高得点作品掲載所       ブラック木蓮さん 著作  | トップへ戻る | 


燃え落ちる母、明日に咲く花

 母が盗まれた。
 その訃報が届いたのは、私が十の時だった。
 私は、捨て子だった。
 母には一度も会ったことがない。
 けれども、私は母の顔はとてもよく知っていた。
 私の母は本やテレビでも良く見かけるし、最近は映画にも出ていた。自分の母が世界中から愛されていることが、幼少期の私を支えた誇りだった。
 だからその分、母が盗まれたというニュースは衝撃だった。
 シーツをくしゃくしゃにしながら、私は一晩中涙を流した。あのニュースを聞いて悲しんだ人は沢山いたであろう。だが、私ほどの涙を流した人は絶対にいなかったはずだ。
 そんな私だから、そのチャンスを手に入れたとき、私はそれまでの全てを投げ捨て、旅立つことを決意した。
 夢を求めて、母を訪ねて。
 

 
 船室から出ると、日差しが溢れていた。お昼近くで盛りの太陽と、ときおり波間で照りかえりこぼれる日差し。眩しすぎるほどの光景が、念願かなった私をいっそう明るい気分にしてくれた。きっと何もかも上手くいく。そんな予感がしてくる。
 そんな天気に誘われてか、デッキには私以外にも乗客が集まっていた。皆それぞれに日差しを楽しんでいる。私もそんな中に混じって、ゆっくり海を眺めることにした。
 空と海が交わり、そこにクジラのような雲がのんびりと泳いでいる。
 絵でしか見たことのないような青空だった。ジョン・コンスタンブルもきっとこんな日は筆を取りたくなったに違いない。
 そんな日差しのせいか、あるいは私が浮かれしすぎたせいか、いつの間にかTシャツが少し汗ばんでいた。
 かまうもんか。
 私は開放的な気分でスカートから裾を出すと、胸元を摘み上げる。潮風がTシャツをはためかせ、わたしの髪を撫でていった。すっかり汗が引いていく。
 だが海色の風は、随分と私の帽子を気に入ってしまったらしい。気付いたときには、大切な帽子がふわりと舞い上がっていた。
「あっ、待って」 
 手を伸ばしたがもう遅い。帽子はすでに、船尾を越えて飛び去ろうとしていた。
 けれどそのとき、若い男性がふわりと手すりに飛び乗った。あわや長旅に出ようとしていた帽子を、ひょいとつまみ取る。
「すみませーん」
 手すりから降りた青年は、手を振って駆け寄る私に気付いたようだった。
 優しい笑顔で、帽子を手渡してくれる。
「この素敵な帽子は君のだね」
「はい。どうもありがとうございます」
 私は彼に深々と頭を下げた。好奇心旺盛の子犬のような目をした、温かい感じのする人だった。彫刻のように澄ました美しさはないけれど、木彫り人形みたいなぬくもりがある。こういう人をいわゆる好青年と言うんだろう。
 受け取った帽子を少し斜めにかぶりながら、浮かれていた私は彼に話しかけた。
「すごいです。こんな高い手すりにひょいって飛び乗って取っちゃうんですから」 
「いや、たいしたことないよ。体動かすのが僕の仕事だし。ところで……君のその帽子を見てたら、一つ頼みたいことができたんだけど良いかな。お礼代わりになんて言うのは野暮なんだけど」
 彼の目には、子供っぽい光が浮かんでいた。
「はい、何ですか」
「ちょっと腕組んで後ろ向いてくれる」
「こうですか」
 私は彼がさせたいことを何となく察し、くすりと笑いながら後ろを向く。
「それから右手をあごに当てて、腰からひねって振り返って」
 お約束通り、手の甲をちょんとあごに添え振り返る。腰のひねりを忘れずに。
「で、笑って」
 私はわざと、ちょっとだけやんちゃな笑いを浮かべた。幾人もの芸術家を虜にした、あの笑み。大好きな男の子をからかって遊ぶ少女のような笑みを。
「お、それだ。やっぱりその帽子のデザインはヤン・フェルメールだね」
「わ、ご名答。フェルメールの中期作品『白い帽子の少女』で被ってるやつです」
 彼は見事に、私の帽子の由来を言い当てて見せた。
「よく分かりましたね。フェルメールのあの帽子だって気付いてくれた人、あなたが初めてです」
「ほんと? その帽子に気付かないなんて、そりゃずいぶんと野暮だね」
「いいえー、普通は気付きませんよ」
 彼が呆れたような顔をする。誰も気付かなかった事に心底驚いているようだった。
「ふーん。やっぱ外の人はそうなんだな。でも大丈夫、パトリエ諸島に住む人なら、君の帽子を見逃すような粗相はしないよ」
 名画と同じ帽子を被った女の子、というのに興味がわいたのか、彼は私の話し相手になってくれた。
「あの、お兄さん、パトリエ諸島に住んでるんですか」
「うん、普段はパトリエ本島で警備員の仕事をしてる。あ、僕の名前は、ロキ。よろしくね」
「警備員さん、ですか……」
 パトリエ諸島には、世界で一番美術館が多い。その分当然警備員も沢山いるのだろうが……。
「あ、とてもそうは見えない、かな? よく言われるよ」
 そう言って苦笑するロキさんは、確かにどうひいき目に見ても警備員には見えないだろう。ジャコメッティの『歩く人』とまではいかないが、ひょろりとしていて、とても荒々しく泥棒を捕まえてるロキさんなんて想像出来ない。
 どちらかと言うと、栄養失調でこほこほセキしてる貧乏芸術家の方がまだ近い。
「お体、大事にしてくださいね」
「……さすがに初対面でそこまで心配されたのは初めてだ」
「え、あ、いえ。ロキさんは優しそうなのにそんな危ない仕事、気をつけてくださいって意味です。えっと、それで改めまして、私の名前はリザ・ボナパルトと申します」
「リザさんか。よろしく。リザさんはパトリエへは、観光に?」
「いいえ。パトリエ島には美術員になるために、バベル美術館の入館試験を……」
 そう言いかけて、考え直す。本当のことが言いたい。偶然出会っただけのこの人に胸を張って言えたなら、それで自分の決意を確かめられる気がしたのだ。
「パトリエ島には母を探しに来ました」
「お母さん? それってどういうこと。まさか……」
 上機嫌な顔から一転、心配顔になるロキさん。私は気遣って、わざと誇らしげに言ってみせた。まるで家柄を自慢する貴族のお嬢様のように、自慢げに。
「何を隠そう、私の母の名前は、モナリザって言うんです」
 


 私は捨て子だった。そして私が捨てられていた場所は、なんとあろう事か、世界一有名な絵の前だっだ。
 いったい誰が、どうやって? その事件を、週刊誌は面白可笑しく報道したらしい。
『モナリザ、熱愛発覚』『モナリザに実の娘が!?』
 こうして一時的とはいえ私は、話題の子となった。そのおかげで私は幸せなことに、多数の里親候補の中から選ばれた、最も思慮深く子育てに適した家庭に引き取られることなった。
 その上、ヨーロッパにおけるモナリザ人気は並々ならないものがあるのだ。『モナリザの娘』である私は、どこに行っても大切に可愛がられた。
 その扱いが正しいものかどうかはともかくとして、捨て子であった私が、家や社会で疎まれずに成長出来たことは本当に幸運だった。あるいはモナリザの前に捨てていった本当の両親も、その事を予期したのかもしれない。
 そんなわけでモナリザの娘、私リザは、実の母の知恵と、義理の母の愛情、そして名画の母の名誉に守られてのんびりと育ち上がった。
 お昼寝が好きで、お散歩が好きなその少女は、何より絵が大好きだった。
 描くのも好き。
 眺めるのも好き。
 一番好きなのはもちろん、お母さんの絵。
 まだ直接は見たことないけれど、好き好き大好き。
 いつか大きくなったら、お母さんに会いに行くんだ。私はいつもそう言っていた。
 だが私が大きくなり、一人で旅行出来るくらい大人になっても、その夢は叶わなかった。私が十才の時、お母さんは忽然と盗み出されたからだった。



「そうか、それでパトリエ諸島にモナリザを探しにね」
 パトリエ諸島は現在、世界の美術の中心地なのである。
 そこではパトリエ本島の巨大な塔、『バベル大美術館』を中心に多数の、美術館、画廊、収集家達が集まり、一つの都市を形成している。また、世界中から美術品が集める『収集』と同時に、芸術家達が育つための『育成』を行う街でもあり、あらゆる意味で美術の中心なのだ。
「パトリエには世界で最も美術を愛する人達が集まってる。でも、その愛し方が必ずしも正しいものとは限らない。美術愛に狂い、盗品と分かっていても買い取ろうとする人は少なからずいるんだ」
 ロキさんは憂鬱そうに言った。先ほどの笑顔からは想像も付かない、深く沈んだような顔だった。そうか、ロキさんは警備員だった。
「はい。母が表の世界に現れず闇から闇へと渡り歩くのなら、必ず一度くらいはパトリエを通るはずなんです」
「でもその売り買いを見つけられるアテはあるのかい?」
「今はありません。だからとりあえずは、バベル大美術館の美術館員になろうと思ってるんです。それにバベルの美術員は昔から憧れですから」
「ああ、なるほどね」
 バベル美術員の仕事は様々だ。
 バベル大美術館に収められる美術品の管理の他に、実はパトリエ島中の美術品取り扱いを仕切っている。
 パトリエはバベル大美術館を中心に創設された芸術都市。だからバベルは島中の芸術品、芸術家の動きを把握し、監視めいたことすら行っているのだ。そのためバベル大美術館にはお役所的側面も存在し、その最上級たる各階の責任者、いわゆるフロアマスターはかなりの力がある。
 ちなみに今のバベル大美術館は二〇階建てだそうだから、フロアマスターは二十人いるわけだ。
 展示品が増えれば二一階が増設されるのだろうが、とりあえず今はその二十人が、パトリエを二十の区に分けてそれぞれ担当管理している。
「だからバベル大美術館員になれば、母が売り買いされているのも見つけられると思うんです」
 そう言う私を、ロキさんは悲しい目で見た。無垢な子供を悲しませなくてはいけない、大人のような目だ。
「そう、それならぜひ頑張って欲しいけど……リザさんは知ってるのかな。大美術館員になることがどれほど大変なことか。バベル美術館員は鑑定士としての深い造詣とともに、自身も芸術家として優秀な人物しかなれないんだ。だからこそパトリエが治まってるのでもあるけれど……」
 そう。驚くべき事にバベル大美術館員は優秀である上に、全員が全員、自身が一流の芸術家でもあるのだ。彼らは芸術家の苦悩も、芸術家の喜びも、そして芸術への愛も知っている。ただ売り買いするだけの美術商とは、ひと味違う。
 だからこそ、島中の人々は安心してバベルに美術品の統括を任せているのである。
「大丈夫です。自信があります」
 心配そうなロキさん相手に、私は余裕たっぷりで胸を張って見せた。
「私、こう見えてもロゼ・シャンシェルジュの推薦文付きなんです」
「へええ……そりゃすごいね。なるほど期待出来る」
 彼は目を丸くした。無理もない。自慢じゃないが、いや、実は大いに自慢したくてうずうずしてるのだが、ロゼ・シャンシェルジュとはヨーロッパ随一の油絵のコンテストなのだ。
 そのコンテストで見事最優秀賞を取った私は、一ヶ月のパトリエ島無料滞在、パトリエ全美術館フリーパス、そしてそして、バベル大美術館員受験資格を手に入れたのだ。
「そう、じゃあ君は今年度の受験者なんだ。君のような子には、絶対受かって欲しいな。最近あの島は美術品の裏取引はひどくてね。君みたいな人がバベル美術館員になったら、きっと良くしてくれると思う。応援するよ」
「はい、ありがとうございます」
 初対面の私を応援する人の良いロキさんに苦笑しつつ、心からお礼を言った。ああは言ったものの本当はひどく不安だった私には、この上ない支えになったから。
「お、バベルの塔が見えてきたよ」
 彼の示した先に、巨大な塔が見えてきていた。
 明るい砂色をした円柱状で、大ピーテルブリューゲル作の『バベルの塔』に似ている。おそらくデザイン自体をそこから取ったのであろう。美しくて雄大で、なのに威圧感を感じない、不思議な光景だった。
「素敵な島……なんだか、夢みたいです」
「まあね。あの島はみんなの夢で出来てるから。例えばほら、見える? あの灯台のデザインは」
 だが彼の言葉は、不機嫌そうな声にさえぎられた。
「ロキ。もう島に着くというのに、いったいあなたは何してるのかしら?」
 彼のすぐ側に、一人の少女がいた。
 年の頃は私より少し下、十六才ぐらいだろうか。黒髪を無造作に三つ編みにし、やや猫背気味で、寒がりなのか薄いコートを羽織っていた。服に清潔感はあるが、装飾性は皆無。お洒落には興味ありません、これが私のスタイルです! という自己主張を全身から放っている。ただの先入観だが、芸術家肌というやつかもしれない。
 彼女は眼鏡越しに、ナイフのような視線で私たちを一瞥すると、
「仕事中にナンパは止めてちょうだい。不快だわ。すごく」
 平坦な、抑揚を無理に抑えた声。その鋭い目つきもあいまって、すごく怖い。ゴム風船を針でつついているような気分だ。私はあわてて説明する。
「違います。ナンパなんかじゃなくて、ロキさんはご親切に私の帽子を取ってくださって、それで」
「へえ、つくづく上手いのね。ロキ。見直したわ」
 彼女のとげとげしい視線に、ロキさんが凍りつく。ついでになぜか私もカチコチ。ダメ。この人は難しい。
「いや、エイミー、あの本当にだな、僕はただ」
「分かってるわよ。冗談よ」
 しどろもどろのロキさんに、少女は突然、ふっ、と笑みをもらした。そのまま溌剌とした笑顔になり、私にも微笑んでくれる。
「初めまして、旅行者さん。私の名前はエイミー。これとは仕事仲間で、これを困らせるのが私の趣味なの。不愉快だったなら、謝ります」
 エイミーさんは実はすごく魅力的な笑みをする人だった。先ほどまでの不機嫌な顔が嘘のような、花が咲いたような笑顔だった。その笑顔につられて私も機嫌良く挨拶する。
「私はリザ・ボナパルトです。バベルの入館試験を受けに来ました」
「へえ、入館試験? じゃあ、もしかしてロゼ・シャンシェルジュの推薦?」
「はいそうなんです。ってなんで分かるんですか!?」
「この時期に来る受験者はロゼの子って相場が決まってるの。他の受験者はもっと早く島に来るから」 
「詳しいんですね、エイミーさん」
「ああ、エイミーも小さな画廊の芸術家だから。入館試験展覧会も毎年鑑賞してるし」
 ちなみに、この入館試験展覧会というのは、バベル美術館入館試験の二次試験のことである。二次試験では、一次試験突破者の自作品を展示し、作品の優劣で合格が決まるのだ。
「えっと、せっかくだから、さっきの彼女の自己紹介を訂正しておくと、エイミーと僕はただの仕事仲間じゃなくて、えっと」
 はにかみながら言葉を探すロキさんに、エイミーさんは意地悪く、
「恋人以上、宿敵未満。そうよね、ロキ」
「……適切な表現すぎて……困る」
「殿方を困らせるのは、淑女の嗜みよ」
 クスクス楽しそうに笑う少女は可愛くて、ロキさんが好きになるのも分かる気がした。こうしてみるとエイミーさん、野暮ったい服や眼鏡をやめたら、とんでもない美人なんじゃないだろうか。
「さて、おしゃべりはここまでにして、下りる準備をするわよ、ロキ」
「うん、そうだね。今回は貴重品が多いから気をつけないと」
 エイミーさんは、粗野な見かけによらず、優雅に手をふると、
「さようなら、リザさん。また会いましょう。そう言えばあなたのロゼで優勝した絵は今持ってるの?」
「いえ、宿の方に先に届いてるそうです」
「そう。なら安心ね。だけど、最近は島も治安が悪いから気をつけて。じゃあ、試験頑張ってね」
「そうだね、ロゼの優勝者なら問題ないと思うけど、油断しないでね。と、これは僕の電話番号。島で困ったことがあったら連絡してね」
「ご親切にありがとうございます」
 差し出されたメモを、喜んで受け取る。旅先で知り合いがいるというのは本当に心強い。エイミーさんの目線が相変わらずチクチクしたが、見逃して貰うことにした。
「あら楽しみね、ロキ。きっと彼女、連絡くれるわよ。島の案内をしてくれません? ってあの可愛い声で。デ・キリコ通りにはつれてってあげなさいね、格好のデートコースだわ」
「って、そういう意味じゃないよ」
 こりゃ連絡しない方が良さそうだ。そう苦笑しながら、ロキさんと、彼の脇腹をくすぐるエイミーさんを見送る。
 船室に帰る前に、私はもう一度島を眺めた。
 波の向こう。
 夢が、すぐそこまで来ていた。



 パトリエ本島は、目を奪われるものばかりだった。
「ふわ、あの曲線美は、ガウディのカサ・ミラのオマージュですかっ、ですねっ!」
 建物一つ一つが、すっごく凝っている。街角の標識が、パン屋の看板が、見せる魅せる。
 先日のうち荷物は宿に送ってしまい、身軽だったのが災いした。かえって、きょろきょろふらふら寄り道してしまい、一向にたどり着かない。
「はっ、今私が通り過ぎたお店はまさか、ゴッホの『夜のカフェテラス』です! 私としたことが素通りするなんてっ」
 慌てて戻り、絵が描かれた視点を探す。ぴたりと絵に一致する場所を見つけ、一人悦にいる。うんうん。座って絵を描くとこの高さですよね。絵の通り夜にガス灯がついたらまた見に来なくては。
 そうやって行きつ戻りつ楽しみながら、私はやっとの事でルーベンス通りについた。
 宿は角を曲がってすぐ先、ここまでくると、本日の宿が楽しみになってくる。『ホテル・ラバンアジル』、名前通りなら白い壁の宿屋で、一階にはこぢんまりとした酒場があるのだろう。かつてはピカソなどの著名な画家たちが集った酒場の名だ。お酒には弱いが一杯ぐらい舐めるだけなら、縁起が良いかもしれない。
 そんなことを考えながら、私は軽い足取りで歩いていた。
 もう起きてしまった不運も知らず。
 来るべき挫折を、夢にも思わず。
 悪魔は私を、突き落とし。
 私の転落は始まった。
 



 頭から冷水を被った。
 そんな気分だった。
 青ざめる、という言葉があるが、本当に狼狽したとき、人間はまさに血の気が引くのだということを身をもって思い知った。 
 私の前にあらわれたのは、ひどい光景だったのだ。
 黒い、廃屋たち。
 街の一角が、無惨に焼け落ちていた。
「うそ……」
 特に、ちょうど私が目指していた場所。『ホテル・ラバンアジル』のあたりが。
 その一角には、まだお巡りさんらしき人たちが、歩き回っていた。
 氷で背中をさすられるような、悪い予感と寒気に襲われる。足をもつれさせながら、慌てて駆け寄り、お巡りさんの一人を捕まえた。
「あ、あの、ホテル・ラバンアジルって」
 慌てふためいた私の様子を見、察したのだろう。彼は残念そうに、
「すみません。昨晩の火事で、ご覧のような有様で」
 見れば分かることなのに、聞いた途端、膝から、くてりと力が抜けた。
 冗談じゃなかった。
 だって、宿には、私の荷物と……それと……。
 最悪の想像が頭をよぎり、体が勝手に震え始める。
「あの、私の絵がっ、私の絵がここに来てるはずなんですっ、昨日のうちに届いたってちゃんと連絡が来たんですっ。入館試験に出展予定の、大切な絵なんですっ」
「しかし本官は……」
「お願いします……お願いします……大切な絵なんです……だから……」
 半ば予想をしながら、私は彼に懇願する。彼が全く無関係な人だと気付きながら、私は虚しく哀願し続けた。
 わかってるくせに。
 考えるまでもなく、わかることなのに。
 彼がその事を言わないでくれるように、私は心から願った。 
「止めてください。本官はただの」
「お願いします。あれがないと私……」
 すると、私の騒ぎが目についたのか、別のお巡りさんが駆け寄ってきた。
「あの……リザ・ボナパルトさんですか?」
「はいっ」
 彼が私の絵を持ってきてくれるのではないか。
 そんな淡い期待が湧く。万に一つ、万に一つの偶然があるのではないか。そういう、一縷の望み。
「ホテルの主人が、意識を失う前に言い残したことがあるそうです。リザ・ボナパルトという画家が来たら、伝えてくれと――」
 だが、彼は無惨にも期待を裏切り。
 私の正気を、黒く塗りつぶした。
「……はい」
「……あなたの絵を持ち出せなくて、本当に申し訳ない。謝罪のしようもない、だそうです」
 嘘。
 それは嘘だ。
 そんなこと、起きるはずがない。
 あの絵が焼けるなんて、そんなことは起こりえない。
 そんな理不尽が許されるはずがない。
 許されてなるものか。
 嘘だ、嘘だ、嘘だ。
 この人達が嘘をついているに決まってる。
 ああ、そう言えば。エイミーさんも言っていた、最近この島は治安が悪いって。だからこの人達はみんな嘘つきで。
 嘘つきに決まってるのだ。
「『母の肖像』という題名なんです」
 私の言葉に、二人の警察官は同情するフリをした。
 騙されるものか。
「そうでしたか、それはお気の毒です。わかります。この街の人々はみんな絵が好きで」、
「返してください」
「は? いや、あのボナパルトさん?」
 私が騙されてくれないので、二人は困ったように顔を見合わせた。
「私の絵を、返してください」
「お母さんのことを一番上手くかけた、自信作なんです」
「もしかしたら生涯最高傑作かもしれません」
「分かりますよ。燃やしたい気持ちは」
「でも、私の絵なんです」
「大切な絵なんです」
「バベル入館試験を受けるために必要な」
「すごく大切な絵なんです」
「だから燃やしちゃ駄目です」
「大切な絵だから、燃やしちゃ駄目なんです」
「――返してください」
「お願いします、返してくだ――」
 言い終わる前に全身の力が抜けた。
 目の前に空がある。
 いつの間にか私は地面に倒れていた。
 青い空の中に、私の帽子が見えた。
 私の大切な帽子が、風に飛ばされるところだった。
「あ……待って」
 薄れゆく意識の中で、私はロキさんのことを思い出していた。
 


