高得点作品掲載所      子猫十三匹さん 著作  | トップへ戻る | 


世界で一番あとの祭

 世界にお祭数あれど、この日だけには敵いません。
 一年で一番もりあがるお祭。
 一年で一番あとにくるお祭。
 そう、今日十二月二十五日はクリスマスなんです。
 この日のために少しずつ、色づき、ざわめき、華やかに、街はその装いを変えていきます。
 歩道の街路樹や商店は煌びやかに彩られ、その様はまるでビンいっぱいのジェリービーンズのようにカラフルです。
 メリークリスマス。
 ハッピークリスマス。
 どこもかしこも、魔法の呪文。
 誰も彼も、イエスさまの誕生日を祝福しています。
 でもなぁ――私はポツリと呟きます。
「私も誕生日なんですけど……」
 フッフッフ。何を隠そう――いえ隠す必要なんてこれっぽっちもないのですが――十二月二十五日は私の誕生日でもあるのです。
 靴下、モミの木、プレゼント。
 ケーキにシャンパン、七面鳥。
 恋人、ロマンス、甘い夜。
 そんな幸せワードが似合う日に、私が何をやっているかと言うと、
「ケーキいかがですかー?」
 歩道でケーキを売ってたりします。しかもサンタクロースの格好で。
 バイト先のケーキ屋さん『マルコ・ポーロ』も、昨日と今日は稼ぎ時。店の前に簡易テーブルを設けて、その上にこれでもかとケーキを山積み、クリスマス商戦に真っ向参戦なのです。
 しかし悲しいかな客商売の宿命とは言え、クリスマスに好き好んで働きたいと思う人はそういません。私の職場に限って言えば皆無ですらありました。だから誰がこの仕事をするかで揉めに揉めました。それはもう血みどろの戦いが繰り広けられましたよ。
 ほんの一部ですが抜粋します。
『あんたがやんなさいよっ! この前シフト変わってあげたでしょ!』
『いやよっ! 今年は彼とハワイに行くって約束しるんだから!』
『ハワイだぁ? ブスがナマ言ってんじゃないわよっ!』
『あんたにだけは言われたくないわよっ! 整形のくせにっ!』
『キョエエエエエッ!』
『フォオオオオオッ!』
 はい意味不明ですね。念のために言っておきますが、これは先輩たちの話であって、私は店のスミでガタガタ震えていただけですから、あしからず。
 未来永劫続くかに思えたこのおぞましく見苦しい争いは、私に向けられた店長閣下の一言であっけなく終戦を迎えました。
『あなたは予定ないのよね? なら決まり』
 パンッと笑顔で両手を叩く店長と、目を血走らせた先輩たちの視線に涙を流して全面降伏。
 戦場にひとり送りこまれた私はランボー。
 そうなんです。実は私、ひとりでケーキを売っているんです。この寒空の下で、ひとりでケーキを売っているんです。もう一度言います。この寒空の下で! サンタクロースの格好で! たったひとりでケーキを売っているんですっ! 誰か同情してくださいよ、まったく。
「ケーキいかがですかー?」
 見事に無視されます。
「ケーキいかがですかー?」
 華麗に無視されます。
 ですがそれも已むなしというものでしょう。何せ現在午後十時。もうクリスマスも終わろうかという時間帯にケーキを買う人は稀有です。
 本物のサンタだってとっくの昔に仕事を終えて、今頃はサーフィンでも楽しんでるであろうというのに、何故に私はサンタの格好でケーキを売らにゃならんのだと考えると、この世の厳しさを呪わずにはいられません。
 本当なら昨日と今日、大学の親友三人と『男いねえよあとの祭だよパーティー』を開催する予定でした。
 でも――。
『男なんてめんどくさいだけ。貢がせてポイね』
 そう豪語していた『愛より金よ』が口癖の亜衣(アイ)ちゃんは、一週間前の合コンで大病院の院長の息子をゲットして勝手に予定を入れてしまいました。
『あいかわらず俗物根性にまみれた奴だな』
 そう呆れていた硬派でクールな年恵(トシエ)ちゃんは、その次の日に同じサークルの後輩に告白されてあっさりとOKしてしまいました。
『ノンは裏切らないのン。絶対パーティーしようねぇ〜』
 そう励ましてくれた夢見る不思議系のノンちゃんは、王子さまが見つかったと書置きを残し五日前から行方不明の音信不通です。
 女の友情なんてこんなものです。友情より男、儚いものです。
 そんなこんなで、私の予定はなくなってしまいました。
 私だって二週間前に同じ学部の男の子からクリスマスにデートに誘われたんです。でもパーティーの約束をしていたから丁重にお断りしたんです。なのに私の麗しき親友たちは……思い出しただけでムカッ腹が立ちます。
 お酒でも飲んで不貞寝してやろうとも考えましたが、さすがにそれはネガティブ。と言うかそのお酒だって、パーティーのために奮発して買ったお値段の張るシャンパンなんです。自棄酒にしたらシャンパンに失礼というものですよね。
 私がこの仕事を素直に引き受けたのにはこういった経緯があるのです。いえ先輩たちが怖かったというのが最大の理由ですが。
「やっぱり、断ればよかった……」
 寂しくて、虚しくて、あと暇で、ため息と一緒に弱音を吐きます。
 しかし今さら何を言ってもあとの祭り。あん・あん・あん・とっても大好き青タヌキを押入れで飼っていない私の机には、引き出しを開けてもタイムマシンなどないのです。どこに売っているんでしょうね、あの便利タヌキ。
 と、馬鹿なことを考えつつも、元気を出してお仕事お仕事。
「ケーキいかがですかー?」



