高得点作品掲載所     日原武仁さん 著作  | トップへ戻る | 


アイルコットは唄わない

 偽人人形の彼女が雨の中で目覚めた時、左半身が地面に埋まっていた。
 何とか動く右腕を使い、自らを掘り出すようにして立ち上がり――自分がどうしてここにいるのかを忘れている事に気が付いた。
 覚えていない事はそれだけではない。自分が何をするために生まれ、何をしていたのか。これから何をしようとしていたのか、それら全てが空白だった。
 彼女はふむ、と頷いた。
 自身で壊れているのは記憶のみだ。骨格フレームに歪みも無いし、外装肌にも傷は見当たらない。神経回路や人口筋にも断裂や損傷は無いようだ。
 己の頑丈さにひとつの満足を得ると、彼女は辺りを見回した。自分と同じモノが折り重なるように倒れる焼け野原をぐるりと眺め、次いで身を屈めると、一番近くに転がる頭部の潰れたものの服を無雑作に脱がし始める。
 所々に赤黒い染みが付いてはいるが、雨が泥と一緒に洗い流してくれるだろう。雨に濡れ、半ば凝固したようにぬめる液体が付着した服は脱がしにくく、それと同じくらいに着にくいものであったが、別に急ぐ理由があるわけでもないので気にはならない。
 それはおかしな服だった。フリルのあるドレスのようであるのだが、スカートの前面にはエプロンのようなものが付いているというひどく中途半端な服装だ。
 だが、彼女はそれを気にするふうも無く、ただ黙々と服を着る。そして着替えた己の格好におかしなところが無いことを確認すると、彼女はその場から歩き出した。

 ◆

 彼女は歩いていた。歩くためだけに歩いていた。
 彼女には何も無い。何も無ければ何を為そうとも、何を為さなくとも自由だし、成すべき基準も成さざるべき判断も働かない。
 彼女は歩く。
 山を登り、谷を越え、野を進み、森に分け入り、川を渡る。
 そんな道程を繰り返し、幾度目かの山に入ったとき――その山中に人家らしき小屋を見つけた。
  別段不思議なものではないし、そんな建物はこれまでにも飽きるほどに見慣れている。しかし、それは今までに見てきた廃屋とは全く様相を異にしていた。掘っ 立て小屋に毛が生えたような粗末な作りなのだが……そこには確かな生活臭があった。人の営みを感じさせる雰囲気があった。だからだろう。気付くと彼女は足 を止め、いつの間にか玄関とおぼしき場所に立っていた。
 手作りの割にはがっしりした扉に呼び鈴は無く、獅子を象ったドアノッカーがあるあたりが家主のこだわりのなかもしれない。人が触れなくなって久しいのだろう。錆だらけのノッカーを掴み、その用途を行使する。

 ……………………。

 反応は無かった。もう一度、ノックする。

 ……………………。

 やはり反応は無い。
 熱源探知があれば、中の状況を把握することも可能だったのかもしれないが、生憎そんな機能は持ち合わせてはいなかった。
「…………」
 数秒思案した結果、立ち去ろうと判断を下す。身を翻し、一歩目を踏み出そうとした時だ。立て付けの悪いドアを無理矢理開けるような甲高い音が聴覚回路を打った。
「どちら様ですかぁ? 新聞なら間に合ってますよぉ……」
 背中にぶつかってきたのは妙に間延びした青年の声。彼女は振り返り、姿を確認する。
 手入れをしていないぼさぼさの黒髪の下にはどこか緩んだ幸せそうな笑顔。身長は高く、自分よりも頭ひとつ分高いと当りをつける。その身を包むのは白い襟なしシャツに洗いざらした生地の厚い青いズボンであり、どこにでもいそうなこれといった特徴の無い青年だった。
 青年は彼女を見ると、驚いたような少し意外そうな顔をし、
「こんな所に侍従さん――ああ、メイドさんと言うんでしたっけ?――が、僕のところにどういったご用件で? 僕の知り合いにメイドさんが雇えるようなお金持ちはいなかったけどなぁ……」
 腕を組み、しばし思案した末にぽん、と手を打つ青年。
「もしかして、存在を隠していた金持ちのじいさんが死んで、僕が家督を継ぐというシチュエーションですか?」
 妙にうれしそうに推測を口にする青年に、彼女は首を真横に振って即答する。
「違います」
「あ、やっぱり」
 口では何でもないように言ってはいるが、わずかな希望にすがっていたのか、目に見えて落胆を滲ませる青年だった。だが、すぐに表情を緩んだ笑顔に戻し、
「こんなところで立ち話もなんですから、中に入りませんか?」
 彼の提案に彼女はしばし勘案し――そして、こくん、と頷いた。



 人一人が住むので精一杯の広さの小屋の中にはベッドと小さなテーブルと二脚の椅子。食器と本が並べられた棚の横には無造作に服が積んである。
(きれいなものだと判断します)
 外見の割には清潔でしっかりした内装を見回し、彼女はそんなことを思う。
(しかし、まだまだ甘いものではあります。特に)
 と、掃除のプランを考え始めた彼女の思考は青年の声で中断させられた。
「記憶を失っているんですか。それは大変ですねぇ……」
 小屋の裏手にある釜戸で沸かしてきた湯をポットに注ぎながら、少しも大変そうには聞こえない口調で青年は言った。
「あまり自信は無いですけど、良かったらどうぞ」
 そんな前置きの後、湯気の立つ白磁のティーカップが彼女の前に置かれた。淡い黄金色の液体からはすっとするような香りが漂ってくる。
「ここら辺りに自生するハーブを主にしたハーブティーです。味に癖はありますが、そこそこいけますよ」
 言って青年は彼女の前に座り、自らの口にカップを運んだ。
「僕はラスティン・ワード。君の名前は……」
 言いかけて言葉を一度切る。
「……覚えてないんでしたっけ」
 こくりと頷く彼女に、ラスティンは腕を組んだ。
「名前が無いのも不便ですから……そうですね。アイルコットなんてのはどうでしょう?」
「……アイルコット……」
 音や響きを確認するように彼女は呟く。
「初めて読んだ絵本のヒロインの名前なんです。……気に入りませんか?」
 彼女は首を横に振る。今より前のことが何も無いのだ。いいのかどうかさえ判断できない。
「気に入ってもらえて良かったです。では当面はこれでいきましょう」
 ニコニコと言ってくるラスティンに彼女――アイルコットは頷いた。
「アイルコットさんはこれからどうするおつもりなんですか?」
 唐突にラスティンはそんなことを切り出した。
「この山を越えたところにちょっとした街があります。何もないのでしたらそこまで行って、それから考えてみるのもいいかもしれませんよ?」
 その提案をアイルコットは検証する。と、その合間にひとつのひっかかりを得た。その疑問は広がり、ついには口から漏れてしまう。
「気になることがあります」
「何でしょう?」
「偽人人形であるアイルコットが再起動してから九十時間三十七分四十二秒が経過しました。その間、アイルコットは一人も人間と会っておりません」
「それで?」
「はい。この世界の人間は激減していると推測します」
「続けて」
「はい。偽人人形は人に仕えて初めてその真価を発揮します。仕えるべき対象がない以上、アイルコットの存在価値及び存在理由は著しく低いものと判断し、ここで自己凍結を行い、機能を停止したく思います」
 アイルコットの言葉を聞き、「ふーむ……」とラスティンは腕を組んで天井を見上げた。
「では、機能を停止する前に少しだけ話を聞いてもらえますか?」
 笑顔で、ラスティンはそう言った。