「……すみません、ご迷惑おかけしました」
「気にしないで、本当に辛い目にあったんだから」
 醜態を思い出し恥じ入る私を、ロキさんは優しく慰めてくれた。
 数時間前、やっとの事で平静を取り戻した私が一番にしたことは、ロキさんに連絡を取ることだった。すぐにやってきてくれたロキさんは、私を自宅へと案内した。
「いきなり連絡とは、情けない話です」
「しょうがないよ。一ヶ月間泊まるはずだったはずの宿がなくなれば。誰だって心細くなるさ。と、はい、どうぞ」
 そう言って私の前に置かれたのは、ほんのりと香るコーヒーだった。
「コーヒーは嫌い?」
「いえ、頂きます」
 飲むと、じんわりと優しい暖かさがお腹から巡ってきた。ささくれ立っていた心が癒されるようだった。その温かさで張りつめていた糸がゆるみ、ぽつりと泣き言がこぼれる。
「どうしましょう、ロキさん」
 聞いてもしょうがないことを、私はロキさんに聞いている。彼の困らせるだけの、石を投げるような質問を。
 それに対しロキさんは、
「そんな自分を追いつめるような聞き方は良くないよ。今考えるべきことは、どうしよう、じゃなくて、君がどうしたいか、だよ」
「どう……したいか?」
「そう。したいことが決まれば、後はどうにでもできるさ」
 彼は何でもないことのように言って、私を勇気づけてくれた。
「私は……バベル美術館に入りたいです。バベルは子供の頃からの夢でしたし……それに、入ってお母さんを見つけたいです」
「そう。バベル美術員になってモナリザをね。んじゃ、まずは入館試験だね」
「はい、でも私の絵は……お母さんの肖像は……」
「あれ、お母さんの肖像?」
「あ、はい。私がロゼに出展した作品はモナリザをテーマにした作品なんです……まあ、今となっては作品だった、ですけど」
「……そうか。不幸だったとしか言いようがない話だけど……でもさ、確かに受賞した作品はそのお母さんの肖像かもしれない。けどそれを描いたのは君の実力なんだから、入館試験のためにまた別の絵を描けばいいじゃないか」
「いえ、ダメなんです。あの絵が焼けた時点で、私には受験資格が失われてるんです」
「知ってるよ。バベル入館試験は一次の筆記試験と、二次試験の出展作品審査。ただし二次の審査に作品を出展するためには、作品に一定水準以上の推薦が必要。で、その推薦が一次試験の受験資格もかねてる、でしょ」
「はい、ですから推薦のある作品がないと、一次試験すら受けられないんです」
 私は力無く、言う。だが、
「大丈夫。このパトリエ諸島にはね、受験資格相当の推薦文をつけられる画廊や美術館が、いくつかあるんだ」
「えっ、じゃあ」
「うん。君が相応の絵を描けば、きっと推薦文をつけてくれるよ。あるいは、今から君の別の絵を取り寄せれば、それで事足りるんじゃない?」
 言われて私は、今まで描いた絵のことをふり返る。だが私は首を横に振り、
「ダメです。今動かせる絵では、たぶん推薦文はつけてもらえません。それなりの品は値札が付いちゃってますし、今取り寄せられるのは、自分でも未熟だって分かる絵です」
「そう、なら描くしかないね」
「でも、道具もないし……何より時間がありません」
 絵の完成度と時間とは、別に関係はない。長い時間をかけた傑作もあるし、短時間でかける傑作もある。だがそうは言っても限度がある。
 試験までは一ヶ月を切っている。
 そんな短期間で傑作が描けるはずがない。その事を思うと、縄で首を絞められているような気分になる。
 けれど彼はたった一言で、その縄から私を自由にした。
「でもさ、描きたいでしょ。リザさん」
「え……」
「どうせ落ちるなら、描いて落ちたい。何もしないより、挑戦して落ちたい。そして何より、絵が描きたい。そうじゃない?」
「描きたい……?」
 そうか。私は言われて。
 私は自分の中の強い気持ちに気付いた。
 胸の奥に、ぎゅっと詰め込まれた切望。
 私は絵が描きたいのだ。
 悪夢から目覚めたような気分だった。
 どうしてこんな事に気付かなかったんだろう。
 受かるの落ちるのなんてつまらないことを、私は気にしすぎていたのだ。私は絵を見るのも、描くのも、大好きなんだ。
 なら、描いた方が楽しいに決まってる。どうせ落ちるなら、描いて落ちた方が、絵が燃えちゃったから受けられませんでした、なんて言うより何百倍もせいせいする。
「道具ならこの家のアトリエに揃ってる。場合によってはアトリエごと貸してあげてもいい」
「本当ですかっ!」
「うん。道具を揃える時間も惜しいでしょ」
「ありがとうございますっ」
 良かった。ロキさんに出会えて本当に良かった。
 絵が燃えてしまうなんて不幸にも程があるけど、でもロキさんに会えた分を足せば、まだどん底にまで落ちてない。
 だって私は、まだまだがんばれるんだから。
「本当にありがとうございます」
 私はもう一度、心からお礼を言った。
 本当は抱きついてすりすりしたいぐらい感謝していたんだが、エイミーさんのことを思い出して自重した。
 心の中で、すりすり。



 ロキさんの家は普通の一軒家だが、アトリエがあった。彼の話によれば、このパトリエでは誰もが多かれ少なかれ趣味の創作活動をするそうだ。彼もご多分に漏れず油絵を描くらしい。
「いろいろあって、最近は随分ご無沙汰なんだけどね」
 だが彼のアトリエはすごく充実していた。本職の画家に負けないぐらい道具が揃っている。
 そんな彼の作品にも興味が湧いたのだが、必死で作品を隠す姿が可愛かったので見逃してあげることにした。あとでこっそり見よう。
「あとは、宿の心配だね」
「そうですね。一応お金はあるんですけど」
 だが一ヶ月間悠々滞在というわけにはいかないだろう。まさか宿が火事になるなんて思わず、こちらには三食宿付きの予定で来たのだ。
「あとは……優勝商品を下さったロゼ・シャンシュルジュの方に連絡を取って事情を話せば、空いている宿を見つけてくれるかもしれませんが……」
 だからといって、今すぐ代わりの宿が見つかるだろうか。なんせ一ヶ月も宿泊させてくれる宿だ。しかもこの島はいつだって観光客でにぎわっているのだ。
 その事を悟ったのかロキさんはしばらく悩んだ末、
「一応、来客用の空き部屋やアトリエには、鍵が付いてるんだけどね」
 と言った。つまり気にならないんだったら泊まってもいいよ、ということらしい。一刻の時間も惜しい私としてはアトリエの側で寝られるのは願ってもないことなのだが、
「エイミーさんはどう思うでしょうか」
「……黙ってればダイジョウブ。今はキンキュウジタイ」
 やや強ばった表情が気になったが、お言葉に甘えることにする。せっかくだ。この一ヶ月だけは、なりふり構うまい。あとで沢山お礼をして、沢山謝ろう。
 こうしてロキさんの多大な支援の元、私はパトリエに小さな足場を固めたのであった。


 パトリエ本島に着いて、二日目。
 私は島を散策していた。
 散歩の目的は、絵の題材探し。島を歩いて、何か心の琴線に触れるものを探しているのだ。
 だが、昨日と違い島を歩いていても、ちっとも心が動かない。どこもかしこも名作で溢れるこの島なら、きっと何かひらめくと思ったのだが……。
 やはり腹を決めたつもりでも、焦りがあるらしい。気付くといつのまにか早足になっていたり、同じ広場を何周もしていたりする。
 いつもと同じ、好きに絵を描けばいいんだ、そう自分に言い聞かせるほど、よけいに追い立てられる。
 突然頭をかきむしりたくなったり、ふっ、と逃げ出してしまいそうになる。そして、すごく怖い。
 まるで、一人で暗闇を歩いてるよう。手探りで前に進んでいるつもりで、一人で同じ所ををぐるぐると回っている。そんな気分。私は臆病だ。
 こんな事ではロキさんに合わせる顔がない。ロキさんは、今だって私のために美術館巡りをしてくれているというのに。
 美術館の持つ推薦枠は、一定数に決まっている。今の時期では、推薦枠を使い切っている美術館がほとんどだろうが、まだ一席分ぐらいなら残している美術館もあるだろう。彼はそう言って探してくれているのだ。もはや感謝の言葉も出ない。
 でも感謝の言葉を考える前に、私はまず絵を描くべきだろう。それこそが唯一の、彼の親切に報いる方法だ。
 それが分かっているのに、私は惑っている。雲を掴むような感覚。
 考えてみれば私は題材探しなど初めてなのだ。いつも、描きたい、と思ったものを自然に描いていたので、自分から題材を求め歩いたことなどない。

 いや、違う。

 それがいけないんだ。
 ロキさんも言っていたではないか、大切なのは何を描くかじゃなくて、何が描きたいかだ。題材ではなく、描きたいものを探しているのだ。
 そう気付いたとき、それが目に付いた。
 いつの間にか町外れに出て、花咲く丘を歩いているときだった。
 これしかない。これが描きたい。きっとこの題材は、一生のうちで今の私が一番上手く描けるだろう。そう思えるものを見つけた。
 私はそれを集めると、慌ててアトリエに引き返した。


「ただいまっ、良い題材が見つかりましたっ」
 私は帰宅早々、嬉しくてそう叫んでしまった。ロキさんにもこの感激を味わって欲しくて。先に帰っていたロキさんは、笑顔で迎えてくれると、
「お帰り。推薦枠が残ってる美術館、いくつかあったよ。今年はどこも割と不作らしくてね、作品によっては推薦を付けてくれるそうだ」
「本当ですか、よかったあ」
 ほっとして、座り込んでしまいたい気分。流石に推薦枠がなければどうしようもないのだ。本当に良かった。トントン拍子で話が進む、とはこのことだ。もっとも元の運が悪いのは置いておくとして。
「ところで、題材ってそれ?」
 私の手の中にあるものを、ロキさんは不思議そうに眺めていた。
「はい、これです。素敵でしょ?」
「うーん、花か……でもその花束」
 腑に落ちないといった顔のロキさんに対し、私は胸を張って言った。
「テーマは『明日に咲く花』です」
 聞いた途端、彼の目にも光が浮かんだ。口元には私と同じ、面白いいたずらを思いついた子供のような笑み。
「……なるほど、普通は満開の花を描くところをあえて、ね。どんな作品に仕上がるか分からないけど、ひょっとすると傑作が出来るかもしれないな。それに、今の君にピッタリの題材だよ」
「はいっ。これなら今の心境が描き込めるって気がするんです」
「いいな、僕までなんだか楽しみになってきたよ」
 ロキさんの声は、甘いケーキを前にした女の子のように弾んでいた。つられて私も楽しくなってしまう。
「ぜひ、楽しみにしててください!」
 私と彼は、自然に通じ、笑いあった。きっとこのとき二人の間には、花が咲いていたんだと思う。
 ふと見ると、窓辺に飾られた植木鉢の花に、いつの間にか蝶がとまっていた。


 しかしながら、そう簡単に傑作が描けるほど芸術の底は浅くない。
 軽快に漕ぎ出した私の帆船は、数日のうちに暗礁に乗り上げた。
 最初の数日は、快調だった。
 キャンバスは、二十号を選んだ。あんまり小さいのも問題だが、題材は花だし、大きすぎると描き込むための時間が足りないからだ。
 木炭での構図決めとデッサンは、ほぼ二十四時間できっちり済ませた。花の様子は刻々と変化するし、絵とは実物に忠実である必要はないのだ。
 むしろ絵画とは、実物とは異なる部分、創作した部分こそが味なのだとも言える。意識の濃淡を描き、光と影を作り、虚構の美を添え、ある時は奪う。描き手の心を加えてこそ、絵とは出来上がるのだ。写真と絵の違いはそこにある。
 例えば人混みの中を歩く、女の人をテーマにしたとしよう。
 写真芸術ではその人にピントを押さえ、彼女が目立つ一瞬の構図を狙い、シャッターを切る。だが逆に写真は実物に忠実すぎるがゆえ、その一瞬を外せば、ただの人混みの写真になってしまう。
 一方の絵画。
 絵画の場合ならば、描き手の好きずきだ。描き手がその女性だけを意識しているのなら、ぼんやりとした中その人だけを鮮明に描く。彼女に輝きを感じたのなら光を当てればいいし、暗い哀愁を感じたのなら影を与えればいい。あるいは痛烈な赤の印象を与えられたのなら、彼女だけに赤を乗せ、背景から赤を奪うことも出来る。
 絵画とは描き手の心を反映する芸術なのだ。
 だからこそ、デッサンを終え色を置く段階になった途端、私は困ることになった。今の私の心には、どうしても焦りがあったからだ。
 ただ模写するだけなら、技術の問題。技術ならば今までの練習による自負もある、自信もある。だが模写に創作を加える部分では、そうはいかないのだ。
 焦りがあると、自信が持てない。
 描きたいものを描いているのならば、心向くまま描けるのだろう。だが、今の私にはどうしても試験というものが目の前にちらついてしまう。
 すると今描こうとしているものが正しいのか、迷ってしまう。
 パレットで試行錯誤して作った色にやっと満足し、筆に取り、キャンバスにペトリと乗せる。その途端、突然色を選び間違えた気がしてしまうのだ。
 思わず筆にも迷いが出る。大胆に絵が描けなくなる。
 まるで泥をかき回すような筆の運びになってしまう。
 こんな事ではいけない、と自分を叱咤するのだが、どうにもならない。
 いつもは一つに定まっている心が、今回はふらふらしている。そのせいで、上手く描けていない気がしてしまうのだ。数分前に満足したはずの部分が、すぐに気に入らなくなってしまう。 
 何もかも、私が臆病なせいだった。
 ちょっとした事件が起きたのは、そんなとき。私の創作がやっとこさ半ばまで進んだときであった。
「上がらせて貰うわよ」
 玄関の方から、いつか聞き覚えがある声が響いた。
 少し藍色を帯びた、落ち着いた声。
 エイミーさんだった。どうやらこの家の鍵を持っているらしく、呼び鈴を鳴らさずに入ってきたようだ。思わず息をひそめていると、ロキさんが出迎える声がする。
「どうしたの。今日は特に約束はなかったと思うけど」
「あら、まるで約束なしに訪ねちゃ悪いような言い方ね」
「いや、別にそういうわけじゃ」
「あなたの入れてくれる紅茶が、突然恋しくなる。そんなことがあっても良いと思わないの? 案外薄情なのね」
「いや、その、ごめん。そういうつもりじゃなくて。もちろん君ならいつだって大歓迎で、むしろ本当はいつも一緒にいた」
「冗談よ。ごめんね、突然押しかけちゃって」
 相変わらずだよ、エイミーさん。
 勝手知ったる、といった様子でロキさんと一緒にダイニングに向かう。その足音を聞き、私は安堵した。二人がダイニングでお茶を飲なり、あるいはロキさんの自室で愛を語り合う分には大丈夫だ。
 このアトリエは家の一番隅。私がいるとはばれないだろう。
 二人の声が、遠ざかっていく。
「でもね、ロキ。私が突然訪ねたのは、あなたが……じゃなくて、あなたの紅茶が恋しくなっただけじゃないわ」
「じゃあ、どうして」
「ついさっき、珍しい拾いものをしたの。で、その事で少し聞きたいことがあって」
「何?」
「あのリザさんっていう子、あれから連絡あった?」
「……いや、ないね」
 突然私の名前が出て、焦ったのだろう。ロキさんの返答には、ほんの少しだけ間があった。だがその間を、エイミーさんは別の意味にとったらしい。
「あーら、意外。ふられちゃったのね」
 エイミーさんの意地悪い声。ロキさんの脇腹をつつきながら、蜜をなめるような笑顔をしていることだろう。だがロキさんは、
「ああ、ん、そうみたいかもね。残念」
 らしくない返答。エイミーさんもきっとそう思ったはずだ。
 普段のお人好しのロキさんだったらきっと。
『ち、ちがうって、ふられたとか、そういう問題じゃなくて』
 とかまごまごと言っているところだ。
 エイミーさんも、しらけたように話題を変えた。
「でもそれなら困ったわね。あなたから連絡出来ると良かったのに」
「なんで?」
「それがちょっとね……さっきこれを拾ったんだけど」
 だがそう言いかけたところで、エイミーさんが言葉を切った。
「最近また油絵を描き始めたの?」
「……な、なんでソンナコトヲ?」
 ロキさんロキさん、カトコトになってる。
「だってほら、油絵の具の匂いがするじゃない」
 エイミーさん鋭いよっ。などと感心してる場合じゃない。アトリエの方に、どんどん足音が近づいてくる。ピンチだ。
「あ、ちょっと、ストップ待った待った」
「なによ、良いじゃないちょっとぐらい見ても。水くさいわね。それとも何かしら、私に見せたくないような絵なのかしら」
「いや、そうじゃないんだけどさ、いや、どうせなら完成してから見てもらおうと思って、ずっと黙ってたんだ。だからさ、完成まで待ってくれないかな?」
「あら、そうなの」
 ナイスです、ロキさん。エイミーさんも納得したような声だ。
 だが、
「そういうことなら――――ぜひ今見させて貰うわ。私の趣味はあなたを困らせることだもの」
 さすがエイミーさん、容赦なしっ!
「ああっ、分かった。見せるからっ。せめて見せる前に部屋の片づけをっ」
 わあ、ロキさんのセリフ、憧れのあの子が突然家にやってきて、部屋に入ろうとしたのを慌てて阻止して、時間を稼いでその手のお品を片づけようとしてる男の子にそっくりですよ。
「今のあなたの状態、憧れのあの子が突然家にやってきて、部屋に入ろうとしたのを慌てて阻止して、時間を稼いでその手のブツを片づけようとしてる男の子にそっくりね」
 すごいっ、シンクロニティ。
 なんて驚いてる場合じゃない。私がどうにかしなきゃ。
 ここはやはり隠れる、いや窓から逃げるべき? だが無情にも、すぐにドアは開けられた。
 アトリエに踏み込んできたエイミーさんは、彼女らしい、意地悪いけど魅力的な笑顔だった。そしてその笑顔は、私を見て、凍りついた。
 困惑したような声で、つぶやく。
「……リザさん?」
「……あのあの……お久しぶりです」
 氷のような瞳が、私を見ていた。ナイフの視線が、私の胸を貫いていた。
 胸が、えぐられるように痛んだ。
 ロキさんは、困り果てた様子で廊下でうなだれている。 
 でも、一番辛そうな顔をしていたのは、間違いなくエイミーさんだった。
 彼女は小さく震えていた。悲しみを怒りに変えて、彼女は堪えようとしていた。だが彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「ロキ……」
 聞くも痛ましい声で、彼女は問いかけた。
「なんで……嘘つくの……」
 私は彼女の手が持っている『それ』に気付いた。
 『それ』は帽子だった。
 フェルメールの絵に出てくる、帽子だった。あの日風に飛ばされなくしたはずの、私の帽子だった。
 私はそれを見て全てを了解した。
 ロキさんの家を突然訪ねた理由も、ロキさんへの質問の意図も。
 エイミーさんは私に、帽子を届けてくれようとしていたのだ。
 無意識であろう。彼女の手は、全てに耐えるように帽子の端を握りしめていた。



「信じられない」
 事情説明を聞いたエイミーさんの第一声は、こうだった。
「本当なんです。信じてください。私はただここで絵を描かせて頂いただけで、それ以外のことは何も。それにロキさんはただの親切で」
「そうじゃなくて」
 エイミーさんは、乾いたタオルから水を絞り出すような声で言った。
「私が信じられないのは、平然とあなたを泊める、ロキの感性」
 的確で、痛烈な一言だった。
 世話になっている私が言うのも何だが、確かにこればっかりは、確かにロキさんに非がある。例え何も無くても、私を泊めればエイミーさんが不快な思いをすることは明らかなことだ。
「本当にごめん。どうしても、リザさんが困ってるのを見過ごせなくて。それに……黙っていて、騙そうとしたことも……何より、君のことを信じられなくて、本当にごめん」
 ロキさんはただただ謝っていた。その表情は後悔なんて生やさしいものを通り越した、まるで岩を背負ったような悲痛な表情だった。
「私を信じられなかったって、どういうこと?」
「うん。だから、最初にリザさんを泊めようとしたとき、君を信じて、包み隠さず言うべきだった。あのとき言っていれば、君はきっと許してくれていた。君は寛大で、芸術家に理解があるから」
「馬鹿……私だって嫉妬ぐらいするわ」
 エイミーさんは拗ねたように言った。随分大人びた子だと思っていたが、今は年相応の傷ついた少女だった。白衣のような上着を羽織った肩が、縮こまっている。
「それでもきっと君は、僕を信じて許してくれていたはずなんだ」
 よほどの信頼がなければ言えないことを、彼は真っ直ぐに言った。そしてさらに、
「だけど僕は、君の信頼を裏切った」
 自分の罪から目をそらさない、自虐的なまでの一言だった。エイミーさんも思わず身を固くする。
「本当にごめん。許してくれなんて言えない、もう一度信頼してなんて言えない、でも……償わせてくれないかな?」
 その言葉の苦さ。その場のしのぎやごまかしではない、ロキさんの本心から出た真摯な言葉だった。
 彼の言葉を聞き、彼女はやっとクスリと笑った。
「相変わらず、私をたらしこむのが上手いのね」
 顔に快活さの欠片が戻ってきていた。
「そう簡単に償える罪じゃないわよ」
「分かってるよ」
「そう……なら、私から一つだけ条件があるわ……」
 彼女はそう言って、突然私の方に向き直った。
「あなたの絵を見せてくれないかしら、リザさん」
「えっ、私の絵ですか?」
「そう。あなたの絵が見たいの。不愉快かもしれないけど、お願いするわ」
 エイミーさんの目には、憂いと期待の混じった、不思議な光が湛えられていた。



「へえ、なかなかね」
 絵を一目見た途端、エイミーさんは顔をほころばせた。
「まだ未完成だから何とも言えないけど、これは良い絵になるわ」
 彼女は朗らかにそう言うと。絵の隅々までじっくりと眺め回し始めた。
「それに、実に面白い性格の絵だわ。ねえ、題名はもう決めた?」
「はい。『明日に咲く花』という題名にする予定です」
「へーーーえ。なるほどねー」
 彼女はちろりと舌を出し、唇を一舐めした。普段は飾り気ないそぶりのエイミーさんだが、その無意識の動作は意外にも色気があった。どうやら本当に絵に熱中してくれているらしい。彼女は心から楽しんでいる、その事が凄く嬉しかった。
「明日に咲く花……ちょっとあざとい題名だけど……好きだわ」
 彼女の目には、わずかに妖しい色が浮かんでいた。極上の獲物を前にした、ライオンのような目だった。この人は本当に絵が好きなんだ、そう思わせる瞳。そしてその彼女を興奮させる絵だということが、誇らしかった。
 彼女はしばらくしてやっと絵から目を離すと、満足げにうなずいた。
「見事だわ。まさか『明日に咲く花』という題名で――『枯れ花』を描くなんて」
「はい。でもこの枯れた花束が、今の私の心境に一番近いんです」
「不屈の心、なのね」
 その通り。今回私が選んだ題材は、枯れた花束だった。満開でもなく、つぼみでもなく、枯れた花。だが私はそこに、不屈の強さを描きたかった。盛りを過ぎ、それでもなお美しくあろうとする花。そこに逆境に抗おうという私の決意を乗せた。
「決してみずみずしいわけじゃない。それでも、生命力に溢れて力強い、美しい枯れ花」
「ほ、褒めすぎですよ」
「そんなこと無いわ。こんな今にも咲きそうな枯れ花、初めて見た……まさに、明日に咲く花だわ」
「ありがとうございます」
 エイミーさんが一言言うたびに、私の中の霧が晴れていくのが分かった。傷だらけの自信が少しずつ治っていく。
「合格よ。私とロキを喧嘩させてまで描いた絵。凡作のようだったら、今すぐにでも追い出してたところだけど、これじゃあ、追い出せないわね」
「えっ、それじゃあ」
「だって私が見たいんだもの。この絵が完成するのを。それまでロキを貸してあげる。好きにこき使って。泊まるのも私公認」
 感激だった。絵を褒められたことは、今までに何度もある。でも、褒められてこんなに嬉しかったのは、これが初めてだった。
 もう迷わなくてすむ。そんな気がした。
「ありがとうございますっ」
「頑張ってね」
 エイミーさんは、ご満悦の顔だった。エイミーさん流の、魅入ってしまいそうなほど素敵で不敵な笑み。私は思わず、抱きついてすりすりしたくなってしまった。一応ロキさんの前なので、自重する。
 心の中で、すりすり。 



