高得点作品掲載所     亞石さん 著作  | トップへ戻る | 


砂の上にココロ咲かせて

  ◆プロローグ  砂が舞う - Fluttering Sands -

 砂が舞う。
いつものことだ。昨日も、今日も。きっと明日も。
地平線は立ち上る熱にゆらゆらと揺らぎ、肌は煮られているかのように熱い。忌々しげに見上げた太陽は、立ち込める砂煙の向こうでやたらと鈍い。
砂漠の中に、少年はいた。一七歳という年齢にしては少しばかり小柄で、男というには少しばかり小奇麗にまとまりすぎた目鼻立ち。首ほどまで伸びた紺色の後ろ髪をゴムバンドにまとめている。
 少年は懐からナイフを取り出した。刃は錆びついていてひどくくすんでおり、刃物としての役を満足に果たせそうにない。
 そんなナイフをどれだけ力強く握りしめても、手の震えは止まらない。
「ルイ、お前、賢明なことやってんじゃん」
 隣から馬鹿にするような声がした。
「さしずめ、死ぬときゃ痛くありませんように、ってところか? せいぜい今のうちにあの世の親父とお袋に祈り倒しとけ。お前にはそれくらいしかできねえよ」
 ルイと呼ばれた少年はナイフをしまいながら横目だけで振りむき、声を低めて言った。
「違うね。せめて最期のその時くらい、誰かさんの減らず口を聞かないですみますように、だよ」
 ケッ、と隣の奴はつまらなそうに顔を歪めて、それきり話しかけてこなくなった。
 砂漠の中に、ルイはいた。ルイだけでなく、ルイにちょっとだけ親切にしてくれる者、ルイを邪険に扱う者、馬鹿にしてくる者、まったく話したことのない者まで、実に多くの人間たちが砂の只中に林立していた。
  彼らはみな、胸と肘下と脛を皮革製の簡素な鎧で固め、さらに上から砂避けの白い外套を羽織っている。右手に握られたスピアは三メートル超はあり、携える者 の身の丈を大きく上回ってその切っ先を天に刺していた。彼ら武装した人々はいくつもの列を成し、沈黙を守ったまま、流れる汗をそのままにして時を待ってい た。一目にして軍勢というべき集団だった。
 ルイの右手にも他者と同じようにスピアが握られていたが、筋骨逞しいとはいえないルイにはやや重すぎる。
 目の前を、砂が漂っている。
 おもむろに左手を前に出して、空間を掴む。
 開いた掌の中には、わずかな砂粒が捕らえられていた。僕たちだってこんなもんだ、とルイは思う。
 砂が舞う。その、自分たちにとってごくごく自然なことだっていい。とにかく何かに意識を差し向けて、固定しておきたかった。ルイはそれほどに、恐怖していた。
 心臓は爆発しかねないほどに脈を早めている。滝のように流れる汗はこの酷暑のものだけではない。相変わらず手の震えは収まらないし、歯をしっかりと噛み合わせていなければガチガチとうるさいことになる。
 やがて、
「心だけで振り返れ!」
 轟々とした砂粒たちの会話を、壮健な声が突き破った。
「心だけだ! その肉の眼はあくまで敵の現る地平を睨め! 心の目だけで今一度、諸君らの背方を振り返るのだ!」
  声の主を、ルイは爪先立ちすることでなんとか見ることができた。白地の上を金色の刺繍が蛇のようにうねった外套をまとった壮年の男で、真紅のスピアを携え ている。目は鷹のように鋭く、吠える口は獅子のごとしだ。軍勢の指揮官であるその男は、隊列を振り返り、腰から抜いた曲刀を高らかに掲げ軍勢に問うた。
「して、振り返った先に何があるのか!」
「故郷が!」
 軍勢は一斉に答え、スピアの柄頭で砂地を突く。砂が跳ね上がる。
「して、振り返った先に誰がいるのか!」
「同胞が!」
 再びの答えと、再びの砂地を突く音。軍勢の指揮官である壮年の男は、軍勢の前方を振り返り、砂丘の地平に曲刀の切っ先を向けた。
「よぉし! 故郷と同胞に良きように戦い抜くことを誓ったならば、心身すべての目を前に向かせ! して、かの地平の先より何が来たるのか!」
「敵が! 我らの敵が! レキサの民が排すべき敵勢が!」
 指揮官は再び軍勢に向き直る。
「よいか! これから数えるのは、歩いた歩数でもない! 過ぎた時間でもない! 倒した敵の数だけだ! 今、もはや故郷を想うな! 同胞の名を呟くな! 斬り、突き、殺すことだけを考えるのだ! 殺せ! 忌々しいフォルミカント共を殺し尽くせッ!」
 応じて、軍勢を成す皆が皆、腹の奥底から声を張り上げる。狂ったような激昂は、平坦な砂漠の上に山となって屹立した。
 一方でルイは、その巨大なうねりの一部とはなりきれないでいた。死地に立っていることの恐怖を殺そうともがくのに精いっぱいだ。
 隣を見る。先ほど自分を馬鹿にしてきた奴が、今では鬼の形相となり、スピアを天に突き刺しながら獣のような声を張り上げている。ルイも慌てて前を向き、声を張り上げてみる。というより、ただの喚きに近い。あるいは、脅えを吹き飛ばすための悪あがき。
 轟きわたる叫びの中、車輪付き台座の上にいた高見役の声が響いた。
「エルギーツ戦導師殿! 敵勢が我が方へ進軍を開始しました!」
 指揮官はひとつ大きく頷くと、これまでで最も大きな声量で声をあげた。
「時は来た! 全隊、構ええええぇぇぇぇい!」
 応じて、軍勢がスピアを斜め前に突き出す形で構える。
 同時に、現われた。
 砂丘の向こう側から、無数の黒い影が。
 影もまたルイたちのように整然と隊列を成し、津波のようにこちらの方へと猛進してくる。
「皆、このロー・エルギーツに続け! 全隊、応撃ぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」
「おおおおおおおおおお!」
 喊声が爆発し、軍勢はたちまち奔流となって突き進む。
 ルイは奔流の中で足を幾度かもつれさせながら、ほとんど無心に走っていた。流される魚のように。
 敵勢の影のひとつひとつには手があり、足もあり、即ち人型であったが、人ではない。敵の異形はやがてルイの目にも明らかになった。
 身長は二メートル以上を誇る巨体。
 その体躯の構造は、昆虫を──さらにいえば、蟻を連想させる。
 首から頭の先にかけては、鎌首をもたげた蛇ような形状。血のような深紅に染まった楕円形の複眼が一対、その上に触覚が一対ある。口には、二対の鋭い顎が絶えず蠢いている。
 胴体から伸びた両腕は細長く、間接が二節あった。手に並んだ四本の指は、三日月型に鋭く湾曲した鉤型で、鎌の刃さながらの凶悪な外観である。腰部は胴よりも横に広く発達しており、そこから伸びた両足にも、やはり二節の関節がある。
 昆虫でいうところの“腹”にあたる部分も彼らには備わっている。その部位を、直立歩行する彼らはまるで巨大な尻尾のようにして腰の後ろにぶらさげていた。
  全身は赤茶けた硬質の外皮に覆われ、生まれながらにして鎧を着込んでいるようなものだというが、その外皮全体を確認することはできない。なぜなら、驚くべ きことに彼らは、人外でありながらも人間さながらに鉄製の鎧を身にまとっているからだ。頭を覆う兜には、額にあたる部分に着用者の職位や階級を記した文字 が彫られている。
 さらに驚くべきことには、彼らは武器を製造し、握り、振るうこともできる。彼らはハルバートと呼ばれる頭部に斧と鉤状の突起をつけた槍の一種を両手に携え、腰には一振りのサーベルを下げていた。
 フォルミカント。
 蟻もどきの化け物。
 それが、鬨の声ひとつ上げずに整然とした隊列を組んで、向かってくる。
 ひっ、とルイが声を上ずらせた。しかしその足は止められない。肉体も精神も、猛る軍勢にただ押し流されるままだ。逃げたい。死にたくない。でも逃げて生き延びたとあっては後が酷い。一生が惨めなものに堕することになる。それは嫌だ。
 ルイが先ほどの指揮官が飛ばした檄の甲斐もなく雑念に囚われているうち、
 人の軍勢は、異形の軍勢と衝突した。

 ルイにとって、それは戦いではなかった。地獄でしかなかった。
 見知った顔が、殺意に顔を歪めながら化け物の兵士を斬り伏せる。いつも馬鹿にしてくる鬱陶しい連中が、怯惰に喘ぎながら鉄槍に突かれ、ごみのように放られる。いつか水を分けてくれた親切な男が、首を刎ね飛ばされて赤黒い血を噴き上げる。
 ルイは興奮を極めた味方たちの間で転倒し、茫然としながら敵味方入り乱れる様を見上げていた。
 ある一人の人間に、ルイは目を留めた。銀の長髪をなびかせながら、突き専用として用いられるレイピアと呼ばれる剣で敵兵を葬っていく女がいた。舞い上げられる青い血液の中、彼女はまるで、美しく踊っているかのようだった。

 ――それから、色々なものが散った。本当に色々なものが、この砂漠の上に散りに散った。
 鮮血が。泥砂が。金属のぶつかり合う音が。叫び声が。断末魔が。
 命が。

 地獄はやがて過ぎ去った。ルイの命を餌食に捕らえることなく。
 砂上は死屍累々。散りばめられた命たちは、すぐに砂を被って地面と色を同じくしていく。 ルイは茫然自失としてへたりこんでいた。
 その時、中天を過ぎた日の光を返す銀の長髪が目についた。
 戦場でレイピアを片手に奮戦していた少女だった。濃赤色の外套をまとっている。砂塵の中でも映える銀髪を流しながら戦場にある彼女は、さながら戦没者の魂を刈り取る戦乙女のようだった。
 少女は悲痛な面持ちで、何かに手を置いていた。そして彼女は瞑目し、その口が何かの言葉を紡ぐ。
「すまない」、と唇が動いたようにルイには見えた。
 ルイは、しばし彼女が執り行うささやかな鎮魂の儀に見とれていた。
 そんなルイに気づいたのか、彼女もルイを振り向いた。
 そして、寂しげに微笑んだ。
 柔らかく笑う彼女の手は、
 敵であるはずの蟻もどきの化け物の亡骸に、置かれていた。

 砂が舞う。


◆第一章  砂中の尊く愚かな希望 - The Country in Sands -

 砂が風に乗って踊る荒涼とした砂漠に、一筋の大河が流れている。ヌイーヴ川と呼ばれるそれは、古くから緑が根付くに十分な土壌を育み、砂漠を行く人々に糧と水分を与えてきた。
 そこを己の住処と定める人々が現れるのも、自然なことだった。
 そうしてできあがった、レキサの街。ヌイーヴの賜物たる、砂の世界のオアシス。
 街の中央には石畳の街道が引かれ、そこから何本もの路地が枝分かれしている。その道に沿うようにして、砂礫と粘土を混合した建材で建てられた住居や店舗が建ち並んでいる。
 街は、俯瞰するとヌイーヴ川に隣接して半月状になっており、レキサの外商団が別の街から輸入した頑強な石材をもってして造られた防壁が半月の孤を描いている。防壁は高く、一定の間隔を空けて見張り塔がある。
 その防壁の内壁に沿って、兵営区がある。レキサ兵団の兵舎が密集する場所だ。
「駄目だーっ!」
 あるくたびれた老朽兵舎の一室で、ルイは羊皮紙の山を天に放り投げた。
 羊皮紙には文字列がびっしりと並んでいる。一文字ごとの大きさが均等で乱れがなく、まるで書記官のような読みやすく美しい文字だ。しかし文字が示す内容はルイの顔を難しくするばかりだった。
「あー、やめよやめよ。昨日の今日で、こんなの覚えられるわけがない」
 簡素なベッドに背中から沈み、目を閉じる。いっそこのまま何も考えず眠ってしまおうと思っていた。
「ルイ、入っていい?」
 そこへ、部屋の戸布の向こうから快活な声。
「……駄目」
「入るわね」
 ちっ、とルイは舌打ちした。入ってきたのは少女で、浅黒い肌に栗色の髪、麻布製の地味な服を着ている。ルイは横目で少女の姿を確認すると、すぐにドアを背にするようにして体を横に転がした。
「なんだよ、ヨリ」
「ルイ、大丈夫かなって」
「なにがさ」
「なにって……。ルイ、この前の任務から帰ってきてから元気ないみたいだし。ひどかったって聞いたわ、フォルミカントとの戦い」
 瞼の裏にフォルミカントに真っ二つにされる顔見知りの姿が浮かんで、いっそう固く瞼を閉じた。
「……別に。あれくらいの戦闘なんて半年に何度かあるんだ。そりゃ、僕みたいな最底辺の兵団員が駆り出されるのは珍しかったけどさ。それでもこのまま生き長らえてりゃ、あんな規模のは遅かれ早かれ経験するんだ」
 だから、どうってことないよ。
 そう締めくくって、丸めた背中で拒絶を示す。
 ヨリは一つ溜め息をついて、遠慮がちに続けた。
「ルイは聞きたくないだろうけど、私は伝えろって神父様に言われてるから、言うわよ。明日からもう学舎の授業が始まるんだって」
「知ってるよ、そんなこと」
「ルイは特にサボってるから、私からよーく伝えておくようにって言われたの」
「伝言は確かに聞いたよ。もういいでしょ? 出ていって。あー、それと、僕の代わりにとってくれた板書、ありがと。おかげさまで内容はバッチリわかんなかったよ」
 ヨリは語調を強めた。
「ルイ、もう少し真面目に学舎に出ないと。ルイが兵団で昇格できないの、学舎の素行が影響してるんだよ、きっと」
 昇格できない――触れられたくないことに言及されてカチンときた。ルイはベッドの上に座りなおしてヨリを見据えた。
「あのさ、結局ヨリは、僕にちゃんと学舎に出させるようにって神父どもから仰せつかってるわけでしょ? だから僕の所に来たんでしょ? 僕が心配だとかなんとかかこつけて」
「違うよ、そんなんじゃない。わたしは本当に心配で」
 むきになって否定するヨリの言葉を無視して、ルイは続ける。
「で もさ、ヨリにはわからないかもしれないけどさ。無理だよ。僕が何を見て、何を聞いて、何を感じてきたか、兵団じゃないヨリには一生わかんないだろうね。う ん、戦いはひどかったよ。ヨリの言うとおりさ。何十キロも歩いて、死ぬか生きるかってことして、また何十キロも歩いて帰ってきて、その翌日に、なんだっ て? 平和ボケした教典の内容を勉強しろだって? 無理に決まってるだろ」
「だから、違うって」
 ヨリは必死に否定する。
 母たる神の教え。街ぐるみで信仰され、兵団員にさえその解釈論の修得が義務付けられているレキサの国教だ。フォルミカントとの戦いもまた、教えを文書化した書物である、いわゆる教典の内容から導かれる帰結だった。
 “母たる神を信じて待つ者にこそ救いは訪れる”。
 それが教えの中核を成す教理だ。だが、ルイには信者を信仰から脱させないための拘束的な文言としか思えない。
「教 えを頑張って勉強して信じて、死にかけたことを忘れろって? ハ……無理だよ。信じて祈り続けていればいつか平和になるっていうけどさ、みんな本気でそん なのを信じてるのかな。言っちゃ悪いけど、正気とは思えないよ。母たる神がいるって、誰が見たんだ、そんなもの……。信じようが信じまいが、死ぬ時は死ぬ んだよ」
「だから、そうじゃないってば!」
 ヨリが爆発した。ルイは驚き、目を見開いてヨリの顔を見た。ヨリの口はへの字に結ばれ、小動 物のようなくりくりとした目は潤んで揺れていた。ルイのささくれ立っていた心が揺らぐ。 ひとたび苛立ちが冷めてくると、今度は先程の餓鬼臭い自分が惨め に思え、腹が立ちさえしてきた。
 ルイはヨリから逃げるように顔をそらし、「悪かったよ」と告げる。精一杯の謝罪だ。ヨリは、「うん」とだけ言って、それきり沈黙した。
 シーツのしわを意味もなく見つめながら、僕はやなやつだな、と自嘲した。
  気に食わないことがあれば、心にぽっかりと空いた穴ぼこを埋める努力もしないまま、ただただ消沈する。そうしていくうちに、心はざらざらとして、やがてさ さくれ立ってきて、先程のような尖った態度となって表出してしまう。行き場のない、不明瞭な苛立ちが泡沫のように浮かんでは消え、浮かんでは消え。
 その繰り返しだ。
 二人の間に気まずい空気が流れる。
 その時、外で歓声が沸いた。なんだろうと問う前にヨリが言う。
「お帰りになったみたいよ」
「え、ウソ」
 ルイは飛び起きて、窓から眼下の街道を見下ろす。
 先日の戦闘を共に戦っていたものの、残敵掃討の任を与えられ一日多く任務を継続した中隊だった。
 純白の外套に身を包んだ兵団員が、行列を成して街門から入ってきている。行列の末端まで目を巡らすと、ざっと一〇〇名はいると見える。内側に着込んだ鎖帷子をじゃらじゃらと鳴らしながら、まるで一つの川流れのように行進している。
 彼らの得物であるスピアの先端は青く染まっているものが多く、身にまとっている外套にも青い液体が散っている。フォルミカントの血液だ。それに汚れている自分たちの姿を、彼らは隠すことなく、むしろ誇ってさえいるようだった。
 道端から惜しみない賞賛を浴びせる街の人々に、中隊の者は気さくに手を振ってみせていた。
「あの方は……」
 中隊が皆一様に白い外套を着ている中、ある一人にルイは目を止めた。濃赤色の外套を着た女性の兵団員だ。二重の意味で紅一点である。
 先日の戦場で、ルイが微笑みかけられた女性だ。
「アリシア様ね」
「うん」
 ルイは生返事をして、“銀戦姫”ことアリシア・エルギーツの姿を食い入るように見つめた。
 あの時の虚となった心情では確かめられなかった彼女の美しさが、今ではよくわかる。
 銀の長髪が日光をてらりと返して輝く様はこの世ならざる美妙を醸す。普段から外套の高襟とフードとをうまく使っているのか、はたまた特性の陽防塗薬のおかげか、その美顔は砂漠に住まう民とは思えないほどに白い。
 整った鼻梁の上に輝く二つの金色の瞳は、正に宝石のごとしだった。両眼は自分の歩く先の地面を見下ろすばかりで、周囲の沸き立つ観衆には目もくれない。その何かを憂いているような目遣いは彼女の神秘的な美貌に深みを与えていた。
 加えて、しなやかな筋肉の巻きついた健脚が強く地を踏みしめるたびに凛とした気配が放散され、周囲の浮ついた空気を暗黙のうちに遮断していた。しかしその安易ならざる確固とした姿が、人々の欽慕と羨望の情をなお掻き立てていることもまた事実である。
 調子のいい神父が言うには、この砂漠には天より二つの奇跡が降りたのだそうだ。一つは砂漠に人の生きる道を切り開いたヌイーヴ川。もう一つは、アリシア・エルギーツの美貌とその英雄譚だった。
  兵団には計六つの階級が存在する。まず一般兵卒として、三級から一級までの戦歩。うまく功績を挙げていけば戦正へ、さらに部隊の統率者たるに相応しいと認 められた者が戦師へと昇格する。最高位の戦導師となれば、兵団長を拝命できる資格を有するほか、司導院議員を兼任して行政を担うことも可能だ。
 多くの者は最終階級が一級戦歩、よくて戦正で生涯を終える。昇格には年功も考慮されるため、一定期間兵団に属し人並みの戦績を挙げていけば自動的に昇格があるからだ。
 一方で、アリシアは別格中の別格だった。
 アリシアは天賦の武才に恵まれ、女性でありながらその銀髪を敵の青血に染めてきた。加え、兵団長ロー・エルギーツの娘という肩書きに何ら恥じることのない明晰な身の振る舞いだ。
 結果、弱冠一七歳にして“戦師”の階級にまで昇り詰めるという偉業を達したアリシアの事例は、稀有を通り越して奇跡的ですらある。
 そんなアリシアに対し、兵団の最底辺に属するルイは、欽慕の情を禁じえないのだった。
「アリシア様、なんだか浮かない顔ね」
「うん……」
「……ルイ、心ここにあらずよね」
「うん……」
 がつんと後頭部に衝撃が走る。
「なんだよ!」
「隣にいる人間の話くらいちゃんと聞いてよね」
「聞いてるよ。アリシア様が浮かない顔だってんでしょ? でも、いつものことじゃない」
 そう、今日だけではない。アリシアはいつも浮かない顔をして帰ってくる。それがなぜかは、ルイの与り知るところではない。気にはなるが、自分ごときが拝謁できる相手でもなし、恐らくは一生知ることができないだろう。
 それでいい。だって仕方がないではないか。元より、一七歳で依然として三級戦歩の自分が、同じ一七歳ですでに戦師の彼女に届くわけがない。いや、そもそも手の届かない場所にいるからこそ尊いのだ、とルイは開き直り、ただただ神聖視していた。
 いや……だが、このまま透明な壁一枚を隔ててただ眺めるだけの日々というのも、いい加減、辛くなってきている。
 ――また、自分一人に対して微笑んでほしい。
 あの日、あの戦場跡で、アリシアが自分に対して微笑んでくれたあの瞬間が、ルイの恋慕に根ざしていたひとつの諦観を、幸か不幸か砕いてしまっていた。
 いや待てよ、とルイの頭に邪念が舞い込む。
 そうだ、今なら。
 今なら、お近づきになれるかもしれない。話しかける動機だってあるじゃないか。あの戦いの後で微笑みかけられた時、僕たちはきっと顔見知りになれたんじゃないのか。
 そうだよ。いけるじゃん。いける。いけるって。
 鼓動が高まる。はやる気持ちがルイの体を飛び上げるように起こし、両足を動かした。
 ヨリが慌てる。
「ルイ! ちょっと、どこ行くの?」
「今なら話せるかもしれないだろ!」
「え? だ、誰と?」
「決まってるだろ!」
 ルイは兵舎を飛び出した。

「あ、あにっ! あのっ! ア、アリシア様!」
 盛大にどもった。最悪だ。しかしまだめげる時ではない。
「お話しさせていただく機会を賜りたく!」
 ルイは石畳の上に膝を折った。アリシアは自分に話しかけてくる者に気づいて立ち止まり、きょとんとした目つきでルイを見下ろした。
 何事かと中隊全体が足を止め、それによって観衆もはやし立てるのを一斉にやめてざわめきだす。全方位から突き刺さる視線はかなり痛かったが、踏んばる。
「なんだ、お前は? アリシアに何か用か?」
 中隊の先頭を歩いていた男が面倒臭そうに話しかけてきた。金髪の男だ。銀の腕輪はアリシアと同じ戦師を示している。アリシアの所属する中隊の長ということなら、名前くらいはルイも知っていた。名はカリドだ。
「えっと、ですから、アリシア様とお話しさせていただきたく! 先日の合戦で、アリシア様とご一緒でしたので! お体は大丈夫かと!」
 言いながら、あんたには話しかけてないんだよ、と内心で反発した。
「はあ? あのな、アリシアがどういう身分か知らないわけではないだろう。アリシアはな、かのエルギーツ戦導師殿のご令嬢なんだぞ。手続きを踏め、手続きを。エルギーツ家担当の親衛隊に歓談の許可を請求する旨、書状で申し出たまえよ」
 戦導師の家系の者に私的に謁見するには、まずその家に直属している親衛隊を通して、会話の許可を請う書状を提出しなければならない。もちろん、ルイはアリシアと話したい一心で、今まで何度も書状を提出して許可を貰おうとした。何度も何度も。
 もっとも、ここ最近はそんなことはしていない。現実が見えたからだ。
「……ああ、お前では無理か」
 カリド中隊長は、ルイが身に着けている銅の腕輪を見ると、口元を歪めてそう言った。
「おい、みんな! この三級戦歩くんは、自分の弱小さゆえに歓談許可すら貰えず、それでも想い焦がれていたお姫様に会いたい一心で、ツラを下げるというかくも勇敢な行動に踏み切ったようである!」
 中隊が大爆笑した。
  そう、無理だった。本来ならば、ルイは二級戦歩が妥当、うまくいけば一級になれているはずの年頃である。にも関わらず実際は最底辺の三級。兵団で入隊した あと真面目に励んでいれば一年そこらで脱しているはずの階級だ。その地位ゆえに多忙であろうアリシアに、わざわざ三級戦歩と話させるような機会を与える益 などないと親衛隊は考えたわけである。
 だからこそ、今のこのタイミングしかないと思ったのだが。
 ルイの一途な心を、カリドは笑って一蹴した。
「まあ、諦めな。安心しろ、お前のようにアリシアのことで悶々としている健全男子はいくらでもいるぞ? 君はそういう連中と一緒に、イイコト妄想してればいいじゃないか」
「や、あの、でも!」
「あー、それ以上に訓練に励めよ? お前みたいなしょっぱい坊主じゃ、年功で一級戦歩くらいにはなれるが、そうなるまでに五割は死んじまうんだぞ。怠けているとウフフな妄想も長続きしないぜ?」
 中隊前方の一群が再び爆笑に湧いた。頭から発火しかねないほどの恥辱がルイを襲う。あまりの惨めさに、なんだか涙さえ出てきそうだった。自分のやっていることがとんでもなく馬鹿らしく思えてくる。いや、実際馬鹿だ。客観的に見たって大馬鹿だ――。
「ああ、君は」
 その時、アリシアがぽんと手を叩いた。
「やっと思い出した。君は先日、確かに一緒に戦っていた。うん、君は確かにいた」
 ルイが驚いて顔をあげると、アリシアは柔らかく微笑んでルイを見ていた。それからアリシアは、未だに跪いているルイと視線の高さを同じくするように身を屈めた。距離が一気に縮まった。今度は別の要因で、頭が発火しそうになった。
「体は大丈夫? 怪我とかはしてないか?」
「は、はい」
 話しかけられているという事実が事実として認識できないでいた。夢見心地というやつだ。
「それはよかった。君はきっと母たる神に守られている。これからもご加護があらんことを」
 と、アリシアの白い両手がルイの両手をすくいあげ、優しく包んだ。女性特有の柔らかさに、白肌から伝わる温もりに、ルイはひたすら焦がされた。
「あ、ああありがとうございます!」
 アリシアはにこりと笑って頷くと、立ち上がった。
 まずい。せっかく話す機会を手に入れられたのだ。このまま終わってはもったいない。ルイは慌てて、まるで物乞いのように口を開く。
「あ、あの、もしよろしければ!」
 またいつか話せたら、という申し入れを続けようとした時、ずどんという音と共に、ルイとアリシアの間に何かが突きたてられた。ルイは驚き、反射的に跪いたまま後ずさりした。見れば、突きたてられたのはカリドが持つスピアの柄頭だった。
「今晩のネタには十分だったろ。ん?」
 カリドは意地悪く笑うと、アリシアに隊列に戻るように命じ、それから再び中隊の先頭に立って全体に前進を命じた。
「ま、待って!」
 ルイは無意識のうちに叫んでいた。
 困った顔で振り返るアリシアを、中隊長は隊列の奥深くに移動させた。
 なおも追いかけようとしたルイは、何かに羽交い絞めにされた。
「もういいでしょ! 捕まっちゃうわよ!」
 ヨリだった。
「放せって! 話せる機会なんてもう二度と来るかわかんないんだぞ! アリシア様! アリシア様ー!」
「駄目だってば!」
「カリド中隊長殿ー! お願いですぅぅー!」
「しつこいってば!」
「どうか、アリシア様とー!」
「はぁっはっは! せいぜい妄想に励め、幸せな弱小三級戦歩!」
「妄想はやりつくしました! あとは実際にお話しさせていただくしか!」
「公衆の面前でなにバカなこと言ってんのよ!」
 結局、アリシアとはそれきりだった。
 ルイはその場にへたり込んで、中隊が行進していくのをぼんやりと眺めた。
 長年の憧憬の的だった人と遂に話すことができたという喜悦は、もちろんあった。だが、同じくらい落胆もしていた。
「もう少しで友達になれたかもしれなかったのになぁ……。もしかしたら、その先なんてことも……。くそ、ヨリが邪魔しなけりゃなぁ……」
「ルイのバカ」
 ヨリは憤然と言って、ばこんとルイの頭をどついた。

  †

 翌日、学舎の教室の最後列席で、ルイは干からびたサソリとなっていた。
  母たる神の教えを正しく解釈するための“正統解釈”の授業で、レキサの学舎というものがそもそも教会立であることから最も重要視されている科目である。ル イが今まで何かにつけてサボってきた授業だ。ヨリはいつも板書を一文字残さず写した羊皮紙を貸してくれるが、しっかりと頭に入ったためしはない。
 密やかに居眠りを断行しようとするにも、教師を兼任する丸眼鏡の神父の目は鋭かった。
「ルイ君。兵団の神聖なる義務を無事果たしたようで御苦労さま……と言いたいところですが、この授業を受けることも教えに記された義務のひとつですよ。ゆめゆめお忘れないように」
「はいはい、わかってますよ……」
「明日あるとも限らぬ命です。教えを正しく学び、高みを目指さなければなりません。あなたにはまだまだ自覚が足りないようですねぇ」
 黙れ、とルイは内心憤った。明日あるとも限らぬ命? そんなこと、言われなくたって身をもってわかっている。こっちは兵団なんだ。戦うんだ。わかっていないのはのほほんとした教会の神父共だ。
 そんなルイの心中など知る由もなく、神父は一つ咳払いをすると、教典の文言を砕いて説明する冗長な授業を再開した。
「えー、教典第三章第二節序説からでしたね。では読みますよ」

“ 母たる神は無を嘆き、母たる神は泪した。落ちたる雫は膨らみ、一筋の川を成し、そはひとつの奇跡であった。川際は聖地となりて祝福され、川の民らは富み、 砂の乾きをひとたび忘れうる。奇跡に出ずりた聖地は万象有終といえど永劫に聖地たりえなければならぬ。聖地害されんとさるる時、川の民らはその肉智を捧げ て悪因を排すべし”

「“川”、というのはわかりますね。ヌイーヴ川です。“川の地”というのは文言中の“聖地”と同じものを指していま す。これもわかりますね。この街、レキサです。レキサが害されんとしたとき、肉智を捧げて悪因を排すべし――つまり、具体的にはフォルミカントという悪因 と、肉体と知恵を振り絞って戦わなければならないと、そういう解釈になります」
 つまり、母たる神がフォルミカントを討てと我々に命じている。 フォルミカントとの戦いはこの上なく神聖にして崇高であり、また母たる神を信ずることの体現でもある。“母たる神を信じて待つ者にこそ救いは訪れる”、と いう中核教理と合わせて考えれば、つまるところ、戦うことは信じることになり、信じる者には救いが訪れるのだから、救いを得たくば戦え、というわけだ。
 ばかばかしさに溜め息が出た。あるかもわからない救いを求めて死地に行け、とはあまりにも歪んでいる。
 しかし、教えをばかばかしいと考える自分自身が実のところは一番ばかばかしいのだということは、自分でもうすうす感づいていた。
  教えがあろうがなかろうが、レキサの外に広がる砂漠に一歩でも出ればフォルミカントという化け物の軍隊の脅威がある。その脅威に対抗するための兵団は常に 維持されなければならないため、街の半分の人間は一〇代の前半から兵役に就かねばならない。四〇代まで生きられるのは御の字だ。
 常に死の恐怖という内なる敵と戦わなければならない兵団員にとって、数少ない精神的支柱である母たる神の教えを否定することは、まさしく愚の骨頂。
 最も賢いのは、何も考えずに教えを盲目的に信仰し、恐怖心を押しつぶし、根拠がなくても希望を持ち、自分たちの戦いは無駄ではなく神聖なのだ立派なのだと思い込んでしまうことだ。それが数少ない幸福へのしるべなのだ。
 頭ではわかっている。わかってはいるが、わかりきれない。
「ちょっと、ヨリ」
 隣で真面目に勉強していたヨリに話しかけた。ヨリは煩わしそうに目線だけをルイに向けた。
「なによ」
 神父の目を伺う。彼は黒板に板書していて、こちら側は見えない。
 それを確認すると、ルイはヨリの耳に囁いた。
「ヨリには感謝してるよ」
「へ? い、いきなりなに?」
「なにって、感謝の意を伝えたいんだよ。いつも板書とってもらってるしさ。ヨリがいなかったら僕は留年して、さらなる恥辱にまみれてたね。間違いない。ありがとうヨリ。本当に」
「……ねえ、なんか気持ち悪いよ」
 ルイは思わず眉をひくつかせたが、ヨリがそう言うのも無理はなかった。ルイが謝辞を述べるなど、“そは一つの奇跡であった”。
 ルイはたたみかけた。
「とにかく、ありがとう。板書をとってくれるヨリは僕は完全無欠の人格者だと思う。そういう人は大好きだよ」
 ヨリはそこで完全にルイに向き、しばしぽかんとした後、
「は?」
 教室全体に響き渡る声を発した。ヨリは顔が真っ赤だった。教室中の視線がヨリに集まる。ルイもここまでの反応は想定外だった。
「な、なに言いだすのよ! こんなとこで!」
「あ、え、ええとね……なんだろ、なんでそんなに反応するのかな……」
「ヨリさん、いきなりいかがなさったのです?」
 ルイとヨリは神父ににへらと笑ってみせた。
「な、なんでもないです! ぜんぜん!」「そ、そうそう、なんでもない、うん」
 神父は訝しげな表情を拭えないでいたが、取り合うのも煩わしいのか、すぐに黒板に向き直った。
 ヨリは、「もう!」と赤面したまま奮然とした。ルイは最大限に声を絞るよう努めて、早口で言う。
「とにかく! 僕は僕のために懇切丁寧に板書をとってくれるヨリは、完璧人間だと信じて疑わない! 板書をとってくれるヨリはね! じゃ!」
「はい? それって、どういう……え、ちょ、ルイ!」
 ルイは教室の入口に向かって一目散に走った。もちろん神父に気付かれないように、足音は潜め、身をかがめながら。
 入口に垂れ下っている染布をひらりと潜る。
 あとは全力で廊下を駆けるのみだ。
 疾走しながら聞き耳を立てる。神父の怒声は聞こえてこなし。ヨリの呼び留める声もなし。
 作戦は成功だ。
 後日、ヨリが板書を受け取らせてくれれば完璧。ヨリは最近、わたしの板書ばっかに頼るなとぷりぷりしていたが、おだてまくっておいたからもう一回くらいは平気だろう。
「……にしても」
 ヨリの反応が極端だった理由は、結局なんだったのだろうか。