 ひとりきりのクリスマス。
 ひとりぼっちの誕生日。
 なんか泣きそうです。
 そういえば以前ノンちゃんが、
『誕生日がクリスマスだなんて素敵なのン。ロマンティックぅ〜』
 と目を輝かせていましたが、そんなことはありません。誕生日プレゼントとクリスマスプレゼントはいつも兼用。みんなは二回も貰えるのにどうして私は一回だけなの、とよく憤怒したものです。
 私は打算的な子供だったのです。だから子供に無償でプレゼントを配るヒゲおじさんの存在を知ったときは、あまりの衝撃で身体が震えたものです。
 これはまだ、私が子供のころの話です。
 サンタは良い子にしかプレゼントを配らないと幼稚園の先生に聞かされた私は、プレゼントを貰うために必死で努力しました。見たいテレビは我慢して早く寝ましたし、嫌いなシイタケを無理して食べました。母の言うことには素直に従い、家事全般をできる範囲で手伝いました。
 それでも一抹の不安が残る子供の私は母に聞いたのです。
『サンタさんきてくれるかな? いっぱいイーコしたからきてくれるよね?』
 しかし大学助教授であられる私の母は、鼻で笑って一刀両断。
『サンタなんていないわよ? はんっ。非科学的な』
 私の純粋な夢を木っ端微塵にしてくれやがりました。
 母には子供の夢を摘み取るという、最低最悪の嗜好があるのです。
『いるもんっ、サンタさんいるもんっ! カナちゃんは見たっていってたもん』
『それはカナちゃんのお父さんが変装してたのよ』
 ニタリと邪悪な笑みを浮かべて現実を語る母の顔を、私は一生忘れないでしょう。
『いるもん、いるもん、いるもんっ! サンタさんいるもんっ! プレゼントくれるもんっ!』
 泣いて訴える私に、母は何冊も学術書を持ち出して、
『世界の人口比率から考えて……』
 世界中の子供たちに配るプレゼント費用の概算を、
『ツノは邪魔だから切断。翼をつけて、エンジンは……』
 トナカイを飛行可能にする方法を、
『サンタがひとりだと仮定するなら……』
 一晩でプレゼントを配るために必要な速度を、
『結局はバッラバラよ〜』
 合計十二時間にもわたり講義してくれやがりましたよ、コンチクショウ。
 以来、私はクリスマスというものを冷めた目で見るようになりました。クリスマスが近づくにつれもりあがる世間とは反比例して、私は卑屈になるのです。
 サンタなんて、しょせん一部の大人たちが金儲けのために担ぎ出した存在です。歪曲され、利用され、夢と希望を謳いながら、その裏にはお金、お金、お金です。
 クリスマスなんて、キリスト教徒でないあなたたちが祝って何になるんですか。日曜日には教会へ行くんですか。聖書の一ページ、一行でも暗記してるんですか。テレビやマスコミに踊らされて搾取されているだけと、何故気づかないんですか。
 こんな感じのことを子供ながら偉そうに言ってた覚えがあります。
 つくづく可愛げのない子供でした。
 そんな私が友人からクリスマスパーティーに誘われなくなるのは当然で、この傾向は成長するにつれ少しずつ薄まっていったのですが、しかしこれまたあとの祭りと言うもので、私はクリスマスに良い思い出がありません。誕生日だと言うのです。
 幼心に素敵なトラウマを残してくれたお母さま、お恨みします。と思う一方で、しかし母の言ったことは事実正しく、それを知りつつ理解してなお踊らされるのが、大人になるということなのでしょう。
 まあ、これは亜衣ちゃんの受け売りなんですが。
『うっそー? じゃーあんたクリスマスパーティーしたことないの?』
 遡ること一ヶ月前。開いた飲み会の席で話題は自然とクリスマスのこととなり、今年は皆で集まってパーティーでもしようかと亜衣ちゃんが提案したのですが、クリスマスに抵抗のある私はかねてよりの持論というか、悲惨な体験というか、寂しい子供時代というか、そういった諸々を暴露したのです。
