガーンの言葉を待った。 「ロザールから代々伝わる魔法で、そなたたちを呼び寄せるのは初めてではない。ボビルの戦士たちがこの村に来るのは九十年ぶりだ」 ザンガーンの言葉に片桐は絶句した。彼は年齢はいくつくらいなのだろうか。髪の毛とも髭ともつかない毛は白く、とても長い。 彼の年齢もさることながら、彼の発した言葉に片桐はまず疑問を呈した。 「九十年前……。いったい連中はなにをしたんですか?」 「だいたいのことはバストーから聞いているだろう……。この村を始め、村々はアンバッドの襲撃に絶えずさらされておる。普段は我々で何とか撃退できるのだが、九十年から百年に一度、奴らは決まって大規模な攻撃を仕掛けてくる。そのときに、我々はロザールから受け継いだ魔法を駆使してその苦難を乗り切ってきたのだ。この村が受け継いだ魔法とは。戦士の召還だった。九十年前もボビルの戦士、すなわち、我々とは異なる世界の戦士の力でこの村を守った。バストー、彼らの置きみやげをお見せしなさい」 長老の命令でバストーは柱の陰へ消えた。そしてすぐに何か抱えて中庭に戻ってきた。彼の持ってきた品物は片桐たちを驚かせるに十分だった。 「これが九十年前に呼び寄せたボビルの戦士の持ち物だ」 「こ、これは……!」 高崎が思わず声をあげた。彼に言われるまでもなく片桐もこれには間違いなく見覚えがあった。 大昔の記録映画にたびたび登場する。英軍が第二次大戦まで使っていたシルクハットのようなヘルメットだった。 「九十年前の記録によれば、そのとき召還されたボビルの戦士はおよそ二百名。彼らは自らがここに呼ばれた使命を果たすと、再び古代ロザールの魔法でこの世界から消えたとされている」 「使命ですって?」 片桐は学生の頃読んだ雑誌の内容を思い出していた。第一次世界大戦中。トルコの戦線で丘に突撃した英軍の兵士が二百名、霧の中に入ってそのまま消えてしまったという話だった。 「そう、使命だ。彼らのさらに百年前には赤い服を着たクアド族が煙の出る武器でアンバッドを退治したという記録もある。もっと昔には銀色の鎧を着たクアド族が見たこともない大きな動物にまたがり、大きな槍でアンバッドに突撃したという記録もある」 長老の言葉に高崎が真っ青な顔をして片桐に耳打ちしてきた。 「三曹、赤い服ってまさか、イギリス兵じゃないですよね? 十九世紀にアフリカで行方不明になった英軍の話。それに銀の鎧に槍って十字軍ですか? 行方しれずの十字軍の一団なんて話も聞いたことありますよ。まあ、雑誌の与太話ですがね」 まさか、神隠しといわれる謎の事象は彼らの伝承の魔法によるものなんじゃないのか。 「長老、ここに召還されたクアドたちはその使命を果たした後どうなったんですか?」 ここまで話を聞いて、片桐なりに推測した結果を分析すれば最大の疑問点はこれしかない。ザンガーンは顎に蓄えた白いひげをなでながら片桐に返した。 「神々と交信し、聖女の魔力を介在して戦士たちを召還する。戦士たちは聖女の望んだ使命を達成し、再び儀式を受ける。そしてこの世界から消えていくのだ。ボビルへ帰る儀式は村の裏の山にある神々の遺跡で行われるんだが、わしも帰りの儀式は見たことがないんだ……」 つまり片道切符の可能性も大いにあるってことか? 片桐は部下に悟られないようにだが軽く舌打ちした。実際、神隠しにあった多くの兵士たちは記録上、元の世界に帰ってきてはいない。 「で、我々に課せられた使命とは?」 片桐の質問にザンガーンは黙ってうなずいた。そして柱の奥を振り返ると恭しく跪いた。いよいよ真打の登場か。 「ステラ様、戦士たちに使命をお伝えください」 ザンガーンの言葉に応えて聖女様と呼ばれる神聖な女とやらが姿を現した。その姿は片桐たち自衛隊員を驚かせた。 てっきり、年輩のおばさんか、ロリコン趣味の連中の喜びそうな少女が出てくるのかと思いきや、彼女は村で見かけたごく普通のクアド族とそう変わりはなかった。 年齢は二十歳前後。少し赤みかかった黒髪と古代ローマのようなシルクっぽい衣服。しかし、村で見かけたどの女性よりも気高く美しかった。日本人でも西洋人でもないが、純粋に美しいと思えるその姿は隊員たちを釘付けにした。 「よく来てくださいました。わたくしはステラ。この村の聖女です。まずはあなたがたを突然ヌボルに召還した無礼をお詫びしたいと思います」 なるほど、外見はともかく、その言動は神聖視されるにふさわしいものだ。片桐はこの世界の状況を知るために少しカマをかけてみることにした。 「ステラ様、私は陸上自衛隊三等陸曹の片桐と申します。こっちは高崎士長。副官みたいなモノですな」 「陸上自衛隊ですか。初めて聞きますね……」 ステラは片桐の自己紹介に明らかに嫌悪感を見せた。西洋系でもない東洋系でもない美しい顔を少ししかめている。このやりとりを聞いたザンガーンがあわてて片桐の前に立ちふさがった。 「待ちなさい。聖女の前では自分から話してはいかん!」 「え?」 「聖女との会話はわしを介してのみ許されているのだ。彼女に話しかけてよいのは神々以外には限られた人々だけなんじゃ」 思わず片桐がため息をついた。そのリアクションがさらに気にくわなかったのだろう。ステラはその顔にさらに嫌悪感をにじませた。 嫌悪感をあらわにするその顔にすら、自衛官たちは目を奪われていた。特に、若干二十七歳の若い指揮官は……。 だが、そんな世俗的な思いを振り切るように片桐は目の前の聖女と呼ばれる女を見つめた。ステラは嫌悪感の次は軽い戸惑いの表情を見せながらも、彼女のポジションにふさわしいであろう、冷静さを保ちながら言った。 「今日のところはかまいません。わたくしが神々に祈ったあなた方の使命とは、まもなく襲ってくるアンバッドを皆殺しにすることです。ゾードと呼ばれる赤い満月の出た次の日、彼らはやってきます。その攻撃からわたくしの村を守ってほしいのです」 「なるほど、よくわかりました。しかし、ステラ様にひとつ申し上げねばならないことがございます」 向こうの主張はわかりすぎるくらいわかった。要するに代理戦争の依頼だ。彼らは独力でアンバッドの襲撃を防げない。だから、わざわざ彼らの言うボビルから代わりに戦ってくれる連中を呼び寄せているわけだ。 片桐たちの前が、第一次大戦中のイギリス軍部隊、さらにその前にはマスケット兵、十字軍……ひょっとしたらもっと古代の戦士たちでさえも。 「私たちは武器は持っていますが、それを使用することは許されていません」 片桐のその言葉にステラは一瞬きょとんとした。 「それはどういう意味です?」 「言葉のままです。我々は武器を持っていますが、法律がそれを実際に使うことを許していないのです。残念ながらお力にはなれませんな」 彼女やザンガーンに憲法九条や自衛隊のあり方なんかを言ってもわかるはずもないことだ。彼なりにかいつまんでわかりやすく説明したつもりだった。しかしステラはいっこうに理解できないようだった。嫌悪感に加えていらだちすらその表情に浮かべながら言った。 「では、あなた方はその武器をいつ使うのです?」 「内閣総理大臣、あなた方で言うところの長老の許可がないとたとえ、我々が殺されても使えません」 自分で言っておいてとても理解できないであろうことを片桐は承知していたが、現在の自衛隊ではこれが規則であるのだから仕方がない。 「そんな、馬鹿な話が……」 ザンガーンもあまりのショックに言葉が続かないようだ。無理もない。頼みの綱が戦えないと言うのだから。 「片桐三曹!」 そのとき、トラックの浅木から無線が入った。 「どうした?」 うろたえるステラやザンガーンにかまうことなく、片桐は無線の受話器を取って答えた。高崎の背負う無線機から緊張感に満ちた声が聞こえてくる。 「変な連中が近づいてきます!」 片桐と浅木の無線越しのやりとりを不思議そうに見ていたステラが尋ねた。 「片桐三曹、いったい誰と話しているんです?」 「村の外に置いてあるトラックに残した部下とです。変な連中が近づいているそうですが、お心当たりは?」 片桐の皮肉めいた質問にステラはさっと顔を曇らせた。素早くザンガーンに向き直る。聖女の表情で事情を察した長老はあたりかまわず叫び始めた。 「アンバッドだ! アンバッドが来たぞ!」 ザンガーンはよろよろと邸宅の外に出てからも村人に大声で叫んだ。村人のうろたえ具合が邸宅の中の片桐にもよくわかった。 「片桐三曹、あなたとのおしゃべりはいったん打ちきりです。アンバッドの襲撃です。村の外の部下を中に入れてあげなさい。彼らのパタントは恐ろしい威力があります」 ステラの彫刻のような表情から発せられる無機質な言葉に、無言で頷いた片桐は無線機に再び叫んだ。 「浅木、村の中にトラックを入れろ!」 「その後は?」 「待機だ」 指揮官は浅木に短く指示を出すとステラに向き直った。彼女は毅然とした表情で片桐を見返している。 「力は貸してくださらないのね」 「先ほど申し上げたとおりですな……」 頼りにならない自衛官の返答を聞くとステラはきびすを返して柱の奥に消えた。会見はこれで終わりだった。 「三曹、いいんですか?」 指揮官と聖女のやり取りにはらはらしていた高崎が問いかけた。 「自衛隊は内閣の承認なしでは武力行使を禁止されている。ましてや海外での武力行使などもってのほかだ。わかってるだろう? さ、トラックに戻って待機だ」 自分でもこの返答には納得していないが、自衛官としては部下にこう指示するほかはなかった。 片桐たちがトラックを止めてある門の前に戻ってくるとその大きな扉は閉じられていた。外壁には奇妙な武器を抱えた村人が男女問わず張り付いて襲撃に備えている。 「あれがパタントか……」 パタントは長さ八十センチほどの棒が十字にくみ合わさったものだった。女たちは外壁の土にとがった棒を次々と刺していく。あれがどうやら矢のようだ。構造上大した飛距離も出ないだろう。 「高崎、トラックの陰に隠れて待機してろ」 片桐はトラックの助手席に乗り込んだ。見ると、バストーが中で頭を抱えて震えている。彼は片桐を見ると必死にしがみついてきた。 「片桐! 助けてくれないのか? このままじゃあ、俺たちはアンバッドに皆殺しにされちゃうよ!」 確かに、彼らの武器を見ればその貧弱さは見て取れる。しかし…… 「三曹、憲法九条を破る気ですか?」 二人の話に割って入ったのは荷台にいた岡田だった。前々から憲法だの日米安保だのとうるさいやつだった。大学では世界人類研究会とかいううさんくさいサークルで平和運動をやっていたと言うが、なんでこんなヤツが自衛隊に入隊したのかは、部隊の間でも謎だった。 「破る気はない。だが、人としての最低限の道は外さないつもりだ」 「それは武力行使の準備があるということなんですか?」 岡田が当たり障りのない片桐の言葉にかみついた。毎度のことだがこいつはこうなってからが長い。片桐はタバコをポケットから取り出して火をつけた。そういえば、ずいぶん吸っていなかったことに気がつく。 「積極的な武力行使はしない。だが、自衛のためならやむをえん」 「三曹は公僕の自衛官でありながら、国民の総意によって決められた憲法に違反して武力行使を行うんですね。軍国主義の復活ですよ!」 岡田は根本的な認識が欠落してる。ここは憲法とか法律とかが通用しないであろう場所だ。今近づいているアンバッドとやらが、日本の実状と憲法を尊重してくれるのか? あり得ないだろう。こんな得体の知れない国の連中が、 「私たちは憲法で戦闘行為はできません」 「はい、そうですか」 と見逃すわけがない。やり合わないに越したことはないが、最悪の事態も想定しておくのは常識だ。 片桐の説明にも岡田は納得しない。 「どの世界の人間だろうと話し合いをすれば解決できるんです」 この議論もここまでだった。アンバッドが村の外壁に到達したようだ。 「よし! 発射!」 村人が原始的な弓矢、パタントを次々と発射していく。外壁の外で聞いたこともない叫び声があがった。 「おいおい、なんだよあの声はよ……」 「少なくとも人間じゃないな」 トラックの陰で待機する中垣と斉藤が言葉を交わした。その瞬間、轟音とともに外壁に土煙があがった。 「なんだ?」 「迫撃砲みたいな音です!」 高崎の言葉に須本がトラックの陰から外壁の様子をうかがう。数人の村人が倒れている。須本は初めて見る死体におもわず胃の奥からこみ上げてくるモノを我慢できなかった。 「来るぞ!」 外壁に次々と着弾する未知の兵器で後退した村人は物干し竿のような槍や剣を構えて横一列に並んだ。その中にステラも混じっているのを片桐は見逃さなかった。 村を守るために男女問わず戦っている。その横隊に時々、例の炸裂する飛び道具が飛来してそのたびに数名が倒れた。 「奴らが外壁を越えたらパタントの一斉射撃だ!」 剣や槍を構える村人の前に数名のパタントを持ったクアド族の青年が歩み出た。次の瞬間、外壁によじ登ってきた生物は片桐たちが未だかつて見たことのない生物だった。 「あれがアンバッド……」 身長は二メートル近く。青みがかった肌にちりちりの黒髪が大きめの頭におまけのようにのっかっている。手には棍棒や斧らしき武器が握られ、衣服は腰巻きのようなモノだけ。その形相はまさに、鬼をイメージさせた。浅木が思わずその場にへたりこんだ。 「あ、あああ……」 トラックの中にこもっているバストーもシートにちぢこまっている。たしかに、見る者を威圧する。迫力は満点だ。 「三曹、やばくないですか?」 高崎に言われるまでもなかった。数こそ二十匹もいないが、体格といい、その動きといい、村人たちが白兵戦ではかなわないのは目に見えていた。しかも、奴らの中に奇妙な三日月型の棒を持った連中がいた。 そいつがその両端を持って、ちょうどベンチプレスのように前に突き出す と、目に見えない何かが発射されて爆発が起こるのだ。 バストーががたがた震えながらつぶやく。 「やばいぞ、パタントを持ったアンバッドが三人もいるよ。もうだめだ……」 アンバッドは自衛隊には目もくれずに村人の横隊に突撃した。目の前の獲物しか目に入っていないようだった。 片桐は思わずトラックを降り、少し離れたところで繰り広げられる白兵戦に目をやった。明らかに村人が押されている。その中で勇敢に、アンバッドのそれとは比べ物にならぬほど粗末なパタントで応戦しているステラを見つけた。 彼女は一瞬、片桐の方を振り返った。さっきまでのプライドにあふれた表情はない。彼に向けられた視線は間違いなく、恐怖する普通の女性の目だった。 なぜ、自分はあんないたいけな女性を助けることすら許されないのか。人間としての自分と、自衛官としての自分が激しくぶつかり合った。 「あっ!」 片桐がたまらず声をあげた。彼女が目をそらした隙をついてアンバッドが投げ槍を投げた。間一髪それは彼女をはずれたが右腕をかすったようだ。彼女はその場に腕を押さえて座り込んだ。 「三曹! 指示を!」 たまりかねた高崎が再び声を荒げながら片桐を呼ぶ。必死に戦う村人の後ろで子供や老人がひとかたまりになって震えているのが目に入った。 それは片桐自身がびっくりするくらいだった。彼は半分無意識に腰からシグザウエルを抜くと安全装置を解除しながら駆け出していた。 「片桐三曹?」 高崎のすっとんきょうな声を無視して瞬く間にパタントを操るアンバッドの前に躍り出た。ここでアンバッドは初めて片桐の存在に気がついたようだ。青い肌に醜い表情の顔を未知の自衛官に向けた。 たいした躊躇もなく、両手で構えて二発、片桐はアンバッドの顔に向けて発砲した。九ミリ弾はその音と同時にアンバッドの醜い顔に着弾してその顔をさらに醜くした。緑色の体液が着弾した部分から吹き出す。そしてそのまま仰向けに化け物は倒れた。 銃で殺せる。片桐は興奮しながらも分析した。 「中垣、須本! 三曹を援護するんだ!」 高崎もトラックの陰に伏せていた須本と中垣を連れて突進した。八九式の三連打を確実にアンバッドに撃ち込んでいく。弾薬を無駄に使うな、という片桐の教えを忠実に守った正確な射撃だった。 だが、胴体に次々と着弾するNATO弾を受けてもアンバッドはなかなか倒れない。すでに十発近く命中してもまだ立ったままのヤツもいる。 「ち、ちくしょう! 行くぞ!」 浅木と斉藤も彼らに数秒遅れて、ようやく覚悟を決めて射撃を開始した。 「おい、岡田!」 浅木はトラックの陰に隠れたままの岡田を呼んだ。彼は無表情のまま動こうとしない。憮然とした表情を浮かべるだけだ。 「岡田! 三曹たちを援護するんだよ!」 再び浅木が岡田に声をかける。彼はようやく浅木を見る。 「おまえたち、こんなことが許されると思ってるのか?」 「ばかやろう! 目の前で人間が死んでるんだぞ! 助けなくてどうする!」 撃ち尽くしたマガジンを交換しながら浅木が銃声に負けないように大声で叫ぶ。 「そんなこと問題じゃない! これは憲法違反だ!」 「くそ! 勝手にしろ!」 浅木は岡田との議論をしている暇はないと判断して射撃に集中した。 「ステラ様! あ、あれを!」 ザンガーンが隊列の後ろに後退したステラを呼んだ。片桐たち自衛隊員が見たこともない武器でアンバッドと戦っている。 彼らの武器から発せられる大きな音で彼女の耳は少し痛かった。 「頭だ! 頭を狙え!」 片桐は彼に追いついた高崎たちの後ろに下がってマガジンを交換した。すでに数体のアンバッドが無惨な死体をさらしていた。目の前の敵にしか興味のないアンバッドたちも仲間を一瞬にして肉塊にした新たな敵に闘志をむき出しにして突進するが、弾幕で動きを封じられ、弱点の頭部を撃たれて絶命していった。 最後の一匹が倒れたときには片桐はすでにマガジン四本を撃ち尽くしていた。 「やった! やったぞ!」 村人から歓声があがった。 「ボビルの戦士がやってくれた!!」 急造の担架で負傷者を家々に運ぶ村人たちは次々と隊員たちに感謝の言葉を贈りながら通り過ぎていった。片桐はトラックの弾薬箱から九ミリ弾のマガジンを取り出して装填した。苦笑いしながら隣の高崎士長に振り返る。 「高崎、やっちまったなあ……」 横で同じく小銃の弾薬をチョッキのマガジンポーチに補給する高崎はにやっと笑った。 「これで連中を見捨てていたら、俺はあなたを嫌いになるところでしたよ」 「片桐! すごいじゃないか!」 さっきまでトラックで震えていたバストーがぴょんぴょん飛び跳ねながらやってきた。この動作が彼らガントル族の喜びを示す表現らしい。 「九十年前の記録だとボビルの戦士のパタントはあんなにいっぱい発射できなかったそうだぞ! あんたたちにこんな秘密兵器があるなんてなあ!」 九十年前の英軍が使っていたエンフィールドライフルでやつらを止めるにはナポレオン時代の戦術しかあるまい。だが片桐たちには自動小銃がある。 「長老とステラ様に言ってくれ。人類の技術は常に進歩しているのですってな!」 初めての戦闘と、人々に心から感謝されることにいささか興奮した片桐が、高崎からすれば「珍しく」得意げに言った。 その夜、村はお祭り騒ぎだった。 片桐はお祭り騒ぎの村の広場から離れた外壁の上に登った。てっぺんに座り込んで、村人からもらった例の強い酒を少し飲んでみた。強烈だが悪くない。 「お祭りはお嫌いですか?」 不意に後ろから声をかけられて片桐は思わず腰のシグに手をかけた。が、すぐに声の主に察しがついてその手を離した。 「今はそんな気分ではありませんな」 声の主、ステラは片桐の横に座った。 「あなたはなにを後悔しているのです?」 ステラの問いへの答えを片桐は少し考えた。岡田の理屈で言えば、いかに村人が危険であれ、自衛隊が武力行使するのは憲法違反であり、許されることではない。それは片桐自身わかっている。しかし、その結果、死ぬはずだった村人は生き残り、こうして楽しく夜を迎えている現実もある。 「あなたが昼間言った掟に違反したことですね……。わたくしにはその掟が理解できません。目の前で抵抗もできずに殺される者がいるのに助けてはいけないなんて。では武器は、戦士はなんのために存在するのでしょう」 「私は軍人です。軍人は最高司令官の命令なしに動いてはいけない。それがどんなに理不尽なことでも……。そう思ってきました。しかし、その最高司令官のいないこの世界では私が指揮官です。後悔はしていません」 ステラにとっては意味の分からない単語もあっただろうが、彼女はうなずいた。 「あなたの事情はどうあれ、この村を蛮人から守ってくれたことはみんな感謝しています」 片桐はステラの方を振り返った。彼女は初めて片桐に笑顔を見せていた。こうして土手のような外壁に座っているととても神聖な存在には見えない。しかし、彼女が片桐たちをこんな世界に呼び出した張本人なのだ。それを思うと自然に彼の心に壁ができていった。 「今夜はよく話をされますな。神聖なご存在にもかかわらず。我々を歓待して懐柔するおつもりですか? その大事な使命のために」 ステラにとってこの言葉は最大限の侮辱に値したのだろう。本来、聖女は長老を介して以外ほかの者と会話することはできないのだ。それを破ってまで片桐と会話しようとした彼女のプライドは傷ついたようだ。 「あなたには失望しました。たった六名の部下しかいなくて不安でしかたなかったんです。でも今日の戦いぶりで少し安心しましたが……、やっぱりあなたは信用できません!」 酒の勢いと今までの緊張から来る疲れといらだちも手伝って片桐も思わず声を荒げた。 「信用? 我々を勝手にこんなところに呼んでおいて、信用? あなたがどんな存在か知りませんが、直接話をしただけで我々に恩を着せるようなまねはやめてくれ! こんなところ、来たくて来た訳じゃないんだ……」 ここまで言って片桐は少し後悔した。ちょっと感情的すぎたと自分でも自覚していた。 「わかっています。それはわたくしもよくわかっています……」 片桐は彼女の言葉にあえて応えなかった。彼自身、今の状態におかれていることの責任すべてを彼女に求めるのはためらわれた。こんなか弱い女性がこの村の全員の命を預かっていることの辛さは、六名の部下を預かる彼としてもよく理解できたからだ。 「でも、でも、わたくしはどうすれば……、村を襲ってくるアンバッドはわたくしたちでは太刀打ちできない。ボビルの戦士の力を借りるしか道はないのです。わたくしだって怖いんです。でも村のみんなを守れるのはわたくしだけなんです」 昼間に見せていた気高さがまるで嘘のようだった。いや、むしろ今の彼女の方が年齢相応のようにすら思えた。軽くため息をついて彼女は続けた。 「あなたがたには本当に申し訳ないと思います。でも、わたくしにはこれしかないのです。わたくしだって、古代ロザールの血を引く聖女の家に生まれなかったらこんな苦しみは味あわなくてもよいのに……」 無理もないだろう、聖女として英才教育は受けているのだろうがまだ二十歳前後の女の子だ。そのほっそりとした肩に村人たちの命が掛かっているのだ。 「すみませんでした。ボビルから来たあなたにこんなことを言ってもしかたがありません。アンバッドたちはひとつだけこの村を救う条件を出しています。それはわたくしです。わたくしが彼らのモノになれば村を助けてやると言っています。あなたがたの力が望めない以上、わたくしはその要求に応えたいと思っています」 片桐の中である種の感情がふつふつと沸きあがっていた。決して酒のせいではない。初めてステラを見たときからの感情だった。 「ばかな! それはいけません! その要求の意味は……」 片桐の言葉をステラが大声で制した。 「わたくしも十九です! その意味くらいわかっています!」 少しの間沈黙が二人を包んだ。片桐は、ふと決心した。こんなナンセンスでばかげた発想は自分でも笑いが出るくらいだったが、そう思う彼自身、その感情は抑えることができそうになかった。 「ステラ様、いえ、ステラ」 無礼なのは承知だったが片桐はそう言わずにいられなかった。生まれて初めてそう呼ばれたのであろう、ステラは少しとまどいながら片桐の方に顔を向けた。 「実を言うと、私の気持ちは決まっています。ここで戦います。戦いたいのです」 「その理由は?」 ステラの真剣な表情が赤い月明かりに照らされている。そのせいか、彼女の元来の美しさにさらに磨きがかかり、ほとんど天使か女神のようだ。片桐は思わず正面を向き直った。 「個人的な理由です、それには部下をつきあわせられませんが、部下と明日相談します。時間を少しいただけますか?」 「それはけっこうですが、片桐三曹。わたくしはあなたの心変わりの理由を聞いているのです」 そこまで言わせるのか? と片桐はたじろいだ。気高く無邪気な聖女は片桐の答えを待っている。片桐はコップに残っていた酒を一気に飲み干した。 「理由はあなたです!」 「え?」 現代日本の女性ならすでにわかるはずの会話だったが、ここは残念ながら現代日本でも、会話の相手も都会の女性ではない。 「あなたがここにいるからです。それが理由ではいけませんか?」 片桐の言葉の意味がようやく理解できたようだ。ステラは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにうつむいた。そしてすぐに昼間の表情に戻った。 「わたくしにはあなたの気持ちには答えられません……」 「なぜ?」 「なぜって……」 ステラは今までになくとまどっている。いろいろ言葉を探しているようだった。 「こんなこと、許されていないのです」 「私の国では、自分の気持ちを伝える自由はあります」 「でも……」 ステラはますますとまどいの表情を色濃くしながらそのまま、駆け出した。 「ステラ!」 思わず、走り去る彼女に声をかけた片桐だったが、その言葉に彼女が振り返ることはなく、そのまま邸宅に消えていった。 翌朝、片桐は隊員全員を集めた。今後の方針を話し合うためだ。命令すれば全員動く。しかし実戦では役に立たないケースも多々あることが予想される。それに片桐がもっとも気になるのは岡田の存在だった。 現在のところ、岡田の反戦思想に染まっている隊員はいないが、状況が緊迫するにつれて感化される隊員も出てくる可能性がある。 「いいでしょう、三曹についていきましょう」 状況を説明すると高崎が一番に賛同した。それを見た須本と斉藤、浅木も後に続いた。 「士長も行くなら俺たちも行きますよ。それにあいつら、いい連中だ」 「元の世界じゃ日陰者だった自衛隊だ。せめてこっちではヒーローになりたいですよ」 中垣は少し迷っていた。 「中垣、どうするよ?」 浅木の問いかけに中垣はうつむいていた顔をあげた。彼も決心を決めたようだ。 「命は惜しいですがね。やりましょう!」 岡田はそれを見ると軽く舌打ちしてその場を立ち去った。止めようとした高崎を片桐が制した。 「いいんですか?」 「ヤツも悩んでるんだ。がちがちに封じ込められ、けなされた自衛隊と、ここの人々の俺たちに対する感情のギャップにな」 その夜は満月だった。赤い月明かりが道を照らしている。翌朝はアンバッドがやってくる。しかもこの前よりももっと大勢。片桐は万全の体勢を考えていた。 外壁には門を挟んでカールグスタフ無反動砲にミニミ機関銃を配備した。屋根の上には須本。彼は五輪候補にもなった狙撃手だ。そして片桐は門の外で村人を神々の住む山に退避させる時間を稼ぐ。そのための仕掛けは万全だ。道路沿いに手榴弾をしかけた。安全ピンを抜いて石の下敷きにする。一気に大勢で外壁まで迫られるとカールグスタフの効果も薄い。時間を稼ぐ必要があったのだ。 「それにしても、いかにもうさんくさい感じだな」 片桐はあらかた仕掛けを終えて道を見渡した。手榴弾を仕掛けた場所には明らかに怪しい石が置かれている。これでは怪しまれても仕方がない。 「準備は終わりましたか?」 いつのまにか、村の門を出て来たステラが片桐に歩み寄ってきた。 「危ない! 道から離れて!」 思わず彼女の手をつかんで道の外にひっぱりだした。万が一、仕掛けの石を蹴っ飛ばされでもしたら一大事だ。しかし、そんな事情を知るはずもないステラは前夜の片桐の言葉に続く侮辱的な行為に怒りを露わにした。 「あなたがボビルの人間でなかったら今頃は死刑になっているところです」 「死刑? 多いに結構。でもせっかくの仕掛けを台無しにされたらたまりませんからね」 片桐は皮肉を込めて、道に置かれている石を指さした。ステラはそれを見て「あっ」とつぶやく。 「ごめんなさい」 と、人が変わったようにしおらしくなった。それを見た片桐は軽く微笑すると、彼女の手を取って安全な場所へ導いた。 「ところで……」 村の門に近い道ばたの倒木に座ってタバコに火をつけた片桐がステラに尋ねた。今考えたら最初に聞いておくべきことを聞き忘れていたことに気がついたのだ。 「この村の名前はなんというのです?」 「アムターラです。豊かな森という古代ロザール語だそうです」 ステラもそう言いながら片桐の横に腰を下ろしたが、片桐のタバコの煙に思わずせき込んだ。 「あ、火を消しましょう」 あわててタバコの火を消す片桐のあわてようにステラは思わず笑顔がこぼれた。 「あなたは不思議な人です。片桐三曹。部下には厳しくも優しくもあり、戦うことにはとまどいながらも、勇敢に戦い……、そしてわたくしに堂々と愛を語りながら今はとてもうろたえています」 「あなたこそ、不思議ですよ。ステラ。気高く、誇り高いが村人に優しく、常に村人のことを考えている。そして、村人のために俺たちを呼び寄せたのに、俺たちのことも常に考えています。そのくせ、中身は年頃の女の子だ。残念ながら俺はあなたに一目惚れしてしまった」 彼女のせりふをまねて返した片桐にステラはくすくすと笑った。赤い満月が彼女の少し赤い黒髪をさらに神秘的に照らしているのが目に入った。ストレートヘアを時々かきあげながら話す彼女はとても聖女様とあがめられる存在には見えない。そんな彼女が初めて、片桐たちの世界に関して質問を投げかけてきた。 「自由に愛を語る。あなたの国は不思議です。もしも身分の違う者同士が恋に落ちたらどうなるんですか?」 「我々の国には身分はありません。誰もが自由に暮らし、仕事を選び、意見を述べ、愛すのも自由です」 まあ、建前ではあるが片桐は日本の仕組みについて簡単に彼女に説明した。当然のことながら彼女の反応はとても信じられないといった感じだった。 「信じられません……。でも、戦うことだけはあなたはかたくなに拒みました。あなたの部下の、岡田もいまだに戦うことを拒んでいます。戦うことの自由はないのですか?愛する者や愛する土地を守るために戦う自由はあなたの国の人々には与えられていないのですか?」 片桐はこのステラが発する自分自身の境遇を重ね合わせた質問に答えることができなかった。 翌朝、片桐は村の外の道に立っていた。手には八九式小銃を構えてたった一人で。彼の周りにはアンバッドの突進を止めるための仕掛けが用意されていた。これは賭だった。アンバッドどもはステラを要求している。総攻撃の前になにかしらの交渉を求めてくるだろう。そのときにうまく、司令塔のアンバッドを殺すことができれば、戦いはかなり有利に進むはずだ。 「三曹、大丈夫かなぁ」 外壁の上でカールグスタフを構える浅木が思わずつぶやいた。高崎は同じくカールグスタフを構えながら浅木に言い放った。 「三曹は大丈夫だ。打ち合わせ通りにやるんだぞ」 そのとき、屋根の上の須本から合図が入った。どうやら現れたようだ。 片桐の目にもはっきりと見えていた。轍のない細い道を長い列を作ってアンバッドがやってくるのが。軽く深呼吸して生唾を飲み込むと八九式の安全装置を解除して「連発」に切り替えた。 蛮人たちの縦列は片桐に近づいてくるがやはり攻撃は仕掛けてこない。思った通りだ。後ろを振り返って高崎に合図する。 「第一段階は成功だ」 双眼鏡で片桐の様子を見ていた高崎が叫んだ。しかし、高崎には疑問があった。村の入り口から片桐のところまでおよそ三百メートル。仕掛けがうまくいったとして片桐が戻って来るにはちょっと距離があるかもしれない。このことは意見したが、 「どうにかなるさ」 で終わっていた。 たいして広くない道路に広がったアンバッドが片桐のすぐそばまでやってきた。と、そこで彼らは進軍をやめた。一匹のアンバッドが片桐に近寄ってきた。手にはひときわ大きなパタントが握られている。弦や矢は見えない。相手は鬼だ。魔法のたぐいであろうことはなんとなく片桐にもわかっていた。 「この距離で食らったらばらばらだな」 片桐とアンバッドの距離はもう四、五メートルも離れていなかった。と、歩み出てきた蛮人がいきなり雄叫びをあげた。地球上のどの動物とも似ていない、しかし不快な音であることだけは間違いなかった。 どうやらステラを渡せと言ってるようだ。雄叫びの中に彼女の名前が聞き取れたのを片桐は逃さなかった。ということは、今しゃべっているこいつが指揮をとっているなり、リーダーである可能性が高いわけだ。片桐は一呼吸おいて小銃を構えなおした。 アンバッドの雄叫びが終わった。いよいよ作戦開始だ。 蛮人たちは黙って片桐の反応を待っているようだ。緊張で額から汗が流れ落ちるが、それにかまうことなく八九式小銃をすばやくリーダー格の蛮人に向けた。そいつは一瞬、首を傾げたように思ったが、それを確認することはできなかった。フルオートで発射された五・五六ミリ弾が三十発。アンバッドの頭部はきれいに消し飛んだ。 「三曹がやったぞ!」 双眼鏡で確認した高崎がカールグスタフを構え直す。いよいよ始まりだ。 村の後方にある小高い丘のてっぺんに神々の遺跡があった。神々の遺跡はストーンヘンジのように巨石が円形のアーチを描いて築かれている。これが何に使われていたのかはわからない。しかし、ボビルから戦士を召還するときは必ずここで儀式が行われる。 召還の儀式を行うのは聖女だ。聖女は生涯に一度だけしかこの秘儀を使うことができない。ステラの祖母もこの秘儀でボビルと呼ばれる異世界から戦士を導いたという。 今、この儀式の場は負傷した村人や、老人子供であふれていた。ステラは村の方を見ながら考えていた。片桐たちはたった七名でアンバッドと戦おうとしている。決して戦ってはならぬと言う、ボビルの掟を破ってまで。 そして彼はステラのために戦うと言っていた。 やがて、片桐たちの持つ武器が発するあの独特な大きな音が丘まで聞こえてきた。戦いが始まったのだ。 ステラは自問していた。片桐たちに任せたままでよいのか。彼らもまたとまどい、恐れながら、この村のために戦う決心をしてくれたのではないのか? そして彼はこの戦いに生き残って再び自分の前に姿を現すのだろうか……。 そう思ったとき、彼女は無意識に自分のパタントを持って駆け出していた。 「ステラ様! いったいどちらへ!?」 ザンガーンの問いかけに走りながら振り返ったステラは村人に直接呼びかけた。 「みんな! わたくしたちの村のために戦うボビルの戦士たちを助けるのです!」 リーダー格の蛮人は八九式の一連射であっさりと倒れた。ほかのアンバッドたちはあまりのことに状況が理解できないようだ。これはチャンスだ。片桐は撃ち尽くした銃を放り出して村に向けて走り出した。 蛮人たちは走り出した片桐を見てようやく状況を認識した。口々に叫び声をあげて彼めがけて走り出した。 「やっと動き出したか」 片桐は走りながら、村で彼の帰りを待つ高崎たちに合図した。 「よし! 発射!」 村で指揮官の帰りを待つ自衛官は一斉にカールグスタフを発射した。次々と着弾した八十五ミリ弾はアンバッドを一気に肉片に変えていく。それを切り抜けたアンバッドが数匹、片桐を追いかけてトラップエリアに入った。石を蹴飛ばすと信管を短くした手榴弾が次々と炸裂した。 後続のアンバッドは突然の爆発にその動きを再び止めた。そこへ、カールグスタフとミニミの連射が蛮人たちを襲った。 片桐は道のすみっこにある倒木に隠した九ミリ機関拳銃を取り出すと、弾幕をくぐって彼に追いすがろうとするアンバッドに連射を浴びせた。止まることはできない。撃ち尽くすとすぐさまそれを捨てて、また道ばたに隠した銃を拾って追いすがる連中を撃ち倒す。 四挺の機関拳銃を撃ち尽くしてやっと片桐は村の門をくぐってそれを閉じた。すでにアンバッドは近くまで迫っている。かなりの数を奇襲で殺したがまだ七、八十匹は残っているだろう。 「三曹、外壁に奴らが取っつきました!」 無事に戻ってきた指揮官を見てほっとする間も与えられなかった高崎が大声で叫んだ。 「よし、須本。援護しろ! みんなは散らばって各個撃破しろ!」 アンバッドの魔法で繰り出される強力なパタントは村の門を打ち破った。数体のアンバッドが斧を持って村に乱入してくる。門に近い民家の屋根の上で須本がそのうちの一匹をスコープにとらえた。 「くらえ!」 一撃で蛮人の眉間を撃ち抜くと須本は次々と村に入って来る連中を血祭りにあげていく。さすがは五輪候補に名前のあがった腕前だ。 「くそ!」 数匹撃ったところで須本が悪態をついた。銃が送弾不良を起こしたのだ。あわててスライドを引くがなかなかうまくいかない。ふと、須本は外壁を見た。すでに高崎たちは後退していた。一匹のアンバッドがパタントを構えている。 「やべえ!」 故障した小銃を投げて屋根から飛び降りようとした。しかしそれよりもほんの一瞬早く、アンバッドの放った見えない魔力の矢が須本に直撃した。 「須本がやられた!」 中垣は彼の最期を確認しながら民家の陰でカールグスタフに装填した。外壁の上でパタントを構えるアンバッドが数体見えた。須本の敵だ。吹っ飛ばしてやる。そう思ったときだった。中垣は背中に痛みを感じると同時にせき込んだ。 「ぐふっ」 咳と同時に血を吹き出したのが彼自身からも見えた。思わず後ろを振り返る。いつの間にか、三匹のアンバッドが彼の後ろに回って槍を背中に突き刺したのだ。屈強な蛮人はいったん槍を引き抜いた。よろめきながら、中垣は民家を背中にしてアンバッドに振り返った。 「ちっくしょおお!」 中垣は血を吐きながら叫ぶと目の前に迫ったアンバッドの腹めがけてカールグスタフを発射した。 アンバッドどもの強力なパタントの直撃をさけるため、トラックは民家の間に隠されていた。その中でさっきガントルの子供らしい影を見た岡田はまだ迷っていた。村のあちこちで銃声や爆発音が聞こえている。 「さっきの陰はなんだったんだよ?」 岡田は再び影が消えた民家を見て驚いた。彼にはそれが何であるかはわかっていたが、自分自身でそれを認めたとき、果たして自分の信条である「不戦」を守れるか自信がなかったのだ。 民家のドアのところ、間違いない。ガントル族の子供が不安そうな顔をしてたたずんでいるのが見えたのだ。 片桐は後悔していた。確かに、奇襲攻撃でかなりの数のアンバッドを倒したが、予想よりも村に乱入した敵の数が多い。幸い、民家は密集していて小柄なこっちは隠れながらやつらを襲うには有利だったが数が違いすぎる。 「浅木! 後ろをとられるな!」 「はい!」 浅木と民家の窓から目に入った蛮人どもを片っ端から撃っていく。後ろの窓から撃っている浅木が片桐に叫んだ。 「三曹! パタントです!」 「退避しろ!」 間一髪、裏の窓から飛び出したのと同時だった。さっきまで彼らがこもっていた民家がきれいに吹き飛んだ。 「浅木、無事か?」 ほこりまみれになりながら片桐は体を起こした。どうやら負傷はしていないようだ。あたりを見回す。と、さっきのアンバッドと目があった。向こうも片桐を認識して再びパタントを構えている。間に合うか……。 「くそっ!」 悪態をつきながら、八九式を連射で蛮人に浴びせて撃ち倒す。アンバッドは頭を粉々にされてぶっ倒れた。それを確認してマガジンを交換する片桐の耳に浅木の声が聞こえた。 「さ、三曹……」 吹き飛ばされた民家のがれきの下に浅木がいた。どうにか引っぱり出す。 「あ、足が折れたようです……」 痛みに顔をしかめながら浅木が報告する。片桐はその辺の木材で添え木を作って浅木を吹き飛ばされた隣の民家に運んだ。 「ここで待ってろ」 「で、でも……」 片桐の命令に浅木は納得しない。 「命令だ! 撃たずに隠れてろ」 そこへ高崎が民家に駆け込んできた。彼もまたあちこち追い回されたようだ。 「高崎、浅木は見ての通りだ。ここにアンバッドを近づけちゃまずい。派手に行くぞ!」 「了解!」 高崎は皆まで言わずとも片桐の意図を察した。そして言うが早いか、民家の窓から目に付いたアンバッドを連射で撃ち倒す。 だんだん銃声がトラックに近づいてくるのが岡田にもわかった。トラックの側の民家に隠れているガントルの子供はそれを察して完全に足がすくんでしまっているようだ。そこへ民家の影からアンバッドが一匹、子供を見つけて叫び声をあげた。 子供もそれに気がついたが足がすくんで動けないようだ。まだ、ヤツはトラックには気がついていない。 「くそ! くそ!」 誰にともなく叫びながら岡田は八九式小銃の薬室に弾丸を送り込むとトラックを飛び降りてそのアンバッドの前に立ちふさがった。無知な蛮人は子供と自分の間に立った岡田が、自分たちのリーダーを殺した片桐と同じ格好をしていることを確認すると、怒りの矛先を彼に向けた。何か叫び声をあげている。 「武器を捨てろ! 下がれ!」 岡田も負けずとアンバッドに叫ぶがそれが通じるはずもない。不意に血に飢えた蛮人が突進を始めた。 「来るなあああ!」 叫びながら岡田は引き金を引いていた。心地いい振動と共に確実に弾丸が発射されてアンバッドの顔面を打ち砕いた。全弾撃ち尽くして岡田は撃ってしまった衝撃とフルオートで発砲した反動でその場にへたりこんでしまった。 「やっちまった……」 そこへガントルの子供が泣きながら岡田に抱きついてきた。 「えぐ、えぐ……ありがとう……」 泣きながらやっとお礼を言ったその子供を岡田は強く抱きしめた。命を救った実感が彼の体に少しずつ広がっていく。だがその実感も長くは続かなかった。民家の影からさらに二匹のアンバッドが現れたのだ。 「つかまってろ!」 撃ち尽くした八九式を片手で、子供を残った片手で抱えると岡田は安全な場所を探して猛ダッシュを開始した。この子だけは俺が救ってみせる。そう心に誓いながら。 斉藤は中垣とはぐれてしまっていた。周りは銃声と時折聞こえる爆発音、そしてアンバッドの雄叫びばかりだった。密集した民家の通りで斉藤は完全に孤立してしまっているようだった。こんなことならミニミを持って来るんだった。激しく後悔した。 「早く三曹と合流しないとやばいぞ……」 斉藤はいつ、民家の影から現れるかしれない敵を警戒しながら銃声のする方へ進んだ。少なくとも銃を撃っているのは自衛隊員だ。 「うっ」 いきなり後ろから口をふさがれて斉藤は恐怖で頭が真っ白になった。ズボンの股間あたりがなま暖かくなるのが自分でもわかった。 「落ち着け。味方だよ」 おそるおそる振り返ると、斉藤の口をふさいだのは見覚えのあるクアド族の青年だった。 「ど、どうして?」 「あんたたちを助けるためさ」 その声に聞き覚えのある斉藤が視線を向けると、得意げにポーズを決めるバストーだった。陽気なこびとはまだ状況のつかめない斉藤に元気よく声をかけた。 「さあ、斉藤。片桐たちのところに行こう!」 「ありゃあ、岡田じゃないですか?」 民家の影でマガジンを交換している片桐に高崎が報告した。片桐が振り返ると、子供を抱えた岡田が二匹のアンバッドに追われながらこっちに走ってくるのが見えた。 「岡田! 急げ!」 高崎の言葉を耳にして岡田がさらにダッシュをかける。片桐は岡田を収容した後アンバッドどもを迎え撃つために八九式を構えた。だが、追いつけないと悟ったのか、アンバッドの一匹が腰蓑に下げたトマホークのような斧を岡田に向かって投げつけた。斧は彼のチョッキを貫通して背中に突き刺さった。 「ぐえっ!」 前のめりに岡田は倒れた。子供は無事なようだ。もう一匹のアンバッドが倒れた岡田に近づいてきた。片桐はそいつを慎重に標準を定めて撃った。精密な射撃にあまり自信のない片桐だったが、うまく一発でそいつを撃ち倒した。 「高崎士長!」 「わかってます!」 片桐の言葉よりも早く高崎が岡田を助けに走り出した。片桐はもう一匹のアンバッドに狙いを定めた。残った蛮人は仲間が撃たれたことにひどく腹を立てているようだ。地団駄を踏んで今にも突進を開始しようとしている。 「来い!」 片桐が引き金を絞ろうとしたそのとき、醜い蛮人の目に深々と粗末な木の矢が突き刺さった。大声をあげてアンバッドはその場に倒れた。いったい誰が? 民家の屋根が連なる方へ片桐が目をやった。 「あっ!」 高崎の素っ頓狂な声で片桐も思わず屋根の方に目をやった。 「どうだ片桐! やっつけたぞ!」 そこには得意げにパタントを構えるバストーがいた。 「斉藤と村のみんなで生き残ったアンバッドを追いつめたんだ! 早く!」 バストーが片桐をせかす。しかし、彼にはまだここでしなければいけないことがあった。指示を待つ高崎に目をやる。 「高崎士長! 斉藤の支援に急行しろ!」 「了解! バストー、案内してくれ!」 高崎とバストーは村の門に向かって走っていった。片桐は道に倒れている岡田に駆け寄った。 「岡田! しっかりしろ!」 声をかけると岡田が頭をゆっくりとあげた。彼の腕の中には怖がって震えているガントルの子供がいた。 「三曹、ガントル族の子供、救助完了です……」 それだけ言うと岡田の体からがっくりと力が抜けた。子供が力のなくなった彼の腕から這い出してきた。片桐はその子をぎゅっと抱きしめた。岡田が命を懸けて守った命だ。その体は間違いなく暖かく、しっかりと生きていることが確認できた。 「このおじさんが助けてくれたんだ」 その言葉に片桐は岡田の亡骸に視線を走らせた。そうか。子供を助けるために撃ったのか。片桐はようやく落ち着いた子供に優しく話しかけた。 「ぼうや、このおじさんの名前は岡田だ。君が、大人になるまでその名前を、忘れちゃいけないぞ……」 最後は半分涙声になってうまく伝わらなかったかもしれない、と思った。だが、彼自身、自分の目からこぼれる涙を止めることができなかった。 「おい! 斉藤、生きてたか?」 バストーと駆けつけた高崎が、村人と一緒にアンバッドを追いつめている斉藤に声をかけた。斉藤はその声でようやく生きた心地を取り戻した。彼は、村人と一緒にその辺をうろつくアンバッドを片っ端から襲い、どうにか外壁まで追いつめたのだ。 「高崎士長! こいつらが最後です!」 生き残った四匹の蛮人は外壁を背に追いつめられてもなお、村人を威嚇するように叫び声をあげている。すでに恐ろしい飛び道具であるパタントを持っている者は生き残っていないようだ。手には斧や槍が握られているだけだ。 高崎は、村人の中にステラとザンガーンを見つけた。 「長老、こいつらどうします? 降伏させますか?」 高崎の質問をザンガーンはステラに取り次ぐ。その間、高崎は少しいらいらしながら待たされる羽目になった。 「ステラ様はアンバッドの降伏は受けないと言っておられる」 えっと言う感じで高崎は気高い聖女を見た。彼女の表情は硬く、その決心は揺るぎないようだが、高崎はためらった。敵に降伏のチャンスを与えず殺してしまうとは。 「俺がやろう!」 片桐だった。彼は外壁の近くに落ちていたカールグスタフを拾いあげながら言った。そのまま、弾薬が装填されていることを確認するといまだに叫び声をあげているアンバッドに向けた。 「みんな! 耳をふさげ!」 高崎が村人たちに叫んだ。村人たちがこれから起こるであろうことを素早く予想し、高崎の指示に従ったことを確認すると、片桐は迷うことなく無反動砲を発射した。 「ぎゃふっ!」 激しい爆発音と爆風で生き残ったアンバッドは消し飛んだ。それを呆然と見ていた村人は再び奴らの叫びが聞こえなくなったことを確認すると歓声をあげた。 「勝った!」 「やったぞ!」 片桐はカールグスタフを力無く手放した。がしゃっという金属音が彼の耳に入ったが、それ以上に緊張感から解放されたことが先に感じられた。高崎が近寄ってきた。 「三曹、岡田は?」 高崎は片桐の悲しげな表情を見てそれ以上なにも言わなかった。 「片桐三曹! 高崎士長!」 村の青年たちに助けられた浅木が彼らのところへやってきた。浅木はこの場に自衛官がこれだけしかいないことを見ると、残りの仲間の運命を悟ったようだ。 「でも……でも、やったんですね。俺たち」 「ああ、やった。この村と、村のみんなを救ったんだ」 高崎士長が浅木にかける言葉もろくに耳に入らない様子で、片桐は喜びにわく村人の中にいるステラを見つめていた。ステラは片桐の視線に気がついて少しうつむくと、その場を離れて自分の邸宅に戻っていった。 夜、村は再びお祭り状態だった。片桐はまた、輪の中を抜け出して一人で外壁に座り込んでいた。彼は死んだ仲間を思い返していた。射撃の得意だった須本。臆病だが努力家の中垣、そして、岡田……。 俺は果たして正しい選択をしたのだろうか? いまさらながらそんな疑問すら浮かんでくる。 「相変わらずにぎやかなところは苦手でいらっしゃるのね」 声をかけたのはステラだった。片桐はなにも言わずに自分の横に座ることを勧めた。彼女もそれに無言で答えるかのように彼の横に腰を下ろした。 「明日、あなたがたを元の世界に帰す儀式を行います」 ステラは目の前に広がる暗い森を見つめたままで言った。 「でも、その前に言っておきたいことがあるのです」 今度はステラが片桐の方を見つめた。片桐も彼女を見つめた。月明かりの下で二人の視線が絡み合った。 「これは、この村の聖女として適切な発言かどうかわかりません……。あなたはわたくしのために、愛のために戦うと言われました。正直、うれしく思います。でもこの世界ではそれはわたくしと生涯いっしょにいなければいけないということ。つまり、明日元の世界に帰ってしまうあなたの愛を受け入れることはできないのです……」 ここまで一気にまくし立ててステラは頭を抱えた。ここまで面と向かって自分に愛を語ってくれた片桐を裏切るようで、そして彼の気持ちを知りながらお払い箱のように彼を元の世界に帰さなくてはいけない自分自身の立場が憎かったのだ。 そっか、そんな事情があったのか。彼女の事情を悟った片桐はそっと答える。 「俺も言っておきたいことがあります。俺は部下には戦えとは命令していません。彼らはみんな自分から志願したんです。彼らそれぞれに戦う理由はありました。そして俺自身にも」 片桐はそれだけ言うと立ち上がってその場を立ち去ろうとした。これ以上未練がましい行動をすることが自分自身でもいやだったのだ。彼女はこの村の聖女様だ。そしてその上で御法度である愛について見解を示してくれた。それで十分だ。 「待って! 片桐三曹」 ステラが片桐を呼び止めた。彼女に背を向けたままで片桐は立ち止まった。 「あなたがわたくしを愛したというあかしをください。わたくしはあなたの愛に応えられない。でもあなたの気持ちは受け止め続けたいのです」 これが普通の世界なら、なんて都合のいい受け答えだろうと思うんだろう。だが、ここは普通の世界ではない。 「……わかりました」 昨日とはうって変わって美しい月明かりが照らす外壁の上でステラは立ちすくんでいた。片桐は彼女に歩み寄った。 「目を閉じてください」 彼女は言われるままに目を閉じた。続けて片桐は確認するように問いかける。 「俺の世界のやりかたでいいんですか?」 一瞬、躊躇するように顔をしかめたが、ステラは目を閉じたままうなずいた。月明かりが、不安と期待で微妙な表情を浮かべるステラを照らしている。彼女は彫刻のように美しかった。片桐はその彫刻のように美しく、あたたかい唇にそっと口づけした。 翌朝、神々の遺跡の前に村人、片桐、高崎、浅木に斉藤が集まった。ステラは遺跡の端に置かれた大きな石の上に立って呼吸を整えた。そしてザンガーンに無言で頷くと村に伝わる伝承の言葉を語り始めた。 村人は固唾をのんで見守っている。高崎も思わず片桐に語りかけた。 「ホントに大丈夫なんすかねぇ」 「彼女を信じろ……」 片桐はそれだけしか言う言葉がなかった。いや、たとえどんな結果になろうと彼女を信じる。その気持ちだけが片桐を支配していた。それに答えるかのようにステラは呪文を唱え続けた。 古代ロザール語なのだろう。自衛官にはまったく意味のわからない言葉の連続だった。 「あっ」 バストーが思わず声をあげた。遺跡の巨石が、ちょうど神社の鳥居のような形状を作っている部分の空気が揺れた。まるで水面の波紋のように空間が揺れ始めた。その中心からまるでホログラムのようにこの世界とは別の光景が映り始めた。 「あ、あれは……」 斉藤がそれを見て叫んだ。そこに映ったのは福岡ドームだった。ストーンヘンジの中心に福岡ドームや福岡タワーが見えているのだ。高さ二メートルほどの鳥居の内側の部分に大きく福岡市内の光景が映ったところでステラが呪文を終えた。 「あそこに見えるのはあなた方の世界ですか?」 「これがボビルの世界……」 ザンガーンが驚嘆をこめてつぶやいた。 「さあ、高崎、斉藤。浅木を抱えてやれ」 片桐は高崎の肩をぽんぽんと叩いた。バストーが高崎に大声で呼びかけた。 「ありがとう!」 次々と村人が声をかける。 「ありがとう!」 「さよなら!」 高崎はザンガーンを見た。髭の長老ザンガーンも笑顔で頷いている。 「斉藤、行くぞ」 三人がおずおずと鳥居に近づく。高崎が右手を差し出した。すうっとその手は福岡の映っている方へ消えた。再び彼はザンガーンを振り返る。 「成功のようだ。さあ、行きなさい」 高崎は浅木を抱える斉藤と一緒に向こうへ飛び出した。一瞬、視界が真っ黒になったが次の瞬間彼がいたのは、ももち浜だった。博多湾を望む砂浜に三人は立っている。周りではサーファーや水着のギャルがきょとんとして突如現れた迷彩服姿の高崎たちを見ている。 「帰ってきたんだな……」 高崎は後ろを振り返った。高さ二メートルほどの長方形の空間がまったく別の光景を映していた。さっきまで自分たちがいた世界だ。 その向こうには片桐や、バストー、ザンガーンが見える。 「さあ、三曹も早く!」 高崎は片桐を呼んだ。 片桐は高崎に続いて元の世界へ踏みだそうとした。しかし、その足が止まった。思わず、ステラの方を振り返った。彼女は無表情でこっちを見ている。しかし、よく見るとその顔がひきつっているのがわかった。 「ああ、くそ……」 「どうしたんだよ、片桐。元の世界に帰れるんだぞ!」 バストーが様子のおかしい片桐に叫ぶ。彼はバストーを手で制して、巨石の上のステラに歩み寄った。片桐が近づくごとに彼女の顔に浮かぶ動揺が広がっていくのがわかった。 「片桐三曹、どうしたのです。元の世界への扉は開いたのですよ」 震える声でステラが片桐に語りかける。 ステラは早く終わらせたかったのだ。自分への愛を命がけで示した男がこの場から消えてしまう儀式を。 なかなかやってこない片桐に高崎も声をかける。 「三曹、早く!」 高崎も大声で片桐を呼んだ。片桐は向こうで少しとまどっていたが、意を決したようにに呼びかけた。 「高崎、すまん! 俺はこっちに残る!」 「え、ええ?」 浅木も斉藤も我が耳を疑った。今を逃せば元の世界に戻るチャンスはないかもしれない。それをわかった上で残ろうというのか? 「三曹、冗談はよしてください!」 「いや、冗談じゃないんだ……」 片桐は淡々と高崎に言った。ザンガーンもうろたえている。村人もざわついている。そして、もっとも冷静に受け止めなければならぬであろう人物、聖女であるステラは冷静とは程遠い心理状態だった。 片桐は自分のために残ろうとしている。彼女自身、片桐を愛していることはわかっていた。しかし聖女としてこの結末を知っていたからこそ、彼の愛の告白は受けることができなかったのだから。 