話が作りやすいからでしょう。
私が見てきたなかだと少年向けには女が男を求めるパターンが多いし、少女向けだと男が女を求めるパターンが多い。
上記質問が少年向けライトノベルを前提としているとすれば女が男を求めるという思想が根底に流れているわけで、暴力的キャラなら思うままに動かしておけばいい。優しいキャラなら主人公のことを考えてしまいどうしてもブレーキがかかりがちだから何かしら工夫しなければならない。
少女漫画についても似たようなこと(優しく献身的な男よりも主人公の女の子に苦労を掛ける男のほうが最後にはくっつく)が言われています。
だから「優しい奴は幸せになれない」というのはエンタメでは当たり前なのかもしれないですね。
こんにちは、雷です。
いくつか理由は考えられます。
(1)現在、暴力ヒロインがわりと流行っていて、人気が集中しているという、時勢と需要、さらには経営戦略の問題。
(2)暴力ヒロインを“ヒロイン”たらしめるためには、それと対照的な優しいヒロインを当て馬にするのが手っ取り早いという、物語の構造、あるいは作者の技量の問題。
(3)優しいヒロインが主人公と結ばれ、暴力ヒロインが当て馬にされている小説の存在を、バカモンさん自身が知らない、あるいは無視している可能性。
ぶっちゃけ、優しいヒロインが当て馬にされる作品と同じ数だけ、あるいはそれ以上に、暴力ヒロインが当て馬にされる作品が存在しているのではないかと僕は思います。
考えられる要因はいくつか上げられますか、暴力系が扱いやすいという理由は抜きにして優しいヒロインを主体に考えると、優しいヒロインの魅力やアイデンティティの1つに一途という物が含まれていることが多いからじゃないかと思います。
そして優しいヒロインという定義がよくわかりませんか活発なヒロインは大体暴力的だったり強引な面があります。
優しいヒロインというのはおとなしめであることが多いです。
おとなしめである=自発的な行動を試みるもめちゃくちゃなことしでかす活発なヒロインが目立つ。
その主人公が気づいてないけど読者だけが知っている彼女の魅力という観点でも描きやすいと思います。
そして前提としてライトノベルを好んで読む学生というのは、大体活発で自分から女性に話しかけられないような人間が読むことが多いと思います。
その点で主人公がヒロインに選択を迫られた時、答えない主人公が多いのもそれが理由だと思います。
当て馬にされやすいのではなく。
優柔不断な主人公は活発なヒロインの押しに負けるという展開がやりやすく。
やさしめのヒロインの魅力の一つに読者しか知らない彼女というものがあるため。
活発なヒロインが勝利すると言う展開が多くなるものと思えます。
(活発なヒロインが一途であっても、やさしめのヒロインのような魅力は描きづらいのも理由の一つかもしれないですね)
どうも、サイラスです。
まあ、いくつか考えれますが、自分としては、優しいヒロインの変化より、暴力ヒロインの変化の方が可愛く支持されやすいからじゃないかなと思います。
これは、作品によりますが、まず、優しいヒロインは、作品が進むにつれて、強さや勇気というのを持っていきます。これは、ヒロインを凛々しく、綺麗に魅せますがどこか老けたような印象を持たれる危険性、わかりにくさが弱点になります。一方、暴力ヒロインは、大人しさと素直さを持っていきます。これは、ヒロインの可愛さや保護欲を引き立たせるが、幼児性や人気の二極化を招きやすい弱点を抱えています。
一長一短ですが、今は、ギャップを好む傾向があることから、暴力ヒロインを本命にした話が有利なのが現状です。
あとこれをレスを打ちながら思ったことなのですが、もしかしたら、優しいヒロインを当て馬にするのって、古い考えや権威を否定したいという感覚が、今の作家の中であるじゃないか?ということです。というのも、優しいヒロインって、昔の創作では、割とスタンダードでした。それは、同時に、自分達をいたぶった年寄りの象徴とも取られている可能性があります。それをどこかで否定したいという感覚の表れなのかもしれません。