『や、やっぱり変ですか?』
 亜衣ちゃんは『ったりめーよ』と何故か江戸っ子っぽく肯定すると、
『つーか馬鹿ね。年恵だってそう思うっしょ?』
『私もないぞ。実家は厳格な寺でな。その手の催しにはとんと縁がなかった』
『うっわ、マジで? あんたらホントに現代人?』
『別にキリスト教徒じゃないですし』
『うちは真言宗だ』
『ちがうちがうちっがーう。そういう話じゃないのよ。んー。何て言うのかなー』
 助け舟を出したのはノンちゃんでした。
『踊るアホウに見るアホウぅ〜、同じアホなら踊らにゃ損損ン〜』
『それよ! やっぱノンは分かってるわね。さすがダブりの年長者!』
『ダブり言うなぁ〜』
 なんて会話がありつつ。
『あたしが言いたいのはね、キリストだあ、宗教だあ考えてクリスマス過ごしてるやつなんざ日本にゃいねーってこと。ミッキーマウスと一緒よ。あんなもんただの着ぐるみでしょ? でもディズニーランド行くでしょ? ミッキーと握手するでしょ? 一緒に写真とるでしょ? 何でかってそりゃ楽しいからよ』
『私、ディズニーランド行ったことありませんけど……』
『心配するな。私など遊園地に行ったことすらないぞ』
『ノンは花やしきが好きぃ〜』
『そんな話してんじゃねーっ! 要するに楽しいからやるの。楽しいからやってんの。こちとら見るもの聞くもの全部鵜呑みにするガキじゃねっつーの。知ってんの、分かってんの、でもそれに見合う価値があるならいいじゃないの。楽しめるときに楽しまなくていつ楽しむのさっ! 賢しく理屈こねてる奴からしたらあたしは馬鹿に見えるでしょーけど、あたしに言わせりゃそういう奴らのほうが救いようのない大馬鹿よ。せいぜいつまらない人生過ごせばいいわ!』
 言って手にしたジョッキを一気に飲み干す亜衣ちゃん。
『何か亜衣ちゃん、目が据わってませんか?』
『うむ。完全に酔っとるな』
『このスナギモおいしぃの〜ン』
 このあと延々と亜衣ちゃんの説教は続き、
『ここにいる大馬鹿どものためにっ! 一ヵ月後のクリスマスには! 『男いねえよあとの祭だよパーティー』を開催しまーっす!』
『あ、安直な名前ですね』
『馬鹿騒ぎする口実がほしいのだな』
『Zzzzzzzzzぅ〜』
 とまあ、こういう流れで『男いねえよあとの祭だよパーティー』は開かれる運びとなったのですが……そんな記憶も、もう遠い過去のように思えてしまいます。 
 まだ大学に入学してすぐのころ、地方から出てきたばかりで右往左往していた私に声をかけてくれた、姉御肌の亜衣ちゃん。
 つっけんどんで男勝りだけど、本当は優しい年恵ちゃん。
 留年していて実は年上。恋に落ちれば一直線で、ストーカーで訴えられた経験もある、自称ノンノン星出身のノンちゃん。
 性格はバラバラだけど生涯の友人と呼べるくらい仲良くなった彼女たちは、今頃思い思いのクリスマスを楽しんでいます。私だけがひとり。こうして街でケーキを売っていると、そのことを否応なく痛感させられます。
 孤独ってひとりのときはあまり感じないものなんですよ。たくさんの人のなかで、その人たちが自分に関心のない様子を見て、寂しいな、ひとりだな、なんて思ってしまいます。
 ああ神様。この哀れで惨めなわたくしに出会いをお与えくださいませ。いえいえ贅沢などは申しません。たとえそれが武装したテロリストであろうとブルース・ウィリスのごとく戦ってごらんにいれましょう。間抜けで憎めない二人組みの泥棒でもかまいません。マコーレー・カルキンのほうが楽しそうですね。
 ふと見ると、テーブルには売れ残ったケーキがふたつ。ケーキまでカップルです。
 よし、そんな君たちに名前をつけてあげましょう。白い箱の君はジェニファー、黒い箱の君はサンチェスです。
 笑わないでください。こんなことしかすることないんですよ、トホホ。