「片桐三曹、早く行きなさい!」 動揺から彼女が発することができたのはそれだけだった。向こうの世界の人々がうろたえるのを見た高崎はすべてを察した。 「三曹、うまくやってください! こっちもうまくやりますから!」 高崎は向こうの片桐に敬礼した。片桐はそれを見て笑顔で敬礼を返す。高崎は最高の士長だ。高崎に続いて浅木も斉藤も片桐に敬礼を捧げる。 お互いの世界を隔てて敬礼を交わして数秒後、世界を隔てる境界が波打ち始めた。再び、二つの世界をつなげる境が閉じられるのだ。それを雰囲気で察した高崎も片桐も敬礼を交わしたままだった。 「片桐! 扉が閉じてしまうぞ!」 ザンガーンが叫んだ瞬間、石で作られた鳥居の中で開かれた別世界への扉は閉じられた。高崎や浅木、斉藤の姿も、バックの福岡ドームも消えて、後は神々の遺跡しか見えなくなった。 唖然とするステラに代わって長老が叫んだ。 「もう後戻りは出来ないぞ! この世界とボビルとの扉は完全に閉じられたんだぞ! 召還の魔法は一生に一度しか使えぬ究極の儀式なのだ。なんてことを……」 ザンガーンが片桐に大声で怒鳴るが、片桐は気にしない。彼はまっすぐに巨石の上で彼を見つめるステラに歩み寄った。 「ステラ、あなたを愛するには生涯、いっしょにいなければならないんでしたね?」 片桐は笑顔でステラに問いかけた。彼女への愛を貫くには彼女と共にいなくてはいけない。かんたんなことだった。彼がここに残ればいいだけの話だ。 ステラは片桐の行動のあまりの唐突さに固まっていたが、この言葉の意味を察すると今まで押し殺していた感情を一気に放出するかのように片桐に抱きついた。 片桐もたくましい胸で彼女をしっかりと抱きとめた。 一部始終を見守った村人から新たに歓声があがった……。 第二章 異世界の千年帝国 ゾードと呼ばれている赤い満月の夜が来ても、アンバッドは襲撃してはこなかった。あの襲撃から半月たっていた。村人ともに粗末な外壁の上で見張りに立つ片桐はまっすぐ正面を見据えていた。 村人は手に八九式小銃を持っている。高崎士長たちが元の世界に帰った後に残されたトラックには大量の武器弾薬が積まれていた。片桐は彼らに武器の使い方を教えてこの村を自衛できるようにしたのだ。 片桐は残り少なくなったタバコに火をつけた。もうすぐこの味ともお別れだ。 「俺、我ながら大胆なことをやったもんだ……」 片桐にとってステラとの出会いは運命的であった。片桐とて女性との交際経験はないわけではない。しかし、彼が今までに出会ったどの女性よりもステラは美しく、純粋だった。 だからといって、彼女との生活のためにこの世界に残るということは高崎士長の言う通り、「正気の沙汰ではない」ことだった。冷静な指揮官として隊内での評価の高かった片桐らしくない行動だった。 だが彼自身それは後悔していない。 「片桐……」 アムターラ村の聖女ステラが片桐に声をかけた。 「ステラ、どうしたんです? こんな遅くに」 「あなたに相談があって来ました……」 村人たちの前で堂々と愛を語った片桐だったが、ステラとの関係は現代日本からしてみればかなりプラトニックなものだった。 そもそもこの世界に結婚という概念はなく、男女はいわば夫婦ではなく、パートナーとしてともに生活するのだ。そのかわり、カップルはお互いの愛を表明した後少なくとも三年は、その愛に偽りがないことを証明するために純潔を守る。つまり、片桐はあと二年十一ヶ月、彼女に「手をつける」ことはできないわけだ。 「相談、ですか?」 「はい、あなたにしかできない相談です」 ステラはこの世界のことも含めた話を片桐に始めた。 「と、とんでもないです!」 村の長老ザンガーンはステラの申し出を聞いて仰天した。腰をぬかさんばかりの驚きとはこのときの彼を言うのだろう。 「危険すぎます!」 「いえ、わたくしは決めたのです」 ステラも一歩も譲らない。聖女と言われているがこんな時には、二十歳前の女の子をかいま見せる。 「この世界に安寧をもたらすためにもわたくしは行くのです!」 片桐への彼女の相談とは、このことだった。 長老と聖女の言い合いを他所に、片桐は村の外壁でステラが語ったことを思い出していた。 この世界はかつてロザールと呼ばれる国が支配し、平和に満ちていた。人々はロザールのもたらす魔法文明で繁栄を謳歌していた。しかし、突然謎の滅亡を遂げたロザール。 世界は一変した。それまで押さえ込んでいた蛮人アンバッドが森を跋扈し、人々は村落にこもって生活するようになった。時代が流れ、ロザールの魔法の知識も徐々に失われると村落にまでアンバッドが侵入してくるようになった。かろうじて保たれていた他の村々との交流も途絶えがちになり、このままではアンバッドが完全にこの森を支配することになる。 「遙か遠くに、ロザールの都だった聖地があると聞きました。そこに行って、かつてこの世界に安寧をもたらした古代魔法の秘儀を修得し、世界を再び平和にしたいのです。古代ロザールの血を引く聖女として生まれてきたわたくしは、村人だけでなく、世界の人々の平和を望んでいるのです」 片桐はステラの純粋な気持ちに心打たれた。世界を支配できる魔法を会得しながら、それを支配ではなく平和共存のために使う。単純だが純粋な気持ちだと思った。元の世界の大統領たちに聞かせてやりたいせりふだった。 「わかりました……。そこまで言うならわしも止められますまい……」 片桐が夕べのことを思い出している間に結論が出たようだ。ザンガーンがとうとう折れた。 「片桐、ステラ様のことをくれぐれも頼むぞ。それから、ステラ様の願いだ。おまえにひとつ力を授けよう」 「力?」 ザンガーンは片桐に歩み寄った。彼の額に手を当てる。 「今、話したい相手のことを想像しろ」 「誰でもいいのか?」 「誰でもよい」 片桐は考えた。高崎は無事に帰ってどうしているだろう? その瞬間、片桐の視界が真っ暗になった。 「その相手に話しかけてみろ」 ザンガーンの声だけが聞こえた。とりあえず、言われたとおりに話しかけてみる。 「高崎、高崎!」 「ん……?」 暗闇の中かから声が聞こえてくる。聞き覚えのある高崎の声だ。寝ていてベッドから飛び起きたということまでなぜかわかった。 「三曹? 片桐三曹ですか?」 「そうだ、俺だ」 「夢じゃないですよねえ?」 「たぶん夢じゃない……」 声だけしか聞こえない世界だが、片桐はうろたえる高崎を落ち着かせてこれまでのいきさつを説明した。 「こっちも大変でしたよ。結局我々は土砂崩れに巻き込まれて、三曹を含め四名死亡ってことになりました。自衛隊が公式に、神隠しを認めるわけにはいきませんからな。しかし、三曹も大変ですな。三年も蛇の生殺しとは……」 高崎がくすくすと笑うのがなぜかわかった。照れ隠しに軽く咳払いする。 「それは言うな……。また何かあったら連絡する」 「了解、お元気で」 会話が終わったところで不意に視界が戻った。ザンガーンの顔が目の前に見えた。 「今のはいったい?」 「古代ロザールの魔法のひとつだ。目を閉じ、話したい相手を想像するんだ。精神と精神がお互いにつながれば話ができる。つまり、知らない人間には使えぬということだ。おまえはポルの量が多い。いろいろ修得するとよい」 「ポル?」 ザンガーンの話によれば、ポルとは簡単に言えば精神力だ。すべての魔法はポルを使い発生させる。魔法の種類に応じてポルを消費するが、消費されたポルは休息することで補うことができる。 「それから……」 ザンガーンは一枚の紙を片桐に手渡した。紙には大きな大陸が描かれている。地図のようだった。 「大昔に命知らずが書いたとされるヌボルの地図だ。どこまで正確かはわからんがね」 大陸はオーストラリア大陸を逆さまにしたような形だった。ちょうどキャンベラのあたりだろうか、この村の位置が記されている。そのまわりにいくつかの村があるようだが、他の地域は白紙だ。距離感もあいまいっぽい。まったく頼りない地図だ。 ザンガーンは何か詰まった袋を片桐に手渡した。 「持っていけ。この村では使うことはないが、よその村で何か使うときに役に立つだろう。九百サマある」 「いけません! それはザンガーンがこつこつ貯めていたものではありませんか!」 ステラが大声をあげる。どうやら通貨の一種らしいことが片桐にもわかった。 「よいのです、ステラ様。どうぞお使いください」 美しいステラは髭のザンガーンを抱きしめた。 「ありがとう、ザンガーン。わたくしを許して。でもこの世界でこれ以上、わたくしのような境遇の者を作ってはいけないのです……」 ステラの両親はアンバッドとの戦いで死んでいた。このために、若い彼女が村の聖女としてのプレッシャーに耐えながらこの村を率いてきたのだ。 両親の死以来、ザンガーンのところで彼女は育った。半分彼女の親代わりであったんだろう、ザンガーンは彼女を優しく抱きしめた。 「さあ、ステラ様、お行きなさい。村人一同、あなたと片桐の無事を神に祈っておりますぞ……」 翌朝、村の門の周りに村人たちが集まっていた。片桐とステラを見送るためだ。みな、一様に寂しそうな顔をしている。 「片桐、無事で帰ってこいよ」 村人を代表してガントル族のバストーがいつになく神妙に片桐に話しかけた。片桐は笑って彼の肩を叩いた。 「おまえこそ、しっかり村を守るんだぞ!」 そう言って片桐は、数名の村人に手を借りてトラックの奥から偵察用のオートバイを降ろした。こいつがあったのは幸運だ。確かめるようにエンジンキーを回した。心地よいエンジン音があたりに響く。 「うわあ!」 村人は初めて聞くバイクのエンジン音に驚いて後ずさった。これでどこまで走れるかわからないが、少なくとも荷物を担いて歩く手間は当分考えなくていいようだ。 荷物はざっと見積もってもかなりあった。水、食料はもちろん、八九式小銃。護身用のシグザウエル。それらの弾薬、手榴弾はバックパックに詰められるだけ詰め込んだ。これらをバイクの両側にバランスよくつり下げた。 「さあ、でかけましょう」 片桐はバイクにまたがってステラに声をかけた。彼女はおずおずと彼の後ろに乗り込んだ。 「俺の腰に手を回して、で、これをかぶってください」 片桐は自分のヘルメットを彼女にかぶせた。バイクの腕には自信があるが、万が一のことを考えてだ。 「銃は教えたとおりに使うんだぞ! 弾は今あるだけしかない。無駄に使っちゃいけないぞ!」 片桐に銃の操作を習った村人が手を挙げてそれに応じた。彼らの返事を確認した片桐はバイクのエンジンを思いっきり吹かした。 「さあ、出発しますよ」 「はい……」 初めて乗るバイクに緊張して軽くうなずくステラを見て片桐はバイクを発進させた。それを村人たちの後ろで見守っていたザンガーンが小さくつぶやいた。 「いにしえのロザールの神々、森の神々よ、彼らを守りたまえ……」 バイクは快調に不整地の道を走っている。ステラは片桐にぎゅっと捕まっていた。片桐は彼女の豊かな胸の感触が彼の防弾チョッキのせいでほとんど感じられないのを少し残念に思った。 「ステラ、大丈夫ですか?」 自分に浮かんだよこしまな感情を打ち消すように彼女に質問した。ヘルメットをかぶったステラはそれからはみ出した長い少し赤みのある黒髪を風でなびかせながら答えた。 「大丈夫! わたくしたち、風を追い抜いて走っていますわ!」 「とりあえず。海に出ましょう!」 「海?」 エンジン音に負けない大声でステラが質問を返した。確かに、地図上はこのまま左――すなわち地図上では西、に進めば程なく海に達する。しかし彼女は村からほとんど出たことがない。海の存在を知らないわけだ。 「巨大な湖ですね。行ってください! そこにわたくしの村と友好関係のある村があるはずです!」 片桐はバイクのスピードを少し上げた。ヌボルに来て初めてアムターラ村以外の集落を目にするのだ。好奇心が沸いてくるのを押さえられない。 「片桐、怖いわ! もっとゆっくり走ってください!」 とたんに後ろのステラから抗議の声があがった。片桐は苦笑しながら聖女様に答えた。 「免許は持ってますからご心配なく!」 三時間ほど走ると片桐たちは森を抜けた。土地はほとんど平坦で走るのにさほどの技術も要しなかった。ようやく森を抜け、片桐はバイクを止めた。 「ステラ、あれが海ですよ!」 彼らの眼前には大きな広い砂浜が広がっていた。ゴミ一つない美しい砂浜だ。そしてその海は遙か水平線が見えた。 「片桐、あそこ!」 ステラが指さした。片桐は首に下げた双眼鏡で彼女の指さした方向を見つめた。男が見たこともない怪物に襲われている。大きさはおよそ三メートル。ワニのように見えるが、その頭には角が生えている。 「それはクブリルです。急がないと!」 ステラの言葉を聞いて片桐は素早くバイクを発進させた。男は砂に足を取られながら必死にクブリルから逃げているが、クブリルは四足歩行で着実に彼を追いつめているように見えた。そして、片桐のバイクの発する奇妙な音を聞きつけるとその注意を彼に向けた。 クブリルはその凶暴な顔を片桐たちに向けると、およそ心地よくない叫び声を発した。片桐はクブリルから二十メートルほど離れたところでバイクを止めると八九式を構えた。それと同時に驚くほどの早さでクブリルは片桐たちに突進してきた。 未知の怪物が彼に突撃を開始するのとほとんど同時に、自衛官は引き金を絞っていた。右肩に衝撃が伝わってくる。 確実に銃弾はクブリルの脳を直撃したはずだった。しかしクブリルはその頭から青い血を吹き出し、大声をあげただけだ。怒りの雄叫びということは初めて見た片桐にもわかった。 「くそっ!」 もう一連射はクブリルに浴びせた。それでもクブリルは青い血を流しながら片桐たちに突進を再び開始した。 「来るわ!」 ステラがバイクの後ろで大声をあげた。片桐は八九式のセレクターをフルオートに切り替えた。 しかし、次の瞬間、クブリルはぴたっと動きを止めた。そしてそのままぐったりと倒れて動かなくなった。 「いったい、どういうことでしょう……」 動かなくなった化け物を見てステラが不思議そうに言った。 「おそらく、ヤツの脳が自分の死を体に伝達するのに時間がかかったんでしょうね」 間一髪のところを救われた男は口をぽかんと開けて一部始終を見ていた。片桐はバイクを降りてその男の元へと歩み寄った。 「あ、あなたはいったい……?」 男の問いかけに片桐は少しとまどった。まさか、異世界の日本国から来たとは言っても信じてはくれまい。 「アムターラ村から来た。片桐だ」 聞き覚えのある言葉を聞いて男は顔を明るくした。男は三十歳前後、やはり古代ローマ風の服装をして黒髪だ。 「アムターラ村から? よく来られましたな! さあ、村はこっちです」 男の案内で村に赴くことにした。片桐はバイクを押して男の後に続いた。 村は海沿いの岩場の上に作られていた。アムターラ村と同じく、周りを岩で作った外壁で囲んである。やはり外敵の脅威はここでも大きいようだ。 「ここはシュミリ村です」 タボクというあの男が説明してくれた。ステラは片桐にこの村はアムターラ村との友好関係がある村と教えてくれた。彼女が目指そうとしていた村のようだ。アムターラ村と同じく、長老がいた。タムロットという長老はステラを見て感激の涙を流した。 「ようこそおいでくださいました。ステラ様、こんなにご立派になられて……」 ステラが言うには、子供の頃両親と訪れたことがあるらしい。どんな用事だったかまでは覚えていないと言うが。タムロットの感激ぶりから推測するにかなり重要な訪問だったことは見て取れた。 「で、こちらの方は?」 長老がステラに質問した。片桐の格好を見て不思議な顔をしている。無理もない。彼は迷彩服に防弾チョッキを着込んで、ゆったりとした古代ローマ風のこの世界の一般的な服装とはかけ離れているのだ。 「彼は片桐です。わたくしの村を救うために異世界から来ていただいたのです」 ステラの答えにタムロットは思い出したように目を大きく開いた。 「おおお! そういえばステラ様が以前来られたときにご両親が召還された異世界人の置きみやげがございます!」 そう言って長老は片桐たちを村のはずれに案内した。 「これは……」 その「置きみやげ」を見せられてまず驚いたのは片桐だった。見覚えのある長い足、美しいたてがみ。タムロットの言う「置きみやげ」とは二頭の美しい若い馬だった。 「十五年前に召還した異世界人の乗っていた動物です。今はその子供たちが二頭います」 片桐は納得した。ステラの両親がこの村に赴いた理由は、異世界人の召還のためだったのだ。そして、この馬の親にあたる馬に乗った人物を召還し、元の世界か別の世界へ送り出した。そのとき残された馬が出産してこの馬たちがいるわけだ。 「長老、この馬を貸していただけないでしょうか?」 片桐は不意にタムロットにお願いした。バイクも捨てがたいが、残りの燃料を考えたらそう長く乗ることはできないだろう。 「それは結構ですが、これに乗れるのですか?」 「ええ、そのための道具さえあれば」 片桐の言葉に長老は世話をしている村人に何か命じた。村人は近くの小屋から鞍を持ってきた。 「異世界人がこれを使って乗っておりました。我々は使い方を知らないのでしまっておいたのです」 片桐はその言葉を聞くが速いか、ステラの手を取った。 「さあ、こいつの乗り方を教えましょう!」 ステラは要領がよかった。すぐに乗馬をマスターしてしまった。 二頭の馬にはそれぞれ名前を付けることにした。ステラが気に入った馬にはローズ。片桐が乗る馬にはセピアと名付けた。 「ここから歩いて五日ほどのところに大きな都市があります。最近大きくなった都市です。あなたがたの旅の目的にかなうかわかりませんが、参考までにお教えします」 旅立ちの前に、タムロットが教えてくれた。 「感謝します。みなさんもお元気で」 ステラがタムロットに挨拶を返した。村人に見送られ片桐たちは出発した。長い長い砂浜を軽快に二頭の馬は進んでいく。 「まったく幸運でした」 「どうしてバイクをあそこに残したんです?」 「正直、ガソリンが心細かったのです」 片桐の言葉に馬上のステラは首を傾げた。 「ガソリンとは……、バイクを動かすポルのようなものです。それがなくなるとあのバイクは動かなくなるのです」 「よくわかりました。それにしてもこの動物はかわいらしい。わたくしすっかり気に入りました」 ステラはローズの首を優しくなでた。彼女がご機嫌なのを見て片桐は一つ提案してみようと思った。 「これから我々は見たこともない世界に足を踏み入れます。そのためにはあなたを縛る掟が時に重大な危険を及ぼすこともあるでしょう」 ステラは片桐の言葉を誤解して顔を紅潮させた。 「わ、わたくしはそんなふしだらな女ではありません! まだあなたと愛を交わして一月もたっていないというのに!」 「いえいえ。そのことではなく、長老格以外と話をしてはいけないという掟です。もし、俺に万一のことがあればあなたは天涯孤独の身となる。今のうちに他人とコミュニケーションをとる練習をしておいた方がよいのではないのですか」 自分が片桐の言葉を多いに誤解していたことを気がつくと彼女はますます顔を紅潮させた。 「あ、そ、そのことですか……。もちろんです」 それっきり彼女は黙ってしまった。片桐は軽く苦笑いするとしばらく聖女様の機嫌が収まるまで黙っておくことにした。 シュミリ村を出て二日は海岸沿いに進んで平穏な旅路だった。幸い、あのどう猛なクブリルにも遭遇することなく、全くの平穏な旅路だった。三日目、ステラが永遠に続くと思われた砂浜の先に何かを見つけた。 「都市のようですね」 片桐は双眼鏡をのぞいた。なるほど、海沿いに大きな都市が見えた。周囲は煉瓦のような城壁で囲まれてその内側は今まで見た村の建物よりも大きい、二階三階建ての建物が見える。片桐がこの世界に来て初めて目にする巨大な都市だ。 「すごいわ……。あんな大きな都市は初めて見ました」 ステラが感激したように言う。片桐は双眼鏡で都市の様子を眺めていた。そのときだった。 「何者だ!」 誰何の声で片桐は思わず肩に下げた銃に手をかけた。声を発したのは砂浜の切れ目の森から出てきた一団だった。今まで出会った人々が着ているローマ風の衣服と違い、黒い革製の鎧のようなものを身につけている。手にはパタントではく、ライフルそっくりの武器を持っていた。その武器を持った兵士が四名。指揮官はそれとは違って黒いピストルのようなものを持っている。 「どこから来た?」 指揮官が片桐に質問した。その威圧的な言い回しから明らかに敵かどうか疑っているのがわかった。 「アムターラ村から来た。こちらは聖女のステラ様だ」 片桐が代わりに答える。その言葉を聞いて一団は少しうろたえた。北の森の聖女というそうだが、この肩書きはこの世界の人間にはある程度、尊敬をもって通じるようだ。 「こ、これは失礼しました。てっきりガルマーニへ侵入するゲリラかと思いまして」 隊長らしき人物が丁重に頭を下げた。 「では、ガルマーニにご案内します。外部からの客人にはヘラー自らお会いになる決まりなのです」 一団は初めて見る馬におっかなびっくりしながら片桐たちを先導し始めた。その先には巨大なローマ風の都市が見えている。 「ステラ、油断してはいけませんよ」 片桐はステラに近づいてそっと耳打ちした。片桐は警戒していた。明らかに今までの村とはその雰囲気が違ったからだ。彼女も初めて見る大きな都市に気持ちは同じようだった。彫刻のように美しい顔を緊張でこわばらせながら答える。 「わかっています」 ガルマーニは巨大な都市だった、まず門には片桐たちを誰何したのと同じ格好をした衛兵が詰めていた。外壁は高さ十メートル近く、その上には四、五十メートルおきに衛兵のいる詰め所が見て取れた。 都市は今でも拡大しているようで、あちこちで工事が行われている。片桐とステラは乗馬を門の外につなげた。 「日に二、三度草を食わせてやってくれ」 衛兵にそう頼むと、隊長に付き添われて都市の中に足を踏み入れた。ガルマーニ市内は片桐の想像以上に巨大だった。人々はせわしなく歩き、兵士たちの列が時折行進していった。兵士は、ライフルのような武器を持って、腰には長剣を下げている。指揮官はピストルのような武器を持ち、同じように長剣を下げている。一糸乱れぬ行進で街を徘徊している。 「すばらしいですわ……」 ステラがその光景に感動したようにつぶやいた。たしかに、片桐もその光景にある種の関心はあった。だが、彼の直感に近い部分で警告を発している気がした。それが何かは彼自身よくわからなかったのだが……。 「さあ、こちらです」 隊長が片桐たちを案内した。大きな通りで彼は歩くのをやめた。彼らの目の前には大きな通りが走っていて、その向こう側にも多くの市民が同じように止まっている。 「いったいこれは?」 ステラが隊長に質問しようとしたときだった。通りの向こうから巨大な箱が走ってきた。片桐にはそれがバスのようなものであるとわかった。しかし、彼の知っているバスとは違い、ディーゼルの臭いガスもうるさいエンジン音もなく、その窓には多くの市民が乗っているのが見えた。 「ポルを使った公共交通機関です。おかげで我々は街の端から端まで自由に動くことができます」 魔法を動力にした自動車だった。隊長はバスが通り過ぎると片桐たちを促した。 「さあ、ヘラーがお待ちです」 隊長が案内したのは街の中心にある巨大な神殿風の建物だった。その中は豪華な彫刻や絵画で彩られ、多くの黒い服の軍人が行き来している。宮殿と言うよりは軍の司令部のようだ。 「さあ、こちらです」 隊長はその宮殿の三階のドアをノックした。中から入るように促す声が聞こえて隊長はかしこまってドアを開けた。 「アムターラ村の聖女様ご一行をお連れしました!」 ドアの向こうはヨーロッパ風の広間だった。その中心に据えられた長テーブルで数名の人物が食事をとっているのが見えた。テーブルの中心に座った人物が口を開いた。 年齢は五十代くらい。少しむっくりとした体系に鋭い目つき。どこかで見た人物だな、と片桐は思った。 「ごくろう。彼らを残して下がれ」 「はっ!」 隊長はすばやく後ずさるとドアを閉めた。残されたのは片桐とステラだけだった。 「さあ、遠慮しないでどうぞ……」 テーブルに座っていた一人が立ちあがって片桐たちに座るように促した。片桐はこの一見友好的な会談にも一抹の不安を抱いていた。しかし、今彼が持っているのは腰のシグザウエルだけだ。 促されて二人は長く、いくつも席が設けてあるテーブルの真ん中あたりのイスに腰掛けた。片桐の隣の人物は背が高く、端正な顔立ちをしている。 「ようこそ、アムターラの聖女。さあ、とりあえずはどうぞ」 中心に座っている人物が言うと、目の前のグラスになみなみとワインらしき赤い液体が注がれた。それを合図にして一斉に座っていた面々がグラスを手に立ちあがった。 「勝利のために、ジーク・ハイル!」 一同は一気にグラスを空けた。片桐は異世界で聞いた聞き覚えのあるフレーズに軽いショックを覚えた。間違いなく、今のはドイツ語だ。 「さて、聖女様の付き添いである君の名前を聞いていなかったな」 中心の人物が問いかけた。片桐は極力驚きを表面に出さないように努めて答えた。 「自分は日本国陸上自衛隊の片桐三曹です」 質問者の目が驚いたように大きく見開かれた。その周りの人物も一様に驚いた表情を浮かべた。 「日本……、かつての同盟国だな。私はボルマン。マルティン・ボルマンだ」 片桐は驚愕した。目の前にいる初老の人物がボルマンと名乗っている。六十年前に死んだとされるナチの幹部を名乗っているのだ。その動揺を見越したようにボルマンと名乗った人物は笑った。 「驚くのも無理もなかろう。ここにいるのはすべてドイツ人だ。君は何年生まれかね?」 「一九七七年です」 「ほお、あの年から三十二年後に生まれたのか……」 ボルマンは感慨深げな表情をした。片桐は落ち着こうとグラスのワインを飲み干した。 「あなたがボルマンとしても、どうしてそんなに若いのです? 本物のボルマンだったら百歳をとうに越えているはずだ」 片桐の質問にボルマン以下、部下たちは大声で笑った。ドイツ人特有の低く大きな笑い声だった。 「それは君たちの飲んだワインだ。このワインはガントル族の住んでいた森で見つけたブドウに似た実から作ったのだ。ドイツワインが恋しくなってね。ところが、その実には思わぬ効能があったのだ。さて、片桐君、ガントル族の寿命を知っているかね?」 「だいたい、百から百五十年と言われています」 ただならぬ片桐の様子に警戒しながらステラが代わって答えた。ボルマンは模範的な回答をした生徒をほめるような目でステラを見た。 「その通り。だが、この実があった地域のガントル族の寿命を調べると、続々と三百歳、六百歳という連中が出て来るではないか。調査の結果、その原因がこの実にあることがわかった。君たちが飲んだグラスで寿命が三十年は延びたはずだ。その間の老化も遅くなるはずだ……。もっとも不老不死ではい。老化が遅くなるというだけのものだがね」 「片桐、この人物を知っているんですか?」 ステラがそっと片桐に質問した。先ほどからの彼の態度がおかしいことに 彼女も気がついていたのだ。 彼女の声が聞こえたのだろう。ボルマンが高らかに笑った。 「アムターラの聖女よ。私もこの片桐三曹と同じ世界から来たのだよ。もっとも私の方が遙か前にたどり着いたのだがね……」 ボルマンは語り始めた。一九四五年四月三十日。ベルリンから脱出したボルマンは一握りの親衛隊員とまだドイツ軍が占領していたデンマークへ向かった。コペンハーゲンから二隻のUボートで大西洋に抜けた。目的地はアルゼンチンだった。 「Uボートには私の財産と、武器弾薬が満載されていた。しかし、大西洋に出てすぐに、英軍の駆逐艦に見つかったのだ」 爆雷が次々と投下されて二隻はほとんど沈没寸前だった。しかし、ソナー手が大西洋上ではあり得ない場所に陸地を発見し、ボルマンたちは生き残りをかけてそこに上陸した。 「それがこの都市、ゲルマニアのある場所だ。現地人は聞き違えてガルマーニと呼んでいるがね」 ボルマンたちは乗組員四十名と親衛隊員五十名だけだった。海の近くにあった村に食料を分けてもらいに訪ねると、そこはアンバッドに襲撃されている最中だった。歴戦の親衛隊員はそれをあっという間に撃退し、村人は狂喜乱舞した。親衛隊の中には技術者や科学者も混じっていた。 村人に城壁の建築や、武器の作り方を教え、アンバッドを完全に村の周囲から追い払った。村人の求めでボルマンが村の指導者になったのは半年もたたないうちだった。 「私たちは、このワインを飲み不老の体を手に入れた。その永遠にも近い時間を使ってこの都市を建築し、現地のクアド族たちに教育を施した。そして彼らにも扱える強力な武器を開発し、彼らに与えた。噂を聞きつけた、周囲のクアドたちが続々とゲルマニアに訪れ都市は大きくなった。その技術の結集がこれだ!」 ボルマンは衛兵を呼んだ。黒い服の衛兵がドイツ式敬礼をして入室してきた。手には例のライフルがある。 「客人にゲベールの威力をお見せしろ!」 「はっ! マインヘラー!」 衛兵は窓を開けて指をさした。彼の指し示す方には三十メートルほど先に塔が見えた。その先端に人間の頭ほどの丸い石が見えた。衛兵はライフルの要領でそれを構えると引き金を引いた。 「かしゅっ!」と、せき込むような音が聞こえた。そしてその音が聞こえると同時に、塔の上の石が砕けた。 「クアド族の持つポルを使ったライフルだ。ドイツ式でゲベールと呼ばせているがね。火薬の代わりにポルを推進薬にして鉄片を飛ばすのだ。銃よりは威力は落ちるがこの世界では十分な破壊力だ。それからまもなく戦車も開発が完了する。君も見ただろう、公共交通機関を。あれの応用だ」 「すごい……、なんて兵器なんでしょう」 ステラが素直に感嘆の表情を浮かべる。その彼女をボルマンがなめ回すような目で見ているのを片桐は見逃さなかった。 「で、こんな兵器をそろえる目的は? とても自衛のためとは思えませんな」 ボルマンは再び席に着いた。片桐たちにも促す。席に着いた片桐はワインをすすった。 彼がこの都市に入る前に感じた違和感ともつかない警戒感はまだぬぐいきれていない。 「我々はまもなく進撃を開始するのだ。かつて古代ロザール人が支配していた土地を、蛮人どもから奪い返すのだ。クアド族の生存権を確立して平和な社会を作るのだよ。そうだ……」 ボルマンは言葉を途中で止めると、視線をステラに向けた。 「今夜、片桐君と一緒にコロセウムにおいでなさい。アムターラの聖女も喜ぶであろう、すばらしいものをお見せしよう……」 ステラは片桐に視線を向けた。判断に迷っているようだ。片桐もむげに彼の申し出を断る理由もなかった。ここに長居する気もなかったが、ボルマンの心証をあえて悪くする必要もないだろう。 「わかりました」 ステラの答えにボルマンは満足げに頷いて、傍らのドイツ人を呼んだ。 「ハルスマン! この客人をゲストハウスにお送りしろ!」 「はっ、マインフューラー!」 ハルスマンと呼ばれた背の高いドイツ人は片桐たちに頭を下げた。 「それでは少し外でお待ちください。準備して参ります」 片桐とステラはボルマンに食事の礼を述べると外に出た。側近だけが部屋に残っている状態になったボルマンはハルスマンを近くに呼んで耳打ちした。 「あの女。聖女とか言っておったな」 「はっ、北の森の聖女は古代ロザールの血を引き、まさに聖なる存在と呼ばれております」 ボルマンはワインを一気に飲み干していやらしい笑いをうかべた。 「わが世継ぎを産むにはうってつけの女だ……」 ハルスマンはちょっと顔をしかめた。あの美しい女とボルマンの取り合わせはさすがの彼も違和感を感じたのだ。 「あの女が日本人を見る目は愛し合う者の目だ。いずれじゃまになる」 「では、殺しますか……?」 「かつての同盟国人だ。手に余れば拘禁してキャンプに送ってもよかろう」 今はもうハルスマンはさっまでの表情を浮かべてはいなかった。任務に忠実なドイツ人の顔に戻っていた。 「はっ! マインフューラー!」 ハルスマンに案内されて片桐たちは外に出た。ドイツ将校は近くの士官に命じて車を回すように言った。 「自動車まで開発したんですか?」 思わず片桐が質問した。ハルスマンは笑いながら答えた。 「はい、フォルクスワーゲンとまでは行きませんが」 見ると、確かに自動車に近い形の物体がこっちに向かって来るのが見えた。木のホイールでタイヤは皮で覆われていた。ボディは薄い鉄板で簡単に装甲が施されている。エンジン音は先ほどのバス同様ほとんどなかった。運転兵が後部のドアを開けて片桐とステラを乗せた。ハルスマンは助手席に座った。静かに車は発進した。 「いくらポルが強くてもこんな大きなものを動かすことは相当難しいはずです」 ステラが車窓を興味深く見ながら言った。ハルスマンは助手席から後ろを振り返りながら言った。 「ステラ様、アクサリーという石のことを聞かれたことはありませんか?」 「あります。古代ロザールの発展を助けた魔法の石ですわ」 「そうです。この都市の郊外の山からそれを産出することに成功しました。その場所と精錬方法は極秘なのでお教えはできませんが……」 アクサリーとは簡単に言えばポルを増幅させる媒体であるようだ。普通のクアド族の持つポルではあまり大きな物質を動かすことなどはできない。しかし、ポルをアクサリーに経由させて物質に働きかけることでその力は増大するのだ。 車はハルスマンの説明が終わる頃にちょうどゲストハウスに到着した。ゲストハウスは三階建ての木造。北欧建築の特徴が色濃い様式だった。 「片桐軍曹、拳銃はフロントに預けていただけますか?」 「三曹だ!」 片桐は不承不承、拳銃をフロントに預けた。ハルスマンはそれを見届けると二人を三階のもっとも豪華であろう部屋に案内した。 「では七時にお迎えにあがります」 うやうやしくステラにお辞儀するとハルスマンはドアを閉めた。なるほど、部屋はたしかに豪華だった。ボルマンの趣味だろうか、完全なヨーロッパ様式のスウィートだった。 片桐はとりあえず、ふかふかのベッドに身を投げ出した。アムターラ村を出発してからほとんど野宿に等しい宿泊だったので、ベッドの心地は懐かしいものだった。 片桐はさっきまでのボルマンとの会見を思い出していた。歴史の教科書に出てきていた人物との会談はおよそ奇妙だったが、彼の語りはこの都市の繁栄ぶりを見るに間違いなく事実であろうことが想像に安かった。そして今夜、自分たちに何にを見せるのか? 「片桐、夜までどうやって……」 ステラが片桐に歩み寄ってきた。彼はすばやく彼女を抱き寄せるとベッドに横たえて熱いキスを浴びせた。 「これは掟に違反していますか?」 抱きしめながら片桐が問いかけた。ステラはほほえみながら彼の肩に体を預けた。 「ここまでなら許容範囲ですわ」 「では、一緒に夜まで優雅にシェスタとしゃれこみましょう」 「同感です。わたくしもくたくたですわ」 二人は豪華な部屋でしばしの仮眠を楽しむことにした。 コロセウムはローマのそれを彷彿とさせた。今、この客席には数千の市民が集まって、真っ暗な中心部を見つめている。そこへ一筋のサーチライトらしき明かりがともされ、中心のステージ脇に立っているラッパ手に向けられた。 ラッパ手は口にラッパをくわえると荘厳なソロを奏でた。それにかぶせるようにドラムの単調なリズムが聞こえてくる。 「ごらんください」 片桐とステラに随行するハルスマンが暗闇を指さした。そこからはたいまつを抱えた数百の黒服の兵士が一糸乱れぬ行進で中心部に向かって進んでくる。その後方には旗を手にした部隊が続く。無数のサーチライトがこの部隊を照らし出した。彼ら兵士の持つ旗は見間違う事なき、ハーケンクロイツである。 「ジーク・ハイル! ジーク・ハイル!」 片桐とステラの周りの市民がその旗を見るや大声で歓呼し始めた。ライトが中心部の舞台を照らした。壇上にはボルマンがナチ党の正装で彼ら兵士たちを敬礼で迎えている。 ボルマンの姿が照らし出されるや、市民の歓呼は最高潮に達した。 「すごい……」 初めて見る光景にステラはただただ驚きの声をあげた。それを見てハルスマンは満足げな表情を浮かべている。 行進は旗を持った部隊に続き、ゲベールと呼ばれるライフル部隊が続く。 「いよいよ今夜の主役のおでましです」 ハルスマンが二人に耳打ちする。出てきたのは数台の戦車だった。 「まだ量産はできていませんがこれだけで相当な戦力になります」 戦車は、本場の戦車に比べて貧弱に見えた。木のホイールに皮のキャタピラ。薄い鉄板の装甲はオリジナルとはほど遠かったが、この世界の攻撃には十分な防御力を持っているように見えた。そして、主砲も五十ミリ砲くらいの大きさに見えたが、昼間見せられたゲベールの威力から考えると十分な脅威だった。 たいまつの部隊はボルマンを中心として左右に展開し、一糸乱れぬ動きで大きなハーケンクロイツを映し出していた。戦車がボルマンの正面に停車すると音楽も、部隊の動きも止まった。 とたんに市民の歓呼も収まり、数千の人々で埋まったコロセウムは水を打ったような静けさに包まれた。 「諸君!」 ボルマンが第一声をあげた。 「我らクアド族のたゆみない努力が今日、ついに実を結んだ! 戦車がついに完成したのだ! これはアンバッドなどのいかなる野蛮な攻撃も通用しない!」 「ジーク・ハイル!」 客席の市民が歓呼の声をあげた。その声が収まるのをボルマンは待った。 「古代ロザールが滅亡して長きにわたった、我々クアド族の苦境は今日この日を持って終結する! 我々は生存権を確立し、この地に君臨する! 古代ロザールの偉人に代わり、この世界に安寧と平和をもたらす偉大なる生存戦争に乗り出すのだ!」 「ジーク・ハイル!」 ほとんど絶叫に近い市民たちの歓呼の声がコロセウムを包んだ。それを満足げに見たボルマンはさっと、別の方を指さした。サーチライトが彼の指先のものを照らし出した。 それに気がついたステラは驚きの声をあげた。 「あ、あれは!」 ライトに照らされたのは柱に縛り付けられた数名のガントル族だった。それを見た市民が口々に罵声をあびせる。それをボルマンは余裕綽々と言った感じで制した。 「奴らガントル族はその矮小な肉体を利用し、我ら勤勉なクアド族の生産した食料を無駄に消費し、あまつさえ、アンバッドの野蛮な侵略行為に荷担した。この劣等な人種さえいなければ我らの苦境は半減したはずだ! 諸君! 今こそ狼煙をあげるときだ! 我らクアド族が民族の生存と繁栄のための戦いを開始するための狼煙をだ!」 ボルマンが合図を送った。戦車の砲塔が彼ら無抵抗の哀れなガントルに向けられた。彼らは足をばたつかせ悪態をついているのが見て取れた。 「見ちゃいけません!」 片桐はこれから起こるであろう悲劇を推測してステラを抱き寄せた。 「ファイア!」 大きな咳払いのような音が立て続けに響いて、それと同時に縛り付けられたガントルたちは土煙で見えなくなった。それを見た観衆はよりいっそうの歓声をあげた。 「諸君! 子を軍に送りだした母親よ! 父を送り出した息子たちよ! 夫を送り出した妻たちよ! 今こそ、誇りに思うのだ! クアド族は最強の武器で劣等民族を排除し、高等民族たる我々の手で真の理想郷を作り上げるのだ! 我らの勇敢な兵士に輝ける勝利を! ジーク・ハイル!」 観衆のボルテージは最高潮に達した。口々に「ジーク・ハイル」と叫び、隣の者と抱き合い。感涙をこぼす者さえいる。ボルマンは行進する黒の兵士に敬礼を捧げて見送っている。その後ろには数十名のドイツ親衛隊の制服に身を包んだドイツ人が見えた。 ハルスマンに送られて二人はゲストハウスに戻った。片桐はもはやここに一分でもとどまりたくなかった。 「わたくしも同感です」 ステラと意見の一致を見た片桐はフロントに降りた。 「俺の銃を出してくれ」 フロントのクアドは首を縦に振らなかった。 「それはハルスマン様の許可がないと……」 片桐はフロントの首根っこをつかんだ。指をのどに食い込ませて再び質問した。 「出してくれるかな?」 フロントは顔面蒼白になりながら首を縦に振った。シグザウエルを受け取って街に出た片桐は簡単にナチスのことをステラに話した。それを聞いたステラは明らかにショックを受けているようだった。 「まさか、クアド族をまとめるためにガントル族を敵にして殺すなんて……」 「やつらの常道手段です。俺もうかつでした。この街に入ったときに気がつくべきでした。街の中にガントル族が一人もいないことにね……」 片桐がこの都市に来て本能の部分で感じた警戒感はそこだったのだ。 二人は街の入り口に向かって進んだ。街路には人がほとんどいない。 「止まれ」 人気のない街路の真ん中に人影が見えた。片桐は腰のホルスターに手を伸ばした。 「無駄だ、君は四方から狙われている」 声の主はハルスマンだった。見るといつの間にか、長剣やゲベールを構えた兵士に囲まれている。片桐はステラを自分の後ろにやって後退した。 「聖女ステラ様、フューラーがお待ちです。ご同行願います」 ハルスマンが手にワルサーを構えながら言った。ステラはドイツ人の申し出を拒否するように片桐にしがみついた。もはや二人の後ろには建物の壁が迫っていて逃げ場はない。 「片桐、わたくしを撃ってください。あんな男に捕らわれるくらいなら」 片桐はその言葉にショックを受けた。そんなことできるわけがない。しかし、彼女の言うとおり、ボルマンの手に落ちるくらいなら、彼女の望み通り愛する者の手で運命を決めるのも彼女の権利なのかもしれない。 「それはいよいよの時だけにしましょう」 そう言って振り返ったときだった。すでにステラの姿は片桐の後方にはなかった。建物の陰に隠れていた兵士に口を押さえられてハルスマンのところへ引っ張られていく最中だった。 「ステラ!」 思わず叫んだ片桐の後頭部に強烈な衝撃が走った。がっくりひざを突いてそのまま倒れ込む。片桐が意識を失う前に見たのは必死に抵抗するがハルスマンの手に落ちたステラの姿だった。 どれくらい眠っただろうか……。片桐は目を覚ました。背中の感触でどうやら粗末だがベッドに横たわっているのはわかった。 「目が覚めたか、日本人」 その言葉に頭をあげる。周囲を見回すと、そこは巨大な牢獄だった。壁は大きな岩でびっしりと覆われ、わずかに数カ所の窓には格子がつけられている。中にいるのは皆人間のようだった。その中で片桐の一番近くにいた人物が声をかけた。 「私はハルス大尉。ドイツ海軍U―七七四の艦長だった」 金髪に白髪混じりの男だった。少々汚れているがドイツ海軍の軍服を着ていることがわかった。 「自分は陸上自衛隊三等陸曹、片桐です。ここはいったい……」 改めて周囲を見回すと、そこには大勢のドイツ軍の軍服を着た兵士がいた。ほとんどは海軍の制服だが、数名、親衛隊の制服の者も混じっていた。 「ここは政治犯の収容所だ。それと同時に絶滅収容所でもある……」 ハルスが力無くつぶやいた。そして窓に片桐を案内した。彼はその光景に絶句した。 大勢のガントル族が強制労働に従事している。しかもその労働内容といったらまったく意味があるとは思えなかった。一団のガントルはひたすら穴を掘るだけだ。別の一団は彼らが掘ったであろう穴を埋め戻している。時折、力つきたガントルは巡回する兵士のゲベールで容赦なく射殺されていった。 「なんてことだ……」 思わず片桐が目を背けた。ハルスは片桐の肩に手をやった。 「幸い我々には強制労働は課されていない。そのかわり、永遠に似た苦痛を与えられているのだよ」 そう言ってハルスはテーブルのポットを持った。コップを片桐に渡すとポットの中身を注いだ。それは赤い液体だった。片桐がボルマンとの会食で見たあのワインだった。 「水分はこれ以外与えられない。我々は不老の体を維持しながらここで思想を転向するまで閉じこめられるのだ」 ある意味、死よりもつらい拷問といえた。 「だが我々もじっと閉じこめられているだけではない」 ハルスは牢獄の中央にあるテーブルを動かすように命じた。数名の海軍兵士がそれをどかした。そこには二枚の板が敷かれている。 「中はトンネルだ。二十五年かけて掘り進めた。君は運がいい。明日、外のレジスタンスと呼応して脱走する計画があるのだ」 片桐はこのハルスの言葉に希望を見いだした。そして希望を持ったと同時に気になることもあった。 「自分と一緒にいた女性のことは何か聞いていますか?」 ハルスはそれを聞くと悲しげな顔をして首を横に振った。 「君と一緒にいた北の森の聖女のことは知っている。しかし、彼女はボルマンのところに連行されたようだ」 片桐はハルスの言葉に絶句した。あの会食で見せたボルマンのステラに対するいやらしい視線を思い出した。ボルマンが彼女を獲得したならば、その目的はひとつしかない。 しかし、ボルマンがその目的を達成する前に誇り高い聖女で、いとおしい片桐の恋人は自ら死を選ぶであろう。もはや一刻の猶予もないように思えた。片桐の絶望感を察したハルスは彼をひとまずは安心させる情報を教えてくれた。 「ボルマンは新鋭の戦車隊と出征した。今、彼女はヤツの司令部に幽閉されているだけのはずだ。焦らずにまずはここから抜け出してレジスタンスと合流するんだ……」 ここではこれ以上どうしようもないとわかっている片桐はハルスの意見に従うことにした。それと同時に心に誓った。必ずステラを助け出すと。 「まずは夜を待て。ここの警備は本場ほど厳しくはない。夜までゆっくり休むんだ」 片桐はハルスの忠告に従うことにした。ワインを飲んで粗末だがパンを食べて腹を満たした。その間、ハルスはここに幽閉されているドイツ兵の運命を話してくれた。 「ボルマンが指導者になり、ゲルマニアを建設してからしばらくしてからだ。彼は自らをフューラーであると宣言した。現地のクアド族がヘラーと言ってるのを聞いただろ? そして、自らの権威を大きく確実なものにするためにボルマンは、ガントル族の弾圧を始めたのだ。共通の敵を作ってしまえばクアド族は団結し、ボルマンの権力を支持するからな。我々海軍兵士の多くはその政策に反対して投獄された。ここにいる親衛隊員はボルマン自らがフューラーを名乗ることに反対したため投獄されたのだ。ヒトラーの遺言では今でもフューラーはデーニッツだからな。だが今は彼らも同じ志を持つに至った。フランツ中尉!」 ハルスは親衛隊の士官を呼んだ。フランツはこれまたがっしりした金髪のドイツ人だった。 「フランツだ。よろしく。ボルマンは自分の利益だけのためにこの世界を混乱に陥れている。第三帝国なき今、我々はこの世界の人々と共存していくしかない。外のレジスタンスと協力してクーデターを起こす計画がある。ぜひ、協力して欲しい」 どのみち、ステラを救出するにはボルマンの本拠地に乗り込む他はない。それには味方も武器も必要だ。彼らの計画に乗ってみるのも一計だ。片桐は快諾した。 赤い満月、ゾードが南中した。格子の入った窓から片桐はその赤い月明かりを眺めていた。この月明かりの下で黒い髪をなびかせていたステラを思い出した。たった二日離れているだけでこんなにも寂しく感じるとは……。 ふと、片桐は出発前にザンガーンに教えられたあの力を試してみる気になった。目を閉じてステラのことを思い浮かべてみる。 「片桐? 片桐ですか?」 ごくかすかだが、遠いかなたに彼女の声が聞こえる。まだまだ不慣れでポルの力が一定でないようだ。電波の悪い携帯電話のようだった。 「ステラ……、必ずあなたを助けます。けっしてあきらめてはいけません」 「いけません、わたくしのことは構わず逃げてください……」 片桐は心揺らいだ。彼女の気持ちが痛いくらい伝わったからだ。それは自己犠牲の精神だった。そのせいか、ただでさえ不安定だったポルがますます不安定になったのか、ステラの声がますます小さくなった。 「必ず! 必ず、迎えに行きます!」 「……!」 最後の声は聞き取ることができなかった。片桐は目を開けた。少なくとも彼女が生きていることだけは確認できた。それだけで戦う気力が沸いてきた。この牢獄を脱し、レジスタンスと合流して、ボルマンの司令部に潜入しステラを救い出す。たったこれだけのことじゃないか、とすら思えた。 「さあ、時間だ」 フランツが言った。広大な収容所の隅っこから鳥のような鳴き声が聞こえた。レジスタンスの迎えの合図だった。窓を見張っていた海軍兵士が合図した。歩哨がいないことを示す合図だった。 「行くぞ!」 ハルスが床板をはずしてトンネルに潜り込んだ。フランツに続いて片桐も潜り込む。 その後ろに海軍兵士が続々と後に続いた。 トンネルはさすが二十五年かけて掘られたものだった。しっかりと天井にも板が張られ、崩壊の心配を感じさせる要素はなかった。四つん這いになって数十メートル進むと突き当たりに出た。ハルスが土がむき出しになった天井に手をやった。そのまま素手で土をほじくり返す。すぐにハルスの手が地上に出た。 「成功だ!」 ハルスが周囲を警戒しながら外へ出た。フランツに続いて片桐も地上に飛び出した。 「こっちだ……」 少し先の茂みから声が聞こえた。トンネルの出口は収容所を囲む柵のすぐそばだった。二十メートルほど離れた場所でクアド族の歩哨がゲベールを提げて立っている。片桐は体を低くして声の聞こえた茂みに駆け込んだ。 「よく脱出できましたな」 片桐を迎えたのはガントル族の一団だった。手にはワルサーやゲベールがあり、よく訓練されていた。リーダーのサクートが片桐と握手を交わした。その間にも続々とトンネルからはドイツ兵が踊り出てくる。牢獄にいた二十名ほどの兵士が全員脱走するのにそう時間は要しなかった。 「ではアジトに行きましょう……」 サクートの先導で脱走者たちはおぞましい収容所に別れを告げた。 アジトはガルマーニの外壁工事が行われているすぐそばの洞窟だった。そこはかなり大きな洞窟で多くのレジスタンスが待機していた。皆手にはゲベールやドイツ製の銃器があった。潜水艦から運び出した武器を一部ここに隠したらしい。ドイツ兵は洞窟の奥から大きな木箱をいくつか運び出してきた。 「片桐三曹、君にはこれを貸そう。使えるかね?」 フランツが片桐に手渡したのはサイレンサー付きのステンSMGだった。以前英軍の輸送船を拿捕したときに押収した武器だった。 「ボルマンは昼間に戦車と千名の兵士を連れて出陣しました。目的は東の森にあるガントル族の村です」 サクートがハルスに報告した。彼の報告では司令部には数十名の兵士と数人のドイツ人が残っているだけだ。完全に油断していることが見て取れた。 「よし、司令部を攻撃して市内を掌握しよう。できるだけ戦闘はさけて転向をうながせ。ドイツ人に指揮されている部隊は例外だ。容赦するな!」 ガントル族、クアド族、ドイツ人の混成部隊は二手に分かれて市内に潜入を開始した。 「フランツ中尉、自分は司令部に潜入したいんですが……」 「片桐三曹、だったら俺と一緒に来るんだ」 フランツは数名の部下を連れて市内の裏道に入った。深夜の街路は静まり返っていて誰もいない。その中を片桐たちは素早く駆け抜けた。フランツが通りの角から次の通りを確認して動きを止めた。街路に警備の兵士が立っているのだ。 「まかせろ」 フランツは背後からそっと兵士に忍び寄るとMP−四〇の銃床で兵士の頭を殴りつけた。一撃で兵士は昏倒した。 「縛ってその辺に隠しとけ」 フランツは部下に命じた。片桐とフランツは安全を確認した角を曲がった。その先はボルマンの司令部がある。大きな司令部の周囲には歩哨はほとんどいないようだった。 周囲には二メートルに満たない塀があるだけだ。片桐たちは造作もなくそれを乗り越えると司令部内に侵入した。 「別働隊も反対側から侵入しているはずだ。片桐、君は目的を果たしてこい。集合場所は正面ロビーだ。聖女様によろしくな……」 フランツが陽気に笑いながら片桐の肩をぽんと叩いた。片桐もフランツの肩を叩き返して行動を開始した。外壁の出っ張りを利用して二階のテラスに登った。 テラスは端から端まで続いていて窓の多くからは明かりがこぼれている。兵士たちが大勢いるということだ。その窓を一つ一つ確認しながら片桐は進んだ。一番端の開け放たれた窓から女性の叫び声が聞こえた。 直感で確信した。間違いない、彼女だ。片桐は駆け出したい衝動を抑えながら窓の下にとりついた。そっと中を覗いてみる。 「やめなさい!」 「騒ぐんじゃない!」 背の高いドイツ人がソファーにステラを押し倒している。必死に抵抗する彼女の細い腕が見えた。そのドイツ人がハルスマンということは一目でわかった。 「静かにしろ!」 ハルスマンはステラの頬を平手で叩いた。そしてぐったりしたステラの上に覆い被さった。このドイツ人がこれからしようとしていることを瞬時に理解した片桐は怒りで顔を紅潮させた。 さっと、音も立てずに室内に侵入すると、ステンの銃床で思い切りハルスマンの後頭部を殴りつけた。 「あっ!」 怒りのあまり手元が狂ったのか、ハルスマンは間一髪でそれをかわして片桐に飛びかかった。手に持っていたステンが床に転がった。もつれ合って床を転がった後、片桐はハルスマンの腹を足で押して彼から離れた。二人のちょうど中間あたりにステンが転がっているのが見えた。 それに飛びついたのは同時のようだったが、一瞬ハルスマンが速かった。間に合わないと悟った片桐はブーツを彼の顎めがけて振りあげた。ハルスマンはそれを両手で受け止めて再び片桐を床に押し倒した。それと同時に太い腕を片桐ののどに押しつけた。 「日本人か、まさか強制収容所から抜け出してくるとはな……」 獲物にとどめを刺すような獣のように興奮で目をぎらぎらさせながら、ハルスマンは腕に力を込めた。片桐も必死で彼の脇腹にパンチを食らわせるがびくともしない。 「久しぶりに人間を絞め殺すんだ。楽しませて……」 がしゃん! という音ともにハルスマンの頭から血が流れ出た。腕の力がゆるんだ。片桐はそれを確認して一気に起きあがって、反対にハルスマンの首を締めあげた。ハルスマンはしばらくの間、足をばたつかせていたが、やがてぴくぴくと痙攣してそのまま動かなくなった。 「初めて人間を殺しちまった……」 肩で息をしながら、動かなくなったハルスマンを見つめる。と、自衛官は彼を救った原因を探して視線を泳がせた。 ステラが割れたワインボトルを手に立ちつくしていた。彼女の一撃の助けがないと片桐はハルスマンに絞め殺されていたのは確実だった。ハルスマンだった死体から手を離して、そばに落ちていたステンを拾いあげた。 「片桐……」 片桐の無事な姿を確認したステラはその胸に飛び込んできた。片桐もまた彼女をしっかりと抱き留めた。肩が震えているのがわかった。無理して気丈に振る舞っていたのがすぐにわかった。 「どうしてもっと早く来てくださらなかったのです? 本当に怖かったのですよ!」 「ステラ、今こうして来たではありませんか……」 片桐はきつく彼女を抱きしめた。しかし、その再開の余韻に長く浸っているわけにはいかなかった。すでに司令部のあちこちで銃声が響いていた。レジスタンスが戦闘を開始したことを意味していた。 「さあ、ここから逃げましょう!」 片桐がドアを開けようとしたとき、そのドアが外から開かれた。開けたのはボルマンとの会見でゲベールを撃った衛兵だった。そいつは片桐の持っているステンの一連射で後ろに吹っ飛んだ。ステラはその衛兵からゲベールとベルトに装備された弾薬箱を持ち出した。 「わたくしになら使えるはずです」 片桐はそう言う彼女からゲベールを受け取って構造を調べてみた。ごく簡単な構造だった。 弾丸は銃身の後ろから込め、ボルトを締める。激鉄の先にはアクサリーと呼ばれるほんの小さな石がついている。