「アイルコットさんが今まで人に会わなかった理由。それは戦争です」
 天気の話でもするような気軽さでラスティンは話し始めた。
 精霊石というものがある。
 古来より『月の欠片』や『賢者の石』と呼ばれてきた、高純度エネルギー結晶体の総称だ。
 精霊石は一部の地域でしか採掘出来なかったために高価であり、これを動力源とする偽人人形も王侯や貴族、大富豪でしか手に入れることは出来なかった。
 が、ある一人の技術者により世界の常識は一変する。
 彼は見つけたのだ。精霊石の量産化の方法――人工精霊石とでも言うべき晶霊石の精錬法を。
 技術者は信じていた。精霊石の量産により、もっと多くの偽人人形が生まれ、人々を助けることになると。
 確かに偽人人形は爆発的に増えた。しかし、そのほとんどは軍に兵器として配備され――侵略戦争が始まった。
 ――こんなはずじゃないんだ。こんなはずでは……!
 理想を裏切られた技術者は悩んだ。死者の人数が増えるにつれ、その懊悩は深くなっていった。
  そしてある日。彼は自身が生み出し、作り上げた技術の全て廃棄し、抹消しようと決意した。だがその時には遅く、すでに行程は出来上がっていたためにそれら 全てを止めることは叶わなかった。苦肉の策でシステムを操作し、生み出される晶霊石の精度を落とすことによって軍隊の弱体化を計ろうと画策した。
 賛同した仲間達の多大な犠牲を払い、計画は一応の成功を見た。
 しかし、それはさらなる悲劇を生んだに過ぎなかった。
 精度を落とした晶霊石は簡単に複製が出来てしまうという欠陥を内包していたのだ。結果、独占状態だった技術は他国に渡り、戦況は泥沼に陥った。
「そんなわけで大地は荒れ果て、国は荒廃した。多分、アイルコットさんがいたのは激戦地だったんじゃないかな。だからみんな避難したんだろうね」
 僕もそのうちの一人なんだけどね、と小さく笑いながら付け加える。
 ラスティンの話を聞きながら、アイルコットは居心地の悪いものを感じていた。
 アイルコットは偽人人形だ。人間の役に立つために作られた偽人人形が戦争の道具になり、争い、人を殺す。
(哀しいと判断します)
 アイルコットには記憶が無い。戦いに参加していた実感が無い。だが、目覚めた時の状況を鑑みれば、戦争の道具となっていたのは明らかだった。
 と、身体のどこかで何かが小さく軋むような音をあげた。
(何でしょうか……)
 すぐさま走らせた自己診断プログラムは『異常なし』と告げている。アイルコットには分からない。原因が思い当たらない。だからアイルコットは判断を凍結し、ラスティンに意識を集中させた。
「こんなご時世だからね。幸か不幸か色々な場所で僕は偽人人形を見てきてる。その彼女達と比較するとアイルコットさんは違うように……そう、君には意志を感じる」
「意志……」
 単語の意味を確認するように呟くアイルコットにラスティンは頷きを返し、
「君がただの偽人人形であるならここには来なかったはずだよ。彼女達は本当に人形だからね。命令がなければ動けない」
 だから目覚めたとしても外部からの指令が無い限り、その場に佇んでいるはずだとラスティンは言う。
 瞳を閉じてアイルコットは思考する。仮説を検証し、全ての可能性を精査していく。
 数秒後、アイルコットは目を開けた。
「ラスティン様はアイルコットに意志があるとおっしゃいましたが――それは間違いだと判断します」
「なぜそう思うんだい?」
 アイルコットの返答に、優秀な教え子を見る教師のような表情でラスティンは先を促がした。
「はい。アイルコットは偽人人形です。故に、人間の特権である意志や感情といったものは付随されておりません」
「続けて」
「はい。アイルコット達偽人人形の判断基準、及び行動基準は過去のデータに準拠します。現在の状況を比較検証し、照らし合わせて最良最善と思われるものを選択します。そのため『意志』と言う明確な目的意識が介在することはありません」
「なるほど。でもアイルコットさんは記憶――データが無いんだよね? そうするとアイルコットさんの今日までの行動は説明がつかないんじゃないかな?」
「はい。ラスティン様のおっしゃる通りです。アイルコットの一連の行動は確たる論拠の無い誤作動の結果でしかありません。故にアイルコットは壊れていると結論付けられます」
 ラスティンは意外そうな顔をし、顎に手を添えた。
「……僕にはとてもそんなふうには見えないけどね」
「可能性として一番高いと思われます。そして壊れたものに対する選択はふたつしかありません。――廃棄するか修理するかです」
「じゃあ、アイルコットさんはどうするつもりだい?」
「は い。偽人人形たるアイルコットですが、今は仕えるべき主も奉仕する相手もおりません。ゆえに廃棄するのが正しいのですが偽人人形は主からの命令ない限りは 自壊、もしくは己を傷付けることは出来ません。以上のことより先程申し上げたことと重なりますが、全機能を永久凍結するのが最良と判断します」
 アイルコットは口を閉ざす。ラスティンはそんな彼女の無表情な顔を微笑して見つめながら声を放つ。
「私見だけどね。アイルコットさんはかなり優秀なんじゃないかな?」
「アイルコットが……ですか?」
「だっ てアイルコットさんは記憶が無い――言い換えれば自分の中にあるデータを自由に引き出せない状態にあるんだよね? なのにそんな判断が出来るということは 忘却してしまったものとは別の記憶装置が生きている訳で、少なくともふたつ以上のそういう部分を有してる。ある種のセキュリティだね。そんな機構のある偽 人人形を眠らせてしまうのは惜しくないかな?」
 諭すようなラスティンに、アイルコットはしばし沈黙し、
「ラスティン様の意見を考慮に入れ、再検討致しました。おっしゃる通り、客観的一般的に見てアイルコットは優秀であると言える可能性は高いと判断出来ます。ですが、アイルコットの取るべき行動は変わりません」
「なぜだい?」
「はい。アイルコットは自身を修理する術を持たないからです。直すことが出来ないのならば結論は変わらないと判断します」
「そのことなら多分何とかなる。偽人人形に詳しい知り合いが王都にいてね。彼の所にいけば何とかしてくれるだろう。ただ、問題がある」
 ラスティンは言葉を切ってアイルコットを見る。偽人人形は無表情のままだ。なんとなく微苦笑を浮かべながら言葉を続けた。
「それは君自身さ」
「……どういうことでしょうか」
「アイルコットさんがどうしたいかだよ」
「意味が分かりかねます。アイルコットには意志も感情もありません。どうしたい、という概念は存在しません。ですが――」
 アイルコットは一度口を噤み、自身の言うべき言葉を考えるような口調を作った。
「アイルコットはアイルコットの能力、機能、性能を行使したいと考えます。その全てでもって人に仕え、奉仕すべきと判断します。アイルコットは尽くしたいと思います」
 アイルコットは真っ直ぐにラスティンを見る。その面に表情は無く、瞳にあるのも硬質な光だけだ。
 だけど――いや、だからこそラスティンは満足げに微笑んだ。
「決まりだね。それじゃ、出発しようか」



「ここから出ることになるとはねぇ……」
 旅支度を整えたラスティンは、玄関を眺めながらぽつりと呟く。
「お手数をおかけします。不良品のアイルコットに手を差し伸べて頂いたラスティン様に最大級の感謝を捧げます」
 深く頭を下げるアイルコットにラスティンは小さく手を振り、
「気にしなくていいよ。どうせやることのない毎日だからね。と、それじゃ行こうか」
「ラスティン様」
 一歩を踏み出すラスティンの背に、アイルコットは声をかけた。
 ん? と、振り向くラスティンを偽人人形は真正面から見据え、口を開いた。
「ラスティン様にアイルコットの主になって欲しいと思います」
「……そいつはまたいきなりだね」
 少なからずの驚きを顔に貼り付けるラスティンに、アイルコットは頷きを返した。
「アイルコットは偽人人形です。偽人人形の本質は人に仕えること。アイルコットは不良品ではありますが、それでもその本質を無くすほどに壊れてはおりません」
「うーん……」
 ラスティンは困ったような顔で腕を組み、小さく唸る。
「そういうのは柄じゃないけど……アイルコットさんがそうしたいのならそうしようか。何か思い出すかもしれないしね」
「ありがとうございます。では今後、アイルコットのことはアイルコットと呼び捨てにして下さい」
「え、それは……」
「して下さい」
 ずいっと顔を近づけられ、湧き上がるような迫力を見せるアイルコットに、ラスティンは思わず何度も頭を縦に振っていた。
「ありがとうございます」
 了承を得ると、アイルコットは一歩退き頭を下げた。
「……じゃあ、行こうか」
「はい。ラスティン様」
 気を取り直し、ラスティンはそう言って歩き出した。その半歩後をアイルコットが続いていく。

 ◆


「この辺りは見渡す限り花が咲き誇っていたそうだよ。花なんて今では王都くらいでしか見られないけどね」
 住んでいた山を降りてしばらく歩いた後、懐かしむような顔と共にラスティンは呟くようにそんなことを言った。
 二人が進むのは道とも言えない道だった。正確に言えば焼け野原のただ中の、蒸気式の車が通って比較的歩きやすくなっている部分を歩いていた。
 荒れ野、だった。
 見渡す限りに焼け焦げ、乾燥し、生命の息吹の一片すら感じられない。ただ静かに砂漠になるのを待つだけのような、そういう死んだ土地だ。
「晶霊石は毒だったんだよ。人体には影響を与えず、大地だけを汚染するこの上なく性質の悪い、ね」
  破壊された晶霊石は消える事も薄まる事も無い、呪いのような毒となって自然を侵食した。植物が生えなくなるように、動物が住めなくなるように。この事態に 関し、休戦状態にある今でさえ解決の目処はおろか、何の策すら無い状態だった。こうしている間にも緩やかに、だが確実に人類は滅亡の道を辿っているのだ。
「花……」
 アイルコットはぽつりと呟く。それがどのようなものであるかは知識として知っている。が、それを見たことの無いアイルコットとしては実感出来ず、また、ラスティンがどうしてそんな顔をするのか理解出来ない。
「ラスティン様――」
 アイルコットが主に呼びかけた時、大型のトラックがやってくるのが見えた。二人は念のためにと道から大きく離れてトラックをやり過ごす。
 偽人人形が運転するトラックの、その剥き出しの荷台を見てラスティンは思わず顔をしかめてしまう。
 それは潰れた頭だった。もがれた腕だった。引き裂かれた足だった。砕かれた身体だった。
 運ばれていたのは傷付き壊れ、用を成さなくなった大量の偽人人形。彼女たちは自然界では分解されないため、時折りこうして戦闘の跡地から回収され、廃棄処理される。
 回収や処理は基本的には国が行うのだが、偽人人形の神経素子には紅剛石(ファイアモンド)と呼ばれる鉱物が使われており、これらは貴金属としても価値があるために民間でも回収や処理作業をすることは珍しくなかった。
 土煙をあげて走り去っていくトラックを見るラスティンの顔は、旧知の友の葬送を見るような、ひどく悲しいものだった。
 アイルコットには分からない。自分を含めた偽人人形はただの道具でしかない。道具は使えなくなれば捨て、新しいものを購入する。そこに多少の思い入れがあろうとも、そのプロセスは変わらない。
 それなのに、どうしてラスティンはそんな感情をもって見も知らない偽人人形たちを見送るのか。アイルコットにはそれが分からない。分からないが……主人のそんな顔を見たくないことだけははっきりと分かる。
「ラスティン様」
 アイルコットは主の青年に呼びかける。淡い笑みで振り向くラスティンに言葉を放つ。
「アイルコットは花を見たく思います」
 どうしてそんなことを言ってしまったのか理解出来ないまま、とめどなく浮かぶ言葉を声にしていく。
「ア イルコットは再起動してから今まで、花を見たことがありません。花とは素晴らしく綺麗なものだとメモリーにはあります。ですがアイルコットはそれを実感出 来ません。人に仕え、奉仕するのが偽人人形です。こんなことでは満足に職務を果たせないとアイルコットは判断します」
 アイルコットは口を閉じ、ラスティンの言葉を待つ。彼は一瞬、呆気に取られたような顔をし……次いで破顔した。
 ひとしきり笑った後、ラスティンは目元をこすりながら言った。
「いや、ごめんよ。アイルコットがそんなことを言うなんて意外過ぎたからつい、ね。いいね。花。うん。見に行こうか」
「ありがとうございます」
「いいさ。君が自発的に何かをしたいと思うことはきっといいことだからね。何かあったらどんどん言ってよ。僕に出来る事は何でも協力するからさ」
 笑顔で言うラスティンに、再びアイルコットは頭を下げた。