 クリスマスが終わるまであと一時間を切りました。
 シンデレラにかけられた魔法のように、十二時をすぎればクリスマスは消えてしまいます。
「ひとつください」
 声を出すのも億劫になり、うつむいてとんがり帽子の先端についている白いモコモコを触って現実逃避していた私に突然の声。
「へ?」
 顔を上げるとそこには背広姿の若い男の人が立っていました。
「ひとつください」
 笑顔でもう一度言われて、それがやっと自分に向けられた言葉だと理解します。
「え、あ、はい」
 いやはや、恥ずかしいところを見られてしまいました。
 仕事帰りのサラリーマンでしょうか。よく見ると男の人はなかなかのハンサムさん。
 これはもしかしてアレですか? 神さまが与えてくれた出会いですか? って駄目ですね。ハンサムさんの左手薬指には銀色の指輪が光っています。まあ人生なんてこんなもんですよ。
「五百円になります」
「ずいぶんと安いんだね」
「ええ、生ものですから。昨日は二千円。今日は千円。六時をすぎたら五百円。とにかく売り切れが閣下の命令でして」
「カッカ?」
「あはは、こちらの話です」
 笑って誤魔化し、差し出されたお金を受け取ります。
「でも珍しいですね。こんな時間にケーキを買うなんて」
「ああ、仕事でね。さっきドイツから帰ったところなんだ。時差のことを失念していて妻に怒られたよ。プレゼントとクリスマスケーキを持って十二時までに帰らなかったら離婚よ、てね」
「た、大変じゃないですか。もうすぐ十二時回っちゃいますよ」
「本当ならもう少し早く帰れたんだけれど……向こうでちょっと、色々、あってね……は、はは」
 とたん空ろな表情になるハンサムさん。きっと仕事で何かトラブルでもあったのでしょう。ケーキ屋バイトの私じゃ分かりませんが。
「それより君こそ珍しいね。ひとりなの?」
 ぐふぅっ! なんて残酷な一言を。見たら分かるじゃないですか。酷いです。
 しかしそれを表情に出さなかったのは半年続けたバイトの賜物でしょう。笑顔は接客業の基本であり奥義なのです。
「いや、こんな時間じゃどこも閉まっていてさ。プレゼントはドイツで買ってたからいいけど、クリスマスケーキとなるとそうはいかなくて。あちこち探し回ったよ」
「実は仕事、八時までで。もうとっくにアガってもいいんですけど……別に予定もないですし。ケーキも残っていますから、十二時までねばろうかな、と」
 言ってて悲しくなってきました。いけません。笑顔、笑顔、笑顔です。笑う門には福きたると言います。世界には今も飢餓や病気で苦しんでいる人たちがたくさんいて、それに比べたら私の悲しみなど悲しみと呼ぶのもおこがましいチリあくたがごとき感情なんです。
 分かっているのに。
 分かっているのに、それでも。
 やっぱり――悲しくて。
「おかげで助かったよ。ありがとう」
 そんな言葉が、温かくて。
 そんな何気ない一言が、どうしようもなく嬉しくて。
 たったそれだけのことで、出かけた涙が引っ込みます。
「早く帰ってあげてください。奥さん、待ってますよ」
 残ったケーキの片方、ジェニファーを渡します。さよならです、戦友。君のことは忘れません。
「そうだね」
 待たせていたのでしょう、ケーキを受け取ると、ハンサムさんは路上に止めてあるタクシーの助手席に乗り込みました。後部座席の窓からリボンのついたプレゼントらしき箱がのぞいています。乗り気のしない仕事ではありましたが、こうして誰かの幸せに貢献できたかと思うと満更悪い気持ちでもありません。
「残りひとつ、頑張って!」
 助手席の窓からハンサムさんが励ましてくれました。小さな気遣いが心に染みます。
「はい、頑張ります!」
 笑顔で手を振りさようなら。これで残りはサンチェスひとつです。ここまでくると奇妙な親近感がわいてきます。売れ残ったら私が買いましょうか?
 そうですよ。私は幸せ配達人。ケーキを売った分だけ幸せを運んでいるんです。最後のお客が自分というのはロマンティックな考えじゃないですか。がんばった自分に、小さなご褒美。うん、素敵です。
「うぇっへっへぇ」
 突如、胸に圧迫感。
 続いて、鼻につくアルコール臭。
 何だ何だと全身を動かしますが、何故か身体が動きません。仕方なしに顔だけでふり向くと、そこには頭にネクタイを巻いた、真っ赤な顔の中年オヤジの姿がありました。
 背後から私に抱きつく形で、手は私の胸を鷲掴んでいます。