トリガーを引くとその激鉄が下りて、増幅されたポルの力で弾丸が発射される構造だ。 「本当に大丈夫ですか?」 片桐の問いかけに答えずにステラは、柱の向こうから現れた抜き身の長剣を持った兵士に向けてゲベールを発射した。せき込むような音と同時にその兵士は肩から血を吹き出してうずくまった。 「大丈夫なようですね」 新たな弾丸を込めながらステラが笑顔で答えた。片桐は若干彼女の適応力に閉口しながらも彼女の手を取った。 「待ってください!」 さらに勇敢な聖女様はハルスマンの死体から小さなカギを取り出すと部屋の中にある書棚のような家具の扉を開けた。中には片桐の八九式小銃と防弾チョッキ、ホルスターがしまわれていた。 「他の装備はローズとセピアと一緒に外の小屋にあります。衛兵がよく調べていないようでまだ見つかってはいません」 「あなたは優秀な自衛官になれそうですよ」 使い慣れた装備を身につけながら片桐はただ感嘆するばかりだった。 正面ロビーに達するにはいくつかの難関を越えねばならなかった。ドイツ人に指揮された敵兵はいくつかの場所にバリケードを作って抵抗していた。多くの部隊はレジスタンスに降伏したようだ。 今、片桐とステラの目前にも、廊下一面にバリケードを作ってレジスタンスに応戦している一団がいた。 「突破するしかありませんな」 連中の背後にある部屋から様子を見ながら片桐はつぶやいた。三名のドイツ人と数名のクアド族の兵士がバリケードに隠れてレジスタンスに発砲している。片桐たちには気がついていないようだ。セレクターをフルオートにして片桐は深呼吸した。そして呼吸を整えると意を決して柱の影から飛び出した。 「日本人だ!」 ドイツ人の一人が気がついて振り向きざまにワルサーを発砲した。弾丸は片桐の耳元をかすめたが、それにかまわず彼はトリガーを引いた。発砲したドイツ人ごと敵は全員撃ち倒された。本来ならスリーバーストショットで撃ち倒すべきだったのだろうが、残念ながらこの状況では難しい。 反撃の収まったバリケードにレジスタンスが突入してきた。レジスタンスは生き残った敵兵を連行していった。 「片桐! 生きていたか?」 フランツが駆け寄ってきた。彼はステラを見つけると礼儀正しく一礼した。 「お目にかかれて光栄です。アムターラの聖女ステラ様。フランツと申します」 「片桐の脱出に力を貸していただいたことに御礼を申し上げます」 一通り挨拶の終わったフランツは片桐の方を向いた。すでに司令部の銃声は収まっている。ほぼ制圧したようだ。 「司令部は制圧した。ハルス大尉の別働隊が市内を回ってレジスタンスの参加を市民に呼びかけているところだ。残っていた親衛隊は全員射殺した。君のやってくれた連中も含めてな。海軍の兵士はハルス大尉の名前を聞くとたちどころに武器を捨てたよ。まずは大勝利だ」 片桐はまずは安堵した。当面ステラの安全は確保できた。そして気になることがあり、外に出た。外には捕虜が整列させられている。その中で見覚えのある衛兵を見つけた。すっと近寄って彼に声をかけた。 「君は、確か門番をしていたな……」 片桐の質問に、これからの自分の将来を危惧していた衛兵が顔を向けた。 「俺たちの乗ってきた馬の世話を君にお願いしたと思うんだが」 「はい! ヘラーの命令でちゃんと休ませてあります!」 必死のアピールだった。 「俺たちが旅立つまでの間、馬の世話を君にお願いしたいが、引き受けてくれるか? レジスタンスには俺から言っておこう」 片桐の言葉に衛兵の表情がぱっと花が咲いたように明るくなった。当面自分の身の安全が保証されたのだ。無理もないだろう。 「捕虜が逃げたぞ!」 そのとき、銃声とともにレジスタンスの大声が聞こえた。フランツが走ってくるのが見えた。 「門番が逃げた! まずい。すぐにボルマンが戻ってくるぞ。こいつは戦うしかないようだな……」 フランツの表情が暗くなった。確かに、道はそれしかないことはわかっていたが、戦力差がありすぎる。 「司令部にパンツァーシュレッケがあるのが見つかった。しかし相手は戦車を持っているんだ。それに歩兵だけでも千人だぞ。こっちは寝返った捕虜を入れても三百名にも満たない……」 「わたくしに考えがあります」 圧倒的な戦力差にうなだれるフランツにステラが顔をあげて言った。フランツも片桐も怪訝そうな顔で彼女を見つめた。 「一般市民のクアド族に語りかけるのです!」 翌朝、市内の広場にステラの姿があった。その周りにはハルス、フランツ、片桐、サクートらガントル族のレジスタンスが集まった。その様子を市民は遠巻きに見守っている。 「ガルマーニのクアド族よ、わたくしはアムターラ村の聖女ステラです!」 第一声は緊張のせいか、いささか震えているが、北の森の聖女自らの言葉にクアドの市民たちはざわめいているのがわかった。 「ボルマンはあなたがたに、強力な武器とすばらしい文明を授けました。これは疑い様のない事実です! しかし、あなたがたは大切なことを忘れていませんか? この世界はわたくしたちクアド族だけのものではありません。ガントル族の運命を忘れてはいませんか?」 彼女の声に引き寄せられるように市民たちは続々と広場に集まった。今や広場は埋めつくされんばかりの市民でいっぱいだった。その市民に向けてステラは再び言葉をかけた。 「ここにいるクアド族でガントル族がどうなっているか本当に知っている者は?」 「遙か遠くに追放されたはずだ!」 「集団で遠くに移住したと聞きました」 「アンバッドに荷担したガントルは殺され、それ以外は南に移住したはずだ!」 口々にうわさで聞いた話を声に出した。それを聞いたサクートが叫んだ。 「それはボルマンたちの嘘だ! 奴らは俺たちを収容所に入れて強制労働させているんだ。しかもその労働も全く無意味なものだ! 穴を掘っては埋める。それだけだ! 奴らは、俺たちに反抗する気力をなくさせるためだけにこんなことをさせているんだ! それに耐えきれなくなったら、奴らのゲベールの的になるだけだ!」 サクートの言葉に市民たちは衝撃を受けているようだ。互いに顔を見合わせている。群衆から声があがった。 「嘘だ! ステラ様はそこのガントルにそそのかされているだけだ!」 市民がとたんに騒ぎ始めた。自分たちの信じていたことをいきなり否定されてもすんなり受け入れられないのだろう。 「本当だ!」 今度はハルスが声をあげた。 「俺はボルマンと同じドイツ人だが、彼の政策に反対して二十五年、収容所で過ごした。その間、多くのガントルが収容されて殺された。村ごと捕まって収容所送りになった連中も見てきた。ボルマンは独裁者だ。ヤツは諸君の力を利用してこの世界に自分の帝国を作ろうとしているにすぎない!」 群衆は静まり返った。もはや彼女の言葉に反論しようとする者はいなくなった。ステラはそれを確認して再び口を開いた。 「ボルマンはまもなく戻ってきます。あの男はこの街が占領されたことを知っているでしょう。レジスタンスを皆殺しにするために容赦ない攻撃を始めるでしょう。一緒に戦ってください!」 「ボルマンがひどいことを考えていることはわかりました。しかし、わかりません! 何のために戦うのですか? 誰のためにですか? いったい何のために?」 市民から疑問の声があがった。その答えにステラは少し考えているようだった。再び市民からどよめきが起ころうとしていた。しかし、それを素早くステラは制して答えた。 「わたくしたちの祖先も、わたくしたちも古代ロザールが滅亡後、苦しい日々を送ってきました。しかし、わたくしたちは誇りがありました。クアド族とガントル族と手を取り合ってこの苦境を乗り越えてきた誇りです。あなたがたにはその誇りは残っていないのですか? 偽りの繁栄にあなたがたの誇りは奪い去られてしまったのですか? ボルマンの見せた幻の繁栄を買うために売ってしまったのですか?」 ステラは一気にまくし立てた。ボルマンの演説や演出には足元にも及ばないと自分でもわかっていた。一か八かの賭だった。市民は再び静まり返っていた。 片桐もステラの言葉を聞いての市民の反応を手に汗を握って見守っていた。この市民の反応次第で、これから起こるであろう戦いの運命は決するのだ。そして、その賭はステラの勝ちだった。 「我らクアド族の誇りのために!」 「ガントル族ととも異世界の独裁者と戦おう!」 「ステラ様の名のもとに戦うぞ!」 市民が完全にレジスタンスについたことを確信してハルスが叫んだ。 「みんなで武器を持って集まってくれ! 持ってない者には支給する!」 フランツは片桐を見やった。我がことのように得意満面な表情になっている。 「たいしたお嬢さんだ……」 「お嬢さんではありません。アムターラの聖女ですよ」 フランツの言葉を聞いてステラが笑顔で二人に歩み寄った。そしてそのまま片桐にしがみついた。フランツが驚いた表情でそれを見ている。 「緊張しました。わたくし、こんな大勢の前で話なんてしたことないんですもの」 それを聞いてフランツが大声をあげて笑った。そしてステラを抱きとめている片桐の肩をぽんぽんと叩いて言った。 「いやはや、たいした聖女様だよ! 俺もできることならお仕えしたいくらいの度胸だな!」 「来るぞ……」 城壁の上でハルスは双眼鏡を片桐に渡した。片桐はかなり接近したボルマン軍の様子を見てみた。 「これはまた、フリードリヒ大王の時代だな」 彼の言うとおり、ボルマン軍は城壁から五百メートルほどのところに展開している。戦車は最後尾。その前にドイツ兵に指揮された百名ほどの歩兵が十隊ほど、二段構えの横隊で整列している。片桐はボルマン軍の両翼を見てみたが、時折灌木がある程度だった。 「サクートの別働隊が見えないようですが」 「彼らはうまく隠れているはずだ。後は手はず通りにことが運べば完璧だ」 片桐は城壁の内側を見下ろした。市街のあちこちには市民が潜んで油の入った壺にいつでも火をつけられるように準備している。それを指揮するステラが片桐に手を振っているのが見えた。 一方、城壁にも仕掛けを施した。手榴弾をいくつか仕掛けてわざと爆発させる準備をフランツが終えて戻ってきた。 「あの戦車の砲はまだ試作でまっすぐ飛ばないって本当ですか? それが嘘ならこの仕掛けも全く無駄になっちまうけどな」 「捕虜の情報にかけるしかないですな……」 片桐がそう言ったときだった。いよいよボルマン軍の攻撃が始まった。戦車が砲撃を開始したのだ。 「やっぱり、警告もなく無差別砲撃だ」 ハルスがひとりごちた。これで、広場でのステラの言葉を疑っている市民も納得するだろう。しかし、多くの市民は彼女の言葉に応えて今では武器を持ち、いつでも戦える体勢を整えて、城壁に、建物の屋上に待機している。 最初の砲弾は城壁の手前に着弾した。しかも不発弾だった。 「これは? あの情報はホントなのか?」 第二弾は城壁の真ん中あたりに着弾したがこれも不発で城壁に少し大きな穴を開けただけだった。 痺れを切らした戦車隊は砲身の角度を変更して一斉砲撃を始めた。 「来るぞ! 伏せろ!」 片桐は市内に潜む市民に叫んだ。しかし、その声は弾着音にかき消された。市内のかなり奥まったところに着弾した。今度はちゃんと爆発したようで火の手が上がるのが見えた。女子供や病人を街の外に避難させていて正解だった。そうしている間にも砲弾は次々と着弾したが爆発する砲弾は二割に満たなかった。 「そろそろだな……」 フランツは部下に命じて城壁の一部を爆破させた。砲弾で破壊されたと見せかけるようにタイミングをずらしての爆破だった。片桐もステラに合図を送った。 「さあ、火をつけるのです!」 彼女の合図で市民たちは街のあちこちに仕掛けた油の壺に火をつけた。真っ赤な火と黒煙があがった。 「やった! 燃えているぞ!」 ボルマンは双眼鏡で街の様子を見てはしゃいだ。そして全軍に前進を命じた。 「もう少し制圧砲撃を加えてもよいのでは……」 忠告する副官の進言をボルマンは無視した。もはやこの戦いは勝ったも同然だ。ハルスと片桐は最後まで生かしておいてこの手で八つ裂きにしてやろうと思っていた。あの女。もったいないが火あぶりにでもしてやれば市民への警告になるだろう。 「城門に砲撃を集中しろ。戦車が門をくぐればこの戦いは勝ちだ!」 「前進して来るぞ!」 市民たちが城壁にとりついた。戦車は前進しながらは発砲してこない。弾込めができないようだ。戦車を盾に歩兵の横隊が一糸乱れぬ行進で前進してくる。ボルマンはなめてかかってきているのだ。こんなに大勢のレジスタンスと市民が手に手にゲベールでボルマン軍を狙っているとは思っていないのだろう。 戦車がいったん前進をやめた。砲を城門に向けている。 「ファイア!」 一斉砲撃だった。砲弾は城門の周りに次々に炸裂して、大きな木の城門が吹き飛んだ。それを確認してボルマン軍は前進を始めた。ゲベール隊が歩きながら城壁を狙って発砲を開始した。銃弾が城壁の煉瓦に当たって砕ける音が聞こえた。 「よし! 撃て!」 ハルスの合図で城壁に身を潜めていた市民たちが一斉に射撃を開始した。次々と横隊の兵士たちが銃弾に倒れた。しかし指揮官の号令で後列の兵士が前に進んで隊列を維持している。片桐はセミオートでドイツ兵を狙って撃つが、まだ遠いためなかなか命中しない。フランツがパンツァーシュレッケを構えた。 「中尉、弾は五発です! 狙ってください!」 ドイツ兵がフランツに念を押す。「わかってるさ」と笑顔で答えるとフランツは横隊の真ん中に位置する戦車めがけて発射した。弾丸は見事に真ん中の戦車に命中して砲塔が吹き飛んだ。左右の戦車も吹き飛ばされた。それを見た市民から歓声があがった。 それを合図にして両翼に隠れていたサクートの率いるガントル族がボルマン軍に突撃を開始した。彼らは地面に潜ってボルマン軍を待ち伏せていたのだ。奇襲にあわてたドイツ兵が横隊を両翼のガントル族に向けるべく隊列を動かした。 「今だ! 撃て!」 ハルスの号令で城壁の市民が再び一斉射撃を行った。隊列が移動のため乱れたボルマン軍は次々と撃ち倒された。それでもうまく方向転換した横隊はガントルに向けてゲベールを一斉射撃した。ぱたぱたとガントルたちは倒れたが、それでも突撃をやめなかった。新たな弾を装填される前にガントル隊はボルマン軍の先頭の横隊に襲いかかり白兵戦を開始した。 今や、ボルマン軍もゲベールを捨て抜刀して迎え撃っている。ナイフを口にくわえたガントルが戦車の砲塔から内部に侵入して、動きのとれない戦車兵を血祭りにあげた。 「こんなショートレンジの戦闘じゃ撃てません! どうします?」 フランツはハルスに尋ねた。サクートのガントル隊は勇敢だが彼ら全軍で当たってもボルマン軍の第一線を白兵戦に巻き込んだにすぎなかった。 「よし! 行くぞ!」 ハルスは市民とレジスタンスを城門に集めた。片桐はハルスに続いて城壁を下りた。 「ハルス大尉、いったいなにを?」 片桐の質問にハルスは「愚問だ」と言わんばかりに髭面の笑顔を向けた。そしてワルサーを抜くと片手に抜き身の剣を持った。 「ナポレオンは自ら先頭に立って部下の士気を鼓舞したそうだぞ!」 片桐はハルスの作戦を悟って小銃に着剣した。訓練ではやっていたが、まさか実戦でやるとは夢にも思わなかった。武者震いが出るのを感じた。 城門から出たハルスとレジスタンスは横隊を組んだ。先頭はゲベールの部隊だ。片桐も先頭の列に加わった。ハルスが剣を天に振りあげた。訓練もしていないレジスタンスと市民が一歩一歩前に進んだ。 ボルマン軍もそれに気がついて、戦闘に参加していない部隊が横隊を組んで迎え撃とうとしている。 「ファイア!」 ボルマン軍の指揮官が号令した。ゲベール隊が一斉射撃をおこなう。数名のレジスタンスが倒れたが前進は止まらない。レジスタンスと市民は第二射も受けたがその歩みは止まらず、ボルマン軍と黒目が見えんばかりの近さまで進んだ。そこで前進をやめてゲベールを構えた。ボルマン軍は後列の横隊はすでに抜刀して白兵戦に備えている。 片桐はセレクターをフルオートにした。これで少しでも敵戦力を削っておきたいところだ。と、ふと横を見て片桐は銃を落とさんばかりに驚いた。彼の横には、いつの間にかゲベールを構えたステラがいたのだ。 「ど、どうしてこんなところに?」 片桐の質問にステラはゲベールを前方に構えたまま答える。 「わたくしも戦います。聖女であるわたくしが逃げたら戦いは負けです!」 「狙え!」 ハルスの号令が聞こえた。ボルマン軍も標準を合わせるが一斉射撃でも逃げないレジスタンスにかなり動揺しているようだ。銃口が上下左右に揺れている。 「それはわかりますが、なんでわざわざ一番前にいるんです?」 「わたくしは剣は苦手です。このゲベールの方が向いている、それだけです」 片桐とステラの問答が終わると同時にハルスの号令が戦場に響いた。 「ファイア!」 双方、ほとんど同時の一斉射撃だった。しかし、動揺の大きいボルマン軍の銃弾はほとんどが上方へそれた。反射的に恐怖を抱いて銃口を上に向けたためだ。 一方のレジスタンスはステラやハルスが一緒にいるという心理効果も相まって正確に敵を撃った。戦闘の隊列を指揮していた親衛隊の士官は額を銃弾で射抜かれて倒れた。慌てて下がった横隊に代わって無傷の抜刀した横隊が現れた。片桐はフルオートでその横隊をなぎ倒した。 「突撃!」 ハルスがワルサーを乱射しながら前進を開始した。彼の前にいた数名の抜刀した敵兵が倒れた。それに続いてレジスタンスたちも抜刀してボルマン軍に襲いかかった。片桐とステラも味方の後列に押されるようにして前進した。片桐は慌ててマガジンを交換する。 「ステラ! 俺の陰に隠れて!」 ゲベール以外武器を持たない彼女をかばうように片桐は先頭で剣を構えていた敵兵に必死に銃剣を突き立てた。もはや戦場は黒服のボルマン軍とローマ調の白い服を着たレジスタンスが入り乱れる大混戦となっていた。 たどり着いた戦車の影からのぞくと、後方にボルマンが無傷のゲベール隊に守られて自動車に乗っているのが見えた。副官と時折襲ってくるガントル隊を拳銃で撃っているのが見えた。 狙撃しようにも遠すぎる上、ゲベール隊の人垣で狙うことができない。 そこへサクート率いるガントル兵が襲いかかった。ゲベール隊は隊の中でも精鋭のようだ。落ち着いて第一掃射で半数近くの敵を撃ち倒した。サクートもワルサーで数名のゲベール兵を撃った。弾を込めたゲベール隊は再び一斉射撃をおこなった。 「サクート!」 片桐はサクートのガントル隊が彼を含めてすべて撃ち倒されたのを見て戦車から駆け出していた。 「ステラ! あなたはそこにいてください!」 彼女は彼の言葉を無視して後に続いた。片桐はそれに気がつかず、弾を込めている横隊にフルオートで銃弾弾を浴びせた。全弾撃ち尽くすと神業的なスピードでマガジンを交換し、指揮官の親衛隊大尉を蜂の巣にした。それを見たレジスタンスも剣を振りかざして片桐に続く。もはやボルマンと片桐の間には数十メートルの距離と数名の兵士しかいない。 「ここは任せてください!」 片桐の後に続いたレジスタンスたちが残った兵士に斬りかかる。片桐は片膝をつくとまず、彼に気がついた副官を三発で撃ち倒した。自動車の座席の上に立って片桐を狙っていた副官は後ろにはじき飛ばされた。 ようやく片桐に気がついたボルマンがワルサーを片桐に向けようとした。しかし、それよりも早く片桐はトリガーを引いていた。だが、いつもの心地よい振動が伝わってこない。 「なにっ?」 弾詰まりだった。慌ててコッキングレバーに手を伸ばすが、ボルマンは片桐に両手で構えたワルサーを向けた。 「八つ裂きにできないのは残念だが、わし自らの手で殺してくれるわ!」 間に合わない! そう思った片桐の頭上を何かが音を立てて通過した。そしてそれは、ボルマンの眉間を確実にとらえていた。ぼすっ! という感じでそれはボルマンの頭を撃ち抜いた。 ボルマンの体は座席に崩れ落ちた。目はすでに生気を失っている。片桐は自分の命を救った何かが飛来した方を振り返った。ステラだった。彼女の放った銃弾が間一髪、片桐を救ったのだった。 「やった! ステラ様がボルマンを倒したぞ!」 レジスタンスが叫んだ。その声は、次々と戦場に伝わり、今だ抵抗を続けていたボルマン軍もそれを聞いて次々と降伏した。 「片桐!」 ゲベールを放り出してステラは駆け出した。片桐は自分の命が助かった安堵でその場に座り込んだ。そこへステラが後ろから抱きついてきた。 「ステラ、いつもなら、無茶をするなと言ってますが、今度という今度はあなたの勇敢さに御礼を言わなければいけないようですね……」 「そんなことより、あなたは怪我はないのですか?」 後ろから抱きつくステラの顔を右手でなでながら片桐は自分の傷の有無を確認した。 「どうやら無傷のようですな」 ハルスとフランツが駆け寄ってきたときに、ようやく片桐は立ちあがることができた。このときになって初めて、ステラに対してかっこわるいと後悔する感情が生まれていた。だが、その自己嫌悪をステラ自身が一掃してくれた。 「片桐、あなたはなんて勇敢なの? たった一人で敵の三十人以上を撃ち倒したのですよ!」 「ステラ様! ご無事でしたか? ボルマンを自ら撃ったとはおみごとです!」 ハルスがステラに一礼しながら言った。親衛隊の迷彩服姿のフランツがサクートをおんぶしてやってきた。サクートは肩に銃弾を浴びているが生きていたのだ。サクートはフランツの背中で笑顔で叫んだ。 「これで戦いは終わった。ステラ様、片桐、あなたたちのおかげだ!」 「ステラ様万歳!」 彼らの周りに集まったレジスタンスと市民が口々に万歳を叫んだ。 「どうしても行くのですか?」 ガルマーニの広場には大勢の市民たち、ドイツ兵が集まっていた。その代表としてハルスがステラに質問した。ステラは彼女の愛馬の上でうなずいた。 「わたくしは古代ロザールの謎を求めているのです。この世界全部がこの都市のように平和になるために……」 「片桐三曹、君も同じ考えなのか?」 ハルスの質問に片桐も馬上でうなずいた。彼らは嘆願に集まっていたのだ。新たなこの街の指導者として、ステラにここに残って欲しいと。残念そうにハルスはため息をついた。それに続いてフランツが質問した。 「ステラ様! 何か必要なものはありませんか? 何でも用意します!」 必死に引きとめようとする元親衛隊中尉の顔を見てステラはやさしく微笑んだ。 「この都市の人々の、わたくしたちの旅への祝福だけで結構です。……ありがとう、フランツ中尉」 ステラの言葉にフランツは感激の涙をこぼしかけている。 「光栄です、ステラ様。なにか困ったことがあればいつでもおいでください。我々評議会が全力で、あなた様と片桐三曹を助けます!」 この街は当面、ハルス、フランツ、治療中のサクート。3名の合議で運営することになった。いずれ全市民の選挙で指導者を決めることになる。民主主義がまもなく産声をあげるのだ。 「ところで、どちらに向かうご予定ですか?」 ハルスの質問にステラが答えた。 「南です。当分は海沿いに進みたいと考えています」 その答えにハルスは少し表情を曇らせた。そして率直に意見を述べた。 「南ですか。お気をつけください。南にはクアド族がいるのですが、連中はちょっと妙な連中でして。ボルマンですら手を焼いておりました。とにかく変わった連中です」 ハルスの話だけでは大した手がかりは得られずに片桐たちは巨大都市ガルマーニを旅立った。市民たちやドイツ兵の別れを惜しむ声がいつまでも耳について離れないようだった。 砂浜をのんびりと馬で進みながら片桐はステラを見つめていた。その視線に気がついたステラは少し頬を赤らめながら片桐を見つめ返した。 「ステラ、あなたといると本当に楽しい。新しいあなたを発見する楽しみが満ちているのですから……」 「あら、わたくしのどのような部分を新たに発見したとおっしゃりたいのです?」 片桐は愛馬のセピアをぐっとローズに近づけた。そしてステラの腰に手を回した。 「なかなかあなたの戦いぶりは男勝りでしたよ。元の世界の自衛隊でもあなたみたいな男まさりの隊員はなかなかいませんよ」 ステラはその言葉に頬を膨らませた。 「失礼な人……」 片桐の言葉にすっかりやられたステラは顔を真っ赤にした。これだけ見ると本当に、あの勇敢な聖女の面影はまるで感じない。そう思って片桐がより強くステラを抱き寄せようとしたときだった。 「うっ」 片桐の左腕に激痛が走った。見ると矢が左腕のチョッキのない部分に突き刺さっている。本能的にそれを抜こうとするが力が入らない。目の前がぐるぐる回り始めるのがわかった。 「片桐! 片桐……しっかり!」 ステラの声が子守歌のように聞こえた。そのまま愛馬から落ちると片桐は意識を失った。 第三章 異世界のサムライ 片桐はゆらゆらと不規則に体を揺すぶられる不愉快さで目を覚ました。目を覚ましてすぐに愛しいステラの顔が目に入り、ほっと安堵のため息をつくが、すぐに自分の視界の異常さに気がついた。 片桐とステラは、二本の棒に手足を縛られていた。そして罠にかかったイノシシのようにさかさまにつるされて連行されているのだ。 そしてそれを担いでいる連中はおよそ、クアド族でもガントル族でもなかった。彼らはアンバッドのように見えるが、体格は人間に近かった。しかし、体中に毛が生えていて、男女の差を識別するのも困難だった。 そのかわり、彼らの持つ武器はアンバッドよりも文明人にいくらか近かった。斧や槍は研磨された石でできており、縄で木の枝に結ばれていた。そして、彼らの腰にはパチンコのような武器が納められていて、飛ばす石をしまうのであろう、木で編んだかごが彼らのベルトに吊されていた。 「片桐、気がつきましたか?」 ステラに声をかけられて片桐は彼らの観察をやめた。どうやら彼女は無傷のようだが、手足は片桐同様逆さに縛られており、彼女の革の靴は脱がされ、裸足のまま縛られていた。だが、彼女の装飾具などはそのままだった。それに、片桐のブーツは脱がされておらず、彼らは靴ひものほどき方を知らないことが想像できた。 「彼らはあなたの拳銃も奪っていません」 ステラの言葉に自分の腰を見てみた。たしかに彼女の言う通り、片桐の腰に納められたシグザウエルはそのままだった。 「しゃべる、だめ! だまる!」 二人を担いでいた猿人が片言の言葉を発した。どうやら文化レベルはかろうじて理解可能な言葉をしゃべるだけ、アンバッドよりは上のようだ。 「どこに連れて行く気だ?」 片桐の言葉にその猿はきっと牙をむきだして威嚇した。 「しゃべる、だめ! だまる!」 その返答は交渉の余地のないことを示しているようだった。 二人を捕まえた猿人たちは、海岸から一時間ほど歩いた森に囲まれた岸壁で行進をやめた。よく見ると、岸壁のあちこちに横穴の入り口が見えた。彼らは洞窟を住居としているのがわかった。 大きな洞窟の前で片桐たちは縄をほどかれた。その洞窟から、ひときわ大きな猿人が顔を出した。周りの連中の言葉から酋長であることが想像できた。酋長は片桐とステラを交互に見ると、片桐の持っていた八九式と、ステラの持っていたガルマーニ製のゲベールを交互に見た。使い方がわからないようで興味なさげにそばの洞窟に放り投げた。 酋長は片桐たちを先ほど、彼らの武器を放り投げた洞窟に監禁するように命じた。たちまち、二人は後ろ手に木の蔓で縛られて洞窟に放り投げられた。その入り口を大きな石を積んでふさいでいく。すっかりそれをふさぐと猿人たちは見張りもつけずに去っていった。 「さて、ステラ。この状況は幸運ですよ」 「同感ですわね」 片桐の言葉にすぐさま応えたステラはお互い後ろ手に縛られた固い蔓を確認した。太い蔓だがいいかげんな結び方をしている。 「かみ切りましょう。まずは俺の蔓をかみ切ってください」 ステラは横たわって片桐を縛る蔓をかみ切ろうとした。実際蔓は太いが結び方がいい加減で大した苦労もなく彼は自由になった。そして次は彼女の番だった。 「さあ、でかけましょう」 自由を求めて焦るステラを片桐は制した。まだ日は高く、見張りはいないが今脱走すると失敗する可能性が高かった。なにより、彼らにはその威力が未知数の飛び道具があった。しかも毒矢まで所持している。 「ではもう少し待つのですね?」 「その通り……」 片桐は不安がるステラを抱き寄せた。元気そうな片桐を確認してステラは彼の胸に顔をうずめた。 「あの矢であなたが撃たれたときにはわたくしは、絶望しました。あなたは死んだと思っていました」 「幸い、あれは獲物を眠らせるための毒矢だったようですね」 ステラを抱きしめながら片桐は説明した。自分たちを吊したあの方法といい、毒を用いても殺さない方法。彼の導き出した答えはただ一つだった。 「やつらは、俺たちを食うんです。今夜の晩餐あたりで。だから日が高いうちは安全なのですよ」 「では、今逃げないと」 そう言ってあわてるステラの唇に指を当てて片桐は彼女を黙らせた。 「夜まで待ちましょう。そしてここから抜け出して馬を見つけて……」 ここで片桐は言葉を止めた。彼らの愛馬を見かけていないことに気がついたのだった。それに気がついてステラが言葉をかけた。 「ローズとセピアは逃がしました。きっとあの海岸まで行けば見つかるはずです」 それを聞いて片桐は安堵のため息をついた。あの賢い愛馬を失うのは旅の行く末を考えると、絶望的なような気がしていたのだ。 集落ではたき火を囲んで宴会が始まっていた。積み上げられた岩の透き間から片桐がのぞき込むと、酋長を囲んで車座に、猿人どもが踊っている。 「どうやら我々はメインディッシュのようですな」 お世辞でも上手とは言えないジョークにステラは身震いした。それを見て軽く苦笑すると片桐は再び外の様子に目をやった。一匹の猿人がこっちに向かってくるのが見えた。どうやら、メインディッシュの時間のようだった。 「さあ、いよいよです」 片桐は洞窟の奥まで後退した。ステラがゲベールを構える。猿人たちは彼らに理解できなかった二本の棒がどんなものかをまもなく知ることになるであろう。猿人は二人を逃がさぬように積みあげた石垣を乱暴に壊すと洞窟にずかずかと入ってきた。彼らが何か持っているのをさして気にしていないようだ。 「こい! こい!」 猿人が手招きした。それに答えてステラがゲベールを猿人の心臓めがけて発射した。彼女の放った弾丸は見事に猿人の心臓を撃ち抜いた。ポルの力で発射するゲベールはほとんど銃声が聞こえない。 「さあ、行きましょう!」 片桐はステラの手を取って洞窟を抜け出した。片桐たちには全く気がつく様子がなく宴会を続けている。二人が森に入ってようやく異変に気がついたようだ。口々に醜いわめき声をあげているのが聞こえた。 「急いだ方がよさそうですね」 「同感ですな」 二人は森を海岸に向かって駆け出したが、背後から猿人が迫ってくるのが気配と、あのどう猛な声でわかった。片桐は振り返って暗闇に無数に光る不気味な目に向けて八九式の五・五六ミリ弾を続けざまに発砲した。どれだけ命中したかはわからないが、連中の叫び声が少し遠のいた気がした。 片桐が撃たれた海岸まで出てきたが、愛馬の姿が見えなかった。猿人の叫びは徐々に近づいてくる。とりあえず、片桐はステラを砂浜にぽっかり顔を出した岩に隠れさせ、自分も隣にしゃがみこんだ。 「盛大にやってきますな」 片桐は銃をチェックして森に向けて構えた。予備の弾薬は彼の愛馬が背負ったままだ。今の彼にはチョッキのポーチにしまっている数本のマガジンしかない。ステラが片桐の腕を掴んで言った。 「前にもお願いしましたが、もはやこれまでというときは、わたくしを撃ってください。少なくとも、あの猿人たちにローストビーフにされるのだけは免れますから……」 「その件は考えたくないですな。とにかく、一緒に脱出するんだ」 森から猿人たちが現れた。片桐は先頭の猿人を三発でしとめた。後続の猿人があのパチンコを片桐に向けて発射した。 びしっ、という音ともに彼の隠れた岩に命中した。かなりの威力だということが音だけでもわかった。 今や猿人たちは片桐の銃撃に犠牲を出しながらもじりじりと二人の隠れる岩に接近していた。 すでに二本のマガジンを撃ち尽くしたがいっこうにその進撃は止まることはない。さすがに、片桐も絶望を抱きつつあった。しかし、愛するステラをいくら彼女の願いとはいえ、手にかけることだけは想像したくなかった。 「ぎゃああ!」 そのとき、片桐たちに迫った猿人の一団がばたばたと倒れた。猿人が少しうろたえて周囲の様子をうかがっている。そうしているうちにさらにもう一団の猿人が撃ち倒された。今や猿人は別の方向からの奇襲に怯え始めているのがわかった。 「片桐、あれを!」 ステラの声に片桐は砂浜の向こうを振り返った。暗くてよくわからないが一団の兵士が、ゲベールらしき武器を猿人に発射しているのが見えた。その後方にも兵士たちが整列しているのが見えた。そして、次の瞬間に聞こえた動物の鳴き声を聞いて片桐は身震いがした。間違いなく、興奮した馬のいななきであった。しかもかなりの数だ。 「行くぞ!」 指揮官らしき人物の声を合図にその騎馬隊は突撃を開始した。暗闇でも彼らの武器が細身の槍であることがわかった。猿人たちが彼らに例のパチンコを撃つのが見えた。片桐はそれを撃とうとする猿人に射撃を浴びせた。 騎馬隊の突撃にすっかり戦意を失った猿人は我先に森に逃げ始めた。突然現れた救世主の存在を黒髪の聖女様は半信半疑といった様子だ。 「わたくしたち、助かったのでしょうか……?」 「少なくとも、バーベキューにはならなくてすみそうですね」 暗闇の中、一騎の兵士が片桐たちに近づいてきた。自衛官は立ちあがっていつでも八九式を撃てる状態にした。だが、月明かりがその兵士を照らしたときに、彼は銃を撃つことを忘れていた。 それは騎馬武者だった。日本式の甲冑に身を固め、兜をかぶり、穂先の鋭い槍を持っている。騎馬武者は下馬すると歩いて片桐に歩み寄った。 「貴殿もご婦人も、ご無事でなによりでした。あの猿人どもは最近は数こそ減ったものの大変どう猛だ」 そう言いながら騎馬武者は兜を脱いだ。黒髪の長髪を束ね、その顔は日本人とも、クアドともつかなかったが、二十歳前後に見えた。そして日に焼けたその顔はどの時代劇俳優よりも整っていた。 映画の世界から飛び出してきたような若武者はさわやかな笑顔を浮かべてさらに言った。 「私は、富田竜之助才蔵。富田家の棟梁です。あなたがたは……、ガルマーニから旅立ったご一行ですな」 才蔵と名乗る若武者は礼儀正しく頭を下げた。 「自分は日本国陸上自衛隊、片桐三曹です」 「ほお……」 片桐の挨拶に才蔵は目を細めた。少なくとも嫌悪からではないことがわかった。 「貴殿は日本人ですか? 伝え聞くバテレンの様な格好をしておるが、名前も日本人の名だ」 才蔵はステラに視線を映した。彼女も片桐に続いて名前を名乗った。 「おお! ガルマーニのバテレンを打ち破った北の森の聖女ステラ様ですか……! 草から話は聞いております。では、片桐殿はその聖女様の……、つまりよろしい間柄の異世界人ですな!」 才蔵は「草」とやらから、片桐とステラがガルマーニから出発した時から報告を受けていたようだ。そして、この海岸で猿人に拉致されたことを知って軍勢を率いて救助に赴くところだったらしい。 「あなたがたの馬は私たちの村にいます。さあ、ご案内しましょう」 才蔵は身をひるがえすと颯爽と馬に飛び乗った。 才蔵の村は海岸にほど近い丘の上にあった。やはり外壁が周囲を囲んでいたのは他の都市や集落と同じであったが、その内部は少々違っていた。その光景は少なくともステラには感動に似た驚きを持って受け入れられたようだ。 「ここは、なんてすばらしい村なのでしょう!」 緑豊かな丘の上の村は適度に距離を置いて家々が存在し、その家々も藁葺きの質素だがしっかりしたたたずまいを見せていた。 女たちは畑仕事に精を出し、その周囲の外壁では男たちが槍を携え警戒している。 「我が祖先から受け継いだ村です。お気に召しましたか?」 馬から降りた才蔵がステラの横に並んであちこち説明していた。片桐はこの村の様子を知っていた。少なくとも、映画の中では知っていた。働いている村人こそ、この世界のクアド族とガントル族だが、村の運営や家々の作りは間違いなく、時代劇の世界だった。そして今、才蔵に続く多くの部下の格好もそうだった。 片桐とステラを窮地から救ったゲベール隊は編み笠に似た帽子をかぶり、その指揮官は才蔵と似た甲冑を身につけている。騎馬隊の持っている細身の槍は時代劇で見る、独特の細い槍だった。歩兵も甲冑に長槍を持っている。 戦国時代……。片桐が持った第一印象だった。 「さあ、こちらへ!」 才蔵は村の中でもひときわ大きな屋敷に片桐たちを案内した。日本風の邸宅だが、片桐が懐かしいと思うそれではなく、やはり武家屋敷を思い起こさせる造りだった。しかし細部にはこの世界の建築様式が取り入れられ、はなはだ実用的に見えた。 片桐たちと才蔵は玄関で別れた。そこから先は、才蔵と同じく、クアド族っぽいがそうではない武士に案内されて、大きな板の間の広間に通された。 粗末だが、座り心地のいい座布団を与えられ。2人は床に座った。案内役の武士は広間の一団高い部分のすぐそばに座った。 「いや、お待たせして申し訳ない」 さっきまでの甲冑姿ではなく、才蔵は見るも鮮やかな和服姿で再登場し、部屋の一段高い部分に座った。どうやらここが上座のようだ。 「こっちはいとこの弥太郎です」 才蔵のそばに控えた武士が頭を下げた。片桐は時代劇の世界に投げ込まれたようで呆然としていた。それを見て才蔵はにこやかに言った。 「我ら富田一族は四百年前にこの世界に流れ着いたのです。この世界のことは片桐殿よりは少々は知っています」 才蔵は、富田一族のいきさつを語った。 天正二年。才蔵の祖先は信濃の国の豪族だった。信濃は当時、武田、織田、徳川の列強の最前線だった。 富田一族は、織田、徳川に荷担すべく出陣したが、留守役の家老の反乱で居城を失い途方に暮れていた。兵士たちと彼らに同行した少数の女性は山道をさまよううちに、いつの間にかこの世界に到着していたそうだ。 運命を悟った富田一族は現地の人々と共にこの地を開拓し、猿人たちの脅威からその武力で自衛した。時は流れ、クアド族との混血が進み今に至っているそうだ。才蔵の祖先が率いてきた武士たちで、直系で祖先の血を引くのは棟梁の才蔵といとこの弥太郎だけだという。 「で、片桐殿は日本からいらしたのでしょう? 日本の話をお聞かせください」 その言葉に片桐はいささか躊躇したが、知っている限りの日本の歴史を教えた。 「で、では今の日本には武士はいないというのか?」 片桐の話を聞き終えた弥太郎がうろたえながら言った。片桐は無言で頷いた。弥太郎は納得行かない、という表情をしていたが才蔵がそれを目で制した。 「ははは! よいではないか! 異世界で生まれ育った我々が文字通り、最後の武士という訳なのですか?」 才蔵は一通り笑うと片桐を見据えた。 「だが、武士は頑固者でも回顧主義でもない。この世界で生き抜き、すばらしい領地とすばらしい民を得ている。片桐殿の言う、文明開化もすばらしいが、この世界では我らの生き方も成功例であると認めて欲しい」 若き棟梁の意見に片桐は少しも異論はなかった。それを認めた才蔵は上座から立ちあがって片桐に歩み寄った。そしてその手を取った。 「我、終生の友を得たり! 片桐殿、あなたの率直な人柄、猿人に立ち向かう勇敢な様、才蔵、恐れ入りました。どうか、我が友になっていただきたい!」 「こ、光栄です……」 片桐がどうにか答えたときだった。胴丸を身につけたクアドが縁側の外に跪いた。 「申し上げます! 猿人どもが開拓地に現れました!」 「よし、すぐに行く!」 開拓地とは、丘を下って森を切り開いた畑だった。そこを猿人が襲ったのだ。才蔵たちが出発した後、そのことを聞いた片桐はステラと共に現場に向かった。小高い丘から見下ろす開拓地には猿人たちが侵入していた。 「おまえたちの好きにはさせぬわ!」 猿人の中にいきなり才蔵が斬り込んでいくのが見えた。後に弥太郎や数名のクアド族の兵士が続いた。手にはゲベールがあるが、それを発射すると才蔵に続いて斬り込んだ。 「ああ、無謀です!」 ステラの意見に片桐も同感だった。しかし、急いで彼が八九式のマガジンをチェックする間に才蔵は次々と猿人を斬り倒した。彼の手には細い日本刀しか見えない。 才蔵の動きにまったく無駄はなかった。目の前の猿人を袈裟懸けに斬って、返す刀で横の猿人を斬りあげた。さっと後ろに飛び退いたかと思うと間合いを取って後ろの猿人を上段から斬り倒す。 「あの方の戦いぶり。美しいようにすら見えます……」 思わずステラがつぶやいた。確かに、片桐も反論はしなかった。才蔵はまるで舞を舞うかのように敵を斬り伏せていた。ふと、才蔵は丘の上から戦況を見守る片桐とステラに笑いかけたように見えた。 その隙をつかれたのか、才蔵の真後ろの猿人が彼の背中を蹴った。彼がいとも簡単にうつぶせに倒されるのを片桐は見逃さなかった。 「ステラ、ここにいてください!」 そう叫ぶと片桐は小銃を構えて丘を駆け下った。間に合えばいいが、弥太郎もその部下も自分の眼前の敵に手がいっぱいのようだ。片桐は八九式のセレクターをセミオートに切り替えて才蔵を蹴った猿人を撃った。 生命の危機を脱した才蔵が片桐をうれしそうに見た。それに答える余裕もなく片桐は目に付いた猿人を片っ端から撃ち倒した。十を越える死体を見て、猿人は森に逃げ帰った。 才蔵は刀を片手に立とうとしていた。片桐は黙って手を差し出した。 「片桐殿……、借りができましたな」 「友というのは貸し借りもないものでしょう」 才蔵は片桐の言葉に満面の笑みを浮かべると彼の手を取った。片桐はこの才蔵という男が好きになりかけていた。現代の日本人がなくしかけている礼節や責任感、人情を彼は持ち合わせている。自分よりも年下でしかも、異世界で生まれ育った彼に、日本人の原点を見たような気がしたのだ。 片桐とステラのために才蔵の屋敷でささやかな祝宴が催された。才蔵に弥太郎、主だった家臣が集まって無礼講の祝宴だった。片桐が驚いたのは、まず乾杯で出された酒だった。 「これは?」 びっくりする片桐に才蔵がうれしそうな反応を示した。 「驚いたでしょう? 酒はこっちに来られてからはありつけなかったでしょうからな」 間違いなくその味は日本酒だった。片桐の反応に満足した才蔵は、ぱんぱんと手を叩いた。そこへ、ガントルが素早い動きで現れた。 「これが草のバートスです」 バートスと呼ばれたガントルは一礼した。 「片桐殿、みんなにお国の話をしてもらえないでしょうか?」 才蔵に頼まれて片桐はちょっと迷った。迷う彼をいつになくご機嫌なステラが後押しした。 「そういえば、わたくしもよく聞いたことがありませんでした。いい機会だから是非聞かせてください」 片桐は福岡の話をした。福岡タワーに福岡空港。都市高速を車で移動する人々。天神のビル街……。彼の決して上手ではない説明に一同はただただ驚くばかりだった。 「すばらしい!」 一通り話し終わると一同から驚嘆の声が続々とあがった。才蔵も満面の笑みで片桐を見た。彼の戦いの時の表情と、今の表情は全然違っていた。今はやさしい棟梁として楽しむ部下を笑顔で見守っている。片桐はいつのまにか、その雰囲気に酔いしれ眠り込んでしまった。 数時間ほどして片桐は別の間の布団で目を覚ました。板で作られた引き戸をろうそくが照らしている。 「いつの間にか寝てしまったらしいなあ……」 ひとりごちながら起きあがった。そこへ足音が聞こえて片桐のいる部屋の前で止まった。 「では、片桐殿にもよろしくお伝えください」 「はい。では」 才蔵とステラだった。よく耳を澄ますと遠くでまだ盛りあがっている家臣たちの声が聞こえた。才蔵らしき足音が遠ざかると、板の引き戸が開いた。ステラが入ってきた。 「あら、目が覚めまして……」 笑いながら片桐の枕元に腰掛ける。彼女もだいぶん飲んだようだ。顔が少し紅潮している。 「ええ、昔はもっと強かったんですがね……」 枕元に用意された水を飲み干しながら片桐が言った。ステラはそれを聞いてふふっと笑った。 「才蔵様が言っておりました。片桐殿は久しぶりの美酒でよく眠っておられるって。あの酒はこの村の自慢だそうですわ」 確かに、最高の酒だった。そして最高の宴席だった。その最高の酒で顔を上気させたステラは上機嫌で言葉を続けた。 「才蔵様はすてきな方ですわ。あの戦いの見事さはヌボルを探しても右に出る者はいないでしょう。それにあの優しいこと。村人を見ていればよくわかります。きっとあの方のご先祖様はさぞや立派な方だったに違いないでしょう」 それには片桐も同感だった。まったく異論を挟む余地はない。しかし、自分の恋人によその男を手放しにほめる言葉を聞かされるのはあまり心地のいいものではない。 「そうですね……」 知らず知らずのうちにぶっきらぼうな態度をとる片桐の返答にステラはなおも言葉を続けた。 「あら、お友達のことというのにやけにぶっきらぼうではないですか? 才蔵様なら片桐の話をすれば、そんなことはきっと言わないはずです」 その言葉に酒の勢いもあって片桐は思わず起きあがってステラに言った。 「才蔵は確かにいい友人です。しかし、あなたの口からそれを必要以上に聞くのはあまり好きではありませんな」 ほろ酔い加減のステラは片桐の言葉を聞いて、いたずらっぽい笑顔を浮かべた。どうやら片桐に負けずにだいぶ、酒が入っているようだ。 「片桐、もしかして嫉妬しているのですか?」 「嫉妬?」 まだ残っている酒の勢いも手伝って片桐は完全に布団から起きあがっていた。 「俺が才蔵殿に嫉妬? ばからしい! そういうあなたこそ、才蔵殿をちょっといい男だなってくらいに思ってるんじゃないですか?」 今度は片桐の言葉にステラが立ちあがる番だった。 「なっ! わたくしが才蔵様に恋しているとでも? それこそばかばかしいことです!」 「彼はさぞや立派な家柄ですからねえ……。お似合いじゃないですか?」 まさしく、絵に描いたような売り言葉に買い言葉だった。片桐の言葉にステラの頬は酒の影響以上に真っ赤になった。 「あなたがここまで失礼で狭量な人とは思いませんでした! あなたとは口も聞きたくないです!」 片桐は銃を持って防弾チョッキを着ると引き戸を開けて縁側に出た。自分のブーツを見つけてひもを結び始めた。 「ようやくお互いの意見が一致しましたね!」 ブーツを履いて片桐は捨てぜりふを吐いて引き戸をぴしゃっと閉めた。 「片桐のバカ!」 引き戸の向こうでステラの怒鳴り声が聞こえた。それを無視して片桐は歩き出した。歩いて夜風に当たっているとだんだん冷静になっていく。 「あああ、なんてこと言っちまったんだ」 そうは思っても今更戻ることはできない。彼にも意地があった。一大決心をして異世界に残ったただ一つの理由はステラだった。その当人からいくら、好人物とはいえ才蔵を手放しにほめする台詞をあれだけ聞かされるのは男としてのプライドが許さなかったのだ。 「片桐殿……」 声をかけられて片桐はうつむいていた頭をあげた。いつの間にか、屋敷の門の近くまで歩いてきていたのに初めて気がついた。そして声の主は門の柱に寄りかかる才蔵であることもわかった。 「才蔵殿」 「ステラ様と派手に喧嘩されておったようですなあ」 才蔵は高らかに笑った。片桐は返す言葉もなかった。棟梁は全部知っているのだ。 「私の態度が、あなたの感情を傷つけたのならお詫びします。」 才蔵の言葉に片桐は恐縮した。しかし、こんな時の男の気持ちを打ち明ける相手は、高崎士長が向こうに帰ってしまった今では彼以外にいないような気がした。ことのいきさつを聞いた才蔵は大笑いした。 「ははは! 四百年たっても男女のいさかいの原因はあまり変わらぬものですな!」 あまり笑いすぎるのも片桐に失礼と思ったのか、ひとしきり笑って肩をすくめると才蔵は門を開けた。門の外にはいつの間に用意したのか、彼の愛馬、セピアが待っていた。 「いや、笑いすぎて申し訳ない。だが、私の愛する女性が私に向かって、あなたのことを手放しにほめる話を延々としていたら、私もきっと同じ気持ちになったでしょうな……。さあ、こんな日は馬にでも乗って頭を冷やすのが一番です。ここから半里のところに村があります。その村の酒場の酒は絶品ですぞ!」 片桐は自分より年下である才蔵の心の広さに感服するばかりだった。自分のことが原因で始まった客人の喧嘩をこんな形でフォローするとは。やはりそれは棟梁の資質がなせる技なのだろうか。愛馬にまたがりながら片桐が言った。 「せっかくですから才蔵殿もいっしょにどうです?」 「私は棟梁です。この村を勝手に離れるわけには参りません。ステラ様には私から明日の朝にでも言っておきましょう」 片桐はその言葉に甘えることにした、今更、怒り心頭のステラのいる部屋には少なくとも今夜は戻れそうにないし戻りたくなかった。 「では、いってらっしゃい!」 そう言って才蔵は片桐の愛馬の尻を叩いた。賢いセピアはゆっくりと走り始めた。才蔵は笑顔で片桐を見送った。もはやあの笑顔にはかなわいな。そう思わずにはいられないほどの聡明な笑顔だった。片桐は、この世界で得た初めての「親友」の気遣いに感謝しながら、隣村へ出発した。 才蔵の教えてくれた村はガントル族の村だった。村の門はすでに開かれていて、まるで片桐の到着を待ちかまえているようだった。その理由は彼が村に入って馬をつなげたときにわかった。 「片桐様……」 バートスだった。いつの間にか村の入り口に立っていた。才蔵の優秀な「草」は好奇心いっぱいの笑顔で片桐を迎えた。 「聖女様と大喧嘩して居場所がなくなってここに来そうですねえ。才蔵様のご命令で門を開けておきました。ステラ様はかんかんでしたよ。では俺は才蔵様に無事、あなたがここに到着されたことを報告に帰ります」 そう言ってバートスは村の外の暗闇に消えた。片桐は村を見回した。集落の奥に明かりがともった家が見えた。あれがどうやら、才蔵おすすめの酒場のようだった。 「らっしゃい」 ドアを開けるとクアド族のマスターがカウンターに立っていた。客はみんな地元のガントル族のようだった。片桐はカウンターの空いた席に座った。 「今のあんたにはこれがいい」 マスターは片桐の前にショットグラスに似たコップに満たされた液体を出した。 「バートスから何か聞いてるのかい?」 片桐の問いにマスターは笑った。どの世界でもこの手の商売をしていると人間の心理がある程度読めるようになるらしい。 「なにも聞いちゃいません。あんたの顔でわかる。おおかた女と喧嘩したんでしょう? そんなときはこいつが一番ですからね」 片桐はそのグラスの中身を一気に飲み干した。ウイスキーに似た味だった。確かに、イヤなことを紛らわすときにはうってつけの酒だ。片桐は続けざまに三杯それを飲んだ。 「異世界の人、なかなかやるな!」 「女のことなんか忘れちまえ!」 常連客のガントル族と意気投合して片桐は明け方近くまで飲み続けた。 片桐は酒場の固いソファーの上で目を覚ました。痛む頭で周りを見回すと、常連のガントルも、マスターも眠りこけている。密閉された室内は酒臭いことこの上ない。片桐はカウンターで眠っているマスターを起こした。 「ん? なんです」 「勘定をしたい」 そう言って片桐は防弾チョッキのポケットからステラと半分ずつ分けた金を出した。それを見てマスターは飛びあがった。 「こんなにいただけません! 四十サマで結構です!」 マスターは片桐が出した金色の貨幣を受け取ると銀色の貨幣を六枚返した。よく見てみると彼が持っている貨幣は三種類の色があった。金銀銅。オリンピックのメダルと同じだった。 百サマは金色一枚。銀色は十サマ。銅色は一サマだった。片桐はお釣りを受け取るとドアを開けた。 「異世界の方!」 マスターが声をかけた。 「愚痴はここで言うだけ。惚れた女に逃げられちゃ元も子もないですよ!」 笑顔でマスターに手を挙げると片桐は店を出た。彼に言われるまでもなかった。彼女のところへ帰ろう。彼女も酔いがさめているはずだ。冷静に話せば仲直りできる。そう確信していた。 片桐は門のところまで歩くと馬の準備を始めた。今は一刻も早く才蔵の村に戻ることだけを考えていた。そこへ、村の外から一人のガントルが息を切らせながら走ってくるのが見えた。 「たいへんだ!」 そのガントルは叫びながら村の門をくぐった。騒ぎを聞きつけた村人がぞくぞくと集まってきた。息を切らせながらガントルは村人に差し出された水を飲み干すとようやく話し始めた。 「才蔵様の村が猿人に襲われた! 村人も家畜も捕まって森に連れていかれちまった!」 この報告に村人がざわめいた。 「まさか、才蔵様の村が?」 「最近奴らも知恵を付けてきていたから……」 しかし、誰よりもその報告に衝撃を受けたのは片桐だった。彼はようやく呼吸の整ったガントルにつかみかからんばかりの勢いで質問した。 「才蔵殿は、北の森の聖女はどうなったんだ?」 ようやく呼吸を整えたガントルは片桐の勢いに咳をこらえながら言った。 「俺が見たのは空っぽの家といくつかの猿人の死体だけだ! 猿人は捕まえた捕虜は森に連れ帰って食べるんだ!」 それを聞き終わらないうちに片桐は馬に飛び乗り、才蔵の村目指してダッシュで馬を走らせていた。そして馬上で自分を責めていた。夕べあんなことで腹を立てないでいれば、ステラや才蔵を守れたかもしれない。そう思うと自分に対して腹が立って仕方がなかった。その怒りをぶつけるように片桐は馬を走らせた。 村は見事に奇襲されたようだった。美しかった家々は燃え、あちこちに猿人の死体が転がっている。奇襲されたとはいえ、武士団もかなり抵抗したようだ。 片桐はまっすぐ才蔵の屋敷に向かうと、ステラの部屋の引き戸を開けた。中は無人だった。夕べ自分が寝ていた布団と、傍らには彼女のゲベールがあるだけだった。 「くそっ」 屋敷中を探し回ったが人っ子一人いないようだ。最後に見回った大広間で、やっと片桐は人を見つけた。 「片桐殿ではないか……」 弥太郎だった。足を怪我して動けないようだった。片桐はチョッキの救急医療キットを出して彼の手当を始めた。 「明け方、急に猿人が襲ってきたのです。今までにやつらが夜襲をするなんてなかったので我々は無防備でした。たちまち、村人も才蔵様も捕まり、ステラ様も……。私は奴らに足をやられて気を失ってしまいました。それでここに残されたわけです」 「で、やつらはみんなをどこに?」 片桐の質問に弥太郎は苦悶の表情を浮かべながら答えた。無理もない。止血のために片桐が彼の股を強く縛っていたのだ。 「奴らは今までの洞窟では捕虜を養いきれないようで、さらに森の奥に連れていくと言っていました……。片桐殿! どうか、才蔵様を助けてください!」 「もちろんです。彼は俺の大事な友人です!」 その言葉に弥太郎はようやく安堵の表情を浮かべた。 「それから、ステラ様は連れ去られる寸前まであなたのことを心配しておられました。どうか! ご無事で!」 弥太郎の手当を済ませると片桐は愛馬に飛び乗った。一気に森を抜けて海岸まで出ると、再び森に入った。手綱を操りながら小銃をチェックした。 「絶対、助ける!」 自分の決心を声に出して確認するように片桐はさらに愛馬のスピードを速めた。 森に入ってしばらく馬を飛ばした。もうすぐ片桐とステラが先日連行された岩穴があるはずだ。いったん馬を降りて、そばの木につなげた。馬につなげたバックパックから、サイレンサー付きステンSMGを取り出した。派手な銃声をたてる八九式よりこっちの方が猿人に見つかりにくいと考えたのだ。 「やはりな……」 屋敷に残された弥太郎の言うとおり、猿人はすでに引っ越した後だった。