“美味しいわ。あなたの淹れる紅茶がやっぱり一番ね”
 ――夢に見るそれは幸せの記憶。

“やったわね。これで彼女達はもっと成長……ううん、進化できるのよ!”
 ――夢に見るそれは己の生きてきた証。

“逃げましょう。ここも見つかったみたい……!”
 ――夢に見るそれは終らざる贖罪。

“……は、やく……逃げて……。わたしは、……もう、だめよ……”
 ――夢に見るそれは決して癒える事の無い痕。

「リューネ……!」
 ――夢に見るその名前は彼の全てだった――


「……っ!」
 街道沿いの安宿の一室でラスティンは目を覚ました。見慣れぬ天井に違和感を覚え、アイルコットを直すために、そして何よりも彼女が願った花を見に王都へ行くんだったと思い出す。このまま眠ろうかとも思ったが、妙に目が冴えてしまって寝付けそうに無い。
 気分転換に何か飲もうと身体を起こす。と、その背を何かに優しく支えられた。
「……アイルコット」
 傍らに目を向ければ、薄闇の中にメイド姿の偽人人形がこちらを覗いている。
「大丈夫ですか? 随分とうなされていらっしゃいましたが」
 気遣わしげに言ってくるアイルコットにラスティンは小さく微笑んだ。
「ああ、ごめん。ちょっと……疲れてるのかもね」
 昔の夢を見たことは言わずにラスティンは言葉を濁す。主の言葉にアイルコットは小さく頷き、
「夜明けまで三時間十九分、予定起床時刻まで六時間三十分程あります。お休みになることをアイルコットはお勧めします。もし、お眠りになれないのでしたら温かいミルクでもお持ち致しましょうか?」
「そう……だね。頼むよ」
「承知しました」
 軽く頭を下げるとアイルコットは部屋を出て行った。
 ふと、思い出す。確か部屋はふたつ取り、眠る前にアイルコットの姿は無かったはずだ。なのにアイルコットがここにいたということは……
 そこに至ってラスティンは気恥ずかしさに襲われた。彼女はラスティンが眠ったのを確認して彼の部屋に入り、ずっと側にいて彼の寝姿を見守っていたのだろう。
「う〜ん……。なんだかなぁ……」
 やれやれと言わんばかりに苦笑したラスティンの元に、アイルコットがトレイにホットミルクを乗せて戻ってきた。
 ラスティンは「ありがとう」と礼を言って受け取り、一口飲む。ほのかな甘味と心地好い温かさが舌に伝わり、喉を下る。
「いかがですか?」
 遠慮がちに聞いてくるアイルコットの顔に表情らしい表情は無い。だが、どこか怯えた子猫というか、勇気を振り絞って告白して返答を待つ女の子のような――そんな印象をラスティンは感じた。湧き上がる妙なおかしさを微笑みに変え、彼は大きく頷いた。
「とても美味しいよ、アイルコット」
「ありがとうございます」
 頭を下げるアイルコット。その表情には僅かばかりの嬉しさが見て取れた――ような気がラスティンはした。
 だからだろうか。ほんの少し気が緩んだのかもしれない。それともさっき見た夢のせいだろうか。思わずラスティンは口を開いていた。
「戦争は何で起こったと思う?」
「分かりません」
 主の問いにアイルコットは即答する。
 そんな偽人人形を見て、ラスティンは泣きたいような笑いたいような複雑な表情を見せた。
「戦争が起こる原因となった晶霊石――あれを作ったのは僕なんだよ」
 必死に何かを堪えるように、それでも顔を笑顔に歪めてラスティンは言葉を続ける。
「僕は馬鹿だったんだよ。自分の技術が人の助けになると信じて……! 傲慢にも自分で決着を付けようとしてもっと酷くして……。ははっ、笑っちゃうよね……」
 自嘲するラスティンは泣いていた。笑顔のまま瞳から涙があふれて止まらない。
「大切な仲間を大勢失って。それなのに怖くなって一人で田舎に逃げて。忘れたくて忘れたふりをして。でも、全然逃げられなくて……本当、最低……だ、よ……」
 犯した罪を苦しそうに告白するラスティンをふわり、と柔らかい何かが包み込んだ。
「……アイル――」
「ラ スティン様にはアイルコットがいます。雨の日も晴れの日も。嵐の時も津波の時も。元気な日にも病気の日にも。嬉しい時も悲しい時も。いつでもアイルコット はラスティン様のお側にいます。世界の全てが敵に回ってもアイルコットはラスティン様のお側にいます。そして世界の全てからラスティン様をお守りします。 ですから……」
 アイルコットは言葉を切り、腕に力を込めた。
「そんなことをおっしゃらないで下さい」
 アイルコットの声に起伏は無い。いつもの通りの無機質さだ。だけど。それでも、やはり――
「そうだね。アイルコット……。ごめん。もう言わないよ。ずっと一緒にいよう。まず花を見てさ。それから…………」
 ラスティンはそのまま眠りに落ちる。その眠りは心地好く、とても温かかった。

 ◆

 懐かしい声が言う。
「大切な人のためなら何でも出来る覚悟がある。……なんて言う奴がいるだろう? で、そいつは誰かの大切な人を傷つけてるかもしれない訳さ。そういう連鎖、どう思うよ?」

 忘れられない言葉が告げる。
「お前にある仕掛けをしておいた。俺にしては珍しく少しばかり悩んじまったが……ま、俺の傲慢だな」

 覚えている約束が伝える。
「この仕掛けが発動してな? 億にひとつの可能性としてこれを自分のものに出来たなら……お前は天使になる。ちなみに、俺は小悪魔ちゃんの方が好みだけどな」

 ◆

 アイルコットは目を開けた。何か大切なことを思い出していたような気もするが、そのイメージはすでに跡形も無い。
 彼女が立つのは男性用浴場の入り口だ。アイルコットはラスティンが出てくるのを待っているのだ。
(おかしいことです)
 この時間を過ごす度にアイルコットは疑問に思う。どうしてラスティンは身体の洗浄に自分を役立ててくれないのだろうか、と。
 ラスティンが脱衣所に入る際、アイルコットは彼を手伝うべくいつものように半歩下がって続いていく。その度にラスティンはやんわりと――だが頑なに彼女の手伝いを拒むのだ。
 アイルコットは思考する。己の中にある語句を総動員して答えを探し――アイルコットはひとつの解答を得た。
 『風呂』=『裸の付き合いの場所』とある。
(ラスティン様はアイルコットが服を着ていることがご不満だったのですね)
 裸で付き合う場所に服を着ていけば確かにそれはマナー違反であり、無粋だろう。
(やりました、ラスティン様。アイルコットは自分の力で答えを導き出しました)
 アイルコットはきっちり三秒間、二百通りの言葉で自分自身を称賛した。そして、次からは服を脱いで浴場までラスティンについて行こうと決定してから思考を元に戻す。
 アイルコットは目を閉じ、主が風呂場から上がってくるまでの時間を利用して自己診断と最適化を行うのが常だった。
 その時だった。覚えの無い音声が聞こえ、知らない映像が見えたのだ。
 アイルコットは再び思考する。
 今までこのような現象は起きなかった。念のためにもう一度自己診断プログラムを走らせるが、出てきた結果はいつもと変わらぬ『異常なし』。蓄積された情報の取捨選択の際の誤作動なのだと推測する。
(これが『夢』なのかもしれません)
 人間が睡眠中、記憶を整理する時に脳が見る映像群が夢なのだと言う。ならば、さっきの現象はそれに当てはまるのではないのだろうか……?
 不意に、感じたことの無い感覚がアイルコットを襲った。爪先から何かが這いよってくるような、全身が何かに浸食されるような――そんな得体の知れない感覚――
 アイルコットは検索する。そして見つけた単語が――
(『恐怖』)
  アイルコットは恐かった。見たことのない映像は、言い換えれば今の自分ではない自分の記録だ。自分が元に戻っていくこと自体はいいことなのだろう。けれ ど……その時のアイルコットは今のアイルコットと同じなのだろうか? 今の自分とは違う、全く別の自分に変わってしまうのではないだろうか? そんな仮説 が頭から離れない。
 アイルコットは身を固くする。得体の知れない自分。変わってしまう自分。もし……もし自分が今と全く違う自分になった時――『アイルコット』はどうなるのだろう。その時にラスティンは自分をどうするのだろう……
 考えたくは無かった。だけど考えなければならなかった。偽人人形は全てにおいて最善を尽くさねばならない。盟約のためには己すらも破壊しなければならないほどに……
「……アイルコット?」
 背後から名を呼ばれて振り返る。そこにはどこか困惑したような表情を浮かべるラスティンが立っていた。
「ラスティン様……」
「どうしたんだい、アイルコット。君がぼーっとしてるなんて初めて見たよ」
 ラスティンはおどけたように軽く笑った。
「お恥ずかしい所をお見せしました」
「いや、いいんだよ。あんなに完璧なアイルコットもぼんやりする時があるなんて、ね? ははは、うん。なんか嬉しくなっちゃうね」
 頭を下げるアイルコットにラスティンは気楽に言い、語を繋ぐ。
「部屋でも話したけど、ここから王都まではあと六日。あと六日で花を見ることが出来る。もう一息だよアイルコット。僕らの夢がもうすぐ叶うんだ」
 ちょっとカッコつけすぎかな、と付け加えてラスティンは照れ笑う。
 その言葉にアイルコットははっとし、改めて認知する。
 アイルコットは夢を見ている。それも――ラスティンと同じ夢を見ている……
 トクン、と彼女の身体の奥底で何かが脈動した。しかし、それはとてもとても小さく、アイルコット自身でさえ感知する事は出来ないほどの動き。
 アイルコットはまっすぐに主を見つめ、口を開いた。
「アイルコットはラスティン様と一緒に花が見たいと思います」
「僕もだよ。さて、そろそろ部屋に戻ろうか」
 ラスティンとアイルコットは連れ立ってその場を後にする。
 ――確実に何かが変わろうとしていることに気付かずに。