  ◆第二章  異端者どもの異端な鼎談 - Pagans’ Meet -

 母たる神に庇護を受けた鉄壁とされるレキサの防壁に、実は人一人分が潜れるだけの抜け穴があるなどと、いったい何人のレキサ人が知っているだろうか。
 ルイの知る限り、ルイのみである。
  本来ならば門番でがっしりと固められている門扉をくぐらなければ街から出ることは叶わない。門番は任務に赴く兵団か外商団くらいしか通過を許さない。うま く門番を騙せればよいのだが、ルイは過去に一度証書偽造に失敗して以来、一人で門扉に近づくだけで門番に睨まれるようになってしまった。
 それでも、諦めきれなかった。一人で好き勝手に外界に飛び出したかった。訓練と授業と命がけの任務で終わる鬱屈した日々を、少しでも忘れられる時間が欲しかったのだ。
  好き勝手に街の外には出られなくなったかと思っていた矢先に見つけたのが、内壁沿いの民家と民家との間にある抜け穴である。かつてある日、今日のように学 舎の授業から脱走したのだが、運悪く街中を歩いていた神父に発見されてしまい、砂ガエルを追うコブラのように猛追してきたのである。怒れる神父をやり過ご すため、狭い家屋の隙間に駆け込んだのだが、そこに偶然この抜け穴があったのだ。
 以来、ルイは好きな時にレキサの街から外界へと抜け出る。
 この街は、閉塞的すぎるのだ。息が詰まる。
 かといって、外に出てもそこに広がっているのは乾ききった砂の世界だけだが、それでもルイにとっては上官や神父にああしろこうしろと指図されるよりはマシだ。
 砂塵の中をかいくぐって、東に三キロほど進んだところに、砂の海に浮かぶ緑の孤島が存在する。
 オアシスだ。
  ここからではもはやヌイーヴ川を望むことはできないが、川を流れる水が地下を通ってここまで通っているらしい。そしてその地下水脈はちょうどこの付近で地 表近くまで上がっており、それが草木を育んだようだ。木々が栄えたその中に入れば、ちょっとした密林の中に迷い込んだような気分になれる。
 毎日毎日砂と埃にまみれながら暮らすルイにとって、ここは少年の冒険心を掻き立てる物語の世界そのものだった。
  おまけに、兵団や外商団がここを訪れることもない。彼らにとってのオアシスの需要の主たるものは水源としての機能だが、以前このオアシスの水脈調査が入っ たとき、ヌイーヴ川からの地下水脈は通っているものの、地面のあちこちに樹木の頑強な根が網のように張り巡らされており、人為的に泉を沸かせることは不可 能だと判断された。それ以来、このオアシスをわざわざ訪れる者はないのである。
 まさに、ルイだけの秘密基地。
 ルイはいつものように興奮しながら木と木の間を進んだ。もう少し行った先に、木々が不思議とまったく入り組んでいない円状に開けた広場がある。そこがルイの安らぎの場所だ。
  木の枝やつるが行く手を阻もうとする。それらはルイに、まるでオアシスがこの先の宝物を見つけさせまいとしているかのように思わせ、なおいっそう沸き上が らせる。できるだけやりたくはないのだが、どうにも邪魔な枝やつるは、いつも肌身離さず持っている錆びたナイフのなんとか使える部分で切断して奥へと進む ことにしている。今回もいくつか枝を捌いた。もっとも、最近はナイフの出番も減っている。これまで何回か通っているうちに障害物はだいたい切り終え、自分 なりの道が出来上がりつつあるからだ。
 ここは、僕だけの場所だ――そう思わずにはいられなくなるのも無理はない。
 このまま自分の家にしてしまえたらいいのに。ああ、でもヨリくらいには教えてやるか。でも、あいつに教えたらうるさいだろうな……。
 そんなことを考えながら、広場の直前までやってきた。邪魔だった太い枝が、すぱんと景気よく切り落とせた。
 よし、今日もここでのんびり――、
「え?」
 ルイは止まった。風に揺られる木々よりも動きを失った。そして広場の中央に目を凝らした。
 なんだ、あれ?
 目を凝らす。そして、それがなんであるかを理解すると、
「……っ!」
 心臓が跳ね、呼吸が止まった。近くにあった苔むした岩場の陰へ跳び込み、限界まで体を縮こまらせた。
 まさか。そんな。なんで。ありえない。馬鹿な。
 体中から冷や汗が噴き出るのを感じつつ、恐る恐る岩場から広場を覗き見た。
「……フォルミカント」
 一人だった。
 珍しい。女性体だ。全身に鎧を着込み、腰には一振りのサーベルを下げていた。
 フォルミカントの女性は、男性との体格差がきわめて著しく、男性よりも遥かに人間に近い体型をしている。
  まず、女性体の平均的な身長は男性体のそれより低く、ルイより少し背が高いくらいだ。おまけに男性体に比べると細身かつ小柄であり、だから鎧が覆う体の部 分も多くなり、フォルミカント特有の赤茶けた外皮はほとんど隠れる。一見すると、体全体に鎧を着込んだ頭のおかしい熱射病志望か、あるいは甲冑人形であ る。
 また、血のような深紅色に染まった複眼は、男性体よりずっと小さく、人間の眼窩の形そっくりな両端が尖り気味の楕円形になっていて、しかも 瞼らしき器官もあった。複眼の中央にはなんと黒目があり、これまた人間の眼球を模して備わったものとしか考えられない。そればかりか、顔面全体が人間に近 くなっている。顔の皮膚だけは白く、外皮の継ぎ目もなく、人の如き輪郭で鼻梁があり、二対の鋭い顎の間には円状に開く口がある。
 しかしよく目を 凝らせば四肢には二節の間接があるし、着ている鎧もそういう構造だ(もっとも間接同士の間隔が男性体よりはるかに狭いから、人間のような一節型の手足のよ うに見えなくもない)。さらに腰の後ろには、一般的な昆虫でいうところの“腹”にあたる膨らんだ部分があるし、頭部には触覚もある。手足の先には男性ほど 立派ではないが鉤指が四本並んでいる。人間に近い体型ではあるものの、人間でないのは一見にして明白である。
 学舎の敵性学の授業をルイは思い出 した。フォルミカントの性差は、体格と子を設ける機能の有無という生物学的な側面のみであり、社会的にはほとんど変わるところがない。つまり、広場に座り 込んでいるあのフォルミカントもまた兵役に身を投じ、あのサーベルで人間の肉を裂いてきたに違いなかった。
 憎むべきそのフォルミカントは、地から盛り上がった木の根に腰掛けて、身動きをほとんどしない。まるで死んでいるのではないかと思えてしまうが、よく見ると赤い触覚がぴくぴくと動いている。背中は丸め、どこか力ない様子だった。
 最悪だ。せっかくの自分の場所が、この世で一番忌み嫌う化け物に踏み入られた。
 殺してやりたい。
 八つ裂きにして――父さんと母さんの、仇を。
 ナイフを握りしめる。だが、ルイにはそこまでが精一杯だ。
 殺意を覚える一方で、その殺意に流されることができない。頭のどこかが冷え切っていて、しきりに警鐘を鳴らし続けている。
 勝てるわけがない、と。
 体格の違いは言うまでもなし。その上、完全な戦闘民族で一生のほとんどを戦闘か訓練に費やすフォルミカントに、自分のような三級戦歩が敵うはずがない。
 どうする。どうするべきだ。どうすれば。ルイは混迷に陥っていた。
 その時、さらに事態が変わった。殺意と喪失感と恐怖心ががんじがらめになったルイの目を、限界まで見開かせるようなことが起きた。
 広場にもう一人、入ってきたのだ。ルイと同じ人間が、フォルミカントのいる広場へ、だ。
 しかもその人間は、
「あ……アリシア様!」
 ルイは思わず声を上げてしまった。そしてそれが、ルイの運命を決した。
 フォルミカントは石像のように不動だった先ほどからは信じられない速さで立ち上がり、一瞬でサーベルを抜いた。
「う、あ!」
 ルイは声にならない声を上げ、踵を返して走りだした。
 が、逃走は三秒も続かなかった。
 後頭部を巨大な手にがしりと掴まれ、一気に持ち上げられたのだ。鎌のように鋭い指がこめかみや額に食い込んで激痛が走る。首は引っこ抜けそうだ。
「ぐ、ああぁぁっ……! 痛い! 放せ! 放せよ、この! 化け物っ……!」
 腕を斬ってやろうと後頭部の後ろでナイフを振り回すが、フォルミカントの鉄鎧をガチンガチンと打ち鳴らすばかりだった。
「やめろ! 3018! やめてくれ!」
 甲高い声が訴えるのを聞く。しかしルイの頭を鷲掴みにする手はその力を緩めなかった。
 フォルミカントはルイの小柄な体を一度空中で振ってから、
「がっ……!」
 地面へと盛大に叩きつけた。頭蓋が割れたかと思うような衝撃が走る。視界はぐるぐると回り、甲高い音が頭の中でうるさく鳴り響いて何も聞こえない。
 ぶれにぶれる視界の中、フォルミカントがサーベルを抜くのを見た。フォルミカントは今にもルイの喉元へ一突きしようと構えている。
 ルイは死ぬ覚悟すら決めず、自分の短い人生をひたすら呪った。
「やめろ、と言った」
 果たして、フォルミカントの構えたサーベルはルイの眼前で停止したままだった。
「剣を納めてくれ、3018。これ以上は……」
 アリシアが、レイピアの細い剣身をフォルミカントの喉元に突きつけていた。
「……Formicant・は・ヒト・駆逐する・が・役割・責任・義務」
 フォルミカントは、二対の顎を蠢かせながらシューシューという音と共に拙い人語を発した。
「それでも、やめてくれ。もしお前がこの人を斬るつもりなら、私もお前を斬らなければならない」
 フォルミカントは沈思した。木々のざわめきさえ聞こえない、重苦しい沈黙が場を張り詰めさせる。
 やがて、
「不本意・しかし・であるが・だけれども・アリシア・と・敵対・も・不本意……」
 フォルミカントがサーベルを鞘に納めた。アリシアは一息ついて身の緊張を解くと、レイピアを納めてからすぐにルイの近くにしゃがみ、顔を覗き込んだ。
 顔にかかる銀髪から漂う甘い香りがルイの鼻腔を満たした。薄桃色がかった唇が必死に自分に呼びかけているのがわかるが、声は遠く、しかもなお遠ざかる。不安げに揺れる金色の双眸を見つめ返す。やっぱりきれいだな、と思ったそれが、ルイの意識が途切れる直前の光景だった。

  *

 嫌な世の中なんだ。
 僕らはどうして、こんな砂の上に生まれてきたんだろう。
 僕らはどうして、化け物に怯えながら暮らさなけりゃならないんだろう。
 いつか、いつか絶対に救いが訪れるんだって、父さんも母さんも言っていた。だから、ルイ、おまえも信じて救いを待たなきゃだめなんだよって、いつも言われた。父さんも母さんも、母たる神の教えを頑なに信じていた。
 そうして父さんと母さんは、信仰を守りながら、休みなく働いた。母さんは農家の生まれだったから、家業を引き継いでいた。敵と戦う必要はなかったけれど、家計は苦しくて、年を重ねるごとに母さんはひどく衰えていった。
 結局農家としては食べていけないからってことで、父さんは兵団に志願した。腕っ節には自信があるとか言ってたけど……虚勢もいいとこだよ、ガリガリだったしさ。
 母さんがついに倒れてからは、早かった。フォルミカント軍との大きな合戦があって、父さんもそれに参加した。
 ……父さんは、兵団支給の何の飾り気もないナイフで、最後まで抵抗したらしいんだけど。
 病床の母さんを気遣うあまり、兵役に専念できなくなってたのかな……。
 母さんも、報せを聞いてから心労で。すぐだった。まるで父さんの後を追いかけたみたいだった。
 僕に遺されたのは、刃こぼれしたナイフだけ。ぎりぎり、植物を切れるくらいの。
 あの世にいる父さんと母さんにさ、聞いてみたいよ。あれだけ信じて、あれだけ働いて、それで救いなんて来たの、って。教えを守って土を耕して、剣振って、それでよく希望なんて持てたの、って。
 それでもやっぱり、僕に信じて待てって言うつもりなの、って。
 馬鹿みたいだ。
 僕らは馬鹿みたいなこんな世の中で、馬鹿みたいに暮らしていかなきゃならない。
 僕らは、吹かれて飛ばされるちっぽけな砂粒でしかない。

  *

 自分の目に入った涙による痛みで、目を覚ました。慌てて外套の綺麗な部分を探し、目を拭う。
「起きたか」
 心底安堵するような声。アリシアだ。彼女は広場の一角に座っていた。
「はい」と返事をしたつもりだが、定かではない。とにかく頭が割れるように痛い。自分の体勢を確認する。地中から露出している根をベッドのようにして、そこに寝かされていたようだ。
「外傷は目立たないが、あまり動かない方がいい。今はまだ血をかきまぜすぎるのはよくないから」
「はい……」
「3018・は・アリシア・以外・の・ヒト・を・不信・猜疑・懐疑・する」
 シューシューという音と共に発される声を聞いて、ルイは飛び起きた。目がくらんで足が滑り、派手に転倒する。それでもすぐにまた飛び起きた。
「動くなと言ったのに」
「どういう、こと」
 慌てて「なのでしょうか」と付け加える。
 気絶させるほどの強烈な一撃をルイに見舞ったフォルミカントも、広場の一角に座っていた。ルイとアリシアとフォルミカントで、ちょうど三角になるような位置取りだ。
「彼女は私たちに害を与えることはない。大丈夫だ。だからそう構えるな」
「でも、さっき……!」
「ごめん。私の責任だ。ここに私以外にレキサの人間が来ることなんてこれっぽっちも思っていなかった。結果として、互いを理解する間もなくあんなことに……。君にも3018にも、本当にすまなかった」
 申し訳なさそうなその表情は、表面だけで作ったものではないようだった。
 自分に謝るのはいい。だが、3018とか呼ばれているこのフォルミカントにも謝意を示すというのはどういうことなのだろう。アリシアは人間で、人間はフォルミカントと対立するものだ。凄まじい違和感を覚える。今すぐ3018とやらを斬り伏せる方が自然というものだ。
「彼女の名前は、3018」
「さんぜろいちはち……?」
「Hastati MMMXVIII, CCXII Decurio innus.」
 それはフォルミカント独自の言語だった。すぐにアリシアが補う。
「えっと、名乗ってるんだ。自分は第212番十人隊のハスタティ3018だ、と言ってる」
「十人隊? ハスタティ?」
「3018。彼は、えっと……」
 アリシアの視線に尋ねられて、「ルイです」と答える。
「ルイデスか。彼はルイデスだ、3018」
「個体名・ルイデス・記憶する・した」
「あ、いや、違います違います……っていうかそんなことはどうでもよくて!」
 いよいよ混乱は極まった。
「待って! いや、待ってください! わけがわからない! どうして、アリシア様と蟻もどきが一緒にいるんだよ! おかしいでしょ、こんなの! おかしいよ!」
 ルイは現状の不可解さを精一杯訴えた。願わくば、アリシアには今すぐに目の前の憎むべき敵を絶命させてほしかった。
 ところがアリシアは、「落ち着いてくれ」とか「話を聞いてくれ」とか言うばかりだった。ルイは、もはや目の前の少女がレキサの司導院委員令嬢であるアリシア・エルギーツであることすら疑いかけていた。
「殺してよ!」
 いつしか、涙を滲ませながら叫んでいた。
「殺してよ、アリシア様! その化け物を! 父さんがそうされたように! 今ここで! 殺してよッ!」
 ……言い終えて、耳に殷々と残ったのは木々のざわめきのみだった。
 場を沈黙が満たす。
 アリシアの表情は沈痛に満ち、3018はといえば、こちらは表情を生来表わせない。
 憧憬の的だったアリシアの表情が自分の発言のせいで暗く曇っているのに気づき、ルイは、そこでようやく怒らせていた肩を下ろした。そのまま、木の根にどっかりと腰を落とす。
 話を聞き入れてくれると思ったのか、アリシアは静かに話し始めた。
 3018は、先の合戦で傷ついたフォルミカントの重装歩兵の一人だという。最前線で戦ったが、仲間は死に、後続部隊とははぐれ、結果として孤立した。
  極めて全体主義的であるフォルミカント社会では、“個”の概念を徹底的に希薄化させている。たかだか一個体に救助の手が及ぶようなことは、よほどその個体 が種族全体にとって重要でない限りありえない。3018もそれを重々認識しており、やむなく一人歩き続けたところ、このオアシスにたどり着いたのだとい う。水の匂いがしたが、ついぞ水場は見つけられず、客死する覚悟でいたそうだ。
 アリシアが彼女を見つけたときは、彼女は衰弱を極め、いよいよ身罷ろうというときだった。剣を振るう力は既になく、鎧の重さで歩けないくらいに衰えていた3018は、何の抵抗する素振りも見せなかったという。
 アリシアは彼に、自分が携帯している水を与えた。それから付近から採れる果実をもぎり、食べさせた。
「……どうして、そんなことを」
 ルイの当然の疑問に、アリシアは答えることを躊躇った。だが、すぐに覚悟を決めたように顔を厳しくして、話し始めた。
「私は、フォルミカントと戦うことを正しいことだとは思っていないからだ。人はフォルミカントとも手を取り合えると、そう思った。だから助けた」
「なんで、そう考えるんです。……教えに反する」
 こんな時だけ毛嫌いしていた教えを持ち出すなんて調子がいいと自嘲した。
「そうだ。私は……教えを否定している。私はあの教えには従わない。私はフォルミカントを人々の永遠の敵だなんて思っていない。フォルミカントの命もまた、人と等しく尊重されるべきだと考えている」
 あれだけ聞きたかった声のはずなのに、今はとにかく耳を塞ぎたかった。レキサ中の憧れを一身に受ける彼女が、“銀戦姫”として戦場を駆ける彼女が、利敵に加え反教などと。
「敬虔であろう君には、理解してもらえないかもしれないが」
「理解できません」
 目の前のアリシアをすべて否定する意思を込めて言った。
「教えの信者として理解できないんじゃないです。僕は敬虔なんかじゃない。教えの授業はつまらないと思ってるし、こうしてサボって抜け出すし、そもそも教えなんてばかばかしいと思ってる。でも、あなたの考えは理解できません。一人の人間として、理解できないんです」
「君もフォルミカントは、倒すべきだと?」
「皆殺しにすべきです」
 アリシアは俯いた。
「お父様と同じことを言うんだな」
「だって、それが当たり前じゃないですか。みんな、何かしらの形でフォルミカントには酷い目に遭わされてる。……僕だって」
 服の上から懐のナイフを掴む。
「手を取り合うなんて、できない」
 ルイは断ち切るように言った。せっかくまた話せたというのに、こんな話題になるとは思っていなかった。辛かった。
 アリシアが悲しげに目を落とすのも、見ていられなかった。
「わかった……。じゃあせめて、今この場だけでもいい。ここだけでいいから、3018と戦おうとしないでほしい。3018も私の個人的な友人なら斬りはしないと言ってくれてる」
「3018・は・アリシア・悲哀・望む・しない」
 ルイは、アリシアの申し出に是とも否とも答えなかった。答えたくない。だが、ルイが3018を討とうとしたところで、どうせ敵いはしないのは明白だ。そうではあるが、戦わないと明言することは躊躇われた。
「わからないです」その言葉を、喉の奥から絞り出すのがやっとだ。「わからない、もう」
 口を閉ざす。
 アリシアは、深く息をついて、3018に言った。
「ここは、何か果物がなっているかな?」
「果糖・の・匂い・感知する・している。3018・採取する」
「でも、おまえは足が」
「問題・ない。3018・採取する」
 アリシアの制止を押し切って、3018は林をかきわけて姿を消した。
 アリシアとの二人きり。普段のルイなら夢のような状況と捉えるだろうが、今はなんだか複雑な気分だった。
「あいつは……3018は、フォルミカントにしてはちょっと変わってるんだ」
 アリシアはルイの隣に座った。甘い、気持ちの良い香りがした。
「フォルミカントには心がない。この話、知っているか?」
「……聞いたことくらいなら、あります」
  フォルミカントは情動に乏しいという。感情という概念を捨ててさえいるようだ。全体主義を貫く彼らは、社会が機能的であるためには個々の喜怒哀楽や私欲は 障害物でしかないとみなしており、それら障害が発生する根幹である感情、即ち精神の起伏を一切排除している。怒ることも哀しむことも、喜ぶことも楽しむこ ともない。それをもって“フォルミカントには心がない”と言われるのだ。この性質は彼らの種族にとって先天的なものであり、後天的にも性質が維持されるよ うに処置が施されるのだという。
「あいつの場合、他のフォルミカントと違って、さっきみたいに敵のはずの私の言うことを聞いてくれる。私を気遣ってくれもする。私たち人間に興味を持っているような風でもあった。なんだか、細かいところで心を感じるんだ」
「それは、あのフォルミカントがアリシア様を利用すれば種族の利益になる、って考えてのことなんじゃないんですか」
「そうだな。そういう捉え方もある」アリシアは苦笑する。「でも、そうとは言い切れないところもあるんだ。とにかく、少し他と違うんだよ。うまく言い表せないけど」
 アリシアの言っていることは、ルイにはよくわからなかった。3018はルイを発見したとき殺そうとした。それは3018が一般のフォルミカントであることの最たる表徴ではないか。
「ひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか、アリシア様」
「うん」
「どうしてこんな所に、お一人でいらっしゃっるのですか」
「それは、その」
 アリシアは口を濁す。ルイは「答えたくないなら別にいいです」と慌てて付け加えた。
 しかし、答えはあった。
「外を、自由に歩いてみたかった」
 照れ笑いを浮かべながらの、簡単な答えが。
「兵 団の任務以外の時は、だいたい家庭教師か武芸の師範と一緒か、そうでなければ書庫の本を読み漁るくらしかできない。外に出られるのは、兵団の任務で戦いに 行く時くらい。それも物凄い観衆に見送られながらだ。私を称えてくれるのは、もちろん嬉しい。でもちょっとだけ、窮屈に思ってしまって……一度、逃げだし てみたくなった」
「で、実際に逃げだしたわけですか」
「うん。そうしたら、」アリシアは銀の頭を掻いて、逃げるように目をそらしながら言った。「癖になってしまって」
 ……それって。
「僕と、同じだ」
 ルイは意識せずして頬が緩んだ。
「僕もです。僕も、好き勝手に外を歩き回ってみたかった。辺りは砂だらけだけど、それでも自由に歩いてれば何か面白いものが見つかるかなって思って。そんなことやってたら、常習犯に」
「でも、どうやって? まさか正門を好きに通れるわけじゃないだろう?」
「あー、えっと……」
 まさかこの秘密を共有する初めての相手がアリシアになるとは、思いもよらなかった。
「その、抜け穴があるんです。防壁を貫通している抜け穴が」
「まさか、六区の? 白い戸布の家と、黒い戸布の家との間にある、あれか?」
「え? そ、そうですけど、なんで……」
「なんでって、」アリシアはとんでもないことを言った。「あの抜け穴は、私が作ったんだ」
「え!」
「夜中にうまく邸宅を抜け出して、防壁の脆かった部分をスコップで。一週間もかかった」
 “銀戦記”と謳われる英雄が、真夜中にスコップでせっせと抜け穴を掘っている様を想像する。ルイは噴き出した。
「は……はは……あははは」
 ルイは乾いた笑いを漏らし、アリシアもまたつられて笑った。やがては二人揃っての大笑いが、オアシスの中に響き渡った。
「私たちは同罪だな、完全に」
 同罪。罪の共有。共有? あのアリシアと。
 ルイはアリシアの目を見続けることができなくなり、「そ、そうですね」と顔を赤くして視線を落とした。
「ドウザイ? ルイ・アリシア・罪人・か?」
 ああ、あとはこいつさえいなければすべてが完璧だったのに。
 3018が、長大な腕いっぱいに色とりどりの果物を抱えて帰ってきた。
「3018・も・人間・駆逐する・しない、であれば・罪人・か……」
 3018の鎌首をもたげたような頭がいっそう俯く。フォルミカントに落胆や悲嘆はありえないとはわかっているが、悩んでいるような、落ち込んでいるような、そんな風に見えなくもない。
 3018は広場に大量の果物をどさりと置くと、アリシアに一番大きい赤いベリーを渡し、そしてルイにも同じ種のベリーを差しだした。
 ――あいつは、ちょっと変わってるんだ。
 脳裏に蘇るアリシアの言葉を振り払うかのように、ベリーをぶんどった。
 食らいついたベリーは、驚くほど甘かった。

「私は、まだここにいる」
 ルイがアリシアにそろそろ自分は帰らないといけないと言ったとき、アリシアはルイについていこうとはしなかった。自分ではなくこのフォルミカントを選ぶのかと絶望感に襲われたが、理由はルイにとっても説得的だった。
「私と君が一緒に歩くのが見つかると、いろいろ君に迷惑をかけることになる。だから時間差をつけて戻ろう」
「なるほど。そうですね」
 ルイは納得した。自分を先に行かせようとするのは、自分が未だに3018と一緒にはいたがらないことを察しての配慮かもしれない。
「じゃ、先に行きます。道中、お気をつけて」
「うん、ありがとう。君も」
 じゃあ、とルイは砂漠に出る方角へ歩を進めようとしたとき、「待って」と右手を掴まれた。突然右手が女性特有のしっとりとした手の感触に包まれたので、一瞬体がびくりとした。
 内心穏やかではないルイの心中など知る由もないアリシアは、深刻な顔つきだった。
「今日のこと、司導院に話すか」
「わかりません」
 アリシアがフォルミカントを介抱していたなどという事実が司導院に伝われば、アリシアの立場は危うくなるのは間違いない。自発的利敵罪と処断されれば、極刑あるいはレキサ防壁外追放は免れないが、そのどちらにしても待っているのは死のみである。
 自分ははたして、アリシアを窮地に追いやってまで貫く正義など持っていただろうか。
 それすら、わからなくなっていた。
「こんなことになるなんて、まったく予想してなかったから。だからこれからどうするかなんて、今は、まだ」
「そうか。そうだな……」
 アリシアはそっと手を離した。離された手に感じる空気が冷たかった。それほど日が落ちていたのか。
 ルイは、砂漠へ向けて歩きだす。
「君は、私を、3018を理解できないかもしれないけど!」
 背中からアリシアの声が飛んでくる。ルイはもう振り返らなかった。聞こえないふりをした。
 ルイは歩き続けた。
「でも、私たちをとりまく今の状態が正しくないんだってことは、わかってほしい!」
 歩き続けた。
「それだけは、わかってほしいんだ!」
 そんなこと、言われなくたって。
 そう零して、歩き続けた。
 数刻ぶりに戻った砂漠の世界は、暗く、寒く、そして、
 砂は舞ってはいなかった。


 ◆第三章  夜中の銀と、矛と盾 - Their Paradox -

「しまったなぁ……」
 翌日、新しく所属した小隊での訓練でのことだった。ルイはあることに気づき、落胆していた。
 父の唯一の形見であるナイフを、あのオアシスの広場に忘れてきてしまったのだ。
 3018とひと悶着あった時に手放したきり、拾うことを忘れていたようだった。
「そこ! あれほど慎めと言った私語をしなければならんほどの重大な問題が起きたようだな! なんだ、言ってみろ!」
 構えの見本を再現していた小隊長が、ゴム製の黒い模擬剣の切っ先をルイに突き付けてきた。
「げ! あーえっとそのいやいやえっと……!」
 両手を突き出してわたわたするルイを、小隊長は言葉で斬り捨てた。
「さあ、ここへ来るんだ。お前には他の八名と総当たりで模擬戦してもらおうか」
「そ、そんな!」
「ソンナもオンナも我々には無縁ッ! しかるに貴様は体が華奢で顔も不当にメスじみている! 貴様のようなやつは私が特別に面倒をかけて筋骨隆々に作り直さねばならんのだ! この私のようにな! 来い!」
 ルイはからくり人形のようにカクカクと小隊長の近くに進み出た。ほか八人の隊員たちの表情のほとんどに嘲笑の色が浮かんでいた。
「ではまずクローディル一級戦歩、前へ!」
 ルイは蒼白になった。よりによって小隊で一番ガタイの良いクラーディルが当てられるとは。
「は! しかし隊長、ひとつ異議がございます!」
「なんだ!」
「私は剣技も腕力も本小隊随一との自負がございます!」
 自分で言うな。
「私がルイのような、男とも女ともわからぬ弱小三級戦歩との模擬戦をすることに意義が見出せません!」
 黙れ。お前の股間蹴っ飛ばすくらいならできるぞ。
「黙れ! ルイとて貴様の股間を蹴っ飛ばすくらいのことならできるだろう!」
 小隊長の奇跡的なまでに偶然の代弁に、ルイは驚愕した。しかも他人に言われるとなぜか腹立たしい。
「どんな弱小ななりをしていようとも、敵はそれを補わんだけの手を隠し持っているというものだ! ゆえに強弱問わずあらゆる敵を全力で捻り潰す! 貴様らにはルイとの模擬選を通じてその全敵全力の精神を身につけてもらう! それがこの模擬戦の意義だ!」
 どいつもこいつも言いたい放題すぎる。ルイは完全に頭に来た。こうなったら本当に本気だ。それこそ、いざとなったら股間を踏み抜いてやる。一生子孫が残せない惨めなザマにしてやる。
「始め!」
 小隊長の合図に応じて、クローディルと模擬剣の先端付近を軽く当てあい、そして互いに距離をとる。間隔は二メートルほど。
 クローディルは慎重が高く体が大きい分、低位置をすばしっこく駆ける相手は苦手なはずだ。そう睨んだルイは、
 たん、と一メートル一気に踏み込み、
 そして姿勢をくっと落とした。
 クローディルも応じて真正面から向かってくる。
 斬り合う、
 のではなく、ルイは横に飛んだ。
 外套はひるがえり、その末端をクローディルは図らずして刺突した。
 かかった。
 ルイはほくそ笑みながら背後へ回り、思惑通り、その股間を蹴り上げ――、
「がはっ!」
 ー―る前に、顎に衝撃。視界は上へと吹っ飛び、空を通り越して、上下逆さまの地面と見学者たちが目に入り、どさりと背中から倒れた。
 一瞬、何が起きたかわからなかった。
 クローディルは、後ろに回ったルイの顎を、左足の踵で馬のように蹴り上げたらしかった。
 蹴り上げるつもりが蹴り上げられたルイは慌てて起き上がろうとしたが、何か細長いものに胸を突かれ、押されてそれは叶わなかった。
 胸に突きたてられたのはゴム製の模擬剣だった。「勝者、クローディル!」と小隊長の声。
「すまない、ルイ。心から謝罪する」クローディルは頭上で言った。「お前が弱すぎて本気の半分も出せなかったことを」