いくつかの槍や、斧が散らばっているだけだ。片桐はいくつもある洞窟を探したが、やはり猿人も捕虜の姿も探すことはできなかった。しかし、これで安心できる状況であることもわかった。 クアド族の死体がないことから、まだ少なくとも捕虜は殺されていないということだ。きっと奴らは引っ越し先を整理して腰を落ち着けてから捕虜を食料にするだろう。 と、片桐のやってきた反対側の森の入り口に比較的広い獣道を見つけた。踏み倒された草がまだ新しい。猿人はここを通って引っ越し先に向かったようだ。片桐は馬に飛び乗ると猿人の残してくれた道しるべを頼りに追跡を開始した。 「すぐに追いつけるはずだ」 猿人は徒歩の上、大勢の捕虜を抱えている。そんなに早く移動はできないはずだ。 翌日、片桐はついに猿人に追いつくことができた。彼らの引っ越し先はやはり、森の中の岩棚だった。今度の引っ越し先は前のところよりも遙かに広く、多くの洞窟を持っていた。さながら蜂の巣のように岩山のあちこちに洞窟がある。片桐は木陰に隠れて双眼鏡で様子をうかがった。 後ろ手に縛られてつながれた捕虜が岩山のてっぺんにある洞窟に次々と放り込まれていく。 その中に才蔵とステラの姿を見つけて思わず安堵のため息をついた。猿人は捕虜を閉じこめると石垣を作って洞窟をふさぎ、見張りをつけた。 いくつかの教訓を多少は学習しているようだ。そして数名の猿人が村人から奪った武器を別の洞窟にまとめて放り込んだ。 「こりゃ、巨大なマンションだな……」 思わず、見上げた片桐の前方には百メートル近い高さの岩山がそびえている。そこに点在する洞窟のてっぺんが、数百名の捕虜の牢獄だった。数名の見張り。残った猿人は中腹から麓にかけての洞窟に入って自分のすみかを整えている。一団の猿人は村から連れてきた馬を近くの木に縛り付けていた。猿人の数はざっと見積もっただけでも三百名近い。 「こいつは大仕事になりそうだ」 片桐は猿人たちの新居をいったん後にした。大仕事には準備もいろいろと必要だからだ。 夜を待って片桐は行動を開始した。気合いを入れるために顔に靴墨を塗った。背中に八九式小銃を背負い、手にはステンSMGを持った。昼間偵察した地点まで前進するとそこに発煙筒を仕掛けた。 そしてその周囲にドイツ兵から分けてもらった手榴弾を二十個ほど、木にくくりつけ、ワイヤーを張って罠を作った。これでかなりの数の猿人を戦闘不能にできるはずだ。 次に愛馬のバックパックから持ってきた携帯用の赤外線暗視装置を取り出すとそれを早速装着した。システムチェックを行うが、まともに作動してくれているようだ。片桐は今一度、猿人たちの様子をうかがってみた。例によって麓の平地でたき火を囲んだ宴会を始めている。 およそ三百名の猿人は見張りの数名を残して踊り歌っているようだ。それは少なくとも片桐にはそうは聞こえなかったが、彼らにとっては心地よいのだろう。体の大きな酋長は上機嫌に手を叩いている。 「さあ、猿どもめ。パーティの余興だ」 意を決した片桐は発煙筒に点火した。トラックから持ってきた発煙筒は数秒してから赤い炎と白い煙をあげ始めた。それを確認するとすばやく森の中に姿を隠した。すぐに猿人たちはその炎に気がついた。口々に何かわめいているが、酋長の命令でたき火の周りにいた集団が手に手に武器を持って発煙筒に近づいていた。 すでに発煙筒は燃え尽きて森は暗闇に包まれている。先頭の一団がワイヤーにひっかかった。 「ぎゃあ!」 悲鳴と一緒に数体の猿人が吹き飛ばされた。それを見た残った猿人は一斉に散らばって逃げ出そうとした。しかし、あちこちに仕掛けられたワイヤーを次々と引っかけてたちまち、数十の猿人が粉々に吹っ飛ばされた。生き残った数十の猿人は我先に酋長のいる平地へ逃げ出した。 酋長や残った猿人たちは口々に何か偵察隊にわめいていた。生き残った偵察隊がぎゃあぎゃあと報告している。片桐はステンを構えると偵察隊と酋長の周りの猿人めがけて消音器の装着されたステンを数発発射した。音もなく倒れた仲間に猿人たちが驚いて、例のパチンコをあたりかまわず撃ちまくった。 「ぐえ!」 「ぎゃっ!」 ところ構わず、一斉に放った石で悲惨な同士討ちが起こった。それがますます猿人たちを動揺させているのが見て取れた。それを見て片桐は森を駆け抜け一気に岩山を駆け登った。時折、岩影からこっそり狙撃すると、猿人は全く同じように、よく見えもしないのにパチンコを発射し、同士討ちを発生させていた。 てっぺんまで一気に駆け登ると、見張りの数名を一連射で撃ち倒して、次々と捕虜を閉じこめている石垣を壊した。最後の石垣を壊すと中から才蔵がおそるおそる姿を現した。 「か、片桐殿?」 才蔵は片桐の姿を見て驚いていた。才蔵に続いて出てきたステラと目があった。一瞬、彼女は驚いたような表情を浮かべたが、すっと片桐から目をそらした。まだ怒っているようだが、今はそれを確認しているときではなかった。 「才蔵殿、あの洞窟にみんなの武器があります。ここで援護しますから先に彼女を連れて行ってください」 「承知した!」 才蔵は片桐の教えた少し下方にある洞窟に部下と続いた。猿人はようやく上の騒ぎに気がついて、口々に何か叫びながら岩山を登り始めていた。二十発撃ち尽くしてしまったステンから愛用の八九式に持ち替えて片桐は登ってくる猿人を次々と撃った。しかし、数が多すぎる。 「バートス!」 自分の武器を取り返したバートスがぱっと片桐のそばにやってきた。 「あの岩を爆破して落石を起こすんだ!」 片桐は顎で岩山の頂上にあるひときわ大きな岩を指し示した。そしてドイツ製の手榴弾をバートスに手渡した。使い方を簡単に教えた。バートスは大きく頷いた。 「ピンを抜いて岩の真下に放り込んだら逃げろ!」 「承知!」 ガントル族の「草」は片桐よりもすばやく岩山を登っていった。片桐はそれを見て、ゲベールを獲り返して岩山を登ってくる猿人を狙い撃ちしている才蔵に叫んだ。 「落石を起こします! 村人を岩陰に隠して!」 才蔵は部下に命じて武器を持たない村人を素早く岩影に退避させた。それとほぼ同時に頂上で爆発が起こった。片桐の思惑通り、巨大な岩は猿人たちの方へ転がり始めた。付近の岩を巻き込んで猿人たちに襲いかかった。 口々につたない悲鳴を発しながら猿人たちが山を下り始めたが、巨大な岩は意気揚々と前進していた彼らを次々と巻き込んだ。麓に残っていた猿人の一部も巻き込んで落石はようやく止まった。 「片桐殿! 見事な戦術! 恐れ入りましたぞ!」 ようやく刀を取り返した才蔵が驚嘆の声をあげた。しかし、片桐の視線がその後ろのステラに向けられていることに気がついた。 「ステラ様! 私の言ったとおりだったでしょう。片桐殿がきっと助けに来てくれると……」 才蔵の言葉を聞いてもステラはなおも無表情のままだった。そして、つんという感じであさっての方向を向いてしまった。それに気を使ってか、才蔵は片桐に微笑むと周りの部下に声をかけた。 「よし! 今こそ勝負の時だ! 行くぞ!」 才蔵はうろたえている猿人にゲベールを一斉射撃させると山を一気に駆け下って、あわてふためく猿人に斬り込んだ。次々と彼の部下が続いた。片桐もゲベール隊に混じってそれを援護しながら山を下っていく。 もはや援護の必要もないようだった。次々と手練れの才蔵の部下たちは猿人を斬り伏せていった。 才蔵はひときわ大きな酋長と対峙している。酋長の猿人の手には大きな斧が握られているのがわかった。細い日本刀では受けるだけで折れてしまいそうな代物だ。 「がああ!」 部下を大勢殺された怒りをこめた雄叫びをあげて酋長は才蔵に斧をふるった。才蔵は冷静にそれを刀で受けようとした。 「無謀だ!」 片桐は思わず叫んだ。巨大な斧をまともに受けては、才蔵の刀は折れてそのまま彼はまっぷたつになってしまうだろう。しかし、現実は片桐の想像とは正反対の結果だった。才蔵は刀で軽々と酋長の斧を受けて、それを横に振り払った。 気合いを込めた才蔵の叫びとともに彼の刀は上段から一気に振り下ろされた。刀はまっすぐに酋長を頭から下腹まで斬り裂いた。 どさっという音ともに酋長は倒れた。それを見た村人は歓声をあげた。 「やったぞ!」 「才蔵様がやった!」 片桐にはわかっていた。才蔵は刀にポルを使っていたのだ。強力な彼のポルが刀の強度を増して、あの猿人の斧にもびくともしなかったのだ。彼の言葉を思い出した。 「侍は保守主義でも回顧主義でもない」 たしかに、この世界で生まれ育った才蔵は、この世界の力を応用して最強の侍になっていた。 「ステラ……」 片桐はゲベール隊に混じって岩影でゲベールを撃っていたステラに歩み寄った。彼女もそれに気がついて立ちあがった。 「あなたとは口も聞きたくないと言ったはずです」 やはりまだ怒っているようだ。毅然とした口調で言い放つ。片桐はさらにステラに歩み寄った。 「本当にあの言葉は後悔しています。あれは俺の本心ではありません」 「言ったはずです。あなたとは口も聞きたくない、と」 そう言うとステラは後ろを振り返った。あまりにかたくなな彼女の態度に片桐はため息をついた。後悔先に立たず。片桐は次の言葉が出てこなかった。 「待ちなさい!」 そのとき、騒ぎを聞きつけた才蔵が岩山を登ってくるのが見えた。登ってくるやいなや、才蔵はステアに向き合った。 「ステラ様! あなたもいいかげんになさい! 片桐殿は命がけでここまで助けに来てくれたではないですか。これがあなたへの愛であるということはわかっているはずです!」 「え、いえ、でも……」 「でもではありません! さっき私に見せた片桐殿が来たときのうれしそうな顔はその証拠です!」 うろたえて返答もできないステラに早口でまくし立てた才蔵は今度は片桐に向き直った。 「片桐殿も片桐殿です! ステラ様のような誇り高い女性が自ら謝罪できますか? ここは優しく包んであげるのが男の度量というものです! まったく……、二人とも頑固で素直でないことこの上ない!」 すごい剣幕で一気にまくし立てた才蔵に二人は反論もできなかった。そしてあまりの彼の剣幕に思わず、ステラと片桐は顔を見合わせた。それを見た才蔵は優しく笑うと二人の手を取ってがっちりと握らせた。 「でも。私は、そんな頑固で素直じゃないお二人が大好きです。我が友よ、ここは素直におなりなさい」 才蔵の言葉に二人はぐうの音もでなかった。それを見届けると才蔵は岩山の下に控える彼の部下に振り返った。 若武者の行動に感謝の苦笑いを浮かべた自衛官は肩をすくめながら両手を開いた。同じく、苦笑いを浮かべる黒髪の聖女はその両手に飛び込んだ。 村の被害は甚大だったが、数日で復旧のめどをつけた。才蔵のたぐいまれなる指導力と村人の努力のたまものだった。村の復興を見届けた片桐とステラは出発することを才蔵に告げた。 「そうですか……。引き留めても無駄なことはわかっております。しかし、二人は私の終生の友であることに変わりはありません。何か困ったことがあればいつでもおいでなさい。この才蔵、命を懸けてお守りしますぞ」 片桐は才蔵と固く握手をかわした。片桐としても、この世界でできた初めての親友といえる人物との別れにはいささか感傷的になった。目頭が熱くなるのがわかった。 「才蔵殿も元気で……」 「片桐殿も。ああ、あまりステラ様を怒らせてはいけませんぞ!」 才蔵の冗談に片桐とステラも村人と笑った。それが出発の合図のようだった。皆が手を振って二人を見送った。 「なんて気持ちのいい人々なんでしょう」 ステラが馬上で片桐に語りかけた。片桐も同感だった。そのとき、二人の前に人が人影が現れた。片桐は思わず八九式をその人影に向けた。 「待ってください! 片桐様!」 バートスだった。慌てて両手をあげるバートスに片桐は八九式を肩に担ぎなおした。 「才蔵様に言われてきたんですよ。あなたたちが海沿いに南に向かってるようだからね」 「南には何かあるのですか?」 ステラの問いにバートスは頷いた。 「この南に馬で二日ほど行くと、耳長人の支配する国があるんです。奴らは強力なポルを持っているし、なにより、変な神様を信じていてどうにも話にならないんです。才蔵様も使者をやっているんですが話にならなくて困っていました。ま、できれば避けて通るのが無難ですよ」 なるほど、才蔵らしい気遣いだった。片桐はバートスにお礼を言うと進路を森に変えた。 その夜、森で野営するステラに片桐は地図を持って相談した。 「今、我々は森と海岸に沿って南へ向かっています。バートスの話だと南には耳長人とやらの国があるそうです。そこで、ここから森を抜けるべく東に進もうと思います」 「でも、この森はわたくしの村から続いています。はたしてどこまで続いているのか見当もつきませんよ」 ステラの言葉に片桐は地図を片手に、自分の推理を話した。 「この森は西部海岸地域と東部の交通を遮断していると思うのです。今までの旅で出会った大きな集落は海に近い地域ばかりだ。この森はおそらくですが、十日ほどで抜けられると思います。そこから先は文字通り未知の世界と言うことになるでしょう……」 片桐はこの説にいくつかの根拠を持っていた。まず、自分の部隊がこの世界に来たときにひたすら登った道。その頂上から見えたのがステラの村だった。そこから五十キロほどバイクで走って海沿いのシュミリ村に出た。 片桐は再び地図を見た。ステラも彼の肩によりかかってそれを見た。ヌボルは縮尺を小さくしたオーストラリア大陸を反対にしたような形を描いている。ちょうどキャンベラのあたりがステラのいるアムターラ村。シドニーあたりがガルマーニということになる。バートスの証言が正しいとすると、耳長人の国はブリズベンあたりと考えていいはずだ。海沿いに広がる下り勾配の豊かな森。 ということは、ある程度の山脈を越えると別の気候の地域が広がっているはずだ。つまり、オーストラリアの地図で言えば、ニューサウスウエールズの平原に未知の世界が広がっているということだ。それをステラに説明した。 「たしかに、明らかに危険な耳長人の国を通るよりはよさそうですわ」 そう言ってステラは片桐の腕枕をねだった。つい昨日までのあの恐ろしい剣幕とは別人のようだと片桐は思った。 「わたくしが眠るまでそのままでいてくださる?」 「いいですとも」 片桐は仰向けになって左手をステラの頭の下にやった。 「わたくし、不安ですなのです……」 この世界のマナーとして、愛し合った男女は結婚する代わりに三年、愛の誓いとして純潔を守る掟があるのだ。それは片桐とて同感だった。現代日本の男女ではとっくに肉体関係を結んでいてもおかしくないのだ。 「今回みたいな喧嘩がなければ大丈夫ですよ」 片桐も優しく答えた。今回の件は才蔵の機転がなければ、間違いなく二人の関係は終わっていただろう。 「わたくし、二度と片桐の心を傷つけることは言わないから、どうかそばにいてください」 いつになくしおらしげな彼女の髪を撫でるとルートを確認すべく残った片手で地図を持った 翌日から二人は森に入った。森には誰が通ったかわからない道があった。自動車がようやく通れそうな道だが大助かりだった。 ある程度広い道の存在は、ある程度の文明人が往来していることを意味する。あのおぞましい猿人のような生物ではないことが安心だった。 「確かに、片桐の言うとおり、登り坂ですね」 午前中いっぱい坂を登ると開けた土地に出た。片桐は双眼鏡で前方の様子を探った。 「おっ! 予想通りだ! 見てください!」 片桐はステラに双眼鏡を渡した。森ははるか向こうまで続いていたが、地平線まで延びることなく終わっていた。その先は緑の平原だった。やはり、西側は森ばかりではなかったのだ。 森が深く、アンバッドや猿人の長年にわたる襲撃で誰も足を踏み入れなかっただけなのだ。その時、双眼鏡をのぞくステラが何かを見つけた。 「片桐、あれは煙ですよ!」 森の中から一筋の煙があがっているのが見えた。片桐はステラを振り返った。無言で彼女は頷いた。 「行きましょう!」 さほど遠くない地点に向けて二人は馬を走らせた。 現場は森が少し開けた道ぞいだった。煙をあげる物体の正体を確認した片桐は驚愕した。ガルマーニで見た、運転者のポルを使って走る自動車だったのだ。 「あれは……!」 片桐とステラは馬を降りてそれぞれの武器を構えた。慎重に車に歩み寄る。車は森を抜けたところで止まっていた。おそらく、運転兵がやられて走行不能になったのだろう。煙は周りの草が燃えているのだ。オープントップの車に二人の人物が確認できた。 「ステラ、周りに注意して」 「はい……」 片桐はさらに車に近寄った。車にいるうちの一人は運転兵だった。首の付け根に銃創がある。これが致命傷のようだ。もう一人を確認しようとして片桐は思わず声をあげた。 「あっ!」 もう一人は見覚えのあるドイツ親衛隊の迷彩服を着ている。肩には弾丸が命中しているがまだ生きていた。苦しげな表情を浮かべているのは、片桐がともにボルマンの収容所を脱走した、元親衛隊フランツ中尉だったのだ。 「フランツ中尉! しっかり!」 片桐の言葉に意識を失いかけていたフランツが正気を取り戻した。目を細めて目の前の人物を見ている。 「片桐? 君は片桐三曹か?」 「ええ、片桐です」 フランツは片桐が差し出した水筒の水を飲んでため息をついた。その間に片桐は簡単に彼の体を調べた。肩の傷以外目立った傷はなかった。 「フランツ中尉!」 駆けつけたステラの声を聞いてシートにぐったりしていたフランツは笑顔を浮かべた。 「ステラ様、こんなところで再会できるとは……奇遇ですな」 やっと意識のはっきりしたフランツは二人にことの成り行きを話した。 ハルス大尉とフランツ中尉は傷の癒えたサクートに街を任せて探検と他の集落との友好を兼ねて旅立った。片桐と入れ違いに才蔵の村を訪れたハルス一行は大歓迎を受けて、才蔵と同盟を結んだ。さらにハルス一行は、片桐と同じく耳長人の国を避けて森に入ったが、運悪く彼らに襲われたということだ。 「奴らは強力なポルを操っている。俺を殺したと思ったんだろう。ハルス大尉を捕まえて奴らの街に連れていってしまった。彼らの神の生け贄にするとかで……」 苦しげな表情を浮かべるフランツは片桐の手を握った。 「片桐三曹、こんなこと頼む筋ではないが、ハルス大尉を助けてくれ。奴らは次のゾードの夜に大尉を生け贄にすると言っていた。もうあまり時間がない!」 「奴らの街の位置は?」 片桐はヌボルの地図で自分たちの位置をフランツに教えた。彼はブリズベンあたりを示した。 「やつらの会話から推測するとこのあたりだ。奴らは、あのサムライの村も標的にしているようだ」 片桐はフランツの報告を聞いて背筋に寒気が走った。ようやく平和を取り戻した才蔵の村が再び危険にさらされようとしているわけだ。片桐の決断は素早かった。 「ステラ、フランツ中尉を連れて才蔵殿の村へ行ってください」 この言葉にステラは信じられないという表情を浮かべた。 「まさか、あなた一人で耳長人の街へ乗り込むというのですか?」 「そんなことはしません。でもフランツ中尉を治療できるところは才蔵殿の村だけです」 ステラにはわかっていた。片桐はハルスを助けるつもりだと言うことが。そしてこのままではフランツは死んでしまうことも。 「片桐、約束してください。決して無茶だけはしないでください。わたくしのために」 片桐はぎゅっとステラを抱きしめて誓った。 「才蔵の村でフランツ中尉と待っていてください。かならず、あなたを迎えに戻ります」 あまりのラブラブぶりにフランツは苦笑いして痛む体をくねらせた。 ステラの愛馬ローズにフランツを何とか乗せることに成功した。 「片桐三曹、気をつけて。奴らの持つ武器は普通のゲベールの数倍は威力があるぞ」 ステラの腰に捕まったフランツが片桐に言った。ステラは不安そうな顔を浮かべている。そんな彼女に片桐は笑顔で言った。 「才蔵殿の村で待っていてください。ハルス大尉と才蔵殿と日本酒で乾杯しましょう! 今度は喧嘩ぬきでね!」 その言葉にステラも初めて笑みを浮かべた。 「片桐、あなたを愛しています! 必ず、戻ってきて!」 そう言うとステラは想いを断ち切るように、愛馬のローズを走らせて森に消えた。あの笑顔は無理をしている笑顔だと悟られないような急な出発だったが、片桐にはよくわかっていた。 「よし、セピア! 行くぞ」 片桐は愛馬にまたがるとステラが走った方向と別な方へ走り出した。未知の種族、耳長人の街に向かって。 第四章 異世界の狂信者 未知の民族、耳長人の都市を求めて片桐は馬を走らせた。せっかく、彼らを避けるため森を越えようとしたのだが、戦友とも言えるハルス大尉のことを思うと見捨てるわけにはいかなかった。 馬を走らせながら片桐は考えていた。耳長人がどんな連中かはわからないが、人間の自分がのこのこ乗り込んでいいものだろうか……。ふと馬を止めてバックパックからポンチョを取り出した。それを泥で汚して粗末なマントらしく見せると頭からすっぽりかぶった。 「こいつでどこまでだませるかな」 再び片桐は馬を走らせた。 翌日には再び片桐は海岸近くに接近していた。目の前にはガルマーニほどではないがかなり巨大な都市が見えた。十メートル近い城壁がその都市の警備の物々しさを物語っている。そしてその城壁に備えられたいくつもの大砲は片桐を驚かせた。 構造自体はガルマーニで見た戦車砲と変わりはなさそうだが、その大きさは軽く陸上自衛隊の百五十五ミリ砲に匹敵する大きさだった。都市と言うより要塞に近い。 「こいつはすごいな」 マント姿の片桐は街の門を目指してゆっくりと馬の歩を進めた。門の近くに馬を預かる預かり小屋を発見した。耳長人も馬に乗っているのだろうか? そう思いながら愛馬を預けるべく、その小屋に近づいた。小屋には管理人らしきガントル族の男がいるだけだった。 「預かり料は五サマだ。そこに勝手につないでくれ。餌はこっちで勝手にやっておくからな」 ガントルはそばの小屋を顎で示すと片桐から金を受け取った。彼はフードをかぶった片桐の顔をのぞき込んだ。 「お客さん、クアド族か……。今この街に寄るのはあまり勧められないな」 「ちょっと用事があってね」 片桐のつっけんどんな答えにもそのガントルはまったく表情の変化を見せなかった。 「そのマントは正解だ。エルドガン族の前じゃこれをかぶっておいた方がいい。このパサティアナじゃ、誰がロサリストかわかったもんじゃないからな」 馬番のガントルの言葉から片桐はいくつかの情報を得た。エルドガン族とは、どうやら耳長人のことらしい。そしてこの都市の名前はパサティアナというようだ。 「ロサリスト?」 片桐の質問にガントルの馬番は初めて大きく目を見開いて表情の変化を見せた。 「知らないのか?」 「聞いたことないな」 純朴な反応を見せる馬番はますますその目を大きく見開いて片桐を見た。そして何か勝手に納得したのか、ぽんと手を叩いた。 「お客さん、北から来たんだね。ここから北にはエルドガンはいないからね。エルドガンは本来森にしか住まない。猿人やらアンバッドのためにここから北には彼らは住んでないんだ。この街から南で森は終わって後は山々が広がっている。森を追われたエルドガン族の国さ」 「東はどうなんだ?」 思わず片桐は質問した。ガントルはここで言葉を止めて片桐の方を見た。警戒しているわけではなさそうだ。むしろ話したそうな表情と見て取った。 片桐はさらに五サマ、彼に渡した。 「東は森だ。森に覆われた山を越えるとそこからは気候が変わる。乾いた平原が地平まで続いている。東の果てに古代ロザールの聖地があると言われているが、誰も見たヤツはいない。誰があんな恐ろしいところに行くもんか!」 片桐は自分の説が正しかったことを知ってほっとした。やはり、あのまま東に進むのが上策のようだったのだ。はやる気持ちを抑えながら彼は愛馬を小屋に導いた。 「こ、こいつは!」 小屋に入った片桐は思わず我が目を疑った。小屋につながれている馬は六本足だった。しかも頭の形も若干、普通の馬とは違っていた。その六本足の馬の頭は、馬と言うより牛だった。大きな鼻の穴。短く延びた角。大きさこそ馬と違わないが、その外見は片桐の知っている馬ではなかった。 「なんだ? ボスホースがそんなに珍しいか?」 ついてきた馬番が片桐に笑いながら問いかけた。 「このボスホースは草食なんだろうね?」 「あたりまえさ、さ、あんたの愛馬もしっかり面倒見てやるからな」 ガントル族の馬番は四本足の片桐の愛馬に少しも驚くことなく優しく世話を始めた。 彼に質問の途中だった、ロサリストについて質問したかったが、あまりに彼の仕事が熱心だったため、片桐は質問をやめた。少なくとも、愛馬の安全は確実なようだった。これでよしとしよう。 パサティアナ市内はガルマーニと比べて少し陰鬱な感じがした。人通りも多く、たくさんの商店が開いているが、人々はうつむき加減で歩いている。耳長人と呼ばれるエルドガン族の外見も大して現地のクアド族と変わりがないように見えた。 ただ、彼らの外見で目を引くのは、ぴんととがった耳と、やや青みがかった肌の色くらいだった。彼らはマント姿の片桐の素顔を見ようとすれ違いざまに観察していた。だが片桐は、馬小屋のガントルの警告を信じて、耳だけはフードで覆い隠していた。時折、同じようにフードで頭をすっぽり覆った通行人を見かける。どうやら、彼らがクアド族の市民のようだが、どう見ても日陰者に近い存在みたいだ。 しかし、周囲のエルドガン族はおおっぴらにクアド族に対して暴力を振るうわけでもない。むしろ、哀れみに近い視線を投げかけているのを感じた。 「こいつはおかしな雰囲気だな」 片桐はまずは情報収集と、近くに酒場を見つけて扉を開けた。酒場には大勢のエルドガンと少数のガントルがいた。彼らは一斉に片桐を見た。 「いらっしゃい……」 マスターのエルドガンは伏し目がちに片桐に言った。それに構わず、彼は酒を注文した。 「お客さん、こっちも商売だ。酒は出すけど、いざこざはごめんですよ」 酒を出しながらマスターが小声で片桐に耳打ちした。その言葉に思わず、マントに見せかけたポンチョの中に隠した八九式小銃を手で確認した。 「もちろんだ。ところで、最近生け贄になるクアド族って誰かいるのかい?」 片桐の質問にマスターは真っ青になった。もっとも、マスターのエルドガンは青っぽい肌をしているのでその表現は少し適切さに欠けるものではあったが。 「お客さん、勘弁してくださいよ。どこにロサリストがいるかわかんないんですよ! 奴らにはグンクも手を焼いているんですから」 グンクとは古代ロザール語で彼らの王を示す称号らしい。片桐は今まで集めた情報をまとめて少し疑問を抱いていた。少なくとも、耳長人と言われるエルドガンは間違いなく強力なポルと兵器を持ってこの街を支配している。それは城壁の大砲を見てもわかった。しかし、彼が出会ったエルドガン族はいきなり襲撃を仕掛けるほどクアド族に好戦的な意志は持っていないようだ。むしろ彼らに関わりたくないところすらある。 「わかった……すまなかった」 とりあえず、カウンターを離れて隅っこのテーブルに片桐は腰掛けた。ふと見ると、壁際でエルドガン族の少女がテーブルに腰掛けている。 「占いませんか?」 少女の問いかけに誘われるように彼女のテーブルに歩み寄った。カウンターで飲んでいても煙たがられるだけだと察していたのだ。少女は人差し指を立てて片桐に見せた。どうやら占いの料金のようだ。 「これでいいかい?」 片桐は少女に一サマを手渡した。少女は無言のまま頷くと片桐に彼女の向かいに腰掛けるように促した。 「目を閉じてください……」 片桐の額に少女の手が当てられた。冷たい。しかし次の瞬間、冷たかった少女の手が熱を帯び始めた。ポルを集中させていることがわかった。そしてそのぬくもりが片桐の額から頭全体へと広がった。心地よい、サウナに入ったときのような感覚が彼を包んだ。 「終わりました……」 静かに少女が言った。片桐は目を開けた。青い髪に青白い肌。引き込まれるような瞳を持つ少女は少し驚いた様子で片桐を見つめている。 酒場のマスターや他の客はもはやマント姿のよそ者に関心はないようで、たわいもない世間話に花を咲かせていた。 「ポルの力で占いができるのか……」 「エルドガン族は他の種族よりも強いポルを持ち、それぞれ様々な力を使います。占いや、簡単な治療。武器にも使います」 少し寂しげに笑いながら少女は答えた。そして片桐に向き直ると再び口を開いた。 「あなたはこの世界の者ではありませんね」 少女は自衛官から視線をそらさずに静かに言った。 「そしてあなたの求める異世界人はこの街にいます。でも、彼はロサリストの厳重な監視下にいます。とてもあなただけでは救うことはできない……」 「ロサリストとは何者なんだい?」 できるだけ少女に恐怖感を与えないように、片桐は質問した。それが功を奏したのか、少女は少し笑った。 「やはり、あなたは異世界の人ですね。なにもご存じない。ロサリストとは、古代ロザールの人々を神とあがめているのです。わたくしたちもロザール人を神と思っていますが、彼らはより過激なのです。わたくしたちが、築き上げたこの街や国を否定しているのです。古代の掟に従って原始的な生活をすべきだ、と」 「つまり、過激派ってことか」 「その言葉はわたくしにはわかりません。しかしあなたの考えていることとそんなに違いはないでしょう」 もっと話が聞きたくなった片桐は少女にもう一サマ渡した。彼女は首を振った。 「けっこうです。あなたが知りたいことはわたくしが占うまでもありません。さあ、ここを出てください。裏口で待っています」 片桐は少女のいきなりの誘いに不信感を露わにした。それを悟ったのか少女は悲しげな顔をして言った。 「わたくしを信じてください。わたくしはロサリストではありません」 「君を信じる確かな証拠がないよ」 「これでいかがです?」 正論をぶつけられた少女はいきなり片桐の手を取ると、自らの頬をさわらせた。例のポルが暖かみを帯びて伝わった。それと同時に片桐の脳に直接、彼女の記憶が入ってきた。 彼女の両親はロサリストと呼ばれるエルドガンたちにいきなり家の外に引き出された。泣き叫ぶ少女をロサリストは殴った。両親は壁の前に立たされて、ロサリストの銃殺隊が彼らを容赦なく撃った。罪状は、「占いで古代ロザールの神々を冒涜しようとした」と言うことだった。 「これは、君の記憶だな……」 臨場感あふれる彼女の記憶にいささかうろたえながら片桐は尋ねた。少女は悲しげな顔のまま無言で頷いた。 「ロサリストは神の名を騙り、グンクの権威を否定し、すべての階級を解放すると言っていますが、実際は違います。すでにこの南では多くの要塞都市がロサリストに占領されました。このパサティアナにグンクが落ち延びてかろうじて支配を保っていますが、すでに市内には大勢のロサリストが侵入して次々とクアド族を捕まえています。クアド族は古代ロザールを尊敬していますが、その多くは過去の歴史としかとらえていません。それが罪だというのです」 「でも、ロサリストが言うように、誰もが階級の縛りから解放されるのはいいことではないのかい?」 片桐の質問は無意識的にも戦後の日本人の感覚だった。その質問は少女を驚愕させた。 「とんでもない。ロサリストはそうは言っていますが、実際は違います。えん罪と密告の世界だけです。彼らは階級から解放された人々が本当にそれをうれしく思っているのかとても気にしています。そして少しでも気にくわないと思っている人々を、生け贄と称して殺しているのです。平等の敵として……」 憎しみや悲しみを噛みしめるかのように少女は言葉を続けた。 「だからあなたのような異世界の方はこの国に足を踏み入れてはいけません。真っ先に殺されます。ロサリストは新しい価値観を恐れています。彼らの言う、平等な社会という、密告と陰謀に満ちた世界を壊されるからです。ロサリストに支配された街は、ロサールの子孫を自称するジョ・ニーチの支配を受けます。ジョ・ニーチはあらゆる階級にロサリストをスパイとして放って密告させるのです。この街もまもなくロサリストの手に落ちるでしょう。そうなればきっとあなたは殺されます」 ちょっと複雑な情勢のようだ。この事態を把握するには彼女の助けがないと不可能だろう。 「わかった。君の言う通りにしよう」 「とりあえず、わたくしの家であなたをかくまいます。その後あなたを逃がすことにしましょう」 クアド族たちにまったく無関心なエルドガン族の中にあって彼女の申し出はありがたかったが、同時に一抹の疑念も抱かせた。しかし、この状況では動きがとれない。片桐は彼女の申し出を受けることにした。 目立たないように酒場を出た片桐は少女の言いつけ通り、裏口にまわった。少女は片桐を見つけると手招きして、路地裏の目立たない部屋に彼を導いた。 「ここは君の家なのかい?」 部屋はたとえて言うならワンルームマンションだった。六畳ほどの広さの部屋にベッドがあるだけだ。 「そうです。……そういえばお名前を聞いていませんでしたね」 改まった少女の問いかけに思わず片桐は笑ってしまった。 「俺は片桐、君の言うとおり異世界人だ」 「わたくしはエル・ハラといいます」 聞くとエルは占い師の称号で彼女の純粋な名前はハラというそうだ。 「で、さっき君が話したことを順序立てて説明してくれないか?」 エル・ハラは先ほど片桐に話したことをさらにくわしく語り始めた。 エルドガン族は古代ロザールの支配のころからこのあたりの森に住んでいたそうだ。だが、ロザール人滅亡後、北から蛮人アンバッドや猿人が侵略してきて森を追われた。南の山岳地帯に逃げ込んだエルドガンは本来持っていたポルの力を使い、慣れない山岳での生活を定着させた。 その後、数百年かけて再び平地の森の近くまで勢力圏を回復したエルドガン族は要塞としてこの都市を築いた。元々森の住人だったエルドガン族がアンバッドや、猿人から森を取り返すのは時間の問題だった。 だが、このとき、古代ロザールを強烈に信仰する勢力が山岳部のエルドガン本拠地を急激に支配してしまった。エルドガン族の王、グンク・ニルは追われてとうとうこのパサティアナにたどり着いたわけだ。 「グンクにとってロサリストの蜂起は不幸なタイミングとしか言いようがありませんでした」 確かに、千年近い山岳生活でエルドガン族は森の生活を忘れかけていた。それでも故郷を取り戻すために今一歩に迫ったときに背後からの一撃に襲われたのだ。しかもその勢力が同じエルドガンだったのも不幸であっただろう。生き残った都市も、誰がロサリストで誰が味方かわからない中、次々と陥落していった。ロサリストの統治は全く保守的であり、全く革新的とも言えた。 森の民であったエルドガン族独自の文化を復活させ、古代ロザールの神々に忠実であるため、彼らが長い山岳生活で培った文化は否定され、それを推進した科学者、軍人などは真っ先に粛正された。 そして、思想的に「反ロザール的」であるとされた人々は次々と処刑された。占領された街はロサリストのスパイがうようよし、市民たちも安寧に暮らすことはできない。そして最後に残ったこのパサティアナもロサリストのスパイが多数侵入し、市民はひっそりと暮らす状態なのだ。その指導者がジョ・ニーチと呼ばれる人物である。 ジョ・ニーチはスパイ制度を占領した都市に導入し、次々と反乱分子を抹殺していた。彼らの最終目標は、森に帰ること、とスローガンされているようだ。 片桐は彼女の言葉を聞いていくつか納得する部分もあった。ハルス大尉やフランツ中尉を襲ったのはきっとロサリストの偵察隊だ。彼らはロサリストにとって格好の生け贄だろう。 「エル・ハラ、事情はよくわかりました。俺はつい最近さらわれたドイツ人、いやクアド族を助けにきたんです。彼がどこにいるか、知りませんか?」 ステラとはまた違った、愁いを帯びた美しさを持つエルドガン族の少女は少しうつむいた。 「グンクもロサリストのアジトを探してはいるのですが、難航しているようです。警備隊に追いつめられたロサリストは自らのポルを使って自爆してしまうのです」 彼女がそう言ったとたん、街の遠くで爆発音が聞こえた。プラスチック爆弾でも爆発させたような音だった。 「またロサリストが警備隊を道連れに神の元へ旅立ったようですね……」 エル・ハラは窓を見ながら悲しげにつぶやいた。その悲しげな目はどこかさらなる悲哀を帯びたもののように感じてならなかった。 片桐はこの少女、エル・ハラの部屋に身を隠すことにした。片桐は彼女を「少女」と思っているのだが、エルドガン族はほとんど不老であるという。 ひょっとしたら彼女も九百歳くらいかもしれない。そう考えて思わず片桐はポンチョでこしらえたマントの下で身震いした。 「永遠の命を持った森の民が山に逃れて要塞暮らしか……」 エル・ハラが調達してくれた食事にありつきながら片桐がつぶやいた。 「森を取り戻すための試練です。それに、エルドガンはかなり他の人種に対しては排他的でしたから、クアド族とガントル族のように共に戦う仲間もいなかったのです」 彼女は悲しげに笑うとワインを飲んだ。なるほど、この街のガントルはエルドガンに対してもことさら友好的には見えない。ましてや、クアドはロサリストを恐れてこそこそしている状態だ。 それにしても、彼女はなかなかいい飲みっぷりだな、と片桐は思った。やっぱり彼女は実は九百歳なのかもしれない、と思った。その彼女が口を開く。 「そのかわり、エルドガン族は山で様々な技術と資源を得ました。それを他の人種に比べて強いポルを応用して強力な武器を手にしました。そのおかげで森のすぐ近くまで戻ってくることができたのです」 彼女の話を黙って聞いていた片桐には、ふつふつと疑問が沸きあがってくるのを感じた。この少女、一介の占い師にしては妙に理知的で、妙に無防備だ。この異世界で生き残ってきた片桐の本能が警戒信号を発信していた。 深夜、片桐は床の上で横になっていた。まさか、ベッドでエル・ハラと一緒に寝るわけにはいかない。そんなことをしてしまうと、ステラの怒りが爆発するだろう。ほんの最近、二人は大喧嘩をしたばかりだった。 幸い、才蔵のとりなしで元のさやに収まったが、彼自身、潔癖を守る鉄の掟にうんざりしかけていた。遙か昔の上流階級ならまだしも、現代日本人の片桐にはこの掟はつらいものがあることは事実だった。 「いっそ、結婚しちまうってのもあるか……」 そう思って片桐はこの世界の習慣を思い出した。この世界には結婚の習慣がないのだ。その代わり別れるのも自由である。先払いの内金制度かな、と現状を皮肉りたくなる。 ふと、少し離れたベッドのエル・ハラと目があった。 「片桐、眠れないのですか?」 少し起きあがってエル・ハラが尋ねた。もともと薄着のこの世界の人々。 ステラも古代ローマを想像させる白いローブみたいな着物にいくつかの装飾具をしているにすぎない。そして、目の前にいるエル・ハラも例外ではない。寝乱れた彼女の衣服の隙間から、彼女の身体がいかに豊かであるかを物語る部分が見え隠れしている。 「わたくしが気になって眠れませんか?」 寝乱れた自分の姿に気がついているのだろうか、エル・ハラはいたずらっぽい笑みを浮かべて片桐に問いかけた。 「そんなことはありません!」 彼女は明らかに自分を誘惑しているとわかっている。彼女の言動はわかりやすすぎた。だからこそ片桐もその誘いに乗ることはなかった。安っぽい映画のような展開に片桐はより彼女に対する疑問と警戒を強くした。くるっと彼女と反対方向を向くと少し眠るために神経を集中させた。 少しうとうとしただろうか。片桐はさっきのエル・ハラの誘惑を考えていた。彼女が自分の肉体を差し出してまで自分を引き留める理由は何だろう? その答えは、ほとんどひとつだった。 「この街に味方と呼べる人物はいないようだな」 片桐は寝返りを打ちながら考えた。ロサリストは間違いなく、それ以外のエルドガン族も彼の味方になりそうではない。才蔵の「草」であるバートスの言葉を思い出した。 「よくわからない連中」 この言葉がまさに言い得ているように感じた。と、片桐の視界にベッドが入った。そして思わず飛び起きそうになった。エル・ハラがいないのだ。今片桐は、奥のベッドに一番遠いドアよりの壁を背に横になっている。さっきうとうとした隙に、エル・ハラはドアを開けて出ていってしまったのだ。 「ここにいるのか?」 その時、小声で話す男の声が聞こえた。片桐は思わずポンチョの下で肩に掛けたままの八九式小銃を握った。 「はい……」 続いて聞こえた声は小声だが間違いなかった。エル・ハラだった。2、3人の足音が聞こえてドアが開かれた。エル・ハラと三人のエルドガンだった。 「酒場に現れた異世界人か。よくやった。ジョ・ニーチ様もおまえの父親の件は考慮してくださるだろう」 「ありがとうございます……」 こいつらはやはりロサリストだ。片桐は疑いようもない事実を確認して、そっと腰のホルスターからシグザウエルを抜いた。すでに装填はすんでいる。ロサリストのエルドガンは短剣を抜くとそっと片桐に忍び寄った。 適度な間合いを保って片桐はロサリストに発砲した。三人のロサリストはばたばたと倒れた。それを確認すると、さっと起きあがって、エル・ハラの腕をつかんだ。 「やっぱりロサリストだったか。いろいろしゃべりすぎたのが失敗だったな」 片桐の言葉にエル・ハラは悲しげな表情を浮かべるだけだった。ステラとはまた違うこの世界の美しい顔に思わず片桐の腕の力がゆるんだ。エル・ハラは自衛官の腕から逃れるとドアに向かって走り出した。 「早く逃げて! 彼らが自爆します!」 その言葉に自分がさっき撃ち倒したロサリストを見ると、連中の一人がポルを自分の腹に集めているのが見えた。 「ポルンゴ・ロッサー!」 瀕死のロサリストが、自衛官には理解できない言葉を最後の力を振り絞って叫んだ。 「そういうことは早く教えてくれ!」 悪態をつきながら片桐もエル・ハラに続いてドアをくぐって外に飛び出した。その背中を押すように爆風が二人を襲った。思わずエル・ハラを後ろから抱きしめ爆風から守った。 片桐は爆発現場からかなり離れた空き地にエル・ハラを連れていった。撃つつもりは毛頭なかったが拳銃は構えたままだった。 空き地はかなりの広さだった。少々の物音も聞こえないだろう。それに、下手に自爆された場合に逃げることも容易だった。 「さあ、ロサリストのお嬢さん。いろいろ聞かせてもらおうか」 片桐はエル・ハラをちょっと乱暴につきとばし、空き地にぽっかりと顔を出す石の上に腰掛けた。拳銃はぴったりと彼女の心臓を狙ったままだ。本意ではないがこれくらいしないと自分の決意を疑われてしまいそうだったのだ。 「わたくしの話を聞いてもらえないのでしょうか?」 「聞くことは聞くが、俺の質問に答えるだけでいい。もう嘘っぱちのレクチャーはごめんだ」 「わたくしたちの歴史のことは本当です!」 「そうか、じゃあ、どの部分が嘘なのか。さらわれた異世界人がどこにいるのか話してもらおう。自爆しようとしても無駄だ。俺は君の足を撃ってここからおさらばするからな」 速いテンポのやり取りを終えて、月明かりの下で悲しげな顔をしたエル・ハラは美しかったが、片桐はその美しさに油断することはなかった。観念したのか、彼女は口を開いた。 「わたくしは、正確には占い師ではありません。この国の王、グンク・ニルの娘です」 「で?」 思いもしなかった答えに対して努めて冷静さを保ちながら彼女を促す。 「ジョ・ニーチはわたくしを脅迫しました。わたくしの占いの能力を利用して反ロサリストを割り出すことに協力しないと、父を殺すというのです。わたくしが協力すれば父の命は助けるというのです。だからわたくしはあの酒場で占い師のふりをしていたのです」 片桐は眉一つ動かさないでエル・ハラの話を聞いていた。ついさっき、派手な嘘をつかれた上に殺されかけたのだ。すんなりと信用できるはずがなかった。 「あの酒場にいたのは全員ロサリストのスパイです。街の外から来た人は必ずと言っていいほど、酒場に寄っていろいろと話を聞きますから……」 「君は俺にウソの記憶を見せてだました訳か? 君の身の上はとりあえずわかった。では、問題は君の父親だ。父親はグンクなんだろ? なんで警備隊に守ってもらわないんだ?」 当然といえば当然の疑問だった。しかし、エル・ハラの答えを聞いて片桐は愕然とした。 「父はすでにジョ・ニーチの手に落ちています。警備隊は隊長のタ・ロールが指揮して、この街で抵抗を続けているだけなのです。この街はグンクの支配下であるという嘘は、外部の人間を街に引き入れるための方便なのです」 つまり、すでにパサティアナはロサリストの手によって陥落しているのだ。残った警備隊の方がむしろ少数派というのだ。片桐は敵の根拠地にのこのこと乗り込んできてしまったわけだ。 「え? じゃあ、君の父親はもうロサリストに捕まってしまってるのか?」 「はい……。おそらくあなたの探す異世界人と共にジョ・ニーチのアジトに幽閉されています」 それから片桐は空き地で散々、エル・ハラと話し合った。彼女の言葉を「はい、そうですか」と信用するわけにはいかなかった。彼女も、今までの嘘を片桐に詫びて本当のことを話していると誓ったが、それでも彼の警戒心は薄れることはなかった。 「おい、あそこにいたぞ!」 その時、数名のロサリストが空き地に来るのが見えた。手にはなにやら大きなライフルのようなものを抱えている。そのライフルはやはり、ゲベールと同じ構造のようだった。ただ、その威力は片桐の知っているゲベール以上だった。対戦車ライフル弾が着弾したかのごとき土煙が片桐のそばであがった。 「ここはやばい! 逃げるぞ!」 片桐はエル・ハラの手を取った。だが、彼女は彼の手をふりほどいた。 「あなたがわたくしの話を信じないなら、わたくしも考えがあります!」 そう言うと、エル・ハラはすっと立ちあがった。「あそこだ!」という声と共にロサリストが次々とエル・ハラめがけて発砲した。大きな土煙が次々とあがった。 「わたくしがここに彼らの命令であなたをお連れしたなら、彼らは仲間のわたくしを撃つことはないはずです。それに、わたくしにそんな命令をしたとしてもあなたを見つけた以上わたくしは用済みなのはおわかりでしょう! こんな状況で今更あなたに嘘をついたところで意味はありません! わたくしの言葉を信じてくださいますか?」 片桐は思わず彼女の肩をつかんで地面に伏せさせた。 「わかった、わかったからもう無茶はよしてくれ。まったく、不老不死で長生きしてるんならもうちょっと後先を考えてくれよ」 そう言う片桐にエル・ハラは真っ赤になった。飛び交う銃弾の下でいくらかの間を置いて彼女は反論した。思えば彼女が初めて感情的になった瞬間だった。 「わたくしはまだ十八です!」 「それは失礼」 そう言うと片桐は少しおどけて彼女から手を離した。少し恥ずかしくなったのかエル・ハラは地面に伏せたまま片桐に言った。 「これからタ・ロールのアジトに行きましょう。そこでこれからのことを考えます。」 「で、どうやってここから抜け出すのです?」 片桐の質問にエル・ハラは驚いた顔をした。 「あなたがずっと隠している武器をお使いになればよいでしょう?」 初めて見せたエル・ハラの人間的な感情に少しとまどいながら、片桐は小銃を構えると、単発で三人のロサリストを戦闘不能にして空き地を脱出した。 警備隊長タ・ロールのアジトはアジトとは言えなかった。スラム地区の民家が警備隊の隠れ場だったのだ。 「グンクラート・エル・ハラ様! よくぞご無事でした! グンク・ニルが捕まり、あなた様が行方不明となって以来、全力でお探ししていたのですぞ」 タ・ロールは警護隊という名にふさわしいとは思えない格好だった。端正な顔立ちに緑の髪の毛。しかし、服装はその辺の市民と変わらないローマ調の服。長剣とピストルのような武器を持っていた。ゲベールの改良版だろう。 思えばボルマンはこの武器をいかにも自分たちが開発したようにうそぶいていたが、大方、あちこちから集まった人々から聞き込んだ情報で作ったんだろう。そうでないと同じような構造の武器がここまで広く流通しているとは考えにくい。 グンクラートとはグンクの娘、すなわち「王女」の意味だそうだ。エル・ハラの本名は、グンクラート・エル・ハラということになる。 タ・ロールは彼の王女を一心不乱に見つめていた。その視線に、エル・ハラはとまどったように時々視線を逸らしている。 「ここにはもう二十名も残っていません。早くグンク・ニルを救わないと大変なことになります」 タ・ロールは彼の王女に状況を告げた。彼曰く、グンク・ニルはジョ・ニーチ自ら処刑するため、今夜、彼らのアジトに連行されるという。 「片桐、あなたの探す異世界人も一緒のはずです。力を貸してください……」 エル・ハラはすがりつかんばかりに懇願した。これまでの片桐への嘘も改めて謝罪した。 「いいでしょう。ただし、お互い協力するということで」 「もちろんです」 二人は握手を交わした。タ・ロールは握手している片桐を胡散臭そうに見ている。 「グンクラート・エル・ハラ様、お父上の幽閉場所がわかりました。これから私が赴いて確認して参ります」 「なぜ、ロサリストはグンクを城から出したんだ?」 彼らの会話に割り込んだ片桐の質問にタ・ロールは無表情で彼に向かって答えた。どうやら彼は片桐を信用してはいないようだ。 「市民への警告だ。ロサリストはたとえ城であろうとも忍び込み敵対者を粛正するという意味だ。グンクを城の外に拉致して殺せば、その効果は計り知れない」 そう言ってタ・ロールは身を翻すと外に出ようとした。片桐はそれを追いかけた。 「俺も一緒に行こう」 思わずタ・ロールは驚いてエル・ハラを見た。少し頬を赤らめた彼女が無言で頷くのを確認すると警備隊長は顎をしゃくった。 「こっちだ」 深夜の市街は誰一人通行人もない。そこをタ・ロールはスラムの狭い道を抜けて広い商業地域に出た。この時間、どの商店も閉まっている。 「異世界人、グンクラートはおまえを信用しているかもしれないが、俺は別だ。本来エルドガン族は他の種族は信用しない。今まで、森で山でエルドガンは誰の助けも借りずに生きてきたんだからな」 タ・ロールの言葉を片桐は笑って返した。 「長い人生、友達もいないと寂しいぞ」 「友はいる! エルドガン同士は絶対の信頼でつながっている! だからこそ……」 少々タ・ロールが言葉に詰まった。その理由を片桐は知っていた。肩をすくめながらタ・ロールに言った。 「だからこそ、ロサリストにつけこまれたんだろ? あんたらは極端すぎるみたいだからな」 片桐の当を得た反論にタ・ロールは、「ぐっ」とうなると黙って歩いた。片桐はちょっと彼をからかってみることにした。 「それにしてもエルドガン族は他人を信用しない割に嘘が下手だな。あんたグンクラートに惚れてるだろ?」 その指摘が図星だったのか、タ・ロールはぴくっと肩をふるわせた。そして片桐の方を振り返ると、まさに鬼の形相で言った。 「そ、そのような冗談は、金輪際許さんからな!」 それだけ言うとタ・ロールはとある商店の角を曲がって路地に入った。商店の壁に地下室の通風口が見えた。 格子がはめられているがその中は十分見ることができた。周囲を確認して、まだ機嫌の悪い警備隊長は片桐に言う。 「この箱を持ってこい。そうすれば表通りからは見えないはずだ」 タ・ロールと片桐は大きな箱を盾にして地面に伏せると格子の窓から中を確認した。中には後ろ手に縛られたエルドガン族が見えた。やはり、他のエルドガンと同じく見た目は若い。 「おお、グンク・ニル……。ご無事だったか」 タ・ロールがため息をつく。その隣に座らされている人物はエルドガンではない。片桐の見覚えのある人物だった。ドイツ海軍の制服が目に入った。元Uボート艦長ハルス大尉だった。多少服が汚れている程度で怪我はないようだ。 「今やるか?」 片桐はタ・ロールに尋ねた。彼は室内の見張りの数を確認した。ロサリストが三名。手には空き地で片桐を襲った大きなライフルが見えた。ライフルと言うより、戦国時代の抱え大筒に近い形状だ。 「もうちょっと様子を見よう。本当に見張りがこれだけなら決行だ」 「この街から脱出する段取りはついてるのか?」 「街の入り口の馬小屋で働くガントル族の馬番を買収してある。門にはロサリストはいないはずだ」 タ・ロールの言葉に片桐はそのガントルのことを思い出していた。彼には自分の愛馬を預けている。門に見張りがいたところで別にその役目は大してあるわけではない。外部の人間を街に引き込む方が重要なのだから。そしてスパイ網を駆使して捕まえて、神の名において殺すわけだ。 「おい! 怪しいクアド族の女を捕まえたぞ!」 その時、地下室に新たにロサリストが入ってきた。見張りのロサリストが立ちあがって入り口のドアを見ているのがわかった。 「今度は女か? 殺しがいがあるな!」 「殺す前に変なことするんじゃないぞ!」 捕虜を連れてきたロサリストはそう言ってドアを閉めた。見張りのロサリストは捕虜の手足を縛っている。 「ありがたく思え。ジョ・ニーチ様自らがおまえの首を切ってくれるんだ!」 ロサリストは縛りあげた捕虜をハルスの隣に座らせた。それを見た片桐は思わず声を出しそうになった。そして、縛られているハルスもまた新入りの顔を見て驚いている。 「なんでこんなところに……?」 その新入りの捕虜とは間違いなく、北の森の聖女ステラだったのだ。 片桐は自分がかなり混乱しているのを認めざるを得なかった。ステラは負傷したフランツ中尉を連れて才蔵の村へ向かったはずだ。今頃、才蔵の家臣に守られて自分の帰りを待っているはずだ。幸いにも、この謎を親切にも見張りが解決してくれた。 「しかし、おまえも無謀だな。人捜しか何か知らないが、たった数名の護衛でこんなところをうろつくなんてな」 「あの殺した連中はサムライとかいうヤツの部下だったらしいな。どっちにしろ敵だ。神の敵だ!」 どうやらステラは片桐を捜して才蔵の部下と共にうろうろしていて捕まったようだ。状況は最悪に近いと言えた。そこへ、再び地下室のドアが開かれた。 「こ、これはジョ・ニーチ様! ポルンゴ・ロッサー!」 「ポルンゴ・ロッサー」とは「ロザールの神々に栄光あれ」という古代ロザール語のことだった。彼らはこれを合い言葉にしているようだ。ロサリストが一斉に立ちあがってその人物を迎えた。タ・ロールはその名前を聞いて体を堅くした。 ジョ・ニーチ。彼こそがロサリストの指導者だった。エルドガンにしてはやや小太りで青白い肌と黒い髪の毛が印象的だ。ジョ・ニーチは捕虜を一通り見回すとステラに目を留めた。 「この捕虜は先ほど連行してきました! 例のサムライの部下と一緒にいたそうです!」 ジョ・ニーチは部下の報告を聞きながらステラの顎を乱暴に持ちあげた。 「わたくしはアムターラ村の聖女ですよ! このような無礼が許されると思っているのですか?」 捕縛されてもなお尊厳を失わない彼女の言葉にジョ・ニーチはただでさえ細い目をさらに細くして笑った。 「ほお! 古代ロザールの神々だけでなく様々な神々をあがめるという北の森の聖女か! おまえの首は背教者グンク・ニルと同じく、念入りに斬ってやろう! 神も背教者の死を喜ばれるだろう」 「ポルンゴ・ロッサー!」 ロサリストたちがジョ・ニーチの言葉に次々と答えた。それに答えるようにジョ・ニーチはステラを乱暴に突き飛ばした。 片桐は怒りのあまりシグの狙いをジョ・ニーチに定めたが、どうにかそれを思いとどまった。今、彼とタ・ロールだけではジョ・ニーチを含めて四名のロサリスト倒すのは難しい。軽く舌打ちしながらシグをホルスターにしまおうとして、チョッキの胸の部分にふれた。 「おい、タ・ロール」 「どうした?」 