 油絵に終わりはない。何度でも絵の具を剥がし、塗り直すことが出来る。
 ならば、油絵が完成するのはいつか。
 答えは画家が満足したときである。
 逆に画家が完成と思わなければ、その作品はどんなに見事であろうと未完なのである。実際に、自分は絵を一度も完成させたことがない、なんて言う天才は結構いる。
 さて私の場合はどうか。私だって、どこまでも納得出来る絵を描きたい。だが今回の場合は残念ながら期限があるのだ。
 例の一件でのエイミーさんの大絶賛。おかげで自信を取り戻した私は、快調に制作を進めた。だが、いつ完成させるかという段になると流石に少し迷った。
 なんせこの『明日に咲く花』は、あの燃え落ちてしまった『母の肖像』の代わりに試験を勝ち抜かねばならないのだ。
 『母の肖像』は私の愛情と技術と時間を、心おきなく注ぎ込んだ自信作。あれ以上の作品を短期間に描くのは、とうてい無理だ。この『明日に咲く花』も確かに短期間で描いたわりには上々、かなりの自信がある。だが『母の肖像』に勝るとはとても言い難い。
 となると問題は、落としどころである。
 どこまで粘って、どこで筆を置くか。
 私としてはエイミーさんに少し意見を聞きたいところだったのだが、
「甘えないで」
 と一蹴された。本当に一言で済まされた。さすがです、エイミーさん。
 確かに、画家が自分以外の人の意見に合わせて絵を描くのは、あまり良い事ではない。画家の持ち味が損なわれるからだ。たとえ明らかな欠点があっても、そこがその画家の醍醐味、という場合も多く存在する。
 私は迷った末、締め切りまで三日を残して筆を置いた。
 美術館を回って頼み込む時間を考えたら、これがギリギリ。
 けれども、その心配は、一件目の美術館であっさり解消された。
 一番最初に訪ねたのは、シュバルツ現代美術館。割と新興の美術館で、推薦権こそ持っているものの、いまだに合格者を一人も出していないらしい。
 こういう美術館の方があっさり入れてくれるかもしれない。そう思った私の考えは、正しかった。
「ほう、これはこれは」
 受付に事情を話し、出てきた美術員の軽い審査の後、私はすぐに館長室に通された。
「これならば、喜んで推薦を付けさせて頂こう」
 ゴードンと名乗った館長は、私の絵を一目見て、気に入ったようだった。森の熊さんを思わせるずんぐりとした館長は、トレードマークらしいひげをひねりながら、そう言った。
「はい、恐れ入ります」
「我が館は毎年受験者に恵まれないのだが、おかげで今年は期待が持てそうだ」
「はいっ。一生懸命頑張って、必ず合格します」
「ところで――」
 そう言って、ゴードンさんはポケットから上質そうな葉巻を取り出した。それを見て私はちょっとムッとする。ゴードンさん、最初は紳士的で、すごく頼りになりそうな人だと思ったのだが。
「この絵を持ち込んだのは我が館が初めてでしょうな、リザ・ボナパルトさん」
「はい、ここの館の持つ受験枠がまだ開いていると聞いたもので」
「そうだろうとも、この絵ならどこに美術館に行っても気に入られるに決まっている。いやいや、君が一番にここを訪ねてくれたことは、実に幸運だ」
 ゴードンさんはそう言いながら、驚いたことに本当に葉巻に火をつけた。私は思わず、声を上げた。
「止めてくださいっ、絵を前にして煙草を吸うなんてっ」
 自分でもびっくりするぐらい、刺々しい声になってしまった。どうやら疲れが溜まっていたせいで、ピリピリしているらしい。ゴードンさんは、驚いて少し睨むような顔をしたが、気付くと慌てて葉巻を消してくれる。
 すぐに申し訳なさそうな顔で、謝ってくれた。
「いや、悪い。普段この館長室では葉巻を吸っているもので、つい癖でね」
 それならば仕方がない。私が面会しているのは会長室なのだが、たぶんイレギュラーなのだろう。だが……美術館長ともあろう人が……。
「いえ、私こそ失礼なこと言って申し訳ありません」
 だが作品を前にして煙草を吸うのは御法度なのだ。油絵は特に煙で傷むし、ヤニなど付いたら致命的だ。それに……また火事になどなったらそれこそ笑うしかない。
「安心したまえ。絵の管理には専門のスタッフが管理する。最近多い盗難も、我が館は大丈夫だ。最高の警備だとも。大船に乗った気でいなさい」
 ゴードンさんは安心させるように、その大きな手でどんと分厚い胸を叩いて見せた。
「そうですか。それを聞いて安心しました」
 そこまで言ってくれるなら、今度こそ大丈夫だろう。それに火事なんて不運、そうそう続くはずがない。
「君は後顧の憂い無く、全力で試験に臨みたまえ。そして我が館からぜひ初のバベル美術員を出そうじゃないか」
「はい、お任せください」
 頼もしい笑顔のゴードンさんに、私は深々と頭を下げた。良かった。色々残念なこともあったけど、私はどうにかこうにか、逆境を乗り越えたのだ。
 待っててね、お母さん。私がバベル美術員になって、必ず見つけ出してあげるから。
 帰り道は、雲の上を弾むような気分だった。
 これほど足取りが軽くなったのは、パトリエに来たその日以来だ。思わずつま先が踊ってしまう。
 帰る途中で、あの枯れ花たちを摘んだ丘を、もう一度訪ねてみた。これから来る夏に向けてか、ちらほらとつぼみが混じり始めていた。
 中にはもう、開きそうな花もあった。
 明日にはきっと咲くに違いない。



「おめでとう。上手くいったみたいだね」
「はい。もう言うこと無しの万々歳です」
 玄関を開けると、どこかに出かけようとしていたロキさんとばったり出くわした。私が手ぶらなのを見て、上手く推薦枠がとれたと気付いたのだろう。すぐに祝福の言葉をかけてくれた。
「何もかもロキさんとエイミーさんのおかげです。本当にありがとうございました」
「いやいや、僕たちがやったのはほんの手を添えるぐらいの手助け。これはリザさんの実力だよ」
「そんなこと無いです。ロキさんがいなかったら今頃どうなっていたか分かりません。ところで、ロキさんはこれから出かけるんですか?」
「うん、ちょっと流路確認が入って」
「流路確認?」
「あ、うん。どこかで美術品窃盗団が捕まったらしくてさ。で、その窃盗団が盗んだ品が、どこの美術館や画廊から出たものかってことを、各美術館の警備員が集まって確認するんだ」
 そう言えば、ロキさんの仕事は警備員さんなのだった。私自身はずっとアトリエに籠もっていたので忘れていた。昼夜問わず家を空けることが多いのも、そのためかもしれない。
「ってそれより、窃盗団が見つかったんですか。それならもしかしてお母さん、あ、いえ、モナリザも」
「出ないだろうね。こうやって捕まるようなちんぴらは、そんな大物盗んでないよ。今きっとモナリザを持っているのは、どこかの恥知らずな収集家さ」
「そうですか」
 まあ、そうだろう。そう簡単に見つかるはずがない。
「じゃ、出かけるけど、夕飯ぐらいには帰ってくるね」
「はい、いってらっしゃいです」
 と、出かけるロキさんを爽やかに、真心を込めたとびきりの笑顔で見送る私。どう控えに見ても、新婚ばかっぷるの奥さんが旦那さんを送り出す程度の愛嬌はあるに違いない。そんなフリをしながら、私は内心ほくそ笑んだ。
 絵の制作途中は保留していたことを、今日こそ実行すべきだ。
「絵を描き終わった今となっては、残念ながらロキさんのアトリエも卒業です」
 それに絵が完成した以上、この家に滞在することも出来ない。不本意ながら三週間近く宿代を浮かした(ロキさんが受け取ってくれなかった)ので、お金もある。
「よって立つ鳥後を濁さず。アトリエのお片づけをするべきですね」
 そしてその際、誤ってロキさんの絵を発見し、それを鑑賞してしまうなんて事故が起こっても何の不自然もあるまいのですっ!
 早い話が、私は制作中からずっと、ロキさんの絵を見たくてずっと我慢していたのだった。
 私はアトリエを掃除しながら道具類をまとめ、それを戸棚に片づけていく。その途中、私は戸棚の奥から目的の品を発見した。
 黒い額縁に、蓋がかかっている。間違いない。
 これほど充実したアトリエを持つロキさんだ。たとえ下手の道具凝りだったとしても、それなりの作品ではあるだろう。
 否、絵の下手さなど問題ではない。どんな絵であろうと、絵とは見られるためのものなのだ。
「どんな絵も人々の目に触れられたくては不幸というもの、だから私が見てあげましょう」
 胸を高鳴らせて蓋を開ける。
 そして出てきた絵は、私の予想を大いに裏切る絵だった。
「うわっ……すごい……」
 すごく……なんというか……すごく……。
「いや、上手いです。すごく上手いんです……でもこの絵……すごく……」
 いやらしい、絵だった。 
 もちろん私だって裸婦画ぐらい知っている。半裸だろうが全裸だろうが、芸術は芸術だ。女性の肉体には美しさがあるのも知ってるし、実は裸婦のデッサンもしたことがある。知識だって一通り以上ある。
 そういう意味のいやらしさではない。
 だいたいこの絵は、裸婦画ではない。絵の中の少女は、普通にドレスを着ている。だが、裸婦画なんて足元にも及ばないほどのいやらしさ、あるいは妖艶さ、色気のようなものが、その絵には描かれていた。
「なんか……目のやり場に困る絵です」
 桜色のドレスを着た少女が、ベッドに腰掛けているという絵だった。青い目の少女は、大河のように金髪を長くのばしている。左足を床に、右足をベッドに乗せてこちらから見て左を向くという、斜め四分の三からの構図だった。
 貴族の肖像画を描く際などによく用いられた、斜め四分の三の構図。この絵の少女も、貴族の肖像画のような立派なドレスを着ている。
 だが彼女が腰掛けているのは、椅子でもソファーでもなく、ベッド。そこは本来、裸婦が惜しげもなく肌を露わにする場所だ。
 表情もそう。少女は肖像画のために、澄ましたフリをしている。凛とした口元はよそ行きの、まさに肖像画のもの。
 だがその青い視線は、どこか恥ずかしそうにふわふわと漂わせている。上の空だ。
 少女は、とろけているのだった。
 かろうじて結ばれた唇からは今にも、ほう、と溜息がもれそう。気付けば少し、頬に朱が入っている。
 この絵に描かれているのは、普段は明朗快活であろう少女の、秘密の一面。恋を知った少女の、美しさともろさ。
 少女は、恋をしているのだった。
 恋慕していた相手に、誘惑されてしまった少女。彼女はその甘さに抗えなかった。だが少女は少女ゆえ、ベッドという二人が触れ合う場所でも、まだ怖くてドレスが脱げない。
 そんなイメージ、象徴を持つ絵だろう。
 題材がいやらしいという点では評価しかねるが、そのいやらしさを補って余りある――いや、そんなうわべの評価は止めよう。
 正直に言えば、私は嫉妬した。
 制作を終えるまで、この絵を見なくて本当によかった。見ていたら私の心は千々に乱れ、制作にも悪影響が出てただろう。
 大好きな絵というのはもちろんあるし、大嫌いな絵だってある。だが絵を見て嫉妬したのはこれが初めてだった。
 嫉妬?
 そういえば私は何に嫉妬しているのだろう。
 こんな素晴らしい絵を描いたロキさんか、あるいは絵の中の少女になのか。そうなのかもしれない。この美しい少女の想い人は、間違いなくロキさんだ。そしてロキさんもこの少女に夢中なのだろう。だからこそのこの絵だ。
 あのロキさんに、こんな激しい絵を描かせるほど愛された少女。嫉妬するには十分だ。
 まあ、どうであれ、見るものに嫉妬させるほどの作品だ。傑作であることは間違いない。
 でも、羨ましい子だ……。
「って、この金髪の子誰ですかっ!」
 いやいやいやいや、落ち着こう。
 ロキさんがこの子を好きだなんて、そんな馬鹿な。それはただ私が想像力豊かに妄想しただけで――そう思った瞬間、キャンバスの端の文字に気付く。
『永遠の恋人、オペレット嬢の姿絵』
 アウトっ!
 まずい。
 これはまずい火種を見つけてしまった。
 猛毒性致死性爆発性放射性第一級指定特別天然危険物だ。
 私の一件があった後だ。こんなものがエイミーさんに見つかっては、間違いなくもめ事になる。私は見なかったことにして、そそくさと棚に戻すことにした。ばれないように蓋をし
「絵が完成したそうじゃないの。首尾はどうだったのかしら?」
「ひっ」
 いつの間にかエイミーさんが後ろに立っていた。絵に夢中で気付かなかったらしい。
 そうなのだ。私が泊まっているのを知って以来、エイミーさんは良くここに来るようになったのだった。それは当然の配慮として別に良いのだが、まさか今日も来ていたとは……大失敗だった。
 いつも通りの黒の三つ編み。いつも通りの黒縁眼鏡。いつも通りの飾り気のない白の上着と描写まで定番化されたエイミーさん。少し猫背気味だが、その知的な瞳も、素敵で不敵な笑顔も十分魅力的な人だ。
 けれど絵の中で幻想的にまで美しい少女と比べると、残念ながら天と地の差があった。それほどまでに、絵の少女は美しかった。
「いきなり悲鳴とは随分と失礼ね。さてはリザさん、少し私と遊びたい――」
 そう言いかけて、エイミーさんはぴたりと口をつぐんだ。その目は私の持つ絵に釘付けられていた。しばらく逡巡した末、悔しそうにぽつりと漏らす。
「そう……この絵、まだ燃やしてなかったの……」
「知ってるんですかっ。この絵のこと」
「ええ……この子……ロキの昔の恋人だったの」
 エイミーさんは、どこか諦めたような寂しい目をしていた。でもよかった。昔の恋人ならギリギリセーフだろう。『永遠の恋人』などという一節も、若き日の過ちというものだ。
 だが、エイミーさんの言葉は、それどころではなく深刻だった。
「でもその子、病気で亡くなったの……でも死ぬ前にその子……ロキに『私が死んだら、もう一度だけ恋をして』って言い残したらしいの……馬鹿な子よね」
「……そんな」
 彼にそんなことがあったなんて。愛する人に先立たれ、しかもその最期の時には『もう一度恋をして』などという理不尽な遺言を。
 絵の中の少女は、願ったのだろう。ロキさんにまた恋をして幸せになって欲しい、と。
 自分が愛し愛され、幸せだったからこその願い。
 一人ロキさんを残さなければならない少女の、悲しい願いだった。
「彼は昔の恋人の絵は全部燃やしたって言ったけど……燃やせなかったのね。本当は昔じゃなくて、彼女は今でも永遠の恋人なのかも」
「……エイミーさん」
 エイミーさんの顔は、不思議と悲しそうではなかった。だがとても虚しい、灰色の砂漠のような表情だった。恋敵が故人だというのは、そういうことなのかもしれない。
「この絵を見たことは、彼に黙っておいてね。私たちの間の、秘密よ」
 彼女はその手で、大切そうに絵をしまい直した。
「もしかしたら、いつか、彼が自分の手で燃やしてくれる日が来るかもしれないし」
 エイミーさんは、その日まで待ち続けるというのか。
 ただ耐えることで。
 何て理不尽な、恋。ロキさんとあれほど両思いに見えた彼女が、こんな苦しみを抱えていたなんて。
 絵を元通りしまい終わったエイミーさんは、なぜか興味深そうに私の方を見ていた。
「どうしました?」
 彼女は答えず、私の前に立った。そのまま、すっ、と自然な動作で私の頬に右手を添える。まるでキスする直前の、恋人のように。
 だまったまま私の顔を、しげしげと眺める。そんなじっくり見られると、緊張してしまうのだが。
「なっなにを、見てるんですか」
 彼女の黒い瞳の中では、私が恥ずかしそうにもじもじしていた。そんな私を見て、彼女は言う。
「似てる」
「な、何がですかっ」
「一目見たときにも、思ったの。あなたはすごく似てる」
「私が? 誰にですか……?」
「あら、誰にだと思う?」
 そう言って彼女は、ぐっと顔を近づける。彼女の瞳に、私の青い瞳が映っていた。
「そのアクアマリンの青い瞳も」
 彼女の指は、私の首元をくすぐりながら背後に回る。私の髪留めに指が添えられた。
「その金髪も」
 プツリ、と髪留めが外された。自由になった髪がふわりと肩にのる。
「セーヌの流れのような、素敵な髪だわ」
 ダヴィンチが言った言葉。女性の髪を最も美しく描きたければ、水の流れを描けばよい。髪を川の流れにたとえられるのは、絵描きにとっては最高の褒め言葉だ。エイミーさんに言ってもらえるなんて、嬉しいことは嬉しいのだが……。
「その白い肌も、唇も、生き写し。この絵の少女に、そっくりだわ」
 うっとりと見つめながら、彼女が言う。
 どうしてだろう。相手は年下のエイミーさんだというのに、まるで美人のお姉様に品定めされている気分だ。なぜか魔法をかけられたように、彼女に魅入ってしまう。
「なにより、可愛いしね」
 彼女はそう言って私から手を離した。呪縛が解けた私は、よろめくようにして一歩離れた。いつの間にか息が荒くなっている。心臓が狂ったように高鳴る。何だろう、この胸騒ぎは。私の体は、何を伝えようとしたのだろうか。
 エイミーさんはいつも通りの小憎たらしい素敵な笑顔で、私を見ていた。
「大丈夫? 顔が赤いわよ」
「エイミーさんのせいですよっ」
「あ、感じちゃったかしら?」
「ち、違いますっ」
「じゃあ、発情しちゃったとか?」
「発情って何ですか、発情って! しかも意味は同じですっ」
「冗談よ。彼の絵を勝手に見た罰」
 年下のお姉様は、愉快そうにクスクスと笑っていた。だがその言葉を聞き、私は反省する。
「すみません。失礼なことをしてしまって」
「良いわ。次から気をつければ。あ、やっぱり次からも気をつけなくて良いわ、絵を見ることこそが我々の天分だもの」
 そうよね、と言って、エイミーさんはクスクスと笑った。
「でも、あなたがこの絵の子に似てるって言うのは本当よ。最初にあったときからずっと思ってたの。あるいはロキがあなたを助けたくなったのも、面影があったからかも」
 そう言うエイミーさんの目には、私には理解しがたい感情があった。
「でも……もしロキさんが私を、昔の恋人に重ねて助けたのなら、残念です」
 聞き、エイミーさんは首をかしげた。
「あら、どうしてかしら? 淡い恋心から助けられるなんて、素敵じゃない」
「いいえ。そんな理由じゃ納得出来ません。私にバベル美術員になって欲しくて、あるいは私にいい絵を描いて欲しくてだったなら良いんです。彼の美術愛から出た行為だというのだったら、納得出来ます。でも、もしそんな動機で私を泊めたというのなら、我慢出来ません。不純です。それに何よりエイミーさんに申し訳が立ちません」
 その言葉を聞き、エイミーさんは満足げに微笑んだ。今まで見た中で、一番晴れ晴れとした元気な笑顔。
 ちょっと驚いた。いつもどこか斜に構え、ヒネた笑いをする彼女が、こんな笑顔をすることがあるのかと。
「美術愛……くすぐるわね。そんな恥ずかしい言葉、良くもまあ真顔で言えるわね。あなた、きっとすごく良いバベル美術員になるわ」
 形の良い人差し指で、私の額をちょいとつついた。まるで可愛くて仕方がないというように。
「あなたは絶対に、受からなきゃ駄目。頑張りなさい」
 年下のお姉様は、腕を組んで微笑んでいた。その笑顔を見て、不思議と勇気が湧いてくる。この人が応援してくれるのならきっと受かるに違いない、と。
「ありがとうございます。絶対に受かります」
 私はめいっぱいの笑顔で応じて見せた。


 
 バベル大美術館、入館試験。
 その一次試験が、ついにやってきた。
 一次試験は午前と午後に分かれ、午前は美術学的知識を、午後は美術の批評眼が問われることになる。
 実に世界中から五百人以上が集まる試験会場では、さすがに緊張した。
 午前中の知識造詣もはや蘊蓄の域まで達する筆記試験をこなし、どうにかこうにかお昼にありつく。
 手応えは悪くなかった。
 大部分は答えられた。だがこの会場に来る人は全て、受験資格を持つ美術好き達なのだ。そもそも知識が足りないようではお話にならないだろう。
 むしろ一次試験で問題なのは、午後の部、批評眼を問う問題だ。
 用意されたのは絵、陶芸品、彫刻等の美術品十六個。この中から良いと思うもの六個選び、批評文を書きなさい、という問題だ。
 並べられたのは有名なものではなく、最近作られた作品。ここで知識ではなく、良い美術品とはどういうものか、真の意味で美術を理解しているかを問うのだ。
 感性と分析力が試されている。
 まずはどの品を選ぶか。
 私の持論は、芸術を楽しむのに理屈は必要ないというものだ。
 つまりその持論に従えば、良い、と思ったものを素直に選べばよい。ぴぴっと来るもの。琴線に触れるもの。表現は様々だが、ようは直感だ。
 そして理屈はその後、どうして自分がこの作品を気に入ったかは、気に入ったあとで分析してみる。逆はダメだ。いちいち理屈をひねくり回さないと評価出来ない作品なんて、まさに二流だ。
 良い作品は、まず人を魅了する。そしてその魅力を分析したとき、やっと理論的にその魅力が説明出来る。まるで種明かしをするように。そういうものなのだ。
 その持論の下、私は自信を持って午後の部を終えた。
 美術好きと言うことでは、人後に落ちない自信はある。今回の合格者は二百人。その中に入れないはずがない。そう思っていた。
 宿に戻ったときには、全身に心地よい疲労が残っていた。




