高得点作品掲載所      楡畑 諒一郎さん 著作  | トップへ戻る | 


ピエール

 だからどうして『すみれ』なの、と私は朝から母さんを問い詰めていた。
「どうしてって言われてもねぇ。ほら、何を決めるにも勢いって大事じゃない」
「私の名前、勢いで決まったんだ?」
「熟考したなんて言えないわねぇ。四柱推命やら何やら、まるっきりスルーだったわ。何ていうか、反骨精神? そんなのに負けてたまるか、みたいなとこあったものねぇ」
 あったものねぇって、そんな軽いノリで――。
「適当に決めたのね。学校で友達にそう教えるからね」
「あ、それはちょっとマズいわ。クラス担任の柄本先生、割と母さんのタイプなのに」
「関係ないじゃない」
「あるじゃない。先生、未婚でしょ? アバウトな女だなんて私思われたくないし」
「私、ってちょっと本気?」
「ウソウソ、ないない」
 ケケケ、と母さんは笑った。
「アンタの名前はねぇ、あれよほら日英合作。……あれ? 何か違うわね。もっとこう、足して割った感じの」
「和洋折衷?」
「あ、それそれ。ザッツ・ライト。四年生なのに難しい言葉知ってるのねぇ」
「和洋折衷。……名前まで?」
 イエス、ザッツ・オール。なんて言って母さんは私に背を向けた。
「ちょっと待ってよ、余計に分からないじゃない」
「『いつも笑顔でいて欲しい』ってパパの願いだったのよ」
「はぁ?」
「うわ、鈍いわね。そんなだから学校でイジメられるのよぉ」
「イジメられてないわよ!」
 何だか悔しくて、それ以上母さんの前にはいれなかった。
 私はキッチンを飛び出して、そのまま学校に向かった。


 明らかなイジメなんて実際ないけれど、クラスの中で自分だけ浮いているような、そんな感覚が少しもないなんて言えなかった。クラス替えが済んだばかりの今はまだいいけれど、と私は暗い気持ちで考える。今後私の存在に慣れるにつれて、意地の悪い男子連中の遠回しな攻撃は段々とエスカレートするのに違いない。それくらいの予想は簡単につく雰囲気だった。
 私の名前は、すみれ。ファミリー・ネームはスタインベック。
 イギリス人の父ジョージ・スタインベックと、日本人の母谷村あかねの間に生まれた。つまり私は、ハーフだ。髪の毛は明るい茶色だし、瞳の色だって黒じゃない。うらやましい、なんて手放しに言ってくる友達もいるけれど、そういう子はみんな純粋な日本人だった。
 パパが病気で死んでからこっち、純粋だとか純血だとか、そういうことにばかり意識が向くようになってきた、と思う。胸がもやもやして落ち着かない毎日は、正直キツい。心底そう思う。
「ああ……」
 参ったなぁ、と私は彼の横顔を見た。
 クラスメイトの松山一郎。
 彼ことが気になり始めたのは一ヶ月くらい前。
 雨の日だった。
 松山は教室の外に出て、傘を差したまま花壇の側にしゃがみ込んでいた。
「何してるの」
 何気なく、本当に何気なく、私は松山に近付いて尋ねた。
「別に」
 彼は葉っぱの上のカタツムリをじっと見つめていた。
 クラスで一番愛想のない、無口な男の子。それが松山一郎だ。何を考えているのか分からないとか、ムッツリ君だとか、女子の間ではいろいろ言われている子だった。
「松山、みんな、教室でトランプしてるよ」
「だから?」
「混ざらないの?」
「別にいい」
 ふぅん、と私は彼の隣にしゃがんだ。
 深い考えがあったわけじゃなかった。
 私と松山を包むのは、傘を打つ雨の音だけ。
 しばらくして、松山がぽつりと言った。
「オレ、こいつに」
「え?」
「名前つけたんだ」
 カタツムリを見つめたまま、松山は一つ頷いてみせた。
「ゆっくりだけど、こいつ、あんな遠くから歩いて来たんだぜ」
 松山が指差したのは、花壇のかなり端の方だった。
 私は呆れた。アンタそれずっと観察してたの、と。
「お前エラいぜ、ピエール」
 そのセンスはどうよ、という言葉を私は飲み込んだ。