 ◆

 やはり、アイルコットは優秀だった。
 それが最も顕著に現れるのが食事である。彼女の作る食事は非常に美味いのだ。
 旅をする二人は当然宿にも泊まるが、やむを得ず野宿をすることもある。ラスティンとしては偽人人形とは言えアイルコットは女性であるのだから、そのことを慮って出来るだけ宿泊するようにしているが、どうしても野宿になってしまうこともある。
 その時、食事の全てを用意するのはアイルコットなのだが、その白い指手から生み出される料理は絶品の一言に尽きた。
  戦争の影響――晶霊石の汚染で大地は活力を失い、そのために農作物を作ることの出来る土壌や地域は限られ、慢性的な食糧不足を引き起こしているのが現状 だ。戦前に比べれば価格は三倍近くになってはいるが、全く手に入らない状態ではないのが救いではあるが……いつまでこの状況が続くか分からない。
 食料を確保するため、農地を開墾するという名目で森林を切り拓き、野原を耕作してしまうことも人類の滅亡に拍車をかける遠因になっているのは最早皮肉でしかない。
 そんな条件のなかであってもアイルコットの料理はレパートリーも多く、また、ラスティンは気付いていないが、その日その日の彼の体調に合わせた味付けを施しているために飽きがこないのが大きな特徴だった。
 市場で購入したり、野山で見つけた野草が材料となるのだが、そこから作られる今日の夕食も質素なものであったが、店頭で出しても遜色の無い出来だった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでございます」
 満足そうに手を合わせるラスティンに、対面に座るアイルコットは無表情のままで小さく頭を下げると食器を片付け始める。
「アイルコットの料理は最高だね。うん。きっといいお嫁さんになれるよ」
 それは他愛の無い軽口だった。そこに他意は無く、ラスティンは素直にそう思ったからこそ言ったにすぎない。頭を下げて「ありがとうございます」といつものように表情無く答えてくるものとラスティンは思っていた。が――
 アイルコットは食器を拭いていた手を止めると、ラスティンを真正面から見据えた。
「ラスティン様。アイルコットはお嫁さんにはなれません」
 どこか突き刺すような視線でアイルコットは言葉を続ける。
「アイルコットは偽人人形です。外見を人間と同じ様に作られた道具です」
 彼女の言う事は世間に広く深く浸透している一般的な考え方であり、常識と呼ばれる類のものだ。
 偽人人形は道具である。人の命令に従い、人のために働く。ゆえに彼女達に自我は無い。意志は無い。感情は無い。
 包丁が反旗を翻すことがないように。
 車は運転しなければ走らないように。
 偽人人形達はただ、唯々諾々と人の命令に従う。それが偽人人形本来の姿だ。
 ラスティンはこの時、真面目に答えるアイルコットを冗談の分からない偽人人形だと一笑に付せば良かった。それが正常な反応だと言えるのだから。
 だが、ラスティンには出来なかった。気のせいかもしれないが、見つめてくるアイルコットの瞳の奥に――なぜか哀しみめいたものを感じ取ってしまったから。
 だから――だからラスティンはすまなそうに視線を下げてぽつりと言った。
「……ごめん」
「ラスティン様が謝る事はどこにもありません。認識を正して頂ければそれがアイルコットにとっての喜びです」
 アイルコットは言い、再び食器の洗浄に戻る。
 やりきれなさを感じながら、ラスティンは小さく息をつくと空を見上げた。
 月の無い空にはぽつりぽつりと星が輝いている。戦前に比べれば何となく空が淀んで見える。晶霊石の影響は大地だけでなく、空を――全ての自然を汚染しているのかもしれない。
 と、冷たい夜風が吹き抜けた。今の時期は温暖な季節ではあるが、夜が冷え込むことは珍しくない。
 ラスティンは小さく震えながら膝にあった毛布を肩にまで引き上げる。
「お寒いのですか?」
 食器の片付けが終ったらしいアイルコットがそんなことを聞いてきた。
「ん? いや、寒いと言うか冷えると言うか……」
「了解いたしました」
 どことなく言葉を濁すように答えるラスティンに、アイルコットは小さく頷き、
「失礼します」
 ラスティンの毛布に素早く潜り込むと、胸元に彼の頭が来るような姿勢で背後から肩を抱えた。
「な、な、な……!?」
 母親に抱かれた子供のような格好になったラスティンは混乱し、まともな言葉を紡ぐ事すら出来ない。
「お静かに。今、温めます」
 アイルコットが言った瞬間だ。心地好い温かさがラスティンの身体に染み渡ってきた。
「寒い時は体温で温めるのが最も効果的です。偽人人形たるアイルコットに体温はありませんが、その代わりをすることは可能です」
 精密な機械になればなるほど熱は大敵となる。おそらくは排熱機構の動作を鈍くさせ、一時的に体内に熱がこもるようにしたのだろうが……裏返せばそれはアイルコットの内部に負荷をかけていることに他ならない。
「別にいいよ。我慢できないものじゃないし」
 そのことに思い至ったラスティンは身体を引き剥がそうと身じろぎする。が、がっしりとアイルコットに押さえられ、動く事もままならない。
「ア イルコットの仕事は主であるラスティン様の健康管理こそ一大事と考えます。病気になった場合の看病は当然のこと、それ以前に体調を崩さないようにすること こそ最重要事項にあたります。それともラスティン様はアイルコットの役目や仕事を奪い、アイルコットを困らせる事に大いなる喜びを見出す嗜好をお持ちなの でしょうか?」
「僕はどんな変態だ!?」
 思わず声高に突っ込むラスティン。そんな自分の物言いが恥ずかしかったのか、少しばかり顔を赤くしながら語を繋ぐ。
「違うよ。僕は心配なんだよ。アイルコットにもしものことがあったら……」
「お心遣い、感謝します。ですが、この程度の熱を抱えたくらいで壊れるような柔な作りをしておりません。ご安心下さい」
 ここまで言われてしまえばラスティンも返す言葉が無い。諦めたような、観念したような息をつくとラスティンは全身から力を抜き、アイルコットの柔らかさと温かさに身を委ねる。その心地好さは甘美なものこの上なく、たちまちにまぶたが重くなってくる。
「それじゃ、今夜一晩お願いするよ」
「承知いたしました。ラスティン様、良い夢を」
「おやすみ、アイル、コット……」
 それを最後に、ラスティンは安らかな眠りに落ちていった。


(この感覚を『落ち着く』と言うのでしょうか……)
 腕の中で静かな寝息をたてるラスティンの顔を眺めながら、アイルコットはそんなことを思う。
 安心感とも幸福感とも違う、胸の奥から湧き上がってくるような……いつまでもこうしていたいと思わせる、そんな感覚。
(……分かりません)
 ラスティンの前髪を軽くかきあげながら、アイルコットは困惑しつつも推測を続ける。
  おそらく、主の命に絶対服従するためのプログラムのひとつなのだろう。しかし、そうであるならばラスティンが拒否の意を示した時、なぜに自分は強行したの だろうか? そうすることが正しいと、ラスティンのためであると判断したための行動であるのだが……これは人の命令に従わなければならない偽人人形として は逸脱した行為ではないのだろうか……
(やはりアイルコットは壊れていると判断出来ます)
 アイルコットはそんなふうに無理矢理な結論をつけると思考する事を放棄した。答えの無い問題を思考しても意味がない。そんなことに時間を取るのならば、ラスティンのために何が出来るのかを考えた方がよほど有意義だ。
 ゆえにアイルコットは周囲に危険がないかと警戒し、ラスティンにより心地好い眠りを保つために発熱の温度や彼の姿勢に細心の注意を払う。
 それが自分の仕事だと、最も優先すべきことだと、義務なのだと己のどこかに言い聞かせながら。



 ――アイルコットに生じた違和感とも言うべき感覚。それはプログラムに組み込まれたものではなく、自律的に生じたものだった。
 今の彼女の行動指針。それはラスティンを思う最上の気持ち――『愛しい』という情動に起因しているのだが、偽人人形であるアイルコットはそのことに気付く事は出来ない。例え気付いたとしても認識出来ないのが偽人人形としての宿命でもあった。
 そして、これから生まれた小さな齟齬は、例え思考にはのぼらなくともアイルコットのシステムに負荷をかけ続けていることを彼女は知らない――

 ◆

 王都・リュクエルス。
 セルシア国王、アーキナスが居を構える王都は『鉄壁都市』と呼ばれ、文字通りに街の周りは高い壁で囲まれている。
 来るもの全て阻むかのような都市を、ラスティンとアイルコットは小高い丘から見下ろしていた。
「アイルコット。あれが王都だよ」
 指し示すラスティンに、アイルコットは王都を眺め、素直な感想を口にした。
「寂しい街だと判断します」
「数年前に見たときはこうじゃなかったんだけどね」
 王都は遠目からも分かるくらいに色取り取りな華やかさを纏っていた。が、その周り――高くそびえる壁の外側は荒れ野そのものだった。
 ラスティンの記憶にある王都の周囲は緑にあふれたものだった。それが今は目もあてられないくらいに荒廃している。
  おそらくは大きな戦いがあったのだろう。王都間近での戦闘ともなれば守る方も攻める方も、死に物狂いの戦いをしていたことは想像に難くない。前線でも滅多 に無いくらいの激しいものになったはずだ。それでも王都が健在なのは、城壁が堅牢であったからか、それともただ単に運が良かったからなのかを知る術は無い が、それと引き換えに失ったものはあまりにも大きいことも間違いがなかった。
「壁の外は今まで見てきたのと大差ない土地だけど、王都の中はまともな大地なはずだよ」
「王都には入れるのですか?」
「大丈夫。知り合いに連絡を取れば便宜を図ってくれるよ」
「そう、ですか」
 どこか歯切れの悪いアイルコットの返事に、ラスティンは不思議そうに眉をしかめた。
「何か心配なことでも?」
「…………」
 聞いてくるラスティンに、アイルコットは無言を返す。
 アイルコットにはずっと――おそらくは出会った時から胸の深層で感じ、日を追う毎に高くなり、ここ最近で爆発的に肥大したひとつの懸念がある。
 別れたくない、という思いだ。
 それは口にしていいのか、自分のような偽人人形が感じていいものか。判断をずっと保留してきた命題だった。
「どこか調子の悪いところでもあるとか?」
 心配そうなラスティンの顔が近くにある。
 胸が痛む。自己診断プログラムを走らせても返ってくるのはいつもと同じ『異常なし』という単語。では、この確かに感じる痛みは何なのか。痛覚を遮断してもなお感じる『痛み』。基礎となるプログラムすら侵してしまっているエラー。
(不良品だったアイルコットは完全に壊れてしまったのだと判断します)
 増していく痛みに身を苛まれながらアイルコットは思う。壊れた道具の行き着き先。それは――
「アイルコット!」
 ラスティンの叫びを聞きながら、アイルコットの意識は闇に落ちた。