以上かな。
P.S
また、暴力ヒロインが支持されるのは、読者が優しいヒロインに癒されたいよりも、暴力ヒロインに闘魂(元気)を注入されたいのかもしれません。
小説の基本である起承転結が影響してると思う。
ラノベに限らず小説は物語を起こして、順に進み、途中で大きな変化を表し、最後はうまくまとまる。こんな感じの定型でつくられています。たいていの作者はまずこれを考えて話を作る。
これによって生まれるのが起伏、つまりテンションの差なんだけど、定型を意識して書くと、意識せずに書いたときと比べてこのテンションの差が大きくなる。1mの穴があったとして、これをさらに掘って2mにしようとしてると考えていい。
そうやって文に落差があるから、読者は展開にはらはらしたり、共感を覚えたり、物語に引き込まれやすくなる。
じゃあこれがキャラクターの「当て馬」と何が同じなのか。
「優しい」というのがどこまでの程度を示しているかはわからないけど、一般的に「優しい」=穏やか、温厚と、その単語の性向自体が起伏がないことを表している。
人間の性格の優しいというのは、配慮が出来る、相手の心情を汲み取れる、揉め事を回避できる、そういう能力を示しているから、物語の主要部に配置すると、波乱の置きにくい話が出来る。(逆に脇役に配置すると、仲裁する役割として、喧嘩とかの揉め事が大事になりすぎないよう制御しやすくなる)。
物語にとってはせっかく起承転結を作って起伏を大きくしたのに、優しいヒロインが中心となることでこれが相殺されてしまう。
2mまでほった穴にまた土を入れるようなもの。
読者に物語を魅せつけると言うことに関してものすごい邪魔な存在なのね、「優しい」ってのは。
逆に、「暴力」「短気」「トラブルメーカー」「不幸」っていうのは、 基本的に問題が置きやすい。
喧嘩を売られれば買ってさらに大きくするし、不幸体質でペンキが上から落ちてきて頭に被るとか、車に水をはねられるとか、とにかく問題が起こる起こる。
「優しい」の方で述べた仲裁を彼らが行おうとすると、逆効果になる。
これが、物語にとっての起伏を生むから、物語の味付け、落差、強調を生み出すのにうってつけな存在なわけ。
物語に読者を入れ込ます簡単な方法は、起承転結で落差をつけること。そのためには、落差を小さくする「優しさ」よりも「暴力性」のほうが便利と言うことなんですね。
だから物語の中心におかれるのは暴力性(=周りを引っ張る力)のあるリーダー(ハルヒとか生徒会とかまあいろいろ)になる。
優しいヒロインが暴力ヒロインに負けるのも、その一環でしかない。
逆に言えば、型にはまりきっていると言う点で、バカモンさんの言うとおり、よく見かけるテンプレート。
安易なキャラ配置で、初心者なら誰でもやる。誰でもやりやすい。イージーモードのキャラクター配置なんですね(いいすぎ)。
考えてみてください。優しいヒロインが主人公で、物語に起伏がなく、淡々と植物や周囲の人間に愛を注ぐ、静かな物語を。
変わり者だからあったら興味深いな、でもほんとうに面白いのか?といったところでしょう。起伏がないただそれだけで、物語はいっそう難しくなるんです。読者をひきつける起伏がないから、頼れるのは文章力、つまり作者の技巧が中心になってくる。
腕がない人間はこれが怖いから、使いたがらない。初心者ならなおさらハードモードから攻めるよりもイージーから攻略しようと考えるはず。
以上です。
結論は起承転結と同じで安易だから。簡単だから。楽だから。
悪いけど商業的に売れるからというのは二次的なメリットでしかないね。
ちょっと頭回らないので言葉遣い崩れてますけど許してください(笑
E.mewさん。
「作劇のしやすさ」に関しては既に沢山の言及がありましたが、ここまで細かく分析して頂いて本当に頭が下がる思いです。
しかし本当に「ヒロインが穏やか=起伏のない物語になる」なんでしょうか?物語の起伏ならヒロインの性格と関係ないところで付ければいいだけの様な気もしますが。
ありがとうございました!