片桐はチョッキに引っかけたあるものを取り出しながらタ・ロールに提案した。 「今やろう!」 「バカな! ジョ・ニーチと三人のロサリストをこの位置からどうやってやっつける?」 片桐はさっきチョッキからはずした「あるもの」についてタ・ロールに説明した。彼は驚いた様子で片桐に再度確認した。 「本当に中のグンク・ニルはそれで死ぬことはないんだな?」 「ないよ」 タ・ロールは片桐の言葉を聞くと決心したように腰のピストルを抜いた。 「単発じゃ役に立つまい」 そう言う片桐にタ・ロールは少し笑って答えた。初めてこの警備隊長が笑うのを見た、と思った。 「こいつはゲベールの様な単発じゃない。見ろ、ここに弾を詰めた筒がある。こいつを差し込んで撃つんだ」 タ・ロールのピストルは激鉄の近く、スライドの部分に五センチほどの木の筒がくっついていた。その中に弾丸が詰まっていて、発射すると余剰のポルが筒の中の弾丸を薬室に送り込む構造だった。魔法力を応用したオートマチックの拳銃だった。彼のオリジナルらしい。多少の次弾装填における構造上の不正確さも、彼のポルでカバーして安定した連射ができるそうだ。 「よし、じゃあやろう」 片桐は腰から銃剣を引き抜くと窓の格子が刺さった部分を慎重にえぐった。そうして数本の格子を抜いて隙間を作った。 準備が整ったところでタ・ロールに最後の確認をした。 「こいつが破裂するまで目は開けるなよ」 「わかった」 片桐は「あるもの」、対テロ訓練で使用するはずだったスタン・グレネードのピンを抜いた。そして一呼吸おいて地下室に放り込んだ。目もくらむ閃光と音、煙が地下室を覆った。 「今だ!」 片桐の合図でタ・ロールが鉄格子を転がるように体当たりで壊して地下室に滑り落ちた。片桐は煙が晴れてきた室内で、例の抱え大筒のような武器を持ってうろたえるロサリストを二名、四発でしとめた。そしてそのまま、タ・ロールのように地下室に滑り込んだ。 「逃がすかよ!」 片桐は入り口を探して逃げようとするジョ・ニーチの足を撃ち抜いた。ロサリストの偉大な指導者は大声をあげて地下室に転がった。 タ・ロールはもう一人のロサリストをピストルで殺したところだったが、転げるジョ・ニーチを見てすばやく彼にとりつくと首にさっと短剣を走らせた。あっけない。ロサリストの指導者の最期だった。ジョ・ニーチはがっくり膝をついてそのまま床に突っ伏した。 彼の部下がいれば「ポルンゴ・ロッサー」を連発する悲劇的状況なのだろうが、彼の部下はもう殺された後だった。 「グンク・ニル! お助けに参りました!」 タ・ロールは縛られた王に跪いて軽く挨拶を交わすと短剣で彼の縄をほどいた。片桐も目を白黒させているハルスとステラを解放した。そしてシグを腰のホルスターにしまうと、肩にかけた八九式小銃を構えて入り口に狙いを定めた。 「ジョ・ニーチ様! どうなさいました!?」 ステラを連行したロサリストが無警戒で入り口のドアを開けた。それに向けて片桐は三発撃って彼を倒した。どうやら近くのロサリストはこれだけのようだ。 スタン・グレネードの衝撃からようやく我に返ったステラは片桐を見つけてその胸に飛び込んだ。 「ああ、片桐! ごめんなさい! わたくし、あなたが心配で才蔵様にお願いして探しに出かけたのです。それでこの街を見つけて、才蔵様がつけてくれた護衛といっしょにこの街に入ったんですが、いきなりロサリストに襲われて……」 「そんなことだろうと思いました。まったく無茶をして」 片桐はぎゅっとステラを抱きしめるとハルスの方に向き直った。歴戦の海軍大尉は見たとおり元気で体をほぐしていた。長い間ここに監禁されていたようだ。 「それにしても、片桐三曹に助けられるとは思ってなかった。この恩は生涯忘れないよ」 「再会のお祝いは後にしろ! 行くぞ!」 タ・ロールの言葉を合図に一同は行動を開始した。 アジトのドアを開けるとエル・ハラが片桐に抱きついてきた。まるで待ちかまえていたようだ。 「片桐! 父を救ってくださったのね!」 背後のステラの鋭い視線を感じながらどうにか彼女を引き離す。タ・ロールも怖い顔をして片桐を一瞥した後、部下に命令を下した。片桐は敏感にエル・ハラの変化を感じ取っていた。彼女の部屋での誘惑とは違うにおいを感じた。やはり、エルドガンは嘘や芝居のたぐいが苦手なようだ。だが、しばらくは彼女のなすがままにしておく他ない。 「よし、打ち合わせ通り! 街から脱出するぞ!」 タ・ロールは部下とひとかたまりになってグンク・ニルとエル・ハラを守りながら外に出た。すでに数名のロサリストがアジトの外で待ち伏せていたが片桐の八九式であっという間に倒された。 「片桐! あなたはやはりすごいわ! わたくしの見込んだ方だけのことはあります!」 エル・ハラは片桐の左手にしがみついて笑顔で言った。タ・ロールのきつい視線を感じながら片桐はそのまま街の門まで走った。 「早く! 追っ手が来るぞ!」 馬小屋のガントルが門を開けて待っていた。彼の小屋にいたボスホースはこのときのために備えられていたのだ。その中に、片桐とステラの愛馬も混じっていることを確認すると、片桐は世話になった馬番に向き直った。 「君も来い! ここにいちゃ殺されるぞ」 ガントル族の馬番は笑顔で首を横に振った。 「まだ、やることが残ってるんでね。さあ、行けよ!」 そう言うと彼は小屋の中に駆け込んだ。街の方からボスホースに乗ったロサリストが数十騎、追いかけてくるのが見えた。指導者を殺されてかなり殺気立っているようだ。 逃げ切れないと判断したタ・ロールの部下が乗馬してロサリストに突入した。 「無謀だ!」 片桐の言葉むなしく、彼らはロサリストの大筒で次々と吹き飛ばされた。それでもゲベールで応戦して時間を稼いでいる。タ・ロールはグンク・ニルを自分のボスホースに乗せると海岸に向かって走り出した。 「わたくしはあなたと一緒に行きます!」 片桐の背中にまたしてもエル・ハラが飛びついてきた。もはやボスホースは残っていない。馬番のガントルが小屋からゲベールを出してロサリストの追っ手を撃ちながら言った。 「早く! 行くんだ!」 そう言って彼が再びゲベールを構えた瞬間、彼の至近距離にロサリストの弾丸が着弾し、哀れな馬番は吹き飛ばされた。片桐はステラとハルスが彼女の愛馬に無事にまたがって門をくぐるのを確認すると自分も街の外に飛び出した。 「あのガントル族……、ボスホースの世話しか頼んでいなかったのに……」 理解できない様子で背中でつぶやくエル・ハラに片桐は前を向いたままで答えた。 「世の中、ああいう連中もいるんですよ。みんながみんな他人に冷たい訳じゃないんだ……」 片桐とエル・ハラ、ステラとハルス、タ・ロールとグンク・ニルを乗せた馬とボスホースは必死に海岸に向けて走っていた。そこで急にエル・ハラが片桐の背後で叫んだ。 「片桐、わたくし初めて人を愛するということを知りました。それが異世界人でも構いません! あなたを愛しています!」 背中のエル・ハラの突然の告白に片桐は舌打ちした。見え透いた魂胆で、普段ならかわいらしいものだと言えるが、今は状況が違っていた。 「エル・ハラ、いやグンクラート、つまらないカマかけをしないでください! あなたがたはやはり、嘘をつくのが下手なようだ。俺はステラと愛しあっています。あなたは同じようにあなたを愛している人物をきっと知っているはずです」 「そんなことっ!」 走る馬の上でエル・ハラはムキになって反論した。だがその視線が、彼女の父を乗せて必死にボスホースを駆る人物に向けられていることはよくわかっていた。彼女はタ・ロールの反応を確認しているのだ。なにもこんな時にそんなことをする必要もないのはずだが、いやこんな時だからこそだろうか。若い者の考え方はわからん、と片桐は思った。 「これ以上こんな時に、ばかげた茶番に巻き込まれるのはまっぴらごめんです!」 突き放すような片桐のせりふにエル・ハラは彼の背中で身を堅くした。 「あなたたちの人生は長いんだ。一回くらい惚れた男に当たって砕けてもいいんじゃないですか? 見え透いた芝居で相手を傷つけるよりよっぽどいいと思いますがね!」 「わたくしはグンクラートです! そのようなまねができるはずがないでしょう!」 半分開き直ったエル・ハラがそう言ったとき、二人の議論を中断させるように、追っ手のロサリストの放った砲弾並みの爆発が二人を襲った。至近距離で炸裂した銃弾は馬上の2人を吹き飛ばしたのだ。砂浜だったのが幸いしたようだ。二人はどうにか起きあがった。彼の愛馬も無事なようだ。 「エル・ハラ、怪我は……?」 「どうにか無事なようです」 砂浜に投げ出された彼らは無事だった。しかし目の前に追っ手が迫っているのが見えた。片桐は八九式を構えた。 「ステラ! ハルス大尉を連れて才蔵殿の村へ!」 村までそう遠くない。彼女が助けを求めて走れば間に合うかもしれない。そう思った。 「片桐! あなたはどうするのです!」 今は議論の暇はない。片桐は先頭集団のロサリストを八九式で次々と撃ち倒しながら再び叫んだ。 「早く! 才蔵殿にこのことを知らせてくれ!」 ロサリストの方を向いたまま片桐は叫んだ。今この瞬間、ステラだけでも才蔵のところへ送らないと本当に全滅してしまう。ボスホースは彼の思ったよりも俊足で、追手の馬術もかなり長けている。包囲されてしまえばあの抱え大筒で殲滅されてしまうだろう。 「グンクラート・エル・ハラ!」 悲壮な叫び声に思わず片桐は振り返った。いつの間にか、グンク・ニルをステラの馬に移したタ・ロールが、例の連発ピストルを構えてボスホースを疾走させている。 揺れる馬上という悪条件でタ・ロールは片桐とエル・ハラに狙いを付けるロサリストを次々と撃ち倒した。だが、その陰に隠れていたもう一人の追っ手の銃弾が彼の愛馬を撃ち抜いた。 タ・ロールは前のめりに砂浜に投げ出されたが目前に迫った追手を素早く剣を抜いて倒す。そしてそのまま転がるように片桐とエル・ハラのところに駆けつけた。 「グンクラート! お逃げください!」 その様子にエル・ハラは呆然とした。が、次の瞬間、小銃を構える片桐の腰からシグザウエルを引き抜くとタ・ロールに襲いかかろうとするロサリストに次々と発砲を始めた。その狙いは全く定まっていないが、追っ手の突撃を止めることは成功した。 予想だにもしない王女の行動に警備隊長が驚いて叫んだ。 「グンクラート! そんなことをせずに、早くお逃げください!」 「いえ! 幼少の頃からわたくしを守ってくれたあなたを見捨てるわけにはいきません!」 そう言うとエル・ハラはマガジンに残った銃弾をタ・ロールに飛びかかろうとしたロサリストに撃ち込んだ。二発命中してロサリストは倒れた。とんでもない状況で愛の告白に等しい言葉を放った王女にタ・ロールは呆然とした。だが、それをゆっくりと受け止めることを許す状況ではない。数名のロサリストがつっこんできた。 「ちくしょう!」 片桐も起きあがって八九式を撃ちながら、タ・ロールとエル・ハラを援護すべく撃ち続けた。グンク・ニルを収容していったんは才蔵の村へと続く砂丘を登り始めたステラだったが、片桐の行為に驚きの声をあげた。 「片桐! なにをしてるのです!?」 「ステラ! 早く二人を連れて才蔵殿の村へ行ってください!」 片桐の声に少し離れたところにいるステラは心底驚いた様子だった。愛する自分を放っておいて、エルドガン族の少女を命がけで助ける片桐の気持ちが理解できなかったのだ。彼らの妙にべたべたした光景を思い出して彼女は嫉妬の感情に心奪われそうになった。 心から沸き上がる嫉妬の感情はステラ自身で押さえられるものではなかった。 「片桐! わたくしとそのエルドガンとどっちが大事なのです!」 彼女の叫びを聞いて片桐は舌打ちした。やっぱり誤解されている。あれだけ聡明なステラが嫉妬の感情で自分を疑っていることが少々ショックだった。だが、事態はそんな個人的な心情を優先させる状況ではなかった。ロサリストはさらに後方から数十騎でボスホースを全力で駆って片桐たちに突進しようとしていた。片桐は八九式のセレクターをフルオートに切り替えた。 「ぐあっ!」 だが、片桐が発砲するまでもなくロサリストは片桐たちの目前で次々と倒れていった。突然の出来事に後続のロサリストもボスホースの動きを止めた。片桐が後方の砂丘を振り返った。 「突撃!」 聞き覚えのある声と、馬のいななきが聞こえた。ゲベール隊の射撃の後、才蔵率いる騎馬隊が一斉に突撃を開始したのだ。片桐は才蔵の部下に大筒を向けるロサリストを狙い撃ちした。 数名のロサリストが倒れたところに長槍の騎馬隊が突入した。長槍を持つ騎馬武者相手だ。勝負はあっという間だった。 「片桐殿!」 隊列からはずれて甲冑姿の才蔵が片桐に近寄ってきた。馬から降りてがっちりと片桐の手を握った。 「ステラ様からお話は聞いていました。水くさい! ハルス大尉の救出なら我々に相談してくれればよかったものを……」 「いや、この助けで十分ですよ! 我が友よ!」 甲冑の才蔵と迷彩服の片桐ががっしりと友情の抱擁を交わすのをきょとんとして見ているタ・ロールとエル・ハラだったが、片桐がそれに気がついて才蔵にエルドガンたちを紹介した。才蔵はグンク・ニルと王女のエル・ハラに恭しく挨拶すると言った。 「事情はよくわかりました。この上は我が村が全力でお守りいたします」 「心遣い感謝いたします……」 グンク・ニルは才蔵にとりあえず返礼するが、いまいち彼の言葉を信用してはいなさそうだった。それを認めてタ・ロールが王に代わって才蔵に質問した。 「我々はエルドガンです。他の種族には関わりを持とうとしない人種です。それなのになぜそこまで?」 才蔵は片桐を魅了したなんの屈託もない笑顔を同じく、タ・ロールにも向けて答えた。 「我が領地に助けを求めて来た客人を助けるのは当たり前。見捨てたとあっては、この富田才蔵の義がすたります! 理由はそれだけです」 あっけらかんとした武士の返答に、タ・ロールはもちろん、グンク・ニルも唖然としてしまった。 才蔵の屋敷にたどり着いた一行はそれぞれ部屋を提供された。片桐とステラにも部屋が提供され、そこで片桐は聖女様にあちこちにできた擦り傷の手当をしてもらった。が、部屋の雰囲気は最悪といってよかった。 「まったく、あんな無茶をして……」 地下室への突入、ロサリストとの追撃戦で片桐はあちこちに擦り傷を作っていた。彼女の愚痴も無理もないことだった。そしてそれ以上に彼女が疑問に思い怒っていることがあった。 「そして、あのエルドガン族の王女とはどういう関係なのですか? わたくしを放っておくほどの関係があったのではないのですか?」 予想したとおりの質問が片桐に投げられた。片桐は、エル・ハラとタ・ロールのことを彼女に話した。なにもあんな時に、他人を当て馬にしなくてもいいんだが。そこは若さ故の暴走と片桐も大目に見ていた。 「本当にそれだけですか?」 だが、ステラは大目に見ていないようだった。片桐の脳裏にあの大喧嘩の記憶がよみがえった。彼女は立ちあがって片桐に背を向けた。 「わたくしは不安なのです! あなたと意志を確認はしましたが、本当の意味で愛し合ってはいない状態であなたがいつ、わたくしから離れていってしまうのか……」 彼女が抱いているのは明らかに嫉妬の感情だった。それは才蔵と初めて出会った時に片桐も感じた感情だったからよくわかる。彼も立ちあがって後ろからステラを抱きしめた。激しい言葉とは裏腹に彼女は片桐に体を預けた。 「三年とはなんと長い年月なんでしょう……。掟とはいえ、あまりにつらすぎます」 「でも、きっちり三年と決まってるわけじゃない……。それにその掟が俺とあなたとの信頼関係の障害になっているのも事実です」 片桐はステラの耳元でささやいた。彼女は少し体を震わせた。 「それは認めます。わたくしもそう思います」 「ではなぜ? 俺はあなたと愛しあいたい。あなたもそうだ! そしてそれを縛る掟が俺たちを不幸な方向に導いていることもわかっているのに」 片桐がここまで自分の要求をはっきりと表明したのはこれが初めてだった。それを察したのかステラが真剣な表情で彼に答えた。 「実は、あなたにはまだ言っていないことがあるのです」 そう言うと彼女は片桐の手から逃れて彼に向き直った。 「わたくしと愛し合うということは、聖女の血を受け継ぎ、子孫を宿し、守り育てることです。あなたはその生涯をこの世界で過ごし、その命をわたくしとわたくしたちの子供に捧げるのです。他の者のように自由な意志で別れることはできません。これは古くからの聖女の血を引く者のならわしです」 「もしもそれを破ったら?」 ステラはその質問に悲しげな表情を浮かべた。そしてその口から出た言葉はその表情にふさわしいものであるように思えた。 「そうなれば、わたくしはあなたを殺します。村の人々もあなたを殺します。わたくしを北の森の聖女と認めるこの世界のすべての人々があなたを殺さねばならなくなります。だからわたくしは怖いのです。あなたがこのことを知ったらならば、わたくしのもとを去ってしまうのではないかと思って。だから今まで言えなかったのです……」 つまり、生涯を仲良く暮らしていけばいい。そのかわり、別れたときはこの世界すべてが敵になる。そう言う理屈だった。 「あなたは異世界の人。召還の秘術がわたくしの生涯で一度しか使えない秘術でも、いくらわたくしを愛していてもいつかは元の世界へ帰るかもしれない。そう思うと、このことを言うのが怖かったのです……。あなたと愛し合えないのはつらいけど、あなたがわたくしの前から消えることの方がもっと怖いのです」 そう言うとステラは片桐に抱きついて激しく嗚咽した。恐ろしく単純だが、明快な掟と言えた。聖女と愛し合い、聖女の子孫を命の限り育てあげることが義務。この世界では一般人はある期間純潔を保って肉体関係を結んだ後は別れるのも自由だ。しかし、大事な聖女の血を保つにはこれでは不十分だ。 いつになくうろたえ、嗚咽するステラを抱きしめながら片桐はこの掟について考えていた。そして思わず口に出した。 「それって結婚しろってことかな」 片桐の口から聞き慣れない言葉が出たのを聞いてステラは涙に濡れた顔をあげた。 「結婚?」 彼女の疑問は当然だった。結婚の制度がないこの世界ではなるほど、厳しい掟だろう。だが、片桐の世界には結婚という制度がある。そして彼女の言う掟とは非常にその制度と似ていると思ったのだ。 「ステラ、俺の世界では愛し合う男女が誓いの言葉に承諾するんです……」 片桐がそう言ったとき、引き戸の向こうで声が聞こえた。 「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますかってな」 軽いノックの後、引き戸が開かれた。外には着流しを着た才蔵と肩から腕を吊したフランツが笑顔で立っていた。片桐とステラは思わず離れた。てっきり喧嘩していると思ったのか、才蔵が場の雰囲気を察すると慌ててそれを取り繕った。 「これは失礼! ステラ様の声が聞こえたので、また喧嘩か? と心配して駆けつけたら、このようないきさつだったので……。つい立ち聞きしてしまいました」 才蔵が片桐に目で合図しながら笑顔で言った。そしてフランツの腰をつついた。するとフランツも口を開く。 「失礼だが、話は聞きました。いいではないですか? 厳しい習わしだが、考えてみれば結婚するのと同じ様なもんだ」 「フランツ中尉、結婚とはなんです?」 ややあって、少し落ち着いたステラの質問にフランツは驚いた。 「なんだ、片桐三曹。君は結婚の意味もまだ教えていなかったのか?」 フランツに言われて片桐は初めてそのことに気がついた。この世界に結婚の概念がないと聞いて、彼女には結婚の話は何一つしていなかったのをいまさらながら思い出した。 「結婚とは、愛し合う者が神の名において、生涯お互いを大切にする事を誓う儀式みたいなものです。先ほどステラ様が言われた掟に近いですな。まあ、もっとも別れると殺されるなんてことはありませんが、別れた場合には我々の世界なりにそれ相応の報いがありますがね」 フランツと才蔵は喧嘩ではないとわかって少しばつが悪そうに笑った。結婚の意味を理解したステラはフランツに問いかけた。 「フランツ中尉、先ほどの異世界の誓いの言葉、もう一度言ってくださいますか?」 「ええ、ホントはもっと長いんですが……。健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」 フランツの言葉を聞いてステラはきょとんとしている片桐に振り返った。いつになく真剣な眼差しで彼を見つめている。 「片桐、わたくしに誓ってくださいますか? わたくしたちを死が別つまで、わたくしを愛してくれますか?」 突然の展開にとまどった片桐は視線をうろうろさせた。普段からそのつもりでも、いざとなればなかなか言葉には出せない。その視線が才蔵とフランツに向けられた。二人は声に出さないように必死に、 「はいって言え!」 とジェスチャーしていた。それを見て思わず吹き出しそうになりながら答えた。言われるまでもなく、彼の返事は決まっていた。 「はい……。そうじゃないとこの世界に自分からはなっから残ったりはしませんよ」 その言葉を聞いてステラは再び片桐の胸に飛び込んだ。それを見届けた才蔵とフランツは無言で引き戸を閉めて立ち去った。片桐の胸の中で、さっきまで泣いていたステラが安心したよう笑っている。 「それにしても……、早くそんな掟というか、習わしがあると言ってくれればよかったのに」 ステラを抱きしめながら片桐が言った。二人が本当の意味で結ばれるための最大の障壁は実はとてもハードルが低いものだと知って彼は内心安心した。 「ごめんなさい、片桐。でもわたくしもびっくりしました。あなたの世界にそんな習慣があって、しかもそれがわたくしが最も心配していたことと同じことだったなんて」 「俺も神様に誓ってしまったんですから。万が一、あなたが「消えろ」と言っても消えませんよ……」 そんな言葉を交わすとどちらからともなく、お互いの唇を求めた。いつもより、長く熱いキスだった。 庭の離れで酒を酌み交わす才蔵とフランツは、片桐たちの部屋の明かりが消えるのが見えた。これでやっと二人の愛も成就できることになりそうだ。 「いや、我ながらとんだおせっかいですな」 酒を飲み干しながら才蔵が笑った。才蔵は一度ならず、片桐とステラの関係の危機を救ったのだ。フランツはその才蔵に酒を注いであげながら答えた。 「今夜、結ばれたのは彼らだけではないみたいですよ……、ほら」 フランツは庭園の奥を指さした。才蔵がそっちの方を見ると、エル・ハラとタ・ロールの姿が見えた。二人は少しばかり会話を交わしていたが、エル・ハラが覚悟を決めたようにタ・ロールに抱きついた。 「ははは! 我が屋敷ながら肩身が狭い! ははは!」 才蔵は高らかに笑った。屋敷の上から赤い満月、ゾードの赤い光が降り注いでいた。 翌朝、エルドガン族の一行は才蔵の村を旅立った。グンク・ニルもタ・ロールも、ロサリストの指導者は死んでしまったが今だに多くの要塞都市を占領するロサリストと戦うという。 「才蔵殿、本当にお世話になった。あなたの恩は生涯忘れない」 そう言って握手するグンク・ニルに才蔵は笑顔で答えた。 「この村から南はあなた方の森です。我々がそれを侵すこともありませんし、別の勢力が侵そうとした場合、我々が全力でそれを防ぎます」 才蔵の言葉にグンク・ニルは再び驚きを隠せない表情になった。その表情の意図を察した才蔵は彼が言葉を発する前に再び口を開いた。 「それが武士道であり、騎士道です。ですな? ハルス大尉」 才蔵の言葉に、フランツと一緒に見送りに出たハルスは無言で頷いた。今や、サムライとプロイセン騎士は同盟関係で結ばれているのだ。エル・ハラは片桐を見た。その彼の横にはステラがいた。 「片桐、ステラ様。ありがとう。わたくしの父を救い、わたくしの本当の気持ちに気づかせてくれて……。片桐に対するわたくしの行動についてはお詫びします」 そう言ってエル・ハラは彼女のそばに控えるタ・ロールの腕にしがみついた。照れくさそうにタ・ロールが口を開いた。 「片桐、君たちは異種族だ。エルドガン族は異種族と心を通わせることはしない。だが、君たちだけは別だ」 無表情でそれだけ言うとタ・ロールは彼の王女をボスホースに導いた。彼らと共に、護衛の才蔵の部下が一緒に出発した。エルドガンを見送ると才蔵が片桐とステラに振り返った。 「さて、あなたたちだが。ここに留まれと言っても留まるつもりはないようですな」 残念そうにため息をつきながら才蔵が言った。 「才蔵様、わたくしは古代ロザールの謎が知りたいのです。そしてそれを使ってこの世界を平和にしたいのです。どうか、わかってください」 ステラの言葉に再び才蔵はため息をついた。その気持ちはフランツもハルスも同じだった。 「片桐三曹、ステラ様。我々とともに静かに暮らしましょう! エルドガンも自らの手で遠からず平和を手にするでしょう」 フランツの言葉に二人は首を横に振った。この世界で得た友人たちの進言をも受け入れない決意があったのだ。古代ロザールの謎。その聖地を求める手がかりが見つかった以上、行けるところまで行くつもりだった。 「才蔵様、ハルス大尉、フランツ中尉。お言葉はありがたいですが、わたくしたちは行きます。そして必ず戻ります。どうか祈ってください」 ステラの固い決意に満ちた言葉に三人は顔を見合わせた。そして彼女の横にいる片桐に向き直った。 「片桐殿、いいのですか?」 才蔵の再度の確認に片桐はステラの肩を抱きながら笑って答えた。 「夕べあなたたちの前で誓ったはずです。死が二人を別つまで一緒にいると」 その答えを聞いて才蔵は笑って肩をすくめた。これ以上引き留めても無駄と悟ったのだ。それを見てフランツも同じく笑って肩をすくめた。 「まったく、片桐三曹もステラ様も変わったな。昨日いったいなにがあったのか。決意の固さが違うように思えてなりません」 事情を知らないハルスが言った。才蔵とフランツが慌てて彼の口をふさごうとするが遅かった。片桐とステラは真っ赤になってうつむいた。 「お待たせしました! 準備はできてます!」 バートスがローズとセピアを連れて門まで走ってきた。片桐とステラの愛馬には弾薬の他に、彼によって多くの水と食料も備えられていた。二人は、才蔵、ハルス、フランツと代わる代わる握手を交わした。騎馬にまたがった才蔵の部下が護衛のために彼らを待っている。才蔵はそれを見ると二人に声をかけた。 「部下に森のはずれまで送らせましょう。どうか、お元気で!」 「ステラ様、お幸せに!」 フランツが敬礼しながら笑顔でウインクした。ハルスも敬礼で彼らを送った。 「さあ、ステラ。行こうか……」 片桐とステラは才蔵の部下に護衛されて東の森へ出発した。愛馬の心地よい振動に揺られながら片桐は聖女様に振り向いた。彼女も同じように片桐を見ていた。 「片桐、きっと、みんなのところへ二人で戻りましょうね」 そう言ってステラは左手を片桐に差し出した。片桐は右手でその手を握りしめた。昨日までとは少し違う感じのする彼女の手は温かかった。 「ああ、きっと戻ろう!」 彼らの目前には未知の世界、森の向こうに広がる大平原が広がっていた。その先にあるといわれる古代ロザールの聖地に向けて二人は愛馬を走らせた。 第五章 異世界のユートピア 才蔵の部下は森のはずれまで同行してくれた。鎧武者の護衛は彼らにとってありがたく、心強いものだった。森のはずれで一行は止まった。 「ステラ様、片桐様、ここまでです。どうかご無事で」 騎馬武者が頭を下げた。片桐も才蔵と彼の部下の心遣いに感謝した。 「才蔵殿によろしく伝えてください……」 「はっ。では」 才蔵の部下たちは素早くきびすを返すと森の奥に向かって馬を走らせ、そのまま森の奥に消えた。今二人の目の前には森はなく、広大な平原が地平線まで続いている。 今まで出会った人々は誰も知らない、少なくとも数百年から千年はアムターラや周辺の集落からは誰も行って帰った者はない未知の世界だった。 「さあ、新しい世界に旅立ちだ……」 それから十日、二人は何もない平原を進んだ。彼らの脅威と言えばどう猛な肉食獣であるジャキータと呼ばれる動物くらいだった。 ジャキータの姿はライオンみたいだが動きはカバのように遅く、数も多くなかった。野生のボスホースやステラも聞いたことのない草食動物がいる世界だった。 「こいつで最後か」 小高い丘の上の野営地で片桐はつぶやいた。本来、現代戦術では見通しのよい丘の上に野営するなど非常識だったがこの世界では通用しない。極力、自分の目で敵が見えるところの方が安全だったのだ。 そして、片桐はカセットコンロにかけた鍋に最後のインスタントラーメンを投下したのだった。 幸い、才蔵の村で米、みそ、醤油などは入手したが、米以外、それを活かす材料がないのがつらかった。現代人の片桐では狩猟はできても、獲物を解体する術を知らないのだ。 「片桐、今日もラーメンなのですか……」 ステラが残念そうに彼の肩に抱きつきながらぼやいた。無理もないだろう。森を脱して十日、彼らの食事はすべてラーメン、戦闘糧食、ドライフーズの雑炊などだったのだ。米はあるがおかずがない。現代人の片桐と豊かな森で育ったステラの胃袋は明らかに不満を訴えていた。 「川でもあれば魚を捕れるんだけどなぁ」 だが片桐の言葉通り、この十日、川らしい川も発見できていなかった。食料は当分問題ないが、飲料水が心許ない。 「たまには違う食べ物を食べてみたいと思いません? 片桐、がんばって」 一度愛を交わすと、どんな高貴な女性でもその男性の前では猫のようになるという本を読んだことがあった。高貴な聖女であるはずのステラは今や猫のように片桐に甘えている。そんな彼女のためにもちょっとがんばってみようと思う片桐だった。 「片桐! 起きてください!」 翌朝、ステラの声で片桐は丘の上で目を覚ました。彼女の声は久しぶりに緊張した声だった。 「クアド族の男が丘の下でジャキータに襲われています!」 その言葉を聞いて片桐は飛び起きた。森を出て以来、他人に遭遇するのは初めてだったのだ。この未知の平原はまさに、前人未踏の地に思えていた。今までの海岸地域なら馬で数日の距離で集落に出くわしていたが、今回は違っていた。 今、初めて彼らはこの平原の住人であろう人物に遭遇したのだ。 「あそこです!」 ステラの指さす方向に双眼鏡を向ける。皮の鎧らしき装備を着た男が猛獣のジャキータ相手に長剣を構えている。彼の腕には何本かの腕章が見えた。腰には単発式らしきピストル。おそらく銃を撃つ間もなく襲われたのだろう。その姿は勇敢ではあったが、同時に無謀とも見えた。男は剣を構えてシャギータの突進に備えているが、その姿はどう見ても蛇ににらまれた蛙のようだった。 「助けましょう!」 そう言ってステラはゲベールを構えた。今や片桐以上の射撃の名手である彼女が放った弾丸は正確にジャキータの眉間を撃ち抜いた。それを確認して片桐とステラは男の方へ近づいた。 「おい、大丈夫か?」 片桐が男に声をかけた。男はさっと腰のピストルを抜いた。 「なぜ助けた? 目的は何だ?」 いきなり男は片桐に詰問するように言った。男の目は殺気でぎらぎらしている。 「そりゃ、襲われている人がいたら助けるに決まってるじゃないか」 片桐の答えを聞いて男は警戒姿勢を崩さないままいやらしく笑った。何か勝手に解釈したようだ。 「そうか……、女連れでここをうろうろしてる上にそんなことを言うってことは、あの腑抜けの街から追い出されたんだな」 「腑抜けとは失礼な! わたくしはアムターラ村の聖女ステラです! 腑抜けなんかではありません!」 怒ったステラの言葉にも男は相変わらず笑ったままだ。そして上から下まで彼女をいやらしく見つめた。今までに出会ったこの世界の人々とは思えないくらい下品な感覚を覚える。 「アムターラなんてところはこのヨシーニアにはないぞ! あるのはギルディと腑抜けの街だけだ」 この男と話していても埒があかない。片桐はステラを促してキャンプに戻ろうとした。すると男がまた声をかけた。 「おい! 俺を倒さないのか? 俺は腕章を六つ持ってるボサニートだぞ!」 「君がボサニートでもなんでも俺たちには関係ない。せっかく助かった命だ。大事にしろよな」 まったく話がかみ合わずにあきれている片桐の言葉を聞いて男は何か悟ったようだ。いったん下げかけたピストルを再び立ち去ろうとする二人に向けた。 「おい! 待て!」 男が大声をあげた。男の行動を予測していた片桐は振り向きざまに小銃の銃弾を三発ほど男の目前の地面に撃ち込んだ。轟音と土煙で男は後ろにひっくり返った。形勢を悟った男は手のひらを返したような態度になった。 「わかった! わかったよ! おまえらの望みは何だ? 何でもくれてやる!」 男に銃を構えながら片桐はステラを見た。彼女も男の行動が全く理解できない様子で肩をすくめるだけだった。と、ふと片桐の目にさっきステラがしとめたジャキータが目に留まった。そういえばまだ朝食も食べていないことを思い出した。 「じゃあ……、あの動物を解体する方法と料理法を教えてもらおうか」 ジャキータの解体方法を実演しながら男は話しかけてきた。 「こいつのさばき方を知らないところを見ると、やはりあんたらはヨシーニアの人間じゃないな……」 トルンドと名乗った男は納得したようにつぶやいた。そしてそばで見張りに立つステラに振り返った。 「おい! しっかり見張ってくれよ。この辺は森に近いからな。エルドガンのデボサニートがうろついてんだ!」 トルンドの物言いにステラは顔を真っ赤にして怒って何か言おうとしたが、彼を手伝う片桐が目でそれを制した。そしてトルンドに向き直った。 「デボサニートってなんだい?」 「俺はボサニートだ、奴らは俺よりもランクが上なんだ。それだけ大勢殺してるってことだ。俺より下の連中はサニートって言う。屁でもない連中だ。俺の親父もサニートだったが、実際大したことなかったもんな……」 トルンドの言葉に片桐は思わず手の動きが止まった。ステラも驚いて振り返った。 「なんだ? おかしなことか? 男がまず最初に殺すのは父親に決まっているじゃないか? この焼き印をつけた本人の親父をな!」 そう言ってトルンドは腕につけられた焼き印を見せた。彼曰く、この焼き印で自分はその父親の子供かわかるそうだ。 「俺たちが狩るのはクアド族やエルドガン族だ。男は殺し、女は自分のものにする。そして子供を産ませ、焼き印を押し、男はほっぽりだす。女は奴隷にするんだ。大昔からの決まりだよ」 なんという殺伐とした世界なのか。思わず片桐は身震いした。つまり、この土地では出会った者同士、いつ殺し合いが始まってもおかしくない。刺すか刺されるかの世界というわけだ。 パサティアナの門で馬番をしていたガントル族の言葉を思い出した。 「あんな恐ろしいところ」 「で、でも……。あなたのその装備はどうやって手に入れたのです?」 信じられないこの地のルールにうろたえながらステラが質問した。相変わらずトルンドの目線は彼女の四肢をいやらしくはい回っている。ここまであからさまだと、さすがに片桐も嫌悪感を覚えた。 「ギルティだ、あそこだけは昔から殺し合いはやっちゃいけないことになってる。そこで殺した敵の証を持っていくとそれと交換に武器が手に入る。ちょうど、俺も行く用事がある」 そういってトルンドは血塗れの腕章を二人に見せた。この腕章は自分の身分を示すと同時に通貨の価値も持っているようだ。これを持っていることこそ、多くの人間を殺した証拠になり自分の名誉になると同時に、必要ない腕章はギルティで物資と交換するわけだ。 そのギルティとは片桐が想像するに中立地帯の村落であるはすだ。彼らは生産手段を持たず、その技能を殺し合いに極端に特化させているのだ。その理由はおそらく、食糧資源のない平原地帯での人口を押さえるためだろう。理屈だけで言うととても合理的だが、片桐にも、森で育ったステラにも理解し、受け入れられるシステムではないが。 トルンドにジャキータの解体方法を教わった片桐とステラは、彼の言うギルティに向かった。馬で数時間のところにギルティはあった。やはり、片桐の予想したとおり、そこは村落だった。村人はほとんどガントル族だった。彼らは激しい戦闘には向かない。 きっと大昔からこのような殺し合いが続く中、彼らが生き残るために作り上げた中立地帯なのだろう。その中の一軒の建物にトルンドが入った。村の中のクアド族はやはり、トルンドと同じく、重武装であった。そして見慣れない片桐とステラを敵意とトルンドの見せたいやらしさに満ちた目でじろじろと見ている。彼らの腕には腕章がいくつも結ばれているのが見えた。その数プラスアルファの人間を殺してきた証拠だ。 「片桐、わたくしこんな恐ろしい世界は初めてです。信じられない、自分の親をまず殺すなんて……」 ステラは周囲の恐ろしい殺気立った雰囲気に思わず片桐にしがみつきながら言った。その意見に関して、彼も全く同意だった。 「早いところこんな世界からおさらばしよう。トルンドは街があるって言っていたし、そこへ向かおう」 そんな会話を交わしたとき、建物からトルンドが顔を出した。 「おい、片桐! 中に入れよ。さっきのジャキータを殺した証拠を出してくれ!」 そう言われて二人は建物の中に入った。中は酒場も兼ねているようだ。大勢の重武装の男たちが酒を飲んでいる。中には徒党を組んでいる連中もいた。 「ああやってグループを作って効率的に殺す連中も多いが、俺は一匹狼なんだ」 トルンドはそう言いながら、銀行の窓口のようなところに彼らを案内した。窓口にはガントル族がいた。彼はうさんくさそうな顔をして片桐とステラを見た。そして不愛想に言った。 「ほお、この女ならいい値で引き取ってやる」 彼女を奴隷と思ったのだろう。ガントル族の窓口係の第一声だった。思わず片桐はそのガントルにつかみかかりそうになった。それを慌ててトルンドが止めた。 「いや、違うんだ。ジャキータをしとめた。これが証拠だ」 そういってトルンドはジャキータのたてがみと、骨を出した。窓口係はそれを受け取ってカウンターの下をごそごそ探った。そして腕章を片桐に差し出した。 「下級戦士サニートの腕章だ。どうする? 物資と交換するか?」 「俺がやったんじゃない。彼女がやったんだ」 片桐の言葉に窓口係は仰天した。ステラは得意げにゲベールを構えた。その騒ぎに気がついたのか、酒場の連中も片桐たちに注目している。特に集団でたむろしていた連中は明らかな敵意の目を向けているのが片桐にもわかった。 「おい、よせ!」 トルンドがそれを見てステラにゲベールを引っ込めさせた。この国で女がでしゃばることはかなりのタブーであるようだ。彼女の代わりに片桐が腕章と引き替えにゲベールの弾薬を購入した。 「まずいな。トラボロに目を付けられたかもしれない。あいつらはこの辺じゃ一番大きな集団のボスだ」 「目を付けられたら何かまずいことでも?」 片桐の質問はトルンドにとっては愚問以外の何者でもなかった。 「俺とおまえは殺されて、ステラは奴隷にされるぞ。ヤツの子供を産ませられる」 それを聞いてステラは身震いした。気高い聖女である彼女がそれを想像しただけで卒倒しそうになるであろうことは片桐にはわかっていた。 「心配するな、俺の家に行こう。俺も三日前に殺したデボサートの腕章でボスホースを買った。ボスホースならすぐに俺の家に着く」 さっきまでのトルンドの懐疑的な態度を忘れないように、片桐は彼と行動を共にすることにした。ともかく、今は少しでも安全と思える選択をしなければいけない。 トルンドの言う「家」とは平原に散らばる小高い岩山だった。ギルティからさらに数時間でそこに到着した。そこには十人近い女奴隷と、数名の男の奴隷もいた。 「男の奴隷もいるのか?」 たいそうな「家」を見上げながらこぼした片桐の独り言にトルンドが笑った。 「こいつらは北の腑抜けの街から追い出された連中だよ。時々、やたらと賢いヤツも混じってる。気にくわないが役に立つからな」 そう言ってトルンドは男奴隷に火の準備を命じた。もう一人には馬の世話を命じ、残った連中には岩山に登って周囲を見張るように命じた。トルンドの岩山は五十メートルほどの高さで一見すればその登り口は発見が困難だ。 そしてその頂上付近の平地に三つの小屋があった。女奴隷の部屋。男の部屋。そしてトルンドの部屋だった。トルンドはその日の気分でいっしょに寝る奴隷を決めているようだった。子供たちも数人いたが、決して優遇されているわけではないようだ。 「こんな扱いを受けて、あんな平原に放り出されたら誰でも父親に殺意を持つわけだ」 片桐は銃を手入れしながらステラに言った。横で同じくゲベールを手入れするステラも奴隷たちの生活ぶりを見て同意した。少し離れたところにいる二人に気を使うでもなくトルンドは食事の準備ができるまでの相手を女奴隷の中から捜していた。そして相手を見つけると無理矢理彼の小屋に連れ込んだ。 「なんて光景でしょう……。こんなところにいるだけでも寒気がします」 片桐は考えていた。このまま北にあるという「腑抜けの街」を目指すべきではないかと。どんな街かは知らないが少なくともここよりは穏やかな街であることが想像に安い。 「さあ、準備ができた! 片桐、ステラ! ジャキータの串焼きは最高だぞ!」 トルンドが大声をあげて二人を呼んだ。 夜、片桐はトルンドの小屋で、ステラは女たちの部屋で休んだ。男二人の雑魚寝。少なくとも片桐には才蔵の屋敷や、アムターラでの生活にはほど遠いここの設備をそう呼ぶほかなかった。ジャキータの毛皮の毛布は暖かいが、粗末な小屋に男だけで寝転がるのはどうも心地が悪い。寝袋を持ってくればよかったと後悔した。 片桐とステラが使う寝袋は「寝具はある」というトルンドの言葉をあてにして、愛馬のバックパックの中だった。 片桐はこの粗野な男に警戒心を抱いていた。もっとも本能的な部分でだ。 「なあ、片桐……」 毛皮をかぶるトルンドが口を開いた。 「ステラっておまえの何なんだ?」 ごく基本的な質問だった。片桐は眠りかけた振りをしたまま答えた。 「俺と彼女は生涯ずっと愛し合うんだ。そう決まっている」 この世界では、女を奴隷か品物程度にしか見ていない彼にそれを説明してもわかるはずもない。 「ばかな? 確かに、彼女は美しいが、そのために男のおまえは命をかけるのか?」 片桐にはごく当たり前の行為でもトルンドにとってはカルチャーショックのようだ。そんな彼に少し自慢げに片桐は答えた。 「そうさ、そうするだけの価値があるからな。彼女には」 そう言うと片桐は寝返りを打ってトルンドに背を向けた。寝床の中でシグザウエルを抜いて安全装置をはずした。彼の狙いはおそらくステラだ。昼間見せていた彼のいやらしい目。さっきの質問と言い、わかりやすいくらいだった。少しでも起きあがる音がすればシグを突きつけホールドアップさせるつもりだった。 だが、いつまでたってもトルンドが動く音はしない。あきらめたのか? そう思うと片桐は少しうとうとしてしまった。 女奴隷の小屋の中でステラは今までにない悪臭に耐えて横たわっていた。水も満足にないこの岩山で彼女たちの衛生観念は期待できるものではなかったが、これほどとは彼女も考えていなかった。 ステラもトルンドの妙に自分たちに親切な態度を怪しんでいた。 女奴隷たちは子供もいる者も含めて寝静まっている。彼女たちが哀れむべき対象であることはわかっていたが、それがイコールで有力な味方になるとも思っていなかった。 ため息をついてステラは目を閉じて寝返りを打った。片桐の提案通り、腑抜けの街を目指した方がいいような気がしていた。 「あっ……」 その時、ステラの首筋に違和感のある感触が走った。ジャキータの毛皮で作られた毛布の中でゲベールを握りしめた。目を閉じていてもわかる。彼女の首筋に感じるのは短剣の冷たい感触だった。 「声を出すなよ」 彼女の背後でささやくその人物も目を閉じたままでもわかった。ステラは思わず毛布の中で身を堅くした。声の主はトルンドだった。彼はステラの毛布の中に入ると背後から彼女を抱きしめながらささやいた。 「あんな軟弱な男は捨ててしまえ。俺の女になれよ」 そう言ってトルンドは、彼なりに、やさしく彼女の髪の毛をなでた。それだけで彼女にとっては屈辱だったが首に突きつけられた短剣がその抵抗を妨害していた。 「片桐はどうしたのですか?」 怒りと屈辱を押し殺してステラがトルンドに問いかけた。歯を磨く習慣がないのだろう。肉臭い息を吹きかけながら彼が答えた。 「あいつは殺さない。一応、命の恩人だ。それに、俺にやつを殺させるな。おまえが俺の女になればあいつを殺すことはしない……」 その答えを聞いてステラは決心した。片桐はまだ死んでいない。だとすれば、手はひとつしかなかった。 「そうですか」 意を決してステラは寝返りを打ってトルンドと向き合った。トルンドの興奮した臭い息が当たって思わず顔をしかめそうになるが我慢して笑顔を浮かべた。 「あなたがわたくしを見る目が昼間からとても情熱的なことはわかっていました……」 「そうだろ、そうだろ!」 トルンドは音を立てて鼻息を出しながらステラを見つめている。もはや短剣も彼の手にはない。彼の両手は彼女の美しい黒髪をなで回すことでふさがっている。その屈辱を我慢しながら、ステラは右手で背中のゲベールを確認し、左手をゆっくりとトルンドの下半身に滑らせた。 「わたくしがあなたの情婦になればいいとおっしゃるのね?」 ひきつりそうになりながら笑顔を保ってステラは尋ねた。もはや完全に欲望に支配されたトルンドは無言でうなずいた。それを合図にするようにステラは左手でトルンドの股間のものを思いっきり握りしめた。 「ぎゃあ!」 大声をあげてトルンドは彼女の毛布から飛び退いた。それと同時にステラはゲベールの銃口を彼の額に突きつけた。トルンドは痛みで顔をひきつらせながら寝そべっている。お互い寝たままの状態で対峙し、数秒の間だが二人は無言だった。 「撃てるか?」 痛みが収まり、にやにやしながらトルンドが起きあがった。狙いをはずさないようにステラも彼の動きに身体を合わせて起きあがった。彼の挑発に答えるようにゲベールの激鉄を起こした。 「おまえには撃てない……」 そう言うと、トルンドは再びステラににじり寄った。 「おまえが撃てないのはわかっている。ヨシーニアで生きていないからな。無防備な聖女様よ……」 と、トルンドの動きと言葉が止まった。ステラはトルンドの背後の影を見た。片桐がシグザウエルを彼の後頭部に押し当てているのが見えた。片桐は怒っていた。まさか、彼の気がつかないうちに小屋を抜け出し、ステラに迫っていようとは思わなかった。自分の軽率さを後悔していた。 「ステラ、さ、こっちへ」 片桐の言葉に、ステラはゲベールを手にしたまま、トルンドにシグを突きつける片桐の背中にしがみついた。今まで気丈に振る舞った反動が彼女を襲っていた。その震えを背中で感じた片桐は怒りにまかせて引き金を引こうとした。 「待って、片桐」 それを引き止めたのは他ならぬ、ステラだった。彼女は片桐の背中にしがみつきながら言った。 「彼に、街まで案内させましょう。わたくし、こんな野蛮なところもう限界です」 彼女の意見に同意した片桐は銃を突きつけながらトルンドに支度をさせた。 「俺がすんなり言うことを聞くと思っているのか? おまえたちはこのヨシーニアを何も知らないんだぞ」 「旦那様! 旦那様!」 その時、周囲を見張っていた男の奴隷が叫ぶのが聞こえた。 「トラボロたちがやってきます!」 その名前を聞いてトルンドの顔が青ざめるのがわかった。片桐もその名前を思い出していた。ギルティで見かけたあの集団のリーダーだ。トルンドにとっては絶望的だったが、片桐にとっては大して状況は変わりはしない。むしろ、対トルンドに関しては少しだけ有利に働いたかもしれない。 「さあ、俺たちの道案内をするか、戦士らしく奴らに立ち向かうか決めるんだな。俺たちはどっちにしても北へ向かって出発するが」 片桐の突きつけた選択はトルンドにとっては悲惨すぎたようだ。 「ヤツのゲベールは五百メートル以上飛ぶ上に、狙いも正確なんだ。剣で斬りかかる前に殺されちまうよ!」 トルンドの「好意」を受け入れて片桐は安心した。その足で麓をよく見渡せるところまで来ると、人間の頭の大きさに近い石を土手に置いた。敵は五名。月明かりを背に岩山に向かってきている。絶好の夜間照明だ。片桐は石に頭を隠すように小銃を構えると、左端の戦士に狙いを定め、数発でそいつを仕留めた。そして、すばやく移動した。間髪入れずに、さっき置いた石にゲベールの弾丸が命中した。 「マジかよ……」 敵は一人殺したと思って大声をあげた。小銃のマズルフラッシュだけで目標の位置を判断して、スコープもなしでそれに命中させるとは。自衛隊のA級射手以上の腕前だ。 「さあ、片桐! 行きましょう」 ステラが愛馬にまたがってやってきた。トルンドは荷物をまとめて自分のボスホースに乗り込もうとしている。騒ぎを聞きつけた女奴隷が彼に連れていってくれるように迫っている。 「女子供はすっこんでろ!」 トルンドは馬上から手近な女奴隷を蹴飛ばして出発しようとした。思わず片桐がそれを止めて彼に詰め寄った。 「おい、置いていくのか?」 「どうせ殺されはしない。奴らにとっては主人が替わるだけだ。行くぞ!」 それだけ言うと彼は裏道に走り出した。仕方なく、二人も後に続いた。 五百メートルも弾丸を飛ばす強力なポルを持つトラボロは脅威だったが、幸い彼らが徒歩だったのが功を奏した。片桐たちは彼らにかなりの差をつけ北に向かっていた。 片桐としては今すぐにでもトルンドを撃ち殺したい心境だったが、今彼を殺して道に迷ってうろうろしているところをトラボロに追いつかれでもしたときのことを考えると、そうもいかなかった。 三日目に入ると、風にかすかな潮の香りが混じるようになった。北の果て、アムターラから東北東の海岸が近いことを示唆していた。やがて、小高い丘を登ると都市がその大きな姿を見せた。 「あれが腑抜けの街だ」 馬上でトルンドが顎でしゃくった。都市は海岸線に幅数キロにわたって堅固な城壁を持っていた。その城壁も高さが三十メートル近く、衛兵の詰め所が至る所に見えた。そしてその外壁のさらに奥に同じような堅固な城壁が見えている。そこから数キロ離れた海岸に小さな村が見えた。 ギルティだ。双眼鏡で覗くと、機帆船に似た船が数隻、砂浜に引き上げられているのが見えた。 「俺はあのギルティに身を隠す。早くしないとトラボロが追いついてくるからな……」 そう言うトルンドの言葉が後ろを振り返って止まった。片桐も思わず振り返った。 「やばい!」 片桐たちの後方に、トラボロと十人近い戦士がボスホースを駆ってまさに突撃を開始しようとしているのだ。 「早く街に逃げましょう!」 ステラの言葉に一同、異論はなかった。三人はそれぞれの愛馬をギャロップさせて街の門目指して走った。敵も全力で追いかけている。五百メートル。馬上という悪条件を考慮しても三百メートル以内に追いつかれるとトラボロの射程内と思っていいだろう。 「きゃっ」 ステラが短く悲鳴をあげた。彼女のすぐ近くを敵の弾丸がかすめたのだ。城門まで数百メートルに迫った。城壁の上から衛兵らしき人々が片桐たちを見ているのが見えた。 「入れてくれ!」 大声で叫ぶが、衛兵たちは様子を見ているだけだ。三人は街の門までたどり着いた。片桐とステラが下馬して門を叩きながら叫んだ。 「頼む! 開けてくれ!」 そうしている間も流れ弾が門に命中して鋭い音を出していた。 「やばい! やばい! 腑抜けの奴ら、見殺しを決め込んで……」 トルンドの言葉が止まった。口から血を吐き出すと、うつろな顔をしてそのままうつぶせに倒れた。彼の背中には親指ほどの穴が空いていた。トラボロの射程距離に入ってしまったようだ。 観念した片桐は門を背にして小銃を構え、門と自分の間にステラの体を割り込ませた。この距離だとまだ、彼の防弾チョッキで弾丸は防げるはずだ。 「片桐! 無茶しないで!」 「この距離ならまだヤツと最悪でも刺し違うことができる」 八九式小銃のセレクターが「三」に合わせてあることを確認した。ステラは死ぬ気の片桐にすがりついた。 「片桐! やめて! あなたが死ぬだけです!」 彼女をふりほどこうと彼が構えを解いた瞬間、片桐の左脇腹にゲベールの弾丸が命中した。トラボロのポルが放った弾丸の圧力がチョッキを通じて彼に伝わった。そしてそのまま後ろに吹き飛ばされた。 門にステラごと激突してしまう! そう思って身構えた。 が、彼とステラを待ちかまえていた堅い門扉はそこにはなかった。そのまま二人は土の地面に放り出された。間一髪、門の通用口が開かれたのだ。主人たちに習って二人の愛馬も門をくぐるのがひっくり返った片桐も見えた。 間を置かずに、門は閉じられ、トラボロたちの発射する弾丸はむなしく鋼鉄の門扉に当たるだけだった。 「ごほっ!」 左脇腹の激痛で思わずせき込む片桐をステラが抱きしめた。 「ああ……。お願いだから死なないで!」 門の中にいた警備隊が恐る恐る彼らに近寄ってきた。みんなクアド族でローマ調の薄着の上に革の鎧や装飾具をつけ、ピストルやゲベール、長剣で武装している。 「だれか、早く手当を! 撃たれたのです!」 ステラが悲壮な大声で警備隊に叫んだ。それを片桐は手で制した。気でも狂ったのか、という目で彼女は彼を見た。彼女を安心させようと彼はせき込みながら口を開いた。 「大丈夫だ……」 そう言う片桐の右手に、トラボロが放ったゲベールの弾丸があった。自衛隊員を砲弾の破片から守る防弾チョッキは強力なポルで発射された弾丸をどうにか防いだのだ。 「まさか? ゲベールの弾を防ぐとは」 その様子に警備隊はざわめき、ステラは喜びのあまり片桐を抱きしめた。ざわめく警備隊をかき分けて一人の武装した指揮官らしき人物が、起きあがった片桐とステラに近づいた。 クアド族でやや茶色がかった黒髪に、兵士らしいがっちりとした肉体が美しい青年だった。 「お助けするのが遅れて申し訳ない。なにぶん、あなた方の素性がわからないものでして。野蛮人とクアド族の女性、そして見たこともない服の三人が一目散にこっちに向かってきたのですからな」 ドロスと名乗った青年士官はそう言って救出の遅れを詫びた。一通り自己紹介が終わると彼が言った。 「この街は自治都市リターマニアといいます。神聖ロザール王国の都市のひとつです」 それを聞いたステラの目が輝いた。ついに、古代ロザールの名前を冠した都市に着いたのだ。ドロスは二人を第二の門に案内した。 「あなたがたのボスホースから必要な荷物をお取りください。ここから先は動物の持ち込みが禁止されます。彼らの管理は警備隊にお任せを」 彼の言葉に従って荷物を背負った片桐は門の前に立った。ドロスは門の柱に備えられた伝声管のようなものに命令を発した。すると、巨大な門が音もなく開いた。 「さあ、リターマニア市へようこそ」 門の向こうは大きな通りだった。ガルマーニを彷彿とさせる街路だったが、兵士はいない。護身用の短剣程度の装備をした市民たちがにこやかに歩いている。片桐には以前、NHKで見た。ポンペイの再現CGを見るような印象を与えた。だが、ポンペイにはないものがリターマニアには多くあった。 「あれは、電線だ」 思わず片桐がつぶやいた。街路のあちこちに電線のような細い線が張り巡らされている。それに連結された車が街路を静かに走っていた。路面電車とタクシーを合わせたような乗り物だった。 「あの線でポルを調整して、中央の官制センターで交通整理をしているのです」 ドロスが片桐に説明した。