 ……アイルコットが目を開けたときに見たものは、清潔そうな一面の白だった。
「お目覚めかい?」
 声に目を向ければ、そこには煙草を口にくわえた白衣の青年が立っていた。
 青年は煙草を灰皿に押し付けてもみ消すと、ベッドに横たわるアイルコットへと近付いてきた。
「アードナルナンバーズXI・キュリオン」
 青年はそう言うと、手にした紙の束を投げ寄越す。
「魔導術の権威、テンター・アードナルが晩年に制作した偽人人形の最高傑作。それがお前さんだよ。詳細はそれに書いてあるから自分で読みな」
 ぶっきらぼうにそう言って、青年は懐から出した新しい煙草に火を付けると近くの椅子に腰を下ろす。
「クソ師匠はよく言ってたぜ。『俺の仕事は世界中に種を埋める事だ』ってな。意味わかんねーだろ?」
 訊いてはいるが答えを求めている訳ではないようで、すぐに青年は語を継いだ。
「簡 単に言うとな。自分の技術をそれと分からないようにばら撒くんだと。大概は気付かれないままに放置されて朽ちてくのが常らしいけどよ。けど、ごく稀に芽吹 く時がある。それは希望の花を咲かせるかもしれないし、絶望の果実を実らせるかもしれない。幸福を呼び込むこともあれば不幸を招くかもしれない。あのクソ 師匠にとって結果はどうだっていいのさ。世界が良くも悪くもにぎやかになって、それを楽しめればそれで満足なのさ。最悪だろ? 天は二物を与えずとはよく 言ったもんだ。最高級の頭脳を持ってるのに性格は最低だ。だからプラマイゼロってか? タチが悪いったらありゃしねぇ」
 吐き捨てるように青年は言い、不機嫌そうにまずそうに吸っていた煙草を乱暴に灰皿に押し付けてもみ消した。
 いらつきを隠しもせずに一人で話す青年には意識を向けないままでアイルコットは上半身を起こす。鼻につく煙草の匂いに眉をしかめながら渡された紙に目を落とした。
 そこにはアイルコットの全てが書かれていた。スペックや機能は言うに及ばず、製造年月日から製作者の経歴に至るまでのアイルコットに関わる全てのことが記されており……その全てが常軌を逸していた。
「まあ、なんだ」
 懐から新しい煙草を取り出しながら、青年は不意に顔を真面目なものへと変じた。
「あいつはどうやらとびっきりの『種』を見つけたみたいだな。幸か不幸かは本人に聞いてみなきゃ分かんねーけど、よ。ま、決めるのはお前さんだ。ゆっくり考えるがいいさ」
 青年はそこで一度言葉を切り、少し躊躇した後に再び口を開いた。
「望めば、それに戻してやるよ」
 青年は大きく紫煙を吐きながら、どこか面倒そうに言って立ち上がる。
「決まったら教えてくれ」
 煙草を灰皿でもみ消し、青年は部屋から出て行った。
 一人残されたアイルコットは紙面から目が放せずにいた。そこにあるのは驚愕すべき数値ばかりだ。全ての性能が通常の三倍を越え、様々なシステムが内包されている。その中のひとつにアイルコットの目は釘付けになっていた。
《システム・エンジェル》――精霊石や晶霊石の力を吸収し、大地に還元するシステム。
(これで大地に命を取り戻すことが出来ると判断します)
 だが、起動させるためには動力源を臨界まで稼動させなければならず、その際に生じる負荷によって活動停止を余儀なくされてしまうものでもあった。
(行うべきだと判断します。ですが……)
 そこでアイルコットの思考は止まる。人に仕え、奉仕するのが偽人人形の本懐だ。少し前のアイルコットなら、躊躇わずにそれを選択しただろう。だが、今は――
「アイルコット! 良かった。目が覚めたんだね……」
 彼女の沈思を破るように勢いよくドアが開けられ、駆け込むようにラスティンがやってきた。
「急に倒れるから本当に心配したよ……」
「ご迷惑をおかけしました」
 そう言い、アイルコットはベッドから出て立ち上がろうとする。が、それをラスティンはやんわりと押し留めた。
「いいよ、そのままで。病み上がりの無理はよくない」
「ですが……」
「いいから。そのままで。ね?」
 主から強い口調で言われてしまえばアイルコットに反対できるはずも無い。アイルコットは仕方なく出しかけた足をベッドに引っ込めた。
「申し訳ありません」
 頭を下げるアイルコットにラスティンは微笑みを返す。
「病気の時くらいゆっくりしなよ。そうして早く良くなってくれたほうが僕も嬉しいし」
「ありがとうございます」
「気にすることないさ。ああ、そうだ。アイルコットに見せたいものがあるんだよ」
 ラスティンはいたずら小僧めいた笑みを見せると、背後に隠していた右腕をアイルコットの前に出した。
「じゃーん」
 子供っぽく口で擬音を言いながら出されたそれは――小さな花束だった。
 赤や黄色や紫に白。色取り取りの花々がアイルコットの目の前で踊っている。
 アイルコットは息を飲み、咄嗟に言葉が出てこない。
「どう? 初めて本物を見た感想は?」
 無邪気なラスティンの問いにもアイルコットは答えられない。ただ、その花の美しさに可憐さに、命の気高さと躍動に全てを奪われ……
「アイルコット……? 泣いてるの?」
 言われ、アイルコットは初めて認識した。己の瞳から流れる雫に。頬を伝う温かい流れに。
「綺麗です」
 涙も拭わず、アイルコットは感じた事をそのまま言葉にした。
「とても……綺麗です」
「近くの丘にね。いっぱいに花が咲いた場所があったんだ。身体が治ったら一緒に見に行こう」
「はい。是非に」
 そう言って笑うアイルコットの笑顔はまるで花のようだった。

 ◆

 アイルコットは思い出していた。
 一晩中、アイルコットはベッドで上半身を起こしたまま、今日までの記憶を反芻していた。
 戦いの跡地で目覚め、ラスティンと出会い、王都まで旅をした。過去の記憶の無いアイルコットにとってはラスティンとの生活が全てであり、何も無いアイルコットにとっては何事にも変えられないとても大切な宝物だった。
 ラスティンと過ごした日々は全ては昨日のように――いいや、一瞬前のことのように鮮明に思い出せる。ラスティンの表情も、声も、交わした会話も、何気ない所作にいたるまでの全てを。
(偽人人形であって良かったと判断します)
 これまでの思い出はアイルコットが完全に壊れるその瞬間まで色褪せる事無く、あるがままにアイルコットの中に残り続けるだろう。それはきっと素晴らしいことだ。アイルコットは偽人人形であることを誇りにすら思う。
 思うのだが……それを認識すると同時にどこかで残念に思っている自分がいるのも事実だった。
 アイルコットは偽人人形だ。この事実は未来永劫変わらない。だからこそ主であり、人間であるラスティンに仕えている。だが――
(考えてしまう想定があります)
 それはありえない仮定であり、想像する事すら意味がない事象――自分が人間であったらどうだろう、ということだ。
 無駄な事だと分かっている。有意義な事などどこにもないことも知っている。けれど夢想してしまう。どうしても空想してしまう。夢にすらなりえない夢をアイルコットは夢見てしまう。まるで人間のように。夢見る乙女のように。
 だから、アイルコットは生まれ変わる事が出来たら人間になりたいと心の底から願う。
 だから、アイルコットは決意する。人に尽くすために生まれた偽人人形として。主に仕える事を余儀なくされる偽人人形として。
 アイルコットは己の務めを果たす事を決意する。
「……ラスティン様」
 アイルコットは壁一枚を隔てた向こうで眠っている主に視線を向けながら小さく呟くとベッドから降り立ち、部屋の隅にある簡素な机に歩を進めた。その上には数冊の本とペン立て、そしてメモを取るために使う紙の束が置いてあった。
 アイルコットは椅子に座り、ペン立てから万年筆を取ると紙に滑らせる。書ける事を確認すると改めて紙を取り、万年筆を走らせた。
(ラスティン様はアイルコットを褒めて下さいますか? それともお怒りになりますか? もし叶うのなら……)
 そこまで思い、様々な観点から検証して偽人人形らしからぬ思考であり、明らかに間違っていると認識しながら胸中で独白する。
(叶うのなら――悲しんで頂ければアイルコットは幸いです)
 しばらくして、アイルコットは万年筆を置くと椅子から立ち、音も無く部屋を後にした。
 誰もいなくなった部屋の中、白み始めた日の光が静かにベッドを照らし出している。

 ◆

 アイルコットは幸せでした。名前を付けてもらい、本当によくしてもらいました。
 アイルコットは幸せでした。あの花束は本当に綺麗でした。この世界にはもっと素敵なものがあるとラスティン様はおっしゃいました。出来る事ならラスティン様とそれらを全部見たかったです。
 アイルコットは幸せでした。いつまでもラスティン様とご一緒したかったです。色々な所を旅して、遊んで、楽しんで。それこそ夢のような毎日を過ごしたかったです。
 アイルコットは幸せでした。だから、アイルコットは自分のすべきことをしようと思います。勝手なことだと承知しています。これはアイルコットのわがままです。最初で最後のわがままです。どんなお叱りも覚悟しています。
 アイルコットは幸せでした。本当に幸せでした。ラスティン様もそう思っていて下されば幸いです。

 ◆

「…………っ!」
 焦燥めいた感覚に急かされるようにして朝早く目覚めた時、枕元にあった手紙を見たラスティンは急いで表に飛び出した。
(君は……!)
 ラスティンは偽人人形に詳しい旧知の青年――テンター・アードナルに師事していたラナターク・サルナからアイルコットのことを全て聞いていた。アイルコットの心情に気付いてやれなかったことを激しく後悔しながらラスティンは朝もやに包まれた街を走る。
 言ってしまえば。緩やかに滅びようとする今の世界の現状を作った張本人はラスティンに他ならない。様々な要因や止むに止まれない事情があったのは確かだが、それでもラスティンが大元に関わっていたという事実は変わらない。
 ラスティンは責任を取るべきだったのだ。贖罪をするべきだったのだ。
 しかし、実際にラスティンが取った行動は逃げて、隠れて、じっとしていることだけだった。
 だからラスティンは後悔している。身を焦がすほどの悔恨にとらわれている。
 アイルコットは情けない自分の代わりに犯した罪を背負ってくれようとしている。
 アイルコットは愚かな主のために笑顔で全てを無かった事にしようとしている。
 それは駄目だ。絶対に駄目だ。それは自分がすべきことなのだ。彼女がすべきことでは絶対にないのだ。
 ラスティンは王都を走る。しかし、時刻はまだ早朝と言ってもいい頃合。街に人通りはなく、アイルコットを見たかどうかを聞くことすら叶わない。
(……アイルコット!)
 彼女はこの街を歩いた事はない。何がどこにあるのか全く知らないはずだ。そんなアイルコットの行きそうな場所は――
「……っ!」
 不意に閃き、街の中心へ向かっていたラスティンは方向を逆転させた。
 と、その時だ。固い金属で出来た打楽器が鳴るような、それでいて人が吟じているような、高く澄んだ音が小さく長く、世界中に染み込むように響き渡った。
 聞こえて来た方向は今まさに、ラスティンが向かおうとしていた場所――アイルコットにベッドで話した花咲く丘だ。
(アイルコット……!)
 ラスティンの胸に嫌な予感が鎌首をもたげ、不安や焦燥を伴って瞬間的に膨張していく。
 思わず立ち止まっていたラスティンが再び走り出そうと一歩を踏み出した刹那――光が舞った。
 例えるのならそれは羽毛だろうか。それとも蛍だろうか。にじむような輝きを放つ小さな小さな光が無数に、空から雪のように降り注ぎ、大地に溶けるように消えていく。
 その光景はひどく幻想的で。それゆえに儚くて。思わず魅入ってしまうほどに美しかった。
 しかし、ラスティンにはそれが禍々しく映り、散りゆく命の最後の輝きに思えてならない。
(間に合ってくれ……!)
 胸中で祈りながら、光の降る街をラスティンは走った。



「アイルコット!」
 果たして、アイルコットはそこにいた。様々に花が咲く丘の中央に、色取り取りの花びらが舞い散る中に、彼女は静かに佇んでいた。
「……ラスティン……様……?」
 緩慢な動作で振り向きながら、アイルコットは虚ろな瞳を主へと向ける。
「良かった。無事なんだね」
 肩で激しく息をしながら、ラスティンはアイルコットへと駆け寄った。
「報告します。キュリオンは成功しました」
 表情を変えず、淡々と偽人人形はそう言った。己の事をキュリオンと、そう言った
「な、何を言っているんだい? アイルコット」
 襲いくる不安に必死に抗しながら、ラスティンは震える声を出す。
「《システム・エンジェル》は無事に起動しました。現存する精霊石及び晶霊石のエネルギーを『光の雪』に変換。上空より全地表に降らせることにより全ての大地に還元されました。大地は生命力を取り戻します」
 動揺するラスティンに構わず、一連の出来事を機械そのもの口調で偽人人形は告げた。
「そんなことはどうでもいい!」
 ラスティンは叫び、彼女の肩に手を置いてその顔を覗き込む。
「君はどうなのさ……? 身体におかしなところはないのかい……?」
「キュリオンに損傷個所はありません」
 哀願するような口調のラスティンに対し、偽人人形の声音は変わらない。ほっとするラスティンに、彼女は事務的に二の句を継いだ。――冷酷なくらいに淡々と。
「活動に必要なエネルギーを使い果たしました。間もなく全ての機能は停止します」
「そんな……」
 愕然とその場に崩れ落ち、嗚咽をもらすラスティン。偽人人形はガラスのような瞳で彼を見下ろしていたが――不意にそこにノイズが走った。
「ラスティン様……」
 呼ばれ、泣き濡れた顔を上げるラスティン。目の前にあったのは懐かしいアイルコットの顔だった。
「アイル……コット……」
「ラスティン様。アイルコットにお休みを下さい。今よりも一層働くために。もっとラスティン様のお役に立つために。アイルコットにわずかばかりの休養期間をお与え下さいますように……」
 ラスティンは人間で、アイルコットは偽人人形だ。いつの日か別れがくることは分かっていたし、そんなことは百も承知していた。それは単純に早く来るのか遅く来るのかの違いでしかない。
 ただ、ラスティンはそれを認めたく無かった。いつまでも一緒にいたいと思っていた。その気持ちはアイルコットも同じだったことを彼はもう知っている。だからこそアイルコットに応えなくてはいけない。アイルコットも応えようとしているのだから。
 深く頭を下げるアイルコットにラスティンは泣きながら、それでも一生懸命に言葉を作る。
「分かったよ、アイルコット。しっかり休んでくるといいさ。でも、その前に一言だけ言わせてもらうよ」
 ラスティンは涙でぐしゃにぐしゃになった、けれど精一杯の笑顔を浮かべる。
「ありがとう、アイルコット。そして――おやすみ」
「おやすみなさいませ、ラスティン様」
 それを最後に、アイルコットは微笑んだまま目を閉じていき――その機能を停止した。
 ゆっくりと倒れるアイルコットをラスティンは抱きしめた。その瞳に涙はもうない。アイルコットは眠っているだけなのだ。休んでいる者に涙は必要無い。
 ラスティンはアイルコットを抱き上げると、花咲く丘を後にした。
 もう、光の雪は止んでいた。