 それから、一人ずつ隊員がルイ一人にあてられた。もちろんルイは弱いなりに勝とうと努力したし、もちろん結果は敗北を重ねるだけだった。
 そして七人目。
「勝者、レセッペンス!」
 こいつにだけは勝てると思っていたレセッペンスにすら負け、心身共に尽き果てたルイは地に崩れ落ちた。
 と、その時、信じられないものを見た。
 親衛隊員に囲まれながら、訓練場の守衛に話しかけているあの女性。
 あれは、アリシアではないのか?
「アリシア様が視察にいらっしゃったぞ! 気合いをいれろ!」
 小隊長の喝が裏付けだった。朦朧としていた意識がしゃきりと蘇った。惨めな様を見せまいとして勢いよく立ち上がる。
「ほう! ルイめ、まだまだ気力が残されているな! ではルイ対ナラウス、始め!」
 しまった。試合が始まってしまった。だがまあいい。八人目、これが最後だ。
 今度こそは本気中の本気を出す、とルイは己に誓う。アリシアに見られているかもしれないというだけで、ルイの中で何かが変革を起こしていた。
 実際、ナラウスのフェイントをかけた斬撃を、ルイは受け止めてみせたのである。
 ナラウスは警戒して距離をとったが、ルイが間髪入れず詰め寄る。左から斬ってくる……と見せかけて、右から。見切っていたルイは再度それを受け止め、またも鍔迫り合いに持ち込めた。いよいよ見学者から「おおっ」と声が上がる。
 その時、奮戦中のルイの耳に、潤いのあるあの愛しき声が飛び込んできた。
「守衛。実は、この訓練場で人を探してほしいのだが……」
 まさか、とルイは思った。まさか、自分か。自分のためにわざわざ足を運んでくれたのか。
 だとしたら、嬉しすぎる。
 手に普段以上の力がこもる。不思議と、相手の剣を押し返せているように思えてきた。
「ルイデスという名の三級戦歩はここにいるか?」
「ルイデスですね? 利用部隊の名簿がありますので、そちらで調べてみます」
 は?
 ルイは耳を疑った。そして本能がしきりに訴えかけていた。
 これはやばい、と。何かが決定的に絶対的に致命的にまずい、と。
「んん、こちらにはいないようですね。ルイならいますが、ルイデス、なのですよね?」
「うん、間違いなくルイデスだが……。いないなら仕方がない、他を当たるよ。ありがとう」
 ルイの目が点になった。
 アリシアは守衛に敬礼して、護衛と共に訓練場を去っていった。
「ま、ま、待ってー!」
「勝負に待ったはないっ!」
 次の瞬間、一気に腕を引いたナラウスによってルイは前方へと転げ、後頭部をずばんとやられた。
「勝者、ナラウス!」
 ルイは今日、色々なものに負けた。徹底的に打ち負かされた。

  †

「最悪だ」
 夜。ルイは粗い石造りの冷たいベッドに潜り込んでから一時間は経つものの、未だに寝つけずにいた。頭を掻きむしりながら、毛布の下で悶えていた。
「どうしてあの時すぐに……名前を訂正しなかったんだろう……。バカだ……僕は底抜けの大バカ者だ……」
 口惜しい。あまりにも口惜しすぎる。ルイはベッドの中で、毛布を持ち上げるほどの盛大な溜息をついた。
「でも、僕のこと、探しにきてくれたんだよね」
  多忙の中でも時間を作って、自分のような兵団の最底辺に沈んだ塵芥のためにわざわざ足を運んでくれたのだ。それがどういう目的であったかは、これ以上は考 えまい。とにかく、ルイのためにあのアリシアが何かしたという事実は確かなものだ。好意的に物事を受け取ってみろ、と自分を叱咤する。これは幸甚ではない か、と。
「それはそれとしても……やっぱ、僕は大バカ者なんだよな」
 懸念は、まだあった。アリシアの勘違いによるすれ違いよりも、もっと深刻な懸念だ。
 ナイフのことである。
 よりにもよって、あのオアシスの広場に置いてきてしまった。
 アリシアのことで一喜一憂して忘れようとしていたが、どうにもうまくいかない。
「取りに行くべきなのかな……。あぁ、くそ、でもな……」
 ナイフを紛失した広場には、3018とかいうあのフォルミカントがいる。
  ルイはもう二度とあのフォルミカントと面を合わせたくはなかった。先日のことを思い出すだけでぞっとする。目の前で何人もの同胞を斬り裂いた怪物。食糧と して肉をえぐり、道具袋としてはらわたを引き抜く、怪物。そんなものと、あんなに近くにいたなどと、まるで何かの悪い夢だったかのようだった。いま思え ば、なぜ発狂しなかったのか不思議なほどである。
 あの広場には行きたくはない。いや、もう行けない。死んでも。
 ルイは毛布を上げて、ぎゅうと目を瞑った。
 父の形見。あれがあれば父を思い出す。その父の隣には常に母がいる。あのナイフは両親の思い出に自分を縛り付ける。両親は、ルイの瞼の裏でルイに常に微笑んでいる。
 だが、亡き者の笑顔を思い起こす時の息が詰まるような苦しさもある。
 そう、苦しいのだ。あのナイフがあると、自分は苦しい……。
「ばかばかしっ」
 今思えば、なんであんなものを後生大事に持ってたんだろう。もう、あんなもの。ルイはその思考を最後にして、深く重い闇にこれ以上分け入ることをすっぱりやめた。
 石造りのベッドは冷たく、寒い。毛布をかき抱いて身を縮こまらせる。
 その時だった。
「やっと見つけた」
 耳元に、暖かく湿った息を含んだ声が入ってきた。
「うおっ!」
 ルイは飛び起き、ベッドの枕側に限界まで後退した。口をぱくつかせながら。
「落ち着け、私だ」
 木窓から差し込む月明かりは、まずはルイに純粋な銀を視覚させた。次いで、月光を浴び艶麗に浮かび上がった、造形美すら感じさせるような姿態。
 ベッドの足側にいるのは、紛れもなくアリシア・エルギーツその人だった。
 外套はあの濃赤色ではなく麻製で、その下も身分らしからぬ簡素な作りだった。
「あ、ああアリシア様! は、いや、ちょ、なんで、どうして! いや待て、ありえない、ありえないぞルイ、夢だ夢、これは夢、あ、正夢だったらいいな……ふふ、うふふふ……」
「おい、大丈夫か?」
 異常な反応を示すルイに、アリシアは本気で不安げな表情を浮かべて這い寄った。ルイは条件反射的に後退しようとしたが、すでに壁際だ。周章狼狽するルイに、アリシアはずいと接近し、
 ぱちん!
 と、両の手でルイの両頬を挟むように叩いた。小気味よい音と軽い痛みが、
「あ……」
 ルイの頭をひとまずは冷やす。
「落ち着いたか?」
「は、はい」
「それは何より。ここ座っていいか」
 ルイがかくりと頷くと、アリシアはベッドの端に腰かけた。ルイはしばらく姿勢を硬直させていたが、「君も座れば」と促されて恐る恐る隣に座る。
「悪かったな、驚かせてしまって」
「いえ。でも、どうしてこんな所に。てか、どうやって? 警護とか厳しいんじゃ」
「ふっふ、これでも抜け出すことに関しては自信があるんだ。どこぞの誰かみたいにな」
 アリシアはふふんと得意げに鼻を鳴らした。そのための擬態なんだと自分の服装を示す。
「外套で顔と髪をうまく隠しながら、覚えている君の特徴を聞いて回ったんだ。それで、君の寝床がここだとわかった」
「はあ……」
「ルイデスは、いま大丈夫か?」
「あ、それ! あの、僕、名前はルイデスじゃなくて、ルイ、です。ルイ」
 ルイのここぞとばかりの指摘に、アリシアは目を瞬いた。それから、ばつの悪そうな顔で誤った。
「ということは、じゃあ、あの訓練場にいたんだな。すまない、私が間抜けだったせいでこんな夜中に押しかける形になってしまった」
「いえ、ぜんぜん」
「じゃあ改めて、ルイ。いま、話してもいいか」
 ルイは頷いた。断ろうはずがない。
「昨日、私は勝手に護衛の目を欺いて抜け出していたことを咎められた。今日、私は家庭教師に武技と、護衛つきではあったが少しの自由時間をもらって……それで、一日が終わった。何事もなく、だ」
 アリシアが何を言おうとしているのか、ルイにはわからなかった。アリシアはその疑問を解決する答えを口にした。
「ありがとう。ルイは、まだ喋らないでいてくれていたんだな」
 ルイは、どういう顔をしていいかわからないままアリシアから目をそらした。
「それは……その感謝は、たぶん、筋違い……です。僕はあなたに礼を言われるようなことをしたわけじゃない。そうだ、まだ迷っているだけかもしれない。明日には通報するかもしれないし……」
 躊躇しながらもどこか刺が立ったルイの言葉を受けても、アリシアはなお屈託なく笑う。
「君がそうすべきだと思ったなら、それでもいい。その時は私は罰に甘んずることにする」
「その言い方は、ずるいです」
 どうされようが咎めはしないという風のアリシアの苦笑に、ルイは軽くむくれて返した。
「ううん……ずるいのは、僕の言い方かな。アリシア様を告げ口するようなこと、僕はするつもりはないです。したく、ありませんから」
 ルイの言葉に、アリシアは喜色満面の笑みを見せ、「ありがとう。本当に嬉しい」とルイの両手を握りしめた。
「あの、聞きたいことを聞いても、構わないでしょうか」
 ルイは面映ゆい思いを噛みしめながら、問う。
 アリシアは無言で頷いた。
 ルイは未だに体の芯にからみついている緊張を意識してほどかしながら、なるべく丁寧に、だが率直に疑問をぶつけた。
「どうして、戦導師令嬢のアリシア様がフォルミカントに肩入れを?」
 アリシアは月を見上げるだけで、すぐには答えようとしなかった。ルイは続ける。
「あのオアシスにいたフォルミカントだけじゃない。ちょっと前に起こった大きな戦いで、アリシア様、死んだフォルミカントを慰めてましたよね。あれは、僕の見間違いじゃない、ですよね。なんで、あんなことを」
「……ルイは、母たる神の教えについてどれくらい知っている?」
 回答代わりに唐突に話題に上げられた教えの話に、ルイは面食らった。
「僕は、そんなに熱心に勉強してたわけじゃないから……」
「なんでもいい。素直な言葉で、言い表してくれれば」
 しばし逡巡してから、答える。
「救いを待ち続けろ。フォルミカントを倒せ。教えは守れ。……素直な言葉です」
 アリシアが噴き出す。ルイは赤面しながら後悔する羽目になった。
「悪い、笑ったりして。だが端的によくまとまっている。まさしく、その通りの内容だ」
 アリシアの目が、夜空に散らされた糠星に投げられる。
「私は、異端だけど……でも、母たる神の教えは、心の底から信じているんだ」
 それは矛盾に感じられた。アリシアは続ける。
「いま、教典持ってるか? 第三章第二節序説、覚えているか?」
「あー、最近、ならったような気がします。たしか、フォルミカントを倒すのが人間の義務だっていう最大の根拠が書かれたところでしたよね」
 言いながら、自分の教典を引っ張り出して広げてみる。

“ 母たる神は無を嘆き、母たる神は泪した。落ちたる雫は膨らみ、一筋の川を成し、そはひとつの奇跡であった。川際は聖地となりて祝福され、川の民らは富み、 砂の乾きをひとたび忘れうる。奇跡に出ずりた聖地は万象無終といえど永劫に聖地たりえなければならぬ。聖地害されんとさるる時、川の民らはその肉智を捧げ て悪因を排すべし”

「そう、川の地に住む“神の子”とは私たちレキサの人間を、“悪因”はフォルミカントを指すと言われている。そして教会が太鼓判をおした正統解釈でもある」
「そこ、僕にとってはほとんどどうでもいいんですけど、みんなは特に熱心に読んでた、ような気がします」
「信者にとってはフォルミカントとの戦いを最も強く動機づける文だからな。……だが、その解釈は、実は捻じ曲げられている。そしてそのことに誰も気づいていない」
「え?」
「“川”はヌイーヴ川と読む、それは問題ない。だがかつて、ヌイーヴ川はフォルミカントの根城である地下帝都にまで伸びていたとしたら、どう読める?」
「えっと……」ルイは文言をしばらく睨んでから、アリシアを怪訝そうに見た。「まさか、“川の民”は僕たちだけじゃなく、フォルミカントも含んでたなんて言うんですか?」
「そうだ。そして、それが教えの本来の解釈だ。……いや、解釈だった」
「そんな」ルイは一蹴した。「もしそうだったら、この文の言ってることが“奴らと一緒にうまくやれ”になっちゃうじゃないですか。そもそも、ヌイーヴ川はフォルミカントの地下帝都の方とは逆の方向に折れ曲がってるんですよ?」
「折り曲げられたんだ」
 アリシアは一度目を伏せてから、言った。
「教えは、ある意思のもとに曲げられた。そうして新しく作り出された解釈が正しいものとして通るように、ヌイーヴ川の流域もまた曲げられた」
 ルイは驚愕した。到底信じられない。だが、アリシアの目は嘘をついている風でもなく、真剣そのものだった。
「三 十年前の話だ。フォルミカントに対する戦いの士気がひどく落ち込んだときがあったらしい。兵役の怠慢も増えて、兵団は立ちいかなくなってきていたようだ。 フォルミカントに降伏しようなんて意見を言う者まで出てきた。そんな最中、ある司導院議員があくまで戦いを続けるために、教えを利用しようと考えた。当時 の信者の人口はそれほどでもなかったことをいいことに、彼は教会に働きかけ、教会が信者に打ち出していた公定解釈を今のようにフォルミカントが敵となるよ う変えてしまった。同時に、フォルミカントを“川の民”から外すため、わざわざ川の流れる方向まで変える工事が進められた。結果として士気は盛り返した し、敵の水益を奪えたことで戦力を均衡に持ち直すこともできた。一石二鳥だったようだ」
 アリシアはそこで一つ息をついて、続けた。
「布教は司導院の肝入りで行われた。もちろん解釈を改変した議員が主導だった。おかげで士気は持ち返し、戦いは継続された。教えのおかげで、今ではフォルミカントとの戦いの中で死ぬことで一生を終えるのが当たり前のようにさえ思われている」
「そうして今の解釈になった、と」
 アリシアが頷く。
「誰です、その解釈を変えた司導院の議員って」
 金の瞳がルイの瞳を射抜く。彼女の声は、無理やり絞りだすかのようだった。
「現兵団長にして司導院議員、ロー・エルギーツ戦導師。私の父だ」
 ルイは目を見開いた。その名は知っていた。彼は司導院議員を兼任できる戦導師の階級にある。兵団の中では末端のルイとて知っている有名な主戦派の人物だ。
「教 えの敬虔な信者だった母は、父のしたことを強く非難した。そして、父が戦争のためだけに捏造した解釈には従わず、自分だけは本来の教えを守り続けた。あく までフォルミカントは自分たち人間と同じ“川の民”であり、共に祝福されるべき存在だと主張した。それゆえに母は……異端者となった」
 だが、とアリシアは続ける。
「それでも母は本来の教えを守ることを貫いた。そして、幼かった私に、声を潜めて本当の教えを説いてくれたんだ」
「……アリシア様のお母様は、いま、どうされているんです?」
「もう、いない。私のそばには……お母様のお心しか」
 ルイが思わず口にした疑問は、後悔の種になった。ルイがどう答えていいかわからず視線を落とすと、アリシアは静かに言った。
「お母様はあくまで教えを曲げなかった。フォルミカントと停戦して共存するという願いも。お母様はある日、フォルミカントの地下帝都に乗り込んだ。和平をとりつけようとしたんだ、たった一人で。でも、お母様は……帰らなかった」
 アリシアは一拍置いて、続ける。
「お母様のしたことは愚かだったかもしれない。周囲からもそう言われた。書物にだって蔑まれた。でも、周りがなんて言ったって――」
「すごいお方ですよ」アリシアの言葉を断って、ルイは本心から言った。「本当に、立派だと思います」
 人外の敵に対し単独で和平交渉を望むなどと、到底自分にはできない話だ。客観的に見れば愚かしいとされるのだろうが、ルイはその評価を抱かなかった。
 アリシアは「ありがとう」と微笑んだ。
「私も、母を立派だと思う。尊敬している。そして……その願いを、絶やしたくないんだ。そう思うからこそ、なんだ」
 そう思うからこそ、フォルミカントを殺すことを望まないというのか。
「私は、教えを元に戻そうとしたいわけじゃない。ただ、人がフォルミカントと争うのも、それを当り前だと思う風潮も、もう、終わりにしたい」
 その言葉に込められた願いは、どこまでも固かった。
 ルイは言葉でそれを否定することはもはやできなかった。
 そして、否定しようという感情すらも湧かなかった。
  だが、アリシアの抱く願いは、夢見だ。途方もない夢物語だ。史書によれば、レキサはおよそ一〇〇年間にも渡ってフォルミカントと戦ってきた。この戦いはも はや、砂漠に起きる自然現象と化している。アリシアが言っているのは、砂漠に砂嵐が二度と起こらないようにしたいと言っているようなものだ。
 アリシアの目を覚まさせてあげたかった。しかし、目を覚ますべきは自分たちの方だとアリシアは言うのだ。
 ルイの心はひどく揺らいだ。
「変えられること、なんでしょうか」
「物事を変えるためには、変えようとする意思と、変えられる力と、変わるべき時を迎えた状況がいる。私には意思しかない。戦いたくないと言っておきながら、私は兵団でフォルミカントを殺し続けている。ひどい矛盾だろう? “銀戦姫”というのもずいぶんな皮肉だな……」
 アリシアは窓の外に浮かぶ月を見上げながら、自嘲気味に笑った。金色の瞳が、月の光を受けて煌めく。砂金よりも美しいその輝きは、アリシアの遠さをルイに感じさせるのだった。
 ――僕は、自分を取り巻く何かを変えるなんてことすら、考えたことがない。

  †

 後日、ルイの耳に一つの報せが舞い込んできた。アリシアの中隊が兵団の任務で東八〇キロ先のフォルミカントの野営地を襲撃するのだという。
 翌朝、ルイは兵舎の自室から、出兵する中隊の行進を見下ろした。アリシアが通る時、歓声が一際大きくなるのはいつものことだ。そしてアリシアが観衆に向ける笑顔がどこか苦しげなのも、いつものことだった。その理由は、恐らくはルイしか知るまい。
 アリシアは、数日戻ることはない。
「あいつ、どうすんだろ」
 その懸念を抱いた自分に大驚失色した。なぜ、いまあの怪物の心配を。どうかしている。それほどまでに疲れてるのか。
 ルイはがばっと毛布を被って、二度寝を決め込んだ。こうすれば何も考えずに済む。
「ルイーっ! 今日もまた授業サボったら承知しないからね!」
 階下からヨリの尖りまくった声が飛んでくる。
「う。教えの授業、今日だったのか……」
 結局、あの抜け穴を使ってまたやってしまった。
 授業はやっぱりかったるい。オアシスに最近行っていないから、木々の様子が気になる。それに、何よりもナイフをなんとかしなくてはいけない。この三つの完璧な動機を心の刻み込んで、ルイは重たい足をオアシスへ向けることを決めた。
 あれだけ好きだった木々の香りも、今のルイには旨くはない。
 頭上で煌めく木漏れ日の美しさも、ルイの心を優しく舐めてはくれなかった。
 幸い、ナイフがなくとももはや木々はルイの行く手を阻まないほど十分に切られていた。
 ルイの歩みを妨げるのは、むしろルイの精神面の方が大きい。すなわち、3018に対する恐怖と憎悪だ。一応、兵団支給の重たいスピアをかついではきたが、勝てる見込みなどありはしない。
 重い足取りでいつもの二倍近い時間をかけて、ようやく広場に出る直前の苔むした岩までやってきた。どうかあいつがいませんようにと懇願しつつ、岩の陰から広場を覗き見る。
「……いない」
 広場全体に目を巡らせたが、どこにも3018の姿はなかった。
 ルイは心底安堵した。
「よかった」
「よかった・は・優良・上級・美的・いずれ・か? そして・何が・か?」
 心臓が止まりかけた。いや、実際止まっていたに違いない。
 背後からのシューシューという音と共に発せられた声に、ルイは振り向いた。その際に足がもつれて無様に転倒してしまう。慌てて立ち上がるが、落としたスピアを拾うことも忘れて、慌てて距離をとった。
「あ、あ、おっ、おまえ、は……!」
 女性体で体格が人に近いそいつは、今日も鎧を着込んでサーベルを腰に下げ、甲冑人形そっくりな格好だ。二節の間接がある人間よりも長い腕には果物がしこたま抱えこまれていた。
「Hastati MMMXVIII, CCXII Decurio innus. 第212番・十人隊・の・ハスタティ・3018」
 黒い瞳の浮かんだ紅い複眼がぎょろりとひとつ瞬きして、ルイを見つめる。
「アリシア・は?」
「きょ、今日は……兵団の任務で、いない」
 ルイが絞り出すように答えると、3018は頷くでもなく、前と同じ木の根に座り込んだ。
 それから広場の中央に採ってきた果物やキノコを置き、木の根に座ると一つずつ手にとってかじりついた。ルイはその広場の中の3018から一番離れた位置でその食事風景を眺めた。
 むしゃむしゃという音が続く。
 ルイは不格好な石造となってそれを見つめる。
 やがて、むしゃむしゃという音がやんだ。
 広場の中央には果物がまだ大量に残っている。
「3018・知っている。ヒト・摂取・可能・これら。3018・有機養分・摂取・完遂」
 ルイには彼の使う単語がすべてはわからなかったが、どうやら、あとはお前が食えと言っているらしかった。
「ぼっ……僕は! おまえと食事しに来たんじゃない!」
 白眼が血で染まった人の眼ような恐ろしい瞳が、ルイを見る。フォルミカントには表情がないため内心が読み取れず、ただ見られるだけで怖い。
「僕は、その、えーと、なんだっけ……あぁ、そう! なくしたものを探しに来に……!」
 ルイがしどろもどろに答え終わると、3018は無言で自分の鎧の中に手を突っ込んだ。
 そして少しまさぐった後、一本のナイフを取り出した。突然出てきた凶器にルイは身をこわばらせたが、3018はやはり何も言わぬまま、ルイに差し出した。
 おずおずと受け取り、眺める。何の意匠もこさえられていない刃身だが、木漏れ日を受けたままに反射する様はまるで鏡のようで、幾重にも渡る繊細な研磨を伺わせる。刃の腹から先端にかけての緩やかな孤にはただ一点の欠けもなく美しく、見る者を恍惚とさせるほどであった。
 このようなナイフは、未だかつて見たこともない。
 だが、それは紛れもなく――、
「父さんの、ナイフだ」
 この柄は覚えている。無骨な鉄色。傷の位置。いつも肌身離さなかった父の形見の特徴を、見間違えようはずはない。
 辛いことがあるたびに、救いを求めるかのように寒いベッドの中で見てきたナイフだ。その刃の向こうに父と母の顔を蘇らせようとしてきたナイフだ。
「ルイデス・は・ナイフ・遺棄する・した。3018・は・ナイフ・回収する・ために・ルイデス・再来する・予測する・した。ナイフ・の・機能的・欠陥・3018・修復・可能・ゆえに・修復する・した」
「……どうして」
「Formicant, 欠陥・あると・あらば・ある限り・可及的・修復する・努力する・義務」
 フォルミカントには欠陥があればそれを取り除くための努力義務があると言っているようだ。もっとも、それはルイの“どうして”を納得をもって消化するにはいささかずれていたが。
「ナイフ・研磨・中、文字・浮揚する・した」
「え?」
「だが・しかし・だけれども・3018・ヒト・の・文字・判読・未然・不可」
 ぽかんとするルイに、3018は「裏」と発音した。
 慌てて刃を返すと、そこには、確かに文があった。非常に細かい字で、二文。

 “ルイに幸を  妻リダと共に祈る”

「これ、は」
 それは、ずっとそこにあったのだろう。ただ、朽ちと錆びが最も読まれるべき者に読ませなかったのだ。
「父さんの、言葉……」
 彫られた言葉に込められた想いは、まばゆい光を伴って確かにそこに刻まれていた。
 日々の過酷の前には、あまりに虚弱で儚い願い。
 このような純真さは、ルイは愚直だとしていつも退けてきたけれど。
 それでもこの言葉は、今のルイの心を陽よりも灼いたのだった。
「ルイ・涕涙・している。ヒト・涕涙する・意味・事由、心身・の・損害。苦しい・か?」
「違うよ、ばか」
 ほんとうにおまえは無知なんだから。
 そう言おうとしたが、声は上ずって不明瞭だった。3018が首を傾げる。
 ルイは目を拭うが、それでも涙は留まらなかった。
 刃が頭上の木漏れ日を映す。いま、この刃の中にだけは砂漠の世界は存在しない。
 そしてその中に、父がいる。父の隣には、いつも母がいる。
 彼らは、笑っている。ルイに笑いかけている。
「父さん……母さん……」
 ルイは泣いた。ナイフを掻き抱いて、ただひたすらに泣いた。

 ルイはずっと亡き両親のことを思い起こすのを忌避してきた。胸の中心を締め付けられるような感覚が嫌だったのだ。
 だから、両親のことを回想し、ましてやそれを別の誰かに話すなどということは、本当に久しぶりだった。
「僕の父さんは兵団員だったんだ。つまり、おまえみたいな兵士。大して筋肉もなくて、どこかピシッとしてなくてさ、ほんとに兵団員かって感じの人だったけど。母さんの方がいくらかしっかりしているくらいだった」
 父がよく母に“あなたは頼りないからもっとしっかりして!”とくどく言い含めていたのが印象深くルイに残っている。叱られている父はすまんすまんと口では言うものの、なんだか嬉しそうだった。その辺はルイにはよくわからない。とにかく、威厳なんて欠片もない父だった。
「父さんも母さんも、僕のこと、よく気にかけてくれてたんだよ。僕が熱風邪こじらせた時だって、母さんと一緒につきっきりで看病してくれたしさ」
「“気ニカケル”・何?」
 黙って聞いていた3018が質問を差し挟んできた。彼は人語の語彙は豊富だが、複数の単語からなる熟語や比喩的な表現とくるとどうにも弱いようだ。
「あぁ……つまり、その」ルイは少々照れつつ言った。「優しい人たちだったんだ」
「ヤサシイ」
「わかる?」
「親和性・友好性、無害的・および・有益的・接触……概念・として・理解する・している」
 それが3018の限界だろう。フォルミカントは感情という概念、およびそれに派生する概念に対してはまったく明るくない。「ま、そんなとこ」とルイは頷いた。
「母さんは、熱心な教えの信者だった。僕によく教えのこと説明しようとしてた。もっとも、戦いは義務だ、っていう内容の教義についてはなんにも言わなかったけど」
「それも、ヤサシイ・である・性質・の・発出・発露・発現・である・か?」
「そういうことになるのかな。母さんが熱心に言ってたのは、“母たる神を信じて待てば救いは来る”っていう教義のほうだった。母たる神を信じてれば、いつか幸せになれるんだって心から信じてた。父さんも、ね」
「“母タル神”・何?」
 それは無理もない疑問だった。
「なんなんだろうね。僕にもわかんない。きっと誰もわかってないさ」
「正体不明な・存在・を・絶対視する・行為・は・理解・不能・である」
「きっ と、母たる神がどんなか、そもそも本当にいるのかなんて、どうだっていいんだよ。大事なのは教えの内容なんだ。それを根拠づけるために、よくわからないけ どとにかく物凄いやつがこうしろって言ったんだ、ってことにしてる。それが、おまえ風に言えば“母たる神”の概念だよ」
「その・論理・は・不成立。根拠・が・根拠・である・は・明白性・明確性・必要する」
「人間って、みんながみんな論理的に生きてるわけじゃないんだよ」
 3018は黙り込んだ。ルイの言ったことを懸命に理解しようと試みているのかもしれない。
「僕 だっておまえと同じようなこと思ってる。でも、レキサ人の大多数は教えを信じるんだ。父さんだって、母さんだって、ヨリ――あ、僕の友達ね――彼女だっ て。“信じて待てば救いは来る”。それを信じるから今まで暮らしてこれた。戦ってこれた。そうやって自分をまやかすのがね、僕たちのうまい生き方なんだ よ」
 僕は損ばかり見てるけどね、と付け加えて一息つく。
「おまえは?」逆に問う。「おまえは何のために戦ってるの? やっぱ、食べていくため?」
「Formicant・ 個体・は・すべからく・Formicant種・帝国・組織・共同体・に・貢献する。個体・利益・の・追求・は・禁忌・禁則。全体利益・の・追求、即ち・ Formicant種・の・生存・拡大・を・唯一・目的・および・正則・および・identity・として・設定する」
「えーと……つまり、自分だけが喜べるようなことは全部ダメってこと? 自分で好きに使えるお金とか、娯楽とか、ないわけ?」
「その解釈・は・説明する・した・概念・と・ほぼ・合致する・を・認める」
 それって、あまりに辛すぎるでしょ。
 思わず口から転がり落ちそうになった言葉を呑み込んだ。辛いだとか苦しいだとか、そういう思いを抱かないようにできているのがフォルミカントであることは、いい加減ルイも学んだ。
 種全体のためにのみ個体が働く。個はすべからく全がため、全は至当に全がため――。
 ただ、その原則に則ればどうしても理解できないことがある。
「じゃあさ、なんで僕やアリシア様と話ができるの? フォルミカントの敵の一味だよ?」
「恐らく・ルイ・および・アリシア・は・有益・である・ゆえに・だから」
 “恐らく”とは、自分の見解を説明するにしてはらしくもなく曖昧な言い方な気がした。
「有益かぁ? アリシア様ならわかるけど、僕がおまえに……いや、おまえたちの種族にか……に、有益に思える?」
 3018は、再び黙り込んだ。
 何やら真剣に沈思黙考している様子だったので、なんとなく気まずくなったルイは、話題を変えることにした。
「あー、にしてもさ、ハスタティ3018だっけ? 名前、変わってるよね」
「正確・に・は・名称・でない。Hastati・は・職位・職級。数列・は・識別番号。番号・は・固有・でない。死亡する・すれば、死亡個体・の・番号・を・新生個体・が・承継取得」
 ルイは街の公会堂の座席を思い浮かべながら言った。
「えぇーと……つまり、ある番号の座席が空いたら別の人が座るようなもんか」
  フォルミカントのトップとして知られる将軍レガトゥス0001も、歴史上一貫してすべてが0001という名前だ。どれだけ長寿なんだよとルイは歴史の授業 で一人ツッコミを入れていたが、決して同じ個体がずっと生きているわけではなく、同じ番号を承継しているということのようだ。
「おまえっていうやつが生きてたんだってこと、誰にも覚えられないじゃん」
 3018は首を傾げた。ルイの言葉に込めた意味など、彼にはまず理解できまい。
「サンにしよう」
 ルイは一つ頷いて、言った。
「おまえのこと、これからサンって呼ぶ。サンゼロイチハチじゃ呼びづらくてしょうがないよ。だから縮めて、サン。それとも、これもおまえの滅私奉公精神に反する?」
「便宜・を・図る・ため・ならば・問題・ない」
 うん、とルイは満足げに頷いた。
 3018ことサンは、発音を確かめるように与えられた名前を繰り返しだした。
 本当は、固有の名前を持たないフォルミカントの中で3018という個の存在が埋没することを不憫に思った、などとは口が裂けても言えないことだ。3018がそれをなんとも思わないのは知っている。だが、ルイにとっては納得がいかなかった。
 このフォルミカントの“個”を強く示す印が欲しくなったのだ。
 不思議と。