 必死にもがいて離脱を試みますが、私の胸を揉む手は強力な接着剤でもつけているかのようにびくともしません。
「ちょっと、困りますっ!」
「んなこと言ってぇ。こんな格好して誘ってんだろぉ? あぁ?」
 そんなことあるわけないじゃないですか。いくら寂しいとは言え誰彼かまわず誘うほどモウロクも落ちぶれてもいません。真っ赤なお鼻のルドルフなら大歓迎ですが、真っ赤なお顔のヘベレケオヤジなど断固拒否です。
「いやっ! やめてくださいっ!」
 私は一体――何をやっているのでしょう。
 親友たちにはパーティーの約束を破られて。
 アルバイト先の先輩たちには仕事を押しつけられて。
 それでもめげずにがんばって、小さな幸せに浸っていたら、酔っ払いに痴漢されて。
 何でしょう――この。
 お腹の底から押し寄せる。
 津波のような――ドス黒い感情は。
『酔っ払いというのは非常にタチが悪い。あいつらは言葉でどうこうできないからな。そういう奴らには直接身体に教えてやるのが手っ取り早い』
 一ヶ月前の飲み会で、ベロンベロンに酔った亜衣ちゃんの後頭部に回し蹴りを喰らわせた年恵ちゃんを思い出します。
 今なら気持ちが分かります。
 まったく、同感ですよ、年恵ちゃん。
「おねーちゃんオッパイ小さいねぇ。バストいくつぅ?」
 何を言っているんだ、こいつは。
 別に酔うこと自体に文句はない。飲むなとは言わない。酔うなとも言わない。こんなご時世だ。酔わなければやってられないこともあるだろう。他人に迷惑をかけるな、などと野暮なことも言わないさ。酔っているのだ、少しくらいの無礼には目を瞑ってやる。怒鳴り散らすくらいなら、まあ許そう。難癖をつけるくらいなら、まあ許そう。多少の下品で下劣な言動も、育ちの悪さを哀れんで許しをくれてやろうじゃないか。仏のごとき慈悲をもって、大河のごとき寛容をもって、すべてを水に流してやろうじゃないか。
 だが、こいつは何だ? 背後からいきなり抱きついただけでなく、首筋に臭い息をこれでもかと吐きかけただけでなく、うら若き女子大生の胸を揉みしだいただけに止まらず――あろうことか、その女子大生イコール私が何よりも、何よりも、何よりも何よりも何よりも気にしている、胸のサイズをっ!
 貴様のようなダニにもゴキブリにもインフルエンザウィルスにも劣る肥溜め以下の存在に私の苦労が分かるものか! 小学生で成長が止まって、中学生のころは肩身が狭くて、高校生のときには豊乳パットで誤魔化していたのに水泳の時間に外れてバレて次の日から『パットちゃん』なるあだ名で呼ばれたあの屈辱の日々が! 毎日毎日風呂上りには必ず牛乳を飲み、三十分の豊乳マッサージをかかさず続けて、あらゆる豊胸クリームを試し、親に内緒で足しげくエステに通い、それでも一ミクロンの変化もなかったあの苦悩の日々が! 生活費を削って買った油圧式のバストアップマシンには裏切られて、断腸の思いで買った吸引式のバストアップマシンにも裏切られて、神にもすがる思いで買った低周波式のバストアップマシンには裏切られるどころか測ったらバストが三ミリも縮んでいたあの絶望の日々が! 貴様などに分かるものかっ!
 コイツ、コロス。
 首を前に倒し、反動をつけて後頭部で頭突き。
「うぶっ!」
 拘束が解けて、すかさずふり返り臨戦態勢を整える。
 ハゲでデブで酔っ払った中年オヤジが、鼻血を出してヨロめいている。
 こんな奴に――こんな奴にっ!
「金も払わず女の身体触ってんじゃねぇええええええええええええっ!」
 年恵ちゃん直伝のリバーフックを、オヤジの三段腹に叩き込む。
「うげぇっ!」
 腹を押さえ前かがみになったオヤジの顔目がけ足を蹴り上げる。
「何で私ばっかりこんな目にぃいいいいいいいいいいいっ!」
 爪先に確かな手応え。オヤジの歯の折れる感触が伝わってくる。
「とにかく色々さけんじゃねぇええええええええええええっ!」
 仰向けに倒れたオヤジの股間を、力の限り踏みつける。
「うぎゃあああああああああああああああああああああああ!」
 鼻血をたらし歯を折られ股間を押えながら奇声を発するハゲでデブでヘベレケの中年オヤジが、十二月の冷たい歩道をもんどりうって転がって、
「あ」
 ケーキを置いたテーブルに当たり、サンチェスが、無情にも、地面に落ち、た。
 もう、いやだ。
 クリスマスなんて。
 クリスマスなんて、大っ嫌い。