 ◆
 
  『神の光る雪』と呼ばれる原因不明の現象により、大地は完全にその活力を取り戻していた。それと引き換えに精霊石や晶霊石がこの世から消失し、それに頼っ ていた人々の生活は若干の不便を強いられたが、全体から見ればそれは一部の者であり、ほんの些細な問題にしかならなかった。
 また、戦争の主力と なっていた偽人人形は言うに及ばず、晶霊石を原動力としていた兵器の全てが役に立たなくなったため、休戦状態だった全ての国が終戦宣言を発し、それと同時 に和平条約を結んだことによりあっさりとあっけないくらいに戦争が終結したのだが……その陰に、一人の技術者の尽力があったことは誰も知らない。
 
 ◆

 戦争終結から三年が過ぎた。
 人々の顔に生気が戻り、王都はもちろん、世界中の街に活気が溢れていた。
 これからの平穏を象徴するように、あるいは祝福するように空が真っ青に晴れ渡ったそんなある日。
 王都の郊外にある『花の咲く丘』と人々が呼ぶ丘に喫茶店が開業した。
 いつも困ったような笑顔を浮かべるどこか頼りないマスターと。
 端整な顔立ちなのだが、なぜかいつも無表情なウェイトレスと。
 そんな二人だけで切り盛りしている小さな喫茶店だ。
 飲み物はマスターが担当し、ケーキや軽食はウェイトレスの手作りなのにもかかわらず、その種類が豊富なのが評判だった。
  その数あるメニューの中、一番人気がマスターオリジナルブレンドのハーブティーだ。これはマスターが一番最初に作ったもので、淡い黄金色の液体からはすっ とする香りが立ち上り、独特の癖のある不思議な味は心に染み込むようで、とてもゆったりとした気持ちにさせてくれるのだ。これを呑むために、わざわざ遠方 からやってくる客も多いのだという。
 店の看板であり、マスターの自慢でもあるハーブティー。彼はこのハーブティーに、今まで共に過ごしてきたウェイトレスの名前を取ってこう名付けた。

 “アイルコットの詩(うた)”と。
●作者コメント
 荒削りな作品ですが、思うところがあって投稿させて頂きました。ご意見ご感想を頂ければ幸いです。
 ぞれから図々しいお願いではありますが、よろしければこの作品に宗教観は必要なのかどうか、
 ご助言頂ければ幸いです。


この作品が気に入っていただけましたら『高得点作品掲載所・人気投票』にて、投票と一言感想をお願いします。
こちらのメールフォームから、作品の批評も募集しております。

●感想
ツヴァイさんの意見
 こんにちは、ツヴァイでございます。感想などをば……。
 まず、恒例の文章修正から。

>今より前のことが何も無いのだ。

 ちょっと文章的におかしいかな? とか思います。
 『以前の記憶が何も無いのだ』とか、そういう感じでひとつ、なんとかなりませんか?

>(『恐怖』)

 括弧の使い方として、ちょっと不自然かなと。いや、これは完全に個人的見解ですが。

>アイルコットの仕事は主であるラスティン様の健康管理こそ一大事と考えます。

 『健康管理こそ一大事と考えます』というのは、ちょっとおかしい感じです。
 『アイルコットの仕事は主であるラスティン様の健康管理であり、それこそ重要であると考えます』
 一大事、という言葉の意味を考えると、このくらいにまとめておいたほうが無難かと。

 作品内容ですが、まったくメイドロボというありふれた題材を、うまく調理しているかな、という印象です。
 ともすればありがちで片付けられてしまう素材を、ここまで調理できたのは素晴らしいかと。
 物語の展開的にも、無理なく違和感なく、きっちりと纏め上げられていて、そういう意味でも好感が持てます。
 無機質であるべき機械が人間の心を理解し、そしてそれを花開かせる。
 これもありがちなテーマですが、この作品においてはうまく表現できていたので、問題とはならないでしょう。
 問題があるとすれば、描写において削れるかもしれない部分(アイルコットとの道中の細々としたやり取り)が存在する事ですが、そこを削ると少し味気なくなってしまうかもしれませんので、これはこれでいいかな、とか思います。
 まず問題とすべき点が見当たらない。そんな完成された作品であると感じました。
 ありふれた題材をうまく料理する事の意味、そこにも考えさせられました。
 では、これからもがんばってください。それでは。


Ririn★さんの意見
 こんにちは。Ririn★です。

 作者コメントにあった宗教観が必要かどうかについて私の考えを述べます。
 通常、ロボットとか人工知能というのは外国では終末思想と重なることが多くなります。
 ロボットが人間を超えて能力を発揮し、人間に抵抗したり、
 人間を支配したりするようになるという考えです。
 そして、宗教と言えば多くの宗教は外国に根源があり、必然的にロボットと人間が心を通じ合わせるという行為に否定的な考えになります。
 この作品はロボットを人間と認めているような節があるので、宗教観というよりは「モノにも魂がある」という日本人独自の考え方に基づいていると理解しました。
 なので、この作品で宗教うんぬんは雰囲気を壊すこともあるでしょうから、いらないと思います。

  作品の感想ですが、非常に筋立てがしっかりしたストーリーで面白く読めました。
 言葉遣いの割には人間的なロボットがいい味出していると思います。
 最後は世 界を救うか、自分を犠牲にするかで選択を迫られるときにもう少し悩んでもいいのかな?
 とは思いましたが、非常によい結末でそれまでの過程をほどよく纏めて いてよかったと思います。

 日原さんは良い作品を多く書く方だと思いますので、次回作も楽しみにしております。
 短い感想ですみませんが、この辺で。


永遠さんの意見
 こんにちは。
 タイトルに興味を惹かれてやって参りました。
 少々感じたところを述べたいと思います。

 まず、作者様が懸案なさっている「宗教観」についてですが私は入れない方がよいと感じました。
 確かに、新たな要素を織り交ぜることで作品自体に深みが増し、より意味深なものになっていくと思われますが、そうすると今以上に話事態が深刻なものになると考えます。
 また、「宗教観」を入れていない現状のままでも十分読めますので、むしろ入れない方がよろしいかと。

 それで内容についてなのですが、御作には大きく分けて二つのメッセージが込められていると感じました。
 一つは冒頭で述べられているような、人間が神の領域を犯したことゆえに引き起こされた結果としての戦争。
 これは、いわゆる禁忌を犯した人間に対して神から与えられえた天罰の一つではないかと考えております。

 もう一つは、人形が人間のように心を持つということ。

 作品としては特に言うこともないです。
 ただ、説明の長さを嫌ったものかどうかは分かりませんが、最低限の情報を伝わるように書いたということは言えるかと。
 精霊石について。晶霊石が生み出されるまで。また、それらについて意外な相互関係があったりすると面白くなりそうな気がします。
 途中でラスティンの見る夢について、そこで出てきた人物。アイルコットの主人について……

 天才(ラスティン)ゆえに知人にもラナターク・サルナ(アイルコットの生みの親の弟子)が出てくるなど、整合性の面については申し分がないと思われます。が、個人的にはもっと話の深いところまで見てみたかったかなと。

 御作にはまだまだ知りたいところがあったように思います。
 しかしながら、最低限の情報でもうまく纏められているということに注目します。
 良作、ご馳走様でした。


ディンゴさんの意見
 こんにちは。ディンゴです。

 しっとりとした雰囲気が非常に良かったと思います。しんみり、という表現の方が良かったかとも思ったのですが、ラストを読むとそんな事も無かったですね。

 ただ、アイルコットの力で晶霊石の力が失われ、それがもとで兵器が動かず、終戦→和平条約、という流れが、若干都合良すぎやしないか? とも思ったのですが、御作においてそこを突っ込み追及するのは野暮と言う物でしょう。スルーしてください。

 また、ちょっと『アイルコットは偽人人形』という説明のくどさが目につきました。

 それ以外で、突っ込むところは特になかったかなと。必要最低限の情報量をうまく料理し、綺麗にまとめられていたかなと感じます。

 宗教観についてはRirin★さんや永遠さんと同様の考えなので、割愛させていただきますね。

 最後に。
 面白い作品を読ませていただいて、ありがとうございます。
 ではでは。


渡り鳥(二羽目)さんの意見
 失礼します。感想を申し上げますです。

 テーマに関して最後まで一貫した物語の内容だったことにプロっぽさを感じました。
 ご自分の独特な意見を独自の表現されてみてはいかがでしょう。
 ちょっと結論は有り触れすぎていて、前時代的なのが残念です。
 なにしろ現代には希望のかけらも余っちゃいませんので、終末的な世代の意見としてはちょっと世界を甘く見てる感がありました。

 宗教観が必要か、とのこと。
 ご自分の宗教観であれば物語に必要なのでしょう。
 ただ、既存の概念を盛り込むだけでは余計なものとなってしまうとは思います。
 それと宗教というのは神の力を信じると言うこと。
 この作品のどの部分に盛り込みたかったのかは想像も出来ませんが、ご都合主義とならず、さらに神をナメずに、物語を書き上げるのは少し繊細さが必要かもしれませんね。

 偉そうに申し訳ありません。
 端的に言えばとっても面白かったの一つなのですが、真剣さが物語から伺えたものですから、ちょっと、その、マジになってしまいました。当然のことながら、一意見として話半分にお受け取り下さいませ。では。。