  †

 部屋の中央に据え置かれた、巨大な円卓が象徴的だった。それは美しい木目を黒々と鈍く輝かせ、荘厳な気配を辺りに放ち続けていた。
 円卓の中央には、ローブをたなびかせる流麗な女性の彫像が、その片手を天高く掲げている。
 母たる神。
 レキサの最高意思を決するための賢者として、何重にもわたる高度な試験をくぐりぬけ、民衆からの信任を受けた者たちは、過去数百年以上に渡ってこの母たる神を取り囲んできた。
 母たる神の照覧の下にその者たちは言葉を交わし、理を詰め、法を作り、時には法を超えて人々の生存を守らんとする。
 司導院とは読んで字の如く、人々の導きを司る場だ。
「いったい我々は何代期に渡ってこの戦争を続けているのか、本当にご存じか! 一三代期ですぞ! もうかれこれ一〇〇年間もフォルミカント共と戦争している! いったいあなた方はこの戦に勝つ気がおありなのですか!」
 鷹のように鋭い目つきを持つ壮年の男が、円卓に手をついて怒号を散らす。胸には兵団戦導師の階級章が飾られていた。兵団員でありながら司導院議員としての立場を兼任できる階級だ。
「だが、エルギーツ戦導師、少し頭を冷やして考えてはどうか……。きゃつらが地下帝都と呼ぶフォルミカントの根城、あそこにどれだけの規模の敵兵を忍ばせておるかわからんのだぞ」
 長い白髭をたくわえた老齢の司導院議長が言葉を返すが、普段よりも深く多く刻まれたしわは、彼が昂ぶるエルギーツに威圧されていることを物語っている。
「聞 きあきましたぞ、そのお言葉! そうのたまって最後の詰めを渋ってきたのですぞ、歴代の司導院も、兵団も! 我々は最後の一手をいるかもわからぬ伏兵に脅 え、引き込めてきた! 私が、このロー・エルギーツが、それは杞憂であったのだと証明してやろうというのです! どうか、兵団総員による地下帝都への侵攻 にご賛同を!」
 喉の奥でくぐもった声を出すだけの議長に代わり、別の議員が鈍い声で答えた。
「気鋭盛んなこと誠に結構だが、議長の仰った懸念を無きものと否定することもできますまいよ? フォルミカントは種の利益を最優先に考える。いいですか、彼らは勝利ではなく利益が目的なのですよ」
「何が仰りたいのです」
 エルギーツが議員を横目できつく睨めつけるも、議員はあくまで落ち着いた声だった。
「所 詮は蟻もどきの奴らが、なぜ我々と同じように剣や盾や鎧を使えるかということですよ。彼らは我々の兵団との戦争を通して学習したのです。戦うことを通じて その文化をより高度なものとしてきた。それは紛れもなく奴らにとっての利益です。加えて、加えてだ……詰めの一手を渋ってきたのは、奴らも同じではありま せんでしたかな? 今まで何たびか背水の陣という状況あれど、我々はこうして生き延びてこれた。この二点から、このようには考えられますまいか……」
 議員は一拍置いて、続けた。
「奴 らは戦争をあえて長期化させ、我々人類の文化を吸収して種の利益を可能な限りに高めようとしているのではないか、と。ところが、終わらぬ戦いに業を煮やし た我々がいつレキサぐるみの総侵攻を仕掛け、一気に勝ちを狙ってくるともわからない。そこで奴らは、地下帝都には常に運用しているのと同等かそれ以上の規 模の伏兵を置き、最後の壁はうず高く積み上げてある、と」
 したり顔で言い終えた議員に、すぐさま荒ぶった声が飛ぶ。
「その可能性がある からなんだというのだ! だから我々が極めて優勢であったとしてもそれは見せかけで、最終的な侵攻は控えるべきなのだとでも? 馬鹿げた論理だ! 我々は 奴らと違って、勝つために戦っている! これ以上の戦争長期化はもはや何も生まん! 死体袋屋を儲からせるだけだ!」
 先ほどの議員が肩をすくめて答える。
「何 も生まん、とは……。揚げ足をとろうというのではありませんがね、何も生まんとも言いきれぬこと、兵団を統べているあなたがご存じなのでは? 外にフォル ミカントという脅威、内には戦争のために普及させた母たる神の教えという規律……相乗効果は出ているでしょう? “秩序”という効果が」
「秩序!」エルギーツは両手を大きく広げ、猛獣のように吠えた。「いま“秩序”と言ったのか! 恐怖と死体の上に強いられた団結を、貴様は“秩序”として語るのかッ! そんな血塗られた“秩序”が、まかり通ってよいものかッ!」
 議長が洞穴のような口を開く。
「だ が、おかげでレキサという街に内側から火がつくことはまずありえないと見えるのも事実であろう。火種は外にのみある。その火種も、過度に燃え盛らんよう息 をうまく吹いてやれば適度に我々を温めてくれるといえるやもしれん。よもや、歴代の兵団の戦導師はそういう思いを抱いてきたのではないか? フォルミカン トという火種を生かさず殺さずすることによってこそ、結果としてレキサに、遵法で、信心深く、崇高な精神が根づく、とわしは考える……」
「この耄碌がッ!」
 エルギーツはついにその憤怒を頂点まで高め、爆発させた。相手がレキサを代表する最も権威的な人物であることなど、もはや構わない様子である。 
「それではフォルミカントと同じ、いやフォルミカント以下だ!」
「エルギーツ! 貴様、口が過ぎるぞ!」「そうだ! 我々の長たるお方を、あろうことかあの化物と同視するとは! 許されると思うのか!」「貴様には理性が尊ばれるこの場にいる資格はない! 出ていけ!」
 複数の議員のたしなめる声が何本もの矢となってエルギーツに刺さった。
 エルギーツは構わず、何かを乞うように他の議員に迫る。
「皆様も、先ほどの議員殿や議長殿の愚考に賛同するのですか! どなたか、総力戦の時は満ちたりとお考えの方は!」
 誰も手を挙げる者はなかった。エルギーツから顔を背ける議員たちは、エルギーツをもはや討議の場から排斥しようという気配を存分に醸し出している。
 エルギーツは深く嘆息し、
「腐っている! 司導院は腐り果てている! 即刻そのしわだらけの頭に詰まっている脳味噌から蛆を炙り出してくるがいい!」
 最後の言葉だと言わんばかりにそう叫び放ち、議事場を後にした。

 今回の議事におけるエルギーツの言動が、彼の立場を危うくするのはもはや間違いないことだ。
 だが、構いはしない。もはや立場や手続きに拘るべき時ではない。
 幸いにもエルギーツと考えを同じくする者は兵団の高層部にいくらでもいる。彼らがいてくれさえすればいい。
 司導院議事堂から正門へと延びる大階段を降りながら、エルギーツは確固たる決意を胸に秘めていた。
 あとは、行動を起こす引き金となる決定的な“状況”が欲しい。
 ――替えぬ水は腐るばかり。誰かが水を入れ替えねばならぬのだ。
 そうしなければ、妻ルシアが報われない。
 同じ安息を目指そうとも、信ずるものはずれ、手段も違えて逝ったルシアが。

  †

 まさか、こんなことで四苦八苦するとは予想だにしていなかった。
「だ・か・ら! ルイは二つ目の名前ってわけじゃなくてさ、そもそも僕はルイデスじゃないんだって!」
「ルイデス・ではない? おまえ・は、偽物・か?」
「本物だよ! 剣を抜こうとするな! おまえが覚えた僕の名前が違うの! ルイだよルイ! 僕の名前はルイだってば!」
「個体名・訂正? ルイダヨルイ、ルイダッテヴァー、どちら・か? サン・選択基準・所持する・しない」
「……ごめん、はっきり言うけどさ、おまえ頭悪いよ、本当に。医者に診てもらったら? もしくは仲間の脳みそと取り換えた方がいいね」
「Formicant・は・脳部・の・置換・は・健常体・には・行う・しない」
「ぬああぁぁーっ! いらいらするー!」
 それから、ルイの罵倒とサンのずれた返答とが延々と交錯した。3018の認識がルイはルイという名であると改められるまで実に三〇分もの時間を要した。
 ルイの努力の末、サンがルイの名前をようやく正しく認識し、音数が最少だから発声に負担がかからないというよくわからない賞賛を口にした、その直後。
 サンが触覚をぴくりと反応させて、頭をおもむろに高く掲げた。まるで辺りの匂いを嗅いでいるような仕草だ。触覚がくいくいとひっきりなしに動いている。
「ど、どしたの?」
「アリシア・何処?」
「だから、アリシアは任務でいないんだってば」
「何処?」
 重ねられた問いには、焦りに似た気配があった。
「えっと……たしか、東八〇キロ先まで遠征だったかな」
「東方・に・おいて・戦闘」
「え」
「人間・部隊・逃げる・している、Formicant・軍・一個・千人隊・それ・追撃する・している」
 千人隊とは文字通り千人の兵士で構成されるフォルミカント軍の構成単位の一種で、兵団でいう大隊に相当する。つまり千人のフォルミカント兵が、兵団の中隊を追撃している、とは。
 東方へ任務に駆り出された中隊といえば、思い当たるのはひとつしかなかった。
「……嘘でしょ」
「嘘・でない。人間・部隊・兵力、当初・の・四〇パーセント・まで・減少する・している」
 そんなばかな。鮮烈な焦燥とがルイの頭を駆け巡った。
 そして否定も。なぜサンがそんな遠隔地の戦いのことをわかることができるのか。でたらめを言っているだけではないのか。
 しかしその希望的な否定は、サンにそのような虚偽をルイに言うメリットが皆無であるということをもって打ち消される。
 ルイの中に残ったのは、あの夜、月光に浮かび上がった儚くも美しい微笑だった。
「アリシア様が、いる」
「東方・一四キロメートル・地点」
 硬く短く発音すると、サンは稲妻に打たれたかのように体を起こし、疾駆した。
 細身に鎧を鈍重に着込んだサンが凄まじい速さで走り去る様に、ルイは一瞬呆気にとられた。だが、サンがどこに向かおうとしているのかに気づくまで、それほど時間はかからなかった。
「くそ、あんなやつに……!」
 ルイもまた、地を蹴った。

  †

 砂塵になびくその銀の輝きが目立つのか。情感に希薄な彼らにさえ神々しさに似た思いを抱かせるのか。
 否、それだけではないだろう。
 どう見ても体つきはしなやかで決して筋骨逞しくはない一人の少女が、砂埃よりも風に乗り、サソリよりも鋭く敵兵を屠りゆく様は、フォルミカント軍に彼女を危険視させ、処理の優先度を引き上げさせるには十分な威容だった。
「XXXiiiiiiiaaaaaaaaahhhhhh...!」
 断末魔と共に、青い血飛沫が上がる。――また、一体。
「我らが“銀戦姫”がまたやったぞ!」「ひるむなっ! 俺たちにはアリシア様がいる!」「軽傷者が重傷者を運べ! 戦えるやつは敵を抑えろ!」「行け行け! アリシア様がいらっしゃる限り、完敗はない!」
 敵の精鋭部隊からの奇襲により既に戦力の半数以上を欠いてもなお、男たちの士気は高みにある。それもひとえに、アリシアの奮戦と、その活躍を利用して檄を飛ばすカリド中隊長の計らいによる。
「く……」
 堅牢な鎧の縫い目を深く抉るように突いたレイピアを、力を込めて引き抜く。
「……!」
 と、背肌が圧倒的な殺意にちりりと波打つのを感じ、引き抜きざまに左手のダガーで払うように振り返る。
 フォルミカントの重装歩兵がアリシアを粉砕せんとして放ったサーベルをすんでのところで受け止め、ぐっと重心をずらしつつ横へ流し、
 そちらとは逆に、横跳び。
 標的を失したフォルミカントを狼狽させる間もなく、首の後ろにレイピアを突き立てる。
 死の咆哮がアリシアの耳を裂く。
 敵を屠る自分へ向けられた同胞の歓声が、悲鳴や怒号と同じくらいにアリシアの心を強かに打つ。
「私は……矛盾している」
 青く染まったレイピアを血振りすることもなく、誰にも聞こえない声で呟く。
 自身の剣は青く染まり、死にゆく仲間を抱いた腕は赤く染まり。
 見れば、毒々しい紫色の血だまりがある。二者の血液が混じり合ってできた血だまりだ。
「私たちは、血で交わることしかできないのか……」
 フォルミカント兵が背後のアリシアに気づき、振り向きざまに盛大にサーベルで薙ぎ払った。
 後ろへ跳んで間一髪のところで避ける。前髪が何本か持っていかれた。
 着地の瞬間、ぐきりと骨の鳴る音が鼓膜を叩いた。
 う、と顔をしかめる。皮下が灼けるような激痛が走った。着地を誤って筋骨を痛めたらしい。
 片膝をつくアリシアに、フォルミカントの重装歩兵の巨躯が最後の一撃を見舞おうと構え、
 そのまま、首から上がずばんと飛んだ。
「大丈夫か、アリシア!」
 瓦礫のように崩れ落ちたフォルミカントの向こうから、真っ青に染まったスピアを両手で構えたカリドが姿を現した。
「は……はい、なんとか」
 遠くに目をやれば、まだ数十人以上のフォルミカントの重装歩兵が津波となって押し寄せてくるのがわかる。
「みんな聞けー! 全部を相手にする必要はない! 下がりつつ応撃しつつ、指揮官を探し出せ! これだけ手練れ揃いの部隊なら、その指揮官は“高感度能力者”だ! そいつを討てば奴らの統率は一気に乱れる!」
 中隊長の飛ばす檄に、応、と答える声が重なって上がる。
「アリシア、聞こえたな。相手の指揮官を潰すぞ。かのアリシア・エルギーツがそんな絶望的な顔してちゃ駄目だろ? 大丈夫、きっと生きて帰れるさ」
 絶望的な顔をしていたのか、とアリシアは言われて気づく。
 自分一人が剣を納めても、自分一人が和睦を唱えても、何も変えられない。同胞の死を積み上げるだけだ。それはきっと、道を踏み外すことになる。
 アリシアは、振るうでもなく納めるでもなく、ただレイピアの柄を握り締めた。
 ――お母様。
「Xuooooooo!」
 鼓膜を突き破らんばかりの人外の叫びが上がり、咄嗟に砂上を転がる。
 一瞬前までいた砂が、爆発した。否、サーベルが砂地を叩き斬ったのだ。
 それは一際巨大なフォルミカントだった。兜には“Triarii MMCXLV(トリアリイ2145)”の刻印。トリアリイとは、ハスタティ、プリンキペスを経た重装歩兵の最高階級である。さらに、その刻印の下には“Praefecutus(千人隊長)”の文字も。
 立たなければ。そう思って足に力を込めるが、左の足首の激痛がアリシアにのしかかって立たせようとしない。ここに指揮官がいることを仲間に知らせなければ。しかし声を張る体力はもはや失せ、カリドも複数の敵兵を相手取っており余裕はない。
 2145の深紅の瞳はアリシアの首をじっと見据え、サーベルを振りかぶって吻首しようとした。
「あなたは……!」
 話しかけたのは、無意識だった。豪快に振り下ろされようとしたサーベルが、止まる。
 血風と土煙と断末魔の只中で、アリシアはひとつ、敵将に問う。
「あなたは……種としてではなく、あなたがあなたとして生きたいと思ったことはないのか」
「…………」
「剣を振るうのはもうやめたいと思わないのか。戦いによって死んでいく仲間を、哀れには思わないのか。もう終わらせたいと、思わないのか」
 3018と比べるといくらか流暢な人語が返事だった。
「……思わない。いずれも」
 何故だと口で問う前に、答えは発せられた。
「欲求が・有害であるから・だ。お前たちの・種としての欠陥は・欲求するゆえである」
 2145の長腕が、再び動く。もはや純然たる殺意しかそこにはない。
 この意識の存続は、数瞬ののちには終焉する。
 砂を見つめ、それから瞑目した。
 人とフォルミカントの共存――母の夢は、母の信じた教えは、所詮、夢想だったか。
 せめてそれが夢想でないと証したかった。その切なる想いも、いま費える。
 ――ごめんなさい、お母様。
 目を閉じた。
 そして、一瞬。
 いや、一秒、十秒しても、その時は訪れようとしなかった。
 視線をわずかに上げる。確かにそこには千人隊長トリアリイ2145の足が見える。さらに視線を上げると、彼は未だにサーベルを高く掲げたままだ。しかしその目はもはやアリシアを見てはいない。鎌首のような頭を高く持ち上げながら、触覚を頻繁に動かすばかりだ。
 辺りを見渡す。異様な光景が広がっていた。他のフォルミカントも攻撃の手を止め、何かを感じ取ろうとしているかのようにじっとしている。
 しばらくすると、2145はアリシアを一瞥し、
 アリシアの息の根を止めることなく、踵を返した。
「な……なんだ、帰ってく……」「帰ってくぞ、やつら……」「逃げる?」「逃げたのか?」
 兵団員たちから上がる言葉のとおりだった。
 中隊を奇襲し、絶対的優勢にあったフォルミカント軍の千人隊が、なぜか一斉に退却を始めたのだ。

  †

 それは、いつぞやと同じ光景だった。
 屍が辺りに散らばり、苦痛の呻き声に満ち、薬品と臓器の匂いが充満している。すべての五感を断ちたくなるような惨状だ。
 ルイは思わず目を背けたくなったが、それでもアリシアを探さねばならないと目を凝らす。
  サンとはやむをえず途中で別れた。人間に見つかるわけにはいかないから、共にアリシアを探すことなどできない。今頃どこにいるのかはわからないが、アリシ アの安否を確かめるまでは自軍に戻ることもないだろうと踏んでいるので、きっと人間にもフォルミカントにも見つからない場所で待機しているのだろう。
 ほどなくして、求めていた姿を見つけた。
「アリシア様!」
 アリシアは砂上に座り、痛々しく腫らした足首に包帯を巻かれているところだった。
「ルイ……」
 その瞳に、あの凛とした眼光は宿っていない。
 白い顔は砂に汚れ、口は力なく開かれていた。真紅の外套は擦り切れてボロボロだ。
「あの、ひどいんですか」
 早口でアリシアについている女性の療士に問う。療士は一度鬱陶しそうな目でルイを見てから、再びアリシアの足首に視線を戻して言った。
「捻挫されています。しばらくは自力でお歩きになれませんが、ひとまずは心配ありません」
 ルイは安堵の溜息をついた。
「もういい、ありがとう。後は自分でなんとかできる」
「わかりました。ご無理はなさらないように。私は他を診てまいりますから」
 療士が別の怪我人の所へ去っていく。呻きと風音だけが、後に残った。
「アリシア様」
 片膝に額を乗せ、表情を見せようとしないアリシアに、ルイは同じ目線の高さになるようしゃがみこんだ。
「ご無事で良かったです」
 アリシアは黙すばかりだった。
 遠くから、涙交じりの怒声が上がる。
「うぁぁぁぁ! あの化け物ども! 弟を! 俺の弟を……! くそっ! 殺してやる! 殺してやるぞーっ!」
 その男は、地獄から沸いてくるような絶叫を上げて、亡骸を抱え込んでいた。亡骸は小さかった。下半身がなかったからだ。
 彼だけではない。悲哀と負傷に打ちひしがれ咽び泣く者は、そこら中に溢れ返っている。
  それでも、中にはアリシアに「アリシア様が生き残ってくださるならば、まだ戦える」「必ずや、奴らを撃滅してやりましょう」と言葉をかけてくる兵団員も何 人かいた。彼らはアリシアと共に士気を新たにしたつもりなのかもしれないが、アリシア本人が融和を切に望んでいる以上、それは彼女を追い詰めるだけだとル イは知っている。
「アリシア様、もう行きましょう」
「でも、みんなを励まさないと」
「え?」
 だってそうだろう、とアリシアは力なく笑った。
「私は、お父様の……エルギーツ戦導師の娘なんだぞ。みんなの所にまわって、笑いかけて、負けたわけじゃない、次は大勝利を収めようって言って……」
「アリシア様、もういいですから」
「いいって、何が? みんな傷ついて、泣いている。こういう時、私が立ちあがらないと駄目なんだ。そうしないと、みんなも立ち上がれない」
 アリシアが、投げ出していた左足を地に突き立て、力を込めて立ち上がろうとした。
 しかしすぐに彼女の顔は痛みに歪み、突っ張った膝は脱力して折れ、もろくも倒れこむ。ルイはすかさず横からそれを支えた。
「立たなきゃ駄目なんだ、ルイ……。たかがこの程度の怪我で、立てないなんて、言えないんだ……」
「自惚れないでください」
 口をついて出た言葉は、完全に無意識下のものだった。頭の芯が焼き鏝のように熱され、漏れる言葉を堰き止める理性の壁が溶けてなくなっていた。
「え……?」
 アリシアが驚きに目を見開いてルイの目を見据える。
「アリシア様は、そんなにご立派なお方ですか。僕にはそうは思えません。戦導師令嬢のくせにしょっちゅう街から抜け出すし、人の名前は間違えるし、なんかフォルミカントと仲良くやってるし……蓋を開けてみれば色々がっかりなお方でしたよ」
 アリシアはぽかんとした目でルイを見つめ続けている。
 その視線に射すくめられて、ルイはいくばくかの冷静さを取り戻し、と同時に後悔の念に襲われた。
「あ、えっと、そうじゃなくて……。その、今のアリシア様では難しいだろうと、そういうことです。僕みたいな下っ端でも、本物の笑った顔と、仮面みたいに貼り付けただけの笑った顔の区別くらいはつきます」
「でも」
 未だに理解を示さないアリシアに、ルイの頭は再び熱を持った。
「で もじゃないですよ。今から言うことについて先に謝っておきます、ごめんなさい。さて、じゃあ言いますけど、アリシア様の今のお顔、ひどいですよ。どん底ま で落ち込んでるの一目でわかりますし、涙の跡とか砂とか泥とかできったないです。今の状態で僕とアリシア様が比べられたら、僕の方が美人だって答える人が 大半だと思いますよ。そう答えたやつ殺すけど。とにかく、そんなお顔ととってつけたような気丈さで励まされたって、こっちとしてはまったく嬉しくないで す」
 それに、とルイはアリシアの手を握りしめた。恥じらいなど感じなかった。ただ、握ったその手が思っていたよりも小さかったことに驚きを覚えるばかりだった。
「アリシア様だって深く傷ついていること、僕がよく知ってます」
 辛いんですよね。
 ルイのその言葉が、アリシアに涙を流させまいとしていた堰を砕いた。
 アリシアはルイの胸で泣いた。
 無念の死を遂げた母、異端とされた本来の教え、父の主張と母の遺志との二律背反――今まで溜めこんだものをすべて吐き出そうとしているかのようだった。
 ルイは腕の中のアリシアをそっと抱きしめた。
 人目を憚ることなく嗚咽を漏らすその姿は、戦導師令嬢などではない。
 一人の少女に過ぎない。

 アリシアが泣き止んでから数分後、ルイはあの中隊長に見つかった。アリシアとの会話を望んだルイを軽くあしらったあの男だ。
「おい、いつぞやの弱小三級戦歩! なんで貴様がこんな所にいるんだ!」
 それから、ルイが腕を回しているのがアリシアだと気づいたカリドは、いっそう顔を赤らめた。
「き、貴様……どれだけ恐れ多いことをしているかわかってるんだろうな! さっさとその汚らしい手を放せ! アリシアにはまだやるべきことが――」
 カリドの荒げられた言葉は、最後まで言い終えられることなく終わった。それから彼は静かに口を閉じ、難しい顔になった。
 アリシアを見ると、彼女はルイの腕の中で眠りに落ちていた。子供のような寝顔だった。
「ちっ、“銀戦姫”がこれじゃな……」
 中隊長は頭をぼりぼりと掻き、ハルバートを肩に担ぎ直す。
「太陽の方向だぞ、三級戦歩。一〇キロ超ってとこか」
「え……えっと」
「レキサまでの帰り道のことに決まってんだろうが」
「でも」
「血 どころか砂にもまみれてないお前と、英雄扱いされてたのに負傷してオヤスミの戦師。どっちもここにいられるのは迷惑なんだよ。みんな気が立ってて、どうで もいいことで腹立てたり絶望したり、ってな。そういう水面下のささくれがな、巡り巡って統率する側にじわじわ面倒をもたらすんだよ。ま、お前には一生わか らねえ話だな。だからわかる必要はねえ、さっさとアリシアを連れて帰れ」
 むっとして、何か手伝えることがあればやりますとでも言い返そうと口を開いたが、声を発する前にきつく睨まれ、その言葉は呑み込んだ。
 カリドは気を遣ってくれているのかもしれなかった。だが、中隊長の心中に気遣いがあるとすれば、むしろその大半はこの中隊という組織全体のために向けられているのだろう。そういう配慮が求められるのが彼の立場で、責務でもある。
 確かに、何の痛手も負っていないルイがこの場にいることは、いらぬ反感を買うばかりだ。
 確かに、アリシアの弱体をここに衆目に晒すのも士気に響く。
「わかり……ました。責任もって、アリシア様をお連れしてレキサに戻ります」
 カリドは「アリシアに変なことをしたらフォルミカントの餌にするぞ」と凄んでから、去っていった。

  †

 背に担いだアリシアは、軽かった。
 ハルバートを用いずレイピアとダガーを駆使する彼女は軽装戦の方を好むらしく、それゆえ身軽さを維持するためか、防具らしい防具といえば合皮製の腕当てと脛当てくらいのものだ。
 一歩一歩、砂を踏みしめていく。
 腰には自分のナイフとアリシアの二種の武器を、腕にはアリシアから外した防具を下げて。
 歩き続ける。
 すぅ、すぅ――と、安らかな寝息を耳元に置きながら。
 すぅ。
 すぅ。
 シュー。
 聞き覚えのある音を聞き、いつの間にか砂面を睨んでいた顔を上げる。
「待機する・していた」
 ひょっこりとサンが砂山の向こうから姿を現した。がしゃがしゃと鎧の音を立てながら歩いてくる様は、なんだか妙におかしかった。
「ルイ・運搬・量・明白に・過重。サン・助勢する」
「助かるよ」
 武具をサンに持ってもらったことで、だいぶ歩きやすくなった。まだレキサまでは相当時間がかかるが、もう少し頑張れそうだ。
「アリシア・の・運搬・も・代替する」
「それはダメ」
 その申し出は毅然として断った。
 もちろん。
 西日に伸びる陰二つ、日の沈み入る方へと砂を踏む。
「アリシア・生命・にとって・脅威・なし・は・良かった」
「そうだね」
「ルイ・友好性・親和性・向上、この状態・も・良かった。“ヤサシイ”・化した」
「は?」
「サン・という・個体名、発音・容易、ゆえに・便益・高い。ルイ・による・個体名・の・提供・は、ルイ・の・ヤサシイ・性質・の・具現」
「……ちょっと待ってよ。それのどこがおまえに対して優しくなったことになるんだよ」
  勝手な憶測をするサンに、ルイは食ってかかった。呼びづらいから名前をつけてやっただけだ、と何度も主張する。なのに、サンはそれでもルイの“個体名・ の・提供”を高く評価する態度に変わりはなかった。サンに感情と呼べるものがあったならば、命名してくれたことを喜んでいる、といえることになっていたの だろうか。
 それはそれで構わないような気もするのだが、ルイとしては、呼びづらかったから名づけただけで優しくしたわけじゃない、と理解させなければ胃の腑に落ちないのだった。
「……サン……」
 ルイの耳元に湿った息が当たり、一瞬ぎくりとする。アリシアが目を覚まし、金色の双眸を細く開いていた。ルイは努めて穏やかに声をかけた。
「起きたんですね、アリシア様。いま、レキサに向かってますから。他の隊のみんなは、中隊長がなんとかしてくれています。今は、何も心配しないでください」
「そうか……」
 アリシアは小さく頷いて、安心したように目を瞑った。
「サン、とは……」
「こいつのことです」ルイがサンを指さして答える。「番号じゃあ呼びにくくてしょうがなかったから、勝手に名前つけたんです。そうしたらこいつ、調子に乗って……」
「“調子ニ乗ル”・この・表現・理解・不能。乗る・していない。現在・徒歩」
「ったくうるさいな。それも熟語だよ。ってかさ、おまえ本当はわかってるんじゃないの」
「何を・か? 論点・不明瞭・ゆえに・3018・は・理解・に・困窮する」
「あーもー」
  ルイが思うままに苛立ちをぶつけ、サンはまったく話が見えないと返す。ルイが頭にきて考え付く限りの罵声を浴びせれば、サンはその比喩表現はわからないと 言ってのける(本当にわかっていないのかは終ぞ確かめられなかった)。すでに何度か行われたなんとも奇怪なやり取りだが、いつの間にかルイとサンとの間で は馴染みの会話になってしまっていた。
「サン……いい名前だよ。ずっとずっと西の国の言葉で、“太陽”という意味だ」
 アリシアがルイの肩越しに言う。
 ルイは驚いた。自分の与えた名が、そんな意味を持っていたとは。地下の住民である者に太陽とは、なかなか図らずしてひねりがあるじゃないかとルイは思った。
「太陽……へえ、そうだったんですか。さすがアリシア様、博識ですね。褒めるところもサンなんかとは全然違う」
「サン、その名前、気に入ったか」
「気ニ入ッタ……その・表現・の・概念・に・近い・感覚・である」
「おいこら! 普通に熟語もわかるんじゃんか!」
 ルイはどつきあうようにサンと接した。自分にはいもしない親友と接するかのように。
 やがて、アリシアがくすくすと笑うようになった。ルイがちらりと横目で伺うと、仮面の笑顔ではない、本当に心底楽しそうな表情が夕陽を受けて輝いていた。
「へっ! サン、アリシア様に呆れられてご冷笑を買ったね。惨めだね、醜態だね」
「サン・ルイ・の・認識能力・の・欠陥・疑う。アリシア・笑った・もの・は・論旨・を・明瞭・に・しない・ルイ・の・暴論」
 ルイとサンとの会話は、なおいっそう馬鹿げたものへと化していった。
 ――これでいいんだ。これでいい。
 アリシアの、フォルミカントとの融和という望み。その望みとは食い違う、戦の英雄としての立場。それらとの間にある激しい摩擦。
 彼女の小さな双肩で抱えるには、重すぎる。
 だから、とルイは考えた。
 だからせめて、今だけでも、自分たちの間だけでも、アリシアの望み描く光景を。


 第四章  フェイタル・エラー - Fatal Error -

 それから、数えるには少々億劫な回数だけ、彼らは集った。
 砂舞わぬ木漏れ日の下、人の目を忍んで、何をするためでもなくただ集うのだった。
 もちろんルイも兵団員で、兵役は学校の授業と違って重い懲罰が待っているから、命令あらば従事せざるを得ない。フォルミカントと戦うための訓練。たまに戦闘も経験した。相変わらずルイは活躍できなかった。いつしか、活躍したいとも思わなくなっていた。
 それよりも、アリシアの心中を思うと心苦しい。
 一〇〇年間続いた戦争の平和的な終焉――成し遂げられるかもわからない意思を少女の身一つに詰め込んだまま、アリシアはフォルミカントと戦い、苦しみ続けている。
 足の怪我はすぐに完治するだろう。そうすれば兵役に復帰する。そして、また――。
 兵団をやめてはどうか。その提案は、ルイにはできない。
 アリシアの立場がどれだけ重いものかくらいよくわかる。兵団が凱旋する際、決まって最も歓声を受けるのが彼女だということがその最たる証拠。そんな重責を抱えるアリシアに、無責任に“やめちゃえば”などと言えるわけがない。
 だから、このオアシスの広場だけは彼女が安らげる場所にしたかった。
 三人がうまく集うと、ルイはくだらないことを話し、日々の愚痴をこぼす。
 アリシアもまた、とるに足らないことを夢中になって話すようになった。
 サンはほとんど聞き手に回っていたが、時たま口を挟んでは意見を言うというということも増えていった。サンがまったく場に適合しない言葉を口にしようものなら、本人に構わずルイとアリシアは爆笑した。
 サンがルイにとっての窮状をもたらすことも、なきにしもあらずではあったが。
「そういえば、アリシア様、足のお加減、どうですか?」
「うん、だいぶ良くなってきた。君が背負って運んでくれたからだ。本当に、ありがとう」
 アリシアがふわりと笑う。何度見ても慣れない笑みだ。早まる心拍を抑え込もうと頑張る。
「い、いえ……。僕が背負わなくても誰かが背負ってたでしょうし、そんなに何度もお礼を言われることをしたとは思ってませんから」
 彼女が礼を言うのはこれでもう四度目になる。義理固いところは噂通りだ。
「あの時・アリシア・の・危機・知った・ルイ、見るからに・必死である・だった。無我夢中・猪突猛進・顔面蒼白・屋鳥之愛」
「おまえもそんな話しなくていいよ! 覚えたばかりの言葉使ってそんなに強調するな! しかも最後のだけ変だぞ!」
 アリシアはたまに、自分の邸宅の書庫から古い物語をくすねて持ってきては、ルイとサンに優しく砕いて聞かせることがある。その語りの中に熟語があると、サンは逐一その意味を確かめては吸収し、使いたがるのだった。
「変・でない・はず。屋鳥之愛・とは・好意・の・程度・が・極めて・深い・こと・を――」
「変なんだっ!」
 ここは断固としてサンの言うことを否定しなければならない。アリシアの前だ。でなければ、何か大事なものが破綻する。
「ん? なんだなんだ、何について争ってるんだ」
 うわ、そこで興味を示さないでくれ! ルイは天を仰いだ。今ばかりはアリシアといえど黙ってほしいと心から願う。
「あーえーうー、まあそのなんです、僕なんかが駆けつけた話は特に面白みなんてないし、そうだ、あれやりましょ! アリシア様が持ってる、数字とマークが書かれたカードを使うやつ」
 必死に話題を変えようとするルイを、サンは、
「必死である」
 と冷徹かつ残酷に断じた。ルイの顔が引きつる。サンは構わず、さらに言葉を続けた。
「実際上・サン・は・ルイ・の・アリシア・執着・の・理由・を・解明する・している」
 きょとんとするアリシアの横で、ルイは口をぱくぱくさせて慌てふためく。
 一方で、自分の気持ちなどサンにわかるわけがないとたかをくくった。サンはフォルミカントだ。感情という概念に対して極めて疎いのだから。
 ところがサンの口から発せられた言葉は、ルイの希望を裏切る形で、しかもより破滅的な言い回しだった。
「ルイ・は・アリシア・を・性欲・肉欲・生殖行為欲求を・惹起する・対象・として――」
「うああああ! あああああ! あああああ!」
 終わった。
 アリシアが俯く。表情は見えないが、頬が真っ赤なのはわかる。
 終わりすぎだ。
 いっぺんコイツがくたばりますように、と星に願った。