 自信があるものほど試験に良く落ちる。そう言う話がある。
 自信を持っているものこそ自分の間違いに気付きにくいから、だそうだ。
 しかしだ。
 そもそも絶対に落ちる成績の人は元から自信がないだろうし。
 絶対に受かる成績の人は、当然自信があるだろう。
 だいたい常識的に考えて、自信はある方が良いに決まっている。
 そしてあの一次試験に関して言えば、私は絶対と言って良いほどの自信を持っていた。 
 だからこそ、その言葉を聞いたときはすごくショックだった。
「残念ながら、不合格通知だった」
 ゴードンさんは、慰めるように声でそう言った。
「気にすることはない。一次試験はなかなかの難関だ。我が館でも受かったのは五人中たったの一人だった。なに、君ほどの実力なら来年も喜んで推薦させて頂こう」
 だがそんな慰めが耳を素通りするほど、私は動転していた。まるで言葉で殴られたよう。座っているはずなのに、地面がぐらぐら揺れていた。
 悔しい。残念。悲しい。そんな気持ちがごちゃ混ぜになって胸に溢れる。
 だがそれ以上にあったのは、申し訳ないという気持ちだった。
 二次どころか、一次試験で、不合格? 
 こんな事ではロキさんとエイミーさんに合わせる顔がなかった。
 だがその事を考える暇もなく、私には一つの決断が迫られてしまった。
「ところでだ、リザ君。君の『明日に咲く花』という絵だが、ぜひとも我が館に買い取らせてくれないかね? あれは実に良い絵だった」
 ゴードンさんの突然の申し出に、私は少し困った。どうせ落ちたなら、あの絵をせめてエイミーさんにプレゼントしたかったのだが。
「もちろん、それなりの代価は払わせてもらおう」
 テーブルに置かれた小切手は、私の絵にしては上々の値だった。どうしよう。
 エイミーさんは確かに褒めてくれた。だがあの絵をもらって本当に嬉しいだろうか? あるいは絵なんかより、このお金を使って、ロキさんとエイミーさんに普通にお礼をした方が良いのか。絵を評価するのと欲しいというのは別物。少なくともこのゴードンさんは、私の絵を欲しいと言ってくれてるのだ。 
 それに、私はこのシュバルツ美術館の推薦枠を一つ潰している。そのお詫びとして、絵の一枚ぐらい売った方が良いのではないのか。
 様々な考えが、私の中に浮かんだ。その考えがごちゃごちゃ絡み合い、どんどんほどけなくなっていく。まるで毛玉のようだ。
 不合格のショックを受けたばかりの私には、難しすぎる問題だった。
「さあ、どうぞ」
 混乱する私に、押しつけられる小切手。結局、私が美術館を出るとき持っていたのは、絵ではなく一枚の小切手だった。
 私はいつの間にか押し切られていた。
「ああ……困りました」
 帰り道は底無し沼を歩いている気分だった。
 二人になんと言えばいいのか。あれほど大騒ぎをして迷惑をかけたのに……。
 一次試験で落ちた。結局は絵が評価される二次試験には行けなかったなんてとても言えない。
 しかも、あの私があの絵を描くために、ロキさんは私を泊めて、そのせいで二人は喧嘩までしたのだ。
 あの後二人はまた、仲良くはなっていた。だが私は二人に、治しようもないしこりを残してしまったのではないだろうか。
 いつか何かがあったとき、エイミーさんはふと思い出すであろう。ロキさんにも過ちがあったということを。彼を疑うきっかけになるだろう。
 よく考えれば、この間のあの絵。あの金髪の少女の絵を見つけてしまったのも、私だった。
 あれを知ったせいで、エイミーさんはどれほど胸を痛めただろう。知らなければ良かった真実。知ったってどうしようもない真実。自分の恋人が、まだ昔の恋人に執着しているということ。
 その恋敵が普通の女の子だったら、ロキさんを糾弾することも出来ただろう。だが相手はもう亡き人なのだ。あのエイミーさんだって、じっと耐えるしか道はない。それだったらきっと、知らなかった方がましだった。
 彼の絵が見たかった。彼の絵に興味があった。そんなことが言い訳になるだろうか。
 彼は最初から隠していたじゃないか、あの絵を。
 それをこっそり覗き見ようなんて。
 なんて悪趣味。
 なんて恥知らず。
 これからの私は、絵が好きなんです、などと無邪気に言えるだろうか。その絵好きのせいで、傷つけられた人が一人はいるというのに。
 どんな絵も人々に見られなくては不幸です、だから私が見てあげます。
 良くもまあ、傲慢に言ったものだ。
 私に見られたとき、あの絵はどう思っただろうか。
 きっと嘆いたに違いない。
 そうだ。こんな私にバベル美術員になる資格はなかったのだろう。
 だから私は不合格で。
 私の絵は燃える運命にあったのだろう。
 あれは神様からの、啓示だったのかもしれない。お前に美術員になってはならないという。
 思わず深い溜息が漏れた。胸の中の濁りを、口から掃き出しているようだった。だがどんなにはき出しても、心臓の泥は出て行かない。
 足も重かった。
 大理石で出来た足を、無理に動かしているようだった。
「私ってば、本当に何やってるんだろう」
 二人に迷惑をかけて、喧嘩させて、傷つけて。
 あげくの果てに、不合格。何の甲斐もなくなく、不合格。
 そう思うと、気分はどこまでも沈んだ。
 空は晴れ、元気な子供達が広場を遊び回っている。
 だが空を眺めると、太陽には厚い雲がかかり始めていた。
 もしかしたら、一雨来るかもしれない。随分と久しぶりの雨だ。ベンチ側の花たちは、長く続いた晴天のせいで萎れかけている。空を仰ぐ彼らが、雨を呼んでいるようだった。
 


 一雨来た。
 最初は私の頬をしめらせる程度だったそれは、すぐにザアザア降りになった。子供達はいつの間にかいなくなっている。ぽつりぽつりと来た頃には、帰り始めていたのだろう。
 だが私は雨に濡れていた。
 雨が来ると思っていたくせに、広場のベンチに座り続けていたのだ。無気力に、ぼうっと空を見上げて。枯れかけた花のように雨が降り始めるのを待っていた。
 いよいよ雨は本降りだった。私は下着まで濡れてしまっていた。ぺとぺとして気持ち悪い。
 雨宿りもせず、私は何をしているのだろう。雨に打たれて、罪滅ぼしのつもりだろうか。そんなことで、私の汚れが流れ落ちるとでも思ったのだろうか。馬鹿らしい。
 今からでも遅くない、このままでは風邪を引いてしまう。私は雨宿りを出来る場所を探した。幸い一カ所、広場の中央に大きく枝を広げる樹があった。あそこなら雨宿りが出来るだろう。
 すでに濡れてしまっている私は、小走りで木の下に入った。
 バッグから取り出したハンカチで、水を吸って重くなった髪を拭く。髪が肌にまとわりつき、鬱陶しかった。まったく、すぐ宿に向かっていればこんな無様なことをしなくてすんだのに。つまらないことをした。
 空を見上げると、どこまでも暗い雲が続いている。これでは当分止みそうもない。
 どうしよう。
 そう思っていると、広場の向こうから一組の男女が走ってきた。男性の方はひょろりとしていて、どこか背の高い木を思わせる。女の人の方は小柄で、男性に上着を借りているのか、ぶかぶかの青い上着を頭から羽織って雨よけにしていた。
 その二人を見て、私は固まった。
「嘘……ですよね……」
 それは、今の私が最も会いたくない、最愛の恩人達。
 ロキさんとエイミーさんだった。
 見つけないで、という私の卑屈な願いも虚しく、彼らは真っ直ぐ私の宿る木へやってくる。
 エイミーさんの方が先に、木の下へとたどり着いた。先客である私を上着の間からちらりと伺い、驚いたようだった。
「素敵な偶然。こんな事なら、たまには雨も良い物ね」
「エイミーさん……」
 相も変わらずの、斜に構えた笑顔。見ていて胸がチクリとする。
「それにしても、珍しいこともあったものね」
 彼女はそう言いながら、被っていた上着をぱんぱんとはたいてロキさんに差し出した。ロキさんはそれを受け取って、羽織りなおす。
「私、傘を差したことがないのよね。私が出かけるときは必ず晴れるから」
「エイミー、その自信の根拠は」
「私はそういう豪運の下に生まれているはずなの。見上げれば空は晴れ、カードを引けばジョーカーを、賭け事すれば必勝不敗、石を投げれば必ずロキに当たるのよ」
「……最後のそれは幸運なのか」
「幸運よ。私の趣味はあなたを困らせることだもの」 
 エイミーさんは相変わらずだった。あの少女の絵など無かったことかのように、ロキさんと自然に接していた。
 そうほんの少し安堵したとき、一番恐れていた質問が私に手渡された。
「さてところで、リザさん」
「もう、シュバルツ美術館に行って結果は聞いてきたのかしら?」
 二人はそう聞きつつも、確信に満ちた瞳で私を見ていた。まるで私の口からは吉報以外もたらされるはずがないというように。
 不合格とは、言いにくい空気だった。
 こころなしか声が出にくく、まるで喉に石が詰まったようだった。
 だが言わなくてはならない。
 私は歯切れ悪く、つぶやくように話し始めた。
「あの……シュバルツ美術館には行って……それでゴードンさんに結果を聞きました……それで」
 そこまで言ったところで、いきなり二人は私の両手を取った。そして次に続いたのは、
「「合格おめでとう!」」
 私がかけてもらう資格のない言葉。あり得ないはずの、声を揃えての賛辞だった。
「へ……え……」
 どうして。
 どうしてそんなこと言うんですか。
「さすが私の見込んだリザさんだわ」 
「もう、調子が良いなエイミーは。まあ、確かに心配はしてなかったけどね」
 次々と紡がれる、残酷な言葉達。
 目の前の二人の反応が全然理解出来なかった。まるで私が受かったかのように、まるで私が受かっていて当然というように。二人は次々と私を褒めたたえる。
「明日は二次試験かあ」
「ぜひ見に行かせてもらうわ。リザさんは完成した絵を私にも見せずさっさと持って行ってしまったものね。私に見せたくなかったのかしら?」
「あのときは一刻も時間が惜しかったからね。で、そのあとは試験本部の方に置きっぱなしか」
「ま、ある意味、今日あの絵を見れないことは幸せだけどね」
 その会話を聞いて、気付いた。
 そう。
 私は結果を聞いた帰り道だというのに、あの絵『明日に咲く花』を持っていなかったのだ。
 一次不合格になれば当然絵は返却される。だから絵を持っていない私を見て、二人は合格を半ば確信していたのだろう。
 しかしその絵は今、小切手に変わって私のポケットに入っているのだ。
 失敗した。
 どうして私は、これほど間が悪いのだろう。
 さっき売っていなければ。いや、せめてあのとき、エイミーさんに完成した絵を見せていないと思い出してさえいれば。こんな不運は起こりえなかったのに。
 そうすれば断れたのに。見せたい人がいるから、少し待ってくれと言えたのに。
 どうしてそんな大切なことに、気付かなかったんだろう。
 私は本当に救いようがない。最低だ。
「あの、あの……」
「明日のデートコースは、バベルの二次試験なんだ。二次試験は作品展覧会と合格発表をかねたセレモニー。なかなか見物だよ」
「そ、表彰会チケットは毎年プラチナものなのよ。コネをつかってやっと二枚手に入れたんだから。こうなったら最後まできっちり合格して、ぜひとも私たちのデートに花を添えなさいね」
 エイミーさんはそう無邪気に言って、私の胸をポンと叩いた。二次試験の展覧会を明日に控えて不安で一杯のはずだった私を、励まそうとしているのだろう。もう私には、そんなことする必要もないのに。
「いえ……それが無理なんです」
「無理じゃないわ。あの絵は私を惚れさせた絵だもの」
「普段は辛口のエイミーがこう言ってるんだ、大丈夫だよ」
 私の絵をあれほど評価してくれたエイミーさん。優しく言い添えてくれるロキさん。二人は私が受かると信じ切っている。
 言えない。とても言えない。
 私はもう、落ちているなんて。
 この空気の中どうやって言い出せば良いのだ。
 いたたまれない。 
 私は突然、二人の前から逃げ出してしまいたい衝動に駆られた。このまま宿に逃げ帰って、一番早い船に乗ってこの島から逃げ出すのだ。
 二度とこんな悪夢に満ちた島に足を向けることもなく、二人にも二度と会わない。
 その想像はあまりにも魅力的で、そして破滅的な現実逃避だった。
 この大切な、半ば愛情すら抱いてしまった恩人達に、何のお詫びもなく逃げ出すなど、出来ようはずもなかった。
 本当のことを、言わなければならない。
 だがそのタイミングがつかめない。急流を歩いてわたる者が、一度足が川底から離れれば最後、二度とは足がつかず流され続ける。私の状況はまるでそんな感じだった。
 しかも今日はとことんと運が悪い日らしい。
 幸運の女神のように、悪運にも女神がいたとしたら、私を抱きしめていたことだろう。エイミーさんがこう言ったのだ、
「それにしても、リザさん、びしょ濡れね。明日は大事な日だって言うのに、風邪を引いたらどうするつもりなの。ロキ、流石のあなたもタオルとか持ってないわよね?」
 彼女はそう言って自分の鞄を探り始めた。実用的な、失礼ながら布袋と言っても差し支えのない、エイミーさんらしい鞄だ。しかし、彼女がそこから取り出したのは、私をさらに追いつめるものであった。
「あら、そう言えば、私こんな物も持ってたわね」
「そう言えば、昔エイミーにあげたやつだね」
「私は傘をささない主義だから忘れてたわ」
 それは小さな折りたたみ傘。女物らしく、持ち手の装飾も凝り、薄水色に白い模様が入っている。エイミーさんの持ち物らしからず、実用性より見栄え重視のようだ。たぶんロキさんがプレゼントした物だからだろう。
 そして見栄えの重視のその傘は、見るからに三人で入るには小さすぎた。
 私が口を開く前に、エイミーさんは私の胸に傘を押しつけていた。
「これで早く宿に帰りなさい」
 彼女はそれが当然のように言った。何の気負いもなく、まるで親切しているという自覚がないように。彼女はそういうことが出来る人なのだ。
 その事が私の心を強く突き刺した。
「だ、駄目ですよっ、そんなの。エイミーさんの傘ですっ。お二人で先帰ってください。私はもう少しこうしています」
「その濡れた服でかい? 風邪を引いちゃうよ」
「いいのよ。素直に受け取りなさい。明日に試験を控えたあなたに風邪を引かせるなんて片手落ちを、この私にさせないで欲しいもの」
 エイミーさんのいつも通りひねくれた口調は、その実とても温かかった。
 まただった。
 私はここまで来ても、また二人に迷惑をかけようとしていた。このどこまでもお人好しの二人に。
 駄目だ、そんなことでは。
「お願いします。これ以上お二人に迷惑をかけるわけには」
「良いんだよこれぐらい」
「ロキの言う通り。いままでの多大な迷惑に比べたら、こんなのお菓子のおまけ程度の迷惑よ」
「べ、別にそういう意味じゃないって。それに今までのだって迷惑なんて思ってないし、むしろ楽しかったよ」
「つまり宿代分はじっくりしっとり楽しませてもらったから気にするなと。そういうことかしら、ロキ?」
「違うよっ、いや、そうだけどさ。変なニュアンスはつけないで」
「あら、そうかしら。どうせずいぶんとお楽みだったんでしょう、あ、な、た」
 ちく、ちく、ちく。
「エイミー。その呪い殺し系怪談に出てくる、嫉妬した本妻の流し目はやめて。君がやると本当に怖い」
 わざと冗談めかして話す二人。私の悲壮な声はかえって、二人に気を遣わせてしまったらしい。本当に駄目な私。
 私が頑として折れようとしないのを見て、エイミーさんは少し困ったような顔で思案した。けれど、すぐに何か思いついたのか、
「もう、しょうがないわね。少し言い方を変えようかしら」
 少し怖い笑みになった。まるでネズミをいたぶる猫が浮かべていそうな笑み。そして彼女は、ロキさんに腕を絡めてこう言ったのだ。
「リザさん。これ以上私と彼との時間を邪魔しないでくれないかしら」
「え……」
「別に、あんたのために傘を貸すわけじゃないんだから。私は彼といたいの。あんたなんか、さっさと逃げ帰って、暖かい服に着替えて、ゆっくり休んじゃえば良いんだわ」
 エイミーさんは憎々しいげな表情のまま、ロキさんの肩に頭をのせた。
 呆れるほどの名演技だった。
 まるで本心から私のことが邪魔なんじゃないか、そう思うほど真に迫った動作だった。エイミーさん、実はとんでもない女優だ。
 ……いや、本当に演技なんだろうか。
 ……あるいは今までの優しさこそが演技なんではないのか。
 ……ロキさんに気を遣って、しぶしぶ私に親切を?
 そんなはずはないのだ。エイミーさんは心から私に親切をしてくれている。そんな分かり切ったこと。
 だが私の弱りきった心には、そんな分かりきった事すらあやふやになってくる。
 続いて、くくく、と笑いを漏らしたロキさんが、エイミーさんに調子をあわせた。エイミーさんの腰に腕を回し、抱きすくめる。
「ごめんねエイミー、君にそんな寂しい思いをさせていたなんて。ああ、きみを滅茶苦茶にしたい、人目のないところに君をさらって」
「ロキ……お願い……」
 エイミーさんは力が抜けたように、くたりと体を預ける。その様子を見て、この二人、本当に恋人なんだなあと実感する。恋人恋人と言いつつ、二人がこれほど近づいているのは初めて見た。二人の顔は、今にもキスしそうな距離……。
 と思った途端、突然私の心臓が暴れ出した。
 破裂するように、拍動し始める。
 なんで? なんで急に。
 心臓にバラの蔓で締め付けるような痛みが走った。
 その傷みに逆らって心臓は暴れ続ける。
 我慢出来なかった。
 私の理性に反し、本能は緊急に逃げ出すことを欲していた。
 そして逃げ出すだけならば、とても簡単なことだったのだ。
「わ、分かりましたよ。もう。お二人とも、そんな仲が良いところ見せつけないでください。妬いちゃうじゃないですか」
 私はやれやれといった感じの作り笑いを浮かべ、傘を広げた。
「じゃあ、またご迷惑おかけしますね」
「気にしなくて良いわよ」
「そうそう」
 二人は、どこかほっとした顔で、私を見ていた。
「どうぞ、お二人でごゆっくり」
「言うわね、あなたも……じゃあ、遠慮なくしましょうか、ロキ」
「おいおい」
 エイミーさんのニンマリとした笑顔を見て、私は慌てて身を翻した。気付けば駆け出しそうな足を押さえつけ、ゆっくりと歩く。
 少なくとも、二人が見てる前では走るわけにはいかない。
 そして角を曲がったところで、私は走り出した。
「あああああああっっっっ」
 やっちゃった。やっちゃった。
 この期に及んで、また親切を受けてしまった。あの二人は、いつまで雨宿りを続けるのだろう。
 私のせいで。
 本当のことを言わなかった、卑怯な私のせいで。
「どうしよう、どうしよう、どうしようっ」
 私はまた、なんて取り返しのつかないことを。
 もはや傘なんて役に立っていない。顔にびしゃびしゃと雨が当たる。
 私は追い立てられるように、水たまりを走り抜けた。
 顔を生暖かい物がぬるりと流れる感触があった。
 涙じゃない。涙は先ほどからあふれていたが、雨に混じって何もかも分からなくなっていた。
 手で拭ってみると、べったりと血が付き、手が真っ赤になった。
 鼻血がひどく出ていた。