藤原ライラさんの意見
 初めましてこんにちは。藤原ライラと申します。
 読了いたしましたので、ちょっとばかし感想なるものを書かせて頂こうと思います。

 短い長さでとてもよく纏まった作品だと思いました。
 人との関わりで人形に心が宿る、その様が上手く描かれていたと思います。
 宗教観についてですが、私はいらないと思います。
 変に神様などを持ち出してくると世界観が壊れると思いますし、無くても成立するものに思想を入れてしまうと面倒になると思います。
 す ごく良い作品だとは思うのですが、全体的に描写がもう少しあってもいいように私は思いました。
 アイルコット視点の描写は偽人人形らしく淡々として雰囲気を 醸し出していると思うのですが、ラスティンの視点になると少し物足りない気がします。二人のちょっとラブコメ?チックな道中ももう少し長くても良かったか なぁと。もっと読んでいたいから思うことかもしれませんが。


nakaさんの意見
 読後感は非常に良かったです。全体的な物語も作者の意図したこと、『これをこう読者に伝えたい、魅せたい、感じさせたい!』というものがヒシヒシと感じられました。そういう面に関しては成功しているのではないでしょうか。
 しかし、このように物語を大きく捉えれば良い出来といえるかもしれませんが、細部まで見ていると所々に違和感を覚える場面や、もったいないと思える場面が多 くありました。風呂敷を広げすぎた感がある……とでも言いましょうか。もうちょっと、不要な情報を削ぎ落として、物語をシャープにしてもよかったのではな いかと思います。投げっぱなしジャーマンな情報もちらほら見受けられました。
 では、気になったところをいくつか掘り出してみますね。


 ま ず、この物語において最大の疑問点は、アイルコットが戦場で倒れていた理由です。
 後に開示される情報ではありますが、アイルコットは他の偽人人形に比べ 『超』が付くほどのハイスペックです。にもかかわらず、戦場で一般の人形に埋もれていたというのはちょっと疑問というか、違和感を覚えます。
 まさか、野良人形というわけでもなし……国家に属していたのならば、それこそ最終兵器として使用されたわけでしょうし、あんな風に放置したりはしないでしょう。この部分が明確に説明されていないが故に、最後の最後までスッキリしない部分が残りました。

 さらに、アイルコットに出会った瞬間の主人公の態度も、あんまりにも淡白すぎるかなぁと。アイルコットに主人公は過去を語りますが、そんなにまで己の過去を忌避しているのならば、人形に対してももっと拒絶反応を見せてもおかしくないと思うのですが……。
 主人公が過去に対して完全なる諦観を抱いているなら、また話は別ですが、自分の過去を語っている時の状況から見てちょっとそれはないかなぁと。

 あと、リューネさんですが……これ、一切の説明がなかったような?(汗)夢の内容で何となく予想は付くのですが、主人公の過去というファクターにおいて、かなり重要な部分を占める事柄であるにもかかわらず説明がないのはちょっといただけないかもですね。

 あと、ラスティンとアイルコット以外の人間の存在感が非常に希薄だと感じました。ん〜、60枚という非常に短い中でまとめるからには、固有名詞の人物はもっと少なくするか、または、もっと物語りに絡めるかした方がいいかもしれませんね。

 最後、ラストで『アイルコットの詩』というハーブティーがありましたが、ちょっとこれはもったいないなぁと感じました。
 『詩』という単語が物語の中であまりにも存在感が薄い。恐らく、システム・エンジェルが発動した際の吟ずるような音から派生したものだとは思えるのですが……。
 読者に『アイルコットの詩』と『システム・エンジェル』の駆動音(?)を結び付けるために、もっと花の咲く丘での描写は厚みを持たせても良かったのではないでしょうか。それこそ、エンジェルという単語が付くほどのシステムなわけですから。そうすれば、アイルコットの詩という最後の言葉が際立ち、後読感がUPするのではないでしょうか?

 大きく気になったところはこんなところでしょうか。
 簡単ですが今回はこのぐらいで。
 ではでは〜。


taquichoさんの意見
 日原武仁さん、こんにちは。
 SFは旧知の友。読めて良かったです。
 作品については、皆さんが既に指摘されていますし、殆どその通りだと思います。

>宗教観は必要なのかどうか
  私は、この作品には既に「宗教観」は十分に織り込まれていると感じています。
 間違っていたら申し訳ないのですが、日原さんは、敬虔で一徹なクリスチャンではないように感じます。
 ヴィヴァキリスト教の作家が書いた作品とは匂いが違うように感じています。
 どちらかと言えば、お宮参りをし、クリスマスを祝い、お坊さんに戒名をつけてもらうような、健全(?)な日本人的宗教観の匂いがします。
 小説の中に、迂闊に宗教観を持ち込むことは、危険な行為だと思っていますが、この作品は、万物に霊宿るとは言いません。
 自然に恵まれ四季豊かな環境の中で育まれた歴史と文化に根ざした宗教観が無ければ、成り立たなかったと感じています。
 この上、世界三大宗教的な宗教観は持ち込まれませんように、お願いします。

※アンドロイドについて
 今時「アンドロイドお雪」といっても知っている人はいないと思いますが、
 ストーリーはとっくに忘れていても、良いアンドロイドものに出くわすと思い出して しまうのは、
 私にとってアンドロイドものの原点だからでしょうか。最近のものでは「バーチャルガール」ですね。
 どちらもページ数は大目ですが、できれば読まれることをお勧めします(お雪は絶版かもしれませんが)。
 アイルコットも同じように高機能なアンドロイドですが、
 自己保存(あるいは自己防衛)の部分の掘り下げが弱いように感じます。
 それは「機能停止」が頻繁に出すぎるために感じるように思います。
 しかも、機能停止の条件を考えると、冒頭のリセット直後 に「機能停止」すべきもののように思います。
 特定できない何らかの異常(恐らくテンター・アードナルが付加した機能と従来のシステムとの若干のミスマッチ が原因か)の可能性があるが、「機能停止」を選択する必要は無いとした場合に、この作品の味はどの程度変わるのかと考えてしまいます。

 記憶につ いては作品中に混乱があるように感じます。
 動作中の時間軸によって獲得された記憶(リセットすると消去される)と、製作時の組み込まれるシステムプログラ ムおよびシステムデータベースです。
 最初の起動直後から機能するように作られているはずなので、特定の主人の好みのような記憶は無くても、一般的な状況判 断をするためのデータや料理などの機能を果たすべきデータは、最初から組み込まれリセットされても保存されているはずだからです。

※ロボット三原則とアンドロイドの意思
 昔と違って最近はあまり「ロボット三原則」は適用されなくなってきましたが、本作でも、戦争でアンドロイドが人を殺したようなので、「ロボット三原則」は適用されていないと思います。
 とは言え、第3条の規定は考慮すべきかと思います。
  求められる結果の精度を上げるために学習機能があるというレベルの人工知能ではなく、
 自己防衛の出来る機能を持った人工知能であれば、防衛すべき自己を認識できる
 (防衛すべき範囲を設定できる)ので、自意識(自我)はあると、私は考えます。
 その上で、「意思」の定義にもよりますが、人間と全く同質の「意思」ではないかもしれませんが、
 全ての生物が持つ様々なレベルの「意思」を考えた場合には、
 ある程度以上の知能を持った個体として行動可能なコンピュータ は「意思を持つ」と考えています。
 
 そのような観点から、本作では、アイルコットに対して実際には人間に近い「意思」のある行動を取らせながら、 アンドロイドには意思は無いと論じさせている部分には違和感を感じます。
 意思の有無をアイルコットが判断するためには、「意思」の定義がデータベースに 存在する必要があります。それ以前に、「意思」という言葉を使って会話をするためにも、何らかの「意思」の定義が必要です。そうでなければ最初に「『意 思』とはどういう意味ですか」という質問が発生するはずです。
 自分が「意思」や「感情」を持っているかどうかは、「意思」や「感情」という言葉 を使ってラスティンと問題なく会話をしていることから、アイルコットは容易に判断できるはずです。この部分は、「意思」や「感情」を「偽人人形」としての アイルコットがが持つことは、「是」か「非」かという問題のほうが、しっくり来るような気がします。


 その他文中の表現に関して
>蒸気式の車が通って比較的歩きやすくなっている部分
  精霊石や晶霊石がアンドロイドばかりでなく、多くの兵器にも使われる高純度エネルギー結晶体であれば、車にも使われていて当然な気がします。アンドロイド がこれだけ使い捨てにされる技術レベルで蒸気機関の車は、違和感を感じます。エネルギー源を明示する必要は無いように思います。

>魔導術の権威、テンター・アードナルが晩年に制作した
 晶霊石を発明したラスティンが技術者であり、私たちの実社会の理論とは異なっていても、他の全ては科学技術の産物となっています。ここだけ「魔導術」というのには違和感があります。(レオナルド・ダ・ヴィンチのような)天才科学技術者ではダメなんでしょうか。

>端整な顔立ちなのだが、なぜかいつも無表情なウェイトレス
 作品の雰囲気としては問題は無いのですが。
  エネルギー源は何かとツッコミを入れさせて下さい。《システム・エンジェル》はアイルコットが持つ全てのエネルギーを消費し尽くして機能停止しても、ハー ド・ソフトが損傷するわけではなさそうですから、再起動させるために必要なのは、エネルギー源だけとなるのではないでしょうか。
 システム・エンジェルに よって全ての精霊石や晶霊石はこの世から消失しました。喫茶店の地下に大規模ジェネレータがあり、極太のケーブルでアイルコットと繋がっているのでない限 り、ラスティンが極秘に完成させた従来の晶霊石とは異なる原料で作られる別種の晶霊石と厳重なシールドと推定されるのですが。なぜ無表情なんでしょうね。 表情は閉店後のラスティンとの為だけに取ってあるのかもしれませんが、愛想笑いくらいは欲しいものです。


イボヂーさんの意見
 イボヂーです。遅ればせながら感想返しに参上しました。所詮は素人でしかありませんので、作者さまの糧となる鋭いアドバイスは出来かねますが、御作を楽しませて頂いた読者の一人として、ここに拙い感想を残させてもらおうと思います。よろしくお願いします。


 何はともかくアイルコットさんでした。私は御作を拝読し、彼女にまるっとフォーリンラブしてしまいました。
 そういう訳でして、ここからは私の好きなアイルコットさんをランキング形式で発表していこうと思います。

 最初が肝心。第十位!
>彼女はふむ、と頷いた。
 
 訳が分からない状況にありながら取り乱すことなくとぼけた仕草をしてくれるアイルコットさん。偽人人形さんらしく、浮世絵離れした感じで面白いですね。
 ただ面白いだけでなく、どうも彼女はこの時は産まれたままの恰好のようです。荒れた焼け野原の中、ひっそりとたたずむアイルコットさんの姿は、まさにビーナスの誕生といったところでしょう。私は冒頭から引き込まれました。