  †

 ある日、砂漠の冷夜を、五人の人間と一〇匹の駱駝が歩いていた。駱駝の両脇には大きな俵が積まれている。
  彼らはレキサの外商団だ。別の国や街と貿易取引を行う組織で、お互いの街を結ぶ距離の中間点を取引場として外商団同士が取引を行う。わざわざ一方が相手方 の国へ行かないのは、街同士が極めて排他的で秘密主義であることが多いためだ。外敵や内部問題に他民族を介入させない風潮がそうさせているようで、たとえ フォルミカントという異種族の外敵がいようと他国と結束することはありえない。従ってヨリも、他の人里がいったいどんな所でどんな技術や文化を持っている のかまではよく知らない。貿易は、自給できない資源や食糧分を確保するための最低限の助け合いだ。
 その外商団の一部隊の一人として、ヨリがいた。
 駱駝一〇匹分の穀物を安値で買い取るという快挙を成し遂げた後ではあれど、ルイのことについての憂いは色濃かった。
 ルイに会ったら渡してやろうと思って、教えの授業の板書の写しは、いつも持ち歩いている駱駝革の鞄の中に持っている。ところが、そもそも会う機会が最近めっきり減っている。よく授業を抜け出す悪癖があるのはわかっていたが、近頃は特に顕著なのだ。
 一度、授業を担当する教師兼任神父になんとか許可を貰って、自分もルイのいない授業を抜け出し、ルイを探したことがあった。しかしどこを探そうとも、誰に聞こうとも、街中で見つけることはできなかった。
「はぁ……。ったくもう、何やってんのかしら、あいつ……」
「どうしたヨリ、溜息なんてついて。うら若き乙女の悩みかい」
「む。なに言ってるんですか隊長、違いますよ」
「なんだ、違うんか? 今回みたいな取引の成功の後でも女が溜息出すってときゃ、たいてい淡い片思いか真っ黒い痴情のもつれって相場は決まってんだがなぁ」
「それは残念。そんな相場の市場なんかに私はいませんよーだ」
 うはは、と笑う隊長にヨリの頬が膨らむ。
「はぁ……」
 それから、再び溜息。視線が無意識に落ち、砂しかない地面を見つめながら歩く。
 不安は拭えない。このままではルイはどこかに消えてしまうような、そんな気がする。
「は」と、そこまで溜息が出かかったとき。
 ヨリの口がその状態で固まり、溜息は栓を閉めたように出なくなった。
 見つめていたその砂面が、突如として隆起したのだ。
「な、なに?」
 突如として盛り上がった砂の山は、瞬く間に大人の身長を超えた。そして砂が流れ落ちると、
「まずい! おいヨリ、駱駝引っ張って逃げろ!」
 中から姿を現したのは、フォルミカントの重装歩兵だった。闇夜に光る楕円の複眼は赤くぎらつき、恐怖そのものを象徴している。
「男共は剣抜け、そいつを――ぐあぁ!」
「隊長! きゃああ!」
 隊長の真後ろにもう一つ砂山が隆起し、砂の中から突出したサーベルが隊長の身を貫いた。
 砂山はさらに三つ隆起し、その中からフォルミカントがサーベルを持って出現した。
「スイさん、タギロさん! うそ……そんな……! ルーベンスさん、逃げて! 逃げ……いやぁぁ!」
 ヨリ以外の三人の隊員は虚を突かれ、応戦する間もなく斬られていった。ヨリは上げた悲鳴だけ体じゅうの力が抜けてしまったかのように、そこに崩れ落ちた。
 彼女の目の前に、最初に姿を現したフォルミカントが立ちはだかった。
「我々は・第57番千人隊、現在発声中の個体は・Praefecutus Triarii MMCXLV・即ち・千人隊長トリアリイ2145……!」
 手足ががくがくと震えて言うことをきかない。歯の根が合わない。
「我々は我々は我々は……重大かつ危殆かつ緊急を要する問題を・抱える……抱えている……! 原因は根拠は理由はお前たちPersoniant即ちつまり意味するところ人間に!」
「な……なに……なんなの……」
「即刻の返還を・勧告する! 返還せよ!」
 2145は、フォルミカントらしからず怒気と焦燥に満ちているように見えた。
 返還しろと言われても、何のことだかわからない。フォルミカントは論理的に明快な言葉を繰ると学んだ覚えがあるが、発言に目的語を欠く2145を見るとそうは思えない。
 とにかく自分には意味がわからないということを伝えようと口を動かす。が、上ずった声が漏れ出るばかりでうまくいかなかった。このままでは斬られると本能的に察したヨリは、ひたすら首を横に振った。
 首が痛くなっても、何度も何度もかぶりを振った。
 2145は、しばらくそれをじっと見ていたかと思うと、おもむろに部下を振り返った。
「LVII Praefecuturia! Amblien tu Lexa!(第57番千人隊、レキサへ向かえ!)」
 2145がシューシューという音の中で彼ら独自の言語を発声すると、フォルミカントたちは一斉に踵を返し、同じ方角へ向かって早足で去って行った。
 ――いま、あのフォルミカントが部下に命令したように見えた。その言葉の中に、“レキサ”と聞こえる単語が混じっていた。
 頭の中にひとつの悪しき予測が浮かび、ヨリは青ざめた。
 その時、ヨリは黒い地平線の近くに異常を見つけた。それは濛々と立つ砂埃だった。それらの中に蠢く多数の影がある。それらはみな一様に、ある方角へと猛進していた。
「フォルミカントの、軍……!」
 そういえば、先ほどのフォルミカントたちが向かったのも同じ方角だ。
 そしてその方角は、ヨリたちの帰路と同じ方角でもある。
 その先にあるのは、レキサだ。

  †

 今日は砂が高い。
 体が外套にからめとられてしまうほどの強風によって、いつもは地に転がっているだけの礫までもが空高く跳ねまわる。
 小隊による定期の偵察任務を終え、兵舎に戻る――ふりをして、いつもの抜け穴から外へ出たルイは、外套の高襟を限界まで上げながらオアシスへ向かった。
 真昼だが、木漏れ日は降りてこない。葉と葉の狭間から見える天空は、砂色一色に染まっていた。
 広場まで出ると、そこにはすでにサンがいた。
「今日・アリシア・いない・か」
「悪かったね、僕だけで。アリシア様、骨師に足の骨の具合を確かめてもらうんだってさ。そこで問題ないって言われたら、晴れて完治ってわけ。検査終わったらたぶん来るよ」
 サンが立ち上がる。
「果物・採取・行く」
「僕も行くよ」
「ルイ・任務・完遂する・した・ばかり。休憩・推奨する。加えて・ルイ・の・低身長・では・採取・不可能」
「て、低身長……? あぁ、そうかいそうかい! じゃ、どーぞお一人で!」
 ルイは木の根にどっかりと寝ころんで昼寝を決め込んだ。
 木々の間を通り抜けて、外界の砂吹雪の風音が耳に入ってくる。乾いた砂の香りがここにいてもなお鼻につく。
 今日はあまり天気が良くないな――ぼんやりとそんな取り留めもないことを考えながら、意識はまどろみの中に落ちていった。

 がさ、と音がした。
 意識が戻り、目を薄く開く。
 どれくらい眠っていたのだろう。まだ空の色が眠る前とほとんど変わっていないのを見、それから体にこびりついた鉛のような疲れがまだ完全には消えていないことを認める。ほとんど眠れていなかったに違いない。恐らく、一〇分やそこら意識を失っていたくらいだ。
「サンか?」ルイは軽く伸びをしながら起き上がった。「なんだよ、早かったな」
「ルイ? ルイなの?」
 意識が完全に覚醒し、目を見開く。そして跳ね起きた。
「だれ!」
 警戒の色に染まった声を上げる。
 藪の中に、ヨリが立っていた。外商団用の極彩色の派手な外套を身にまとっていて、あたかも人形のような可愛らしさがあった。
 しかしヨリのその顔は脅えに引きつっていた。充警戒の色に染まったルイが誰何したとき、驚かせてしまったようだ。
 ルイは意識して落ちつけた声で、問うた。
「ヨリ、なんでここに」
「ル、ルイだって」
 ヨリは眉尻を吊り上げて怒気をあらわにしたが、それは一瞬だった。彼女の顔は瞬く間に焦燥に彩られる。
「そ、そんなこと、話してる場合じゃないの! ルイ、どうしよう! どうしたら……!」
 次第に涙声になるヨリを落ちつけようと試みる。
「落ち着けって、何がどうしたのかさっぱりわかんないよ」
「フォルミカントが! レキサに、フォルミカントの軍が押し寄せてるの!」
「……え?」
 頭の中が真っ白に吹き飛ばされたような思いだった。ヨリの言っている意味を理解するのに数秒の時間を要した。
「わ、 わたし、外商の戻りにフォルミカントの兵士に襲われたの。みんな、殺されて……! でもわたしだけは、リーダーみたいなのに“返還せよ”って言われて。で もなんのことだかわかんなくって、必死にわかんないって伝えてたら、レキサに向かって走っていったの。それからすぐに、フォルミカントの大軍がレキサに向 かうのを見たのよ!」
 ヨリはその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。雨粒のような涙が頬を伝っていた。
「わたし、怖くて、とにかくレキサに戻らなきゃって……でも街の中に入るの怖くて、とにかく隠れたくて、わたし、わたし……!」
「とにかく、落ちつこ」ルイはヨリの側にしゃがみ、震える肩に手を回す。「一緒にレキサに戻って、様子を見てみようよ。僕たちがここにいたら、できることもできないしさ」
「うん、うん……」
 ヨリは何度も頷いて、ようやく落ち着きを取り戻していった。
 ルイは内心、困惑していた。戻るとはいっても、戻ったところでどうする。ここはレキサに近い。敵兵が外にうろついているかもしれない。万が一遭遇したら、自分たち二人だけでは絶対に勝てない。ならばいっそ、ここに留まった方が安全かもしれない。どうする。どうしよう。
 ああでもないこうでもないと色々な思考が頭の中で錯雑とする中、
「――ひっ」
 ヨリが一瞬びくりと震え、口を開き、そのまま止まった。この世で最もおぞましいものを見たという顔つきだった。
「なんだよ、今度はどうし――」
 たんだよ、と続ける前にヨリの反応に思い至り、急いで彼女の視線を追って振り返る。

「サン・初めて・視認する・個体。ルイ・の・友人・か?」
 
 サンが、腕に一杯の果物を抱えてそこにいた。
 ルイは突き飛ばされた。ヨリが突き飛ばしたのだ。
「ヨリ、落ちつけ、こいつは……!」
「あぁ、あ、あ、あ……!」
「ヨリ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 もはやどんな言葉も功を奏さなかった。なだめようとするルイを振り払って、ヨリは一目散に駆け出した。ルイは後を追ったが、砂吹雪が日光を遮っているせいで林の中は暗く、すぐに見失ってしまった。
「……ウソでしょ」 
 ルイは愕然とした。

  †

「ば、馬鹿な! きゃつらはレキサまで襲うつもりはないのではなかったのか……!」
 司導院議事堂のバルコニーで、司導院議長は泡を食っていた。他の議員たちも狼狽するばかりだ。
 バルコニーからは、レキサの防壁の外、砂漠の地平までも見渡すことができる。薄黄色がかった砂の大海に、ぶつかり合う二つの隊列があった。レキサの兵団と、フォルミカント軍だ。
 近い。しかも、敵規模は相当に大きい。エルギーツが目で見て測るところ、恐らく兵団でいうところの大隊に相当するいわゆる千人隊だ。
「なぜ敵軍があんな所まで! レキサに相当に近づかれているぞ! 周辺の防備はどうなっていたのだ!」
 議員が噛みつくような勢いで、フォルミカント軍襲来を伝えにきた伝令に言った。
「は、周辺哨戒は平素の通りであったのですが、夜間の哨戒が手薄な時を付け込まれたようでして」
「なんだと! そもそもなぜ夜間の哨戒を甘くした!」
「フォルミカントは夜目が利きにくいという話だ。事実、奴らは夜中は進軍こそすれ攻撃は好まないようであるという記録もあった。スールズラ議員殿、兵団の任務を減らし農務に充てよというあなたの強いご要望があったがゆえの、やむなくの処置だったのだがな」
 伝令に代わり、エルギーツが吐き捨てるように答える。
「ぐ……」
「だが夜に突き進んできたというならば、奴らは普通のフォルミカントではない。察するに、高感度能力者とか呼ばれる特異個体に率いられた精鋭部隊だ」
 言ってから、奥歯を砕かんばかりに噛み締めた。レキサから至近距離で勃発している戦闘が示す、ひとつの事実に。
 フォルミカント軍は、攻め上がろうと思えばこのようにしてレキサに攻め上がることができた。いまレキサに侵入せんとしてくるその目的は知る由もないが、現にこうしてレキサに接近することができている。
 自分がレキサの周辺に隙なく配したはずの防備など、最初からあってないようなものだったのか。奴らは本当に、戦うことをもって人間の文化を学習しようとしていたのか。よもや開戦後一〇〇年にもわたり、レキサは奴らの進化に利用されてきた、というのか――。
「くそ!」と、エルギーツは大理石の壁を拳で殴りつけた。
「ど、どうするのだエルギーツよ。わしの所掌の範囲ではいかんとも判断できん。まさか、まさかとは思うがな、我々の命運がここで潰えるとは、もはやこれまでなどとは、言うまいよな?」
 洞のような口をぱくぱくさせて議長が言う。レキサの代表たる者が、完全に他人に判断を丸投げしていることに、エルギーツは眩暈を覚えかけさえした。
「エルギーツ兵団長殿っ!」
 そこに、新たな伝令が転がり込んできた。
「停戦申入れです! 襲来中の敵勢の長より、停戦申入れの文がっ!」
「なんだと?」
 自分たちの方から侵攻し、さらに優勢を得ておきながら、停戦する、とは。
 今回の事案は、いよいよもって理解に苦しむ。ひとまず伝令が持ってきた羊皮紙を受け取った。フォルミカント軍の将校の言を、交戦中の兵団員が聞き取りしたためたもののようだ。
 エルギーツは読みあげる。
「“現在ここに勧告を行わんとする個体は第57番千人隊長トリアリイ2145である。我々は返還を要求する。ゆえに返還せよ。または破滅せよ。返還か破滅かを選択せよ。我々は選択を強制する”」
 議員たちは互いに顔を見合わせる。
「なんだ? 返還とはいったいなんのことだ?」「わからん。そちらこそ何か掴んでいるのではないのかね」「い、いや……まったく」「とにかく、私の扱える問題ではありませんな」「議事を開く猶予も、もはやあるまいて」「うむ、ここはやはり……」
「エルギーツ、領域外有事は貴様ら兵団の管轄だ! とっととこの問題を処理せんか!」
 議員の一人が、口角泡を飛ばしながらエルギーツに言った。
 エルギーツは今すぐ斬り捨てたい衝動に駆られたが、
「……仰せのままにいたしますとも」
 それだけ言って、踵を返した。
 あくまで、剣を汚す血の色は赤ではない。青だ。
 ――こうなれば、この状況をとことんまで利用してやる。これは好機、そう、好機だ。ルシア、もうすぐお前の悲願が叶う。もうすぐ一〇〇年の戦いを終えられる。

 それから停戦申入れ受諾の旨返信し、交戦中の兵団を退かせた。するとフォルミカント軍は、レキサへと行進してきた。このまま街中へ押し入るのではないかととめどない緊張感が場を満たしたが、軍はレキサの正門直前でぴたりと足を止めた。
 エルギーツは自らの足でフォルミカント軍の前に自らの足を運び、叫んだ。
「私はロー・エルギーツ! 兵団の最高階級たる戦導師にして、兵団長である! 特例として、私がレキサを代表する! 交渉の意思があるならば応じよう!」
 周辺の住民にはレキサの奥部、つまりヌイーヴ川側への退避を命じたし、兵団の反撃の手も今は止めてある。
 フォルミカント軍はエルギーツの言葉と兵団の反撃の停止に交渉の余地を見出したのか、こちらも攻城の足を止めた。それから、目を見張るほどに整然とした隊列を取り戻し、直立不動で微動だにしなくなった。
 先頭にいた一体のフォルミカントだけが、サーベルを腰帯に差しながら歩み出る。
「勧告する。人間が捕縛中のフォルミカント個体を・即刻返還せよ」
「申し訳ないが、なんのことやらまるで理解できない。唐突な交渉に困惑している。突然、その、我々が捕縛中の個体とやらを返還せよと申されてもな」
「おまえの発言は・我々が返還を求める個体は・存在しないということか?」
「そうは言っていない。今の時点ではなんら断言できんのだよ。できればこのような突発的な交渉に臨まれた経緯を説明されたい。もしかすれば、貴君の望みを叶えられるやもしれん」
 エルギーツは巧みに言葉を繰って情報を引き抜こうとしつつ、思案を巡らせていた。
 司導院の言うとおり、確かにレキサの街に直接侵攻してこなかったのは事実だ。その理由はエルギーツの知るところではないが、少なくとも一気に攻め滅ぼす意思が見られないという事実は認めていた。その傾向を、ここにきて突発的に変えたのだろうか――。
 いや。
  そもそも彼らは侵攻するというより、2145の言うところの“返還”を求めるためにやってきたと考える方が論理的に妥当というべきだ。フォルミカントは全 体利益のためにのみ活動する。レキサに壊滅的な打撃を加えうる精鋭部隊でわざわざ敵の本陣まで来ておきながら、ここで進軍を止めたということは、戦闘する よりも交渉した方が利益は勝ると考えたからだ――。
 であれば。
 流れは、元より我々にある。交渉の決定的カードは彼らが返還を望んでい る“個体”だ。そのような個体が本当にレキサにあるにせよないにせよ、うまくやれば利用できる。加えて、人は話し合う生き物だが、フォルミカントは話し合 うことを知らない。奴らは極めて排他的な一族だ。他種との衝突はすべて武力をもって解決してきた。交渉という手段を踏むことには不慣れなのだ。
 エルギーツの問いに、2145は平坦な口調で答える。
「我が第57番千人隊・を構成する要素部隊たる・第60番百人隊・を構成する要素部隊たる・第212番十人隊・を構成する要素個体たる・重装歩兵が・消失した。ハスタティ・3018である。この個体は消失後・我が軍の名簿から・抹消されていた」
「その欠員が我々の捕虜になっている、と? だから奪還しに来たと、そういうことかね?」
「推察の通り・である」
「なぜ我々が、そのハスタティ3018を確保していると考えた?」
「レガトゥス第九四代期三八二五日目に、東方二〇キロメートルにて・戦闘が勃発したことを・記憶しているか? 最も新規の戦闘である」
「諸君らの用いる暦がこちらには理解できないが、最も新しい戦闘ということならば……思い当たる戦闘は一つしかない」
 娘の顔が一瞬だけ脳裏をよぎる。アリシアはあの戦いに参加していた。足を負傷したと聞いたが、見舞いに行ってやる余裕はなかった。今日はどこかで療養しているのだろうか。
「我々・第57番千人隊は・かかる戦闘に従事した部隊である。戦闘中・2145は信号を受信した」
 “信号”とは、フォルミカントが触覚を用いて起こす空気現象であるらしい。信号の内容はたいてい戦局にとって重要な情報や命令などで、フォルミカントはみな信号を受信することができるという。
  そして中には、言語ではなく信号による迅速かつ確実な通信による指揮命令体系を確立した高性能化部隊がいる。ということは、当然その部隊の指揮官は命令の ために信号を“発信”するわけだが、発信は受信と異なってどの個体も可能なわけではなく、受信よりも高い性能を触覚に要求する。その高性能な触覚を備えた 個体を“高感度能力者”と呼ぶのだが、それが誕生するのは非常に稀とのことだ。
「受信内容は・より参戦必要性の高い戦闘の勃発の旨・ならびに・そ の現場の地点に関する旨である。受信した信号に従い、2145は指揮する第57番千人隊全個体を・新たな戦場へ向かわせることを決定し・また実行した。可 及的速やかに現場に到着したが・しかし・現場には戦闘の勃発という事実はなく・近い過去にそれが生じた形跡も・また認められなかった」
「つまり……誤報であった、と?」
「我々が直面した状況は誤報という概念に似て非なる。そもそも戦闘地点の連絡における誤報の発生という状況は・我々Formicantにとって・ありえない」
「なぜそう言いきれる。フォルミカントとて、過誤がまったくないわけではあるまい」
「推 察の通りであるが・信号に過誤がありえないのは・軍令に関する連絡において・である。我々は部隊の運用を最も経済的・効率的に化することを常に追求する。 部隊の移動に関する軍令が発令せらる際は・とりわけ状況を精査し慎重を期してから行うため・結果として部隊の移動に誤りが生じることは・ない。今回のよう に・継続中の戦闘を切り上げてなお参戦すべき戦闘が存するとの情報が・不実のものであった・というのは・帰納的に考査するところ・到底看過しえない極めて 重大な問題である」
「諸君らにとって誤報という状況がどんなに稀有だったとはいえ、誤報が生じたのは事実だろう」
「2145は・誤報でない可能性を・考える」
 エルギーツは眉根にしわを寄せた。彼ら第57番千人隊に下った情報が真実のものでなかったのは事実で、それは2145も認めるところだ。それが誤報でないというのはどういうことだ。
「“誤報”という概念は・過失を前提とする。2145が受信した信号は・誤報ではないと・換言すれば・意図的な不実の情報――故意を前提とする概念・即ち“虚偽”であると考える」
 虚偽。フォルミカントの誰かが、嘘の信号を放ち、同胞を騙した。
 聞いたことのない話だ。
「作戦中行方不明と記録された個体に・ハスタティ3018が存在する。2145の直轄する第212番十人隊に所属しており・即ち2145の直属の部下であった」
 2145はよりゆっくりとした口調で、言葉を紡いだ。 
「ハスタティ3018は・高感度能力者である。2145に虚偽を発信したのは・ハスタティ3018であると・強く推定している」
「解せんな。なぜその個体が、同じ仲間である諸君に虚偽の信号を」
「その疑点は・我々もまた有するものである。かかる疑点の解明のため・我々は到来した。ハスタティ3018が人間により利用された可能性を2145は重視しており・ゆえに・レキサ中にハスタティ3018が存すると推察した」
「我々の本拠地であるレキサへの攻撃を、こうして中断してもなお、そのハスタティ3018とやらを取り戻したいのか」
「……これ以上の説明の必要性を・2145は見出さない」
 エルギーツは瞑目し、鼻から薄く息を漏らした。
 さて、聞くだけは聞いた。
 だが、案の定このフォルミカント部隊が探し求める3018などこちらは知る由もなし。
 エルギーツはこれからの筋書きを即座に組み立て、そしてほくそ笑んだ。
 ――これから言うことは、決して嘘ではない。真実だ。だが、私はその真実をとことんまで利用してやる。フォルミカントにはできないやり方で、だ。
「残念だが、貴君の推理は間違いだ。ハスタティ3018など私は知らん。そして、私が知らねば他の皆は当然に知らん」
「その答弁は・真実か? 真実であるならば・我々はレキサ中の強制探索を・断行せざるをえない。それによりおまえたちが被る物的損害は・計り知れない」
「無論、それは困る。そこで、取引だ」
「取引……同等利益の交換……」
「そうだ。フォルミカントの諸君が今までやってこなかった外交手段だよ。これを機に、諸君らに“取引する”ということを教えてやる……」
 2145は、沈黙してエルギーツの言葉を待った。
 エルギーツは禍々しい笑みを浮かべながら、口を開いた。
 そこに。
「いやっ! やめてぇっ! 放して! 痛いっ! いやーっ!」
 フォルミカント兵に引っ張られて、浅黒い肌の少女が連れてこられた。鎌のような指が食い込んだ浅黒い腕が痛々しい。
「エルギーツ戦導師さま! お願いです、助けて……!」
 エルギーツは2145に声を荒げた。
「待て、これはどういうつもりか!」
「六分二六秒前・隊列から離脱して哨戒に当たっていた重装歩兵が・発見し捕捉したヒト個体であるとのことである」
「わたし、外商団のヨリです! レキサに入りたくて、でもフォルミカントがいっぱいで、どうしようってうろうろしてたら……!」
「放してやってくれ。今はその子は関係がないだろう」
「2145も・捕捉の継続による利益を・見出さない。...Absceden eto Personiant.」
 最後は“放してやれ”とでもいったのか、2145の命令によって兵はヨリを解放した。エルギーツはヨリに離れていろと命じたが、ヨリはすぐには従わず、おずおずとエルギーツを見上げて言った。
「あ、あの、申し上げたいことが」
「今の状況がわかっているのか。話はあとで聞く」
「伝えなきゃいけないことがあるんです」
 エルギーツは舌打ちしそうになったが、ヨリの黒い瞳に強い光が宿っているのを見て、直感的に何かを悟り耳を傾けてみることを決めた。2145には「少し待ってくれ」と申し出、2145の耳に届かないところまで下がってヨリの話に耳を傾けた。
 ヨリが伝えたことは、エルギーツを打つものだった。
「わたし、わたし……東のオアシスの中で、フォルミカントを見ました」
「なんだと?」
「東のオアシスで見つけたんです。他に仲間がいないみたいで、一人でした。……それと、そこには、人間もいて……」
「人間?」
 ヨリはすぐには言葉を続けなかった。俯いてなかなか口を開こうとしない。何かを迷っているようだった。しびれを切らしたエルギーツは「どんな人間だ。知っている者か」と促した。
 ヨリは、一度下唇を強く噛んだ後、
「誰かは、よくわかりませんでした」
 と絞り出すように答えた。それから、ヨリは目に涙を浮かべて訴える。
「でも、きっと襲われてたんです! 助ないと、あの人……殺されちゃう!」
あのオアシスには近年誰も踏み入っていない。フォルミカントが単独で活動することも珍しい。ヨリの言うことが真実なら、そのフォルミカントが部隊からはぐれたハスタティ3018ではないのだろうか。
 エルギーツは舌打ちしそうになったのをこらえた。ヨリがもたらしたのはエルギーツの今後の心算にとって余計な情報だった。交渉の進め方に重大な支障をもたらしかねない。
 あくまで、筋書き通りにことを進めなければ。そのためには、ヨリの口を封じ込めなければ。
「ヨリといったか。礼を言うぞ。確かに貴重な情報だった。うまくすればこれ以上の損害を出さずにこの状況を解決できるかもしれん」
 一人で何かを成し遂げた子供を褒めるときのように、ヨリの黒髪に無骨な手を置く。ヨリは緊張気味に笑ってみせた。その表情が幼いときのアリシアとかぶり、心の水面を波打った。
「だが、その情報は今後一切、誰にも言うな。面倒に巻き込まれることになる」
「はい、わかりました」
「うむ。ではもう行け。三番兵舎が安全だ、あそこに身を隠していなさい」
 ヨリは大きく頷くと、フォルミカントの存在感から逃れるようにして足早に去っていった。
 エルギーツは2145の前に再び戻った。
「ハスタティ3018が発見された・という報せであったか?」
 エルギーツは今一度、己の精神を落ちつけた。周囲を小さく見回す。大丈夫だ、他の誰にも聞こえはしない。わずかに罪悪感がエルギーツを引きつけた。だが、それはもはや彼を押しとどめるには矮小すぎた。
 エルギーツは切り出す。

「残念だが、我々がハスタティ3018とやらを知らないという事実に変わりはない。
 だが、強制捜索という名目でレキサを攻め滅ぼされても困る。
 そこで取引だ。
 兵団の士気の基盤となっている一人の兵団員を土産として引き渡そう。
 銀髪の女性だ。名をアリシアという」

 もはや、後戻りすることはできない。
「アリシアという一個体の引き渡しが・我々にとってハスタティ3018強制捜索と同等以上の利益を生むとは・考えにくい」
「フォ ルミカントである2145殿に理解いただけるかはわからんが、人には心というものがあり、心が健全でなければ戦うことはできん。アリシアは、今まで数多く の戦果を上げてきた英雄だ。我々に勝利への可能性を大きく信じさせ、士気を高めた。ここでアリシアを失えば、士気は大きく削がれ、兵団の機能は著しく低下 する」
 それは誇張に過ぎる論理だった。しかし感情の概念を捨てているフォルミカントには、エルギーツの話が誇張か否かを判断する基準など持ってはいない。
 だが、そもそもフォルミカントに士気という概念を理解できるかという一抹の懸念はあったが――、
「理解は・可能である。その問題は・精神の起伏という・人間の孕む種の欠陥に起因する」
「その通りだ」懸念は杞憂に終わり、エルギーツは口角を吊り上げた。「兵団の士気の下落はたいへん好ましくないが、今現在の生存が我々には不可欠だからな。どうか、アリシアを引き取ることで、ここは手を引いてはくれまいか」
 2145は沈思黙考した。触覚だけが細かく振れているのみで、外殻に覆われた体躯は彫像のように微動だにしない。
 やがて、二対の鋭い顎が動き、はっきりと発声した。
「提示された取引を・承諾する。アリシアという個体は・我々が支配下に置く」