 亜衣ちゃんは正面に。
 年恵ちゃんは右側に。
 ノンちゃんは左側に。
 丸いテーブルを囲んで座り、今か今かとそのときを待ちます。
 もったいぶった亜衣ちゃんの、せーのの合図で一斉にクラッカーの紐を引きます。
 パンパンッ――パンパンッ。
 さあ、パーティーのはじまりです。
 お次は乾杯。ノンちゃんがシャンパンの栓を抜きます。
 ポンッとコルクが飛び出して、遅れて噴出したシャンパンが雨のように料理を濡らして、私たちは大笑い。
 ひとしきり騒いだあとは、プレゼント交換。ラジカセから流れる『あわてんぼうのサンタクロース』の歌に乗せて、次々と持ち寄ったプレゼントを回していきます。
 曲が止まったところでストップ。私の手元には年恵ちゃんが用意したプレゼントです。唐草模様の包み紙で包装された、彼女らしいプレゼント。
 私は破かないようにゆっくりと、慎重に包みをはがします。
 あれ? プレゼントが出てきません。
 あれれ? プレゼントが出てきません。
 分かってる。プレゼントは出てきません。
 だってこれは――。

 目を開けると暗い部屋。パチパチと目をしばたたいて状況を整理します。
 モダンチックな内装に、空っぽのショーケース。無名の作家の油絵に、今朝水をあげた観葉植物。見慣れた職場。寂しい店内。ここはケーキ屋『マルコ・ポーロ』。買ったケーキを食べられるコーナーです。
 どうやら寝ていたようです。私はむくリと身体を起こしました。
 机にくの字の形で寝ていたためか、身体の節々が痛みます。
 あれから私は、もの凄い表情で逃げるオヤジを無視して、さっさと片づけを開始しました。売り物がなくなったのですから当然のことなのですが、それを抜きにしても、あのときの私は何かをしてないと、頭がおかしくなりそうだったのです。
 テーブルを運び、衣装を着替え、無心で身体を動かすことで精神を安定させていました。
 腕時計を確認――午前五時。クリスマスは終わっていました。
 足元にはサンタクロースの衣装が入った紙袋と、愛用のハンドバック――そして凹んだ箱が転がっています。
 落ちて、売り物にならなくなったサンチェス。
 箱を開けます。半分以上崩れてしまったケーキが出てきます。
 指ですくい舐めとると、クリームの甘さが口いっぱいに広がります。
 崩れてしまってもケーキはケーキ。本質が変わるわけではありません。
 もう一口、もう一口、もう一口。
 周囲に立ち込める静寂を紛らわすように。
 やはりお祭のあとというのは寂しいものです。たとえそれがどんなお祭でも、どんな形であれ参加したからには、名残惜しさは否めません。
 街を覆っていた活気が少しずつ、少しずつ、でも確実に消えてなくなる寂しさ。
 今日はもう二十六日。クリスマスに一番近いようで、一番遠い日。
 クリスマスなんて嫌いなはずなのに、終わって清々したはずなのに、物思いにふけってしまいます。
 そう思ってしまうのは、もしかすると私は、クリスマスを心待ちにしていたからなのかもしれません。心のなかでは色々と皮肉っていても、そのさらに深い底の底では待ち遠しかったのかもしれません。
 だって、私にとってクリスマスは、誕生日でもあるのですから。
 自分がこの世に生を受けた日。大人の階段をひとつ上る日。
 やっぱりそれは特別な日で。
 考えてみれば、物心ついてはじめてのクリスマスは、とても楽しかったのを覚えています。クリスマス一色の街全体が、国全体が、世界全体が私の誕生日を祝ってくれていると錯覚しました。
 私がクリスマスで、クリスマスが私で。
 ああ、そうか。
 何も母のせいでクリスマスが嫌いになったんじゃない、サンタが嘘だったからクリスマスが嫌いになったんじゃない。
 結局のところ、私はヤキモチを焼いていたのです。
 自分に向けられていたはずの祝福が、実際には私など眼中にはなくて、それが悔しくて認められなかったのです。もとっもらしく理屈をこねて、その実、駄々をこねていたのです。
 何てひとりよがりで捻くれた思考回路でしょう。 
 そんな私も、昨日でまたひとつ大人になりました。
 戦争には善い国と悪い国があると思っていたあのころとは違います。赤ちゃんはコウノトリが運んでくると本気で信じていたあのころとは違います。茹でてるくせに何で焼きそば、とカップ焼きそばに疑問を持つ程度には大人なのです。
 意地を張り続けるのも、そろそろ年貢の納め時でしょう。
 私はクリスマスじゃないし、クリスマスは私じゃない。
 クリスマスは誰でもないし、クリスマスは誰のものでもない。
 世界に数あるお祭のひとつの、名前なんです。
 ふ、と肩が軽くなった気がします。長年積もったモヤモヤが一気に晴れた気がします。
 そして――もう一口、クリームを頬張ろうとケーキに手を伸ばします。
 こつん、と指に硬い感触。
 クリームを退けてみると、そこにはサンタがいました。
 ケーキに埋もれた、クリームまみれの小さな砂糖菓子。
「ふ、ふふ」
 おかしくて笑ってしまいます。
 何がひとりきりのクリスマスでしょう。何がひとりぼっちの誕生日でしょう。
 こんなにも素敵な彼が、ずっと傍にいたと言うのに。
 とたん寂しかった静寂が、心地良いものへと変わります。
「まったく、随分と遅刻じゃないですか」
 もちろん彼は砂糖菓子、プレゼントなど持っていません。
 でも、私ももう子供じゃありません。プレゼントなどなくても、ただこのタイミングで現れてくれただけで、素直に嬉しいのです。
 サンタをケーキから救出します。まみれたクリームを拭うと笑顔が見えます。
「君も一緒に祝ってくれますか?」
 一日遅れの誕生日を。
 世界で一番遅い、クリスマスを。
「ハッピークリスマス。アンド・ハッピーバースデイ・トゥ・ま――」
 窓の外、視界のスミで何かがかすかに動きました。
 窓を向くと、
「わぁ……」
 雪です。雪が降っています。
 今にもやんでしまいそうな、淡い粉雪です。
 クリスマスで疲れて寝ている人には見れない光景。
 あまりにもご都合主義なこの展開。
 きっと、サンタが私のために用意してくれたプレゼント。
「ありがとう、サンタさん」
 砂糖菓子のサンタクロースは、笑顔のままでした。