 それからずっと、私は松山のことが気になっている。
 十回の溜息のうち三回くらいは、松山が原因かもしれない程度に。
「また溜息ついてんぞ、ガイジンが」
 癇に障る声が後ろから聞こえた。ひゃひゃひゃっ、という笑い声も。
「ガイジンじゃないって、何度説明したら解るかな武田」
「見た目ガイジンだろうがよ、ガイジン。バカじゃねぇのガイジン」
 また、ひゃひゃひゃっ。
 ああもう、と私は何度目かの溜息をつく。
 クラスでもずば抜けて体格のいい武田正志が、最近、こうして私にちょっかいをかけてくる。それはもう、うっとうしいの一言では表現できない頻度で。本当に嫌だったから、私は一度担任の柄本先生にも相談したのだけれど、武田の言動に変化は見られなかった。
 武田を真正面から見据えて、私はきっぱりと言い返した。
「私は、日本人だよ。イギリス人とのハーフだけど国籍は日本なの。だから日本人」
「でも半分ガイジンだろ、体が。見た目はまるっきりガイジン」
「ガイジンガイジン言わないでよ、差別だよそれって」
「いっぺん英語で喋ってみろよ。黙れって。そしたら黙ってやるぜぇ」
 ひゃひゃひゃっと武田はいやらしく笑った。
 言ってやっても良かった。黙れの一言くらい言えた。
 でも言えなかった。
 武田の続けた言葉が、私を怒りで一杯にしたからだった。
「日本人でもイギリス人でもない、この半端モン」
「!」
 次の瞬間、武田の体が真横に飛んだ。
 水平に二メートルは飛んで、机や椅子を派手に倒しながら転がった。
「ッてぇ! テメ、……何しやがる!」
 松山ァ! と武田が大声で怒鳴った。
 私は彼を見たまま動けなかった。
 松山だった。
 武田にドロップキックを見舞った松山は床にうつ伏せだった。
 ゆっくりと起き上がる松山。
 彼は服に付いた埃を払いながらぽつりと言った。
「足が滑った」
 それがケンカの合図になった。


 カタツムリってさ、と松山は唐突に呟いた。
 放課後、保健室からの帰りだった。
 額や頬に擦り傷を作って、鼻にティッシュを詰めて。
 ボロボロになった松山は、それでもやっぱり、いつもの松山だった。
「カタツムリってのはさ……」
「この前の、ピエールのこと?」
「ピエールだけじゃない。どのカタツムリも、雌雄同体なんだって」
「シユウドウタイ?」
 聞き慣れない響きだった。松山は頷いた。
「オスの機能とメスの機能、どっちも持ってるって図鑑に書いてた」
「そっか。へぇ、そうなんだ」
 雌雄同体――。少し違うけど、私と似てるなと思った。
「半端なんだ、カタツムリも。私と同じで」
「違うから、それ」
「は?」
 戸惑う私に、それ違うから、と松山は首を振った。
「どっちでもないんじゃなくて、どっちでもあるんだ」
「……松山?」
「それに、どっちかなんてこと、本当はどうでもいいんだ」
 西日を背にして、立ち止まった松山が強く言い切る。
「ピエールは、ただピエールなんだ。オレにとって」
 私は動けなかった。
 松山のことが好きだ、と心の底から思った。


「もう一度聞くけどさ」
「何?」
 キッチンで、私は夕飯の支度を続ける母さんに改めて尋ねた。
「どうして私の名前『すみれ』なの?」
「アンタまだ考えてたの。教えたでしょう、パパが」
「『いつも笑顔でいて欲しい』って言ってたんでしょ。他にヒントは?」
 私はテーブルを叩いて食い下がる。
「ねぇ他にヒントないの? 気になって仕方ないんだってば」
「あとは『和洋折衷』。その二つで充分でしょうに」
 母さんは呆れ顔で振り返った。
「あの人に似たのね。本当に鈍い子」
「悪かったわね」
「スマイルよ」
「は?」
「スペルは知ってる?」
「smileでしょ、……あ」
「ね。読めなくもない」
 得意気にウインクする母さん。
 そのセンスはどうよ、と私は笑った。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
一言コメント
 ・最後のオチがよかったです。すごく素敵な作品です☆
 ・ぞくぞくしました!すばらしい!読後にんまりしてしまいました!
 ・ほのぼのとしていて、いいなあと思いました。気持ちが優しくなりますね。
 ・暖かい、良いお話です。最後のオチに感服
高得点作品掲載所 作品一覧へ
戻る      次へ