 宿に帰っても、鼻血は一晩中泊まらなかった。
 腹痛が止まらず、ベットとトイレを往復しているうちに夜が明けた。
 明け方、やっとついた眠りの中で見た夢は、生涯最悪だった。
 夢の中の私は、私はエイミーさんに嘘つきと罵られ、ロキさんに冷たい目で見られていた。まるで手で触れるような、現実味のある悪夢だった。
 時計を見ると、お昼を過ぎていた。ぐっしょりとかいた汗を、ノロノロとふきとり。服を着替える。
 二次試験は、もう始まっている。九時から始まって午前が一次を突破した人たちの作品展示会。午後はバベル大美術館の二十人のフロアマスター(各階の美術員の最高責任者)が表彰台に現れ、今年度の合格者四十名に表彰をするはずだ。
 今頃ロキさん達は会場だろうか。あるはずのない私の作品を探しているのだろうか。そう思うと胸がひどくいたんだ。何も食べてない胃が、ムカムカした。
 私は最低だ。卑怯者だ。
 なぜ昨日あのとき、本当のことを言わなかったのか。言おうと思えば言えたはずだ。黒い後悔が、津波のように押し寄せてきた。
「謝ろう……謝ろう」
 私は自分に向かってそう言った。
 昨日のことも、何もかも、もう謝るしかない。今から表彰式の会場に行って、二人に謝ろう。
 そう決意をすると、少しだけお腹の痛みが取れた。
 そうと決まれば、ぐずぐずとはしていられない。私は手早く荷物を揃え、小走りで会場に向かった。
 場所はバベル大美術館の側の、ボッティチェリ大ホール。バベルの塔はすぐ分かるので迷うことはない。私はしばらくの後、そのホールの前にたどり着いていた。
 入り口に、バベル入館試験・二次展覧会会場という看板が掛かっている。場所はあっている。だが問題は入場券だった。二人が昨日プラチナチケットと言っていた通り、そもそも券が売っていない。
 中に入れない以上、もはや待つしかない。二人が出てくるのを何時間でも待ってやるという気概で、私は入り口のベンチに腰を下ろした。
 出てきたら、即座に謝ろう。長引けば長引くほど、事態は悪化するはずだ。そんなことをつらつらと考えたところで、私はふと気付いた。
「私……全館フリーパスって持ってなかったっけ?」
 美術館巡りどころではなかったので完全に失念していたが、ロゼ・シャンシェルジュの優勝商品に含まれていたはずだ。鞄をひっくり返して調べると、青いチケットが見つかった。
「これで、入れるかな?」
 これはあくまで、美術館用。果たして二次試験表彰会に入れるかは微妙だが、試してみる価値はある。私は大ホールへの入り口に向かい、そこに立っていた係員の方にチケットを見せた。
「この券での入場は、可能ですか?」
「このチケットですか……少々お待ちください」
 その男の人は少し困ったような顔をして、会場の中に入っていった。たぶん責任者の人に聞きに行ったのだろう。
 待っている間に、会場の声が聞こえてきた。どうやら中では表彰式が始まっているらしい。四十位以内に入った合格者、その推薦美術館、作品が発表されている。
 その最後の発表が、私に耳に入った。
『第四十位、ライアン・ベンチューリさん。推薦、シュバルツ現代美術館』
 その言葉を聞き、私は少し安堵した。シュバルツ美術館とはつまりゴードンさんの、私の推薦文を付けた美術館だ。私が一つ推薦枠を潰してしまったが、結果的に合格者が出たのなら良かっただろう。
 だが次に言葉を聞いた瞬間、そんな気持ちは軽く吹っ飛んだ。
『出展作品――『明日に咲く花』』
 頭が、真っ白になった。
 気付くと私は、ドアを突き飛ばして広い会場に飛び込んでいた。
 客席に集う人々に、二十人のフロアーマスターが並ぶ舞台。
 その一角。
 数十枚ある絵の一番左下。
 間違いなく私の、枯れ花束の絵だった。
 どうして。
 どうしてあの絵が、あそこに。
 私はここにいるのに。
 どうして私以外の人が、あの絵の名前で。
「どうしてっ、どうしてよっ! あれは、あれは私の絵で!」
 半ば泣きながら騒ぐ私に、警備員達が駆け寄ってきた。先ほどの係員も近づいてきて、声高に何か言っている。知るもんか。
 舞台に向かって走ろうとした私を、何本もの太い腕が押さえつけてきた。
「離してくださいっ。あれは私の絵なんですっ」
 叫ぶ私に耳も貸さず、屈強な男達は私を床に押しつける。回りのお客さん達が遠巻きに引いていく。そんな中、私は一人だけ見知った顔を見つけていた。
 ゴードンさんだった。
 助かった。彼なら知っている。彼ならこの状況を救って、間違いを正してくれるはずだ。私はすがりつくように、ゴードンさんに言った。
「ゴードンさんっ、助けてくださいっ。言ってくださいっ、あの絵は私の絵だって」
 警備員達の目が、ゴードンさんの方を向く。何かを問うかのように。だが、ゴードンさんが口にしたのは予想もしなかった言葉だった。
「やめてください。根も葉もない言いがかりだ。警備員の方々、早くその娘を追い出してください。ただの妄言とはいえ、そんなことを大声で言われてはうちの美術館の名に傷が付く」
 今までの紳士的な態度がまるで嘘のような、冷酷な目。私は全てを理解した。
「あなたが……仕組んだんですね」
 ゴードンさんは返事をしない、こちらを見ようともしない。
「替え玉受験。バベル美術員を出して、自分の美術館を有利に取りはからうために……許せない」
 許せない。
 許せないっ。
 私は警備員達に引きずられながら叫んだ。 
「あなたはそれでも、美術館長ですかっ。酷すぎますっ。恥を知りなさいっ。覚えておいてくださいっ。自分の欲望のために美術品を貶めるなら、あなたが美術を愛しても、美術は決してあなたを愛しませんっ」
 そう言った瞬間、ゴードンさんの顔が歪んだ。私の言葉が、痛いところをついたのかもしれない。憎悪に満ちた、炎のような怒りの表情。私は負けないようにお腹に力を入れて見返してやった。だがそれも一瞬。私は無理矢理会場から追い出されそうになっていた。
 だがそのとき、
「よくぞ言ってやったわ、リザさん」
 凛とした声が聞こえた。夏の風鈴のように涼やかな声の主。
 紛う事なき、エイミーさんだった。
「警備員の方々、手を離しなさい。彼女の分のチケットはここにあるわ」
 いつも通りの彼女。黒縁眼鏡に、三つ編みに、白の上着に、猫背に、美しい口元に小気味よい笑み。
 彼女は、ぴらりと気前よく未使用のチケットを取り出した。警備員さん達は困ったように顔を見合わせたが、おずおずと手を離した。
 地面を転がっていた私に、彼女は優しく手をさしのべてくれた。思わず握ったその手は、とても柔らかかった。
「ロキが来られなくなったの。彼ってば、大切な流路確認が入ったとか言って、私とのデートをすっぽかしたのよ。なんでもとんでもない品を盗んだ泥棒が捕まったとか言って。ま、その分のチケットは役に立ったようだけどね」
 彼女は残念そうな口ぶりとは裏腹に、実は上機嫌のようだった。幸運の女神も裸足で逃げ出す、お日様のような笑顔だ。
 だが今の私には、見とれている余裕はない。
「エイミーさん、ありがとうございます。……いつもいつも助けられてばっかりで。でも私のあの絵……エイミーさんはわかりますよねっ、私の絵なんですっ、どうしましょう。このままだと」
 別の人が、私の絵を使って合格してしまう。そんなのはいやだ。それに絶対に許せない。
 私の絵を、バベル美術員になるための道具として使うなんて。
 それは絵に対する愚弄だ。
 そんなことに使われる絵は、あんまりにも可哀想すぎる。
「そうね、止めないと。任せときなさい。あなたのあの言葉、美術を愛しても、美術には決して愛されない、ね。すごく重い言葉だったわ。そう、あなたの言うとおり。私たちは常に、美術を愛するだけじゃなくて、美術にも愛されるように誇りを持たなくてはね。本当によく言ったわ。辛かったわね」
 エイミーさんはそう言って優しく私を抱いてくれた。エイミーさんのしっとりとした肌に顔を埋め、私は涙の伝った頬をすりつけた。エイミーさんからは、甘酸っぱい匂いがした。
「だから手伝ってあげるわ。こんなにも苦しんで、そしてこれほどに絵を愛してくれたあなたなら、絶対に良いフロアマスターになって、この島を良くしてくれるもの」
 彼女はそう言って、私の手を取りずんずんと歩き出した。その歩みは迷い無く、舞台を目指している。
「ど、どうするつもりですか?」
「大丈夫、大丈夫。機械仕掛けの女神様に任せておきなさい。切り札が届くまで、私が時間を稼ぐわ」
 舞台の上では、まさに表彰が行われようとしていた。三十九人目の合格者が舞台に上り、合格証を受け取り終わっている。次に呼び出されるのは四十人目、最後の合格者で、私の絵を替え玉に使った人だ。
 その名前が呼ばれる直前、私の手を離したエイミーさんが、舞台に上った。想定外の乱入に、会場中の観客達も、舞台上の二十人のフロアマスター達も、驚いて目を奪われる。
 だが彼女は全員の視線を集めながら、全く臆する様子を見せなかった。
 逆に彼らの視線を当然のように受け、華麗に一礼して見せた。
 熟練の役者だって、これほどの舞台度胸はないだろう。
「会場にお越しの皆様、そして受験者の皆様、ようこそいらっしゃいました。おかげさまで、本年度もバベル大美術館と、このパトリエ諸島は実り豊かなこの日を迎えることが出来ました。フロアマスター共々、改めて礼をさせて頂きます」
 その朗々とした話しぶりに、会場が飲まれた。
司会者もフロアマスター達も絶句したまま、聞き入っている。良く通る声で客席に語りかける様子は、まるで劇の見せ場でスポットライトを浴びる主演女優のようだ。
「今年度の合格者達も、例年に負けず劣らずの実力者揃い。どの出展も実に素晴らしい作品達でした。これほどの受験者達に恵まれたのも、ひとえに皆様が美術を愛し、この島を愛してくれたからでありましょう」
「さて、その作品達の中でも今年度、頭一つ出て目を引いた絵がございます。そう、この『明日に咲く花』と題された一枚です」
 そう言ってエイミーさんは、私の絵を指し示した。
「枯れた花束という題材を選びながら、それに相反する生命力、力強さを描いてみせる感性」
「悠然と浮かび上がる光と影。レンブラントを思わせる、巧みな技」
「私はこの絵を一度、未完成の時点で拝見しましたが、正直これほどのものになるとは予想も付きませんでした。たった三週間で描かれた絵とは思えません。まさに賞賛に足る一枚です」
 会場からパラパラと拍手が湧いた。どうやら彼女のスピーチをプログラムの一環だと思ったらしい。無理もない。こうも見事に語られては。
 会場の拍手が止むのを待って、彼女は続けた。
「ですが、皆様お気づきでしょうか」
「本日出展された展示品は、実は百九十九しかないことに」
「残念ながら、本日一人だけ棄権をなされた、いえ、棄権を余儀なくされた方がいらっしゃるのです」
 本当だろうか。もし本当だとすれば可哀想な人もいるものだ。
 だが、その一人が最初から受けないでくれていたら、私が合格していたかもしれないのに、と栓のないことを考えてしまう自分が、また少し嫌になる。だが、次の瞬間、
「その受験者の名は、リザ・ボナパルトさんです」 
 ……え?
 耳を疑った。
 エイミーさんは、いったい何を言っているのだろうか。
 はったりにしても、あまりに無理がある。いったいそんな嘘をついて、どうやって盗作を止めるつもりなんだろうか。
 そう思ったところで、聞き覚えのあるヤジが飛んだ。
「貴様、突然現れて何を言うかっ、いったい何様のつもりだっ」
 ゴードンさんだった。どうやら雲行きがあやしいことに気付いて、邪魔しようとしているらしい。その声につられて会場がざわつき始める。舞台の下にも警備員達がやってくる。どうやら場合によっては、引きずりおろす算段らしい。
 壇上に座っていたフロアーマスターの一人が立ち上がった。いかにも重鎮といった様子の白髪のおじいさんは、少し困ったような笑みを浮かべている。
「あー、実に見事なスピーチです。ぜひこのままお聞きしたいところなのですが、その前にぜひあなたのお名前を」
「あら、随分な言い草ね。この私に向かって」
 エイミーさんは、地のしゃべり方に戻ってニヤリと笑いを浮かべた。見る人をゾクリとさせるような、年齢離れした妖艶な笑み。
「この私の顔に気付かないなんて、あなた達それでも芸術家、フロアマスターなのかしら……反省しなさい」
 彼女がそう言った途端、彼女の黒縁眼鏡が宙を舞った。トレードマークの三つ編みも、白い上着も。彼女が空に脱ぎ捨てたものだった。
 そう。それはまさに手品のよう。
 上着がふわりと舞い落ち、その上に黒の三つ編みのカツラが落ちたとき、舞台の上に立っていたのはエイミーさんではなく、天使を思わせる金髪の少女だった。
 桜色の上品なワンピースに身を包んだ少女は、隠していた長い金髪を整えるために、ふわりと身を翻している。その華麗な立ち居振る舞いは、まるで湖の上を舞う、白鳥のよう。
 ぶかぶかの白い上着に隠されていたその四肢は、すらりと伸びている。ノースリーブから覗く二の腕の白さなどは、思わず目を見張らんばかり。
 彼女の右手が目のあたりを撫でる。するとそこから現れたのは、海のように蒼い瞳。まるで最高級のサファイヤのように澄みきっている。
 そして粗野な眼鏡によってごまかされていた鼻。その鼻梁が描くのは、高く、完璧な曲線だ。
 そしてそれらの構成要素が、まさに極まれりといったほど絶妙の采配で置かれ、端正な顔立ちを作り上げている。
 その非の打ち所のない容姿は、まさに芸術の至高。一度見たならば脳裏に焼き付いて離れず、芸術家だったら万金を積んでもモデルになってくれと土下座をするだろう。
 間違いない。ロキさんの絵に描かれていた、あの夢のように美しい少女。まさにその人だった
 その金髪の美少女を見て、会場中の観客達は色めき立った。
「大館長……」「……大館長っ」「オペレット館長だ……」「バベル大美術館館長!」「ヴィジェ・ルブランの再来っ」

「エイミン・オペレット館長っ!」

 その歓声に答えるように彼女は、にぃっ、と笑う。
「ただいま、島中の皆さん。そして、お久しぶりね、お歴々。観ることが職業の美術員が私を見違えるなんて……あとの言い訳が楽しみだわ」 
 相も変わらずの、斜に構えた態度。
 この一ヶ月間で見慣れた、エイミーさん流の不敵で素敵な笑み。
 間違いない、あの人はエイミーさんなのだ。
 ということは……どういうことなのだ?
 ……館長?
 ……エイミン・オペレット館長?
 ……エイミーさんが?
 ……バベル大美術館の、大館長。
 ……フロアマスターを統べる、大館長。
 ……あの、エイミーさんが?
「えええええぇぇぇぇぇっっっ!?」
 会場は歓声で沸き立ち、二十人のフロアマスター達はみな一様に頭を抱えていた。どうやらついて行けないのは、この場で私だけのようだった。一方通行の人混みに、一人ぼうっと突っ立っている気分。いや客席でもゴードンさんだけは顔面蒼白で腰を抜かしているようだったが……あ、失神した。
 まあ、彼はともかく、観客達はエイミーさんの突然の登場に、喜んでいるようだった。
「ど、どういうことですかっ?」
 その情けない声の疑問には、フロアマスターの一人が答えることになった。どっと噴き出てきたのであろう汗を、ハンカチで拭いながら彼は言う。
「オペレット大館長。まさかあなたが、パトリエに帰っていらっしゃったとは」
「あら、帰ってきて欲しくなかった?」
 いきなりこれだ。
「いえ、まさかっ」
 可哀想に冷や汗が垂れてる。拭いてあげたいぐらいだ。
「いつ頃お戻りになられたのですか?」
「三週間ほど前に。この三週間ほどは、楽しませてもらったわ。さしずめローマの休日ってところかしら。シャガール広場で、彼と一緒に食べたアイスクリームは、どんな高級なアイスよりも美味だった」
 エイミーさんの夢見るような独白に、フロアマスターの人達がまた頭抱えた。まるで子供のいたずらを見つけた母親のように、いや、これでは喩えにならないようだ。
「で、では館長殿は、バベルにも帰らず、その変装に身をやつしたまま、三週間も島で遊び呆けていたと」
「遊び呆けていたなんてもんじゃないわ、もうあれね、堕落三昧で脳が溶けるかと思ったわ」
 エイミーさん、そんなこと誇らしげに……。
 ということはよく不定期に家を空けていたロキさんも、もしかしたらあれは仕事ではなくおデートだったということだろうか。
 そう言えば妙に身なりに気を遣ってたような気も。いや、それはともかく。
「じゃ、じゃあ、死んだっていうロキさんの元恋人は?」
「ああ、あれは嘘、全部嘘。私はちょっと顔を知られているから。遊び歩くときはエイミーさんになることにしてるの。だからあの絵は私の肖像画で、彼は、今も昔も私に首ったけ。騙して悪かったわ。でも、すごく驚いたでしょ?」
「ショック死しかけました……」
「あら残念。殺し損ねたわ」
 彼女は金髪を翻すと、華やかな笑顔で言ってのけた。
 彼女のあけすけな言葉に、会場が温かい笑いに包まれる。どうやらエイミーさんでバベル美術館館長の美少女は、島の人気者なのかもしれない。
 ああ、超鋭角フルスロットルの展開に頭がついていかない……。
 だが暖まった空気を引き締めるように、彼女は宣言した。
「さて、皆様。私、エイミンオペレットは、バベル大美術館館長の権限をもって、この『明日に咲く花』を描かれた、ライアン・ベンチューリ殿の合格に――」

「――異議を申し立てさせて頂きます」

 その危険な発言に、会場が水を打ったように静まりかえった。
 誰もが話せない、凪のような一瞬が訪れた。一瞬の静謐の後、ひそひそ声が溢れ始める。
 その声達を代表して、一人のフロアマスターが代表して問いかけた。
「オペレット館長。その発言は場合によって、重大な問題に発展する可能性がある」
「分かってるわ。この場に出てきた以上、私の言葉には公然性が出る。無責任なことは言えない。だから言わないわ、この『明日に咲く花』が本当はそこにいるリザ・ボナパルトさんの作品だなんて。証拠がないもの」
 そのストレートな言葉に、会場は再び静まりかえった。当然だろう、今エイミーさんは、栄えある合格者の作品に真っ向から斬りつけたのだ。
 どういうわけかエイミーさんはすごい人物のようだが、たとえその彼女でもそうそう許されることではないだろう。
 フロアマスター席の一人が、青い顔で問い返した。
「館長、ではこの絵の作者は――」
「野暮は言わないで、第六階のロビンソン教授。ここは晴れの舞台よ」
「ですが――」
「安心しなさい。私が八方丸く収めてあげるわ。簡単でしょう、あなたも私も皆様も、私の異議に納得してくれれば、全てはそれで解決だわ」
「……それはいったい?」
「私が異議。それは本日出展がなかった、二百人目の受験者、リザ・ボナパルト嬢の作品が、とても楽しみだということです」
 その言葉を再び聞き、私は思いあたった。
 つまりそれは、
「あなたは本当は合格していたのよ、リザさん。実は私と彼は、もう一昨日のうちに結果を知ってたの。私が調べてね」
 そうか。昨日何の疑いもなく二人が私に、いきなりおめでとうを言ったのは、そういうわけだったのか。そしてそれが本当だとするならば、
「私は……騙されたんですか」
「そう。あのゴードンとか言う館長は、自分の腹心の部下を合格させるためにあなたの絵が必要だったのよ。たぶん替え玉なんて言う弱みを握っておけば、そうやって合格したバベル美術員は好きに操れるって考えたんでしょうね」
 真実を知り、改めて怒りがこみ上げる。
 酷い。何て酷い嘘だ。
 その残酷な嘘のせいで、私は昨日どれほど苦しんだことか。罪悪感でお腹を痛ませベッドでうずくまった理由が、そんな嘘だったというのか。
 怒りを通り越して、むなしさすら感じてくる。もはやあきれるしかない。
 でもそれが今更分かったところで、どうすればいいのだ。
 一次試験が通っていたところで、私の作品が盗まれたことは変わらない。
 だがエイミーさんは、そんなことをまるで毛ほども気にかけない様子だ。舞台の上の絶世の美少女は、優雅に一礼すると、
「さてと、お歴々。そろそろお待ちかねの時間です」
「チケットを持たないナイトが、吉報を持ってやって参ります」
「不運な姫を救うために」
「明けない夜を照らすために」
「少女の不運に終止符を打つために」
 彼女はそう言って、客席の背後にある出入り口に向けて、その長い腕を伸ばした。
「早く来なさい、警備隊長――」
「――『第零階の』ロキウス・ミザリー」
「――二十一番目のフロアマスター」
「――私を待たせると、後が楽しいわよ、ロキ」
 すると彼女に応じるように、会場の扉が音を立てた。
 その音につられ、皆が振り返る。
 開け放たれた扉からは、うす暗い会場に光が差し込んでいた。それはどこか日の出を思わせる、ぬくもりのある光で。
 その光を背に、ロキさんが立っていた。




 ロキさんは、大急ぎで走ってきたのか肩で息をしていた。額には汗が浮き、髪が少し乱れている。
 だがその表情は、一点の曇りもなく晴れ渡っていた。
「間に合ったみたいだね」
 心配だったのであろうロキさんは、胸をなで下ろしたようだった。
「良かった。見つかったんだよ、リザさん。君にこれを届けに来た」
 そう嬉しそうに言って、片手に持った大きな鞄を見せた。あのタイプのケースは、キャンバスを持ち歩くためによく使われるものだ。
「なんですか……その鞄」
「なんだと思う?」
 手渡された鞄に、少し戸惑う。
 だが、その大きさを見た途端。妙な予感が私の背を走りぬけた。
 ずっと会えなかった愛しい人。その後ろ姿を遠目で見かけた。そんな瞬間に近い、快感じみた予感。
 大きすぎる期待と疑いで、指が震えた。掛け金を開けるのに、三度失敗する。そしてやっとの事で開けた鞄に入っていた物は、私を驚愕させるに十分なものであった。
「どうしてっ」
 私は息をのむ。驚きっぱなしの今日だったが、それは今までと比較にならないほどの驚きだった。
 夢のような出来事だった。
 そこにあったのは、この世にはもうないはずの絵。
 私の最高傑作、ロゼ・シャンシェルジュ最優秀作品だった。
「……ちょっとした幸運が重なったんだよ。世の中って言うのは奇妙な巡り合わせがあるみたいでね」
「実は君が泊まる予定だった『ホテル・ラバンアジル』の火事なんだけどね。実は火事が起きたとき、すでに君の絵はそこになかったらしいんだ」
「ど、どうしてですか」
「実は盗まれてた、そう言うことらしい」
「は、はいぃ?」
「おかげで君の荷物は火事の難を逃れていたんだ。で、その泥棒が昨日捕まってね、しかもその盗品改めをしていた警察官のうち二人が、これを見て騒ぎ出したらしいんだ。この絵は、あの子の絵に違いないってね」
 二人の警察官。
 そう言われて、心当たりがあった。
 きっとあの火事の現場にいた二人だ。
 あのとき、私が取り乱して食らいつこうとした、あの二人に違いなかった。
「二人は心配して一生懸命連絡してくれようとしたみたいでね。今日ギリギリになって僕に連絡が届いたんだ。君を迎えに来た男の人がいたってね」
「で、難を逃れて、君の絵は君の手元に帰ってきたわけ。普通最近の治安の悪さも、ときには考えものだね」
 彼はそう言い終えて、私の手を取った。
「さあ、行こう。エイミー……じゃなくて、エイミン館長も待ってる。足下に気をつけて」
 彼はそう言うと片手で『それ』を持ち、もう片手で私の手を握り、私をエスコートして壇上に上らせる。
 私は夢心地で、雲を踏むような足取りで階段を上った。
「ではこれにて、規定外審査をさせて頂きたいと思います」
 スピーカーからはエイミーさんの声が響いた。いつの間にか司会者からマイクを奪っている。
「エントリーナンバー二百番」
「リザ・ボナパルト殿。ロゼ・シャンシェルジュ最優秀作品賞受賞、バベル大美術館第零階フロアマスター、ロキウス・ミザリー推薦、同館長エイミン・オペレット推薦――」