 ラン ラーララ ランランラン
 
 ラン ラーララ ランランラン


 だぁらしゃあああああああああああああああ。何だ何だ何ですかっ? いきなり物悲しい音楽が鳴りはじめましたよ。エンドロールか何かですか? もちっとマシな音楽はなかったんですか? 
 いやいや馬鹿なことを言ってる場合じゃないですね。音楽は私のハンドバックから聞こえてきます。どうやら私の携帯電話が鳴っているようです。ちなみに着メロはナウシカレクイエム。大好きなんですよ、ナウシカ。
 しかし、しかししかししかしですね。今このタイミングで鳴りますか普通? もう少し風情というものを察してほしいものですね。電話だから無理ですけど。未来の電話に期待しましょう。
「はい、もしもし?」
『お? やっと出やがったなコンニャロウ!』
 ふむ、この不躾で遠慮のない口調は亜衣ちゃんです。
「亜衣ちゃん、どうしたんです? こんな時間に」
『どうしたもこうしたもないっ! あんた今どこにいんのさ! とっくにパーティーはじまってんじゃないの!』
「どこって、『マルコ・ポーロ』ですけど……。パーティーって何ですか?」
『はあ? 本気で言ってんの? 『男いねえよあとの祭だよパーティー』に決まってんでしょうが』
「え? だって皆、予定が入って中止になったんじゃ?」
『あんなのプレゼント貢がせて終わりよ。年恵も男がしつこかったから二十四日だけOKしたの。だからパーティーは昨日と今日に延期だって……あれ? ノンから聞いてない?』
 聞いてません、これっぽっちも聞いてません。
 どうなっているんですか……ノンちゃん。
『あーそっか。ノンはこれだもんね』
 ひとりで納得する亜衣ちゃん。どうも亜衣ちゃんの口ぶりからは近くにノンちゃんがいるように伝わってくるのですが。
「もしかしてノンちゃん、そこにいたりするんですか?」
『いるわよ。つーかここノンの部屋だし。てゆーか聞いてよ。ノンってば男追っかけてドイツくんだりまで行ってたらしいわ』
「マ、マジですか……?」
『マジもマジも大真面目。帰ってきたの昨日だって。部屋んなか黒ビールでいっぱい』
 うわぁ。言葉が出ません。
 さすがというか、相変わらずというか、ノンちゃんらしいというか。
『馬鹿よね〜。でもここからが凄いのよ。その男、実は妻もちで当然断られわけさ。だからってそれで納得するノンじゃないっしょ。どうなったと思う?』
「わ、分かりません」
『不眠不休で男をストーキング。地元警察に不審がられて逮捕拘留、挙句の果てに強制送還されたんだって。わっしゃっしゃっしゃ』
 いやいや、それ、笑い事じゃすみませんから。
「だ、大丈夫なんですか?」
『んー。詳しいことは分かんない。あたし身元引受人で引き取りに行ったんだけど、起訴はされてないみたいよ。だからまあ、大丈夫でしょ。――あ、ちょっと待って。ノンに代わるから』
 そういえばジェニファーを買った男の人もドイツに行ってたって言ってたような、そこで何か色々あったって言ってたような……いや、まさかですよね。
『ぐぅてんあぶえんと』
 意味不明で甘ったるいノンちゃんボイスです。
「ノンちゃん、あの、話は聞きました。その、元気出してくださいね。人口の半分は男なわけで、ノンちゃんの王子さまはきっと見つかりますから」
『はのねぇ〜、ノンねぇ〜、お〜じしゃまがねぇ〜、ウィッ、おくしゃんいるってね〜、ウィッ、ノンおくしゃんじゃないのねぇ〜、ううぅ、ウィッ』
 会話がまるで成立しません。せめて人語で話してください。
 二人がいるということは、年恵ちゃんもいるのでしょうか?
「もしもしノンちゃん。そこに年恵ちゃんもいるんですか? いたら代わってくれませんか?」
『やぁーだよぉ〜』
「何でですかっ? 何か気に障るようなこと言いましたかっ?」
 返答がありません。いえ、電話の奥からは亜衣ちゃんの忍び笑いと、
『としえちゅわ〜ん、てえれふぉん』
 ノンちゃんの声が聞こえます。
 あ、そうか。ドイツ語です。まったく紛らわしい。
 でもノンちゃん、本当に行ってたんですね。
『何だ?』
 相変わらず愛想のない口調の年恵ちゃんです。
「ノンちゃん、今回は酷いんですか?」
 普段ノンちゃんはお酒をあまり飲みませんが、失恋したときだけは話が別です。それはもうロシア人もびっくり仰天するくらい飲みますよ。しかも泣き上戸なので堪りません。
『今も私の持参した日本酒をラッパ飲みだ。勿体ないにもほどがある。お前もさっさと来い。いい加減ノンのお守りは疲れた、って、おいノンッ、それは『鯨鮭』だぞ、やめろっ、そんな飲みかたするなというに!』
 ガチャンガチャン。何やら向こうで盛大な物音が響いています。
『てな感じ。わかった?』
 分かりません。電話に出たのは亜衣ちゃんでした。
「ふふ。楽しそうですね」
『まだまだ。『あとの』だけだと締りが悪いわ』
 嬉しいことを言ってくれます。でもそうですよ。私がいないと祭になりません。
『あんたもさっさと合流なさい! 飲んで酔って騒ぐわよ!』
 彼女たちはいつもこうです。
 皆、自分勝手で滅茶苦茶で。
 私はいつも、振り回されっぱなしで。
 でも――そんな彼女たちが大好きで。
 女の友情が儚いなんて撤回。やっぱりこいつら最高です。
「十分で行きます!」
『四十秒で支度しな!』
 さすが亜衣ちゃん、私のツボをわかってらっしゃる。
『あ、そうだそうだ。言い忘れてた』
 亜衣ちゃんは言います。