見ると、彼の言うとおりだった。信号のない交差点でも事故もなく路面タクシーはスムーズに流れていった。その交差点の店ではスピーカーから大声でセールを知らせる文句が流れている。 「ポルを応用した放送設備です。全市で聞くことができます」 つまりはポルを使ったラジオだった。ドロスは市街をすいすい歩いて行く。片桐とステラもそれに続くが、通行人は好奇心旺盛に彼らを見ている。 「いったん、わたしの家へ行きましょう。それから評議会に出頭しましょう」 ドロスの家は繁華街からさほど離れていない閑静な住宅街にあった。日本家屋とは違い、温暖なこの世界の建築様式で中はとても開放的だった。それでいて、個人のプライバシーに配慮された造りだった。彼の家では彼の伴侶が待っていた。 「タローニャ、お客様だ!」 彼女とキスしながらドロスが片桐たちを紹介した。タローニャは笑顔で二人を歓迎すると客間の一室を彼らに提供して荷物を置かせた。そしてドロスの待つ食堂に案内した。 つい昨日までの殺伐とした世界とは正反対の環境に、片桐もステラも少々戸惑った。 「まあ、ゆっくりしてください」 ドロスは二人にイスを勧め、彼らが座るとグラスに酒を注いで差し出した。 「さて、ステラ。君はアムターラ村の聖女と言うが、アムターラとはここからはるか西の森にある村のことかな?」 フレンドリーだが礼節をわきまえた口調でドロスはステラに質問した。 「そうです。わたくしはその村の聖女です」 「ほお、すると。異世界人の召還魔法を代々受け継ぐ血筋なんですね。とすると……」 ドロスは今度は片桐に向き直った。だがその表情は威圧的でもなく穏やかな表情だった。 「片桐、君は彼女によって召還され、森の蛮人からアムターラを救い、その後ステラと旅に出た異世界人だな」 片桐は驚きのあまり言葉を失った。こんな身の上話を彼が知っているはずがないからだ。 「この都市にいる魔道師がこの大陸で起きるポルの動きを常に探知している。三ヶ月ほど前、アムターラで二度にわたって召還魔法が行われたことも把握しています。その推理の結果を言っているだけです」 ドロスの言葉には嘘も偽りもないようだった。そして次に彼は二人に質問した。 「で、そのお二人がどうしてここへ?」 片桐とステラは今までの話を嘘偽りなくドロスに話した。 「わかりました。わたしが今からこの話を評議会に報告してきます。その上でこの都市に滞在できるか審査があります」 「審査?」 「そうです。この都市の周りはヨシーニアという野蛮な連中が闊歩する地域です。だからこの都市は滞在を許す人材を常に審査するのです。この都市の平和と秩序を守るために。心配しなくてもいい。あなたたちならきっと大丈夫だ」 そう言ってドロスは部屋から退出した。それと同時にタローニャが入ってきた。 「さあ、彼は朝まで戻りません。彼の言いつけで休む準備はしてあります。ゆっくり休んでください」 翌朝、ドロスが二人を起こしに部屋を訪れた。枕元にシグザウエルだけを残してすっかり無防備な姿で寝ていたものだから、片桐が驚いて飛び起きた。 「申し訳ない。評議会から出頭命令が来ているんで……。さあ、準備して」 ドロスは街に出ると例の路面タクシーを止めた。中は無人でセダン車を想像させる造りだった。 ドロスは前の右座席に乗って彼のポルを正面のパネルに送った。するとタクシーはすっと発車した。彼のポルがパネルを通してセンターのオペレーターに伝わって行き先への最短ルートを割り出すという。まさに、魔法を使ったコンピューターだった。 「これから評議会があなたがたの在留資格を審査しますが、昨日わたしに語ってくれたことを言えば大丈夫なはずです」 ドロスが笑顔で言った。彼が言うのだからまあ、信用する他はない。と、興味がわいて片桐は彼に質問した。 「万が一だめだったら?」 「この街にいることはできません。追放刑になります。この街に持ち込んだ荷物と共にヨシーニアに放たれるのです。追放刑はこの街の最高の刑です」 ドロスが少し表情を暗くして言った。その言葉にさらにステラが疑問を投げかけた。 「追放が最高刑なら死刑はないのですか?」 「わたしたちはロザールの神の元に行くことが人生の目的です。なぜ、それを他人の手で助ける必要があるのです? しかも罪人に」 ドロスの考えはステラにも片桐も新鮮だった。神聖ロザール王国において、古代ロザールの先人は神に等しい存在である。死は神に近づく唯一の手段である。その死を迎えるまで神聖ロザールの国民は現世の運命を受け入れ、耐えるのだ。 神の手による死。すなわち、戦争による戦死、病死など以外は不本意な死とされ忌み嫌われる。だからこの都市には死刑がないのだ。その代わり、殺伐とした世界ヨシーニアへの追放刑があるのだ。 「神聖ロザール王国の他の自治都市ではこの限りではありません。他の自治都市は評議会で議論した古代ロザールの教えを独自に解釈して様々な法律を作っているのです」 その言葉を聞いて思わず片桐は質問をした。この街以外に都市があるならそれはどこにあるのか。当然といえば当然の質問だった。 「ここはヌボル唯一の神聖ロザールの都市ですが、この北にはコロヌボルと呼ばれる大陸があります。そこには多くの自治都市があり、それぞれ古代ロザール人を神とあがめながら暮らしています」 片桐はもっと彼に質問したかったが、タクシーが評議会の建物の前で止まったのでその質問を断念した。 評議会は図書館のような大きな建物の中にあった。ビルに案内された片桐とステラは大きな部屋に通された。そこには大きな長い机に座った五人のクアド、二人のガントル、一人のエルドガンがいた。彼らの正面のイスを勧められて二人は座った。 「では、まず、君たちの記憶を検査する」 中央のクアドが宣言すると、エルドガンが歩み寄って片桐の額をさわった。パサティアナでエル・ハラに占ってもらった時のような暖かい感覚が片桐を包んだ。 「終わりです」 エルドガンは言うが早いか、ステラに同じ動作を施して数秒で同じ言葉を言った。 「では次の審査だ」 その審査は他分野にわたった。心理学、これはフロイトに似た心理実験だ。それに社会学、言語学、物理学、宗教学、比較文化学などなど……。たっぷり五時間近く、片桐とステラは質問責めにあった。そして最後にエルドガンが最初と同じように記憶を確認して二人が嘘をついていないかを確かめて審査は終わった。 「やあ、ごくろうさま。結果が出るまで一時間ほどあるからこっちで休んで」 ドロスが二人を別室に案内してくれた。応接室のような部屋のソファーにがぐったりと座り込んだ。 「いったい、ありゃなんなんだい?」 うんざりした様子で尋ねる片桐にドロスは笑顔で答えた。 「あれが在留審査なんだ。この結果で君たちがこの街に在留できるか決まる。在留できれば、出て行くまで市民権が得られるんだ」 そう言う、ドロスに伝令の職員が部屋に入ってきて彼に告げた。どうやら審査の結果が出たようだ。 「アムターラの聖女ステラ、異世界人片桐」 片桐とステラは、先ほどの圧迫面接の会場を彷彿とさせる部屋に案内されていた。そこで中心に座るクアドが二人の名前を呼んだ。別にどうだということはないが、ちょっと緊張する。 「まずは聖女ステラ。君の血筋、継承している古代ロザールの奥義はこの都市の上級市民にももったいない肩書きである。しかし、この都市にはそれ以上の称号はない。よって本評議会は、聖女ステラを上級市民待遇の客人として迎え入れることを許可する」 それを聞いて彼女は誇り高く微笑むと評議委員に一礼した。委員は片桐の方を向いた。 「さて、片桐。君の評決だが。はっきり申し上げて君の結果は聖女ステラに比べてかなりよくない。君のいた世界での君の軍人としての評価が不可能なのだ。君の言う「日本国憲法」とやらが君の軍人としての功績を評価不能にしている。しかし、この世界に来てからの君の功績は特筆に値する。 次に、君の心理的傾向だが、これも軍人らしからぬ個人主義的傾向が見受けられる。さらに、権力に対する常なる疑問。これらの感情は君の軍人としての資質に大きくマイナス要素となる」 かなり辛辣で失礼な物言いに片桐はちょっと怒りを覚えたが、それを口に出すほど粗野でもなかった。評議委員はさらに続けた。 「また、我々が最も注目したのは君の信仰心の薄さだ。君の世界では少なくとも複数の宗教が存在するが、君はそれらのどの宗教に関しても強い信仰心がない。ある神の誕生を祝い、そのすぐ後に別の神にその年の幸福を祈り、さらに別の神で先祖の霊を弔うなど、我々には理解不能な感覚だ」 無理もなかろう。クリスマスを祝ったと思ったら正月で初詣、家族の法事は仏式だ。現代日本人ではごく当たり前の行為でも、彼らには奇異に映るであろう。 「君の信仰への帰依の低さは、君の世界の国民性として一定の理解を示してもこの都市にとってはプラスにならない。以上の結果、君はこの都市での滞在に不的確であると結論せざるを得ない。しかし、ドロスの報告にあった君のゲベールを跳ね返す鎧や、君の持っているゲベールの技術。そして君の世界におけるポルを一切使わない科学知識に関して、我々は君から多くのことを学ぶことができる」 評議委員のもったいぶった言い回しに片桐はいらいらし、ステラははらはらしている。 「異世界人片桐、君のリターマニア在留の条件として、君の持つ知識と技能をドロスに教授し、この都市の発展に寄与することを要求する。そして君にはそれを条件に上級市民待遇の在留資格を本評議会は約束する。以上だ」 言うだけ言って評議委員たちはさっさと退出してしまった。 「やれやれ……」 思わぬ長々としたお説教に片桐はかなりいらいらしていた。しかし、当面二人はこの都市に在留できる資格を得たのは幸運だった。二人とも、もしくはどちらかが追放刑になったときのことを想像すると片桐は思わず背筋が寒くなった。 「さあ、窓口へ行こう」 結果を知って安心したという感じのドロスが迎えに来て、部屋から連れ出した。 窓口への道すがら、ドロスはリターマニアにおける法律を片桐たちにざっと教えてくれた。そしてそれは片桐の知っている法律にごく近いものだった。一通り説明が終わる頃、ドロスは窓口にステラと片桐を導いた。 「ここで市民登録番号と、年金を受け取ってください。これで君たちも立派なリターマニア市民だ!」 片桐が受け取ったカードには六桁のこの世界の数字が刻印されていた。そして年金として六千サマが受給された。評議会の建物を出ると、ドロスが言った。 「当分はわたしの家にいてください。タローニャも承知しています。わたしはこれから仕事だ。君たちは期間在留者なので仕事はありません。今日はゆっくり市内観光でもしてください。では!」 そう言ってドロスは雑踏の中に消えていった。広い都市で片桐とステラが残された。 「さて、どうしたものかな」 思案に暮れる片桐にステラがとびっきりの提案を投げかけた。 「あなたの服です。軍服のままじゃ目立って仕方ありません。まず服を買いましょう」 名案だった。片桐は彼女の提案を受け入れ、手近なブティックに入った。愛想の良い、美しい店員が片桐の体格にあったぴったりの素材を選んでくれた。それを試着して鏡の前に立った片桐は驚いた。 「どうだい?」 片桐はローマ風のゆったりとした衣服に身を包んでいた。さっきまで存在した自衛官の面影はなかった。早速それを購入すると、通りを走っていたメッセンジャーのような人物に自衛隊の制服と防弾チョッキを預けるとドロスの家まで宅配するように依頼した。 初めてのデートではしゃぐ彼らはこじゃれたレストランを見つけた。 「久しぶりに俺の手料理以外のものも味わおう」 もっぱら料理は片桐の仕事だった。聖女として大事に育てられたステラは料理の腕はいまいち、というよりからっきしだったのだ。 「いらっしゃいませ」 丁寧なお辞儀で出迎える店員に案内され、二人は奥の豪華なテーブルに通された。他のテーブルでは紳士淑女がおだやかに談笑しながら食事や酒を楽しんでいる。 「まさか、あなたとこんなところで食事を楽しめるなんて思ってもいませんでした」 ステラがうれしそうにグラスを傾けながら言った。洋の東西どころか、世界が違っても女性はロマンティックでエキサイティングなデートを欲するものなのだろうか。それは片桐とて同じだった。料理と酒を存分に楽しみ、給仕のサービスに心から満足した。 翌朝、片桐とドロスは仕事に出かけた。片桐には仕事はないのだが、何もしないというのでは彼らに申し訳ないと思ったのだ。ドロスの仕事である、外壁の哨戒任務に同行したのだ。過去、多くのヨシーニアの戦士がこの都市への侵入を試みたという。 「ドロス、君たちは双眼鏡を知ってるかな?」 片桐は自分の双眼鏡をドロスに貸した。彼はそれを覗いてみた。数百メートル先もはっきり見えるはずだ。 「いや、ぼやけてよく見えないよ」 笑いながらドロスは片桐にそれを返した。片桐はレンズの仕組みを彼に説明しながら双眼鏡の縮尺を調整した。外壁から百メートルほど先にある灌木を標準にして調整していると、何か光るものが目に入った。 「どうした?」 双眼鏡を見ながら固まっている片桐にドロスが話しかけたときだった。彼はいきなりドロスの胸を突き飛ばした。それと同時に自分も外壁の壁に身を隠した。 「いきなり何をするんだ!」 ドロスが抗議の声をあげたのと同時に、彼のすぐ近くの外壁にゲベールの弾丸が命中して鈍い音をたてた。 「みんな! 伏せろ!」 片桐は周囲の衛兵に叫んだ。兵士たちは片桐に習って胸壁に身を隠した。レンズの調整が終わった双眼鏡をドロスに渡して片桐は言った。 「俺たちを追ってきたトラボロだ。まだがんばってたんだ」 ドロスはそっと胸壁の間から双眼鏡で片桐の示した灌木を確認した。いつになく彼も緊張した顔つきになっている。 「ヤツはこれまで何人も衛兵を殺している。まずいな」 片桐はちょっとした作戦を思いついた。ドロスに少し離れたところで双眼鏡を胸壁の上にあげ、太陽に反射させるように頼んだ。そしてその後は手を引っ込めておくようにと。彼は素早く移動すると片桐の合図を待った。 「さてと。まだいるかな」 片桐は胸壁からほんの少し頭を出して先ほどの灌木を見た。まだトラボロは灌木の影で獲物の衛兵を捜していた。それを確認して片桐はドロスに合図した。ドロスはそっと双眼鏡のレンズを太陽に反射させた。 「いいぞ! 手を引っ込めろ!」 片桐の声にドロスは慌てて手をひっこめた。それとほぼ同時にトラボロの放ったゲベールの銃弾が彼の隠れる胸壁に命中した。それを確認して片桐は八九式を構えて頭をあげた。トラボロはまだゲベールに弾丸を装填している。 「今だ!」 片桐は三連射を繰り返した。灌木ごとトラボロはずたずたになって倒れた。彼が動かなくなったのを確認して、片桐は外壁に立ち上がった。五百メートルの射程を持つトラボロの弾丸が飛んでこないことを確認した衛兵が歓声をあげた。 そしてそれに最も感動したのはドロスだった。 「片桐! 君は私の命の恩人であるばかりか、警備隊が最も手を焼いていた野蛮人まで葬るとは!」 ドロスは片桐に抱きついて喜んだ。衛兵の歓声も市民にまで聞こえ、外壁の周りには大手柄をあげた片桐を賞賛する声で隣の者の会話も聞こえないほどになった。 勤務時間を終えてドロスと家に帰った片桐をステラとタローニャが出迎えた。それぞれ抱擁を交わす。 「ドロス、片桐。厄介者のトラボロを二人で倒したそうね! おめでとう!」 タローニャがねぎらいの言葉をかける。ドロスは照れくさそうに笑うだけだった。 「本当にすごいわ。今夜の「神の御心」の選抜を前にして幸運が続きますわね!」 聞き慣れない単語を耳にして不思議がる片桐とステラに気がついてドロスが笑顔で言った。 「今日は年に一度、神の祝福を受ける市民が選ばれる日なんだ。もちろん、市民登録番号を交付された君たちも選ばれる権利がある! 今日の幸運があればきっと選ばれるよ!」 そう言ってドロスは彼の部屋にタローニャを連れて入っていった。彼の言う「神の御心」まで市民はそれぞれ休むなり、愛し合う者と時を過ごすのだそうだ。どうやら、この都市最大の祭典らしい。片桐もステラを連れて彼らに与えられた部屋に戻った。 「いったい何が始まるのでしょうか?」 仕事が終わってベッドに転がった片桐にくっつきながらステラが言った。片桐はそんな彼女を抱きかかえながらぶっきらぼうに答えた。 「さあね。きっとあのレストランの無料券なんかが当たるんじゃないのかい?」 その片桐の冗談にくすっと笑うとステラは彼の胸に身体を預けた。 日も暮れた頃、ドロスとタローニャ、片桐とステラは客間のラジオの前にいた。今この瞬間、リターマニアの市民は当直の衛兵を除いてほとんど、同じようにラジオの声に聞き入っているという。 「それでは、評議会の厳正な抽選により、本年の「神の御心」対象者を選出します。市民登録番号をそれぞれ確認ください」 どうやら、抽選は市民登録番号で行われるようだ。片桐も自分のカードの番号を確認した。ドロスは満面の笑みを浮かべて発表を待っている。 「では、最初の番号を発表します。〇九九四五六」 その瞬間、ドロスは天を仰ぎながら落胆のため息をついた。タローニャも笑顔でため息をつくと悲嘆にくれる恋人を抱きしめた。 「ああ、わたしの番号は〇九九四八六なんだ。また今年もだめだったよ……」 どうやらニアミスだったようで、苦笑して恋人に抱きしめられながらドロスはぼやいた。タローニャも抱きしめながら答えた。 「わたくしは全然大はずれですわ。来年もありますから、元気を出して!」 ラジオは市民登録番号と市民の名前を発表した。そしてしばらくして抽選が再開された。 「では、二人目。今年の最後の「神の御心」を得た人物を発表します!」 ドロスとタローニャは緊張の面もちで、片桐とステラはとりあえず参加する権利が得られた幸運を喜ぶ程度で発表を待った。 「市民登録番号一九八二二三!」 さっきとかなりかけ離れた番号を聞いてドロスが肩をすくめた。片桐も自分のカードを見た。彼の番号も全然違っていた。ドロスの落胆ぶりを見るに、「神の御心」とはこの都市の福祉やサービスの充実を見るに、相当な豪華な権利や賞品のようだった。 「わたしは今年もはずれたようだ。タローニャ、君もかい?」 ドロスの言葉にタローニャも笑顔で肩をすくめた。 「ええ。だめだったわ。ステラ、あなたはどう?」 タローニャがそう言ってステラを振り返った。彼女は何度も自分のカードの番号を確認していた。 「どうやらわたくしの番号みたいです!」 一同が仰天した。その時、ラジオから判明した幸運な当選者の名前が読みあげられた。 「一九八二二三。上級市民待遇の滞在者、聖女ステラが当選です! おめでとうございます!」 その瞬間、ドロスはステラを祝福の抱擁で抱きしめた。続いてタローニャも同じく抱擁した。彼女は訳がわからないまま、彼らの行為を受け入れた。 「いったい、何がわたくしに当たったんでしょう?」 彼女が片桐に問いかけたとき、ドロスの家のドアを叩く音が聞こえた。彼が素早くそれに答えてドアを開けた。そこには大勢の警備隊が待ちかまえていた。 「聖女ステラ、おめでとうございます」 警備隊は口々にステラに祝福の言葉を投げかけた。敬意の込められた言葉にステラも笑顔で彼らに応じていた。それを見届けてドロスが片桐の腕を取った。 「さあ、行こう」 そう言って外に出ようとするドロスに片桐は思わず問いかけた。 「どこへ?」 「わたしの友人の家だよ。「神の御心」に選ばれた者はその権利を行使するまで異性との接触は原則できないんだ。あとは、タローニャに任せよう。さあ、彼女を祝福しよう!」 そう言ってドロスはステラに再び祝福の抱擁をして、片桐にもそれをするように促した。愛する聖女様を抱きしめながらも片桐は突然の出来事にとまどっていた。 「よくわからないが……、おめでとう」 「わたくしも、よくわかりませんが、ありがとう!」 笑顔でステラは片桐の抱擁を受けた。それを見届けるとドロスは片桐を家の外に連れだした。外には警備兵が数名いて、ドロスの家を厳重に警備している。どうやら、当選したステラはかなり重要な役割を負うことになるようだ。 「片桐! よくわからないけど、楽しみにしていて!」 上機嫌でステラが叫んだ。片桐も釈然としないが、周囲の祝福ムードに安心して彼女に手を振った。そうしながら、自らの家を出たドロスに質問した。 「いったい、ステラは何に当選したんだい?」 その質問にドロスは満面の笑みで答えた。むしろ今の彼女の立場を代わりたいと言わんばかりの笑顔だった。 「神の御心さ。彼女は古代ロザールの神の心にふれることができるんだ! ああ、わたしができることなら代わりたかった!」 その答えでは理解できない片桐は再度同じ質問をドロスに投げかけた。興奮のためか、彼がこの都市の決まりを知らないことをようやく思い出したのか、ドロスはまるで、ステラの身の上がうらやましいと言わんばかりの笑顔で言った。 「彼女は幸運だ。数十万のリターマニア市民から選ばれたんだよ。「神の御心」に! 彼女は次のゾードの夜に生け贄として神の世界に旅立つ権利を与えられたんだ!」 ドロスの幸福に満ちた言葉を聞いた片桐はその顔から血の気が失せるのを感じた。 第六章 異世界の果ての女王 ドロスのにこやかな表情とは正反対の宣告を聞いて片桐は愕然とした。狼狽する片桐をドロスはタクシーに乗せた。すうっと走り出した車内で片桐はドロスにつかみかかった。 「ドロス! それはあくまでも権利なんだろ? 拒否することもできるんだろ?」 慌てて片桐はドロスに尋ねた。彼は少し驚いた表情をしたが、すぐにいつもの穏やかな顔に戻った。 「今まで拒否した人を聞いたことがない。だって、不本意な死でなく、神の意志による死だよ。神に近づく最大の栄誉なんだ! 誰も拒否なんてしないよ」 だが片桐にはその理屈は通用しなかった。死は同じだ。永遠に別れることを意味するにすぎない。 「ドロス、止めてくれ!」 片桐はドロスにタクシーを停車させた。そしてドアを開けて飛び出そうとしたが、ドロスがそれを止めた。彼の意図を察していたのだ。 「止めておけ、ここに来て間もない君には理解できないだろうが、これも彼女の運命だ。そしてそれは不幸な運命ではないとわたしは信じている。それに、彼女を奪い返すということはこの都市だけでなく、神聖ロザール王国の法律に違反することになる。わたしに君を逮捕させないでくれ」 その言葉に片桐は反論しようとしたが、ドロスはそれを無視して言い含めるように彼に言った。 「それにもう遅い。ステラはわたしのタローニャの手伝いで支度を整え、首都ヴァシントに送られた頃だろう」 思わず片桐はシートにうずくまった。愛する聖女様がもうここにはいないこと、そして自分ではどうにもできない状況に置かれたことを悟ったのだ。最後に彼女が残した笑顔で言った言葉が片桐の脳裏に繰り返し流れていた。 「片桐! よくわからないけど、楽しみにしていて!」 楽しみにできることなどあるはずもなかった。ポルを使った全国中継で彼女が心臓をえぐり出されたり、首を切られたりする断末魔のあえぎを実況されることなど、楽しみのはずもない。そしてここは高度な魔法文明社会だ。今までみたいに無茶な冒険でどうにか道を切り開けるようには到底思えなかった。 「さあ、片桐。着いたよ」 ドロスはそう言ってうなだれる片桐をタクシーから降ろした。彼の部下である士官の家のようだ。彼らを出迎えたのはドロスの部下と彼の伴侶だった。 「おめでとう!」 「おめでとうございます!」 口々に祝福の言葉を捧げるドロスの友人に片桐はもはや反論する気力もなかった。形だけ乾杯につきあうと、早々に提供された部屋に入った。 ベッドに突っ伏すと片桐は大声で泣きたい心境に駆られた。こうなるとわかっていたら彼女をこんな危険な抽選から棄権させることもできたかもしれない。そもそもこんな恐ろしい都市に足を踏み入れることもなかったかもしれない。自責の念だけが彼を襲い続けた。 つい一時間前まで自分の腕の中にいた最愛の聖女様は、今はいずことも知れない地、すなわち彼女の生涯を強制終了させられる地、に送られているのだ。 「片桐……」 ドアが開いてドロスが顔をのぞかせた。 「お願いだから、変な気は起こさないでくれよ。そして最愛の友人に君を逮捕させるような悲劇を見させないでくれ。君を信じて見張りはつけないからな」 そう言ってドロスはドアを閉めた。今の彼の言葉は自己の保身のためでないことは片桐も承知していた。彼は片桐がショックのあまり暴走することを恐れていたのだ。そうなれば、警備隊長であるドロスは片桐を逮捕して、この都市の最高刑である追放刑に処さねばならない。それを心配しての言葉だった。 「変な気ねえ……」 ベッドにうつぶせて片桐は彼の言葉を反芻した。変な気…… 「あっ」 思わず飛び起きた。そして意識的なのか、無意識的なのかわからないが、ドロスの友情に感謝した。ドロスは「変な気を起こすな」と警告しつつも、彼を一人にしているのだ。これを利用する手はなかった。片桐の心に自衛隊で鍛えた不屈の精神が再びよみがえっていた。 そうと決まれば話は早い。ドアの外を確認して、本当に誰もいないことを確認すると窓にとりついた。 「けっこう高いなあ」 二階の窓から地面まで四、五メートルあったが、片桐は窓枠に自分が着ているこの世界の着物の腰巻きを結んでぶら下がった。これで足腰に負担なく、悟られることなく屋外に出ることができる。だが、それを実行に移す前に、ドロスのおだやかな笑顔が片桐の脳裏によぎった。 「ドロス、すまん」 彼に聞こえるはずもないが、せめてもの気持ちでそうつぶやくと、ぶら下がったベルトから手を離して地面に降り立った。そしてタクシーを拾うと、タローニャしかいないドロスの家へ向かった。 警備兵はすでにドロスの家からはいなくなっていた。ステラを連れて首都ヴァシントに出発したのだろう。ここでの片桐の用事はひとつだ。彼の荷物と銃だ。玄関を避け、ゲストルームに面した窓が開かれているのを確認した。中ではタローニャが宴会の片づけをしている。 用済みの革の靴を脱ぐと素足で窓を飛び越えた。キッチンに洗い物を運んだタローニャの口を後ろからふさいだ。 「んん!」 警戒の声を出そうとするタローニャの耳元で片桐はささやいた。 「タローニャ、俺です。片桐です」 その声を聞いて彼女は声を出すのをやめた。片桐はそれを見届けて彼女を拘束していた手を離した。 「タローニャ、ステラはどこです?」 片桐の意外な来訪に気がついてからすぐに彼の意図を察したであろう。タローニャは悲しげに首を振った。 「もう手遅れです。彼女は先ほど首都ヴァシントへの船に乗りました。他の当選者と共に。片桐、今なら遅くない! ドロスのところへ帰って! わたくしをからかった悪ふざけということでなんとかなります!」 タローニャの言葉に片桐は無言で首を横に振った。半分悟っていたのだろう、タローニャは美しい顔に苦悶の表情を浮かべた。 「すまない、タローニャ」 彼女をキッチンの手ぬぐいや布巾で後ろ手に軽く縛り、両足も同じように軽く縛った。 「痛くないかい?」 片桐の質問に彼女は無表情、無言で頷いた。それを確認すると、ステラと片桐に割り当てられた部屋に駆け込み、着慣れた迷彩服と防弾チョッキを身につけ、愛用の八九式小銃を手に取った。と、机に向かうと大急ぎで一筆書いて懐にしまった。 「片桐。あなたはどうしても行かれるのですか」 キッチンに戻った片桐の姿を見てタローニャが小さく叫んだ。そんな彼女の元に片桐は歩み寄った。 「タローニャ、君とドロスの恩は忘れない。だが許してくれ。俺はステラをこんな形で失いたくないんだ」 そう言って片桐は先ほど書いた手紙をタローニャの懐にねじ込んだ。中には、この計画は片桐単独で謀ったこと、ドロスはそれを知らないし、タローニャも不意をつかれて拘束されたことを記していた。 「それじゃあ、ドロスにも謝っておいてください」 「片桐、無事を祈ります……」 そう言うタローニャの口に猿ぐつわをかまして片桐はキッチンの窓から外に出た。そして再びタクシーを拾って今度は街の門に向かった。シートの中でドロスとタローニャへの罪悪感で思わず吐きそうになったが、最愛のステラを失うことを考えたらそれもどうにか我慢できた。 門の前の衛兵は昼間、ドロスと共にいた衛兵だった。 「やあ、どうしました?」 衛兵は陽気に片桐に声をかけた。迷彩服姿の彼を大して気にしていないようだった。 「昼間やっつけた男の確認にドロスと出かけるんだ、開けてくれ」 片桐の言葉を信用して衛兵は門の通用口を開けた。それをくぐって片桐は街と外界を隔てる第一の門へと向かおうとした。が、その前に、警備隊に預けてある彼の弾薬が必要だった。幸い、馬小屋は無人だった。 「いい子で待ってろよ」 船に乗るのに愛馬を連れていくことはできない。片桐は賢い愛馬に別れを告げて第一の門へと向かった。 「異世界人片桐、こんな時間にどうしました?」 第一の門を守る門番は不思議がって片桐に質問してきた。無理もない、完全武装で夜中に外界に出るというのはちょっと考えられない。片桐は第二の門番へ言った嘘と同じ嘘を彼についた。 「ドロスと、昼間倒した男の確認に行くことになってるんだ」 だが、この門番はそれを鵜呑みにしなかった。 「だったら、二人だけで行くのは危険です。護衛の小隊が必要です。わたしからドロス様に言いましょう」 そう言って、門に備えられた伝声管にとりついた。ここで下手に連絡されてはすべてが露見してしまう。片桐は決心した。 「すまん!」 背中をさらした衛兵に飛びつくと彼の右手の親指を締めあげて、背中に腕を持ってこさせた。彼のベルトをはずして後ろに回った右手を縛り、左手も素早く奪うと後ろ手に縛り上げ、ベルトのもう一方を門の柱に縛り付けた。 「異世界人片桐! その通用口を開けてはだめだ! 君はその瞬間、全土のお尋ね者になってしまう。わたしは君の人相書きを見たくはない!」 ここでも片桐への言葉はドロスやタローニャと同じ内容だった。しかし、それを気にしてはステラを助けることはできない。彼は通用門を開けて外界、ヨシーニアへ踏み出した。 ヨシーニアに出て、すぐに片桐は海沿いのギルティへ向かった。こんな殺伐とした世界に長くいる理由はなかった。目的は船だった。コロヌボルにある首都ヴァシントへ向かうための船が必要だった。片桐は村に入ると一目散に商店に入った。例によって愛想の良くないガントル族の男が窓口にいた。 「おい、船をくれ!」 そう言うが早いか、片桐は手持ちの金を全部、窓口のガントルに差し出した。しかし、彼は驚きながらも平静を保っている振りをして答えた。 「今すぐには無理だよ!」 面倒をいやがったのだろう。言い訳する窓口係に片桐は有無を言わさず八九式を突きつけた。横柄なガントル族の男もさすがに息を飲むのがわかった。 「演説はいらない。今すぐ出航できる船はあるんだろうな?」 殺人鬼トラボロを射殺した彼の銃の評判を知っていたのだろう。窓口係は怯えながら船の手配を始める。 「あるよ! 一隻だけな。でもあんたが望んだんだ! 後で文句は言うな!」 負け惜しみに近い感じで彼はそう言って、許可証を片桐に出した。 船着き場で指定された船を片桐は見つけた。長さ十メートルほどで漁船みたいな形をしている。帆が大きく張ってあり、船外機らしきものも船尾に見受けられた。大きな後部甲板に片桐は装備を乗せた。 「えっと、エンジンはどれだ?」 キャビンに入った片桐は操舵室らしきところでエンジンを動かそうとしたが、うまくいかない。そこへクアド族が通りかかって彼に声をかけた。 「エンジンがかからないのかい?」 「ああ、俺には操縦できないようだ」 片桐の言葉を聞いてその男は船に乗り込んでいとも簡単にエンジンを始動させた。聞けばこの男、漁師だが仕事がないということだった。 「よし、俺をヴァシントまで送ってくれ」 ミストと言う男は二つ返事でそれに応じた。コロヌボルは目と鼻の先だ。片桐もポルを使ったエンジンを動かすことのできる船員を手に入れて満足だった。 「出航するぞ!」 ミストの得意げな大声が夜空に響いた。だが、その言葉と裏腹に、船のスピードはいまいちだった。 「エンジンの調子が悪いみたいだな」 ミストが片桐に操舵室から叫んだ。あのガントルめ。思わず片桐は舌打ちした。当然、彼にこの世界の船の修理なぞ出来はしない。自然、ミストに任せることになった。数百メートル沖に出たところで、やくざな木造船は停止した。 修理を待つ間、片桐は夜の海を見ていた。岸にはついさっき飛び出したリターマニアの夜景が見える。ほんの数時間前まで理想郷のように思っていた大都市が今の片桐には恐ろしい魔都のように見えた。 そこへ、一隻の木造船が接近してくるのが見えた。何者が潜んでいるかわからない。片桐は八九式のセレクターを安全から「連発」へ切り替えた。そうしているうちにも船はどんどん接近して片桐の船と平行に並んだ。 「おい、ミスト! いいカモを捕まえたな!」 船には三人の男が乗っていた。どうやら海賊のようだ。片桐が八九式を構えようとすると、彼の耳元をゲベールの弾丸かかすめた。 「変なまねするな! 今度ははずさないぞ!」 そう言って男がゲベールに弾丸を込めようとした。その隙をついてマガジン一本分の銃弾を海賊どもが乗る木造船の喫水線あたりに撃ち込んだ。 「うわああ!」 轟音と水柱で海賊は尻もちをついてしまった。弾丸が命中した部分は見事に壊れ、恐ろしい量の水が船に流れ込んでいる。 「このやろう!」 ミストが後ろから飛びかかってきた。それをひょいっとかわして片桐はミストの背中を押してやった。哀れ、海賊は頭から海に落ち込んだ。 「おい! こっちに捕まるんじゃない!」 泳げないのだろう。ミストは沈みゆく海賊船にしがみついた。その重みで船はますます傾くのが見て取れた。 「た、助けてくれ!」 「お願いします! 俺たち泳げないんです!」 口々に海賊たちが片桐に助けを求め始めた。あきれたことに海賊たちは誰も泳げないと言う。片桐とて無益な殺生を望んでいるわけではない。それにポルを使った船の操縦は彼には難しすぎた。 「よし、こっちに乗れ」 ため息を吐いた片桐は油断することなく、哀れな海賊を船に乗せてやった。 助けられた海賊たちは先ほどまでとは嘘のように片桐に従順だった。 たった数時間で「異世界人片桐」は、「海賊片桐」になってしまったわけだ。だが、それがかえって海賊たちの尊敬を集めたようだ。 聞けば彼らもリターマニアを追放刑で追い出された連中だった。陸の殺伐とした世界を逃れて海に出た連中だった。 「キャプテン! 目的地はどこです?」 片桐にゲベールを撃ったトータが質問した。どうやら片桐はこのちんけな海賊団のボスになったようだ。もう一人のタリマはせっせと何か針仕事をしている。ミストは服を乾かし、もう一人、マルージが船を操縦している。 「ヴァシントだ。どこにあるかわかるか?」 その言葉にトータはうなずいた。首都ヴァシントは対岸に見える都市ではなかった。 対岸の都市はつきだした半島の先端に位置していた。そこからコロヌボルは北に向かって東西に広くなっていく。ヴァシントはその東岸に位置していた。この船で二日の距離だった。トータの話によると、コロヌボルはヌボルほど大きな大陸ではない、みたいだった。というのも、ヴァシントから北は山脈が多く、寒冷で神聖ロザール王国の支配地域ではなく、あまり知られていないのだ。異種族が住んでいるそうだが、神聖ロザールとは仲が悪く交流もないということだった。 「よし! できたぞ!」 タリマが大声をあげた。さっきから黙々と針仕事をしていたがそれが終わったようだ。 「おい、タリマ! 何を作ったんだ?」 ようやく服を乾かしたミストが尋ねた。タリマは自信満々に彼にその仕事の成果を見せた。 「キャプテン片桐の旗だよ!」 そう言ってタリマはみんなにも旗を見せた。自衛隊の三等陸曹の階級章を模した見事な造りだった。口々に海賊が驚嘆の声をあげた。そして、「キャプテン片桐」は思わずため息をついた。俺は自衛官なんだ。海賊の親分になった覚えはないぞ! と泣きたくなった。 首都ヴァシントの港は壮観だった。大きなコルベットに似た軍艦や、ガレオン船のような商船。それらと港を行き来する様々な小舟が無数に見えた。 「ヴァシントの自慢は海軍だそうですよ。キャプテン、あれをご覧なさい」 そう言ってトータは港の向こうを指した。港のさらに先に大きな軍港が見えた。そこには百隻近い軍艦が停泊している。よく見てみようと片桐は双眼鏡を探した。だが、見つからない。 「あっ」 思い出した。リターマニアの城壁でドロスに貸したままだったのだ。しかたなく、肉眼で見える範囲でコルベットを観察してみた。パサティアナで見た大砲がいくつも装備され、船首には衝角がついている。片桐は海上自衛官でないが、船の構造でこの世界の海戦がおおよそ飲み込めた。 まず、大砲を互いに撃ち接近する。そして、チャンスがあれば衝角で敵船にぶつかり、甲板上のゲベール隊が水夫を減らし、接舷して突入するのだろう。 「キャ、キャプテン!」 操縦していたマルージが怯えた声をあげた。それを聞いて片桐は軍港の観察を止めた。振り返ると、さっきまでつぶさに観察していたコルベットが間近に接近している。その砲門は間違いなく、片桐たちを狙っていた。 「異世界人片桐と見受けた! こちらに乗船せよ!」 甲板で士官が叫んだ。港からはかなり離れていたつもりだったが、自分のうかつさに片桐は思わず歯がみした。 「キャプテン、どうします?」 「心配はいらぬ! お尋ね者としてではなく、客人として迎える。グンク・シュブのお達しだ」 この国の王はシュブと言うらしい。抵抗も無駄。逃げることも難しいとなれば選択肢はなかった。運が良ければステラを生け贄からはずすように王に直談判できるかもしれない、と思った。非常に楽観的だが、今の片桐にそれ以外の選択肢はなかった。 港に着いた時点では、約束は守られているようだった。片桐の部下は拘束されることなく船に残された。そして片桐は海軍士官と共に王の待つ城へと向かった。 ヴァシント海軍の士官はドロスたちリターマニア警備隊と似たり寄ったりの格好だった。そして首都ヴァシントの町並みもだった。高度な魔法文明社会だ。だが、この高度な文明社会に「生け贄」という野蛮な習慣が存在しているのも確かであり、そのために片桐は愛するステラを失う危機に直面しているのだ。 ヴァシントの王宮はまるでヴェルサイユ宮殿を思わせる造りだったが、その大きさは実物ほどでもなかった。それでも内部の豪華さは引けを取っていなかった。豪奢な絨毯に、壁に描かれた美しい絵画の数々。そこを行き来する士官たちの出で立ちや淑女のドレスや装飾具の美しさは夢の世界のようであった。 そして王座の間の前にある扉には警備隊の通常装備である革の装具と剣以外に様々な装飾具で飾った親衛隊が控え、片桐たちを認めると恭しくその扉を開けた。 高い天井に真っ赤な絨毯の先にある玉座にグンク・シュブは座っていた。その両側には彼の側近や閣僚がずらっと居並んでいる。 「さあ、私をまねて控えて」 海軍士官が片桐にささやいた。彼は片膝をついて王に敬意を払った。とりあえず、彼もそれに習った。 「異世界人片桐、よもやこんなに早く貴殿と会えるとは思っておらなんだ」 グンク・シュブは小柄な茶髪の中年で、一見すると王とは見えない。だが、彼の言葉と雰囲気から発されるオーラは間違いなく王のそれであった。 「この二日で君をとりまく状況が変化したことをまずは説明したい。君に対するリターマニア評議会での審査結果は聞いている。そして君がリターマニアから六千サマの懸賞金で追われていることも」 グンク・シュブは淡々と片桐に話した。時折、そばの女性が彼にペーパーを見せている。あれに片桐に関する情報が書かれているのだろう。 「だが、昨日。余とリターマニア評議会を決裂させる決定的事件が起こった。それは以前からの古代ロザールの神々を巡る解釈の違いだったんだが、今の君には関わりないことだ。その結果、ヴァシント評議会は全会一致でリターマニア評議会のこれまでの宗教的解釈を異端とし、すべての行為を反逆と見なした」 そこで再びシュブはペーパーを見た。 「結果、この国における君の罪状は取り消しとなった。君を罪人とすることを評決した評議会自体が違法と判断されたからだ。したがって、その評議会が選考した「神の御心」を行使する権利も無効となる。異世界人片桐、君の今回の行動の動機も聞き及んでいる。反逆者のしたこととは言え、君に多大な苦痛を与えたことを国民に代わってお詫びしよう」 一瞬、片桐はグンク・シュブの言った意味を理解できなかった。が、数秒してその意味を知ると涙がこぼれそうになった。自分自身がお尋ね者でもなくなったと同時に、ステラも生け贄ではなくなったのだ。 「この国は古代ロザールの神々の恩恵で今日の繁栄を築いた。歴代の王は都市に、神への解釈、法律の制定など、ある程度の自治と自由を与えてこの国をよりすばらしい国にしようと努力した。しかし、リターマニアの評議会はそれを軽んじ、越えてはならぬ一線を越えてしまった。フェルド、海上封鎖の準備はよいか?」 フェルドと呼ばれた年老いてはいるが、目つきの鋭い将軍は王の前に進み出て報告した。 「はっ、目下五十隻のコルベットを動員して海上封鎖の準備を行っております」 その答えに満足したグンク・シュブは今度はペーパーを持っていた女性に声をかけた。 「国民への呼びかけはどうだ?」 「はい、国民に彼ら反逆者の悪行をわかりやすく、正義感をかき立てやすい内容にしております」 それを聞いてグンク・シュブは満足げに頷いた。そして片桐に向き直った。 「余は王であると同時に国民への奉仕者でもある。自由と神への敬意を第一に考えておる。そして余の敵は背教者どもだ」 そこへ伝令が入ってきた。伝令は女性に内容を伝えて立ち去った。彼女の表情から見てあまりいい知らせではないようだった。 「グンク、また今年も「神の御心」に選ばれた市民がさらわれました」 グンク・シュブの顔つきが先ほどまでの善良な王の顔から怒れる王の顔に変わった。 「またしてもウィンディーネの仕業か!」 王の言葉に居並ぶ閣僚の中でただ一人、無表情だが怒るグンクに軽蔑的な視線を向ける人物を片桐は見つけた。だが、その男は一瞬そのしぐさを見せただけで、その後は無表情のままだった。 「異世界人片桐、君の探す聖女を含めた「神の御心」当選者が北のウィンディーネにさらわれたそうだ。彼らは捕まえた捕虜を数ヶ月生かして太らせ、食料にすると聞いている。余はこの非人道的な事態を看過するわけにはいかない」 王の言葉を聞いて片桐は目の前が真っ暗になりそうだった。彼の愛する聖女は、心臓をえぐり出される危機から転じて、今度は食人種のメインディッシュにされるというのだ。怒りと絶望でふらふらしながら、片桐は目の前の王に尋ねた。 「で、俺、いや自分は何かできることが?」 その言葉を待っていたのか、グンクは彼に顔を向けた。その顔は今度は悲壮感にあふれていた。場合が場合でなければ、相当な役者だと片桐も思えたことだろう。 「我が軍は現在再編成中で兵力不足だ。リターマニアへの海上封鎖と首都の防衛で手一杯なのだ。そこで君にお願いしたい。これは命令ではない。先発隊としてウィンディーネに行ってはくれないだろうか? 君のこの世界での功績や武勲は聞き及んでいる。今、この事態を打開できるのは君しかいない!」 片桐としては彼の願いは断る理由もない。せっかく、生け贄から解放されたステラが今度は食料となる危険にさらされているのだから。 「わかりました。すぐにでも出発したいと思います。グンク、お心遣い感謝します」 「余とて、いかに百戦錬磨の君だけでは困難な話ということはわかっておる。パウリス!」 王に呼ばれて一歩前に進み出たのはさきほど、ひそかにグンクに冷たい視線を投げた閣僚だった。 「パウリス、君は異世界人片桐と共にウィンディーネの状況を探ってくれ。しかる後、余が自ら軍を率い救出に向かおうぞ!」 「はっ!」 こうして、片桐には名君主に見えるグンク・シュブとの会談は終わった。 数日後、片桐とパウリスは雪を抱く山々を見ながら高原地帯を北上していた。山と言っても木々はほとんどない。岩と、湖が所々にあり、森はその周辺にぽつぽつある程度だった。 気温は低く、温度計がないので正確にはわからないが、氷点下を下回っているのは感覚的に確実だった。二人は毛皮のコート、と言えば豪華そうだがその実、ただのオーバーコートにすぎないような代物だけで高原を歩いていた。 「俺は死なんぞ! 生還して、評議会にグンクの政治責任を問うまではな!」 ここ数日のパウリスからの説明。というか半分愚痴のようなものだったが、によると、彼らは政権内で分裂しているようだ。 まず、強硬派のグンク・シュブとフェルド。穏健派のパウリス。評議会は表面上中立だが立法権や宗教的解釈の裁量をグンクから与えられている手前、表だったグンク批判はしない。 「自由や正義は押しつけではない。君のいたアムターラやガルマーニ、エルドガンたちに我々の宗教解釈と正義感を押しつけるつもりはない。共存していくうちに彼らが学んでいけばいいのだ」 片桐からすれば、強硬派でも穏健派でも、結局彼らの考えはヌボル西部の人々に受け入れられるべきであると言うことに変わりはないようだったが、この寒さの中、歩く以外にすることもないのでパウリスの政治学講座を止めることはしなかった。 「なあ、ところで、グンク・シュブが言ってた「古代ロザール」の聖地ってなんだい?」 話の内容がパウリスの考える異民族との共存論に入ったところで片桐は鼻水をすすりながら尋ねた。同じくパウリスも鼻水をすすりながら答える。 「言葉の通りだよ。古代ロザールの神々が眠る聖地だ。もっとも、そこには歴代のグンクと評議委員しか入れないがね。我々が偉大な神から受け継いだ自由と正義の根元なのだとされているんだよ」 思わず片桐は歩を止めた。アムターラから旅立って数ヶ月。おそらくそこがこの旅の最終目的地であろうことが予想できた。 「そこに何がある? この世界を平和に導く秘密の魔法でもあるのか?」 片桐の思わぬ食いつきように驚いたパウリスが答えた。 「わからん。俺はそこには入ったことはないからな」 パウリスの答えは片桐の質問の答えとは違っていたが、それでも彼は確信を持ちつつあった。だが、直感的な疑問も発生した。もしも、その聖地にステラの求めるものがあったとしてだ。 なぜ、歴代のグンクはそれを修得することも、行使することもなかったのか? グンク・シュブのような野心あふれる王ばかりだったわけではあるまい。そして「神の聖地」を抱く神聖ロザール王国はなぜ、このような王制とも共和制ともつかない奇妙な政治体制で、各都市、異民族と政治的、宗教的な対立と融和を繰り返しているのか。 その疑問はふと聞こえてきた奇妙なもので中断された。 「おい、パウリス」 自分の聞こえたものが幻聴でないことを確認すべく片桐は彼に声をかけた。パウリスも聞こえたのだろう。立ち止まって耳を澄ませている。それは歌だった。この世界ではあまり音楽は聴かないし演奏もされない。 片桐にとってこの世界の歌を聴くのはアムターラでの宴会以来、ほとんど初めての経験だった。 今、彼とパウリスがいるのは広大な高原のまっただ中だ。ところどころ雪が積もり、湖も凍り付きそうな寒さの中なのだ。 「あっちからのようだ……」 パウリスが示す方向には大きな湖とその周辺に雪をかぶった森が見えた。その向こうには数千メートル級の山々がはるか彼方まで連なっている。このあたりが世界の果てと言うのかもしれないな、と片桐は思った。 そして、その世界の果てで歌声は間違いなく二人の耳に聞こえていた。その歌声は思わず聞き惚れる美しさだ。 「行ってみよう……」 どちらからともなくそう提案して二人は湖の岸辺へと出た。高原の湖はきらびやかな水面と、吸い込まれそうになるほどの透明度で二人を出迎えた。歌声は今やすぐ近くから聞こえていた。湖につきだした大きな岩の上にその歌い手がいた。 「あれはいったい?」 半分呆然しながらと片桐はつぶやいた。歌い手は女性だった。ほっそりとした体つき、美しい青みがかった髪、湖に負けないくらい透き通った白い肌……。 そしてこの寒さに関わらず彼女はしなやかなローブをまとっているにすぎなかった。 その姿で岩場に腰掛け、足を伸ばして水面を蹴っている。白昼夢のようにすら思える光景だった。パウリスとて同じ思いだったのだろう。 「ヴァシントの貴族と異世界人……」 不意に女性が歌うのを止めて片桐たちに振り向いた。今や三人の距離はいくらもない。片桐もパウリスも歌声に導かれるように彼女のすぐ近くまで歩み寄っていたのだ。 「あなたが噂に聞く異世界人ですね」 静かに女性が言った。その美しい顔にこぼれた微笑に思わず片桐は見とれてしまった。それに気がついた女性は伸ばした足で湖の水面を軽く蹴った。 「わたくしはウィンディーネの女王、セイレースです。勇敢な異世界人、よくぞ世界の果てウィンディーネまで来られました」 その言葉にパウリスが夢から覚めたようにはっとして、即座に剣を抜いた。 「おのれ! ウィンディーネの女王セイレース! 我が国民を幾度にもわたって誘拐し、無惨に殺した罪をこの剣で償わせてやる!」 その言葉にセイレースは軽く微笑んだ。 「ヴァシントの貴族パウリス。あなたほどの聡明な男がそのような世迷い言を信じているとは……」 「世迷い言だと? 貴様がさらったのは我が国民でも「神の御心」に選ばれ、その意志で神の国に旅立つ者たちだ! それを太らせて食うなどとは、神を冒涜するにもほどがあるぞ!」 一足飛びに、剣を構えて飛びかかろうとしたパウリスの足下に音もなく、つららが数本刺さって彼の足を止めた。彼女のポルが作り出したつららだった。 「うっ!」 歴戦の剣士パウリスは、自分が再びセイレースに斬りかかろうとしたら間違いなくそのつららが自分を切り裂くであろうことを悟った。 「わたくしについて来るがよい。わたくしが本当に食人をしているか……。それを確かめてからでもそなたの剣を振るうのは遅くはない」 そう言ってセイレースは岩場から立つと森に向かって歩き出した。片桐とパウリスもそれに続いた。まるで彼女の優美な歩みに引き寄せられるように。 山に面した岩の壁にセイレースの居城は造られていた。その麓の森の中に城下町があった。村の人々は、男はクアド族と見分けがつかないが、女性はみな、セイレースのように透き通る肌が印象的だった。 セイレースの居城は岩の中、豪華な装飾にも関わらず底冷えするような雰囲気だった。その中に作られた玉座の間に置かれた氷のように輝くクリスタルの玉座に彼女は座った。周りには毛皮を着た幕僚が控えている。 「みな、席を外せ」 開口一番、女王が幕僚に告げた。幕僚たちはざわめいた。 「セイレース様、彼らの武装もまだ解除しておりません。どうかお考え直しを」 そう言う幕僚にセイレースは優しさに満ちているがゆるぎない意志を秘めた目を向けた。 「彼らなら心配はいりません。さあ、言われたとおりになさい」 口調こそ優しかったが、彼女の言葉にはその場の者にこれ以上の異論を差し挟ませない空気があった。それを察して幕僚たちは次々と玉座の間を辞した。広い部屋には片桐とパウリス、そして美しい玉座に座る美しい女王だけになった。 「さて、ヴァシントの貴族パウリス。そなたはわたくしたちが、捕虜を食べていると言いましたね? その証拠はどこにあるのです?」 玉座から身を乗り出すようにセイレースはパウリスに問いかけた。珍しく彼は少し口ごもった。 「我がグンク・シュブと国防大臣フェルドの調査の結果である!」 それを聞くと女王はくすっと笑った。 「では。三年前に「神の御心」に選ばれたそなたの親族を覚えていますね?」 意外なセイレースの言葉に男の顔が明らかにうろたえた。そう言えば、数日にわたった彼の愚痴の中にそんなことを聞いた記憶が片桐にはあった。 「これへ!」 女王は玉座の横にある扉に声をかけた。一分もたたぬうちに一人の若者が玉座の間に入ってきた。それを見てパウリスが驚きのあまりその場に座り込んだ。 「パ、パロウス!? 幻ではあるまいな!」 「パウリス様、夢ではありませんぞ」 パロウスと呼ばれた男は驚く剣士に駆け寄ってその手を取った。その手の温かさにパウリスもようやくこれが現実であると判断したようだ。 「おお! 神のお慈悲だ!」 「パウリス様。神のお慈悲ではありません。その答えはセイレース様から聞くがよろしかろう……」 そう言って、パロウスは感涙むせび泣くパウリスから離れ、女王に跪いた。それを見てセイレースは玉座から立ちあがり、片桐とパウリスに歩み寄った。 「パウリス、そなたならこれからわたくしが見せることは評議会で使われる魔法と同じく、嘘偽りないこととわかるであろう」 そう言ってセイレースは右手を片桐、左手をパウリスの額に近づけた。ひんやりと冷たい感触が片桐の額に伝わった。それと同時に彼女のポルを介して強力な映像が彼の脳に流れ込んできた。 そこは狭い一室だった。大勢の男女が恍惚に満ちた顔で座り込んでいる。そこへ、グンク・シュブの親衛隊がやってきた。丁重に室内の男女を連れ出した。室内の人々も王の親衛隊の誘導に喜々として応じた。 「さあ、こちらへ」 親衛隊が人々を案内したのは暗い地下室だった。その広さはかなりの広さで、奥までは暗くて見通せない。「神の御心」当選者たちはそこに全員入場した。 「では、神のご加護を」 そう言って親衛隊は入ってきた扉を閉じてカギをかけた。数ヶ月待たされてようやく神に近づくことができる人々は暗い地下室で神の迎えを待った。だが、そこに現れたのは彼らの想像した神の使いではなかった。 「ぐるるる……」 血に飢えたうなり声をあげて歩いてきたのは身長二メートルを超える醜い怪物だった。 犬歯の発達した口からよだれを垂らして、延びっぱなしの爪で武装された指をくねくねさせている。想像しない「神の使い」に人々はざわめいた。 「おお、神よ!」 それでも、一人が化け物に向かって身体を差し出した。次の瞬間、化け物はその身体に噛みつき腹の一部を食い破った。 「わあ!」 その男は絶叫しながら床を転げ回った。あまりの出来事と、化け物の目的を察した人々に動揺が広がった。一斉に閉じられた扉に飛びつく。 「開けてください!」 「我々はオーガに食われるために選ばれたんじゃない!」 「神の御心とはこんなことだったんですか?」 その直後、数匹の化け物は幸運な「神の御心」当選者に一斉に飛びかかった。 片桐は気がつくと玉座の間の床に座り込んでいた。身体には脂汗がびっしりと出ているのがわかった。そしてそれはパウリスも同じであった。 「あ、あれは伝説の魔人オーガじゃないか……」 古代ロザールの聖地で儀式的な死を迎えることを希望していた幾多の人々の末路をかいま見てパウリスは驚愕していた。グンク・シュブが語ったウィンディーネの野蛮さは、そっくりそのままパウリスの祖国のことだったわけだ。 「これは哀れな生け贄と共に捕らえた親衛隊の兵士の記憶です……」 セイレースの言葉にパウリスは真っ青になった。彼の中にあった王国への忠誠心がぼろぼろに壊れていくのを感じていた。 「まさか、歴代のグンクはあいつらを飼育するために、「神の御心」と称して市民を選んでいたのか!」 うろたえるパウリスの自問を聞いてセイレースはうなずいた。 「わたくしもこのことはつい数年前まで知りませんでした。ひょんなことからそれを知って以来、見つけられる範囲で彼らをさらって救っていたのです」 セイレース曰く、あの化け物はオーガと言い、不老でほとんど不死の食人鬼だ。