「――作品名『母の肖像』」

 そして、幾多の不運を越え。
 焼け落ちたはずの母の絵が、舞台に掛けられた。
 私の最高傑作。
 藍色の月夜に歩く、美しい女の人の後ろ姿。
 ああ、この絵なら自信を持って言える。
 私は合格出来ると。
 最初の瞬間、この絵を見た者は誰もが既視感を覚え。
 そして次の瞬間、その女性の正体に気付くのだ。
 会場にさざ波が広がった。
「モナリザ……」「モナリザ……だと」「顔が見えていないのに……分かる」「これは……モナリザの後ろ姿だ」「どうして確信してしまうんだ……モナリザの後ろ姿だって……」「でも、間違いなくモナリザだ」
 そう。
 誰よりもモナリザを愛し、母を愛したこの私が、母のために描いた一枚『母の肖像』。そこにはあり得ないはずの、モナリザの後ろ姿が描かれているのだ。
 銀色の月が煌々と照らす、山道。
 その月に一人の女性が照らし出されている。
 その女性は黒い布を身に纏い、見るものに背を向けいる。彼女は歩きながら月を見ているのだ。伸びた髪は闇色で、それでいて鈍い光沢を放っている。
 だが、彼女で輝いているのは髪だけ。
 黒い服は周囲に溶け込み、その白い肌も危うく暗闇に溶け込みそうになっている。
「なんという切ない絵……まるであの日のことを思い出す……モナリザが盗まれたと知った、あの悲しい日のことを」
 フロアマスターの一人が、そうつぶやいた。横にいた一人も、同調してくれる。
「そう、それに……この極端に低く設定された視点……まるで幼児が大人の背中を見ているようだわ……」
「その子に背を向けて……モナリザが去っていく。月夜の晩に……」
「見ていると沸き上がる……この胸に沸き上がる苦しさ、そして孤独感……」
「だがこれは孤独感ではない……子供の頃誰しも一度は感じた感覚……そう……この感覚は……迷子の感覚に近い」
「それにお仕置きを受けてる感覚じゃ」
「そうですね……まるで、悪いことをしたお仕置きで、暗い物置に閉じこめられている……そんな不安が蘇ります」
「でももっと怖い、救いようもない感覚……」
「迷子でもお仕置きでもなく……そうこれではまるで母に……」
 ゾクリと、寒気が走った。誰もが思い当たり、そしてだからこそ誰もが口にしなかった。
『捨てられるような』
 と。だが、
「少し、違うわね」
 エイミーさんの声だった。
「母にしては美しすぎるわ」
 ロキさんも続ける。
「母の肖像画というテーマの絵では、母性、親しみ、暖かみなんかに比重を置いても、普通の女性的の美しさには重きを置かない。だがこの絵には女性としての魅力が混じっている」
「ではこの人は、本当に母なの?」
 エイミーさんの問いかけに、会場が静まりかえった。
 分かるようで、分からない。感覚として分かる答えが、言葉として表せない。会場中が、そんなもどかしい思いに捕らわれているはずだ。
「少し試してみようかしら」
 エイミーさんはそう言って、舞台の中央まで出てきた。
「彼女の立ち方はこう」
 そう言って、絵のモナリザの通りに立ってみせる。
「目線は月を追い、左手は耳元で髪をなでつけるように、右手は体の前にまわってる」
 彼女は絵のポーズを、ほぼ完璧に真似て見せた。
「……変だね」
「……変よね」
 ロキさんとエイミーさんは、ほぼ同時に言った。
「なんだか、実際にやってみると月を眺めている気がしないわ」 
「ああ、それによく見ると、この絵は光源がおかしい。彼女と月が同じ方向に見えるなら彼女の背は影になり、髪なんか輝かないはずだ」
 会場の人々は、頷く人と、首をかしげる人が半々。その首をかしげた人々の一人、中年女性のフロアマスターが口を開いた。
「……普通なら光の設定を間違えたと考えるところですけど……これほどの技量の持ち主が、そんなミスをするとは思えませんわ……」
「同感ですな。最初はその違和感を我々フロアマスターにすら気付かせない……それほど自然な光を描いています」
「むしろここまで来ると、間違っているのは光源ではなく、月ではないかという気すらしてきますね」
 とロキさんも、楽しそうに付け加える。
「この絵の光源は、絵を見るワタクシ達の背後、このあたりでちゃんと統一されてますものね」
 先ほどの中年女性のフロアマスターは、自分の背後を指で示して見せた。
「そうね……この絵で間違っているのは、月の位置だわ」
 エイミーさんの声には、納得したような色が含まれていた。
「私がこの絵のポーズを真似たとき感じた違和感……月を見ていないという実感……その正体は、月が本来、この位置になかったという証拠なんだわ」
「……だとすれば……なぜここに月が?」
 第六階マスターのロビンソン教授が、自問するように言った。
「トリックよ。この月は、この絵のトリックを成立させるために、後からつけ加えられるように描かれたものなのよ」
「……ああ、なるほどね」
 エイミーさんの一言で、ロキさんは気付いたようだった。
「ここに月があるから、分からなかったのか」
「そうよ。ここに月があるから、私たちの理性は『彼女が月を見ている』と判断した。でも、月がなかったらどうかしら」
 彼女はそう言って、また同じポーズを取って見せた。
「この姿から、次にする動作は何かしら」
 答えは明白だった。
 彼女は会場中の期待に応えるように、それをやって見せた。
 彼女は『振り向いた』のだった。
「そう……これが答え」
「私たちの理性は、この絵を離別と捕らえていた。モナリザが、月を眺めながら離れていく絵。だから寂しさ、孤独、そう言った感情がまず感じられた」
「でも、それだけじゃなかった。切なさや、迷子、それに、まるで母親にお仕置きを受けているような感覚も同時に混じっていた」
「そう、私たちの理性はこの月によってごまかされたけど、私たちの感性は『彼女が振り向いてくれる』ことに気付いていたの。何より彼女はモナリザだもの、こちらを見てくれるに決まっているわ」
「必ず振り向いてくれると知っている。だからこそ、切なさや、母のお仕置きと言った、遠回りな愛情を感じていたんだ」
「それがこの絵の真実」
「モナリザの中に『捨てた実の母』と『振り向き、助けてくれた母』が混在しているんだ。だからこの絵は、通常の母の肖像画とは異なっている」
「だからこの絵の本来の題名は『母の肖像』ではないわ。強いて言うなら『母達の肖像』とでも言うべきもの。そうなんでしょう、リザさん?」
 エイミーさんが最後の答えを見事に、提示した。
 その的確な分析に、会場中で満足げな溜息が広がった。まさに館長たるべくして、館長。皆はそう思っているらしかった。
 いや、それだけではない。気のせいかもしれないが、少なからず私の絵を一緒に感じ読み解く過程を楽しんでくれたようだった。
 その熱が引かないうちに、エイミーさんは再び動き始めていた。スピーカーから声が響く。
「それでは皆様にお楽しみ頂いたところで、そろそろ最後の合格発表と参りたいと思います」
 彼女はそう言って、会場を包むように両腕を広げて問いかけた。
「フロアマスターの皆様方、にお聞きします。この絵の作者、リザ・ボナパルト嬢こそが最後の、四十人目の合格者として相応しいと思われる方は、どうかご起立を願います」
 緊張の瞬間だった。
 肌の皮一枚下で期待がざわめき、同時に不安が胸を詰まらせるという不思議な感覚。
 永遠に味わっていたいその感覚は、実に一瞬だった。
 私の目の前で、動いたのだ、二十人のフロアマスター全員が。
 全員が全員、迷うことなく立ち上がったのであった。
 いや、それだけではない。
「見てごらん」
 いつの間にか横にいたロキさんが、そう言ってくれた。促されるままに、ふり返る。そこで見たもの。その光景は、たとえ人生最後の床にあっても必ず思い出せるであろう、生涯忘れられない光景だった。
 客席の全員が、立ち上がっていた。
 フロアマスター達も、客席の全員も、エイミーさんも、ロキさんも、みんなが私のために立ち上がり、拍手をしてくれていた。
 拍手がまるで、天使が奏でる音楽のように、私に降り注ぐ。
 体の奥から、喜びがじわじわと広がってきた。
 いつの間にか私の頬には、熱い物が伝っていた。
「ありがとうございます」
 この島に来てから、私は何度も泣いた。でもこれは、そんなのとは比べものにならない、本当のうれし涙だった。
「本当に、ありがとうございます」
 鳴りやまない拍手をの波間を縫って、エイミーさんが言った。
「では、ここに満場一致をもって、リザ・ボナパルトさんをバベル大美術館の二等美術員に任命したいと思います」
 エイミーさんの声も、心なしか震えていた。
 きっと喜んでくれているのだろう、私のために。
 なによりそのことが嬉しかった。何もかも最高だった。
 その喜びはあまりに甘美で、私は幸福感に酔ったような気分だった。
「リザ・ボナパルト殿、前へ」
「はい」
 私の合格証は特別にエイミーさんから手渡された。
 合格書を手渡し終わると、驚いたことにエイミーさんは私に抱きついてくれた。みんなの前で恥ずかしいなどと、全く思わなかった。私はそれより、この喜びをエイミーさんと分かち合いたい気分で一杯だった。
 しっかりと抱き留めた。
 私の腕の中に、輝くような金髪の頭が収まる。そう言えば、確かに私の金髪に少しだけ似ていた。残念ながら彼女の方が、ずっと艶やかだったが。
 その美しい少女の声が、私の耳に届いた。
「惚れ惚れするほどに素敵な絵だったわ、リザさん。あなたを信じて良かった。あなたはきっと、美術を愛し、そして愛される人だわ」
「か、買いかぶりすぎです……でも……いつかそうなりたいです」
 心からそう思った。愛し愛される。それはどんなに素晴らしいことだろう。私の言葉を聞き、エイミーさんは確信したようだった。決意で満ちた青い瞳で、私を見つめる。
「あなたは将来、良いフロアマスターになる。だから、まずはがんばってモナリザを見つけてあげなさい」
「はい、絶対に。私は母に会うためにこの島に来ましたから。でも……」
「でも?」
「この島に来て一番良かったことは、エイミーさんとロキさんに会えたことだと思います」
「……言うわね。あなたも私をたらし込むのが上手だわ」
 彼女はそう言って、くすくすと笑った。
 それは彼女の年相応の、少女の笑いだった。
 それがあまりに可愛らしくて、私までつられてしまった。
 彼女の蒼い瞳の中の私は、とても幸せそうだった。
 
 その幸福の中で、私は考えた。
 今の私たちを描いたら、どんな絵になるのだろう。
 抱きしめ合う、二人の少女。
 それを優しく見守る青年。
 きっとどんな絵よりも素敵な絵に違いない。
 そんなことを思っていた。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
寺宙さんの感想
 こんばんは、ブラック木蓮さん。寺宙です。読ませて頂いたので感想のほうをー。

 美術物ですかー。そういえば、以前読ませた頂いた作品も警 備員が主人公の作品でしたね。ブラック木蓮さんはそちら系に詳しい方なんでしょうか。僕は美術のことはギャラリーフェイクを読んだ記憶しかありませんの で、正直最後の母の肖像の月の位置のトリックは、あ、えーと、そうなんだ、と圧倒される感じでした。何と言いますか、銃火器について凄いリアルな数字を並 び立てられた時に感じる、勢いでしょうか。兎に角、よく分からなくても凄いっていう雰囲気は伝わってきました(勿論、褒め言葉です)。
 後、思ったのはブラック木蓮さんは見せ場の見せ方が凄く上手です。というか、キャラに良い言葉を言わせるのが本当に上手いなーと思いました。

>覚えておいてくださいっ。自分の欲望のために美術品を貶めるなら、あなたが美術を愛しても、美術は決してあなたを愛しませんっ

 とか、エイミーさんと一緒で唸る感じです。実は冬企画も読ませて頂きましたけど、ニコと少女のシーンとか素晴らしかったです。その良いなと思わせるシーンのセンスをわけて貰いたいものですw僕は格好悪いほうでしか、人を裏切れない人間ですから。
 褒めてばかりでは何ですので、気になったところを少々。
 たどり着いた先のホテルが焼け落ちていた訳ですが、一月滞在権なども推薦状についていたので、ロキさんに頼る前に、推薦してくれたところに連絡を入れなくて はいけないのではないでしょうか?そうしたら少しは便宜を図ってくれそうですが(まあ、試験は無理かもしれませんが、ホテルの確保くらいしてくれそうです けど)
 後は、ロキさんとエイミーさんの正体が何だかんだで予定調和チックなところでしょうか。どちらかといえば、都合が良すぎるって感じかもですね。何と言いますか、ジャンプの読み切り漫画でありそうな幕の引き方のようでした。まあ、僕は気にはしないのですが。
 それではです。面白い作品をありがとうございましたー。


akkさんの感想
 こんにちは。akkです。
 長編の間の作品に、感想をつけるのは初めてです。慣れないことなのでなんだか緊張します。
 さて、長編ともなると執筆にも時間がかかるでしょう。中途半端ではいけない、ということで気合を入れて感想を始めます(ちょっと長くなってしまいましたが……;)

●題名
 母が燃える? なにやら幻想的なものを喚起させます。『燃え落ちる』『明日』から、夕暮れっぽい感じを覚えます。また、力強さを感じます。惹きつけられるという点では、なかなかに成功を収めているタイトルです。

 読後。なるほど、これが題名になったわけですか。題名はきっかけ作り。良かったと思います。

●文章
 一人称で語られる少女の物語。展開と相まって、焦燥感がこちらまで伝わり、内に迫ってくるものがありました。
 ただ、脱字が多くてもったいなかったです。以下、順を追って私が何か思った部分を挙げていってみましょう。(ついでに粗取りもします)

 最初の一文『母が盗まれた』。
 母を盗むだなんて、大胆な。どういった展開が始まるのか、怪しい雰囲気とともに幕は開けます。旅立ちは母を訪ねて。ですね。


 同一人物の「 」の連続使用。この間の冬祭りでも使っていたようです。まくし立てる感じの雰囲気が出ています。しかし、パッと見わかりにくかったのです。一瞬別々の人が喋っているように思えてしまいます。

●内容
 とても良かったのです。が、それではためになりません。ここはあえていろいろとつっこんでみます(見落としによる勘違いであればすいません)

 構成がお上手です。
 アップとダウンが、次のアップとダウンにつながり、さらに大きなアップとダウンを生む。基本に忠実で、物語として秀逸であると思いました。
 自分の行動が次の自分の行動に影響していくという構造が、読む人の気持ちをむずむずとくすぐります。
 終盤に、情況が次々と好転していくのは、読んでいて爽快でした。

 火事のシーンの演出について。
 唐突感があります。予感を感じさせないように伏線を。例えば、
『船の上から島を見たときに、煙が立ち昇っているのを見る。かまどで陶器でも作っているんだろう、さすが芸術の島』みたいな(下手な例ですが……;)
 そうすると火事は当日になります。当日になったことによって利点が生まれます。1、目の前で消火活動が行われている衝撃。2、寄り道しなければ、もしかしたら。というさらなる追いつめる材料になる。
 追いつめが大きいほど、ラストの爽快感アップです。
 さらにもう一つ付け加えさせていただくと、警官に懇願するシーンで絵についての情報を小出しにしてほしかったでしょうか。もう少しどんな絵かという説明が、序盤に入ってほしかったのです。
  そうすれば、後半で警官が絵に気づくことにも納得しやすくなります。そして、絵画を評するシーンで、最後に突然あの絵が出てきて真相解明となります。驚き はあるのですが、なんだか唐突だなぁ。と思いましたので、最初の方に少しわかっていれば、その感覚は防げるのではないかなぁと思います。

 リザの内面の問題解決、または成長について。
 まずは、リザの性格について分析してみます。

>どこに行っても大切に可愛がられた。

 ちやほやされてきたみたいです。さらに自由奔放な暮らしをしてきたようですし、それなりにかわいい外見をしているようです。
  その環境で育ち、このようなやや自虐的な子になるかなぁ。もう少し傲慢さの入った性格になってしまうのではないのだろうか、と考えました。しかし――違い ますね。肝心な要素が抜けていました。人は新生活(知らない人ばかり)になると不安になり、今までとは違う性格が出てくるものです(深読みですか?)。現 にリザは冒頭の開放(スカートから裾を出すシーン)で、今までの自分とは違う自分になっているではないですか。
 と、いうことはです。仮にリザがこれまでどんな性格だろうと、一人になったとき本当の人格が姿を現した。ということではないでしょうか!

(と、まぁ冗談はさておいて)

  リザは他人に気が使える子に育っているようですね。そう、『助けてくれた母』に親身に育てられてきたお陰です。優しさたっぷりで育てられたリザは、当然反 抗心など弱く、周囲の期待には応えようとする優しい心の持ち主である。よって自己主張は弱めである。自分よりも他人を重視する型です。他人を守ろうとする あまりに自分に罪を着せてしまうこともある子だというのがわかります。
 そんな彼女でも、やはり許せないことはあるようで、怒りの感情のときは食ってかかります。火事の現場、最後のシーンでは食ってかかっています。負の感情に傾いた時には取り乱してしまっています。
 また、本編中の流れから、感情の起伏が激しい、人に頼り勝ち、素直すぎる、自分のせいにしがち、という性格がうかがえます。これらのことから思ったことは、心が成長しきっていない感じだということです。要するに、子どもっぽいんですね。
 新生活、一人暮らし、新しい人間関係。で、子どもっぽい性格。となればつまり少女の心の成長という一つのヤマが見えてきそうです。つまり心の成長があれば、この物語としては完璧に近くなるように思えました。
 で、肝心の内容(物語)です。小さな成長は多々しています。そして夢のシーンの後に、大きな成長の芽は見えています。
 しかし、最後。結果的にエイミーやロキにまた助けられてしまっています。自らの行動を後悔していたのに、また頼ってしまっているのです。さらにリザはあの二人にまだ謝っていないのです。
 それで、何か変わったのでしょうか。今後似たようなことがあった場合また同じことを繰り返してしまうような気もしてなりません。ということは、成長となりえたのでしょうか。
 あと少しで、完璧だったのに。おしいです。

 キャラクターたちの個性がきっちりと書き分けられていて、わかりやすく読めました。
  問題は、町や絵や他のキャラクターたちは映像的に浮かぶのに、主人公が一番浮かんでこない(想像で補ってましたが)ということ。しかし、そこは見事にクリ アしています。一人称ということもあるので、主人公視点からを強調した語りに徹することによって、リザが見えてこないこともそこまで苦にはなりませんでし た。

 絵画に対する愛情が見えてきます。
 ロキの描いた絵を見るシーン、最後に絵画を批評するシーン。絵が目の前に浮かんでくるようでした。脱帽です。

 ロキがリザに惹かれた理由の真相がはっきりとしないままです。
 昔の恋人に重ねて助けたのか、美術愛から出た行為だったのか、決着をつけてほしかったです。(続きものの始まりとしては良いと思いますが)

 エイミーが外にいた理由、または変装していた理由について。
 美術を愛している人なのに、この大事な時期に遊んでいるのですか? だとするならば、いまいちだと思いました。それは嘘であり、リザに気を使わせないため(またはフロアマスターたちに何か隠しているため)の言い訳で、何か他に裏でしていたのかと推測しますが。
 また、

>あれは嘘、全部嘘。

 嘘って……。
 この一連の行動。エイミーの性格からは、ありえないこともないですが、だまされた気分になりました。

 ゴードンさんとライアン・ベンチューリさんはどうなったのか。
 悔しがるとか逃げ出すとか。何か結末がほしかったです。

 フィナーレは拍手を送りたくなりました。映画を見終わったような感覚です。
 しかし、母も見つかっていませんし、この物語は始まりに過ぎないようです。もし続きがあるのなら、そこで解決していない所は明かされていくのでしょうか。
 これからもリザには、数々の困難が待ち受けていそうです。序章だといういうことを念頭に置けば、とても良い作品だと思いました。
 
 ※ 以下、お祭り時のテンプレですが、本作はお題も使用しているということなので。
 ●(お祭り特別編)ライトノベルということでイラストとの相性について。
 絵画を扱ったものなので、もちろんイラストは合うと思います。キャラクターもイメージできますし、描きやすいでしょうね。
 ライトノベルらしい絵との相性も良いでしょう。
 個人的には、塗り方はアニメ塗りではなく水彩塗りな感じな絵が良いかな。と思いました。

 ●お題
 1★ 2☆ 3☆
 捨て子。最後に絡んできたのも良かったです。

 ●本作の○○さ
 困難の苦しさ ★★★★☆
 幸運さ    ★★★★☆
 絵画への愛情 ★★★★★

 点数は+30点。絵画を扱ったという個人的好みで+10点。ですが誤字の多さで−10、リザの成長不足で−10。というわけで+20点です。
 長々と拙文を書き連ね、場所をとってしまい申し訳ないです。ではでは、失礼いたしました☆ 少しでもお力になれば幸いです。


雨瀬さんの感想
 こんにちわ。
 初めまして、雨瀬と申します。
 よろしくお願いいたします。

 久しぶりに長編を読んで感想を書くので、上手くかけないところも多々あるかとは思いますが、よろしくお願いいたします。

 なので、余り欲張らずに書きます(笑)
 率直に言って、面白い、です。
 私個人的にはエイミーが素敵でした。
 皮肉な物言いに、次に何を言ってくるのかと期待しながら読んでいました。
 話の展開もストレートながら、すごく引き込まれるものがありました。
 あと絵画ですね。
 美術に関する知識、文中の描写、解説、読んでいて楽しかったです。
 私が引っかかったのは、二十階立ての美術館ということぐらいでしょうか。
 バベルの塔にかけてということはわかりますが、あのルーブル美術館でさえ、あの広さを使って平屋作り(笑)
 地下から入るし、二階建てぐらいにはなっていたところもあるかもしれないんですが、ほぼ平屋もそれなりの理由があってのことかと……。
 私の記憶がだいぶあてにならなくなってきている上に、本編につける難癖としてはつまらないものですね。
失礼しました。

 最後の難癖としては、冒頭部分でしょうか。
 正確には冒頭の次のシーンですけど、船室から出ると、というのが少々唐突かと……。
 冒頭の語りのような部分があるだけに、前後のつながりがちょっとわかりづらい感じがしました。
 あと船室を出たときの描写ですね。

>お昼近くで陽気な太陽と、ときおり波間でこぼれる日差し。

 お昼近くだから陽気な太陽というのではないほうがよいかなと……。
 かなり私的な考えですが。
 あとは波間から日差しはこぼれるのかなとか。
 波間で踊る日差しとかかなとか……。
 私はまだまだへたくそな物書きのはしくれなので、適切ではないかと思いますが一応です。すいません。

>眩しすぎるほどの光景が、念願かなった私をいっそう愉快にしてくれた。

 この愉快というのではなく、明るいがいいかなと。
 愉快だと、ひどい言い方だときちがい、な感じがしてしまいました。
 冒頭なので気になってしまったのですが、それ以外はスムーズに読ませていただきました。
 リザの独特な口調が楽しかったです。
 全体を通して、とても楽しく読ませていただきました。
 ありがとうございました。

 上記した意見も、まだまだな私が言うことでなかったかもしれませんが、参考程度になさっていただければと思います。
 乱文失礼いたしました。


浜丸さんの感想
 こんにちはです。ブラック木蓮様。初めましてです。浜丸といいます。
 今更書くのもあれかなーと思いましたが、
 せっかく最後まで拝読いたしましたので感想を書きたいと思います。

 でも実は感想書くのはこれで2回目なので、
 何か的外れなことを書くかもしれませんが、その時はご容赦ください。

 えーと。とても面白かったです。
 この作品は、主人公であるリザの目的が初期から明確な上、ラストまでそれがブレないので、ともすれば一本調子に成りかねないのですが、
 そんなことはなくヤマとなる場面が適度なタイミングで入り、
 飽きずに最後まで読めました。

 それと最後の方で、皆で絵の批評をするシーン。
 私は美術関係に関してはまるで無知なので、
 絵をイメージするの時間掛かりましたが、あの場面が「」でポンポンと進んでいったので、大して詰まることなく読めました。
 もし私があのシーン書くと、延々地の文で書いちゃいそうです(笑)

 気になったのは、akk様も触れてらっしゃいますが、
 やっぱりゴードンさんですかねぇ。
 失神した後彼について触れてないなあと、後になって気付きました(笑)

 リザって小切手貰ったまんまなんですよねぇ。そういえば。
 ゴードンの性格からして、そのことについて何か言及があっても良さそうな感じがしました。

 あとリザが途中から絵を「売った」のではなく「盗まれた」ことにしてるのも違和感がありました。彼女の性格ならば、
「小切手? シラネ」
 よりも、
「無理矢理とはいえ小切手受け取ってしまったんだし」
 というのが似合う感じなので、ゴードンを一方的に罵倒するのは
 ちょいアレな感じがしました。あのシーンでリザが
「こんなもの!」とか言って、握りつぶした小切手をゴードンにぶつけたりするとよかったかもです。

>お昼寝が好きで、お散歩が好きなその少女は、何より絵が大好きだった。
 ここの場面が3人称チックだったので、
 普段は3人称書く方なのかなあと思いました。

 んーと、こんな感じですね。
 最初にも言ったとおり非常に楽しかったです。
 リザみたいタイプは書いてて楽しいだろうなーとか思いました。

 ちょこちょこ読み直しながら書きましたが、もし勘違いしてるところあったら本当にすいません。

 それではこれからも執筆頑張ってください。
 でわでわ。(あえて「わ」なのです)


空言さんの感想
 久しぶりに感想を書きます、空言です。

 まず意見を言わせてもらいますと、題材が非常によかったです。
 「美術」と言う難しいジャンルを選択されたのはすばらしいなと思いました。なかなか、見たことのないジャンルの小説なので、新鮮さを感じました。
 また「絵」に関する知識が乏しいと、ここまでの作品をかけなかったと思います。
 無知な僕が、理解できる芸術に対する考え方や見方の表現もきちんとしていますし、
 何より活字によってその絵を想像させる文章力は感心させられるばかりでした。

 キャラクターも個性的でよかったですね。特にエイミーが(笑
 ただ、エイミーにあまりにもインパクトがありすぎて、主人公のリザが少し薄く見えてしまった気がします。
 これは僕の考えですが、エイミーを主人公とした逆の立場から描くとおもしろいんじゃないかな?なんて思ったりもしました。
 それと悪役であるゴードン館長について―
 もっとゴードン館長を腹黒い人にさせ、あの手、この手の悪事をさせておくと緊張感と、その悪事が挫かれたラストシーンが一気に盛り上がると思います。

 これからも頑張ってください!!それでは!


観柳千磨さんの感想
 初めまして、ブラック木蓮様。観柳千磨という者です。
 拝読させていただきましたので、感想と批評をさせていただきたいと思います。

 なお、愚生は基本的に辛口型の人間であることをまず断らせておいていただきます。
 なので途中きつい言い方や、皮肉みたいな言い方も出てきますが、必要な部分だけ参考になさってください。

 では。

・初めに
 良かったです。こんな点数つけといてなんですが、悪くなかった。
 単純に「読後感」だけで評価するならば、僕基準では十分にプラス点をつけても良い完成度であると思われました。

 しかし、ですね。

 後から読み返したところ、この物語に構造的に生じている根本的な欠陥が、物語全体から「説得力」を奪ってしまっている、ように僕には見えたんです。

 結論から言ってしまえば「羊頭狗肉」です。
 序盤と中、後半で言ってる内容があまりにもかけ離れている、言ってしまえば「序」と「急」の不一致のためにテーマの一貫性という非常に重大かつ根本たる要素が損なわれてしまっており、それが物語から説得力を奪う結果となってしまっているように見えました。

 点数の内訳は以下の通りです。

世界観 …… 0点
キャラ …… -5点
構成 …… -30点

 それでは、以下、各項目ごとに詳説させていただきます。

・世界観
 比較的どうでも良いことなので、まぁ、お忙しければ読み流してくださっても、この作品の欠陥に対する重要なものは特にありませんので、大丈夫です。

 ちょっと気になった点を二つばかり突付いてみるだけです。

 一つ目。
 これは本物のヨーロッパですか?
 それとも架空のヨーロッパですか?
 はたまた、二つをごちゃ混ぜにしているのですか?