『誕生日おめでと――祭』

 プツリと通話が切れて、辺りは再び静寂に支配されます。あんなに心地良かった静けさが、今では無償に落ち着きません。まるでお祭りがはじまる前のように、わくわく、そわそわしています。
 だってそれは当然です。
 誕生日は過ぎたけれど。
 クリスマスは終わったけれど。
 私たちのお祭は、これからはじまるんだから。
 世界にお祭数あれど、私たちには敵いません。

 亜衣ちゃんの――あ。
 年恵ちゃんの――と。
 ノンちゃんの――の。
 私の、名前の――祭。

 私たちが集まれば、そこはいつでも『あとの祭』。
 場所も時間も関係ない、お酒と愚痴と最高の親友たちがいれば、いつでもどこでも『あとの祭』なんです。
 私はふと考えついて、急いで服を着替えます。赤くて白くてモコモコのアレです。
 だってこれからはじまるのは『あとの祭』。
 英語で言うならイッツ・トゥ・レイト・ナウ。
 ならその名前に相応しく、盛大に時期を逃そうではありませんか。
 外に出ると、雪はやんでいました。
 街は薄っすらと明るくなりはじめ、ちらほらと人の姿も見えます。
「さて、行きますか」
 良い子も悪い子も夢のなか、私はひとり街を走る。
 通行人の怪訝な視線のなか、私はひとり街を走る。
 そして立ち止まり、ふり返り、大きな声で叫ぶのです。
 白けはじめた街に。
 終わってしまったクリスマスに。
 時期を逃した魔法の呪文。
 せーの。

「ベリーメリークリスマスッ!」


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
一言コメント
 ・全体のほのぼのとした雰囲気がなんともw 癒されます。
 ・設定がわかりやすい。全体がほのぼのとした感じで統一されているのに、主人公の心情の変化や、友達の発言に感動させられるいい話です。
高得点作品掲載所 作品一覧へ
戻る      次へ