 ドキっとしました。第九位!
>「して下さい」
 ずいっと顔を近づけられ、湧き上がるような迫力を見せるアイルコットに、ラスティンは思わず何度も頭を縦に振っていた。
 
 意外な積極性を見せたアイルコットさん。なんと力強く魅惑的な台詞を放ってくれるのでしょう。こんなふうにお願いされましたのなら、ラスティンさんでなくても聞き入れざるを得ません。少なくとも私なら土下座して拝聴します。
 

 可愛すぎるよ。第八位!
>「アイルコットは花を見たく思います」
 どうしてそんなことを言ってしまったのか理解出来ないまま、とめどなく浮かぶ言葉を声にしていく。
「ア イルコットは再起動してから今まで、花を見たことがありません。花とは素晴らしく綺麗なものだとメモリーにはあります。ですがアイルコットはそれを実感出 来ません。人に仕え、奉仕するのが偽人人形です。こんなことでは満足に職務を果たせないとアイルコットは判断します」
 
 悲しみに暮れるラスティンさんの気をまぎらわすため、不器用なおねだりをするアイルコットさん。彼女が横にいらっしゃったのなら、悲しみに暮れている暇なんてありませんね。私があなたに奉仕したいよ。


 おめでとうございます。第七位!
>「……アイルコット……」
 音や響きを確認するように彼女は呟く。
 
 名前ができたよアイルコットさん。やはり名前というものは重要なものだと思います。ただの偽人人形だった彼女が、この瞬間、アイルコットさんになったわけですね。静かに自分の名を呟くアイルコットさんが愛おしいです。



 悲しくなりました。第六位!
>「お粗末さまでございます」
 満足そうに手を合わせるラスティンに、対面に座るアイルコットは無表情のままで小さく頭を下げると食器を片付け始める。
 
 料理も上手いさアイルコットさん。美人で愉快で料理も上手くて……。完璧人形ですか! 私も女性に手料理を披露してもらいたい。そんでもって、「美味しかったよ、ごちそうさま」なんて余裕たっぷりなこと言って、「お粗末さまでした」と笑顔で答えてもらいたい。
 でもどうせ無理ですね。私がお粗末と言ってもらえるのは下半身についてだけなんだぜ、ひゃっはー。



 涙が出ました。第五位!
>犯した罪を苦しそうに告白するラスティンをふわり、と柔らかい何かが包み込んだ。
「……アイル――」
「ラ スティン様にはアイルコットがいます。雨の日も晴れの日も。嵐の時も津波の時も。元気な日にも病気の日にも。嬉しい時も悲しい時も。いつでもアイルコット はラスティン様のお側にいます。世界の全てが敵に回ってもアイルコットはラスティン様のお側にいます。そして世界の全てからラスティン様をお守りします。 ですから……」
 アイルコットは言葉を切り、腕に力を込めた。
「そんなことをおっしゃらないで下さい」
 
 ……優しすぎ るよアイルコットさん。もう優しすぎて聖母さまかと思いました。いくら払えばこれくらい優しくしてもらえるのでしょう? お金ならあるだけ払う覚悟がある のに、お金では買えないものが多すぎるんですよ、この現代社会ってやつは! しっかりしてくれ資本主義! 



 羨ましいです。第四位!
>「失礼します」
 ラスティンの毛布に素早く潜り込むと、胸元に彼の頭が来るような姿勢で背後から肩を抱えた。
「な、な、な……!?」
 母親に抱かれた子供のような格好になったラスティンは混乱し、まともな言葉を紡ぐ事すら出来ない。
「お静かに。今、温めます」
 アイルコットが言った瞬間だ。心地好い温かさがラスティンの身体に染み渡ってきた。

 恐ろしい荒業を見せてくれたアイルコットさん。なんという性能なのでしょうか。なんという愛なのでしょうか。きっと背中には純白の翼が生えていることでしょう。
 もしここでアイルコットさんが「直接素肌で温めた方が効率的と考えます」なんてのたまって、ラスティンさんは背中越しに衣服を脱ぐ音を耳にして、その音が止んだと思ったら毛布の中に温かく柔らかく気持ちのいい何かが入りこんできたら……。ありがとうございます!


 お幸せに。第三位!
>いつも困ったような笑顔を浮かべるどこか頼りないマスターと。
 端整な顔立ちなのだが、なぜかいつも無表情なウェイトレスと。
 そんな二人だけで切り盛りしている小さな喫茶店だ。

 お幸せにアイルコットさん。それ以外に言葉もございません。



 天才ですね。第二位!
>(ラスティン様はアイルコットが服を着ていることがご不満だったのですね)
 裸で付き合う場所に服を着ていけば確かにそれはマナー違反であり、無粋だろう。
(やりました、ラスティン様。アイルコットは自分の力で答えを導き出しました)
 アイルコットはきっちり三秒間、二百通りの言葉で自分自身を称賛した。そして、次からは服を脱いで浴場までラスティンについて行こうと決定してから思考を元に戻す。

 素晴らしい発想力を見せつけてくれたアイルコットさん。もはや脱帽するしかありませんね。本当なら脱全部して裸で付き合う場所に行ってもよろしいのですが、私の後ろにはアイルコットさんがいません故、悲しくなるので脱ぎません。
 裸には裸。アイルコットさんが自画自賛なさっているように、彼女の出した結論はまさしく答えであると考えます。ケチのつけようがない完璧な定理であると考えます。この世界の真理を学びました。
 ではありますが、個人的には完全に裸になってしまうより、ソックスとか、袖とか首回りとか頭につけるなんかヒラヒラした飾りとかは、外さない方がより魅力的なんじゃないかなと思ったり思わなかったりします。偉い人もそれが萌えの鉄則であると言っていました。



 心が洗われました。第一位!
>アイルコットは幸せでした。名前を付けてもらい、本当によくしてもらいました。
 アイルコットは幸せでした。あの花束は本当に綺麗でした。この世界にはもっと素敵なものがあるとラスティン様はおっしゃいました。出来る事ならラスティン様とそれらを全部見たかったです。
 アイルコットは幸せでした。いつまでもラスティン様とご一緒したかったです。色々な所を旅して、遊んで、楽しんで。それこそ夢のような毎日を過ごしたかったです。
 アイルコットは幸せでした。だから、アイルコットは自分のすべきことをしようと思います。勝手なことだと承知しています。これはアイルコットのわがままです。最初で最後のわがままです。どんなお叱りも覚悟しています。
 アイルコットは幸せでした。本当に幸せでした。ラスティン様もそう思っていて下されば幸いです
 
 悲しい決断をしたアイルコットさん。彼女の独白は非常に切なく、それでいて美しいものでした。私には見えます。穏やかに、悲しげに、そして幸せそうに微笑むアイルコットさんが。
  幻覚とかそういう意味ではないですよ。御作にそれだけ感情移入してしまったということです。感情移入してしまったからこそ、ランキング形式なんていう気持 ち悪いノリで突っ走ってしまったのです。そうなのです。こんなに私が気持ち悪いのは、全て作者さまに原因があるのです。作者さまが創り出したアイルコット さんが健気で愛らしすぎたから、私が自分でもびっくりするくらい気持ち悪いノリでやってしまったんですよ。この感想を書くのに二時間くらいかけてしまった んですよ。
 でも私は後悔していません。読者に費やしたかなりの長時間、そして感想を書くのに要した二時間くらいを、作者さまに捧げます。ありがとうございました。


  ところで、作者さまは作品に宗教観が必要なのかどうか悩まれているようですね。難しい問題だと思います。神とはいったい何なのでしょうか? 果たして存在 しているのでしょうか? 女神ならアイルコットさんを始めとして、この世界にたくさん存在していらっしゃるんですけどね。
 どうも無学な私めに は、難しいことはよく分かりません。現状でも面白かったですし、作者さまなりの宗教間を盛り込まれても、それはそれで面白いかと思います。必要なのかと問 われたら返答に窮しますが、盛り込んでみたいと言われたのなら、精一杯の声援を送らせていただく所存にございます。お役に立てない読者で申し訳ありませ ん。


 私の感想は以上です。とてもアイルコットさんでした。ありがとうございました。


ペロきちさんの意見
 こんにちは、読ませていただきました。

 幾つか、運びについて気になった点があります。
 冒頭、アイルコットが起動する箇所ですが、やはりアイルコットが目的、あるいはそれに類する何かを求めて自発的な行動をとることと、意思のない旨を主張することには矛盾があるように思えます。

 ラスティンとの出会いですが、『奉仕する対象がないので自己凍結』とありますが、『奉仕の対象は誰でもいい』ならば目の前にラスティンがいますので、『世界人口が少ないから奉仕しないで冬眠します』はおかしいように思います。
 また、偽人人形について、『奉仕用』と『戦闘用』の区別はないのでしょうか。冒頭、血まみれのメイド服という事を考えると、戦闘用でもメイド服と考えるのが妥当な判断になるのですが、メイド服で戦闘するのが妥当かというと、私としては首をひねりたいです。

 後半、これは評価が客観的というよりも主観寄りになっていると思うのですが、アードナルの行動に違和感があります。科学者が余計なエゴをさしはさむ事で本来 の能力に不和が生じてはならない、よって特殊能力は隠蔽したまま作られる……というのは良いと思うのですが、その発現機会が『埋もれても構わない』程度の ものである事が、合点がいきません。
 自己顕示する気があるのなら、もっと積極的な姿勢で作るべきでしょうし、その気がない、またはどうでもいいの なら、余計なプログラムを積載するとは思えません。『作中の登場人物』という枠で見るならおかしい性格だとは思わないのですが、微妙に腑に落ちないものが 残りました。

 終戦に関しては文章的にもあっけないものがありますが、細かく描写してもブレると思うので、量的にはこれでいいと思います。
 ただ、二文目が長くて読みづらいので、もう一度まとめなおした方がいいかと思います。
 また、ラスティンの尽力は『誰も知らない』よりも『一部の首脳陣しか知らない』類の方がいいと思います。

 終幕、アイルコットが単に復活してしまうのは、やはり不自然なものを感じます。
 その為だけに代替動力を語りだすのも、確かにくどいとは思うのですが、もう一工夫ほしいところです。
 個人的には思い出だけが残るパターンが好きですが。

 タイトルとハーブティーの名前は、それぞれ浮いていると思います。

 旅立ちに返り、ラスティンがアイルコットに同伴する運びについては、ラスティンの苦悩はあった方がいいと思います。
 また、リューネの存在も空気になってしまっていますので、回想はその後の語りの布石として必要だとして、リューネは切ってしまった方がいいかと思います。

 宗教観については、なるほど、物語背景としてはあっておかしくないものだとは思うのですが、本作品は実際なくても成立しているので、無理に加える必要はないと思います。
 この作品をもとに徹底的に肉づけをおこなって長編にしたてる場合には、エッセンスの一つになりうると思います。

 通してここまで指摘ばかり述べさせて頂きましたが、綺麗なエピソードで、総評としては良作だと思います。
しかし語る内容の取捨選択や、経過の出来事に緊迫感を加えるなど、まだまだ伸びしろがある――もっと面白くできるストーリーだと思いました。
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