  †

「参ったな、フォルミカントがわんさかいる……」
  ヨリに逃げられたあと、ルイはいよいよじっとしているわけにはいかなくなり、決死の思いでオアシスから砂漠へと飛び出した。幸いにしてその周辺にフォルミ カントはいなかったが、砂混じりの風が吹きすさぶ中でもレキサの正門がよく見える位置まで来ると、ルイは即座に近くの小高い砂丘の陰に身を伏せた。絶望的 な光景を見たからだ。
 小高い砂丘からひょっこり頭を出して、五〇〇メートルほど向こうにあるレキサの正門を恐る恐る覗く。
 正門の周りには、黒光りする鎧に身を固めたフォルミカントの重装歩兵たちが、さながら甲冑人形のように立ち並んでいる。隊列の向こう側は見えない。誰かが交渉にでも打って出ているのか。そもそもフォルミカントに交渉の余地があるのかはルイにはわからないが。
 また、レキサの防壁の周囲を歩き回りながら見回っている兵士も何人か。
「あー、抜け穴の近くにもいるな。くそ、これじゃ入れないよ」
 正門やその周辺にフォルミカントが固まっているのを見ると、どうやら進軍をやめたのか。あるいはすでに街中は蹂躙され、陥落してしまったのだろうか。
「……ヨリ」
 フォルミカントに襲われ、オアシスまで逃げてきたときのことを思うと、ルイは陰鬱な気持ちになった。どんなにか怖かっただろう。
 そして、不安はもう一つ。
 サンのことだ。ヨリはレキサの司導院に話しただろうか。ヨリは真面目だから、その可能性は多分に考えられる。ルイが一緒にいたということまで司導院に知られれば、ルイの立場も危うい。
「サン、しばらく一緒にいない方がいいかもしれない」
 ルイは自分の隣、限界まで体を丸めて砂丘の陰に隠れているサンに話しかけた。サンは赤に浮かぶ黒い瞳を上目にしてルイを見た。
「なぜ・か?」
「僕 とサンが一緒にいるところ、ヨリ……さっきの子に、見られたでしょ。今なら、偶然出くわして戦いになった、って言えば信じてもらえるかもしれない。それ で、僕は勝ち目がないと思って逃げた、あのフォルミカントはそのあと見てないから知らない、って言えばいい。そうすれば、サンのこともばれない」
「以後・は?」
「以後?」
「以後・オアシス・で・会う・できる・か?」
「……それは、」ルイは少し俯いて、続けた。「できないよ、もう。サンのことが伝わってるなら、サンをオアシスで見たんだってことも当然伝わってる。あのオアシスはただでさえレキサに近いんだ、前よりずっと警戒されるよ」
「では・サン・は・以後・いかにして・ルイ・および・アリシア・と・会う・できる・か?」
 考えてもいなかったことを聞かれ、ルイは口を閉ざした。
 今別れて、今後どうやって会えばいいかなんて、わかるわけがない。砂漠の上で身を隠すものも何もなしに密会したって仕方ない。
 そもそも、今後も会うという点を考えなければならないのではないのか。
 人間がフォルミカントと会っているという事態は――最近、頭になかったことだが――異常なこと、なのだ。
 もう会わない方が、いいのかもしれない。
 それを思うルイを、図らずして否定する言葉があった。
「サン・は・ルイ・および・アリシア・との・絶縁・を・希望する・しない」
「しょうがないだろ、そんなこと言ったって……!」
 あのオアシスの小さな広場での鼎談の情景が、ルイの心を深く突き刺す。ルイは下唇を噛んだ。ずっと憧れていたアリシアに、くどい言い方しかできずどうしようもないサンと、他愛もない話を心ゆくまでした日々は、いつの間にかルイの中でとてつもなく大きなものになっていた。
「しかし・であるが」サンは言った。「ルイ・苦悶する・をも・希望する・しない」
「僕の心なんて、わかんないくせに……」
「心的苦痛・の・存在・は・理解する。原因・が・サン・に・ある・こと・も・理解する」
 ルイはサンの声を聞くのが辛くなり、逃げるようにしてレキサの正門を見た。
「……あ」
 動きがあった。
 レキサの正門付近で直立不動だったフォルミカント兵たちが一斉に動き、また防壁伝いに周辺を哨戒していた兵士たちも正門付近に集まって、美しいまでに整然とした隊列を作った。
 そして隊列は、レキサから離れるようにして行進を始めた。
「退却する……? でも、なんで……」
 サンは、以前オアシスでそうしたように触覚をしきりに動かして何かを感じ取ろうとしているようだったが、「信号・なし。……口頭命令?」と一言呟いたのみだった。
 相変わらずよくわからないやつだ、と思いつつ視線を退却していく隊列に戻してみると、
 外殻の赤茶と鎧の光沢のある黒の群れの只中に、鮮烈な銀が紛れ込んでいた。
 フォルミカントの武具にしてはやけに綺麗な色。
 ルイは目を凝らした。そして、目を見張った。
「アリシア様!」
 間違いないなく、アリシアだ。アリシアは兵士の一人の肩に担がれ、歩行に揺られるままで自分から動く気配はない。気を失っているのか。
 サンは、砂丘の陰から飛び出した。右手はサーベルの柄にかかっていた。
 今回は、ルイも同時だった。

  †

 今度は何を持っていってやろうかと、骨師の医院のベッドであれこれ思案していたときだった。
 東方伝来の札遊戯はもう散々やった。今度は西から渡ってきた物語を聞かせてみようか。でも、サンには理解できないかもしれない。ルイならきっと喜んでくれる。
 私は、サンには感謝している。
 あの日、オアシスでサンを救ったおかげで、ルイに会えた。
 人目を忍んでレキサを抜け出している仲間がいたとはびっくりした。
 ルイは自分が未だに三級戦歩で実力のないやつなんだとよくぼやいた。男らしさなんてまったくないと。本人に言ったら怒るだろうが……確かに、一目見ると男というよりは女に見えてしまう。声を聞いてようやく男かもしれないと思えるくらいだ。
“アリシア様は、そんなにご立派なお方ですか”
 英雄視される私を、決して強い人間ではないと否定してくれたのは、ルイが初めてだった。
 ルイは、みっともなく泣き喚く私を見ても失望したりなんかしなかった。
 ルイはひねくれ者だが、優しいんだ。でも、本人に言ったら怒るだろうな。
 だから、ルイにはもちろん、ルイに会えたきっかけとなったサンにも感謝したい。
 また、一緒に遊びたい。
 話したい。
 笑いたい。
 戦う日々の中で、夢のような時間だった。そして今、夢から覚めさせられた。
 お父様は私を売った、と再会したトリアリイ2145は言った。私はお父様を責めない。レキサの民の命が私一人の引き渡しによって繋がれるのならば、お父様は賢明なご判断を下された。私は娘への情けよりも、兵団長としてレキサの民を優先したことを誇りに思う。
 フォルミカントの薬師が私に飲ませた薬品が、もうだいぶ回ってきたようだ。
 意識の輪郭が、ひどく、ぼやける……。
 思考が、少しずつ、寸断され……泡沫のように、浮かんでは消え……。
 瞼を開けることも、
 音を、聞くことすら、もう。
 声が、近くに、あるような。
 ルイの声が、サンの声が、聞こえるような。
 もう、ここは夢の中か。

  †

「Hastati MMMXVIII!」
 隊列の先頭の、最も身長の高いフォルミカント――おそらく隊長格が、サンを見て声を上げた。隊長は、どうやってかはルイにはわからないが、声も腕も使わずに隊列の行進を止めてみせた。
「アリシア様を放せ!」
 両手で握ったナイフを、アリシアを担いでいるフォルミカントに差し向ける。フォルミカントの足がすくみそうだ。だが、今自分にできることはこれが精一杯だ。
 サンは、鎌状の四本の指でルイの突っ張った腕を慎重に掴み、そっと下ろさせる。
「サン」
「ルイ・戦闘する・こと・を・アリシア・は・希望する・しない」
「あ……」
 アリシアは、人とフォルミカントの融和を切に望んでいた。その悲願を彼女の間際で逆らうことには、躊躇があった。
「サン・が・千人隊長トリアリイ2145・との・対話・により・問題状況・を・収束・解決する」との言葉にも押し切られて、ルイはゆっくりと腕を下ろした。
 サンと2145とかいう千人隊長が対峙する。男性体の2145に比べれば、サンは小人のようなものだった。
「Igos inquiren du, MMMXVIII. Relatien du’r aktio tu genao.(我々はお前を捜索していた。お前の現在に至るまでの活動を報告せよ)」
「3018・は・ヒト語・による・会話・を・希望する。状況を・把握・理解・捕捉する・機会・を・与えられるべき・ヒト個体・が・存在する・ゆえに」
「……了承する。2145は・このヒト個体の我々に対する害意を消却するために・この状況を理解させる必要性を・見出す」
 なぜ、アリシアを連れていくのか。サンは問うた。
 対する2145の答えは、ルイを震撼させるものだった。
「エルギーツ戦導師が、サンの捜索をやめさせるために、アリシア様を売った……?」
 信じられなかった。信じたくはなかった。アリシアはエルギーツの実の娘だ。いくら街のためとはいえ、自分の子供を差し出すのか。
 ルイは、常に自分と母の幸せを願ってきた父しか、父というものを知らない。だからこそ、エルギーツの行ったことを理解することはできても、納得することは到底できなかった。
「ロー・エルギーツ・戦導師との取引により・我が第57番千人隊はヒトを攻撃しない。したがって・おまえというヒト個体も・また絶命せしめない」
「どんな取引があったかなんて、僕の知ったこっちゃないけど……! アリシア様は返してほしい! おまえたちじゃわかんないかもしれないけど、僕にとって……僕たちにとって、本当に大切な人なんだよ!」
「おまえの主張は理解しており・またその理解は取引成立の前提である。アリシアは・武装組織機能の肝要となる重要個体であるからこそ・3018強制捜索中止の対価として・相応だったのである」
「理解してないよッ! 僕がアリシア様にどういう気持ち抱いてきたかなんて、おまえなんかにわかるのかよ!」
 ルイの怒号を意にも介さず、2145は「さらに」と触覚をぴくりと大きく振った。
 すると隊列の一部を成していたフォルミカント兵が散開し、サーベルを抜いて3018を取り囲んだ。
 狼狽するルイは突如背部から強く押し倒され、うつ伏せで押さえつけられた。
「っ……! なにすんだっ……!」
「“エラー”3018。おまえを・緊縛する」
 2145は、宣言するように言った。
「エ……ラー……」
 サンがゆっくりと繰り返したその言葉には、今までにないサンの揺らぎが表れていた。
 ――サンが、脅えている?
 エラー。その響きを自身の発声で確かめたサンからは、恐怖という感情が滲み出ているように思える。
「故意の虚偽信号発信による反益行為のみならず・現時点におけるヒト個体との協働・ヒト個体への図利の意思・これらは・3018をエラーと判定する要件として・十分である」
「な……なんだよ、サン。僕にはぜんぜんわかんないよ! 説明してよ!」
「エラーは・重大な反益行為を犯した欠陥個体である。エラー性質は伝染性を有する。その容態は・悪性腫瘍との比喩が・ヒトの理解にとって・適切と考える」
 2145が早口の人語で説明した。ルイにもこの状況を理解させる利益があると踏んだのかもしれない。
 2145はこう続けた。
 エラーは特に高感度能力者に先天・後天を問わず発生するリスクがある。欠陥は改善する努力義務がある我々は、エラーの処置義務もまた当然に有する。
 そして、エラーの原因は脳部の突発的変異であるから、改善は脳部の置換をもって行う。
「脳部の置換、って……」
 いったい何を言っているのか。理解が追いつかない。
「待ってよ、脳部って、頭の中の脳、のこと……? それを、なに?」
「置換する。置換とは・保管中の他脳部との交換を意味する」
 言葉の意味を説明されたところで、理解はやはり苦しいままだった。むしろ理解することを頭が拒んでいるかのようにすら感じられた。それでも、2145の言葉から導かれる事実は、どうやらひとつしかない。
「……は、え、それじゃあ……サンは、その“改善”ってのをしたら、もうサンじゃなくなる……?」
 サンは呼吸を繰り返すのみで、何も答えようとしなかった。細やかな挙動がほとんど見られず甲冑人形のような印象を与えがちなフォルミカントだが、今この時のサンは肩が上下し、呼吸音が激しくなっている。
「ヒト個体の用いる・サンという単語が・3018を意味すると仮定するが・改善処置を経た後の3018が・3018でなくなる・わけではない。3018という番号は・維持される」
 結局、脳を取り換えても名前は変わらない――そんな答えが聞きたいのではない。こちらの言いたいことをまるで理解していない。ルイはほとんど憤慨しながら返す。
「でも! 脳を取り換えるってことは、サンの今までの記憶とか、思い出とか、そういうのが全部消えるってことでしょ!」
「論旨が・理解不能である。脳部の置換は・個体同一性の喪失を生ぜしめない」
 この時ルイは、ようやくフォルミカントという種族を真に理解した。
  そうだ。フォルミカントは“個”の概念を極限まで希薄化させた種族だ。彼らがいう個体が、同じ個体として認知される条件――即ち同一性の条件とは、機能的 な全体を構成するに足る能力を備えたものであること、ただそれだけに過ぎない。記憶とか、意識とか、そういう精神的なものにはまったく重きを置かない。
 彼らにとっての脳の交換は、虫歯を差し歯に変えるのと変わらないのである。
「3018は部隊への帰属を希望するエラー判定取消を希望する脳部置換処置の中止を希望する3018は――」
 いつものたどたどしい口調ではなかった。サンには紛れもない焦燥の色が浮かんでいた。
 ルイは気づいた。エラーとは、フォルミカントの全体利益に資することができないことを意味する。
 つまり、フォルミカントとして生まれた者にとって存在意義の否定に他ならない。
 ならばそれは――彼らにとって肉体の死よりも重い、死なのではないか。
 サンの懇願を、2145は冷厳に断じた。
「その非常なる自意識および記憶への執着が・エラー性質をより基礎づけている」
 サンはそれきり、何も言わなかった。サンは兵にサーベルを奪われ、触覚にてらてらとしたルイには材質のわからない布のようなものを巻かれて、両腕もまたやはり材質不明のロープ状のもので胴体に縛りつけられ、抵抗を封じられた。
「待ってよ! 取引って言ってただろ! アリシア様を奪って、サンまで連れていくって、変だろっ!」
 ルイは滲む涙を振り飛ばすように叫んだ。アリシアかサンかどちらか一方にしろと言いたいわけではなかった。とにかくトリアリイ2145を止めなければという一心だった。
「我々の支払った取引対価は・レキサにおけるエラー3018強制捜索の中止であって・エラー3018の身柄保全ではない。我々は・成立した取引を遵守している」
 それが2145の最後の言葉だった。ルイを抑えつけていた兵も含め、すべての兵が隊列内の位置に戻り、隊列は元の整然とした姿を取り戻した。
「“信じて・待てば・救いは・訪れる”。非・論理的・であるが・3018・は・信じる……信じる……信じ・なければ……サン・018・の・安定・性が……信じる……信じ・る……」
 3018は誰に言うでもなく、詠唱するように信じると繰り返した。
 砂を踏む甲殻の音が轟然と響き渡る。アリシアとサンを連れ、隊列は再び行進を始めた。
「待って! 待ってよ!」
 ルイは追いすがった。
「返せよ! アリシア様を! サンを!」
 近くの兵に組みつく。たちまち振り払われた。すぐに起き上がり、もう一度。今度はサーベルの柄で腹部を一突きされた。胃が口から転がり落ちてしまうかというほどの衝撃だった。ルイはすぐに立ち上がることができなかった。
「げほっ……! サン……サン! サンっ! 黙ってないで答えろよ、バカ!」
 くそ。起きなければ。隊列の歩行はかなり速い。みるみるうちに隊列の最後尾が遠ざかっていく。
「アリシア様! アリシア様! お願いです、目を覚まして! 返事をして! アリシア様ーっ!」
 もつれる足に鞭打って、体を引きずるように走る。
  最後尾の兵に追いすがる。転げるように前のめりになりながら、がむしゃらに手を伸ばす。兵の腰についていた道具袋を掴んだ。引っ張る。兵が振り返る。サー ベルの柄でルイは側頭部を強く殴打された。鋭い痛みがこめかみに走る。放すものかと引きずられてでもついていくつもりで兵にしがみつく。掴んでいた兵の道 具袋が兵の腰帯から落ちた。ルイも地に落ちた。それでも道具袋を掴む手に込める力は緩めなかった。
「ぐふっ……!」
 兵は砂面に顔を沈ませたルイの腹を、勢いよく蹴り上げた。
 意識が一瞬、飛んだ。胃がひっくり返るような感覚。皮膚が裏返るような嘔吐感。
「サ……ン……! アリ、シア……さ……!」
 それでも叫んだ。力の残る限り、意識の続く限り叫んだ。叫ぶことしかできなかった。だから、何度も何度も叫んだ。
 いつしか、ルイの意識は激しい疼痛に引っ張られ、落ちていった。


  第五章  こうして戦いは作られた - Battle is always MADE -

 ヌイーヴ川のほとりに舞うやや湿り気を帯びた砂たちは、同じくヌイーヴ川によって潤いを得た人里に満ちた憤怒と闘気とに呼応するかのように荒立っていた。
 司導院議員を兼任できる戦導師の位にあり、かつ兵団長の立場にあるロー・エルギーツは、レキサ中央の集会場に立ち構え、拳を振るって人々に呼びかけた。
「我が娘にして、諸君らに“銀戦姫”と称えられ愛されてきたアリシア・エルギーツを、我々は失った! 残虐にして卑劣なるフォルミカント共の手に落ちたのだッ!」
 目には潤みを。声には震えを。拳には怒りを。言葉には悲痛を。
 大衆の意識を一挙に集約すべく、エルギーツは文字通り全身を使って訴えた。
「我々は、長らく、本当に長らく、フォルミカントに対する抵抗の中を生きてきた! ここにいるすべての者が、生まれたその瞬間から死を見せられ、涙に溺れ、痛みに喘いできた! 我々は筆舌に尽くしがたい刻苦を強いられてきた!」
「そうだ!」「その通りだ!」とレキサ中から集った聴衆もまた全身をもって同意を返す。
 ここ数年、いや数十年、大衆がかつてこれほどまでに固い合意に至ったことがあっただろうか。否だ。
 司導院は、フォルミカントは戦争長期化による文化洗練を図っているため、地上の戦況に関わらず本拠地である地下帝都には最終的な防衛を十二分に担えるだけの伏兵があると恐れていた。だから、レキサ側がどんなに優勢であろうとも兵団に最後の詰めを許さなかった。
 結局、戦争は長期化し、死体が積み上がっていくことに変わりはなかった。人々の鬱憤は募るばかりだったが、その爆発は権威と教えによって封じられてきた。人々は教えにあるように母たる神を信じ、救いを待つしかなかった。
「戦いがこれほどまでに長きに渡った要因は、フォルミカントの継続的な侵攻のみによるのではない! 司導院が愚かな杞憂に囚われ、勝利の機会をみすみす失してきたからである! その怠慢は極まり、諸君らの愛してくれた我が娘は拉致された!」
 かつて、対フォルミカント戦の士気がひどく落ち込んだ時、エルギーツは当時信仰規模の小さかった母たる神の教えを利用した。教典の内容をうまく利用し、そのためにヌイーヴ川の流れを変え、反対する旧来の信者を粛清までして、士気を回復することができた。
 だが、時が経つにつれ、司導院は戦争長期化に不満を募らせる人々を抑圧するためにも教えを用い始めた。即ち、“母たる神を信ずれば救いが訪れる”と。だから、戦いにも耐えよと。それはエルギーツの計算外のことだった。
「諸君の母たる神への信仰は素晴らしいものだ! 忍びがたきを忍び救いの時を待たねばならないのも確かだ! だが、母たる神は、諸君に見えぬ希望にすがりつけとは仰らない! 果てなき戦いに命を賭せとは仰らない!」
 大衆の中には、涙を流す者さえもいた。エルギーツの言葉は人々に解放をもたらした。
 司導院に対する盲従からの解放だ。
 エルギーツが自分の意思で動くには、まず教会のように立ちまわる司導院に対するレキサ中の妄信を解く必要があった。司導院があくまで崇高なものであるのだという人々の信念が崩れない限り、人々は一議員であるエルギーツが何を言ってもまとまることはなかっただろう。
 だが、司導院に対する精神的な隷属を解くカギを、エルギーツは使うことができたのだ。
 フォルミカントにアリシアを拉致させる、というカギを。
「その醜態と腐敗を浮き彫りにした司導院を見よ! アリシアを奪われた今もなお、諸君は司導院の妄言に付き従うか!」
「否!」
 声をそろえた大衆に、エルギーツは大きくひとつ頷いた。
「今 の答えが素晴らしく賢明であったことを諸君は確信してよい。母たる神の教えにこうある……“川の民らはその肉智を捧げて悪因を排すべし”。“排すべし” だ。教えは我々に戦うことを我々に命じているのではない、敵を完膚なきまでに殲滅して“排す”ことで恒久の平穏を取り戻せというのだ! そして、今! ア リシアという十分に過ぎる“肉智”が捧げられたッ!」
 エルギーツは大きく息を吸い、極めつけの文句を放った。
「川の民、レキサの民よ! 立ち上がれ! そしてこのロー・エルギーツの歩む道を歩め! 今こそ、フォルミカントを一人残らず駆逐すべき時だッ!」
 レキサの天まで轟きかねないエルギーツの蛮声。
 応じるは、レキサの防壁を内から打ち破らんばかりの歓声。
 エルギーツは内心で大笑した。ついに人々の心がまとまりをもって動いた。
 取引相手だったトリアリイ2145とかいうフォルミカントの指揮官は、アリシアの拉致が兵団機能を減退させると信じ込んでいた。だが、実際はどうだ。
 拳を振り上げ、エルギーツの名を繰り返す大衆。この昂りを、地下の暗闇に衰えきったその目で見てみるがいい。
 これが心というものだ。これが怒りというものだ。
 心を理解できない貴様らには、人間をも理解できない。

  †

 翌朝、レキサ中の兵団員という兵団員が、己の指揮官の号に従い林立していた。
  兵団員たちはみな、極微の汚れすら磨き落とした腕当てや胸当てからなる防具を着込んでいた。恐らく皆がこれまでの一生で最も念を入れて手入れしたであろう スピアを右手に、身の半身ほどの大きさを持つ木盾を左腕に装備し、いつにも増して輝く純白の外套の上に隊章を翻させている。
 ルイもまたその一人だった。もっとも、木材資源に余裕があるとはいえないレキサでは、下位階級の戦歩、ましてやルイのような三級戦歩ごときには木盾は支給されない。代わりに、隊列の中央部に配置されることで攻撃を受ける機会を減らし、盾なしの欠点を補っている。
 兵団は三つの大隊から成る。本来大隊単位での作戦は五年に一回あるかないかで、しかも三個大隊すべてが実働に乗り出すというのは前代未聞の出来事だ。今回の戦いが、時折繰りろげられる合戦とは規模を異にする特別なものであるということは、この点を見ても明らかである。
 第一大隊はエルギーツ戦導師の直轄。アリシアが所属していた中隊、つまりルイがムカついていた例の中隊長が率いる部隊も、その指揮下だ。
 ルイがいる小隊は、第三大隊だった。
 同じ小隊仲間のナラウスが、隣から顔を寄せてくる。
「アリシア様、生きていらっしゃるかな」
 ルイは表情にこそ表さなかったが、怒りを覚えずに入られなかった。生きているかだと。当たり前だ。
  何も感情論でそう思うだけではない。兵団にとって重要な人物の捕虜を、フォルミカントが簡単に葬ることはないだろうとルイは考えていた――というより、そ れは祈りに近いが。だが、エルギーツがアリシアを引き渡せたのも、ただちにアリシアの命が奪われることにはならないだろうと予測してのことだったのだと信 じたい。もしそうでないならば、ただでさえ許せないエルギーツを、どうにかしてしまいかねない。
 だが、これだけの大軍勢で攻め入られたフォルミカントが、アリシアを何らかの形で利用することも、また容易に想像できる。
 たとえば、人質とか。
 ルイは歯軋りした。アリシアが万が一いよいよ差し迫った状態になったとしても、フォルミカントの本拠地である地下帝都に突撃しても、ルイの位置はかなり後列の方で、情報が入りにくい。
「ルイ!」
 隊列の端側から自分を呼ぶ声がして、ルイはそちらを見た。ヨリがいた。
 ルイは聞こえないふりをしようと思った。ずっとどういう顔をして会えばいいのかわからなかった。だから、会わずにいたのに。だがヨリの呼ぶ声があまりにも切羽詰まっていて仲間たちも冷やかしてくるし、小隊長からは小言を言われるまでに至ってしまった。
 やむなく、小隊長に必死で頭を下げて時間を貰い、隊列から一時離れてヨリのもとへ走る。
「ルイ、わたし……」
 いざ面と向かい合ってみると、ヨリは言葉に詰まった。ルイは困った。ルイだって、サンのことをどう言えばいいのかわからない。
 しばらくの気まずい沈黙のあと、ヨリは、
「……帰ってきてね、待ってるから」
 まっすぐルイを見て、乞うように言った。それから、「授業の板書、ルイのために書かなくていいとこまで書いたんだから」と笑ってみせた。
「うん。……ありがと」
 ルイはヨリを見送った。ヨリは名残惜しげで、何回かルイを振り返っては、そのたびに目が合って慌てて前を向いた。
 ヨリの姿がやがて見えなくなったとき。
 ルイは、決心を固めた。そして、隊列の持ち場とは違う方向へ走った。
「お、おいこら! ルイ、貴様どこへ行く! こらー!」
 小隊長の呼びとめる声を無視して、走った。

「お前ら、聞け! 今回はいつもの戦いとは違う! 本当に、“勝つための戦い”をしにいくんだ! いいか、勝って、何もかも終わらせる! 今度こそ!」
「おおおお!」
「そして、アリシアを我が部隊から奪い去ったこと、報わせてやるぞ!」
「おおおおおお!」
 アリシアが所属していた中隊では、中隊長の檄に雷鳴のような声が応じ合って、士気を高めていた。ルイは半ば気圧され気味になりながらもカリドの傍まで駆け寄った。
「カリド中隊長!」
「なんだ!」と部下に呼びかけるための威勢を維持したままで振り返る中隊長は、すぐにぽかんとした顔になり、それから虫けらを見るような渋い顔になった。
「いつぞやの三級戦歩……な・ん・で、貴様がここにいるんだ、あァ?」
「お願いがあります! 僕をこの中隊に入れてほしい!」
「は?」
「それも、最前列で!」
「はあ?」
 中隊長は素っ頓狂な声を上げ、こめかみを押さえながら言った。
「お前な、何言ってるかわかってんのか? というかだな、まず身の程がわかってんのか?」
「そんなもの、言われなくたってわかってますよ。僕は一番下っ端の三級戦歩だ。一七にもなって未だに昇級できない兵団のカスです。そんなことはよくわかってます」
「五〇点だ。脳なしで役立たずで女だか男だかよくわからん顔でなよっていて、そのくせクソ生意気にもアリシアに近づこうとするミソッカス三級戦歩、が抜けてるぞ」
「そうですね」とあっさりと首肯してみせるルイに、中隊長のにやついた顔がやや固まる。
「で も、そんなどうしようもない僕に、アリシア様は笑いかけてきてくれたんです。あなたは知らないでしょうけど、アリシア様は僕にいろいろ話してくれた。自分 のことや兵団の仕事のこと、この戦争のこと……。アリシア様はみんなに羨まれたり褒められたりしてた陰で、たくさん悩んでた。たくさん苦しんでた。それな のに泣けもしないでいたんだ。……僕はずっとアリシア様に憧れてきた。でも、ずっと遠い存在だと思ってた。そんなアリシア様が、自分も苦しいんだ打ち明け てくれたのが、僕にとって救いだった。アリシア様と、すごく近くなれた気がした……」
 そしてその礎になったのは、間違いなくサンだ。あの日あの時、サンがいなければ、アリシアともまた話すことはできなかった。
「僕はアリシア様に救われた。少しは生きてて楽しいって思えるようにもなった。だから、今度は僕がアリシア様を助けてあげたいんです」
 ルイの芯の通った目が、中隊長の見定めるような目を睨み返す。
「アリシアに救われてたのは、お前だけじゃねえ」
 中隊長は冷厳に言った。
「アリシアを助けたいのはみんな同じだ。お前の気持ちだけを汲んで、特別に扱うわけにはいかねえ」
 まったくもっての正論だ。反論の余地すらない。そしてルイは、論破できない理屈を打ち破ろうともがくほど子供でもなかった。
「わかってます。そこで……取引です」
 ルイは、他の中隊員の目を憚るようにしながら、巻物を広げて見せた。中隊長ははじめ胡散臭そうにそれを見たが、たちどころに目を見張った。
「フォルミカントの人皮紙……! いったいどこでこれを……!」
「戦利品みたいなものですよ」
 それは、アリシアとサンを連行した部隊の兵に追いすがったときに掴み、引きちぎった道具袋の中身のひとつだった。ルイが意識を取り戻したときにもその手に掴んでいたのだ。あの兵は油断したのか、ルイによって奪われた道具袋を回収しには来なかったようだ。
「それより、何が書いてあるかわかります?」
「……待てよ……こりゃなんだ……この無数の線、通路だとすれば、建物の地図か? だが、ずいぶんでかいな……いったいどこの……」
「フォルミカントの書いた地図。フォルミカントは余計な資源を使いたがらないから滅多に建物を建てない。なのに、これだけ大きな建物の地図。つまり――」
「ま……まさか、フォルミカントの地下帝都の地図か!」
カリドは驚愕の表情になり、ルイはしたり顔になった。
「行ってなければわかりません。でも、もし本当に地下帝都の地図だとすれば、一気に最深部まで辿り着けるような近道だってすぐわかる。いいですか? 中隊長の率いる部隊は密かにこの地図をうまく使って、真っ先にアリシア様の所に辿り着くんです」
 ルイが人差し指を立てながら話す。カリドは顎に手を当て、話を真剣に聞き込んでいた。
「そして……アリシア様を抱きかかえながら外に出る。するとどうなります?」
 カリドはにやりとした。
「俺は英雄だ」
「その通り。この地図、ほしくありません? 僕を中隊の最前列にしてくれるのなら……」
 ルイはカリドから数歩後ずさって、地図をひらひらさせた。
 カリドは眉根にしわを寄せて、じっと考え込みだした。「いや、しかし独断専行となると」とか、「こんな下っ端のガキの話なんて」とか、どうやら自分の責任やつまらないプライドと格闘しているようだった。だがルイの「アリシア様、惚れますよ」の一言でカリドは首肯した。
 勝った、とルイは思った。
 ――ちなみに。
 中隊長がアリシアを最終的に救助し抱きかかえながら外に出る、などというようなことを許すつもりは、ルイには毛頭ない。ありえない。あるわけがない。あってたまるか。
 もちろんハッタリである。

「足、中速ぅぅ――ッ! 進ぅぅ――めぇぇ――!」
 エルギーツの号令がレキサの正門から兵団の隊列に埋め尽くされた大通りにかけて走る。
 かくして、兵団の全隊が遥か北の先にあるフォルミカントの本拠地たる地下帝都を目指し、進軍を開始した。
 先頭を行くは、兵団長ロー・エルギーツ戦導師直轄の第一大隊。
 大隊中の第一中隊もまたエルギーツが指揮をとる部隊で、これは大隊の頭を務める。
 その後に続くのが、例の中隊長が率いる第二中隊である。
 さて、中隊はさらに小隊によって構成されるが、第二中隊の中でルイが置かれた小隊は、これまたカリド中隊長が率いる部隊だった(つまり中隊長は小隊長を兼任しているが、呼称上は“中隊長”である)。
 つまり、ルイは完全にカリドの直属である。
「三級戦歩のお前を置いたばかりでなく、お前をみすみす死なせちまったら、俺の面目丸つぶれだからな。俺の目の届く場所にいてもらう」
 とはカリド。
 気に食わなかったが、おかげでかなり前方にくることができた。これなら情報も早い。
 だが、敵と衝突するのもそれだけ早いし、戦闘だって最も苛烈になる配置だ。それを思うと手に汗が滲み出る。すでに三回も手袋を裏返しては拭った。
 ルイは砂上を歩く兵団員たちの合間から、この大行列の先頭――エルギーツの背中を見た。
 エルギーツがしたことを許す気にはなれない。だが、悪と断じ裁かれるべきと論ずることもできない。ひょっとしたら、実の娘を使ってでも戦争終結の鍵を作ったことは正しいとされることなのかもしれない。正義という概念は、ある時は白に、ともすれば黒にも当てはまる。
 でも、大衆がエルギーツの行ったことをすべて知ったうえで支持するようなことがあろうとも、ルイ個人は賛同しない。それは、確かなことだった。