 僕は芸術に対する知識はしょぼいので具体的な論証はできませんが、もしも「ごちゃ混ぜ」であるならば、止めておくことをお勧めします。

 中途半端に実在する美術家を出しているせいで、他のカタカナ語の部分で、それが実在するものなのか或いは書き手の造語なのかが、知識の無い人にはわかりません。

 その点で、ちょっと不親切すぎるなあと思いました。

 二つ目。
 ヨーロッパ=キリスト教世界です。
 これは中国人にとっての儒教に匹敵するぐらい、彼らの精神に根付いているものです。そんな彼らは当然旧約聖書も聖典としている。
 そう考えたとき、架空であっても「ヨーロッパ」という世界観を使いたいのであれば、そういう事実から目をそらすことはできません。
 で、本題。
 果たして聖典の民である「ヨーロッパ」文化圏の人間が、美術館に「バベル」なんて反骨精神に満ち溢れた名前をつけるんですかね…………?

 それがアンチキリスト組織運営だったらわからなくもないですが、そんな人間少数派に決まってます。
 それが美術界に権勢を誇るだけの美術館になれるの? という点で、ちょっとリアリティが弱いな、と感じました。

 さて。

 雑談はここまでにして、以下、本題に入りましょう。

・構成の話

 いきなりですが、このお話、例の泊まるはずのホテルが焼けた場面から始めた方がずっとマシであるように思われます。
 要するに序盤をばっさり切る、ということ。
 なぜかと言いますと、先にも述べたとおりの「序と急の不一致」の根本がここにあるからです。詳しくは後述していきますが、まさにこのイベントがもう一つの「序」とも言えるような、テーマの変動が物語に生じてしまっている。

 だからこの物語、そこを意識して読んでみると、すごく奇妙で矛盾だらけに見えるんです。

 では。

 まずですが、リザって、モナリザを探すのが彼女の第一の「目的」であったはずで、バベルの美術員になることはそのための「手段」だったんじゃないんですかね?

 お話のかなり初期で、なぜか「手段」が「目的化」してはいないでしょうか?

 ちょっと考えて見ます。いくらパトリエ諸島なるところに世界中の美術品が流通するのだとしても、世の中絶対ということは無いでしょう。ですので、もしも、もしもその諸島に盗まれたモナリザがたどり着かないのだったら、リザのその後の人生は一体どうなってしまうんでしょう?
 何年でも美術員を続けていつかは大館長になっていたとでも?

 僕のこの作品に対する理解を先に述べさせていただきますと、それは「モナリザ探し」に象徴される「母」を、自己の中で受け入れていくことに示される、主人公の成長の過程、です。

 序盤で「母」の話をしており、随所に「母」のことが思い出されたように描写されており、極め付けが「母達の肖像」に込められた真意。
 すなわち、主人公は自分を「捨てた」存在としての母、と「救った」存在としての母、という分離を自分の中で――、とまぁ、僕の解釈なんかは本来的にどうでもいいんです。

 重要なのは「母」ですよね? あれだけ強調なされているのですから。ちょっとそのこを念頭に置いてください。
 もし違っているのであれば、以下は読む意味はありませんので、酔っ払いに出会ったとでも思ってスルーしていただければ幸いです。

 さて。すると、主人公の「成長」はこの作品の主旨に従った時、失われた母の象徴としてのモナリザを探す過程で描かれねばならないはずではないのでしょうか?

 明らかに主人公は、多分母に対して複雑な思いを抱きながら成長してきたのでしょう。
 だから「捨て」と「救い」の二面性なんかを持ったモナリザの後姿なんかを書くに至ったんですから。
 読み手が求めるものの一つである「キャラの成長=心の変化」は、他ならぬ作品自身の意志によって、この時点で既に「モナリザ探し」を通じてしか描かれないことになるはずです。

 しかし蓋を開けてみれば、なぜか絵好きの女の子が失敗を乗り越え、一人の立派な「美術者」になっていく、というごく普通のサクセスストーリーになってしまっています。

 いえ、それ自体は悪くないんです。読後感という点からも僕はこういうのは好きですし、非常に良かったですし、もう主人公が自分は落ちたんだ、と思っている傍 らで受かったことを喜んでくれる友達に対して逃げ出す、なんていう辺りの表現とか、危うくノックダウンされかけましたから。脱帽!……

 けれども、ですね。

 先にも言ったように、テーマの一貫性が無いために、その主人公の「サクセス」も、「成長」という観点から言っても、説得力が消え失せてしまっているように見えるんですよ。

 「母」 を獲得することが主人公の成長を意味するのであれば、例えモナリザ自体が見つからなかったとしても、それと幼い主人公との間にまつわるエピソードをこそ入 れるべきですし、実の母、育ての母のことを示す過程で、彼女の中で「母」に対していかなる心の変化があったのかを、この物語のやり方に則るならば、それら の観点から「母達の肖像」をこそ中心にして表現しなければならないはずです。

 そこを優先すると、はっきり言って、「明日に咲く花」に象徴される「夢の実現」というテーマに物語が乗っ取られているように思えてなりません。

 大体、モナリザの探索に象徴される、「母達の肖像」をも描く過程での主人公の成長が「母への理解」とかの方向性でなければ違和感がありまくりな気がしますし、そうでなければ「母達の肖像」なんてそもそも主人公は書きはしません。

 冒頭の一人称でもあったことを含めて、既に物語としては、「母達の肖像」をこそ強調しなければならない形になっているはずなのです。
 僕にはそう見えます。

 すると「明日に咲く花」は、確かに題材としては良いですよ。実は決して明日に咲くことのできない枯れた花、というのも胸に染みます。
 でも、何度でも言いますが、それって「母」と関係あるんですか?
 「明日に咲く花」って、「サクセス」への布石的な象徴ですよね、どう見ても。

 物語自身が「母」のことを訴えたがっているのに、書き手は気づいていたとしてもシカトしているのか、主人公のサクセスストーリーという全然関係無いことを描写することにご執心で、結果先述した構造的な矛盾まで生み出す始末。

 また、上記のように考えた場合、主人公は傷つき迷いながらも「自らの力」でモナリザを探さねばならないはずなのではないでしょうか?

 にもかかわらず、物語中でのその話題は、単なるお話の「きっかけ」程度として扱われ、気持ち程度に「いつか盗賊団が捕まって戻るやろ」という希望観測的な、それも受動的なものに陥っている。
 これで一体、どう主人公の成長に説得力を持たせようというのでしょうか。

 本来の目的に能動的に動かず、目的化した手段を実現してメデタシメデタシとでも?

 そんなとんでもない読み手の期待への裏切りって、どうなんでしょう。
 そんなんで主人公が成長してるとは、少なくとも僕には思えません。

 いや、確かに「サクセス」面では成長しているでしょうよ。
 でも繰り返しますが、テーマは「母」なんですよね?

 仮にバベルに入った後にそのつてを活用して能動的に探しまくるんだ、という意図があるのだとすれば、そこをなぜ強調しないのか。
 物語中で主人公は、そんな「ギラギラした意志」を全然見せてないですよね?

 なんというか一昔前の、都会に憧れる田舎の女の子、みたいな、いや違うな、「耳を澄ませば」の天草クンがバイオリン職人になりたいんだ、と言っているような夢への「綺麗な意志」しかリザには宿っていないではありませんか。

 冒頭であれだけ「母」を探す的な空気を出しておいて、結局お前なにもやらないでのほほんと成功への階段をひた走って母のことなんか忘れるんかい、と。

 それはそれで良いのですが、だからそれ、冒頭で出した母へのリザの思いからかけ離れてませんか? 変質どころかいきなりリザが別人になったような。

 そんな邪推さえできてしまう矛盾があるにもかかわらず、ラストを「母達の肖像」で締めくくっている。
 これでは説得力なんてあったものではない気がします。

 そもそもですよ?
 以上の観点から、主人公の「努力」は本来ならば、母への理解すなわち「モナリザの捜索」と、五十歩譲って「母達の肖像の完成」に注がれなければならない。
 そうしなければ説得力が失われる。

 にもかかわらず、この作品で描かれているのはごく普通のサクセスストーリーである、ここが大問題なんです。

 僕は初めに、ホテルの火事からはじめた方がずっとマシだ、と言いました。
 それはまさにこういうことなんです。
 作品自体が持つ意志というかパワーというかベクトルを、書き手が完全に無視して書きたいことを勝手に書いている。
 だからむしろ、ブラック木蓮さん自身が「表現」したい「なにか」はサクセスストーリーの方であるように見える。
 故にもう、割り切ってこれをただのサクセスストーリーとして読んでしまうならば山あり谷ありで悪くはなくなるんですよ。

 モナリザの話も、構成において極めて重大な意味を持つ「序」から外し、ちょっといじって、主人公が夢を頑張る試練において潰れそうな自分を励ますというか拠り所にするというか、そういう本当の意味での「きっかけ」にして使えば良かったんですから。

 しかし、そうして完璧にお話の「きっかけ」としてスルーしていればまだマシだった「母」というこの要素が、「母達の肖像」という形で中途半端に残されているのが厄介なのです。

 僕には暴走する木蓮さんへの、作品自身のささやかな抵抗にも映りました。

 で、読み手としては随所で「母」のエピソードを思い出させられる以上、意識してしまい、せっかく読後感は良かったのに、後から読み返してみると、あれ? そういや……となってしまう。

 ちょっと作品の声に耳を傾けていなさすぎです。

 個人的な経験なのですが、ストーリーを膨らませていく過程で「作品が」勝手に一人歩きするのはよくあることで、そこに手綱をつけるのは間違っていると僕は勝手に思っているんです。

 要するに言いたいのは、いくらサクセスストーリーパートがうまくまとめられているからといって、物語から全体から説得力を奪い去ってしまえばそれでは本末転倒である、ということなんです。

 これが愚生の判断基準です。
 愚生が認識している物語の本質というのは、読んだ人に「何が」残せるかであって、世界観が面白かろうが文体が軽妙だろうが「トリック」が優れていようが「す ごいギミック」を使用していようが「伏線が意表を突きすぎ」であろうが「アイディア」が神懸かって斬新でいようが、そこを疎かにしている作品には、愚生は 残念ながらプラス点はつけることはできません。

 非常に個人的な基準であることは心得ていますが、愚生にとっては、こういう面の疎かさは、大きな大きな減点ポイントなのです。構成の-30をもっと分けるならば

 ストーリー表現 …… 30点
 テーマ表現 …… -60点

 です。

 蓋し、物語がなにをもって物語かというと、それは抽象的に言えば「読後感」にほかなりません。そう認識しています。
 一見なにが言いたいのか意味ぷーなカフカとて「不快」な読後感を残しているのですから。

 ぶっちゃけて言えば、その「なにか」はスローガンのように一言では表現できないからこそ、僕達はそれをなんとか「描写」するために、「具体例」として、世界観を構築し、キャラを生み、ストーリー構成を組む。

 そう考えた場合、真の目的たる「なにか=テーマ」から説得力を奪うようなミスは命を懸けてでも阻止しなければならないはずだと僕は思っているんです。

 だからその方程式の一つとして「テーマを一貫させる」というものがあり、それが一番端的に判断できる箇所が「序」と「急」なのです。
 そこで言っていることが一致しているか、否か、ということで。

 要するに「クライマックス良ければ全て良し」で通用するはずがないんですよ。

 いくら終わりでかっこよく締めようが、ラストがすごく良かろうが、始めに言っていたことと全く違うことを言っていたならば、そこには説得力は欠片も生じない。
 そもそもなにが言いたいのかもわからなければ論外は必至なのです。

 よく勘違いされていることなんですが、文体だのアイディアだのトリックだのは全て、書き手が表現したい「なにか」を描写するための「具体例」でしかないはずなんです。

 言葉で表現することが困難な人間の感情の起伏を「描写」するために、書き手は「必要な」世界観を作り、「必要な」キャラの設定などを作り、その「テーマ」に行き着くのに「必要な」ストーリーを作る。
 そしてその過程で新たな「テーマ」が浮かび上がるのもままあることであって。

 アイディアだのトリックだのは、それをエンタメとしてのオブラートに包み込む「演出」程度のものでしかないんです。

 そういう観点から見ると、この物語は、厳しいようですが、一番の初歩に意識が行っていないと言わざるを得ない気がします。

 技術的な言い方をするならば、要するに「夢を求めて」のお話の「序」がホテル火事であり、「母を訪ねて」の「序」がモナリザ盗難なんですが、一つのお話に「序」が二つあるのはどうよ、というのがまず言えます。

 こういうのは普通、なんとかして両方にそれぞれの「結」を用意して、それでもプロではない僕らは大抵は「テーマが分散している」と一蹴されて凹むんですが、このお話ではそれすらない。

 「母」の方の「序」に無理矢理「夢」の「序破急」がねじ込み、散発的に母が抵抗してラストでしゃしゃり出たりするも、結果的には黙殺されるような形になっている。
 だから分散してはいなく、むしろ一貫性ありますよ。
 一貫性が無い、ということが一貫してます。
 だって元々のテーマが、上記の理由によって歪に歪んでしまったんですからね。

・補足
 ここは本筋とは関係無いので飛ばしても影響ありません。
 よく「テーマ」について、「書き手が表現したいなにか」と「書き手の意図」とが混同されています。
 なるほど、確かに「意図」と考えるのであれば、当然読み手は書き手のそれに従うはずがありませんから、テーマを込めることに意味などないんでしょうね。

 でも、僕はそれは間違っていると思います。

 先にも軽く触れましたが、書き手になんらかの「意図」があって、ありきたりな例でいって「命の大切さを伝えるんだ!」とかいうのがあったならば、それは「テーマ」なんかじゃない。

 僕はそういうのを「スローガン」と呼びます。

 極 端に言ってしまえば、もやもやとして非常に抽象的な表現でしか、しかもその表現も自分の記憶の中にそれを格納しておくだけの効果しかない「なにか」こそ が、僕の意味する「テーマ」であり、それをなんとかして表現したいから、僕達は小説を書いたりマンガを描いたり音楽を作ったりしている。

 そしてこの作品に関しては、テーマの説得力が損なわれてしまっている、というのは上記の通りです。

・キャラの話

 リザについて。
 彼女はキャラ立っていますよ。
 が、それはあくまで二重人格少女として、どころではありません。

 同じ皮を被った二人の別人のリザ、という観点に置いてのみ、それぞれは立っているでしょう。
 これを同じ一人のキャラであるなどとは言わせません。それについては、構成の話で述べてきた通りのロジックです。
 要するに「夢を求める」リザと、「母を訪ねる」リザとの間に構造的に矛盾が生じてしまっていて、両立が困難な状況になっているんです。

 「夢を求め」れば、美術員として以後成功の階段を歩み続けるがために、母を積極的に捜すことなどできなくなるために「成長」の説得力が奪われる。

 「母を捜す」ならば、そもそもバベルの美術員になるという「手段」が「目的化」する時点で間違っている。
 普通に考えて、自分もそういう裏取引世界に入ることで情報収集しようとするとか、バベルなんかに入らずともそういう人脈を作っていこうとするとか、要するに「積極的」に行動するはずですから。
 そうなってくると、「夢を求め」てる場合なんかじゃない気もします。

 とまぁ、ちょっと極端に分けてみましたが、もちろん、そうではありませんよね?

 個人的な解釈なのですが、多分ここの「合一」が失敗しているんだと思われるんです。

リザの中に二つのものがあって、それが同時に絡み合って現れてきているにもかかわらず、書き手としてはそれをぶった切って変な接木の形でしか表現できていない、ように僕には見えるんです。

つまりリザの行動の根本は、先の論理からも「二つ」用意されなければならない。

 早い話が「夢を求め」るのなら、そういうエピソードを強調しなければならず、そっちの「序」に相応しい「破急」をしつらえ、難しいかもしれませんが、それに「母を捜す」という「序破急」を上手く絡め、書き分けなければならなかった。

 にもかかわらず、先にも述べたとおり、出てきたのは「夢」の方の「序破急」に「母」のが歪に浮き出た形であった。

 そんな風に思われます。

 奇妙なんですよ、要するに。

 主人公の行動の根本を示すはずの「きっかけ」では確かに「夢」も「母」もラストの一文で書かれていますよ。でも、あの冒頭で示されている主人公の目的の方向性って、明らかに「母」ですよね?

 だから、後の展開では「夢」が明々白々にクローズアップされているから、「序破急」が成立していないのだ、と僕は断言させていただいたんです。
 
 いっそのこと別々のキャラにして、それぞれが「夢」「母」をテーマにした芸術短編小説にした方が早いぐらいに、そこのところが違和感ありまくりなんです。

 口すっぱく言わせていただきますが、僕が物語構成の真髄の一つだと思っている格言に、「はじめと終わりで半分以上の価値が決定する」という趣旨のものがあります。

 それは、そういうことなんです。

 そういう点で、ちょっと主人公がせっかくキャラとして立っているように見えたために、もったいなさ過ぎると思ってしまいました。

 次にロキについて。
 都合良いですね、このキャラ。
 エイミーがいて初めて個性が見出せましたが、エイミーがいなかったら、どうなんだろう?

 帽子とってもらって困っているところを助けてもらって家にまで泊めてもらえて。

 キャラがキャラ自身として、その島で警備員として生活しているという空気が感じられてきません。普通の好青年、という型にはまった感がどうしてもぬぐえないのです。

 なんだかエイミーの付属物として考えたからこそ、キャラ性がはじめて見えてくるというか。

 要するに彼単体で考えたとき、彼が登場しない場面では、なんだか控え室でコーラでも飲んで汗を拭いてそうな、そんな感じでした。

 このことって、実は物語の雰囲気にも言えます。
 木蓮さんは随分と芸術に造詣が深いみたいですが、いかんせん、そっちの描写ばっかりで、パトリエ諸島にしてもそこで生活している人にしても、画一的な表現しかなされていません。そんな気が激しくします。

 特に微妙な悪役となるゴードンさんですが、その場で出した感しまくりです。
 登場シーンまでは、ずっと自室で電源の切れた人形として座りつくしていたかのような、そんな印象がします。かなり偏った見方なんですが、ね。

 そういう意味で、ムードが芸術一辺倒になっている感じがします。
 ちょっと知識から離れた描写をなさってはいかがでしょうか?

 次にエイミー。
 キャラとしては立っています。あまり指摘するところはありません。

 強いて言うならば、彼女がロキの絵にある少女であるということのヒントをもっと散りばめるべきです。
 ああいう「ジョーカー」的なキャラクターは、ギリシャの演劇の用語で「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)」と言いまして、要するに話をまとめるためのご都合主義の権化。

 だってそれだけの権力者なんですから、極論ゴードンより酷い罠を張った悪人がいたとしても、ああいう「試験」という条件下で絶対的な力を持つエイミーが鶴の一声をすれば、主人公の窮地は救われてしまうではありませんか。

 実はそういう観点からいくと、サクセスストーリーとして見た場合はまだ許容範囲ではあるのですが、主人公が自らの力で積極的に問題解決をするチャンスを奪った、という意味でその「成長」を奪ってしまう、という厄介すぎる弊害を生んでいる気もしてなりません。

 このことは構成の話でもっと深く触れようとも思ったのですが、それよりも、の方がありすぎましたので、割愛させていただくとします。
 
 要するに「物語」は別に書き手が読み手と真剣勝負をしているわけでもないので、相手に有無を言わせぬ「切り札」は安易にバンバン使うのはどうなんだろうね、ということです。

・終わりに

 以上です。
 偏屈な意見の塊とも言える批評でしたが、何かしらの参考になれば幸いです。
 では。


彩珠さんの感想
 読みました。
 ネットで長編を読むのは自分、初めてなのかもしれません。100枚前半だからこそ読めたのでしょう。ですが、それは偶然だと思ってく ださい。PCのディスプレイで百枚超の作品を息継ぎなしで読むことは、よほどの暇人か奇特な人でなければ出来ない。だから総じて感想が少ないのだ長編は。
 少なからず作品の質どうこう以前の問題として、長編を読むこと自体が普通の人にとっては作業で苦痛です。(書くのはもっと苦痛だというのは承知してますとも)
 当然ながら登場人物だけをあらすじ代わりに出されてもそれを読む切っ掛けとして認めるのは難しい。
 冒頭で引っ張れ! とかそーいう話ではなく、枚数があればあるほど読まれにくいのは言わば当たり前の話、として認知しておいてください。だからと言って内容が無い掌編を認めるわけにもいかないのだが。
ですから、ここの投稿室で作品を上げている人たちにはもっと「読ませる工夫」をしてほしい。(それは後で記述します)

■講評(これだけ見るのが正しい。他は戯言として処理してください。)
 美術をテーマにした小説・漫画・映画は割と多く存在する。最近であれば「ダヴィンチ・コード」なるものが一時期ブームになったりならなかったりした。漫画で あれば「ギャラリーフェイク」だ。小説、ライトノベルでいうと「月の盾」なんかが私の記憶には新しい。ドラマなんかだと「ピュア」(古いな……)があった か。
 各作品、絵画をテーマとして扱ってはるが、その実内容は絵画とはとんと離れたものである、ということはよく知っての通りだと思う。まあつまり絵画はあくまでも舞台設定の一部なだけであって、ギミックであってテーマではないのかもしれない。
 確かに、そうだ。芸術は語られるものではない。どんなに薔薇の紅いを、空の青さを、木々の緑を言語化したとて、光を持たない人にはその素晴らしさを伝えられない。
 大川興行の総帥も嘆いておられました。
 だからこの作品の後半でもあったような「絵画作品への評価」というのも、本当のことを言えば全部茶番です。そんなものの為に絵画が舞台として設定されてはいない。
 そう、「ダヴィンチ・コード」ならばキリストさんの話だし、「ギャラリーフェイク」なら殆ど探偵ものだ。
 「ピュア」「月の盾」はどうか。これらも美術はあくまで副題で、作品の大筋は「かわいくて可哀想なおにゃのこを頬を緩ませながら見守る」という話だっただろう。
 そういえばアニメ版「時をかける少女」では一枚の絵画が物語の重要なキーとして作用していたように思うが、まあこれも絵画はテーマではない。
 絵画を舞台にしたことは売り言葉にはならない。では何を強調しよう。
 キャラクター、か。それとも精緻なプロットに基づくストーリーか。感動のシナリオか。トリックか。残念ながら、この作品ではどれもが半端に終わっている感が強 い。(詳細は後に記しますが、無視して構いません)キャラクターにしろ、シナリオにしろ、どれも突き抜けた何かがあるわけでもなく、物語としての事件性も イマイチだ。なにより、最終目的地点が俗なせいで、読者としての到達感もそれほど得られないように思った。
 昨今のオタク的萌えイズムというか、そ ういった媚びは見られるものの、あざとさが弱い上に、そもそもキャラクターに没入する、《占有権を主張しても構わない》といったような隙のある萌えを演出 できていないのが気がかりだった。主人公が女の子のせいもあるだろう。萌を強く主張したい場合、こういった作品の構成はある意味致命的である。そのへんは 男性向け成人ゲームなどをプレイされて鉄則がなぜ鉄則となっているかを勉強されたし。これにより、キャラクターのどれもに魅力が欠けてしまった感は否めない。
 話の大筋は纏まったものであり、プロットレベルで見ればおそらく不都合が無い様に完成されている物語であるとは思う。だがエンターテイメント になるための要素に足りない感触が否めない。無論、要らない「イベント」だとかを無理に盛り込んで話のリズムを悪くさせるのも問題であるが、総じて話全体 がどこかで見たような、普通の話であるからして、これそのもので仮に新人賞などで勝負をするには辛いであろう。
 特色らしきものがない上に、萌え文学のフォーマットとは違っている。誰に向けての話だろうか。せめて里見浩太郎だとかを探偵として出せば、見えてくるものがあったかもしれない、が。
 技術的な点を見るに、長編としてもちろん良くできてるし、話としてはダメではない。が、エンターテイメントとしては難しい。
 もっと読者なり、ターゲットを絞って書くと良いだろう。そうでないなら、おとなしく探偵を出すべきだ。