神聖ロザール王国歴代の王は彼らを飼い慣らし、生け贄として餌を提供して飼育していたのだ。それが、生物兵器として神聖ロザールの勢力拡大を助けていたわけだ。 彼らの戦力維持を目的に、つまり餌の安定供給のために「神の御心」と言う、半分自発的な生け贄選考を行っていたのだ。すべては「神の名において」自由と正義を世界に満ちさせるために。 「な、なんということだ!」 あまりの事実にパウリスは言葉を失った。それを見たセイレースは片桐に向き直った。 「そなたが探し求める北の森の聖女もここにいます」 そう言って女王は先ほどと同じく扉の向こうに声をかけた。そして現れたのは片桐の探し求めたその人物だった。 「え? 片桐?」 別れたときに身に着けていたローマ風の白いドレスと、ここに来て与えられたのだろう毛皮のコートをまとった女性は間違いなく、ステラだった。 「ス、ステラ!」 駆け寄る片桐にセイレースが鋭い一声を浴びせた。 「片桐、わたくしはあなたに惚れました。この女を捨ててわたくしのものになれば、この女は自由になります。どうします?」 女王の言葉に片桐は驚きかけたが、すぐにその迷いは消えた。 「俺はあなたのものにはなりません。俺は彼女を愛してますから」 「ふふ、やっぱり。わたくしの負けですわ」 玉座で女王が宣言した。これが茶番ではないかと疑った片桐が尋ねる。 「セイレース、はじめからわかってましたよ」 片桐の言葉にセイレースは苦笑でもない、なんともいえない微笑を美しい顔に浮かべた。それは片桐に返答の言葉を見出させない笑顔だった。 「これはあなたがたの愛を試す、わたくしの芝居です。やはり、あなたがたは本気で愛し合っているのですね。わたくしの悪い癖です。どうか許してください」 女王の言葉と同時にステラは駆け出していた。そして互いの感触を確かめ合うようにきつく抱き合った。 「片桐、怖かった! まさか、わたくしが生け贄になるなんて夢にも思ってなかったから!」 底冷えのする最果ての玉座の間で二人は互いの体温を確かめ合うかのごとく抱き合った。突然の事態を見守っていたが、ようやく我に返ったパウリスが赤面するほどだった。 「片桐、ステラ。これが愛なのですね……」 両人が落ち着いたところでセイレースがうっとりとつぶやいた。その顔には安らかな微笑が浮かんでいた。 「わたくしが、ヴァシントの哀れな生け贄を助けることにしたのには、ある動機があるのです」 女王は閑散とした玉座の間で話し始めた。三人はそれに聞き入った。 「わたくしたちウィンディーネは女系血族です。産まれる子供はすべて女子です。だから子孫を迎えるには男子を外から招くほかありませんでした。わたくしの王家に伝わる歌も、思えば太古、男をいざなうためのものだったのでしょう……」 そう言う女王は少し悲しげな表情を浮かべて言葉を続けた。 「そんな中でわたくしたちはいつしか、愛を失いました。わたくしたちに備えられた美しい歌。そして美貌は子孫をもたらす手段としてしか見られなくなったのです。どういうわけか、わたくしは物心ついた頃から少し違っていました。生け贄にされる神聖ロザールの民を哀れみ、今、あなたたちの愛し合う姿を見て心が動いています。異世界人片桐、そして聖女ステラ。あなたがたの愛が、わたくしたちウィンディーネが凍らせていた「心」を溶かしてくれたのかもしれません」 そう言ってセイレースはパウリスに向き直った。 「パウリス、そなたは神聖ロザール王国の最高機密を知ってしまいました。おそらく、ヴァシントには帰れないでしょう。ヴァシントの評議会も、そなたが見た記憶と、パロウスの生存を見ればそなたが嘘を言っているとは言えないはず。とすれば、グンク・シュブは迷うことなくあなたを殺すでしょう」 パウリスは女王の言葉にしばらく何か考えていたが、思いついたように手を叩いた。 「では、リターマニアへ向かいましょう。リターマニアの評議会で我々の記憶を見せて、生け贄の真実を全国民に知らしめれば、グンク・シュブの権威は地に落ちる!」 「だが、フェルドの艦隊がリターマニアを封鎖しているぞ」 片桐は玉座の間で交わされたフェルドとグンク・シュブの言葉を思い出していた。二人の話を聞いていたセイレースはポンポンと手を叩いた。玉座の間に士官が入ってきた。 「クランガートを準備なさい。この者たちをリターマニアまで送り届けます」 「はっ!」 聞き慣れない言葉に片桐とパウリスが互いに顔を見合わせた。ステラが笑った。 「大きな鳥です。彼らはそれに乗って空を飛ぶのです。空から行けば、海にいくら艦隊がいても関係ないでしょう?」 それを聞いて片桐は少し考えた。パウリスから道すがら聞いた「神の聖地」のことを思い出していたのだ。 「セイレース、俺一人だけでもヴァシントへ送ってもらえないでしょうか?」 その言葉にステラが驚きの表情を自衛官に向けた。セイレースも驚きの表情を浮かべて片桐を見つめた。 「ヴァシントの「神の聖地」。その謎を解くことが、おそらく俺たちの旅の最終目的です。できれば、合図をしたら俺を収容してもらえたらありがたいのですが」 そう言って片桐はトラックからはずしてきた発煙筒を取り出した。 「用事が済めばこれで合図します」 「待って! わたくしも行きます」 彼女のこの反応は予想しなかったわけではないが、その言葉に片桐はステラに振り向いた。今度という今度はあまりに危険すぎる。 「今回はいくら何でもやばすぎるよ。先にリターマニアに行くんだ」 「イヤです! それに、片桐。あなただけで古代ロザールの秘儀が理解できて?」 彼女の言葉に片桐は反論の言葉を失った。確かに、彼だけでは、聖地を見てくるだけで大したこともわかりそうにない。 「わかったよ。セイレース、彼女も一緒にお願いしたい……」 セイレースが頷いて、再び手を叩いた。先ほどの士官が再び入ってきた。 「ショーク、そなたもクランガートを出しなさい。そして異世界人と聖女をヴァシントまで送り、合図を待って彼らを収容し、リターマニアへ向かうのです。できますね?」 ショークと呼ばれた士官は膝をつき、王女に恭しく一礼した。 「仰せのままに、女王陛下」 危険な任務を引き受けたショークにセイレースは歩み寄ると、彼を抱きしめた。 「ショーク、生きて帰ってくるのですよ」 「もったいないお言葉に存じます」 かつては愛情もなく、氷のような世界で氷の心持っていた国、ウィンディーネに生まれた暖かい心を持った女王は忠実な部下の額に優しくキスをした。 王座の間から出てすぐの岩棚を利用したバルコニーにクランガートが準備されていた。クランガートは体長五メートル近い、白鳥のような鳥で手綱に似たロープで操縦者が操るようであった。 「片桐、リターマニアで待っているぞ!」 パウリスと親戚のパロウスが先に飛び立った。巨大なクランガートは颯爽と大空に飛び立ち、かなりのスピードでリターマニアに向かった。 「セイレース、いろいろとお世話になりました。では……」 片桐もそう言ってショークが乗るクランガートに乗り込もうとした。しかし、それを女王が止めた。 「そなたたちの愛を試すようなまねをして、申し訳ないと思っています。きっと、わたくしに流れる祖先の血があんな行動を求めたのかもしれません」 「あなたが我々を本気で試すとは思っていませんでしたよ」 その言葉にセイレースは少し微笑んで、ステラに向き直った。 「聖女ステラ。できることなら、片桐に感謝の気持ちを込めたキスをしたいのですが、許してくれますか?」 ステラは少し考えてから黙って頷いた。彼女にはそれが「感謝の意」だけではないことはわかっていた。 彼女の配慮に感謝の言葉を述べるとセイレースは片桐の顔に自分の顔を近づけると、遠慮がちに少しだけ唇に触れた。冷たい感触が片桐の唇に感じられた。 「さあ、お行きなさい。自らに課した旅の結末を確かめてくるのです……。そして、二人の愛を永遠のものにするのですよ」 そう言って、無骨な自衛官の唇に触れた女王は後ろを振り返り、そのまま玉座の間に入っていった。 「では出発します」 ショークが手に持った手綱を動かすと、巨鳥は二人を乗せて大空に飛び立った。 思ったよりもクランガートは乗り心地がよかった。 片桐は彼の後ろ、怪鳥の背中の上でステラの肩を抱きながら考えた。今、彼は迷っていた。ようやく、安全を取り戻した彼女を最大の危機に立たせようとしているのではないだろうか、と。その不安を察したようにステラは片桐の手を握った。 「片桐、後悔しないで。これはわたくしが望んだことです。それに、ショークが迎えに来てくれれば何も危ないことはありません」 その言葉を聞いて片桐は考えるのを止めた。もはやここまで来ては、彼女を止めることはできない。その考えを振り切るように、今度は片桐がショークに尋ねた。 「ショーク、君の女王は愛を知った初めての女王だそうだが……」 「ええ。女王陛下のお話のとおり。彼女の両親は心の底から愛し合って、女王を産み育てました。それまでのウィンディーネは、その美しい歌声で導いた男と交わるだけで、愛情はなかったのです。陛下が女王になって、その瞬間からウィンディーネは変わりました。平和で友好的な民族に変身したのです」 なるほど、愛し合った末に生まれ育てられた彼女だからこそ、哀れな生け贄の末路を知って助け船を出したわけだ。ショークは言葉を続けた。 「しかし、セイレース様はお気の毒です。彼女は愛を知っている故、愛に飢えておられる。先ほど、玉座であなたたちにあんな言動をしたのも、片桐様、あなたに祝福のキスを贈られたのも愛を知っているが故……」 片桐とステラは、最果ての女王に同情の心を抱いた。愛を知り、強く求めるが故に悲しさを抱く女王に将来、幸せが訪れることを祈らずにいられなかった。 「まもなくヴァシントです。「神の聖地」は郊外にありますので、そこまでお送りしましょう。そして上空で旋回してあなたの合図を待ちます」 ショークは郊外にそびえる神殿を示しながら言った。三階建てに見える壮大な神殿には人影もなく、王宮のような豪華さもない。神殿と言うより、なにか巨大な倉庫に見えた。 無人の神殿の屋上らしきところにクランガートは着陸した。ショークは発見されぬように素早く飛び立った。広い屋上には片桐とステラだけだった。 「ホントに広いな……」 三階建てとはいえ、その屋上は遙か数百メートルから一キロ以上の幅を持っている。福岡ドームよりもはるかに多くの人間を収容できそうだった。 「さあ、片桐。行きましょう」 手近な入り口を見つけて二人は階段を下った。片桐は小銃を構えて慎重に進んだ。長い階段は薄暗く、直接一階までつながっているようだ。どうやら、この神殿は巨大な吹き抜け構造であるようだ。しかし、見張りが誰もいないというのが、片桐には疑問だった。パウリスの話ではここは、グンクと評議会しか入れないと言うが、聖地ならもうちょっと警戒厳重でもいいものではないのか。 「どうやら、下に降りてきたようですね……」 ステラの言葉に片桐は下を見下ろした。階段は終わって、薄明かりが外から漏れている。いよいよ古代ロザールの聖地のすべてを見ることができるかもしれない。二人は思わずつばを飲み込みながら階段を下りきった。 「こ、これは?」 視界に飛び込んだ光景に思わず片桐は声をあげた。この建物が吹き抜け構造になっている理由がわかった。今、二人が降りてきた階段に沿った壁一面、びっしりと二メートルほどの大きさ、ガラスのような物質でできた「棺桶」が置かれている。その上にも、その上にも、およそ十五メートル近い天井の上までびっしりと……。 数列おきに梯子があり、それを使って上の方にある棺桶まで行くことができるようだった。壁だけではない。数メートルの通路以外、巨大な神殿は一面、何十にも重なったガラスの棺桶で覆われているのだ。何万、何十万あるかわからない。 「これが、古代ロザールの聖地……?」 ステラが予想とは全然違う「聖地」を見て呆然としている。彼女の期待していた「聖地」は、古代ロザール人の秘術を収めた数々の文献と、偉人たちの残した言葉だった。 だが、それはこの「聖地」のどこにも見あたらない。片桐の思いつく限りの言葉でこの「聖地」を表現するなら、 「まるで集団墓地だ」 そうつぶやいて片桐は「棺桶」のひとつを確かめてみた。中にはクアド族の男が眠るように、微笑みすら浮かべて死に顔を見せていた。なぜ、死体が腐敗しないのかまではわからなかった。そして片桐が何より不思議だったのは、天井に近い「棺桶」までびっしりと入った死体の数々だった。そこまで行く手段は小さな梯子だけだ。この梯子を死体を担いで「棺桶」に収めたのか。それとも、死体を収めた「棺桶」を組み立てたのか。 「いや、違うな……」 「棺桶」は壁沿いのものは壁に埋め込まれている。まるで最初からこのように設計されていたようだ。とすれば、この中の人々は自らの意志で「棺桶」に入ったことになる。 ふと、片桐は無人の「棺桶」を見つけた。それを丹念に調べてみた。 「棺桶」は心地よい羽毛みたいな材質で包まれている。頭が収まる部分には枕のような何かがついている。驚いたことに、「棺桶」の蓋は内側から閉まるようにできているのだ。 「ステラ、やっぱりここの連中は自分からこの「棺桶」に入ったんだよ……、こうやってな」 そう言って片桐はその「棺桶」に入った。 「片桐! 何をするのです?」 ステラが片桐の行動を見て叫んだ。片桐の頭が、枕のような何かに触れた瞬間、彼の意識は飛んだ。 「片桐! どうしたんです?」 慌ててステラが彼を抱きあげた。数秒して、彼の意識が戻った。しかし、その顔は真っ青で脂汗が浮かんでいる。 「なんてことをしたんですか!」 ステラの声にも無反応だったが、しばらくしてようやく片桐は我に返った。そして、静かにつぶやいた。 「……彼らの意識が見えたんだ。ここは墓場じゃない。いや、墓場じゃなかった」 水筒の水を飲んで一息ついた片桐は、一瞬の間にかいま見た古代ロザール人の末路を話し始めようとした。 「異世界人片桐!」 だがその時、巨大な神殿にグンク・シュブの声が響いた。どこにいるかはわからない。片桐は八九式を構えて周りを警戒した。だがやはり姿は見えず、その不敵な声だけが響くばかりだ。 「まさか、ウィンディーネから生還するとは思わなかったぞ! しかも、古代ロザール人の聖地まで侵すとはな!」 二人は身を隠すために駆け出した。だが、数歩走ったところで彼らは自分たちの足が床を踏んでいないことに気がついた。いつの間にか、落とし穴がその床に開いていたのだ。 「貴様らには、オーガの餌になってもらおう! 最近腹を減らしておるのでな! 聖女の村も、侍の村も、余が艦隊を率いて殲滅してくれるわ!」 グンク・シュブの恐ろしい声を聞きながら片桐とステラは、真っ暗な穴にまっさかさまに転落していった。 第七章 異世界の決戦 永遠に落ちていくかと思われた二人だが、その高さは大したことないことがわかった。およそ三、四メートルだろうか。少なくとも骨折するほどではなかった。 「ステラ、怪我はないかい?」 「ええ……」 起きあがって周りを見渡すと、暗くてよくわからないが大きな地下室のようだった。 どこか見覚えがあるような気がした。暗くて全貌は見渡すことはできないが、デジャビュのような感じで彼の記憶の奥底に残っている光景だった。 「ここはオーガの巣だ。オーガは貴様のゲベールでは死なない。首を斬り落とさないかぎりな。せいぜい楽しめ!」 またどこからともなくグンク・シュブの言葉が聞こえてきた。どうやら、ここの様子をどこからか見ているようだ。片桐は近くのドアを調べてみたが、外からカギがかかっているようで開かない。 片桐は思い出していた。セイレースが見せてくれたあの、身の毛もよだつ記憶の映像に出てきた部屋だ。 「ぐるる……」 聞いたことのある、あのおぞましい声が聞こえ、暗闇の向こうに四つの光る目が見えた。片桐はステラを部屋の奥へと後退させ、八九式を構えた。 シュブが彼を武装解除もしないままここに放り込んだと言うことは、彼の手持ちの武器ではこいつらに歯が立たないであろうと王が確信していることを示していた。 「くそっ!」 とりあえず、単発で化け物の胴体に数発撃ち込んだが、まったく通用しない。一応命中はしているようだが、痛みを感じる感覚がないみたいで、全然ひるむ様子もない。 「くそ! 首を斬るって言っても、どうやって斬れってんだ!」 思わず悪態を叫びながら、さらに数発撃ち込むがオーガはびくともしない。少しずつ片桐に近づいてくる。化け物が彼らの間合いに入るのも時間の問題だった。 「首を斬る、首を切り離す、切り離す……あっ!」 グンク・シュブの残したヒントをつぶやきながら片桐は思いついた。発想の転換をすればどうということはない.。 「よし! さあ、かかってこい!」 いきなり、片桐はオーガを挑発し始めた。通じるはずもない中指を立てて見せたり、唾を吐いたりして思いっきり挑発した。 「片桐! 何をしているのです?」 部屋の隅まで後退したステラが片桐の狂ったとしか思えぬ行動に声をあげた。それを無視して彼は化け物に向かって挑発を続けた。 「さあ、こい! 足りない脳味噌で何考えてる! さっさとかかってこい!」 言葉が通じるはずもない怪物でも彼の挑発がわかったらしい。気持ち悪い叫び声をあげると一気に間合いを詰めるべく走り出した。それを見逃さずに、片桐は小銃弾を連続して怪物の頭に撃ち込んだ。 至近距離からの二十数発の弾丸は強力な皮膚に守られたオーガの頭部を完全に吹き飛ばした。化け物はそのまま仰向けに倒れた。 「ははは! ざまあみろ! ほら、遠慮するな! かかってこい!」 残ったもう一匹も片桐の挑発と仲間を殺された怒りから、彼に襲いかかったが、マガジンを交換した八九式の弾丸に同じく頭部を吹き飛ばされて倒れた。 「すごい! 片桐!」 意外な展開に思わずステラが声をあげた。片桐は二匹のオーガが完全に息絶えたことを確認してマガジンを交換した。コロンブスの卵だった。 「首を斬らないと死なない」 とは言ってみれば、固定観念の産物だった。白兵戦でオーガの首をはねるのは容易ならぬことだろう。白兵戦を戦う武器のない片桐にとってそれは一見、至難の業に思えたが、首を斬るのと同じ結果をもたらすのは彼の手持ちの武器で十分可能だった。今頃グンク・シュブは顔を真っ赤にして怒っているだろう。そしてすぐに次の手を打ってくるに違いない。 「まだ終わってないよ」 そう言って片桐はバックパックから手榴弾を取り出し、信管を短く切った。それを外界と彼らを隔てるドアにピンを抜いて仕掛けた。仕掛け終わるとすぐに大勢の足音が聞こえた。 「さあ、下がって」 片桐は先ほどの勝利に興奮するステラを下がらせて待った。 「くそ! こうなれば、親衛隊の名にかけて一気に押し包むぞ!」 グンク・シュブの親衛隊らしき声が聞こえてドアが開かれた。数十名の抜刀した兵士がどやどやと地下室に入ってきた。次の瞬間、片桐の仕掛けた手榴弾が炸裂した。煙と絶叫のあがるドア近辺に数発撃ち込んで、片桐はステラの手を取って走り出した。ドアの付近には人海戦術で彼らを押し包もうとした抜刀した親衛隊の無惨な死体があったが、それを越えて階段を登った。 階段はすぐに終わり、守備隊の休憩所らしきところに出たが、そこは無人だった。グンク・シュブは事態の急変を悟って逃げたようだ。この場から逃げたとはいえ、彼の最終目的はわかっていた。強力な艦隊を率いてアムターラやガルマーニ、才蔵の村を「神の名において」征服するのだ。一刻も早く、彼らのところに帰ってそれを知らせなければならない。二人は休憩室の奥にあるドアを開け、その先の階段を駆け登った。 思ったより、あっさりと二人は「聖地」の外に出た。すばやく、上空のショークに報せるべく発煙筒を発火させた。いつしか夕闇の迫るヴァシントの空に発煙筒の煙が一筋あがった。夕闇の空にショークの操るクランガートが見えた。 「いいぞ! こっちだ!」 ショークの操る怪鳥はまっすぐ片桐の方に向かっていた。だが、数百メートル手前で警備隊が放ったゲベールの一斉射撃を受けた。ショークらしき操縦者が怪鳥から落ちるのが見えた。操縦者を失ったクランガートはそのまま北方へと飛び去った。それはあたかも、二人の希望が飛び去っていくようにすら思えた。 セイレースの忠実な部下は彼の女王の元に帰ることはできなかった。 「なんてこと……」 脱出の手段を失ったステラが絶望の声をあげたが、まだ自衛官はあきらめていなかった。すばやく、聖地前の広場を見回した。大きな広場は野球場くらいの広さだった。その先に巨大な石の門が見えた。さらにその向こうは田園地帯が広がっている。この先がヴァシント市のようだ。 見ると、その正門らしき石の門をくぐってボスホースに乗った騎兵隊が数騎、駆けてくるのが見えた。 「あいつを奪おう!」 そう言って片桐は単発で次々と騎兵を撃ち倒した。三十発で十騎の騎兵を全滅させた。その中に生き残った無傷のボスホースを見つけるとステラを乗せて颯爽と駆け出した。目的地は港だった。六本足の馬はすばらしい速度を出しながらヴァシント市内に入った。 「どけ! 危ないぞ!」 市内に入って通行人をかき分けながら六本足の馬は疾走した。さすが親衛隊の愛馬で、その速度はかなりのものだった。その証拠に時々遭遇する歩兵隊のゲベールはあまりのすばやさにまともに命中しなかった。 「片桐! どこへ行くのです?」 疾走する六本足の馬の背中でステラが叫んだ。 「港だよ! 俺の部下が待ってるはずだ!」 彼の部下はみんな元の世界に帰ったはず……。いったい誰だろうとステラは疑問に思ったが、片桐の自信満々な答えに彼を信じることにした。 「おい、見ろ! キャプテンだ!」 市街での騒ぎに気がついていたミストが波止場で叫んでいた。他の海賊たちもボスホースで駆けてくる彼らのキャプテンに気がついたらしい。 ヴァシント兵は彼らを拘束することもしなかった。おかげで彼らはゆっくりと彼らのキャプテンの帰りを待ちながら出航に備えて英気を養うことができた。 「キャプテン! 早く!」 口々に叫ぶ部下のところまで馬を乗り付けた片桐はすぐに船を出航させるように命じた。部下たちは長いこと待たされたうっぷんを晴らすようにてきぱきと準備を始めた。 「キャプテン片桐の出航だ!」 「キャプテン! 目的地はどこです?」 準備の合間も次々と指示を求める部下の声があがった。それを聞いてステラが怪訝な顔をして言った。 「片桐、わたくしの知らない間にあなたは海賊になっていたんですか?」 「いや、話せば長くなるんだけど……」 言い訳する片桐の言葉を遮るように準備を終えたタリマが大声をあげた。 「よーし! 海賊旗をあげろ! 出航だ!」 その声を合図に上げられた三等陸曹を模した旗を見たステラが驚きの表情を浮かべ片桐の方を見た。気まずい沈黙の間に、やくざな海賊船は出航した。 間一髪、ボスポースに乗った親衛隊が港に到着する直前の出港だった。一息ついて、背中に抱えていた弾薬と食料の入ったバックパックを甲板におろしながら少し困った顔をして片桐が言い訳がましくステラに言った。 「まあ、いろいろと成り行きでこうなったんだよ」 その言葉にもステラは納得していないようだったが、それ以上説明のしようがない。そこへミストがやってきた。無事な彼のボスの姿と、見慣れぬ聖女の姿を交互に見ながら彼は言った。 「キャプテン、よくぞ戻られました! こちらは?」 「ああ、アムターラ村の聖女ステラだ」 気まずい雰囲気を感じながらミストに彼女を紹介した。ミストは聖女の名を聞くや、片桐に対して以上に服従と尊敬の姿勢を示した。 「これは、聖女様! キャプテンのご伴侶とは存じませんで大変失礼をいたしました!」 海賊とは思えないあからさまな平身低頭ぶりにステラは思わず笑った。 「片桐、とんだ海賊のリーダーになったものですね」 その時、やくざな海賊船のすぐ近くで水柱があがった。軍港を出た艦隊が追跡を開始したのだ。甲板の後方で見張りをしていたトータが叫んだ。 「グンク・シュブの旗艦も混じってますよ! キャプテン、いったい何をやらかしたんです?」 虎の子のオーガを殺され、自分の王権を保証している古代ロザールの秘密を見られた以上、片桐とステラを世界の果てまで追いかけて殺すつもりのようだ。五十隻を越えるコルベットの追跡を受けながら、片桐はリターマニアへ船を走らせた。 おそらく、フェルドの艦隊に封鎖されているだろうが、小舟の俊敏さでどうにか接近できるかもしれない。 片桐の楽観的な考えは二日後、リターマニア沖で打ち砕かれた。都市の沖は五十隻以上を数えるフェルドの艦隊でアリの這い出る隙もなく封鎖されていた。 「キャプテン、まずいです。このままじゃ追跡の艦隊と挟まれる!」 トータが叫んだ。それを確認するまでもなかった。海上封鎖している艦隊は、片桐の船を見つけて追跡艦隊とで挟み撃ちにしようとしていた。一部、岬に隠れた伏兵を残して彼を追跡するようだ。 「このまま西に向かえ! 南に向かって西海岸へ抜けることができるはずだ!」 だが、船はリターマニア包囲艦隊の射程に入ってしまったようだ。次々と水柱があがった。片桐の指示を聞き取れなかったトータが操舵室から出てきた。 「キャプテン、なんですって?」 その時、至近弾が船を襲った。すごい揺れが片桐たちを甲板に転がした。 「きゃあ!」 甲板から海に落ちそうになるステラをどうにか抱えて転落から守った。が、そのステラが声をあげた。 「あっ! 弾薬が!」 見ると、片桐が背負っていたバックパックが海に落ち、いくつかの泡を残して沈んでいった。今や、彼に残されたのは、小銃に差し込んだマガジンと、腰の九ミリだけだ。残りの弾薬はアムターラのトラックにある。 「キャプテン!」 トータの悲壮な叫び声で片桐は振り向いた。見ると、海賊の部下が海に投げ出されている。トータがさっきまで操縦していた船は彼の残留のポルでゆっくりと走って、彼らから離れている。 「待ってろ!」 片桐はいささか賢さに欠けるが忠実な部下を救うべく船を止めようとした。だが、それを溺れかける部下が止めた。 「キャプテン! 逃げてください。敵が追いついてきます!」 「俺たちはいいから! 聖女様を連れて逃げてください!」 彼らの言葉通り、状況は切迫していた。今や、フェルドの包囲艦隊が片桐の船を射程に収め迫っている。次の攻撃は間違いなく小さな海賊船をこっぱみじんにするだろう。 腸の思いで片桐は目に付いた浮かびそうなものを片っ端から泳げない部下に投げた。 「死んでも岸まで泳ぎ着け!」 そう叫ぶと片桐は自衛隊式の敬礼を、どうにか彼の投げた浮遊物に捕まった部下に捧げた。今の彼にできる精一杯の敬意だった。ステラがそれを認めて操舵室に入り、彼女のポルで出せる限りの速度を出して西に向かった。 「キャプテン! 聖女様! どうかご無事で!」 ミストの叫びが二人の背中に届いた。片桐もステラもその声に振り返ることができなかった。 グンク・シュブの艦隊と、フェルドの艦隊を水平線の向こうに見るまで引き離したステラは少しだけ船のスピードを緩めた。果たして、ミストや他の海賊たちは無事なのだろうか……。短い間だったが、彼らとは心通じ、信頼関係を築いていたのだ。その心配を察したのか、ステラが操舵室から片桐に声をかけた。 「片桐、あなたが「聖地」で見たものを教えてくれませんか?」 彼女の言葉に片桐も操舵室の彼女のそばに座った。彼の見たものをステラに話していいものか、少し迷っていたが、下手な嘘をつくよりもいいと思った。 「見えたんだ、古代ロザールの人々が残した記憶の断片が……」 片桐は話し始めた。古代の偉人がたどった末路を。 ロザールは繁栄の絶頂を極めていた。ヌボル、コロヌボルのいずれも支配し、市民は魔法文明と占領地からもたらされる富を享受していた。その繁栄の中、さらなる快楽を人々は求め始めた。不老不死。精神的、肉体的、物質的な苦しみからの解放だ。 そして、それら苦しみの原因は最終的に、肉体の維持、肉体に宿った有限の生命そのもの、すなわち「生と死」が根元であるとされた。有限の生命の中で人々は富や快楽を求め、時には他人とその利益が衝突する。それらを超越してこそ、究極の繁栄と快楽を享受できると考えた。学者は長年、研究を重ねた。 ついに、学者たちは、人間が持つ究極の苦しみである「死」を逃れる装置を開発した。人々はそれに群がった。強力なポルを持つ学者階級が先導して、市民階級は究極の装置にこぞって押し寄せた。そして、その装置は稼働を始めた。人々は肉体の苦痛を、有限の生命を持つという根本的な恐怖から逃れて永遠の精神世界へ旅立とうとした。ヴァシントの聖地だけではない。多くの都市で多くの市民が同じ装置に飛びついて精神世界の快楽を求めた。 半数以上の市民がその装置で、限りある命を持つ肉体からの束縛を逃れ、悠久の快楽に身を投じ始めた時、ある学者はこの装置の根本的な欠陥を発見したが、市民たちはそれを省みることはなかった。少々のリスクよりも、「永遠である」と定義された快楽におぼれたのだった。 結果、ほとんどすべての市民が永遠の快楽を求める装置に入り、その欠陥で死んでいった。欠陥とは、ごくごく基本的なレヴェルのものだった。この装置の原動力もやはりポルだった。そのポルを制御する者が装置の定員いっぱいに人々を迎え、人々を精神世界へ旅立たせると、それを制御する役目の者も旅立った。 制御者がいなくなった装置は暴走し、人々は死んでしまった。それだけ人々は新たな、そして究極の快楽を求めていたのだ。各地の装置が同じような暴走を始めたとき、ロザールの運命は突如として決したのだ。 究極的な繁栄は、さらなる繁栄と快楽を求めた欲望によって、ある日突然、滅亡を迎えたのだった。それが謎とされた古代ロザール滅亡の真相だった。わずかに生き残ったロザール人は各地に散って現地人と混血を繰り返し、わずかに残された魔法を今に伝えたのだ。 片桐がかいま見た記憶は、あの巨大な「墓場」に眠った人々の残留思念とも言うべき、ポルの残り物から伝わったのだ。 ステラは片桐の話を黙って聞いた。そして聞き終えるとその場に座り込んだ。 「なんてこと……。神に等しいとされるロザール人がそんなことで滅びたなんて」 片桐は悲嘆にくれる聖女を後ろから抱きしめた。彼女がそれを受け入れるのはつらいものがあるだろう。言葉を選びながら片桐はステラに優しく言った。 「魔法で世界が平和になれば誰も武器を持つこともないかもしれない。でも、そんな世界はひょっとしたらものすごく、窮屈で自由のない世界かもしれないよ」 「でも、その平和を求めてしまったわたくしが行くところ行くところで多くの人が死にました……。わたくしのせいで……」 どうにか立ちあがって操縦を続けながらステラが答えた。ちょっと考えて片桐がそれに答える。 「うーん、俺のいた世界から見ると、確かに君たちの世界は平和とはほど遠かった。君が訪れたところには結果的に平和と、優秀な指導者がもたらされた。世界を平和にする魔法って、君のような純粋な強い信念を持った人のことかもしれないって、俺は思うんだ」 ちょっと言葉を区切ってまた彼は言葉を考えた。片桐は日本人だ。実際、平和だの戦争だのは教科書や新聞やテレビで見たり聞いたり、教わったりし だが、実感として感じることはできなかった。 この世界の状況は彼が習った平和とは全然違う。平和を求めるために戦わないと人が実際に死ぬのだ。そして平和を守るために戦わなければならない。それは理屈ではなかった。 「俺も向こうの世界じゃただの公務員だし、こっちの世界でもちっぽけな人間だ。世界中をどうこうとかは、今まで考えたこともなかったから、うまく言えないけど……。 えらそうに演説するだけの連中よりも実際に戦って、ちょっとの地域でも、一部の人々に対してでも平和を勝ち取った君の方が、よっぽど立派と思うんだ。うん、きっと、そうだ!」 片桐の支離滅裂な言葉を聞いてステラが思わず吹き出した。大まじめに答えたつもりの片桐は少しむっとした。 「変な理屈だけど、あなたが言うんですもの。そうかもしれませんね……」 口べたな片桐が精一杯考えた慰めの言葉を快く彼女は受け取った。 少しの間、二人だけの船を沈黙が支配した。自分の世界での感覚でいろいろと話したことを若干後悔していた。しかしそれは片桐の杞憂にすぎなかった。 「片桐……」 前を見つめたまま、ステラが声をかけた。 「ありがとう」 彼女のこの言葉には、聖女として女性として、すべての意味で彼に対する気持ちが込められていた。それを察したがとっさに返事が続かない。片桐がそもそもこの世界に残ったのは一目惚れした目の前の女性のためだけだった。その彼が今更平和だなんだと言ってもさして説得力がないような気がしていたのだ。だが彼がそう考えているのを悟ったかのように、彼女はさらに言った。 「ご自分の言葉に自信を持って。あなたは北の森の聖女であるわたくしがただ一人、愛した男なのですから。わたくしが村の聖女という域を越えて、この世界を平和にしたいと真剣に考えたのは、あなたという存在があったからです」 彼女も同じ気持ちだった。漠然としていた聖女としての夢を片桐に出会って、彼と一緒に実現しようと初めて思った。強力な力を持ちながら、まるでそれを持っていることをためらうような優しさと理性を持つ彼にだったら、自分の漠然とした、大きな願いを託せると思ったのだ。そして彼はその旅に喜んで同行してくれた。これ以上、彼女の気持ちを奮い立たせるものはなかったのだ。 片桐にとってこの言葉で十分だった。これ以上、何の理屈も必要なかった。たとえ、この旅の最初の目的が無駄だとわかっても。二人には普通の生活では得難いものを得ていた。親愛なる友人たち、そして彼らを慕う多くの人々……。そして目の前の最愛の人物。 「操縦を変わろうか」 照れくささを隠すように片桐が操縦桿を手に取った。すると、さっきまですいすい進んでいた船がよれよれと減速を始めた。 「ちくしょう、俺じゃだめか」 やはり、片桐にはポルをうまく操る能力が欠けているようだ。それを見届けたステラは笑いながら再び操縦桿を握った。船は先ほどと同じくスムーズに進み始めた。 「わたくしが動かします」 「でも、何日もかかるし、君が休む間もなくなってしまう。食料もないし、水だけで何日もポルを使うことはできない。俺が操縦を練習すればいいじゃないか」 そう言う片桐にステラはさっきまでとは全然別の表情を向けた。もう、悲嘆にくれる顔ではない。決意に満ちた顔だった。 「さっき、片桐が言ったでしょう? 平和になって、友好的関係を結んだわたくしの友人が、グンク・シュブの侵略に遭おうとしているのです。一刻も早くこのことを知らせなければいけません」 確かに、彼女の言うとおりだった。グンク・シュブはあの大艦隊を古代ロザールの秘密を知ってしまった片桐たちを抹殺するためだけに動員しているとは思えなかった。その勢いでそのまま、ガルマーニやアムターラ、才蔵の村を侵略するだろう。 「わかったよ」 彼女が迎えるこれから長躯の旅を思うと、とうてい納得できない。しかし、ここまで決意を固めた聖女の決心を変えることも不可能だとわかっていた。 三日後、ようやく船は西部海岸沿いに到達していた。やはり、休憩なしでポルを消費し続ける船の操縦は負担が大きいようだった。目に見えて船の速度は落ちていった。この間、片桐はザンガーンから習ったテレパシーを使った精神での会話をハルスに、フランツに、才蔵に、エルドガンのタ・ロールに試してみたが、まったくうまくいかなかった。 一度だけ、ステラと会話に成功していたが、あれは奇跡的なまぐれだったようだ。今や、ヴァシント艦隊は数キロ後方まで迫っていた。 「あそこに浅瀬がある。そこからガルマーニまで歩こう」 船を操るステラが今にも倒れそうなのを見かねた片桐が声をかけた。 「あそこですね……」 そう言って船の向きを変えたところで彼女は倒れた。片桐が駆け寄って抱きあげるが、その顔は真っ青だった。ガルマーニまでそう遠くない砂浜に二人は上陸した。消耗しきったステラをおぶって片桐はガルマーニに向かって歩き始めた。 「片桐、わたくしを置いて行って。すぐに追っ手に追いつかれてしまいます……」 背中でステラが力なくつぶやいた。ぐったりとした彼女に片桐は歯を食いしばって前進しながら答えた。 「そんなことは絶対しない、二人でガルマーニまで逃げれば、あの城壁に逃げ込めば当分は安全だ」 彼がシュミリを通過し、ガルマーニを行き先に選んだのはあの城壁だった。あれだけの防備があればヴァシント軍の少々の攻撃も防げるはずだ。アムターラや才蔵の村の防備ではとうてい守りきれないだろう。 「もうすぐだぞ……、もうすぐガルマーニだぞ」 二人は小高い丘を登っていた。これを越えると、ボルマン軍と決戦を繰り広げた平原に出る。ガルマーニの城壁が目に入るはずだ。 その時、片桐の背後から上陸したヴァシント軍の騎兵が十騎、走ってきた。その向こうには二人が上陸した海岸を埋め尽くさんばかりの百隻近い大艦隊が次々と小舟で部隊を上陸させているのが見えた。 「片桐、あなただけでも、早く逃げて……」 そう言うステラを背中から降ろして地面に横たえると最後に残ったマガジンを小銃に差し込んだ。三発ずつ、確実に撃ち込んで十騎を全滅させた。ライフル弾はなくなってしまった。銃声を聞きつけ、次の騎兵が突撃してくるのが見えた。今度は四騎。 片桐は腰のシグを抜くと驚くほど冷静に二発づつ撃ち込んで倒した。 「さあ、行こう」 横たわるステラに手を出した片桐の右足に激痛が走った。振り返ると、先ほど倒した騎兵がよろよろと立ちあがってゲベールを向けている。彼の撃った弾丸が右足をかすめたのだ。痛みで思わずその場に座り込みながら、最後の一発をその騎兵の心臓に撃ち込んだ。 「ちくしょう。全部撃ち尽くしたか」 アムターラにあるトラックの中に山のようにある弾薬が恋しくて仕方がなかったが、今や彼はほとんど丸腰に等しい。騎兵の突撃の次は、横に並んだ歩兵の前進だった。海岸線からきれいに整列したままゲベールを持ったヴァシント兵が前進してくるのが見えた。 小銃を杖代わりにして立ちあがった片桐は、腰の銃剣をそれに装着した。 「早く、わたくしを置いて逃げて……」 とぎれとぎれのステラの言葉を無視して片桐は銃を構えた。惚れた女一人守れなくて何が自衛官だ。目の前、二百メートルほどまで近づいたところでヴァシント軍の行進は止まった。 その理由は着剣した八九式を構える片桐にもすぐにわかった。 「まじかよ?」 思わず、彼はつぶやいた。今、彼の耳にははっきりと聞こえていた。この世界ではまず聞くことのできない音だった。鼓笛隊の太鼓の音と、数百人のたくましい男たちの声だった。やがて、軍靴の出す規則的な靴音も聞こえてきた。ドイツ語の軍歌を高らかに歌いながらやってくる兵団は丘の上に姿を現した。黒革の鎧に身を包み、一糸乱れぬ隊列で行進している。フランツ率いるガルマーニ兵だった。彼らは片桐たちの横を通り過ぎ、立ちつくすヴァシント兵の一隊まで数十メートルまで接近した。 「全体! 止まれ!」 五十人横隊が三段になった百五十人編成のガルマーニ兵は三隊。対するヴァシント兵は百名に満たない。数の上で不利なことを悟ったヴァシント軍の指揮官は一斉射撃を命じた。次々とせき込むようなゲベールの銃声が隊列で起こった。十数名のガルマーニ兵が倒れたがその穴を埋めるように後列の兵士が整然と一歩前に進むのを見て、ヴァシント軍は驚いたようだ。 「よし、撃て!」 今度はガルマーニ兵の番だった。訓練度の高い兵士たちは次々とヴァシント兵を撃ち倒した。数の違いと敵の命中精度にヴァシント軍は思わず後退した。戦況を見届け、指揮を別のドイツ人に任せたフランツが片桐のところまで走ってきた。部隊も丘の上まで後退するようだ。 「片桐三曹! 生きてたか?」 盟友のドイツ人は銃を構えたまま突っ立っている片桐に飛びついた。そして、倒れているステラを見るや、彼を突き飛ばして彼女に駆け寄った。 「ステラ様……! おい! 早く車を回せ!」 フランツが丘の向こうに向かって大声をあげた。どうにか起きあがった片桐も足を引きずって丘に登った。 ガルマーニ軍が続々と出撃してきているのが見て取れた。平原が一面、彼らの黒い鎧で埋まりそうだった。一体何が起こったんだろう? 「片桐三曹、ハルス大尉が待ってる。司令部へ行こう」 フランツはステラと片桐を車に乗せると丘を下った司令部に向けて出発させた。 ガルマーニ軍の司令部は大きなテントで覆われていた。その周りには元親衛隊のドイツ兵が迷彩ヤッケを着て警戒している。 「衛生兵!」 フランツが司令部前に車を止めさせて大声を出した。慌ててドイツ人衛生兵と数名の兵士が駆けつけた。 「フランツ中尉、ステラ様ですが……」 衛生兵がフランツに声をかけた。彼は衛生兵の胸ぐらをつかんだ。 「助かるのか? どうなんだ!」 「はあ、極度に消耗されているので点滴と睡眠で十分回復します」 それを聞いて片桐もフランツもほっと胸をなで下ろした。衛生兵は片桐の足も診察した。 「かすり傷です。応急処置で大丈夫ですね」 そう言って衛生兵は包帯を足に巻いた。どうにか引きずりながらだと歩けるようだ。 片桐はそのまま、フランツと司令部のテントに入った。中には海軍の制服を着たハルスとワルサーを腰にさげたサクートがいた。 「おお! 無事だったか!」 ハルスとサクートが代わる代わる握手を求めた。片桐はフランツを含めて三人にこれまでの旅の経過を報告した。だが、古代ロザール人のことだけはまだ、話す気になれなかった。それを話すかどうかは彼が決めることではない。ステラが決めることだと思っていた。 「夜には才蔵殿の部隊も到着する。君も少し休んでおけ」 ハルスはそう言って、司令部の隅っこにあるソファーを片桐に勧めてくれた。ハルスの好意に甘えて彼は横になるとそのまま眠り込んだ。 夜になって、才蔵率いる武士団が司令部に到着した。たいまつを持って甲冑のぶつかるカチカチという音をたてながら槍隊が歩く。馬のいななきも夜の平原に響いていた。彼の率いる騎兵隊の機動力は平原の戦いですばらしい戦力になるだろう。 「片桐殿! 無事で何よりでした!」 才蔵は親友の手を取って再会を喜んだ。その中にあって片桐だけ、いまいちこの状況を理解できていなかった。なぜ、これほどまで手際よくみんなが部隊を率いて集結できたかを、だ。 「片桐三曹、君の知らせがなければ我々はあの大軍を無防備で迎えるところだったんだよ」 ハルスの言葉に片桐はきょとんとした。そして数秒たってようやく、船上でどうにかテレパシーで危機を知らせようと挑戦したことを思い出した。 「片桐殿とステラ様が船でこちらに向かっていることはわかりましたが、正確にはどこに、いつ到着するかまではわかりませんでした。そこで我々は話し合って、各地に偵察隊を出し、いつでも出動できるように準備していたのです」 才蔵がこの手際のいい展開を解説してくれた。それに続いてフランツが苦笑しながら言葉をつないだ。 「もうちょっと君がポルの使い方が上手だったらよかったんだが。相変わらず、魔法のたぐいは下手くそらしいな……」 その言葉に司令部の一同が声を出して笑った。それを聞いて片桐もようやくリラックスできた。やっと友のところに帰ってきたと実感できた。そして自分の努力がちょっぴり報われたことをうれしく思った。 「ハルス大尉!」 司令部に連絡士官が入ってきた。ドイツ国防軍式の敬礼をハルスと交わした。 「先ほど、ステラ様がお目覚めになりました。すっかり回復されたご様子です。こちらにお連れいたしました」 士官の報告を聞いて片桐は胸をなで下ろした。彼女は見た目にも完全に回復していた。司令部に集った一同が彼女を迎えようと起立した。 「ステラ様! もうよろしいのですか?」 才蔵の言葉に笑顔で頷きながらステラは司令部のテントに入ってきた。 「片桐、あなたがヴァシントで見たことをまだお話ししていないでしょう? お話ししてください」 開口一番の聖女の言葉は片桐のとった行動を見事に見抜いていた。この件に関しては片桐はステラと一緒にしか話すつもりはなかった。そして今、その許可が下りたと感じた。 「実は……」 片桐は彼らが見た、古代ロザール人の滅亡とグンク・シュブの野望について語った。 一通り、片桐の話を聞いた一同は静まり返った。古代ロザールを神とあがめるグンク・シュブの権威は否定されるだろうが、現実には百隻近い艦隊と一万名近い兵員がまだ彼にはある。そして、彼の神を逆手に取った権威を打ち崩すための証言者は片桐とステラだけだった。 もしも、ヴァシント軍にそれを伝えたところで、「謀略」と言われるのは目に見えていた。 「でも、リターマニアに行ったパウリスがいるじゃないか」 フランツの言葉に元海軍のハルスが残念そうに首を振った。 「海上封鎖は都市から見れば、解かれたかもしれないが、海上に伏兵の艦隊が残っている。そいつらをどうにかしない限り、彼らがここまで到達できるとは思えない。この世界の艦船は搭載砲が少ないようだし、奇襲を受けたら案外もろいみたいだ。伏兵に襲われればそれまでだろう。それに来たところでどうする? やつらの船に乗り込んで一人ずつ説得するか?」 さすがの才蔵も腕を組んで考え込んでいる。いかに精鋭揃いとは言え、数が違いすぎる。しかもヴァシント軍は海を背中に陣取っていた。その沖には大砲をこちらに向けた艦隊がいるのだ。 「敵は一万に百隻の艦隊だ。こっちはせいぜい三千。戦車も六台。数が違いすぎる。それに自動小銃でどうにかこうにか倒せる怪物までいるんだ。状況はかなり不利だと言わざるを得まい」 ハルスは静かに言った。おそらく、こちらからは仕掛けられない戦いになるだろう。 「いや、一万対六千だ」 その声に一同が振り返った。テントにエルドガン族の警備隊長タ・ロールが入ってきた。みんな驚きの表情を浮かべたが、彼はそれを気にする様子もなかった。 「エルドガンの部隊を引き連れてやってきた。我が種族が異種族と肩を並べて戦う初めての戦争だ。みんな張り切ってる」 そう言ってにやりと笑った。それに続いてエルドガン族の王女、エル・ハラもテントに入ってきた。 「他者への友情と理解を教えてくれたみなさんを見捨てることは我がエルドガン族の誇りが許しません」 そう言って彼女は片桐とステラにいたずらっぽい笑みを見せた。思わぬ援軍を得たハルスは腕を組んで考えていたが、不意に口を開いた。 「フランツ中尉、俺の艦にいた連中を貸してくれないか?」 「えっ?」 フランツは思わぬ言葉に目をぱちくりさせた。ハルスは一同にボルマンからガルマーニを解放した後の彼と部下の行動を語った。 「実は、俺の艦なんだが、故障廃棄したわけじゃないから。暇を見つけては部下と修理してたんだ。まだG七魚雷が四発残ってる。浸水がひどくて浮上航行しかできないが、やつらに奇襲をかけてみたいんだ」 修理したとはいえ六十年前のUボートがまともに動くとは思えなかった。ましてや、魚雷がちゃんと作動するかはもっと怪しい。 「大尉、危険すぎやしませんか?」 「どのみち、このまま地上戦でこっちが敵を海岸に追いつめても艦砲の攻撃は脅威になるだけだ。それに……」 ハルスはちょっとにやけながら口ごもった。一同がその言葉の続きを待っている。それを見て彼は照れくさそうに言った。 「俺は潜水艦乗りだ。獲物があんなに海に浮かんでるとなんて言うか、食指が動くんだよ。海に帰るのさ……」 間もなく夜が明けようとしている。双方の陣地では馬のいななき以外には何も聞こえない。海上と海岸にはヴァシント軍の明かりが、丘を隔てた平原にはガルマーニ、才蔵、エルドガンの連合軍が灯す明かりが見えている。 「だいぶ、いいようだな……」 片桐は負傷した足の具合を確かめるように歩いてみた。確かに、かすっただけの足はもうほとんど痛みもなかった。彼は戦車隊に同行する歩兵隊の指揮を任された。戦車に乗って敵陣に到達して戦車に近づく敵を倒す護衛隊だった。 暗闇の中、ハルス大尉と部下たちがヴァシント軍の陣取る方向とは別の海岸に向かった。彼の乗艦だったU−七七四最後の出動だ。 「片桐、いよいよですね……」 いつの間にかテントから出てきたステラが片桐の横に立っていた。彼はぎゅっと彼女の肩を抱きしめた。 「今日、この戦いで勝たなきゃ、俺たちの大事な人がみんな死んでしまう。今日ほど自衛隊に入ってよかったと思う日はないよ」 そう言うと片桐は人目もはばからず思いっきり熱いキスを交わした。周囲の兵士から歓声があがった。 「じゃあ、行って来る」 真っ赤な顔のステラを残して、片桐は指揮下に入った兵士と共に待機する戦車隊に合流すべく出発しようとした。彼女は司令部でエル・ハラと共に護衛隊に守られて待つことになっている。その方が彼にとっても安心だった。そこへ才蔵のいとこ、弥太郎が馬で駆けつけた。 「片桐殿! よかった、間にあったようだ!」 そう言うが早いか、鎧姿艶やかな弥太郎は馬から降りて肩からぶら下げていた荷物を片桐に渡した。ずっしりと重い感触が手に感じられた。 「才蔵様の言いつけでアムターラまで早馬を走らせておきました。お役立てください!」 そう言って馬に乗るや走り去った弥太郎を見送った片桐は彼の渡した荷物の中身を確かめて喜びの声をあげた。 「こいつはありがてえ!」 ずっしりと重いその中身は、十本の八九式小銃のマガジンと三本のシグザウエルのマガジンだった。 海岸に作られた本陣でグンク・シュブはフェルドを伴って内陸を観察していた。どうやら、片桐や異世界人たちはヴァシント軍と一戦交える気でいるようだ。 「フェルド、艦隊の支援に抜かりはないだろうな?」 好物の菓子をほおばりながらシュブはフェルドに再度確認した。戦術は完璧のはずだった。三千の騎兵、七千の歩兵、沖には百隻の艦隊が砲門を陸に向け、沖の船には最終兵器のオーガが十匹、檻の中で待機している。せいぜい六千の異世界人の連合など、取るに足りないはずだ。万が一、こっちの攻撃兵力が押し戻されても、沖の艦隊が調子に乗った敵をこっぱみじんにするはずだ。 「フェルド、全軍を前進させろ。これで余の世界制覇は完璧なものになる」 グンク・シュブは菓子をほおばりながら彼に忠実な将軍に命令を下した。 ヴァシント軍と連合軍を隔てる丘に向かって、兵士たちは前進を開始した。武士団のホラ貝が鳴り響き、鼓笛隊の太鼓が平原を飛び回った。あちこちで炊事の煙をあげる駐屯地からばらばらと、中には少しづつ隊列を組みながら兵士たちが歩き始めた。太陽は森から顔を出し、意気揚々と前進する兵士を照らしている。ばらばらだった兵団も次々と合流し、歩兵は足並みをそろえて丘を登った。 「おい、こっちはまだか?」 丘向こうで待機する片桐と戦車隊にはまだ前進の命令は出ていない。丘を登りきってその存在を敵に悟られないためだ。 「まだです。命令は通信機でフランツ中尉から直接来ます」 戦車隊の隊長はじりじりする片桐に答えた。彼の目には、続々と丘を登るガルマーニの歩兵隊や、才蔵の長槍隊、エルドガン族の抱え大筒隊が見えていた。それに遅れて武士団とエルドガン族の騎兵隊も密集体型で続いていく。彼らは攻撃兵力だ。先頭には出さないつもりなのだろう。 「よーし、止まれ!」 フランツ中尉の号令で丘を下ったあたりで歩兵隊は前進を止めた。丘の下り勾配を利用した理想的な防御態勢だ。ヴァシント軍は登り坂を上りながら幾重ものゲベールの掃射を浴びることになる。 その後方にも歩兵の後詰めを配置して敵からは全軍が見えないように配置されている。 「片桐三曹、前進命令です! 丘の八合目まで前進せよ!」 戦車長がフランツからの命令を片桐に伝えた。戦車は丘の勾配を利用して砲の射程を伸ばす位置に陣取るつもりのようだ。 「行くぞ!」 異世界産の戦車はゆっくりと前進を開始した。それと同時にヴァシント軍の先頭の歩兵隊も前進を開始した。この世界で史上最大の戦闘が始まろうとしていた。 「ははは! どうだ! 走ったぞ!」 ガルマーニに近い海岸からU-七七四は出航した。浮上したまま、数ノットも出ていないが間違いなく走っていた。艦橋に乗り出したハルスが双眼鏡で目標をにらんだ。ヴァシント海軍は完全に陸に砲を向けている。 その上、三列縦隊で横腹を陸に向けている。やつらの鼻っ先を突っ切って沖側から放射状に魚雷を発射すれば大きな戦果が期待できた。 「艦長、魚雷が爆発するか怪しいですよ」 副長のホルグ少尉が艦橋にやって来て艦長に報告した。彼からすればこうやって走っているのが奇跡としか言えない状態だった。 「爆発しなくてもかまわないな。あの木造船を見ろ。喫水線近くに大穴を開ければ充分沈没するさ」 ハルスはホルグに双眼鏡を貸して見せてやった。潜水艦乗りのホルグもおいしい獲物に思わず舌で唇をなめた。 「なるほど、あれだったら爆発しなくても貫通して隣の船までぶち抜くかもしれないですね」 「そういうことだ。さあ、下に行って準備しろ」 ホルグはうれしそうに艦に戻った。今、Uボートはヴァシント艦隊の先頭を見ながら沖に出ようとしている。ヴァシント兵が浮上航行する潜水艦を見つけ、艦首砲にとりついた。砲撃音はほとんどなく、ぴかっと光っただけだった。数秒後、U-七七四の近くに水柱があがった。 「当たるもんか! さあ、走れ!」 次々とあがる水柱のしぶきを浴びながらハルスが叫んだ。彼の言葉通り、命中弾はなかった。聞こえる距離でもないが、彼の言葉を挑発と受け止めたのか、艦隊は次々と砲弾を浴びせかけるがハルスに水しぶきをかけるばかりだった。数回の斉射をものともせずに、Uボートは艦隊をかすめて沖に出た。 「よーし! 沖に出たぞ。転回して八百まで接近して発射しろ。はずすなよ!」 ヴァシント軍の鼻先を悠々と通過したU-七七四は沖で大きく回頭してヴァシント艦隊の背後に出た。沖側の縦列では水兵が陸側に向けた砲を大慌てで移動させている。 「何の騒ぎだ!」 艦隊の騒ぎに気がついたグンク・シュブがフェルドに尋ねた。彼も状況をつかめないようでいささか慌てている。やがて伝令が本陣に到着して状況を告げた。 「敵の戦艦が現れたそうです。見たこともない形で我が艦隊の背後に回っております」 フェルドの報告を聞いてグンク・シュブはイライラしながら菓子をほおばった。 「たった一隻か? さっさと片づけて陸軍の支援に回せ。歩兵隊はすぐに後退させて奴らをこっちの射程に誘い込むんだ。最後の仕上げにオーガを放て」 グンク・シュブの頭の中には勝利の方程式ができあがっていた。そしてそれは崩れることがないことを確信していた。最も進歩したヴァシント軍が数の上でも上回って、完璧な戦術で望もうとしているのだ。 U-七七四は敵艦隊から八百メートルまで接近した後も前進を続けた。ハルスは双眼鏡で様子を確認しながら万感の思いを込めて魚雷発射命令を下した。すでに魚雷の標準と調整は終わっていた。 「一番、二番発射!」 前部魚雷管から二本の魚雷が発射されたのを確認してさらに命令を下す。 「三番、四番発射!」 全魚雷の発射成功を確認した。あとは戦果だ。ホルグも艦橋に出てきて戦果を確認したがった。魚雷は放射状に航跡を出しながら進んでいく。 「ホルグ、最後の仕掛けは準備できたか?」 「ええ。最後の戦果だ……。派手にいきましょう」 ホルグの言葉と同時に最初の魚雷が爆発した。爆発は密集する艦隊で絶大な効果をもたらした。命中した艦の前後も轟沈に至らしめた。 「二発目は……、くそ! 不発だ!」 不発の二発目は沖側の艦を貫通して真ん中の艦を貫通、さらに一番陸側の艦に命中した後爆発した。思わぬ効果にハルスも歓声をあげた。三、四発目は見事に命中、爆発して全魚雷は撃ち尽くされた。 「よし! 脱出して岸まで泳ぎ着け!」 乗員は次々と艦から海に飛び込んだ。