  †

 あれからどれくらいの時が経ったのか。
 一日か。
 一週間か。
 あるいは、一か月かもしれない。
 一年だと言われても、ああそうかと頷いてしまえそうだ。
 時の感覚は、砂のようにはっきりとした形を掴むことなく、手の中を崩れ落ちていく。
 地下帝都と呼ばれるフォルミカントの本拠地であることは、ある声によって知らされた。
 壁に据えられた鉄枷に永らく拘束された両腕には感覚がない。甘ったるい香は意識をぼやかす。
 ――銀の髪を持つヒトの女、目を覚ませ。今一度問う……。
 声。今まで何度も問いかけてきた声だ。
 鎖で壁に繋がった鉄の首輪の重さにうめきながらも、アリシアは頭を持ち上げた。瞼が重い。光源はあるようだが、声の主が見えない。
 ――私は、私として最もあるまじき状態にある。ヒトの女よ、お前は私のあるまじき状態をより一層助長しかねない。私はお前と問答することに抵抗を覚える。ゆえに最後の問いである。
「……言う、ことは……同じだ……。ぐっ!」
 顔を横から打たれ、甲高い音が頭蓋の中を木霊した。視点の定まらぬままに、彼ら特有のあの鋭く湾曲した四本の指に掴まれ、絞められる。
 頸骨を粉砕しかねないほどの腕力が凄まじい苦痛をもたらし、アリシアの白い頬に涙を伝わせた。
 ――レキサ兵団の規模・編成・指揮官の役職にある個体・拠点地・装備……我々に利する情報を提供せよ。
「う、ぅ……不毛……だとは、思わないのか……この戦いが……一〇〇年間も、続けて……」
 ――レキサの人口は。うち、兵団員が占める割合は。
「闘争以外に……種が、生き残る道、を……探そうとはしないのか……。一人でも、犠牲を減らしたい、とは……」
 ――指揮体系は。指揮官の役職にある個体の名称は。
「種として、だけでなく……自分が……」
 ――兵団が採りうる今後の対フォルミカント戦の大綱は。
「自分という“個人”が生きたいと、思わないのか……!」
 ――問いに答えよ。
「う、あぁっ!」
 首を掴む鍵爪に、一層の力が込められた。もはや言葉を絞りだすことすらできない。酸素を欲して何度も空気を噛む。
 ――なぜ再びなのだ?
 声は、今までとは少々異なった声色で問うた。
 ――かつて、お前と容貌の似る銀の髪のヒト個体が、やはりお前と同じことを私に言った。
 お母様。
 アリシアは声なき言葉を口で紡いだ。
  ――私はあのヒト個体に重大な興味を抱いた。私はあのヒト個体と問答を繰り返した。あのヒト個体は当時の私が有しなかったあらゆる知識と価値観念を私に提 供した。ヒトは時として論理的合理性を無視することを知った。ヒトは同種の個体同士でも他の生物とは比較にならないほどの敵対関係が生じることを知った。 私は母たる神の概念の存在を知り、あの個体はかかる存在を信じていることを知った。
 じゃらじゃらという鎖の音をたてながら体が持ち上げられる。溢れんばかりの痛覚を捉えていた頭は、やがて何も感じることはなくなった。意識はいよいよもやのように薄れ、霧散しつつあった。
 目はもはや声の主ではなく、地下帝都の暗い天井でもなく、
 ただ、優しい母の顔のみを映す。
 ――あのヒト個体との対話は私にとって最大の過誤であった。私はいつしか、私として極めてあるまじき状態となった。私はあのヒト個体が種を脅かすと判断し、
 そして処理したのだ、と声の主は言った。
 フォルミカントの統帥者たるレガトゥス0001は、そう言った。
 ――あのヒト個体同様に銀の髪を持つお前もまた、種を脅かすだろう。私は兵団の要人であるお前に、我々の今後に有益な情報を提供することを期待したが、もはや限界である。
 お前もまた、処理する。あの時と同じに。
 その響きは、もはやアリシアに何の情動も生じさせはしなかった。
 意識が、闇に堕ちる――、
 その瞬間を迎えようという寸前、アリシアの首を掴む腕が離れ、細い体はどさりと落ちた。激しく咳きこみながら、塩辛い空気を掻きこむ。
「Legatus o’o’o’I!」
 自分の咳の音の合間に、シューシューという音と共に早口で紡がれる言語を聞いた。
「(ヒトの軍が、記録上最大級の規模で、地下帝都に!)」
「(ヒトはこの戦いを決するつもりか)」
「(このヒト個体を人質として利用いたしますか)」
「(……無意味だ。決戦となれば我々が人質としてこのヒト個体を利用することも敵将ロー・エルギーツは考えたはずだ。その予測を踏まえてでさえ彼らはここまでやってきた)」
 アリシアは、フォルミカントを扱った文献から彼らの言語を多少は習得している。0001たちの会話も、要点は理解できた。
 父ロー・エルギーツは、ついに始めてしまったのだ。史上最大になるであろう戦いの火蓋を、切って落としてしまった。母の願いを、真っ向から打ち破った。
「お父様……お願い、やめて……」
 アリシアは疲れきっていた。もはや思考を維持することは不可能だった。
 悲痛に身を引き裂かれながら、アリシアの意識は暗眠の泥濘に落ちていった。
「ルシア・エルギーツの処理も、お前の処理も、すべては我々があるべきようにあるためだ」
 暗闇からの声に、見送られて。

  †

 アリシアがいつか聴かせてくれた世界創造の物語(禁書扱いの代物だった。どうやって手に入れたのか……)によれば、この世は混沌の渦から生まれたのだという。
 無数の塵が互いに引き合うことで生じたその混沌は、その中にまた無数の爆発と融合、変質と分離を繰り返し、やがて一つの泡となって膨らんだ。
 この世の生けとし生きるもの、知覚しうる物質、空、月、太陽までもが、その泡の中にあるのだとか。
 ルイは思う。
 この戦場も、また混沌だ。
 激しい軋みを奏でながら渦巻く、混沌だ。
「右翼、進めぇぇ! 進め進め進めぇぇぇぇ――!」
「敵弓兵、西方より!」
「第一中隊が真正面からぶち当たるぞ! 俺たちは左からだ!」
「応!」「応!」「応ーッ!」「応!」「応――!」「応!」「応!」「応!」「応ぉぉ!」
 弓矢という死の雨に降られ。
 砂はうず高く舞い、ぶつかり合う剛剣によって抉られた地は、土深くの泥まで露わにし。
 鼓膜をぶち破りかねない金属のぶつかり合う音。
 耳を塞ぎたくなるような、肉の裂ける音。断末魔。
 それでも声はただ、人間が発するもののみだ。敵軍は鬨の声すら上げない。
 目の前で、何かがそびえ立ったのをルイは見た。それはさながら、細長い塔だった。
 細長い塔はまっすぐ、こちらに倒れてくる。
 あ、
 と思った、その時。
 ガァン! と激しく打ち付ける音と共に、ルイへ倒れてきた塔は大きく横に弾かれる。
「グズが!」カリドの怒鳴り声が飛んでくる。「みすみす殺されるのを待つバカがいるか!」
 いま、自分がどういう状況だったのかを把握して、ルイは打ち震えた。いま、自分は敵のハルバートによって真っ二つにされるところだった。
 ルイを葬ろうとしたフォルミカント兵はカリドに目をつけ、その両腕の二節の間接を駆使してハルバートを真横に薙ぎ払った。
 カリドは即座に体を落として避け、
「動け! 動き続けろ!」
 ルイに命じながら、今度は逆に薙がれるハルバートを自らのスピアーで受け止め、捩じるようにして払い、剣を抜いて敵兵の左複眼に突き立てた。
「見えるかルイ! 地下帝都の入口、見えるな!」
「は、はい!」
 見える。一〇〇メートルほど先は砂ではなく、岩場が展ばされた鉄のように薄く広がっており、中央の最も盛り上がった部分には巨大な洞穴が穿たれている。
 フォルミカント兵は、ここからそれこそ巣を抉られた蟻のように湧き出しているのだ。
 あの奥地に、アリシアが。サンが。
 しかし、あの洞穴は自分たちの入口ではない。
「カリドさん!」
「わぁってる! 俺のかわいい第二中隊のブタども、聞きやがれ! 俺たちはあの洞穴から突っ込むんじゃねえ! 北に回るんだ!」
 あの地図には、ここよりさらに北に巨大な溝のような所がある。その溝の中に、地下帝都の裏口とも言うべき侵入口があるはずなのだ。
 そしてその裏口は、いま目と鼻の先に見えている、今まさにエルギーツ率いる兵団が突入しようとしている入口から入るより、ずっと最奥部に近いのである。
 カリドは入口を無視して北進を指示した。大隊長であるエルギーツには伝えていないとのことだ。もし伝えていたらエルギーツも最奥部に近く手薄な裏口から入る可能性がある。しかしそれでは、カリドのアリシア救助の第一人者になるという欲望が達成されないのだ。
 網の目をくぐるようにして裏口を目指しながら、ルイはおそらく英雄志望のカリドの頭にはないであろう懸念を抱いていた。
 今まさに兵団に突入されそうだというのに、敵軍はアリシアを人質にしようという気配を見せない。
 人質という手段を知らないわけではあるまい。……では、もはや人質という手段をとれないのか。それが意味するのは、つまり――。
 まさか。
 いや、そんな。
 いやだ、考えたくない。
「三級戦歩!」
 いつの間にか俯きながら走っていたルイは、顔を上げた。前を走るカリドが横目で振り返っていた。
「お前、教えは重んじている方か?」
 いきなりの質問に戸惑う。
「は? あー……いえ、正直そんなには」
「そうか。まあ、それでもいい。教えなんてくだらねえと思ってても結構だ」
 それから、カリドはルイに刻みつけるように言った。
「だが、だがな! いまだけは敬虔になれ! “信じて待てば救いは訪れる”。これだけでいいから、何も考えずに信じておけ! 俺たちのやっていることは必ずいい形で報われる! いいな!」
「……! はい!」
 よぉし、とカリドは満足げに頷いた。その背中は、ルイには今までよりずっと大きく見えた。
「第二中隊、行くぞ! 突っ走れ!」
 おう、とカリドに応じる男たちの声。その中で、ルイもまた腹の底から声を出した。

  †

 レガトゥス0001は剣を握った。0001が、今の0001でなかった時から受け継がれてきた剣だ。かつてヒトの使った武器を研究することで編み出した刀剣の製造法に、フォルミカント独自の技術を交えて改良した手法によって生み出した、屈指の名剣。
 ダマスクスと呼ばれる特殊な鋼は、剣身を鈍く光を返す蒼に染め、表面には石を投げ入れた水面のような波紋がいくつも浮き上がっている。
 0001は、この剣を“美しい”と考えてしまいそうな自分に恐怖した。
 そしてまた、恐怖する自分にさえ恐怖した。
 すべての感動を先天的に禁圧されたはずのフォルミカントにとって、“あるまじき状態”。
 エラー。
 一対の触覚にて種の全体意思を知覚し、全体意思にのみ従属し、全体意思を代弁する種の最高個体たるレガトゥス0001が、エラーなど。
 あってはならない。
 0001にエラーの素因を発現させたルシア・エルギーツのように、アリシア・エルギーツもまた、0001のエラーを発現させかねない。やがては種全体がエラーと化しかねない。
 アリシアは、光の失せた金色の瞳を薄く開いていて、もはや視点は定まっていない。
「さらばだ、銀の髪の女」
 ――貴重な個体だった。遺憾だ。
 ――“遺憾”……。
 危うい思考を断ちきるように、0001はアリシアの首をめがけて蒼剣を振り下ろした。
 刃が、細い首を刎ねる、
 その直前で刃は止まった。甲高い金属音と共に。
 横から、剣が差し挟まれたのだ。その剣は、無骨だが洗練されていて、鋼本来の輝きが映える一振りだった。だが元来上質な武器ではない。重装歩兵の第一戦列、すなわちハスタティに支給される量産品のサーベルだ。
 蒼剣は跳ね上げられ、0001は数歩後ずさる。
「Wer!(誰だ!)」
 0001は自分を阻む何者かに対し、誰何した。
 アリシアの前に立つ影が、答えた。
「サン・は・アリシア・の・殺傷・を・拒絶する。それ・は……悲しい」

  †

「え、ここって……」
 地図に書かれている通りの長大な溝が、砂漠の上に穿たれていた。その端は見果てず、地平のはるか先まで延びている。溝は深く、断崖絶壁の一続きとしかいえない。幅は二〇〇メートルにも及ぶ。
 アリシアが兵舎の一室までルイを訪ねてきたときに、話したことを思い出す。
 エルギーツ戦導師は、三〇年前に士気がひどく落ち込んだとき、教えをフォルミカントとの戦いを義務付けるものとして歪曲させた上で布教した。そして、その歪められた内容に沿うよう、川の流れを変えられた。
「ヌイーヴ川だ。この溝は、ヌイーウ川の本来の流域……」
 結果、ヌイーヴ川は地下帝都を横切ることはなくなった。フォルミカントは教えにいう“川の民”ではなくなり、敵とされた。
 ここは、教えではヌイーヴに潤された“聖地”とされていたはずの場所の、跡地。
「……なんて……」
 なんて、哀れなんだろう。
 水分を失い、完全に干上がった溝。川底を、乾ききった砂混じりの風がなでていく。
 自分たちレキサの民が知っているヌイーヴ川とは、全然違う。清らかな水のせせらぎも、色とりどりの魚たちが跳ね回る生命の気配も、ここにはまったくない。
 いま溝を流れているのは、砂と、言いようのない虚無感のみだ。
「ルイ! 行くぞ! こっちだ!」
 ルイはカリドら第二中隊の面々と共に、なんとか溝の下へ降りられる場所を見つけた。
 降りた先には、確かに入口があった。兵団とフォルミカント軍とが激しくぶつかりあっているであろう南側の入口よりはずっと小さい。その口は幅一〇メートル、高さは大人二人分だ。
「この付近には敵は少ない。やつらはこっちから攻められるとは思ってなかったんだろうな。だが中に入れば話は別だ、いいな! 行くぞ!」
 先陣を切るカリドに、中隊のみなが続く。
 ルイは、空いている左手で両親の願いが刻まれたナイフを外套の上から強く握りしめ、仄暗い闇の中へと走った。

  †

「(ハスタティ3018。いや、いまやエラー3018か。処置牢から脱するとは……。第一戦列の若年兵風情が、この最高個体たる私にいったいどういうつもりか)」
 サンは自身の倍以上の背を持つ0001に毅然とサーベルを突きつけながら、0001よりも無機質な口調で発声した。
「(自分にはレガトゥス0001の発言の意図が理解できないのだが? まず第一点――エラーを判定された個体に“どういうつもりか”などと意思を改めんとすることは時間的経済性を欠く。第二点――あなたの対話対象の呼称に過誤を認めよ)」
「(……?)」
「(サンである。それが現在発声中の個体の名称である。サン以外の名称で呼ばれることは、極めて、極めて、極めて――)」
 アリシアは、深く沈み落ちた意識の中で、確かにサンの声を聞いていた。独自の言語を話すサンは、これまでになく流暢で、明晰で、そして、
「(――不快である)」
 たしかな意思と感情の力が、感じられた。
「(サ ンはフォルミカントとして生まれたがゆえに、種に反する者としてエラーとされ否定されることをサンはひどく恐れた。サンは恐れるという事実をも恐れなけれ ばならなかった。しかしそれでも、私にはたしかに情動が芽生えているという事実に変わりはなかった……。しかし、私は種の結束をよりいっそう上回る連帯の 存在を知るに至った)」
 0001は、ゆっくりと諭すように言った。
「(ヒト個体との、であろう)」
「(それもわずか二体との、小さな結束であった。一方の個体は傷ついたサンに修復を施し、もう一方は邪険にしながらもサンに対する親和を見せていた……)」
 0001は沈黙する。サンは続けた。
「(そ れは生物的には脆弱な結束であった。しかし一方でまた、強固な結束をもサンは感じた。一種の矛盾である。サンは一時この矛盾に疑義を差し挟んだ。処置牢に て改善処置を待つ身であった先ほどまで、サンは懊悩に懊悩を重ねていた。だが、ルイとアリシアをサンの記憶から消失させることは、種の死に匹敵する苦痛で あるだろうということには確信があった。前言の疑義は、彼らと共にある時に感じる大いなる情動の前には矮小なものであった……)」
「(大いなる情動、とは?)」
「(……その質疑に答える知識をサンは有しない。だが、サンはこの大いなる情動の貫徹を望む。そこにいかなる不利益があろうとも)」
 アリシアの、物の輪郭を失った視界の中で、ただサンの背中だけがはっきりと見えた。
「(サンはサンであることの継続を欲する。アリシアの生存を望み、ルイの生存を望み、彼らが苦痛と悲哀の種とするいかなる事実の発生をも望まない!)」
 サンはサーベルを、種の王たる者に突きつけた。
 0001は何も答えず、ただ蒼剣を納め、玉座へと踵を返す。
 ひとつ、暗闇に命じた。
「(トリアリイ2145……お前の部下だった個体だ。欠陥は改善されなければならない。責務を果たしてもらう)」
 たちまち暗渠から、ハルバートを握ったフォルミカントの兵たちが現れ、サンを取り囲んだ。
「(仰せのままに)」
 その中には、サンの直属の上官だったトリアリイ2145の姿もあった。

  †

 ルイは走っている。
 暗い洞穴の中を、ルイたちは走り続けている。
 数十キロの旅路を経ていた両足が悲鳴を上げる。踵が地を踏むほど痛みが走る。
 それでも走った。
 足がちぎれようが、肺が潰れようが、走らなければならない。
 だから、走り続けた。
「敵だ! フォルミカントの重装歩兵どもだ、来るぞ!」
 カリドが叫ぶ。
 進行方向から、サーベルやハルバートを握り突進してくる兵が向かってくる。松明に照らされた洞内は光量に乏しく、数は判然としない。
 静かに放たれる殺意を受けて、ルイはしかし走り続ける。
 そこに、敵に遭遇するたび恐れ戦いていた弱小三級戦歩の姿はどこにもない。
 ――やめてよ。
 おまえたちと、手を繋ごうっていう人を助けにきたんだ。
 言葉が拙くてちょっと苛立つ変なヤツに、勝手にどっか行くなって殴りにきただけなんだ。
 それだけなんだ。
 アリシア様は、たとえ剣を向けられたって、戦いたくなんてなかった。
 それでも戦った。剣を振るうたびに自分の理想を斬っていた。
 でも、
 僕だけは、
 僕だけでも、
 アリシア様の願いになってやる。
 サーベルの一突きを間一髪でかわす。さらに別の敵兵の斬撃が。外套の端が持っていかれたが、大丈夫、避けた。刺突する音。フォルミカントの断末魔。中隊の鬨の声。カリドの前進の号。
 薙がれるサーベルを身を落として避け、
 反動をつけて跳ぶ。
 敵兵の肩を踏み台にして、再び接地。振り返ることもせず、ルイはより奥を目指して走る。
「お前、いま殺れただろうに……! ああもう! 突っ走りすぎだぞ、こら!」
 カリドの怒声。そうだ。確かにいま、敵兵の息の根を止められたかもしれない。戦果を挙げられたかもしれない。しかし、ルイは知るもんかと心中で吐き捨てる。走る。ただ、走る。
 僕は斬らない。走るだけだ。大切な人たちの所へ、走るだけ。
 だって、そうだろ。
 いつか、彼らとも手をとりあえるかもしれないだろ。
 わかっている。矛盾だ。いまこうして走っていられるのは、カリドや仲間たちが襲いくる敵兵を屠ってくれるおかげだ。自分は、仲間の奮戦と、それによる敵の死の上に生きている。そんなことはわかっている。
 でも、だけど、それでも――、
 彼女の願いになってあげることしか、僕にはできないから。

  †

 翻る小さな体は、フォルミカント重装歩兵たちの複眼では追いきれない速さだった。サンは易々と敵兵の背後へと回り、一突きする。小柄な女性体ゆえの軽やかで鋭い一撃。鎧の合間を深く穿たれた兵の一人が、青い鮮血をまきちらした。
 崩れ落ちようとしていた敵の巨躯を、サンは左腕で軽々と持ち上げた。そして、振り返りざまに敵へ投げつける。
 体勢を崩した三人の敵に、撃を。
 一瞬という概念すら認めさせはしない、速さで。
 数秒で三人が骸と化した。
 呼吸を改めるサンに、後ろから斬りかかる兵。サンは高感度能力者ゆえの優れた触覚を鋭敏に働かせて回避し、主を失ったハルバートを投擲して腰部を串刺しにした。
「(3018! これほどまでに強大なエラーは、前代未聞である!)」
 風をも砕く剛撃が側方から迫った。すんでのところで受け止める。
 カ、と一瞬散った火花が、二者を明るく照らした。
「(やはり推測の通りであった! 重大なエラーは種の存続を著しく脅かす! 2145は、3018を絶対に確実に完膚なきまでに処理するだろう!)」
 サンは、もはや同胞と交わす言葉を捨てていた。サンはただ、友に送るべき言葉のみを口にした。
「ルイ……サン・に……教える・した……」
 アリシアの視覚が、聴覚が、次第に蘇る。
「“母たる神・信じて・待てば・救いは・来る”。だから・アリシア・信じる・する・べき」
 サンの矮躯が、自分の倍近い巨体を誇る重装歩兵たちを相手どって戦う様が、アリシアの意識を泥濘から引き揚げつつあった。

 †

 その三級戦歩は走っている。
 弱小と馬鹿にされ続けてきたはずの者が、先陣を切って。
 左の頬をハルバートの尖端がかすめた。危うく左耳を削がれるところだった。
 おまけに転んだ。口内にしょっぱい味が広がる。口を切ったか。
「ケッ、無様だな!」
「うるさいよ!」
 後ろからスピアがまっすぐ伸びて、敵兵の胸を突く。青い血が噴き上がる。
 カリドは、ルイが戦わないことについて、何も言わなかった。
 咎める様子もなかった。
 ただ、猪突猛進するルイに迫る危険を排し、行く手を阻む敵兵を薙ぎ倒すことにのみ専心していた。もちろん、カリドの部下たちも同じだ。
 カリドは、できるだけ敵を絶命させないようにしているように見えた。
 ルイは、自分の考えやアリシアの考えをカリドに伝えたことはない。
 もしかしたら、ルイの信念が伝わっているのかもしれないが……。
 ――でも、それはないか。
 ルイはただ、道を切り開いてくれている彼らに感謝した。
 走る。
 まだ、終わりじゃない。

  †

 すでに何人ものフォルミカント兵が、サンによって葬られた。しかしとりわけ強力な個体だったサンも、所詮は単騎だ。体中に疲労物質が蓄積し、全身の痛覚は脳に警告を発している。
 サーベルを弾き、斬り返し、手甲で防ぎ、触覚が敵の動きを感じ取り、その隙を突き、刺突、
 するも、限界まで酷使された肉体は、サンの優れた知覚能力に遅れをとった。
 サンのとどめを刺すつもりの一撃はかわされ、逆に隙が生まれた。2145はそれを逃さなかった。2145のサーベルは、サンの右の触覚を断ち切った。
 この上ない痛覚に、サンは悲鳴を上げた。
 それでも、サーベルを構える体勢は崩すまいと、足に力をみなぎらせる。しかし片方の触覚を失ったサンは、一気に弱体化してしまった。振るうサーベルが敵の鎧をかすめるのが精一杯になった。
 それでもサンはアリシアの前を守り続けた。
 敵対する兵は、2145の号令のもと、後から後から現れる。
 盾代わりにしていた手甲は、どちらも耐用限度を超え、やがては砕かれた。
 露わになった赤茶の外皮がハルバートの刃に貫かれ、肉を抉りだされる。
 秀麗な剣闘の足踏みも、もつれが目立ち始め。
 鎧の鋼板は、ひとつ、またひとつと破壊され。
 外皮もまた、避けられない斬撃によって剥落する。
 一人の兵が、種族のために捨て身で突進してきた。サンはすれ違うように首を刎ねたが、腹を深く斬られた。裂傷は深く、そこからは膨大な血液が噴出した。
 サンはたまりかねて叫びを上げた。将軍の間を震わす悲鳴だった。
 だがアリシアに兵が近づくと、サンはその兵を背後から押し倒し、狂ったように八つ裂きにした。
 悲鳴は、いつしか雄叫びとなっていた。激しい痛みをごまかすために、サンは猛獣のように叫んだ。
 手足に時折、激しい痙攣が走る。サンの肉体は耐用限度を超え、内からも崩壊しつつある。
「……やめ……て……」
 アリシアは霞みの中で、ただそれだけを繰り返していた。
「やめて……サン……やめ……!」
 虫の鳴くような声だ。サンに届きはしない。
 どのみち、声を聞くためのサンの耳は、2145がいま斬り落とした。

  †

 砂粒は走っている。
 砂漠の砂の一粒に過ぎない彼でも、いまこの瞬間を走っている。
 道はカリドたちが作ってくれる。
 ルイはただ、目的地を目指すことだけを考えて、足を動かせばいい。 
 敵の攻撃を受け止めるためにと握っていた剣は捨てた。いつ捨てたのかは忘れた。どのみち、剣は苦手だ。自分には、父の遺したナイフさえあればいい。
 地下の空気は淀みを増し、酸素が薄れつつある。
 肺に激痛が走っている。胃の辺りが捩じ切られるように痛んでいる。外套はとっくの昔に脱ぎ捨てた。服はボロボロで、体もあちこち傷だらけだ。
 目が痛い。
 腕で拭うと、擦り傷だらけの腕が濡れた。
 泣いていた。
 悲しくなんてないはずなのに、ただカリドの言うとおりに希望を信じていただけのはずなのに。
 何度拭っても、涙が止まらなかった。
「くそ、くそ……! なんだよ、くそ……! くそっ! ちくしょうっ!」
 ルイは顔を拭うことを諦めた。
 どうした、大丈夫か、というカリドの声に返事もせず、足を振り動かす。
 顔中ぐしゃぐしゃになったが、もはや構わなかった。
 ルイは走り続けた。

 ――君は、私を、3018を理解できないかもしれないけど!

 そうだね。やっぱり、よくわからないよ。
 だから、わかってみたいと思うんだ。

 ――ルイ・“ヤサシイ”・化した。

 自分を棚に上げて……よく言うよ。

  †

 サンの左腕が、これまでにないほどに激しく痙攣した。
 2145は、当然一片の情を見せることなく、その左腕を肩から斬り落とした。
 サンは何度目になるかわからない悲鳴を上げた。
 右手首が刎ね飛ばされる。自ら磨いたサーベルは空しい音を立てて地に転がった。
 それでもサンは2145に突進していった。その時にはもう、他の兵はサーベルを下ろしていた。もはや自分の剣を振るう必要はないと判じたのだ。
 2145はサンを串刺しにした。
 もはや立つことはできなくなったサンは、両の膝を突き、
 そして、倒れた。
「(不可解である)」
 2145が、サーベルをサンの頭部に突きつける。
「(ここまでの抵抗は、2145には不可解に過ぎる)」
「(その疑念は無意味である。処理せよ、トリアリイ2145)」
 玉座の0001は、厳然と命じた。「了解」と2145が返す。
「サン……サン……!」
 アリシアの金色の瞳は映し出していた。自分のために体をバラバラにされてまで戦い抜いた友の、無残な様を。
 そして、サンに最後の一撃を見舞わんと、サーベルを持ち上げるする2145の姿を。
「いや……やめて……やめて……! 頼む、やめてくれ! サン、目を覚ませ! お願いだから、起きてくれ! やめて! サンを殺さないでくれ! やめてぇぇっ!」
 内臓を露出し、四肢のもげたサンのどこに、そんな力が残っていたのか、
「ルイ・教える・した・サン・に……」
 潰れかけた目をアリシアに向けながらも、青血を吐きながらも、サンは言った。
「信・じて……待て・ば……」
 アリシアに向けて、繰り返すのだった。
「すく――」
 肉を断つ音で、言葉は終わる。

 一人の友が、刃を受けた。

「アリシア様! サン!」

 一人の友が、訪れた。

  †

 果てはないのではないかとさえ思わせる通路の向こうに、光が見えた。今にも崩れ落ちそうな体に、最後の力がみなぎった。光の先にアリシアとサンがいるという根拠はまったくなかったが、ルイは何も考えず、求める二人の名を叫びながら光に飛び込んだ。
 そこは、先ほどとは打って変わって広く開けた空間だった。
 激しい咳の中で酸素を掻きこみつつ、周囲を見渡す。
「アリシア様!」
 すぐに、その姿を見つけた。
 アリシアは首に鎖つきの首輪がかかっていた。繋がれてから激しく暴れたのか、それとも拷問で乱暴にされたのか、服は戦場をかいくぐってきたルイに負けず劣らずひどい有様だった。
 ルイは駆け寄ろうとしたが、周囲にいたフォルミカント兵が壁のように立ちはだかった。
「く……! アリシア様!」
「ルイ……?」アリシアが緩慢とした動作で振り向く。「ルイ……サンが……サンが……!」
「え……?」
 アリシアの、目の前に、それは転がっていた。
 鎧の破片が周囲に散らばっており、外皮は剥がれて皮下の青白い肉が露出し、全体が青い液体で染まっていた。腕がない。足も変な方向に折れている。触覚は欠け、目も潰されている。
 まるで打ち捨てられたゴミのように転がっている、それは。
「あ、あ……!」
 割れた兜に刻まれた数字が、彼女であることを証明している。
「サン!」
 ルイは自分を押しとどめる兵たちの体の合間に矮躯を捻じ込み、突破した。周囲の兵たちが反応してルイの背中を斬ろうとしたが、「Halt.(よせ)」という声が場に反響すると、ただちに武器を引いた。
 カリドも、ルイの様子や、フォルミカントがルイを討とうとしない状況を奇妙に思ったのか、部下にひとまず攻撃を留めるように命じた。
 アリシアの嗚咽が、場に木霊する。
 サンは、ぴくりとも動かなかった。
 ルイはサンの割れた兜を掴んで、ぎゅうと握った。鉄の冷たさが、手に返ってきた。
「エラーではあったが頑強なる重装歩兵であった。彼の奮闘がなければ、今頃アリシア・エルギーツはその肉体を解体され、我々の道具として資していたところだっただろう」
 声がした。先ほど重装歩兵たちが従った、音を何重にも重ねたような声だ。
「他者よりもわずかに小さく、いかように見定めても頑強を感じさせぬ、ヒト個体」
 声は、この場の階段状に高くなっている方からだった。ルイがそちらを見上げると、その先にあったのは木製の椅子。何の装飾もされていないところは美的感覚のないフォルミカントらしいが、そこに座っている者の姿は王の威厳をかもしだしていた。
 黒曜石のように美しい光沢を放つ漆黒の鎧に身を包んだ、フォルミカントの王者。
 あれが、敵の大将――レガトゥス0001か。
 簡素な木の玉座から立ち上がった0001は、ゆっくりと段を降りて、ルイに近づいてきた。
「お前は私を知っているだろう。全フォルミカントの統帥者にして全体意思の代言者、レガトゥス0001である。だが私はお前をいま初めて認識した。お前を示す名を――」
「うるさい」
 ひどく、冷たい声が喉の奥から漏れた。
「うるさい、うるさい、うるさい」
 肩が震えていた。声も震えていた。体中の血液が沸騰している。光源のない地下帝都の最奥だというのに、体は砂漠の上にいるより熱されていた。
 きつく握りしめた拳を真っ白にしながら、立ち上がる。
「僕はルイだ。どこかの誰かと違って、一回で正確に覚えてもらう。ルイだ」
「……ルイ」
「いざ名前を呼ばれてみると、反吐が出そうになるね。ねえ、僕の今の気持ち、わかる?」
「いや」
「じゃあ言ってやる。おまえを、サンと同じ目に遭わせてやりたくてしょうがないんだよ。でもね、僕はおまえを殺そうなんてしない。たとえ殺されかけたって、殺し返そうとなんてしてやるもんか。僕が司導院や兵団長と同じだと思ったら、とんだ大間違いだ」
 ルイはひとつ深呼吸して、まっすぐ敵軍の総大将を見据えた。
「話を、しよう。何時間、何日、何年かかったって構わない。言葉を使って、話をするんだ。僕と、おまえで」