■設定周り
 半ファンタジーなんですよね? うん、一応シチリア島をイメージしました。地中海の真ん中に浮かぶリゾート地を舞台に選んだのは多分間違いではないでしょ う。バベルタワーというのも、名称を借りているだけあって想像しやすいものだったと思います。ただ、随所に「漫画的」なディテール(20階ある建物には 20人の美術マスターが……)を強く感じました。これは別に悪いことではないです。が、ライトノベルという範囲で考えた場合、「特にSF色があるわけでも ないのに」「特に吸血鬼とかが出てくるわけでもないのに」無駄にそういった設定を持ち込んだ場合、リアルリアリティを志向したライトノベルを所望している 読者は引くかもしれません。
 ここでの想定読者は乙一とかが好きな人たち。橋本紡先生の作品が好きな人も、同じでしょう。
 そもそも外国を舞台にしてるんだからリアルだとかリアリティだとかは無視してもいいとも思いますがね。
 そーなってくると、この作品をファンタジーとして見る必要性が出てきます。でも、先述の通りファンタジー色は薄い。ならどういう作品になるか。
 著:桜庭一樹『GOSICK』ですよね。
 そう、対象読者はミステリ読み。(富士見ミステリーがミステリ作品を排出しているかどうかはこの際置いておきますが)
 な らば今回の絵画消失事件なり盗難事件は、探偵が捜査する領分にすれば良かったのではないか? もしくは、少女が探偵になるか。個人的な意見としては、 「ギャラリーフェイク」方式を導入して、探偵が関わった1エピソードとしてこの話を処理すればよいのではないか、と思いました。主要キャラクタの数が少な いので、そうでもしないとキャラ人気を取るのは難しいことでしょう。


■キャラクター周り
 あらすじで大まかなキャラクタが紹介されていますが、そこに挙がっているのは「たった」4人ですし、本編で描かれているのは実質二人です。(ロキ君空気じゃん)
 少ない。
 それも、一人称で話が進むものですから、リザちゃんの内面以外が描写されている場面も思いのほか少ない。エイミーさんに関しては準主役級、ということで良く書けていると思いますが、結局のところそれだけですよね。

☆リザちゃん
 主人公なんですが……どうも発言と行動に稚拙さが漂う。
 「燃えてしまった」絵に対しての執着はそれほど強くなく、説得されればすぐに他の絵を書き出せちゃう。よく言えば明るい子で、心の強い子なんでしょう。でもどうやら頭の方は弱いらしい。

>最近多い盗難も
 ゴードンさんが絵を認めるシーンなんかでは

 セキュリティはある程度万全であろう美術館であってもこういう発言が飛び出すあたり、犯罪発生率が結構高いことを知っておきながらリザ少女は宿に「母の肖像」を預けていた、と。
 リザ少女、迂闊も迂闊でいいところなんじゃないか? ……まあ少女なんでそれが適当ではあるのですが。タバコの煙を気にする割に窃盗だとかには無関心(売れる絵をいくつか描いてるんでしょう?)なのは正直どうかな、と。

 後半戦付近。不合格になってるシーンで

>だが私の弱りきった心には
 みたいな発言が見られました。
 この少女、大分前からそう思ってたんですが、決して内気ではないしネガティブでもない。自分が孤児だったことはトラウマでもないし、母の絵が燃えてもすぐ機 転を利かせて新しい絵を描きだせるほど、「心の強い」少女でしょ? 軽薄ですが、ネアカじゃないですか。こんなことで心が折れるものか? 「拙作なんだか ら、落ちてもしょーがねーな」くらいのことは言ってもおかしくない。

>私はまた、なんて取り返しのつかないことを
 余裕で取り返しが付くでしょう。踵を返せばよいだけだ。
 帰ってきてからも悩みに悩んだのならば、次の日に移るまでに言い出すだけの気持ちの整理は付けられるはずだ。リザ少女なら。

 これはややもすると「物語のためにキャラクタを動かしている」と取られてしまう可能性も無きにしも非ず、でしょう。心中を慮れないキャラに感情移入などできるものか。

☆細かいところ(ここは妄想ポイントなので重要!)
>抱きついてすりすりしたくなってしまった
>心の中で、すりすり。

 はい、主語が抜けていますね。
 「誰」の「どこ」と「どこ」を「どのようにして」擦り合わせるのか。もふもふするのか。もうちょい肉感的に書きません? 
 そして、すりすりするとどのような快感が得られてどれ位幸せになれるのか。「諸君、私は〜」ぐらい偏執的に語っても良いじゃありませんか。

 ……ほかは面倒なので書きません。

■構成周り
 最初のシーンで宿が燃えている、という唐突な演出は非難されるものではないですが、自然災害過ぎて読者にも主人公にも納得の出来ない出来事のような気がします。
 「とりかえしのつかない」感を演出するためには、主人公にも落ち度を設けると良いでしょう。銀行の金庫で預ければよかったんじゃん? みたいな話をされると悲壮感が強調できてナイス。悔やんでも悔やみきれなくなるくらいで丁度良い。

 中盤戦の替玉シーンなどは……まあありでしょう。もうちょっとだけゴードンさんを悪役然とさせたり、逆転劇が起こったときには逮捕、くらいまで話を興しても よかったかな、とは思います。カタルシスるんなら憎めるキャラクタまたは痺れる憧れるキャラクタを「敵」として配備して悪い事はないでしょう。そういった 善悪二元論は頭が悪くて嫌いですが、しかし人気があるのもまた事実。

 最後のシーンでは、美術員になれてよかったね、で締めていますが、こ れが個人的に気に食わない。「母の絵」を見るのが目的ならば、もっとご都合主義的なトゥルーハッピーエンドとしてのクライマックスとして、母の絵に出合っ て締めても良いじゃないか。なんで門の内側に入っただけで止まってるんだ。
 そもそも、母の絵に出合うのが目的だったら「自ら泥棒になる」という選択だってあったはずなのに――(ここは文句を言うべき場所じゃない)

■気になった点
 個別解答は求めません。言い訳するくらいなら作品を太らせたほうがいいでしょう。

☆リザ少女の本来の予定?
 試験を受けるまでの一ヶ月間、リザ少女はいったい何をする予定だったの? 何か予定があったはずでは。それを全身全霊絵を書き直す作業に宛てちゃって、いいの?

☆替玉受験について?
 ……え? 「リザ少女は試験を受けていない」の? 
 ……第一次試験の合否通知が欺瞞されていた、って考えでいいのかな。それとも、同じ美術館から別の人員に試験を受けさせる際、持ち寄る絵のみをリザ少女のものと挿げ替えた、と考えるべきなのかな。
 その場合に(おそらく)展開されていた状況を顧みるに、

・ゴードンさんに「不合格」だと通知をされた
・不合格のショックが大きかったのか、書類だとかは見ていない。

 ……リザ少女、相変わらず注意が足りていないんでしょうね。しかしそれ以上にゴードンさんの企みが上手く行きすぎてる気もしましょう。
 の、割にはゴードンさんは後の見通しが出来ていないような気が。

 「発表会の場には199点の絵しかなかった」
 ……スケープゴートとして出したリザ少女の絵は「ない」ということですね。だから失格なのか、なるほど――ってなるかなあ。「おみゃーさん、絵を提出されてないがいったいどういう了見で?」くらいの注意勧告を受けてもおかしくないでしょう。で、

>あなたは本当は合格していたのよ、リザさん。

 これで益々替玉欺瞞トリックだとかの仕掛けが分からなくなっています。リザ少女の席を替玉にしているなら、発表会の場での欠員は0ですよね? 絵を替玉にし ても合格してるのならば、別に替玉にしなくても合格はしてたはずですよね? ゴードンさんには二次試験を通るような素材が無かった、ってことなのかしら ん。
混乱が混乱を呼ぶ。もうちょい明確な説明を求めます。

☆【どうでも】旅行者についての考え方【いい】
・前金で宿に一ヶ月の料金を払っているなら、ほぼ確実に同等額が充当されるでしょう。同じクラスの宿も斡旋してくれるでしょうし。
・前金でなければ、一ヶ月泊まるだけのお金は手元にあるわけで。三食宿つきを探すのは比較的楽でしょう。先ほど言ったように、代替宿の斡旋もあるはずですし。

 旅人に野宿をされるのは治安上良くないですから、旅行者というものは可能な限り宿に泊まるべし、というようなガイドラインがあったりします。日本にも。
 ビジネスホテルなどに泊まった事があるならばお気づきでしょうが、宿泊者がチェックインの際に必ず書かせられる宿帳には、住所氏名年齢に加えて前宿泊地、国 籍まで書く欄が存在します(虚偽の記載でも問題は無いのですが)。つまり、これらは正式に、日本国におけるお役所書類なんかと一緒で、ログとして機能しま す。
 刑事事件でも民事事件でも、警察なり検察から資料を求められたら、これらの書類は証拠として提出されるんですね。
 これにより、如何に長期の旅行者であっても日本国内、どこからどこへどう旅行したのかの足跡がたどれるようになり、事件捜査の際に被疑者の大まかな行動予測が付けられるようになります。
 また、一ヶ月程度であればまあ無いでしょうが、半年以上の超長期旅行であれば、住民票の移動が推奨されます。もちろん移動先は旅先で。他人の家に長期滞在する場合も同居人として届けたほうが良かったりするんじゃなかったかな。
 ですから、これは考え方の一つでもなんでもなく国の在り方としての事実なんですが、「自由である人は認められない」ようです。
 シチリア? あたりがどのような政策を執っているのかは知ったことではないですが。近代の政治とはそーいうもんらしいです。

 あと、観光地のホテルがシーズンならどこも満杯かというとそういうこともなく、条件を絞れば宿がない状況なんて……無い、はず。
 少なからず、奔放な一人旅が趣味の私は急な宿とりで失敗した経験がありません。離島でも、シーズン中の観光地でも、田舎町でも。大体、交通機関などからその地に於ける観光客の数は推測できるものですし、ホテル業者は余裕を持ってホテル宿を用意しているもんです。


■どうでもいい話(読まれやすさについての提案)
 長編の間、だからといって大きな区切りもなしにテキストをどん、と出されても、当たり前ですが読めません。集中力が続きません。普通のラノベでも一冊読むのに一時間以上かかるというのに。
 ならば読みやすくするために、推奨される読み方について作者からティーチしてみては如何か?

 単に少ない時間で読んで貰うためには、「要約」という技術を示唆するのが良いかもしれません。(私は全部ちゃんと読みましたよ。一応)
 この機能はワードや一太郎にツールとして付属しているもので、テキストの全体を、内容を削がない様にして何割かのサイズに圧縮してくれるものです。
 これでこの作品も原稿用紙X0枚クラスの長さとなり、読了できる人も増えるでしょう。
 ですが小説などでこの機能を使うと大体行間まで圧縮されて本質がすっ飛ぶ(汗)お勧めはしません。

 皆さんが小説を読む場合に、途中で読書を中断したくなったときに使うものは、なんですか? しおりですよね。
 PC上のブラウザ、特にこの投稿室の表示では、実質しおり機能は無いも同然。一度閉じればまた最初から読み直しだ。
 ならば、しおり機能を持つテキストビューアを紹介したらどうだろう。窓の杜の、自分が遣いやすいと思うソフトにでもリンクを貼ってみるとか。

 また、長編小説を途中で止む無く中断するばあい、どの辺で止めますか?
 そう、「章」ですよね。章題をつける必要までは無いですが、何章かに分けるとより読みやすくなるでしょう。

 個人的に長編ネット小説を読ませるのに適した方法としては
 ZIGZAG
 http://zigzagbooks.jp/novels/ranking.html
 の方法を採るのが良いと思われます。

 ZIGZAGでは、必ず小説を話立て、または章立てにして細かく区切ります(作者が区切ってるわけではなく、編集者が独自に区切っているらしいとの情報)。区切りサイズは結構まちまちなようですが、概ね原稿用紙30枚前後で区切る例が多いようです。
 投稿室の機能としてHTMLの”#”ジャンプタグが埋め込められれば良いんですけどね。
 執筆はアウトラインプロセッサを用いてらっしゃりますよね? ならば項目ごとに章として区切ってしまえばいい。
 そして、章頭には「1.」だとか「2.」だとかインデックスを振るだけでも良い。これだけで大分読まれやすくなるとは思いますよ。(ここにいる全員にそれを言え)

■まとめはしません
 以上。キャラクタ小説を書くならば、もっと萌えるキャラを沢山欲しい所です。
 あと、実際にやってるかとは思われますが、ノベルチェッカーにこの作品を通した結果、原稿用紙158相当という数字が出てきました。……この枚数で募集している新人賞は少ない、ですよね。短編でもなければ長編レギュレーションにも入らない。中篇賞なんて聞いたことが無い。
長々と感想を失礼いたしました。それでは〜


巴々佐奈さんの感想
 ブラック木蓮様

 はじめまして、でしょうか? 巴々佐奈と申します。『燃え落ちる母、明日に咲く花』拝読いたしました。
楽しく読ませていただきました。話の骨格がしっかりしていて、キャラクターの描きこみも丁寧。伏線もしっかり張られていて、レベルの高さがうかがえます。
(母が盗まれた)
  冒頭の書き出しに引き込まれました。まぁ、普通はこんな言い回しはしませんし、何が起こったのだと思わず事情を聞きたくなります。そこから、冬企画の御題 『私は捨て子だった』につないで、さらに読者の関心をひいて主人公のキャラクター付けにつないでゆく。とても上手いやりかただと思いました。
(白い帽子の少女)
  読んだ後、グールグルで真っ先に探したのがこの絵。あれ、あれ、あれ。フェルメールの作品リストを探しても、白い帽子の少女なんて作品はない! 赤い帽子 の女ならあります。 やられました。フェイクですね。そもそもフェルメールの時代は日本でいうなら江戸幕府ができて間もないくらいですよね。当時の女性の 装束って、どうもほっかむりみたいなのばかりらしい。赤い帽子だって、現代の女の子が被っていたらド目立ちしてどうしようもないものです。
(リザ・ボナパルト)
  出生の事情からリザと名づけられたのは判らなくもないのですが。ボナパルトっすか? 随分と偉い名前なので違和感が。アフリカ系アメリカ人がラスト・ネー ムにルーサーとか、キングとかつけるノリなのかなぁなどと想像してしまいますね。本作の主人公の属性とこのボナパルトって名字がどうつながるのか、あって もよかったかもしれません。
(キャラクターの掘り下げ)
 本作をざっとみた印象ですが、もう少しキャラ描写を加える余地はあるかな、と 思っております。例えば、ロキは作者さんも書かれている通り、空気とまでは思わないものの、存在感がちょっと薄かったです。また、リザの人物像ももう ちょっと描きこむ余地があると思うのです。特に中盤。一次試験不合格をロキとエイミーに告げられなかった時のリザの心情。ここに至るまで、言うべき事を言 えないキャラだとは思ってなかったのであれ? と首を傾げました。たしかに、絵が燃えた時には脆さを露呈しているし、ゴードンに押し切られて小切手は受け 取っているのですけど、何を描くべきかを悩むよりも何を描きたいかで判断するべきことを知ってる人ですよね。ちょっとこの部分はちぐはぐさを感じました。
(伏線の張り方)
  ゴードンの扱いに関しては、あまり成功していないと思います。絵の前で煙草をふかすのはさすがにリアリティーを損なっていますし、伏線としてはあざと過ぎ る様に思われました。彼はパトリエの治安の悪さを象徴する人物なのですから、もう少し見せかけの善人度を上げて、早いうちにストーリーに絡ませた方が面白 くなったと思います。
 エイミーの正体についてももう一工夫欲しいところですね。野暮ったさを演出する描写があまりにも明確なので、オチが読めてしまいます。
(世界の広さ)
  あと、ストーリーの大半がロキのアトリエで進んでしまうのももったいないと思います。その分、リザとエイミーのキャラは描写されていますが、その分パトリ エ諸島やバベル美術館の描写が通り一遍に終わってしまっている感があります。ここは、画材の買出しイベントでも起こして、こそ泥と追いかけっこでも演じさ せて島めぐりをさせても良かったかもしれません。
 リザとエイミー(そしてかろうじてロキ)はしっかり描かれているのに、その他のキャラは平板な のがマイナス印象でした。本作の冒頭に冬企画の御題がある所をみるに、当初短編としてプロット組みをしたけれども、短編におさまりきれなくなったと見まし た。時間的にみて短編の設定を水増しして長編にされた印象です。せっかく設定された世界に広さをあまり感じられないのはそのせいでしょう。
(総評)
 総じてレベルは高いです。欠点としては二つ。ストーリーラインが明確になりすぎていて、展開を読む楽しみが奪われてしまっていること。当初、短編をつもりを 短時間で長編に焼き直したせいか、作品が小さくまとまりすぎていること。まだ完成度を上げる余地はありそうです。そう考えると、小説もまた油絵に近いもの なのでしょう。ブラック木蓮さんの作品はまた読ませていただきたいと思っております。
 点数は個人的に理不尽と感じる点数つけがありますので、ほんの少しだけ割り増しさせていただきます。
 それでは、面白いお話ありがとうございました。


元ガス屋さんの感想
 元ガス屋といいます。読ませていただきました。
 仕事場で、かわいらしいポップを書いたつもりが、ジャスコのタイムサービスで「キャベツ100円!」みないな字体になったり、キャラクターのポップを書いても、ドラえもんが、さいとうプロみたいな劇画になってしまう、絵心ゼロのぼくでも十分に読むことができました。

 船で汗ばみ、帽子を気にする少女ってことで、最初はデュラスの「ラ・マン」を想像して勝手に別方向の期待でドキドキしてしまいましたが、ストーリーがいいですね。
 各キャラもいい味出してんですが、一番はやっぱエイミーさんですかw
 あんたは遠山の金さんか! って突っ込みたくなりましたが、あの場面はあれでかっこよかったと思います。可逆性とか非可逆性なんて言葉を思い出しながら、ニヤニヤしながら読んでおりました。
 内容的にはぼくから、ああだこうだ言うべき部分はありません。
 「完敗」です。
 自分にここまで、掘り下げて、魅力的なキャラが魅力的な世界で活躍する話は書けないと思います。
 いや、いい作品を読ませてもらいました


鋼野独歩さんの感想
 halky改め鋼野独歩です。初めまして。
 読ませて頂いたので感想をば。

 全体的に安心して読める筆運び。
 食後の一服しつつ読むのにもってこいでした。素材の味を活かしたデザートって感じ。ほんのりした甘さが素敵だなー、と。
 ご馳走になったお返しにいくつか気になった点を。

・母が盗まれた
 皆さん言ってますが、やっぱりいい導入だと思います。簡潔で判りやすく、かつ読者に疑問を持たせる一文。
 よく「広がりのある文から始まる小説は面白い」って聞きますが、まさにそれを体言している冒頭でした。
 ぬう、ちょこざいな…ッ!と思わず武将風に歯軋りしたのは内緒。

・モナリザの娘
 キーワードとして巧いと思いました。キャッチーだし、リザというキャラクターを上手く象徴してるなぁと。
 というか、むしろコレがタイトルでも良いような気が。
 こういうインパクトのある単語はそれだけで読者を惹きつけます。ので、この小説を「商品」としてみるならトータルイメージも考慮したほうがいいでしょう。
 いくつか引っかかった部分はあったものの、全体的にはそのレベルに達したお話だと思いました。

・リザ
 素直に好感の持てる主人公でした。客観的に見れば不幸な生い立ち。それでも、その不幸さの中に自分のアイデンティティを見出す前向きさは見ていて気持ちがいいです。
 ただ。
 同時にちょっとおとなし過ぎるかなー、とも思いました。
 (単に好みの問題ですが)普段は割りと常識人ですし、ここぞというところでもっと爆発させてもいいような。ゴードンに騙された時も、ぱんちくれてやるくらいで丁度いいんじゃないかと(笑

・伏線関連
 正直、特に衝撃を感じるような部分はありませんでした。しかし、それによって作品に安定感を持たせることに成功しています。伏線が読者を驚かせるギミックではなく、物語自体の骨格として上手く機能している好例だと感じました。

・オペレット嬢の姿絵がけしからん件について。
 けしからん。
 実にけしからんですね。
 あんまりけしからんので次は恋愛モノとかどうでしょう?(落ち着こう

 細かいところはそんな感じでしょうか。のんびり読むのが楽しい小説でした。プラスして、「ここが!」と強烈に主張する個性が入ってくるともっと良いなと。
 偏り気味の意見ですが、少しでも参考になれば幸いでス。
 それでは。


山下心火さんの感想
 はじめまして、山下心火と申します。連休を利用して作品を拝読いたしました。なので、拙いながら感想を。

 まずは気になった部分から。
  他の方々が仰られているように、確かにロキのキャラが弱いかな、と思います。というより、もう少し彼に関するエピソードが多くても良かったかな、と。主人 公のリザは、彼に対して恋人未満ながら好意を抱いている訳ですし(エイミーに対して妬いてしまう程度の)、その感情の源泉というか、彼とリザが同居する上 での、ちょっとした出来事みたいなものがあっても良かったかな、と思うのですね。そうする事で、ロキの人物像をより鮮明にできたかと。勿体無い気がしまし た。

 あと、これも他の方とかぶる気はしますが、リザがゴードンを訪れたとき、葉巻を吸う彼を見て、しかし尚も彼に絵を委ねてしまうとい うのは少し不自然な気がします。絵画というものにこだわりを持っている主人公ですので、彼が火を点けるのを黙って見ているのはどうかなぁ、と。

 それと、少女であるエイミーが、どうして大館長を勤めているのか、その辺のエピソードも知りたいところです。というか。私はてっきりエイミーが若作りの年増なのかな、とか思っていたのですが、違ったんですね。

 あとは、公園などの描写で若干描写不足ぎみかな、とも思いましたが。

 と、私が気になったのはこんなところでしょうか。

 で、ですね。
 面白かったです。
 人物紹介で
エイミー(メス)
上記、ロキの飼い主。あだ名はパタリロ。本編で主人公を食った。比喩的な意味で。
 とありましたが、なるほど、実は真の主役(主人公という意味ではなく)は彼女だったような気もしてしまうほど、エイミーのキャラはいいですね。
 それに、何より美術絵画の見方みたいなものが分かって面白かったです。私もギャラリー・フェイクは全巻揃えた口なのですが、それでも美術絵画というものに対しての印象がまた違ったものになりました。
 それになにより、ああ、美術の世界も小説の世界も、きっと同じなんだろうな、と思えるきっかけになったというか……
 なんだか取り留めなくなってしまいましたが、なんだか目から鱗が落ちた気がします。
  文章的にも、少々の誤字脱字以外、そう気になる所もありませんでしたし、絵画の描写なども、登場人物の口を借りる形で、精緻に描かれており、美術絵画を題 材にした作品として、実にスムーズにその作品が脳裏に浮かびました。というか、この辺の描写は私も真似したいくらいです。
 それから台詞回し。絶妙で粋な言葉が次々と出てくるので、これはもう素晴らしいと思います。少なくとも私には真似できません。

 以上が感想です。全員分の感想には目を通していないので、多分重複している部分も多々あると思いますが、お役に立てれば幸いです。
 それでは今後も執筆活動がんばって下さい。


一言コメント
 ・面白かったです、もうちょい上に評価されてもいいと思うんだが。
 ・雰囲気が好きです!
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