微速前進していた艦はどんどん艦隊に接近している。水兵の撃つゲベールの銃弾が時々飛んでくる距離まで接近していた。乗員の脱出を見守っていたホルグが声をかけた。 「艦長、あとは我々だけです。」 「とにかく脱出だ。仕掛けに巻き込まれるぞ!」 ハルスはそう言ってホルグを突き飛ばして艦橋から海に落とした。U−七七四は最後の一撃の準備を終えていた。すなわち、最後は潜水艦自身が魚雷となるのだ。成功すれば大損害を与えることができる。 「とにかく、最後の大戦果だ」 そう言って艦橋から飛び込もうとしたハルスを流れ弾が襲った。幸運な狙撃手の弾丸はハルスの眉間を撃ち抜いていた。 「艦長!」 立ち泳ぎするホルグの叫びむなしく、彼の艦長の姿は艦橋の中に消えた。副長は艦長に敬礼を捧げると最後の仕掛けに巻き込まれないように、岸に向かって泳ぎ始めた。ハルスの遺体を乗せたU-七七四はヴァシント兵の銃撃を跳ね返しながらゆっくりと艦隊に近づいた。一番近い艦船の水兵が接舷に備えて抜刀して集まった。次の瞬間、最後のUボートは閃光をあげて大きな仕事を果たした。 沖で起こったひときわ大きな爆発はグンク・シュブを驚かせた。思わずイスから転げ落ちて沖を見やった。 「いったい何が起こっておるのだ!」 菓子をぼりぼりとほおばりながら王は状況の報告を求めた。伝令の士官が恐る恐る状況を伝えた。 「敵の戦艦が自爆した模様です。我が艦隊は四十隻以上を撃沈、撃破されました……」 その報告を聞いてグンク・シュブは顔を真っ赤にした。彼の考える戦略の一部が崩れたのだ。だが、深呼吸してどうにか王の威厳を保とうとしながら彼は士官に言った。 「残った艦隊で地上を支援する体制を整えるのだ。それとオーガを上陸させろ」 「はっ」 そう言って士官は本陣を退出した。それと入れ違いに別の伝令が入ってきた。 「我が艦隊の沖に別の艦隊が現れました!」 「なんだとっ!」 今度こそ、グンク・シュブは色を失って海が見渡せる場所まで走り出した。彼の艦隊の沖に数十隻の艦隊が現れて、まっすぐこちらに向かっているのが見えた。 「どこの艦隊だ!」 フェルドが新たな艦隊にはためく旗を見て驚きの声をあげた。グンクは菓子をほおばりながら彼を見て再度質問した。 「どこの艦隊だ? フェルド」 「リ、リターマニアと諸都市の艦隊です……」 艦隊は横腹を見せるヴァシント艦隊に突入した。突入された運の悪い艦船の中にグンク・シュブの旗艦もあった。ひときわ大きな旗艦は横腹にぶつけられて真ん中からぱっくり割れてしまった。 「あっ! オーガが」 フェルドの言葉もむなしく、檻に入ったままだった伝説の魔人は旗艦から海に転落し沈んでいった。それを見てグンク・シュブは怒りで真っ赤になった顔を今度は青くしながら叫んだ。 「陸軍に命令しろ! 総攻撃だ! 数で押しつぶせ! 艦隊に連絡! 余の旗艦を失った不名誉を取り返すべく全力で反乱軍を鎮圧しろ! 皆殺しだ! んが……んぐ!」 そう言うと真っ青になったグンク・シュブはその場に倒れた。慌てて駆け寄ったフェルドが王を抱きかかえると大声で叫んだ。 「医者を! グンクが菓子をのどに詰められた! 医者だ!」 丘に展開した連合軍は接近するヴァシント軍を目前数十メートルまで引きつけた。フランツも沖で展開された海戦の様子は双眼鏡で確認していた。ハルス大尉はうまいことやったらしいと確信した。 「一列目! 撃て!」 地面を埋め尽くすような数のヴァシント兵はばたばたと倒れた。対してヴァシント兵は一斉射撃でそれに答えた。数百のゲベールの一斉射撃で連合軍もかなりの死傷者を出した。 「突撃! 突撃!」 ヴァシント兵が一斉に突撃を開始した。手に手にゲベールや抜き身の剣を持って、隊列を組んだまま駆け出してきた。どうやら総攻撃のようだ。フランツは全部隊に一斉射撃を命じた。咳き込むような銃声と共に前列のヴァシント兵がばたばたと倒れるが、それを乗り越えて後続の兵士が突進してきた。弥太郎が率いる長柄隊がヴァシント兵の前に立ちふさがった。 「たたけ!」 弥太郎の号令以下、五メートル以上になる長柄が上下に振られた。鉄の穂先をつけ、その重みできしみながら敵をたたく。ヴァシント兵の剣が届く前に、弥太郎が率いる部隊の槍の穂先が彼らを頭上から襲った。 「ぎゃああ!」 阿鼻叫喚の地獄がヴァシント兵を襲った。数名の兵士が逃げ出し、すぐに大勢がそれに続いた。ヴァシント軍の隊列が崩れた。長槍隊は槍を突き出しながらヴァシント兵を追って前進を開始した。 それを見て才蔵の騎馬隊がヴァシント軍の側面を突くべく突撃を敢行した。細い槍の切っ先で逃げる歩兵の背中を突く。指揮官の周辺にいた数十人の薄い隊列が銃撃を浴びせるが、騎馬武者の勢いで次弾を装填する間もなく、薄い隊列は指揮官ごとはね飛ばされていった。それを見たヴァシント軍は第二派を繰り出した。三千の騎兵隊が一気に動き始めた。 「砲撃開始!」 丘の上に姿を現した六台の戦車は砲撃を開始した。ほとんど砲撃音はない。ドイツ人たちが開発した炸裂弾は次々とヴァシント騎兵の中で爆発していく。それでも数にものを言わせてヴァシント騎兵隊は突撃を止めようとはしない。ひとかたまりになって丘に展開する連合軍の隊列を目指した。 「槍ふすま!」 弥太郎の号令で前進した長柄隊が隊列の先頭で槍を構えた。五メートル超の長槍が隙間なく並ぶ隊列へ向かって勢いをつけたヴァシント騎兵隊は突入した。次々と騎兵隊は槍の餌食となっていく。だが、二列目以降の騎兵たちは先頭の犠牲でできた隙間をぬって槍隊に剣を浴びせかかった。 「たたけ、たたくんだ!」 続々と突入してくる騎兵隊を長槍でたたく。頭上からの一撃を恐れることなく騎兵はまるで死兵のように隊列に飛び込んできた。 「弥太郎! ここはいったん退がるぞ!」 騎兵の第一派をはねのけた才蔵が指示した。ガルマーニ兵とエルドガン兵は武士団の後退に備えて支援射撃の準備を完了していた。 「援護射撃だ!」 片桐は砲塔の上で戦車長に目標を指示した。丘の上にいる彼は戦況がよくわかった。武士団は少し突出してしまったように見えた。三千の騎兵隊で反撃に出たヴァシント軍が武士団の隊列を押し破ろうとしているのがわかった。 「才蔵様! 騎馬隊を連れて先に退いてください!」 突破されつつある隊列を率いる弥太郎が大声で叫んだ。それに呼応するかのように彼の指揮下の槍隊は騎馬隊を援護するようにさらに両翼に展開した。ヴァシント軍は体勢を立て直し、再び騎兵突撃を再開した。先頭の騎兵を次々と槍の穂先が捕らえていく。 だが、薄く延びた隊列を二列目以降の騎兵が突破すると、背後から槍隊に襲いかかった。 「退がれ!」 弥太郎の合図で槍隊は後退を始めた。それを追い越して騎兵隊は丘の連合軍を目指した。徒歩の武士団は、後続のヴァシント軍歩兵隊と個々の戦闘に移って組織的抵抗はできなくなった。このままでは同士討ちになってしまう。そしてその躊躇が戦列を引き裂く結果になることは明らかだった。フランツの決断は素早かった。 「方陣だ! 方陣!」 連合軍歩兵部隊は数百名ずつの方陣を組んで騎馬隊を迎え撃った。後詰めが戦車隊という形になり戦線の崩壊を防ぐつもりだった。同士討ちに注意しながら方陣の兵士たちは騎兵隊をねらい撃ちした。撃ち倒されながらも騎兵隊の剣は方陣の外側にいる兵士を斬り倒していった。外側の兵士が倒れれば内側の兵士がそれに代わって続々と一歩前に進んだ。そして味方の死体で身を隠しながら襲い来る騎兵を撃ち倒し、銃床で殴りつけた。高度な訓練で作り上げられた人間の楯は強力な騎兵突撃を防ぎきったように見えた。 生き残った騎兵は本陣に向けて敗走を始めていた。 「よし! 行くぞ!」 片桐は戦車に飛び乗り砲塔をガンガンと蹴った。それを合図に戦車隊は敗走するヴァシント騎兵を追って前進を開始した。砲塔に乗った兵士の銃弾が逃げる騎兵隊を背中から襲った。 「いいぞ! どんどん撃て!」 方陣の横を戦車がすり抜けていく。歩兵から歓声があがった。ヴァシント艦隊の砲撃がない以上、戦車隊を繰り出しても大きな危険はないはずだ。 両翼の森まで後退した武士団は丘を下ってくる戦車を見て士気を高めた。その一台に乗って指示を飛ばす片桐を才蔵は見逃さなかった。返り血を浴びた武士は不敵な笑みを浮かべると部下に命令した。 「さあ、行くぞ! 最後の決戦だ!」 棟梁の声を合図に武士団が鬨の声を出しながら森から躍り出た。 正気を取り戻したグンク・シュブは自分の出した命令の愚かさに今頃になって気がついていた。ヴァシント軍の総攻撃は失敗に終わり、今や敵軍が隊伍を整え前進しているのだ。 「あの騎兵隊の指揮官は誰だ! 余は騎兵隊の突撃など命じていないぞ!」 大声で責任転嫁を叫ぶグンク・シュブの本陣に戦車のはなった砲弾が着弾した。爆風でグンクはイスごと後ろにひっくり返った。慌ててフェルドが王を助け起こすが、怒り狂った王はその手をはねのけた。 「撤退だ! ヴァシントに撤退して軍を整えるぞ!」 王の言葉に、先ほどの士官が本陣に入ってきた。彼の言葉を聞いていた士官は言いにくそうな顔をして立っている。 「なんだ? 報告があるなら早く言え」 グンクに代わってフェルドが士官を促した。それを聞いて士官が顔をひきつらせながら報告した。 「我が艦隊は降伏した模様です……。目下、ヴァシントへの帰還は……」 士官の報告を聞いて今度はフェルドが唖然とした。グンク・シュブはもはや口をぽかんと開いて呆然としている。この事態を打開するには最後の部隊を繰り出すほかなかった。 「近衛旅団を出せ。この上は陸に活路を開くしかない……」 フェルドの命令を合図に美しい旗が本陣周辺の部隊からあがった。近衛旅団出撃の合図だった。 近衛旅団とは文字通り、グンク・シュブ直属の部隊で神と王のために命を捧げるためだけに存在する。彼らの出撃は、すなわち勝利を意味していた。 敵本陣の動きを片桐も戦車の上から確認していた。先頭を行く戦車隊の前にはヴァシント軍は少数しかいない。主力は数百メートル後方まで後退してしまっていた。片桐を乗せた戦車隊は横に広がってゆっくり前進していた。その間には武士団やガルマーニ兵、エルドガン兵の隊列が歩いている。時折、ヴァシント兵の士官に率いられた逃げ腰の兵士が戦列を組んで銃撃戦を挑むが、動揺してまともに狙いもつけられない。連合軍の歩兵は数名が銃撃で倒れるだけで、前進を止めようとしなかった。そのまま敵が弾込めを終わらないうちに白兵戦に持ち込み捕虜にしていった。 「片桐三曹! 新手です」 戦車隊長に言われるまでもなかった。本陣周辺に撃ち込んだ砲弾に動じることなく、四千名近い兵士が整然と行進を開始していた。逃げ腰に近かったさっきまでのヴァシント軍とはまるで別の軍隊のようだった。連合軍は歩みを止めて新たな兵団を迎え撃つ準備を始めた。 「タ・ロール! 俺の合図で一斉射撃だ」 片桐は右翼に展開したタ・ロールの部隊を呼んだ。戦車砲といっしょにエルドガン軍の強力なゲベールの一斉射撃を行うのだ。ヴァシント軍は美しい旗を持つ少年兵を先頭に無言で抜刀したまま前進してくる。剣を自分の胸の前に捧げるように持ったまま、密集体型で歩いていた。連合軍は彼我の距離四百メートルで一斉射撃を開始した。 「撃て!」 「発射!」 エルドガンの持つ抱え大筒に似た大口径のゲベールが隊列を引き裂いた。そしてその後方に戦車砲が次々と炸裂するがヴァシント軍の隊列は止まることはない。死体と重傷者を残したまま黙々と前進を続ける。今までの部隊と違い、ひるむこともなく歩いてくる。 「なんなんだ? こいつら」 後方のガルマーニ兵を指揮するフランツが思わず口に出した。それだけ、この集団は不気味だった。鬨の声をあげるでもなく、ばたばたと倒れながら無言で前進してくる部隊。やがてガルマーニ兵のゲベールの射程に入り、一斉射撃を食らっても彼らは前進を止めなかった。抜刀した剣を捧げるように持ったままだった。 「おい、撃てよ!」 片桐は八九式のマガジンを交換しながら戦車長に言った。戦車長は砲塔から顔を出して抗議した。 「無茶言わないでください。もう近すぎて撃てませんよ!」 「だったら剣でもなんでも持って白兵戦に備えろ!」 そう言って片桐は戦車長を戦車から引っぱり出した。無言の隊列は片桐たちの数十メートル先まで迫っていた。その間もゲベールの射撃が続くが、すでに千名近い死傷者を出しながらも敵兵は止まるつもりはないようだ。 「こやつら……、全員討ち死にするつもりだ」 才蔵は馬上で思わずつぶやいた。指揮系統を乱し、恐怖心からの敗走を促すこともできなければ、降伏をさせることもできない。勝つためには文字通りの殲滅しかない。 「来るぞ!」 タ・ロールの号令で大口径ゲベールを至近距離から浴びせたエルドガン軍に、ヴァシントの近衛旅団が最初に襲いかかった。無言のまま、生き残った兵士が一斉にエルドガンの隊列に襲いかかった。 抜刀したエルドガン軍に襲いかかったヴァシント軍先頭の隊列は、迎え撃つエルドガン兵の剣と後に続く隊列の兵士の剣を背中から受けた。彼らは前列の仲間ごと敵兵を刺そうとしていた。 「なんだ? こいつら!」 それは武士団に襲いかかった部隊も同じだった。ヴァシント正規軍を散々苦しめた長槍を先頭の兵士は刺されながら身体で受け止め、後列の兵士がその合間をぬって槍を持つ兵に斬りかかったのだ。 「退って砲撃できる距離を確保しろ!」 片桐は砲塔から小銃を乱射しながら叫んだ。その彼の周りも自殺志願者としか思えないヴァシント兵が群がってきている。戦車長が剣で戦車に登ってこようとする敵兵を必死で斬りつけるが数が多すぎた。 「片桐三曹! このままじゃ戦車が乗っ取られます!」 「砲身を下げられるだけ下げるんだ。目の前で爆発させろ!」 片桐の声は地獄のような白兵戦の中でかき消されていた。 連合軍の司令部には少数の部隊が残されているだけだった。捕虜を収容する部隊、負傷者を手当する部隊などだった。捕虜の数は千名近くになっていたが、おとなしく従順だった。司令部のテントでは、ステラとエル・ハラが彼女らの愛する伴侶の帰りを待っていた。 司令部を警備するのは元親衛隊伍長だったが、彼は無口で彼女たちともあまり口を聞かなかった。まるで自分が前線に行けないことを呪っているようだった。 「伍長、戦況はどうなんです?」 テントの外を新たな捕虜が連行されていくのを見守りながらステラが伍長に尋ねた。丘向こうの司令部には鬨の声と時々聞こえる、片桐やドイツ兵の撃つ銃声しか聞こえなかった。ドイツ人らしい金髪の彼は彼女を一瞥して直立不動のまま答えた。 「敵は近衛旅団を繰り出してきているそうですが、目下戦闘中です」 その言葉を聞いてステラとエル・ハラは顔を見合わせた。敵は最後の兵団を繰り出してきたようだ。まもなく戦闘は終わるのだ。だが、それを聞いていた捕虜が大声で言った。 「近衛旅団だって!」 彼の声に気がついた捕虜たちもざわめき始めた。見張りの兵士がゲベールを彼らに向けた。 「敵ながらかわいそうに……。あいつらは決して降伏しない代わりに、敵の降伏も受け入れない。グンクの命令があるまで殺し続けるんだ」 捕虜の言葉に若い伍長が顔をぴくっとさせて、その捕虜を列から引っぱり出した。 「どういうことだ?」 金髪にたくましい体型の伍長は捕虜の胸ぐらをつかんで質問した。捕虜はその精悍さにおびえながらも詳しく話を始めた。 「あいつらは神とグンクに命を捧げている。グンクの命令で出動すれば捕虜にならない、捕虜は取らない。全滅するまで殺し続ける……」 なんということだ。ステラはその戦闘の結果を想像して鳥肌が立った。四千名の死を恐れぬ軍団と戦えば味方の損害は計り知れない。伍長が捕虜に質問をしている間に彼女はエル・ハラに近づいた。 「わたくしは行きます。このままでは片桐たちが危ないはずです」 「でもステラ様、わたくしたちだけでどうやって?」 ステラはゲベールを持ちながら彼女に答えた。彼女のやるべきことは決まっていた。 「グンク・シュブの本陣へ行きます。近衛兵を止めることができるのはグンク・シュブだけなのですから」 それを聞いてエル・ハラは少し驚いたが、すぐに頷いて準備を始めた。愛するタ・ロールを死なせないためにも、一刻も早くグンク・シュブの本陣に攻め込みたいと思ったのだ。エルドガン族の王女もすばやく支度を整えた。 「さあ、ステラ様。まいりましょう!」 「それはできませんな」 彼女の言葉を伍長が遮った。いつの間にか、伍長は二人のすぐ近くに立っていた。伍長は迷彩ヤッケを着込んだたくましい身体をテントの入り口に置いて彼女たちの行く手をふさいでいた。 「自分の任務はあなた方の安全確保です。危険なことはさせられません」 その言葉にステラは素早く反論した。決意を固めた聖女の言葉ははっきりと、そして威厳に満ちていた。 「今、敵を止められるのはわたくしたちだけです。全部隊は今、必死に戦っているのです。わたくしたち以外に、戦場から抜け出してグンク・シュブのところへ行くことができる者はいますか?」 そう言うとステラはゲベールに弾丸を込めて、その細い腕でがっちりとした彼を押しのけてテントを出た。エル・ハラもゲベールを手に後に続く。伍長は少し迷っていたが決心したようで、彼女の後に続いた。 「クリューガー! 後を任せた! 部下を数名借りるぞ!」 そう言って持っていたMP四〇のマガジンを確認した。ステラとエル・ハラはそれを見て伍長の手を取った。美しい聖女とエルドガン族の王女が示す感謝の行為に思わず伍長は赤面した。 「ありがとう、伍長。あなたのお名前は?」 赤面しながら胸に騎士十字章を持つ伍長は答えた。 「シュナイダーライト、アルフレド・シュナイダーライト伍長です。さあ、森を抜けて海岸まで出ましょう」 全戦線で両軍は白兵戦に突入していた。剣が交差し、咳き込むようなゲベールの単発の銃声。武士団の鬨の声が戦場に交錯していた。 武士団は下馬して馬を中心に方陣を組んでいた。才蔵自ら先頭に立って刀を振り回していた。負傷者や死者から回収した刀を周囲に刺して、使えなくなった刀を捨ててはそれらを抜いて敵を斬っている。 「どっちかが皆殺しになるまで続くのか……」 才蔵は返り血を浴びながらつぶやくと、目の前で上段に剣を構えるヴァシント兵を斬り倒した。 「くそ! 撃っても撃っても沸いてきやがる!」 フランツもガルマーニ兵の方陣で指揮を取りながら叫んだ。彼の持っていたモーゼル騎銃も全弾撃ちつくし、今は腰のワルサーを抜いて戦っていた。兵士もゲベールに弾を込める余裕がなく、銃床で敵を殴りつけるばかりだった。 「いいか! 疲れたら後ろの連中と交代しろ! 隊列を崩したらおしまいだぞ!」 フランツはそう叫ぶと部下に斬りかかろうとするヴァシント兵を撃ち倒した。 森に入ったシュナイダーライトは慎重に銃を構えながら前進した。ヴァシント兵は大半は捕虜にするか、戦死したはずだが、敗残兵が残っている可能性があった。主戦場を避け、森から一気にグンク・シュブの本陣を襲うつもりだった。 「ステラ様、エル・ハラ様、ここから先は自分たちだけで行きますから」 周囲の安全を確認したシュナイダーライトは二人の女性に訴えた。だが、彼の忠告を素直に聞き入れる聖女たちではなかった。 「わたくしたちは構いません。ほら、あれが本陣のようです」 そう言って彼女が指さしたのは、豪華な旗がきらめく海岸に近い陣地だった。少数の警備隊を残して出撃しているようだ。中心のイスには彼女が見覚えのある男が座っている。その人物は聞き覚えのある声で部下に命令を下していた。 「まだ未開人の連中を皆殺しにできないのか!」 いらいらしているとすぐにわかる声を聞いてステラはその人物がグンク・シュブであることを確信した。茂みに隠れるシュナイダーライトに駆け寄って彼女は軽く耳打ちした。 「あのイスに座っているのがグンク・シュブです。間違いありません」 「間違いないですか? ステラ様」 シュナイダーライトは周囲をさらに見回して状況を確認した。たしかに、彼を襲うには絶好の機会だ。シュナイダーライトは数名の部下に手で合図した。一斉に射撃を開始して敵の王を生け捕りにするのだ。 「行くぞ!」 シュナイダーライトは立ち上がってマシンガンを乱射した。森に近い場所にいた衛兵を数名撃ち倒した。それを確認した彼の部下が機関銃やモーゼル騎銃を手に森から躍り出た。騒ぎに気がついた衛兵が森に銃撃を浴びせようと集まってきた。敵の反撃を予感した伍長は森から飛び出そうとする女性たちに振り向いた。 「ステラ様、エル・ハラ様! 頭を下げて!」 彼の言葉が発された直後に、ヴァシントの衛兵たちはばたばたと倒れた。彼らの反対側からヴァシント兵と少し格好の違う兵士の一団が突入したのだ。シュナイダーライトはそれを見届けて一気に本陣へ突入した。本陣を挟んで、ドイツ兵の一団と別の襲撃者は互いに対峙した。 「誰だ! 貴様らは!」 シュナイダーライトの誰何にも彼らは剣や銃を構えたままだ。先頭の隊長らしき青年士官は剣を構えたまま彼を観察している。 「あなたはドロスではないですか?」 シュナイダーライトの背後からステラが声をかけた。彼女の声に気がついた青年士官は剣を収めて彼女に駆け寄った。シュナイダーライトはこの展開を理解できずに立ちつくすばかりだ。 「おお、ステラ! あなたでしたか!」 青年士官、リターマニア市警備隊長のドロスは友人の姿を認めて駆け寄った。 「神の御心のことについては、あなたと片桐に心からお詫びしたい……。先日リターマニアに来訪されたパウリス様からすべて聞いております。そして評議会は彼の記憶を嘘ではないと判断し、神の権威を偽ったグンク・シュブを逮捕するべく、諸都市に呼びかけたのです」 ステラはその言葉を聞いてウィンディーネで計画した作戦が全て成功したことを確信した。パウリスは無事リターマニアに到着し、すべてを彼らに話したのだ。そうなった以上、襲撃者によって捕らえられたグンク・シュブは王として最後の仕事以外にすべきことは残されていなかった。フェルドも襲撃者によって拘禁されていた。 「さあ、グンク・シュブ」 ステラは威厳を込めて、リターマニア警備隊に囲まれて王座で固くなっている王に告げた。 「あなたの最後に残された仕事をなすべきです。近衛旅団に攻撃中止命令をくだすのです」 多くの剣に囲まれてもなお、グンク・シュブはまだ王であろうとしていた。ステラを見ると見下すような笑みを浮かべて答えた。 「ふん、たかが未開の地の聖女風情が余に命令するというのか」 あまりに無礼な言葉にステラは美しい顔をひきつらせた。ドロスもかつての王が放つあまりに慇懃な言葉に思わず反論の言葉を失った。それを見て、シュナイダーライトが腰のワルサーを抜いてグンク・シュブに歩み寄った。 「伍長、いけません!」 彼が王を射殺すると思い、とっさに声をかけたエル・ハラにシュナイダーライトは笑顔で振り返ると、そのままワルサーをグンクの膝に向けて発射した。突然の激痛に哀れな王はイスから転がり落ちて足を抱えた。 「グンク・シュブ、聖女様のお言葉を実行してください」 シュナイダーライトは静かに王に問いかけた。 「こ、こっ、近衛兵に停戦を命じる! 命じますぅぅ!!」 グンクの命令を確かに聞いた伍長は王に丁重に一礼すると一歩後ろに下がった。そして、あっけにとられるステラとエル・ハラに向き直ると再び丁寧に一礼した。 「出過ぎたまねをいたしました。お許しを。ドロス隊長、我々はもはや彼に用はありません。あとの処置はお願いします」 そう言うとシュナイダーライトは部下から信号弾を受け取ると、白の信号弾を上空に打ちあげた。 敵の本陣で打ちあげられるドイツ製の信号弾を片桐は呆然と見つめていた。敵も味方もそれに気がついて戦場は不思議な静けさに包まれた。その中を、ヴァシント軍の本陣から出てきた数騎の騎兵が走り抜けた。 「グンク・シュブは降伏された!」 「近衛旅団は即刻、戦闘を中止せよ!」 ヴァシント兵から発せられる言葉に近衛兵は目をむいていた。だが、その言葉の意味を察すると、突撃のときと同じように素早く数十メートル後退した。そのまま、連合軍と向かい合って整列した。 それぞれの部隊を指揮していた、フランツ、タ・ロール、才蔵、サクート、そして片桐は互いに集まっていた。あまりの事態の展開にどうすればいいかわからなかったのだ。 「いったいどうなったんだ?」 ほこりまみれのフランツが返り血を浴びた才蔵に問いかけた。彼とて状況がわかるはずがない。 「さあ、こんな戦は初めてです……」 「ホントにどうなっちまったんだ?」 片桐もマガジンを交換しながら事態の推移を不思議な感じで見守っていた。タ・ロールも兵に待機命令を出しながら、何とも言えない表情で片桐を見ている。つい、数分前まで続いていた地獄のような白兵戦は不気味な静寂に変わっていたのだ。 その時、整列するヴァシント近衛旅団の隊列が真ん中から別れ始めた。数メートルのスペースを作った隊列の中心を一団の兵士が歩いてくるのが見えた。 「おい! あれはグンク・シュブじゃないのか?」 フランツの声に一同が振り返った。近衛兵の間をドロス率いる警備隊に護衛されたグンク・シュブが足を引きずりながら歩いているのが見えた。その後方には、迷彩服のシュナイダーライト伍長とドイツ兵に護衛された聖女とエルドガン族の王女が意気揚々と歩いているのだ。 「ステラ様がやったんだ!」 「エル・ハラ様だ!」 武士団やガルマーニ兵から、エルドガン兵からそれぞれ歓声があがった。 「いったいどうなってんだ?」 フランツの疑問に満ちた視線を浴びた片桐は思わずタ・ロールに視線を移した。タ・ロールも敵陣からやってくる彼の王女にあっけにとられているだけだ。 「なんで、ドロスとステラがいっしょにいるんだよ……?」 リターマニアで別れたはずのドロスはステラとエル・ハラをエスコートしながら連合軍の隊列までやってきた。満面の笑みを浮かべてドロスは連合軍の居並ぶ指揮官たちに一礼した。 「リターマニア市警備隊長のドロスです。我が王国の大罪人であるシュブの鎮圧にご尽力いただき感謝します。そして、彼の所行で多くの人命が失われたことを心からお詫びいたします」 状況を理解できなくて呆気にとられる片桐、タ・ロール、サクート、フランツに代わって比較的冷静な才蔵がドロスの言葉に応じた。 「お役目大儀に存じます。つきましては、今回の戦はこれで終結と受け取ってよいのですな?」 才蔵の質問にドロスはもちろん、という感じで一礼した。連合軍の兵士たちから勝利の雄叫びがあがった。 それを聞いたフランツは我に返って、シュナイダーライトに駆け寄った。 「伍長! いったいどういうことだ? なんで君とステラ様、エル・ハラ様が敵陣から戻ってきたんだ?」 上官の矢継ぎ早の質問にたじろぐシュナイダーライトに代わって、ステラがフランツに答えた。 「彼を責めないでください。彼はわたくしたちの提案を受け入れて助けてくれただけです。近衛兵から皆を救うにはグンク・シュブに命令させるしかなかったのですから……」 「まあ、たしかにそれはそうですが……」 聖女の言葉に反論できないフランツは口ごもったが、彼女たちの伴侶は違っていた。 「ステラ! あれだけ無茶はしないでくれって言ったのに」 「エル・ハラ様! どうしてあなたは」 同時に口を開いた片桐とタ・ロールに、ステラとエル・ハラは同時に彼らの胸に飛び込んだ。 「ごめんなさい……」 急にしおらしくなった二人の女性を胸に抱きながら、片桐とタ・ロールは互いに顔を見合わせて肩をすくめるしかなかった。 少しして状況を理解した連合軍の面々は雰囲気が和やかになった。ドロスは片桐と目を合わせるや、彼に駆け寄って跪いた。 「片桐! どうかわたしを許してくれ! 「神の御心」のおぞましい真実を知らずにいた愚かなわたしを許してくれ」 ドロスの謝罪の意味は十分に理解できた。片桐は自分に跪く友人の手を取った。 「もういいよ。君も知らなかったんだし、こうしてシュブは逮捕できたんだ」 彼の言葉にドロスは感謝の笑顔を浮かべた。 「こっちこそ、タローニャを縛った上に君の部下にまで危害を加えてすまなかった」 雰囲気が落ち着いたところで片桐はさっきから疑問に思っていたことを口にした。 「でも、どうして君たちの艦隊はグンク・シュブの伏兵から目を盗んでここまで来れたんだい? 連中は沖に艦隊を残していたはずだ」 それを聞いて立ちあがったドロスはうれしそうに笑った。 「それは片桐、君のおかげだ」 そう言ってドロスは懐からあるものを取り出した。それを見た片桐も「あっ」と声を出すと彼の返答に納得した。それは彼がリターマニアの城壁でドロスに貸したままにしていた双眼鏡だった。 「このおかげでわたしは、グンク・シュブが岬の向こうに艦隊を残しているのを見つけることができた。彼らにばれないように諸都市に使いを送って、艦隊を集め、一気にやつらを襲撃してここに向かったんだ。さらに、この沖で勇敢な異世界の戦艦がヴァシント艦隊に戦いを挑むのも見ることができた。おかげで浮き足だった敵に奇襲をかけることにも成功したんだよ」 そう言ってドロスは兵士に命じて収容したU−七七四の乗員を連れてこさせた。副長のホルグ少尉以下、全員が無事だった。彼はフランツ中尉に戦果報告した。 「報告します。U−七七四は敵戦艦四十隻以上を撃沈、撃破しましたが、艦長のハルス大尉は戦死されました」 この報告にフランツ以下、連合軍の指揮官は肩を落とした。数秒の間を置いて、ホルグの報告を聞いてフランツがやっとのことで副長以下の乗員に敬礼した。 「ご苦労だった。後方で休んでくれ……」 Uボートの乗員たちは連合軍の隊列の間を司令部に向かって進んでいった。それを見てフランツが力無くつぶやいた。 「ハルス大尉、ホントに海に帰っちまいやがった……」 片桐もステラもタ・ロールも、そして才蔵も同じ気持ちだった。司令部での彼の最後の言葉が脳裏を走った。彼にとっては本望だったのだろう。彼の奇襲のおかげでこの戦いは勝利できたのだ。 「ハルス大尉に敬礼!」 フランツの大声が戦場だった平原に響いた。彼は夕暮れ迫る海に向けて国防軍式の敬礼を捧げていた。片桐もそれに続き、各軍の兵士もそれぞれの慣習でそれに習った。敵味方ない敬礼がハルス大尉のために、夕刻迫る海岸に捧げられた。 そこへ、リターマニア兵が伝令としてやってきて一同に告げた。 「たった今、リターマニア他、諸都市の評議会が新たなグンクとしてドロス様を任命されました!」 その言葉に一番驚いたのは他ならぬドロス自身だった。 「えっ? パウリス様はどうなさったのだ?」 驚くドロスの言葉に伝令は少し迷ったが、忠実にその質問に答えた。 「パウリス様は、今後の神聖ロザール王国をドロス様にゆだねられ、北方のウィンディーネの女王、セイレース様の招きに応じて旅立たれました」 片桐とステラには、セイレースの気持ちがわかったような気がした。セイレースは誠実でまっすぐなパウリスにきっと心惹かれていたのだろう。誠実な愛を求めるセイレースと誠実なパウリスはきっと似合いのカップルになるだろう。 「グンク・ドロス!」 突然、整列して黙ったままだったヴァシント近衛兵たちから歓声があがった。王に忠誠を誓う近衛兵は手に手に剣を捧げ、新たな王に口々に忠誠を誓っているのだ。その声を聞いてドロスも決心を固めたようで剣を抜いてその声に答えた。 「グンク・ドロス!」 捕虜になっていたヴァシント兵からも同じ歓声があがった。彼らの声を聞きながら片桐はステラに近寄るとそっと耳打ちした。 「な、俺の言ったとおりじゃないか。君の通ったところ、必ずすばらしい指導者が現れて平和をもたらすって」 ステラはその言葉に苦笑を浮かべながら、片桐の肩に頭をもたげた。今度は別のリターマニア兵がやってきて彼らに報告した。 「実は、片桐三曹の部下と主張する連中が拿捕したヴァシント艦隊の牢獄にいたのですが……。いかがしましょう?」 「ん? 誰だろう?」 二人は顔を見合わせて、とりあえず連れてくるようにその兵士に命じた。彼が連れてきた連中は片桐とステラを見るや大声をあげて駆け出した。 「キャプテン!」 「聖女様!」 リターマニア市沖で別れた忠実な海賊たちは二人のところに走ってきて、ぴしっと自衛隊式の敬礼を捧げた。 その後の数週間は戦後の処理で忙殺されることになった。各勢力はそれぞれ、不可侵条約を結び、大平原世界ヨシーニアはそれぞれが軍を出して平定し、各勢力が協力して開発することが確認された。 各勢力は「大同盟」を結成して相互の平和維持と相互協力を約束した。文字通り、世界が平和になった瞬間だった。そこで議題になったのは聖女ステラに関してであった。 古代ロザールには全世界を平和に導く魔法などは存在せず、語り継がれたロザール人の神格そのものが否定的であると結論付けされたが、それでは不十分だった。 せっかく築かれた平和の象徴が必要だった。そこで持ちあがったのが彼女だった。「ステラ様がいなければこの世界の平和は実現できなかったし、この先も平和を維持できないだろう」 リターマニアで開催され各勢力の会議で満場一致、ステラをこの世界の聖女と認め、彼女は名実共にアムターラだけでなく、「大同盟」の象徴となった。 片桐はすべてが終わったリターマニアの城壁にたたずんでいた。この数週間でこの世界は急に平和な世界に変身した。それはステラがアムターラを旅立つにあたって望んだ世界だった。そしてそれは、古代ロザール人の残した魔法ではなく、彼女自身がもたらした結果だった。それはそれで片桐には満足だった。しかし、同時に彼女は世界の象徴になり、彼から遠い存在になったような気がしていた。事実、彼は彼女とこの週週間、ろくに会話もできないくらいだった。 「俺の役目は終わったのかな……」 つい、弱気になって言葉に出した。答えは返ってこない。城壁には片桐と、数名の当直兵以外の姿はない。片桐は初めて彼女と出会った数ヶ月前を思い出していた。 思えば高飛車な女性だった。長老のザンガーンを介さないと会話すら受け付けない。それが村を守る戦いを経て愛を交わし、才蔵のとりなしで愛し合うまでになった。彼女の夢は彼の夢になり、そしてそれは現実のものとなった。そうなった瞬間、彼のもとから彼女は遠く離れてしまった感じがした。 今、彼の最愛の聖女は豪華なドロスの宮殿で人々に囲まれて世界平和の象徴となった祝宴の最中だろう。市内はお祭り騒ぎだった。城壁にいる彼の耳にもその騒ぎは聞こえている。 「ここらが潮時かもな」 片桐は考えていた。思えば、この世界の人間でない自分が、今やこの世界の平和の象徴になったステラを独占すべきではない。してはいけない、と。 たとえ、自分がこの世界に残った理由が彼女のためだとしてもだ。 祝宴に出席するように言っていたフランツや才蔵の言葉を辞して、城壁の警備につくと言って逃げた片桐だが、これからの行動は決めていた。城門の警備隊とも話は付いていた。 もちろん、例の掟のことは知っていた。その掟を積極的に破ろうとは思わないが、守っていける自信が今の彼にはなかったのだ。 市内からあがった花火に思わず城壁の兵士も見とれていた。それを一瞥して片桐は地上に降りる階段に向かって歩き始めた。馬小屋に寄って愛馬を連れ出し、話をつけた警備隊に門を開けてもらうのだ。簡単なことだった。花火を見ないように、うつむきながら歩き出した片桐の視界に、花火の光に照らされて城壁の地面に映る影が目に入った。 思わず片桐が顔をあげる。そこには今、まさに祝宴の主役であるステラが立っていた。いつも以上に豪華な装飾具に身を包み、頭には豪華な冠を抱く聖女の姿はまさに、この世界の平和の象徴だった。 「よく似合ってますよ……」 思いもしない人物の登場に少しうろたえる片桐の言葉に、聖女は表情を全く変えることはなかった。無表情のまま片桐を見つめている。時折あがる花火の光が、彼女の表情を鮮明に写し出した。思わず、目をそらして片桐は彼女の横を通り抜けようとした。 「待って!」 それをステラが止めた。彼女も片桐のここ最近の様子に気がついていた。戦後処理と、世界の象徴任命の忙しさでろくに会話もしていなかったが、愛する男の変化くらいはわかっているつもりだった。 「バートスから聞きました。馬を用意しているそうですね……」 あえて彼女は片桐の考えていることを具体的に言葉にしなかった。はっきりと口に出すことでそれが現実のものになることを恐れたのかもしれない。 片桐は彼女に背を向けて城壁の外を見ながら答えた。 「俺の役目は終わった。世界は平和になり、君は俺の手の届かない存在になった。俺は、前も言ったけど、ただの公務員で兵隊だ。天下国家を考えたこともない存在だ。これからこの世界を守っていく君の役には立たない……」 「だから、わたくしから逃げるように去っていくのですか?」 背中に突き刺さるようなステラの言葉に片桐は思わず言葉に詰まった。彼とて、彼女に愛想を尽かしたわけではない。彼なりの愛情を示したつもりだ。それを「逃げる」とばっさりと一刀両断されるのはいささか心外だった。 「ただの兵隊と、聖女様。この先きっと俺の存在が君の重荷になる。俺は君の苦しむ姿を見たくない。死ぬまで一緒にいるだけが愛情表現じゃないさ……」 彼女に背中を向けたまま片桐は言った。その彼の肩にステラは手を伸ばし、彼がびっくりするくらいの勢いで引っ張った。花火の光の下で二人の顔が向かい合った。 「ばかっ!」 不意に片桐の頬をステラの平手が叩いた。思わず頬を押さえて片桐は彼女を見た。美しい彼女の目から涙がこぼれているのが見えた。 「何がバカなんだ? 俺は君のことを考えて……」 叩かれた勢いで反論しようとした片桐は彼女の表情を見て途中で言葉を止めた。今、彼の目の前にいるのは世界の聖女でもなく、一人の愛する女だった。そう思ったとき、彼自身自分の考えの愚かさを悟った気がした。 「世界が平和になっても、あなたがわたくしの前から消えてしまったら……、あなたは本当にバカです!」 そう言ってステラが片桐に背を向けた。その肩が花火に照らし出されて震えているのがわかった。それを見て片桐は思わず後ろから愛する聖女を抱きしめた。自分の考えていた愚かな計画が、最愛の女性をここまで傷つけてしまったことを、心から恥じていた。 「すまん、君が遠い存在になったと思っていた。なんか、手の届かないところに行ってしまった気がしたんだ。本当にごめん……」 「あなたは本当にバカです……」 そう言ってステラは愛する自衛官の腕に涙で濡れた顔を埋めた。花火はそんな二人を祝福するように、盛大に打ちあげられていた。 新しい時代を歩み始めたこの世界を祝福するひときわ大きな花火をバックに、自衛官と聖女は二人の新しい門出を祝うかのように熱い口づけを交わした。 |
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●感想
多摩さんの感想 凄い長い話でしたぁf^_^; 4時間もの間、携帯でぶっ続けで読み切りました(笑) 非常に面白かったです(^-^) それに、これだけ長い話なのに誤字脱字が見当たらなかったのは凄いと思います。 また、新しい作品を出してくれる事を期待してます。 一さんの感想 どうも、一です。 462枚という物凄い物量に惹かれ読んでみました。 怖いもの知りたさって奴かもしれませんね(苦笑 便宜的な挨拶はとりあえず置いて本題に入りましょうか。 誤字脱字、は多摩さんも言っていたように恐らく無かったかと思います。 如何せん夜中12時からぶっつづけで読んでいたもので自信は無いのですが。 文法については、すいません。丸投げさせて下さい。 多分そこまでおかしな表現は無かったかと、サクサク読めました。 それで、内容についてですが。 私的には中々面白かったと思います。 聖女との愛の為に一人異世界に残る。中々ロマンがあるじゃないですか。 次々と現れる敵、苦難を乗り越え、聖女とのラブロマンス。 こういう王道的進め方には好印象を抱きます。 ただ、少しご都合主義なところも見受けられたかと。 例えばガルマーニで片桐が牢屋に放り込まれた時、穴を掘って脱出しましたよね? 私的にはあそこで偶然穴が完成し、なおかつ作戦が行われる時に居合わせることが出来た、というのは少し違和感を感じました。 そうするしかなかったのかもしれませんが、脱出についてはもう一捻りほしかったです。 ただ、あそこについてはボルマンを倒す為に多くの助けが要る場面だったのでしょうがなかったのかも、とも思いますが。 あと、終盤は何度か読み直さないとわかりませんでした。 最初の方の勢いが殺されていた、と思うのです。 展開も少々強引でしたし。 登場人物について言わせてもらうと、全体的に印象が薄いような気がしました。 今、感想を書くこのときに登場人物を思い浮かべても出てくるのはほんの数人なんです。 セイレーンの恋人になった人だれだっけーとか奴隷雇ってたあの男なんて名前だっけーってな具合です。 ただこれはキャラクターに魅力を感じなかった、という訳ではありません。 才蔵のナイスガイっぷりは大好きですし。 片桐の男らしさ、潔さは好感が持てますし。 ステラの素直になりきれないところなんか最高でした。 しかし、やはり埋もれるキャラが多かったと思います。 登場人物が多いのと、枚数が多いのが原因なのかもしれませんが。 あと俺の記憶力の弱さも原因の一環です(笑 ストーリー、テンポ、キャラクター等を総じて20点つけさせて頂きます。 あまり、役には立たない感想かもしれませんがそこは勘弁して下さい(汗 それでは、ガス屋さんの技術向上を願いつつ、ここらへんでおいとまさせて頂きますね。 米ちゃんさんの感想 元ガス屋さん……いや、先生!! 僕は、感動しました。 何という素晴らしい作品を書かれたことか! 半日を費やして読ませていただきました!! 特にラストシーンは……嗚呼!! 言葉になりません!! 兎に角、感動です!! ガタックさんの感想 こんにちは、ガタックです。 「異世界の聖女様と自衛官」拝読いたしました。 最初からわかってはいたことですけど、やはり長かったですねw さすがに全部一気に読むことが出来ませんでしたので、読みながらその場で思ったことをメモして残したので、それを元に感想をお話させていただきます。 読み飛ばし、勘違いなどあるかもしれませんが、そのへんはご容赦ください。 まずタイトルなんですが、「ミもフタもないw」という印象です。 章ごとのタイトルともかけているんだと思いますが、何と言いますか、ハッキリとはしてますがひねりも伏線もないと自分としてはそそられないかな、という感じです。 で、本文です。 一章 異世界の7人 ・なぜ片桐たち7人が召喚されたのか? ボビルの戦士を召喚するのに、それが「片桐たち」であった理由がわかりません。 しかも前回の召喚は200人規模だったのに、なぜ今回は7人だけなのでしょう? 明らかに戦力不足ですよね。 それも含めて「なぜ片桐たち7人だったのか」を明確に示したほうが良いのではないでしょうか。 ・勝手に召喚しておいて「戦ってくれ」っというのは都合よすぎないか。 これといった代償があるわけでもなく、片桐たちから見れば拉致されて強制労働させられてるような感覚にならないんでしょうか。 ・職業軍人 自衛官全員が職業軍人なのでは? 陸士と陸曹の間には確かにカベがあるんですが、陸士だって頑張ってますよw ・3人も死んだのに、悲壮さが伝わってこない 異世界というわけのわからない世界に召喚され、彼らはかなりのストレスを受けているはずです。 また、実戦経験もない彼らが戦闘で死に直面したことなどなく、そんな中で三人も仲間が死んだのに、片桐や他の仲間からは驚きや悲しみがあまり伝わってきません。 ・なぜこの時点で片桐たちの部隊を元の世界に戻そうとしたのか。 アンバットの襲撃が完全に終わってないのなら、ここで帰してしまうのは自殺行為のように思われます。 二章 異世界の千年帝国 > ステラが指さした。片桐は首に下げた双眼鏡で彼女の指さした方向を見つめた。男が見たこともない怪物に襲われている。 どこを指差してるのかわかりません。海のほうなのか、砂浜の向こうなのか? ・シュミリ村 馬を手に入れるだけという感じです。 ・ガルマーニのドイツ軍は誰かに召喚されたのか? これは後の富田家の話にも通じるのですが、この世界と現実世界は召喚という方法以外にも繋がることがあるということでしょうか? 例えば次元のひずみが生じやすいとか、もっともらしい理由がほしいところですね。 ・穴掘っての脱出シーンは確かに都合よすぎる? 一さんもご指摘されてましたが、「今日、たまたま」というところにご都合主義を感じます。 >「俺たちが旅立つまでの間、馬の世話を君にお願いしたいが、引き受けてくれるか? レジスタンスには俺から言っておこう」 > 片桐の言葉に衛兵の表情がぱっと花が咲いたように明るくなった。当面自分の身の安全が保証されたのだ。無理もないだろう。 >「捕虜が逃げたぞ!」 ここのセリフの意味が良くわかりませんでした。 片桐が逃がしたのですよね? ・ステラの演説を聴いての市民の反応。 あっさりしすぎている感じがします。 「我らクアド族の誇りのために!」に至るまでにもう少し市民の葛藤がほしいところです。 ・ボルマン軍とレジスタンス軍の戦闘シーンが冗長 この辺は評価が分かれると思いますが、集団での戦闘シーンは自分的にはちょっと長すぎた感じでした。 ・ピンチの片桐がステラに助けられるシーン 2度も同じようなシーンがあるのはちょっと……w ・日本人である片桐と、ドイツ軍兵士たちがなぜ普通に会話できるのか ステラたちと片桐が言葉が通じるのは目をつぶるとしても、現実世界で生きていた日本人とドイツ人たちが共通の言葉をしゃべっているというのはどうも…… 「ソロモンの指輪」的なアイテムがあるのなら話は別ですがw 第三章 異世界のサムライ >だが、武士は頑固者でも回顧主義でもない 回顧というよりは懐古でしょうか? ・片桐が馬で別の村にのみに行くシーン 片桐を才蔵たちの村から離すためだけに作られたシーンのように思えます。 第四章 異世界の狂信者 >グンク・ニルはジョ・ニーチ自ら処刑するため、今夜、彼らのアジトに連行されるという。 「今夜」というところがどうも都合よすぎな感じがします。 この章で「召還」という言葉が何度か出てくるのですが、片桐たちをこの世界に連れてきたという意味なら「召喚」のほうがいいですね。 第五章 異世界のユートピア 第六章 異世界の果ての女王 特に何もなかったりします(汗 まとめて総括にて。 第七章 異世界の決戦 >彼女が迎えるこれから長躯の旅を思うと この文自体が意味不明になってますね。「長躯」は誤字でしょうか? >「はあ、極度に消耗されているので点滴と睡眠で十分回復します」 極度に消耗されているので → 点滴と睡眠で十分回復します が繋がりませんね。 極度に消耗されていますが → 点滴と睡眠で十分回復するでしょう とか。 総括 全部を読み終えて連想したものが2つ。 「スターゲート」と「FFX」でした。 前者は第一章ですかね。異世界で戦う軍人、そして最後、愛する人のために異世界に残るくだり(あれは学者さんのほうでしたが)。 その後は後者のイメージが強かったです。 この世界を知らない主人公が世界を救う(であろう)女性を守りながら旅をし、伝説の地で驚愕の事実を知る、と。 ゲームを連想したのにはもう一つ理由がありまして、 物語全体がゲームでよく言われる「おつかいイベント」的な印象があったんですよね。 確かに片桐とステラには古代ロザールの秘儀を修得し、世界に平和をもたらすために彼の地へ向かうという明確な理由があります。 ですがそこに至るまでの過程において、伏線らしき伏線も見当たらないままさまざまな場所で小さな事件を解決していくというスタイルは、RPGのそれを思い出させて、どうしてもだらだらとした感が拭えないのです。 特に前半はそれが強かったですね。ピンチを救ってくれる、または最後の決戦で一緒に戦うための仲間集め、みたいな。 後半は古代ロザールへ向けての意識が高まってきたのですが、最後、古代ロザールの秘密については「え、それだけ?」と終わってる感じもあって、なんとも肩透かしを食った気分です。 ここにもう少し含みを持たせて物語全体の伏線としていたら、もっと面白くなってたと思うのですが。 あと、全体通して物語が淡々と進む感じもしました。心理描写が少ないからでしょうか。 戦闘シーンは文句のつけようがないのですが、ヒロイックファンタジーとしてみると物足りない感がありました。 一章の時点で片桐とステラはお互いの気持ちを確かめていますが、そうなるとそのあとの恋愛的展開が全て単なる痴話喧嘩にしか見えなかったんですよね。 しかも3年我慢するって言って途中でやっちゃってるしw これは自分の好みかもしれませんが、片桐にはもっと悶々としてほしかったw 最初から気持ちを伝えてしまうのではなく、気持ちを隠しつつ聖女を守る騎士として振舞ってほしかったですね。 現実世界の男としての振る舞いは王道的にはアウトかな……とも思ったりします。すいません…… また最後、片桐は身を引こうとしますが、二度と元の世界に帰れなくなる重大決心をしてステラに愛を告白した割りにそこで身を引くっていうのはないだろーとも思いましたね。 そこはずっと押し隠してきた気持ちをさらに押し込めようと苦しむ片桐と、彼への愛情にやっと気がついたステラがやっとお互いに分かり合える、という展開がいいな……なんてw なんか自分の好みばっかりかいてますので、聞き流していただいて結構ですよw 文法的には何の問題もありません。比較的読みやすいと思います。 ただ、武器関係の記述は……難しいところですね。 わかる人には説明不要だけれど、わからない人にとっては説明が多少ほしいところ、けどそれが多くなるとゴテゴテしてしまいますから。 あと、随所にアラビア数字と半角英文字が入ってましたので、縦書きで印刷するのなら直したほうがよいでしょう。 賞への応募を視野に入れてらっしゃるようですが、 そうですね……ラノベは難しいかなと思います。 で、エンタメ系となりますと……2月下旬のポプラ小説大賞か、もしくは4月の日本ファンタジーノベル大賞あたりが適当なところでしょうか。 面白い、とは思います。ですがやはりまだまだ練りこみが足りない、という感じもします。 物語のスケールの割りに、話の流れが速すぎるというか、詰め込みすぎというか、言葉が足りないというか。 うまくいえなくてすみません(汗 ボキャブラリが少ないもので あまり参考にならない感想かもしれません。、一つでも元ガス屋さんの参考になればよいのですが…… これからも頑張ってください。 寄尾真也さんの感想 どうも、寄尾というモノが出没しました。 すっ、すばらしい……!! というのが、読み終えた一番の感想でした。 それぞれの 集落の文化背景もさることながら、それらを最終的に融合し、クライマックスへ持っていくというストーリィが凄い。それにこれだけの長さにも関わらず、長さ を感じさせない上にダレるようなシーンがない。片桐とステラを軸としながらも、その他の主要人物も活き活きとしている。さらにラストシーンも気持ちいいく らいにびしっと決まっている。 まさに素晴らしいの一言に尽きます! 銃器関係は元ガス屋さんの趣味興味なのでしょうか。なかなか詳しい感じの扱いでしたね。 余談ですが、お気に入りのシーンは「ははは! 我が屋敷ながら肩身が狭い! ははは!」の辺りです。 うーむ、笑うしかないですねー。 悪いところを挙げるとしたら、良くも悪くもロープレっぽいところ。と、全体的に雰囲気がサラリとしているところ。 長編シリーズ物を一気に読み進めているような印象を受けました。 僕的には全然許容範囲ですけれど。スリム化した結果らしいですし。 しかしこれでスリムなら、オリジナルはどのくらいあったんでしょう……? ちなみに僕はPCから読みました。多分2時間半くらいでしょうかね。 以上、寄尾でした。 (むう……ガタックさんの感想が凄い……見習いてぇ……) 毎日が日曜日さんの感想 今日は。作品、拝読致しました。 面白かったです。正直この手の異世界ファンタジーは余り読まないのですが、本作はとても楽しんで読むことが出来ました。 具体的に言えば技術面では、全体の長さにも関わらず中盤や終盤が緩んでいなかった、誤字脱字が少なかった、などレベルの高さが伺える点が多々あり、読んでいてとても好印象でした。 シナリオについては、作中を通して、様々な人間が友情を結んでゆく過程が非常に感動的でした。最後に主要キャラが集うシーンなどは、見所として十分にインパクトがあったと思います。 欲を言えば、後半でやや日本語が乱れているのが残念ですが、しっかりと書くべき部分では持ち直しており、作品のクオリティを致命的に下げる程度のものでは無いでしょう。 個人的に特に気に入ったのは、中途半端に萌えにおもねらず、硬派な作風を貫いていた点でした。最低限の女性キャラと恋愛模様は描かれていますが、それ以外 は「漢」で構成された内容。こういう作品は非常に好きです。ハルス艦長が殉職するシーンなど、つい私も我を忘れて熱くなってしまいました。 この作品に限っては、その文量も「長かった」と言うよりは、「読み応えがあった」と言うべきでしょう。 くどいようですが面白かったです。これからも是非、頑張って下さい。 楓さんの感想 こんにちは。読ませていただきましたので感想を書きたいと思います。 文法や誤字、展開などはガタックさんがほぼ指摘されていますのでスルーさせてください。 読んだ感じですが、正直RPG的な印象を拭えませんでした。雑魚敵やその他大勢として人がバタバタと死ぬことや、冒険が進む過程にほとんど伏線がないのが原因かと思われます。 淡々としすぎているんですよね。救い救われの繰り返し。少しずつ増える仲間。行く先々で問題にぶつかってそれを解決する。ひとつひとつはとても面白いのですが、あまりに続くと後半飽きます。 これはあくまで私の感性です。苦もなく楽しめた方もたくさんいらっしゃるようですから聞き流してくれて構いません。 えっと、キャラの個性はたっていましたし、文章力も優れていると思います。細かな描写をする能力などはうらやましい限りです。 キャラは特に才蔵が良いですね。爽やかなのに頼もしい感じが私は好きです。 もう少し物語を練り込み、見せるところは大げさなくらいに盛り上げてやるとより良くなると思います。 偉そうに言って申し訳ありません。何だかんだ言ってけっこう楽しませていただきました。では失礼します。 兵部あすまさんの感想 時間がかかってしまいましたが拝読しました。 戦国自衛隊ファンタジー仕様というか、RPGというか、そういう印象がつきまといましたがクオリティの高い作品だったと思います。 若干の誤字と装備面の記述に突っ込みどころが多少ありましたが、大勢としてはあまり気にする物でもないのかもと思いますので列記はやめておきます。(といってもそんなに多くはないですが) これでスリム化したということはオリジナルはどれくらいだったのでしょう。 200枚書けない私にはうらやましい能力です。 それでは次回作も期待しております。 一言コメント ・読みきってしまった… ・はっきり言って最高です自衛隊の一兵士と異世界の聖女が織成すラブストーリー最高です。 ・サイコーです。これからもがんばってください。 ・すごいの一言につきました。 ・異世界で活躍する主人公に感動しました。 ・伏線の消化の仕方、お話の展開など、楽しませて頂きました。ありがたや。 |
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