  第六章  僕は火種を踏みつぶす - The VoiceS -

「話、話、話」
 0001は、通常のフォルミカントよりも多い三対の顎をばらばらに動かしながら、ほとんどシューシューという音を出さず、人間さながらに人語を操ることができた。
「会談。閑談。交渉。協議。商談。討議。いったいいずれの概念だ。あるいはこれらの概念のいずれにも当てはまらない“話”か」
「おまえも頭が悪いね。医者に診てもらったら?」
 ルイの煮えくりかえるはらわたは溶け落ちそうだった。フォルミカントというのは、どこまでいってもイライラする話し方しかしない。
「検討しよう」
 そう返してくる0001は、サンとは比べ物にならないほどに腹立たしい。表情がないはずなのに、どうにも笑われているような気がするのだ。
「僕は、外商団や政治家みたいに口がうまいわけじゃない。だから最初に言っておくけど、まともな話なんて期待しないでよ」
「論旨を汲めるよう最大限努力する」
「……アリシア様を、返して。サンを、仲間として認めてあげて。それから……レキサと、もう戦わないでほしい」
 こんな言い方しかできない自分がもどかしい。これは交渉とすら呼べないのではないか。主張は明解に過ぎて、まるで子供がだだをこねるようなものだ。
「主張・要求とは、常に理由・根拠を伴って提示されるべきものである」
 0001は冷淡に言った。
「まぁったくさぁ!」
 ルイは、口角を引きつったように歪めて叫んだ。頭の中は焼き切れていた。
「僕の周りってさ! どいつもこいつもおかしいやつばっかなんだよね!」
 場が、静まり返った。
 フォルミカントたちは、彫像のように動かずルイを見つめている。
 カリドたちは、目と口をまんまるにして、三級戦歩の動向を見守る。
 さっきまで続いていたアリシアのすすり泣きすらも聞こえなくなった。
 一〇〇年間にもわたり敵対してきた勢力の親玉に対して、ルイが何をしだすのか。
 誰にもわかってはいなかった。ルイ自身にさえも。
 息を吸いこみ、
 吐き出したのは、息だけではなく、止めようもなく溢れ出る言葉。
「ア リシア様ったら、怪我した敵兵を介抱しちゃって、あまつさえ仲良くなっちゃってさ。僕は……本人の前だとちょっと恥ずかしいけど、ずっと憧れてきた人だっ たから、心臓が飛び抜けそうなほど驚いたよ。サンはサンで、頼まれてもないことするし、話し方まわりくどくってイライラするし、空気は読めないし。そうそ う、ヨリってやつがいてね、こいつは本当にとんだおせっかいなんだ。授業に出ろ礼拝しろ真面目にやれっていっつもいっつもグチグチグチグチ……。でも、ヨ リがいなかったら今頃落第してたんだよね。カリドっていう中隊長がこれまたなんかムカつくんだよ。なんかね」
「な、お前なんぞに言われる筋合いはねえ!」と、カリドが口を挟む。
「……ほんとに、さ……」
 だめだ、とルイは思った。
 これは、交渉でもなんでもない。思いの丈をぶちまけているだけだ。
 でも、それしか無理だ。アリシアの痛みきった姿と、サンの悲壮な姿とを前にした今では。
 握った拳に憤怒と憎悪が含まれていないといえば嘘になる。だが、こういうときに拳を上げたら繰り返しだ。
 結局、誰かが拳を引っ込めなければならない。だったら、悔しいけれど、いまこうしている自分が引っ込めるしかない。
 でなければ、終わらない。
「ほ んとにさ、のんびりと付き合えるやつって、僕の周りには全然いなくてさ……。でも、父さんと母さんが死んでから一人ぼっちになった僕が、こんな乾ききった 砂漠をうんざりだって思わなくなったのは……アリシア様や、サンのおかげなんだ。二人に会えたのは、きっと僕の知らないうちに、色んな人に色んなところで 助けられて、死なずに生きてこれたからだ。結局、みんなのおかげなんだ」
 涙が止まらない。鼻水も出てきた。どうせ拭ったところで止まりようもないが、一度がしりと腕で顔をこする。へっ、と無理やり笑って、0001を見上げる。
「必 要なんだ、みんなが。誰ひとりとして死んでほしくないんだ。アリシア様も、僕の嫌いな神父や中隊長や、あのエルギーツの馬鹿野郎だって、生きててほしい。 おまえたちだって、生きててほしい。殺してやりたいくらい憎いけど、今すぐ喉首締めあげてやりたいけれど、それでも生きててほしい」
 切なる願いを受けて、しかし0001は試すように返す。
「生 存への欲求……それを満たすべく、お前は、あるいはお前が代弁している何者かの意思は、我々にこの戦争を終えよと言う。しかしお前もわかっているはずだ。 我々フォルミカントは個々の生存に執着しない。個人の利を求める者はない。我々が目指すものは全体利益ただひとつである。我々はお前たちヒトとの戦いを通 し、未知を既知へと変えてきた。鉄を錬る術を知り果実を育む術を知り……戦いによって得た知識により我々は“我々”という形での生存を継続することができ た。我々はさらなる未知を偉大な既知へと変えることを望む。“我々”の栄えのために。たとえ“私”や“彼”や“彼女”は死ねども」
 ルイは何も言わず、そっと瞑目する。たたみかけるように0001は言う。
「我々フォルミカントとお前は共に生存を希望する。しかしお前の欲求する生存と、我々が唯一的に欲求する生存とでは概念に差異がある。即ち“個の価値”の存否。この溝をお前は埋められまい。従って、戦争中止について利害は一致しない」
 それは当然かつ明瞭な理だった。鋼のように固い盤石の理だ。
 ルイは、すうと息を吸って、吐いた。
「そうかな? 実は、僕もおまえも、あんまり変わんないかもしれないよ?」
 ルイは0001の正面にさらに歩み寄った。距離にして一メートルもない。俯いたその顔には危険な笑みが浮かんでいる。
 アリシアもカリドも他の兵団員やフォルミカントも、ことの成行きをじっと見守っている。誰も、この先に起こることを予測しえないだろう。
「僕だって、できることがある」
 ルイは静かにそう呟き、ふっ、と息を漏らして、
「でやぁぁぁぁぁりゃぁぁぁぁぁ!」
 右足を、
 振り上げた。
 その爪先は、
 直撃した。
 0001の股間部に。
「……!」
 0001は、わずかによろけた。わずかだが、よろけた。
 それはもちろん、多少なりとも痛かったからだろう。フォルミカントの急所がそこにあるのかどうかはルイの知るところではないが。
 一方、硬い甲殻に爪先をぶつけたルイの方も相当に痛かった。あまりの痛さに悶える。そうしている間に、フォルミカントの兵がただちにルイを取り囲んだ。ルイの首の周りにはサーベルの切っ先がずらりと並んだ。しかし0001はすぐにそれを下がらせた。
「痛かったでしょ?」
 目尻に涙の雫が浮かぶが、構わずに0001の深紅の目を見上げてしっかりと睨んだ。
「うむ」0001は変わらない口調で答える。「痛かった」
「そうさ、おまえたちだって痛みを感じる。僕がおまえにムカついたから、痛い思いさせてやったんだ。これで学んだろ。痛くすれば痛くされるんだよ。単純なことだ」
 0001が、閉口した。
「反 対に、優しくすれば、優しくされるかもよ。それは僕とおまえとの関係だけじゃなく、人間全体とフォルミカント全体との関係にだって言えることだ。おまえた ちが、本当に、本当の本当に個々の損得なんてどうだっていいっていうんなら、好きにすればいいよ。そんなの、おまえたちの問題だ。僕たち人間が口出しして いいことじゃない。けど、このまま人間とフォルミカントとが互いを傷つけ合うよりも、もっといいやり方を見つける努力をしたっていいじゃない。……そんな 簡単なことを、わざわざ言いにここまできてくれた人が、いたはずなんだ」
 ルシア・エルギーツという人が。
「それに、ここにもいるんだ」
 アリシア・エルギーツという人が。
「変わってみようよ。新しい形に」
 0001は沈黙した。もはや何の反駁もなかった。
 0001は無言で身をかがめた。長大な一対の触覚が、体に触れないようにしながらルイを挟む。
「同胞の青き血の匂いがする」
 触覚はゆっくりと、ナイフを差している腰まで降りてきた。
「……しかし、得物は青き血に染まってはいない。自ら同胞の肉を斬ったというには、青き血の匂いは希薄に過ぎる。お前は一度たりとも同胞を絶命せしめはしなかった……」
 0001は立ち上がり、ルイを見下ろす。
「なぜ再びなのだ?」
 ルイはその問いの真意を掴みかねた。
「一度目は、銀の髪を持つ妙齢の女だった。彼女は私に説いた。母たる神の教えを。個の尊重を。ヒトの種としての欠陥を。喜び哀しみ、怒り楽しむことを。私にはそのすべてが興味深く、しかしそのすべてが一知半解であった」
「それって……」
「お母様」とアリシアが呟く。
 やはりそうだ。アリシアの母、ルシア・エルギーツだ。彼女は、ロー・エルギーツの策謀によって教えが歪められ戦争気運が盛り返したことを一人憂い、単身フォルミカントの本拠地に向かったという。
「彼 女は精神の活気に満ちていた。目を見張るような情動の中で、彼女は地下帝都に住まいながら延々と私に話をした。私は、彼女の話を聴くことで新しい知識を収 集できることに、それまで経験したことのない精神の起伏を感じた。……私はやがて、それが彼女が教えてくれた“喜び”と“楽しみ”であったことに気づい た。フォルミカントが情動を持つことはあってはならない。私は懸念を超え、恐怖を覚えた。“恐怖”してしまったのだ。私はやむをえず、彼女を処理し た……」
 それから、0001はアリシアを見た。
「二度目は、同じく銀の髪を持つ女だった。一度目よりもずっと若かった。彼女は、彼女の 父たる個体と我が部下との間に執り行われた取引によって連れられた。だが、彼女もまた一度目の女とと同じく、本来の姿の母たる神の教えを説き、戦争を嘆き 不戦を訴え、全としてのみならず個としての生の欲求はないのかと問うた。私は耳を貸さずしてその肉体に拷問を施したが、私の欲する情報はついに得られはし なかった。それどころか、私の中に根付いたエラー素因が彼女との対話によって萌芽する危険性があった。私はやむをえず、彼女を処理しようとした……」
 そして、再びルイを見下ろす。
「そ こに、三度目があった。私との対話を望む三人目。ルイ、お前だ。私にはわかる。お前もまた、ただひたすらに対話を望んだ。いかなる危難に直面しようと、た だの一撃も下さずに。お前も私に説こうというのか。お前も私に問おうというのか。お前も私をあるまじき状態へと追いやろうというのか」
「僕は、ただ、」
 ルイは腰のナイフの柄を握りしめて、砂上よりも熱のたぎった目で0001を睨んだ。
「アリシア様の願いを継いだだけだ。みんなに生きていてほしいって、願いたいだけだ」
 父さん、母さん。
 アリシア様。
 サン。
「僕たちもフォルミカントも、繋げる手を持ってる。だから……」
 これで、いいよね。
 よくやったって、言ってくれるよね。
「この砂漠の上を、みんなで生きよう」

 ――それは。
 その言葉は。
 小さな小さな願いだった。
 砂漠の風に吹かれ飛ばされてしまいそうな、砂の一粒ほどの願いだった。
 しかし、それでも貫かれた願いであり、
 重ねられた願いでもあった。
 一つ目は、種を植え。
 二つ目は、萌芽をもたらし。
 三つ目にして、咲いた。
 種の全体意思の代弁者に、心を咲かせた。
 代弁者の心は、彼自身を媒介とし、
 種の全体へと、伝わっていった。

  †

 地下帝都の南側の地上にある入口では、両勢の屍が土嚢のように積み重なっていた。
 兵団の部隊はもはや半数近くが倒れ、敵の重装歩兵が地下から次々と湧いてでる様は費える気配を見せずなかなか進めないため、精神的な影響も大きかった。
 だが、突如としてフォルミカントの攻勢が一方的にやんだ。先陣でハルバートを振るいながら指揮を執っていたエルギーツは、次の敵の行動を読み、目を細めた。
 娘アリシアを、使うのか。人質として。
 食いしばっていた歯に、いっそうの力をこめた。
 レキサの兵団は、たとえアリシアを人質にされたとしても、退かない。退かせはしない。
 覚悟の上だ。
 トリアリイ2145との取引を結んだ夜から、ルシアとアリシアに謝意と覚悟を念じた夜は数えきれはしない。
 それでも、勝たなければならない。勝って、終わらせなければならない。
 だが、次に起きたことはエルギーツが予見できていないことだった。
 攻撃の手を下ろしたフォルミカントたちは、無言で、だが申し合わせたかのように一斉にサーベルを地に棄てたのだ。
 エルギーツが先ほどまで剣を交えていた、指揮官らしきフォルミカントが、流暢な人語で言った。
「現在発声中の個体は・百人隊長プリンキペス1008である。1008を・初めとする我々は・我らが将たる・レガトゥス0001の停戦の決定・それと……悲哀を・受け取った」
 一瞬の空隙のあと、ハ、とエルギーツはその指揮官の言葉を一笑に付した。
「停戦だと? 今更か? 我々レキサの民の世代を超えた苦痛を報わせることなく、停戦? それに、いまなんと言った? 悲哀と聞こえたが? フォルミカントが、悲哀?」
 エルギーツが声を上ずらせながら怒鳴る。
「馬鹿げたことを言うな! どこまで、いったいどこまで、我々を愚弄する! 虚言だ! 妄言だッ! こやつらは我々を貶めようと一計を講じているのだ!」
「アリシア・エルギーツが・待っている。お前一人だけ・ついてこい。……アリシア・エルギーツは・知っているぞ。お前の実子を捨て駒とした利用した・計略を」
 指揮官は踵を返し、地下帝都の入口へと進んでいった。
 エルギーツは息を呑んだ。
 アリシア。
 まだ、生きていたか。
 生きていて、くれたのか。
 地下帝都にフォルミカントがアリシアを人質にするという声明が発されなかったため、もうその命はないものと思っていた。元より、人質にされようと、構わないつもりでいた。
 そう、娘の死の覚悟はしていたのだ。
 それなのに、そのはずなのに、エルギーツはアリシアが待っていると言われたとき、
 確かに、安堵を覚えていた。
 いや。
 敵の策略なのかもしれない。虚言なのかもしれない。
 ――だが。
「……副団長、敵の攻撃が再開するか、私が二時間経っても戻らなかったら、あの穴倉へ攻め入れ。私は……確かめてくる」
 副団長は目を剥き、「正気なのですか」とエルギーツを留めようとしたが、エルギーツはもはや聞く耳持たず、あの指揮官の後を追った。
 エルギーツは、強くはなかった。
 娘を完全に切り捨ててしまえるまでに心を捨てられるほど、強くはなかった。

  †

 ルイが枷をはずし、久方ぶりの自由を得たアリシアは、しかしすぐに立ち上がることはできなかった。
 そこで、アリシアはルイの首に抱きついた。ルイはまごついたが、慎重に手を回して抱き上げる。
「ありがとう」
 アリシアはルイの首に顔を埋めて、言った。
「ありがとう」
 目尻を潤わせながら、ただそれだけを繰り返した。
 それきり、アリシアは何も言わなくなった。声を発する力が残されていないようだった。
 ルイもまた、何も言おうとはしなかった。
 ルイはサンの倒れているところへ近づくと、アリシアをそっと降ろした。
 二人、並んで座る。
「サン」ルイが、そっと呼びかける。「よく、がんばったね」
 二人、サンに手を置く。
 サンは、たった一人で戦っていたのだ。
 サンには、フォルミカントでありながらも、心があった。フォルミカントの言うエラーとは、きっと、彼らにとってあるまじき過度の精神の起伏――心が生じた個体のことだ。
 心があったから、アリシアを大切に思い、庇って戦った。
 心があったのだから、
 怖かっただろう。
 苦しかっただろう。
 辛かっただろう。
 でも、それでも戦い続けた。
「おまえは、よくがんばったよ。アリシア様を守ってくれた。ありがとう、サン」
 ルイは冷たい外皮に手を当てて、「ごめんね」と呟く。
 アリシアは俯いていた。時折、小さな肩が震える。計り知れない大きさの自責に苛まれているに違いない。
「泣いちゃだめです、アリシア様」
 ルイは笑った。笑っているように見えるか不安だったけれど、それでも頑張って笑った。
「あいつ、バカだから……泣いてたら、自分が悪いことをしたから悲しんでるんだって勘違いします。だから、褒めてあげないと。笑って、よくやったね、って……」
 アリシアはひとつ頷き、
「ありがとう」
 と、小さな英雄の体を掻き抱いた。

「……アリシア」
 突然の声。エルギーツだった。
 エルギーツは、アリシアに歩み寄ろうとはしなかった。どうしていいかわからないというような顔で、アリシアを見詰めたまま立ち尽くしていた。
 そこへレガトゥス0001がエルギーツに近づいた。カリドたちがエルギーツの周囲を固めるが、0001は構わず歩み寄り、手を差し出した。手には、何かが握られていた。
 擦り切れた外套と、小さな木箱だった。
「私は、あの時すでに、ヒトが死した近親者の遺品と遺骨を尊ぶことを知識としていた。私はルシア・エルギーツの処理のあとの深い喪失感を、こうすることによって解消を試みるほかはなかった。いま、これら遺物は私が持つべきではない……」
 0001がそう言うと、たちまちエルギーツの目の色が変わった。外套と木箱を受け取ると、脱力したようにその場に膝をついた。
 アリシアはルイの肩を借りて立ち上がり、父のもとまで近寄った。
「お父様」
 アリシアは、涙を浮かべて笑っていた。
「アリシア、私は、私は」
 エルギーツは恐れた声色で言う。
 構わず、アリシアは愛する父の胸へと飛び込んだ。
「お父様。もう、終わったのです。終わりにしてよくなったのです。私たちの戦いは、やっと……やっと……!」
 アリシアは、自分を売られた咎めでもなく、ましてや見放すこともせず、ただ父に純粋な喜びのみを口にした。
 それが、エルギーツにあった躊躇を砕いたようだった。
 父は娘を掻き抱いた。そして泣いた。 
「あぁぁ…… あぁぁぁぁ……! すまなかった……すまなかった、アリシア……! おれは、なんということを! ルシアの願いを聞かず、アリシアの命さえも! 許されな い、こんなことは……許されない……! 本当に、すまなかった……! いや、許されまい……おまえもルシアも、おれを許すまい……」
 大粒の涙をぼろぼろと流すエルギーツに、アリシアはそっと微笑んだ。
「お父様が私を抱きしめてくれたことが、私は嬉しい。それだけです」
 きっとお母様も、と加えて、アリシアが父を抱き返す。
 一人の父親の啼泣が、場に響き渡り続けた。


 ◆エピローグ あれから - Things change gradually as if stream of river. -

 砂が風に乗って踊る荒涼とした砂漠に、一筋の大河が流れている。ヌイーヴ川と呼ばれるそれは、古くから緑が根付くに十分な土壌を育み、砂漠を行く人々に糧と水分を与えてきた。
 そこを己の住処と定める人々が現れるのも、自然なことだった。
 そこを己の住処と定め、人を見ながら、人に学び、人のように進化する生物が現れたのは、どうだっただろうか。
 人にとっては驚くべきことだっただろうが、それもやはり、大自然の産み落とした作用のほんのひとつでしかない。
 今日、レキサの民は、その全員がレキサの防壁の外にいた。ルイもまたその一人としてそこにいた。民衆は一人残らず白色や灰色の砂避け外套に身を包んでいるが、武器を持っている者は誰一人いない。
 民衆はみな同じ方向を向き、一人の男を見ていた。衆目を受けているその男は、荘厳な意匠を施された黒衣に身を包み、顔に刻まれた何本ものしわに汗水を流しこんでいた。
 かつては鷹のように鋭く見開かれていた目も、今はすべてが終わったあとの疲労と感慨とに細められていた。
 砂吹雪は今日ばかりはなりを潜めている。柔らかい風がヌイーヴ川のせせらぎを運んでくる。珍しく静かな日中だった。
「過去一〇〇年余りに渡り続けられたフォルミカントとの戦いは、無駄ではなかった。我々がフォルミカントを理解し、フォルミカントが我々を理解するための、重要な過程であった」
 声が響く。黒衣の男の言だ。
 男が、人々に背を向ける。そして大仰に手を広げた。
「だから、彼らが戦ったことは決して咎められることではない。彼らが流した血も涙も、決して徒爾なるものではない。彼らの死の中に、一つたりとも徒死はない。私はそれを、母たる神の教えを敬虔に信ずる一人の人間として、確言することができる」
 その先には、砂地の上に無数の石柱が突き立てられていた。石柱の一つ一つには、ボロボロの外套や、黒く固まった血がそのままのスピアが添えられている。
 砂漠をたゆたう乾いた風は、石柱の群れを優しく撫で、慰めていた。
「……だが、いささか遠回りが過ぎた。過ちも認めねばならない。それもまた、事実だ……」
 低く穏やかな、父性に満ちた声。あちこちからすすり泣きが聞こえ始める。
「愛する民よ、よく耐えた……。苦界を生きた愛する者たちに、告げてやってくれ。もう終わった、と」
 男はそれだけ言うと壇を降りた。そしてそれを合図にして、人々は石柱へ――自分の愛する者の魂が安らぐ場所へと、歩を進めた。
 ルイもまた、一本の石柱の前で足を止める。
 父の名と母の名が、そこに刻まれている。
「ありがとね、父さん、母さん。ちょっとくらいは、幸せになれそうだよ」
 見渡せば、ほとんどの者が涙を流している。つられてルイも涙腺が痛んだ。
 でも、自分の父と母が自分に望んでいたものは、ただ幸せな笑顔だ。だったら、自分はぱっと笑って、爽やかに済ませよう。
「また、来るからね」
 それだけ言って、外套を翻した。


 あれから。
 司導院が人々に対してとってきた態度の真実、即ち、戦争継続をよしとする保守的姿勢を貫きたいあまり、その意思を公開しないままにただ母たる神の教えを利用し、人々を終わらぬ戦いに駆り立てていたことが暴露された。
 兵団長ロー・エルギーツ戦導師が教えを歪曲したこと、フォルミカント軍将校トリアリイ2145との取引の真実もまた、明らかとなった。
 秘匿され民から遠ざけられていたこれら真実のすべてが、ロー・エルギーツの口から語られた。ある種の自白、だった。
  反応は様々だった。自らの過ちを自ら語るという行為を真摯なものとして評価する者もいたにはいたが、実子を敵に売り民衆を煽りたてた行為は人道を大きく踏 み外すものだとして激しく憤った者が大半だった。また、中にはエルギーツの言葉を不実として信じようとしない者もいた。
 ところがエルギーツに対する処分に関しては、民衆の意見は驚くべき一致を見せた。
 エルギーツをレキサの新たなる統率者にすべしという形での一致だった。
 エルギーツには司導院の一角を成していた者としての責任をとらせなければならない。だが、エルギーツの代わりが即座に見つかるわけでもなし、いくつもの功績を生んだカリスマ的統率力をむざむざ殺すのも憚られる。
 そこで、新たに構築された制度のもとで何らかの統率的地位に就かせ、公正明大に職務を全うさせることによってエルギーツの責任を果たさせよう、というのが大衆意見となった。
 レキサは変わる。
 レキサの一元的統治を担ってきた司導院は解体され、法の創造を司る法創院と、法の執行を司る司導閣とが新たに設けられることで権力は分立した。司導院体制のような腐敗を防ぐため、法創院の議員は選挙によって民衆から選出され、またその任期も定められた。
  ともすると主戦派による政治権力の掌握の危険性が見出され、旧司導院体制では政治分野に兵団の関係者が参入できたという点もまた大いに見直すべき点とされ た。また同様に、司導院が教えを利用したり、教えが司導院によって歪曲されたりすることがなきよう、政治と母たる神の教えとの間にはある程度の壁を設けな くてはならないという主張もあった。これら政兵分離と政教分離の各原則は、その程度や線引きについて覚束ない産声を上げたばかりの法創院で議論が白熱して いるが、いずれは何らかの形で落ち着くことになるだろう。
 レキサは変わる。
 だが、すぐには無理だ。長らく剣を交えてきた相手とすぐに手を繋げというのは断じて不可能である。フォルミカントとの停戦に関して、“我々は排すべき悪へのあるまじき寛容を不当に強いられたのだ”と声高に主張する者もレキサにはいる。
 人々の心が真に変化していくのは、あくまでも少しずつ。
 流れる川が地を食むように、少しずつ。
 それに、なかなか変わらないものもある。
 たとえば、そう、教えの授業はルイにとっては相変わらずの厄介だった。
「ちょっと、ヨリ」
 隣で真面目に勉強していたヨリに話しかけた。ヨリは煩わしそうに目線だけをルイに向けた。
「なによ」
 神父の目を伺う。彼は黒板に板書していて、こちら側は見えない。
 それを確認すると、ルイはヨリの耳に囁いた。
「ヨリには感謝してるよ」
「…………」
「え、えっと、だからさ、いつも板書とってもらってるしさ。ヨリがいなかったら、僕は破滅だったよ。間違いない。ありがとうヨリ。本当に」
「……で?」
 なんだこれは。ヨリの目が恐ろしく冷たい。しかも、この砂漠の太陽の下で冷たいものは嬉しいはずなのに、なぜかこればっかりは嬉しくない。背筋をぞわぞわと這うような視線だ。まずい。今回は失敗か。退くか。だって絶対まずいもん、これ。
「いや、いいんだ。はは、なんでもないよ、なんでも……」
「なんでもないことないでしょ? なんか言いたいことがあるんだよね、ルイ? 言ってみて? ねえ」
 ルイはたたみかけた。ヤケだった。とにかくおだてよう。
「ヨ リは最高だよ。卒倒するくらい優しいよ。完々全々無々欠々だね。母たる神にも等しいって。いっそそのまま神さまになっちゃえばいいんじゃないかな? う ん、我ながらいいアイデア! あは、すごいや! ヨリの名前が教典に載るよ! おめでとう教典デビュー! そしたらこのくそつまらない授業もちょっとは面 白くなるかもしれないね! やっぱヨリはすごいな! よっ! 純良絶佳のド善人!」
「ルイ……いったいあなたは、なぁーに授業中に女子生徒に向かって弁舌まくしたてているのですか?」
 気づけばすぐそばに、丸眼鏡を押し上げながら口角をひきつらせた教師兼任神父が立っていた。
「う! や、こ、こここれは……」
「わたくしの授業がくそつまらないという貴重なご意見も伺えたことは、何よりですよ、ええ……」
「いやあの、駱駝もおだてりゃ川泳ぐ、ヨリもおだてりゃ板書貸すっていう、そういう!」
 ヨリは、据わった黒目でルイを刺したまま、凄まじい切れ味の刃を口から飛ばしてみせた。
「ルイ、あなたのために言うけど……そういう考え方、ゲスだわ」
 げ、
 す?
 げす。
 ゲス。
 ははは、ゲスって言った。あのヨリが僕に向かって、ゲスって。
 そんな!

 その日、見上げなければてっぺんが見えないような課題の山が兵舎の自室に運ばれてきた。

  †

 あれから。
 フォルミカントの全体意思は、その統一性・総体性を急速に欠きつつあった。フォルミカントの種生史上、最大の散逸である。
  喜怒哀楽の情動が生まれれば、それは個人的な利益に基づく欲求に結びつき、やがては種の生存を脅かすものとなる――フォルミカントはその論理を無欠の道理 とみなしていた。そして、個人的な欲求を表明する個体をエラーと称し、淘汰してきた。それはフォルミカントという生物のあるべき姿の維持でもあった。
 ところがエラーの発生は、年々その件数を増していた。軍にとって貴重な高感度能力者におけるエラーの発生はとりわけ深刻な事態をもたらした。
 だが今となっては、レガトゥス0001は、こう考える。
 フォルミカントは心を持ちたがっていたのではないか、と。
 その推論が、最も説得的なのだ。
 そしてそこから導かれるさらなる帰結は、自然が、フォルミカントに変化を促しているということ。
 0001もまた特異なる三体のヒトにより、長らく理解できなかった、というよりは理解を拒んでいた概念を理解するに至った。
 心。
 多様で、複雑で、時に論理とはかけ離れた、非常に難しい概念だ。
 この概念を有することが、進化なのか、退化なのか。それを判断することは今はできない。
 だから、0001はいずれ尋ねてみようと考えていた。
 自分に先んじて心を有し、
 同じく心を有する者と交わり、
 “友”を作った同胞に。
「(レガトゥス0001。エラー処分の一斉停止に、2145は危惧を抱きます)」
 0001の隣で、トリアリイ2145が発声した。
「(そ の危惧はいずれ現実のものとなるだろう。個々の欲求が全体を乱し、時には種にとっての脅威を招来するかもしれない。しかしその危険をも乗り越えよと、この 砂漠は我々に命ずるのだ。いかに全体意思のみを主としたところで、大いなる自然の意思に抗うことは不可能だ。変化を強いられたならば、それは受け入れるし かない)」
「(私は種の意思を超えた存在を理解できかねます)」
「(すぐに理解できるようになる。お前は私より前に、既にかつてエラーと呼ばれた個体に変貌を遂げる素因があったのだから)」
「(そんなことは……)」
「(ではあの時、なぜ完全な処理に踏み切らなかった? なぜ急所を外した? なぜ“情け”をかけたのだ?)」
 2145は押し黙り、何も答えずに前を向いた。0001もまたそれ以上問いを重ねることなく、眼前の大地に穿たれた砂漠の裂傷を見下ろす。
 レキサの高官によれば、地平の果てまで続く裂傷の如きこの大溝に、再び水が流れる日も遠くないという。
 0001や、2145だけではない。誰に命じられたわけでもないのに、多くのフォルミカントたちが溝の底を見下ろしている。
 水が流れ、魚が泳ぎ、草木が萌えた日々を、懐かしんでいるのだろう。
 “懐かしむ”ということが、できるようになったのだ。

  †

 橙色の太陽の下辺が砂漠の地平に触れて、ようやく補習地獄から解放されたルイは、レキサの防壁を抜け出してオアシスへ走った。通い慣れた道を駆ける。あの広場まで、すぐだった。
彼女は純白の外套を木の根に敷いて座っていた。動きやすさを重視した体格によくフィットした服で、ほとんど日に晒されていないのか、露出させた肩は桃色に血の色を映していて色気があった。
「申し訳ありません、ホントに!」
「絞られたな、その様子だと」
「ひどいんですよ、あの神父! 今までサボった分を補うにはこれしかないとか言って、教典をまるごと書写しろとか抜かしたんです!」
「まさか、今の今までずっと教典を書き写してたのか?」
「そうです! いったい何百万字あると思ってんだ、あのバカ神父! もちろん今日だけじゃ終わるわけなくて、明日も明後日も明々後日も僕一人だけ書写地獄ですよ!」
 アリシアは噴き出して、あははと笑った。心底おかしそうに。
 笑い声は夜の林の中を清々しく響き抜けていく。
「そんなに笑わなくたって……」
「ごめん、でも授業終わったあとに一人でせっせと教典書き写してるのを想像したら、なんか面白くて。あんな分厚いのを書き終わる日なんて、あはは、いつになるんだ、あはははは」
「その笑いのツボ、まったくわかんないですけど」
 辛辣な口ぶりにもまったく動じず、腹を捩って笑い続けるアリシアを見ていると、だんだん自分が怒っているのが馬鹿らしくなってきた。しかもよく考えれば自業自得だ。自分が招いた災厄だ。いや、それにしては教典丸写しは度を超えているとしか思えないが。
 だんだん惨めになってきたのを察したのか、アリシアは笑うのをやめて頭上を見上げた。
「星、きれいだな」
「そうですね」
 頭上にはぽっかりと穴が空いたように枝も葉もない。見上げれば、視線は天の彼方まで投げられる。空には無数の星々。切り取られた空の端は、沈みゆく太陽が残した紺色に彩られている。
「私、お父様の仕事の手伝いをすることにしたんだ」
「兵団、お辞めになるんですか」
「うん。お父様に誘われてな。私も、やってみたいと思ったから」
「……寂しくなりますね、兵団からアリシア様がいなくなるのは」
「それ。その、アリシア様っていうの、もうやめないか」
「え?」
「私は様づけで呼ばれるような人間じゃない。そうだ、敬語もやめよう。変に距離感が出てしまうからな。以後禁止で」
 と言われても、困る。だったら呼び捨てろというのか。若くして戦師の座につき、旧司導院議員の令嬢であった者に、ヨリと同じように話しかけろ、と。
「そ、それはいきなりな……難しいです」
「私は立派な人間じゃないって言っただろ? 私自身もそう思うんだから問題ないだろ」
「や、それとこれとは」
 過去の発言を引き合いに出され、崖っぷちに追い詰められるような思いをしているルイの心中などつゆ知らず、アリシアはルイににじり寄り、とろんとした上目遣いで見つめた。
「頼むよ。……ルイと、もっと近くなりたいんだ」
 それはとどめの一撃だった。
「わ……わわわわかりまし――」
 ぎろりと金色の瞳に射抜かれる。
「いえ、わかった、うん、わかった、アリシア……」
 うん、と満面の笑みでアリシアは頷いた。

 それから、やはりいつものように他愛もない話をした。どうでもいいことで紛糾した。意味もなくオアシスの中を一緒に歩き回った。
 二人はとにかく言葉を絶やさなかった。笑うことをやめなかった。
 そうしなければ、この場にいるべきもう一人がいないという喪失感を埋めることはできなかった。
 欠けた部分を埋め合わせるように、手を繋いで。
 砂漠に飛び出して、歩きまわって。
 はしゃいで。
 話して。
 疲れ果てるまでそうしたら、オアシスの広場に戻り、
 満点の星空を見上げながら、今日は二人でさらにもう一つの共犯を重ねようと決めた。今日はお互いにあるべき寝床に帰らず、この場で眠ろう、と。
 二人同じ木の根に横たわり、頭の方を向かい合わせながら、その瞳に星を映す。
 変わったな、とルイは思う。
 本当に、いろいろ変わった。
 革命的といえるほどに急速な変化。
 あの星の流れのようにゆったりとした変化。
 僕は結局、風に吹かれ飛ばされていくちっぽけな砂粒でしかない。
 ……でも。
 時には誰かの目に入って、痛い思いをさせてやることだってできる。
 時には仲間たちと一緒に積もって、いつかはでっかい砂漠になってやることだってできる。
 僕の力は途方もなく弱いけれど、
 無力じゃない。

  †

 翌の未明。
 ルイとアリシアは、まだ眠りの世界にいる。
 二人は、夢の中では三人だっただろう。
 彼らはやがて目を覚ます。
 そうしたら、広場の中央に積み上げられている果物の山に、驚くに違いない。

 木々の向こう、 
 砂が舞う。

 沈んだ太陽は、また昇る。

 光が舞う。

                        砂の上にココロ咲かせて 了


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 ・キャラが立っていて大好きです!
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