>しかし本当に「ヒロインが穏やか=起伏のない物語になる」なんでしょうか?物語の起伏ならヒロインの性格と関係ないところで付ければいいだけの様な気もしますが。
もともと、物語が持っている起伏と登場人物によって生まれる起伏は別物です。だから「分ければいいのに」というよりも、最初から分かれているものと考えればいいと思います。
バカモンさんの言をお借りしまして、
>勿論作品内でちゃんと順序を踏んでいれば後者が勝つ事も十分あり得るとは思うのですが、こうも判で押した様に同じ展開ばかりだともう「ラノベ主人公はMじゃなきゃいけないとか言う縛りでもあるのか?」
→「ラノベ主人公はMじゃなきゃいけないとか言う縛りでもあるのか?」
ここから解釈が出来るバカモンさんの心情には、「彼女がヒロインである必要はないだろうに……」という考え方が含まれているだろうと考えます。
実際の質問の主旨は「暴力的なヒロインが最後に主人公と結ばれる物語が多い」ということに関しての質問です。
これは、バカモンさんが今まで見てきた暴力的ヒロインが、どれも代わり映えのしない、同じようなものばかりだと考えたからこそ、このような考えに至ったのだと思います。どれも粗悪な乱造品だから一緒くたにまとめて「多い」と表現したと。
仮にこのようなヒロインが描かれていたとしても、作品に感動し、この物語のヒロインに一番ふさわしいのは紛れもなく彼女だ!と考えていたのなら、このように思うことはありません。
話は戻ってつまり、バカモンさんも無意識のうちに、物語がどのように進んでいるのかとヒロインがその役に適しているのかとを、全く関連のないものと考えているように思われるのです。
非難ではございません。私も初めに述べたように、物語とキャラクターがもたらす起伏というのはそれぞれ違うのだと考えています。
物語はいわゆる台本です。本当は誰が台詞を吐いてもいいんです。
小説なんて虚構ですからね、登場人物の名前が変わったからといって物語に支障なんてありません。登場人物の性格が違うからと言って、台本は文字通り読み上げるものですから、本来関係ないんです(適役は勿論いますが)。
ただもちろん性格が異なることで起伏が生まれてきます。
>しかし本当に「ヒロインが穏やか=起伏のない物語になる」なんでしょうか?
初めの回答で言いましたが、優しさというのは揉め事を回避できる能力です。有能性とでも言いましょうか。
現実でも「お前は空気が読めない奴だな」なんて言われたりもしますが、まさにそれ。優しいヒロインは空気を読んでしまう。空気が読めないと相手の逆鱗に触れてしまうこともありますが、逆はありませんよね。そうやって性格が優しいというだけで暴力的なヒロインからみた揉め事やいさかいの数が圧倒的に少なくなるわけです。
だからヒロインが穏やかだと起伏のない物語になります。
よくよく考えたら時勢もあるかもしれませんね。
労働者の所得が低くなると共働きが多くなって専業主婦が少なくなる。
世知辛い話ですが、そういう時代だからこそ、結ばれて専業主婦になるヒロインより、外に働きに出て稼いでくれるヒロインが良いのではないでしょうか。
>……話題はちょっと逸れますが「暴力ヒロインが大人しさと素直さを持っていく」って流れ、そんなにいいもんですかね?むしろ「ピンチの時だけ女の子ぶってんじゃねー!」と感じる事が多いんですけど……(笑)
私は、半々かな?、危機的な状況だけで女の子ぶるってのは、困るけど、やためたらに暴言や暴力で訴える、別にあんたなんか……と照れ隠しされると、女の子というより、ガキで萎えるという感触があります。
それよりかは、暴力暴言が収まって、素直に感情なり、好意を伝えられるようになると可愛いかなと思し、少しは、女になったかなと、成長も感じられると思います。ただ、バカモンさんがいいように、危機的な状況で大人しくなるというのも、困るよなという感触もあります。
また来ました、雷です。
そもそもバカモンさんのおっしゃる「優しいヒロイン」ってなんぞや、という突っ込んだ話もしたいところなんですけど、それは置いておきます。
>>(1)現在、暴力ヒロインがわりと流行っていて、人気が集中しているという、時勢と需要、さらには経営戦略の問題。
>ああ、その辺はなんとなく解ります。僕としてはむしろ「何故流行してるんだろう?」と言う部分に興味があり、更にひっくり返して「その真逆は何故流行らないんだろう?」と言う糸口から探ろうと思い、このスレを立てさせて頂きました。
他の方々もちらほら指摘されていますが、(いわゆる)「優しいヒロイン」が、古今東西の物語のスタンダードだということを承知しておいてください。
彼女たちは、昔ながらの“女らしさ”を体現しているヒロインです。
流行する以前に、はるか遠い昔に定着しているんですね。
しかし、古い物語の中にも、男顔負けの大立ち回りをするヒロインは少なからずいました。
さらに女性の社会進出が進んだ現代の世相を反映してか、(ライトノベルを含む)小説でも、古臭い“女らしさ”に縛られず、囚われず、それから解放され、自由を得て、行動力や決断力など、昔ながらの“男らしさ”を兼ね備えたヒロインが増えました。
バカモンさんのおっしゃる「暴力ヒロイン」は、そんな現代的ヒロイン像の一類型でしかありません。
>>(2)暴力ヒロインを“ヒロイン”たらしめるためには、それと対照的な優しいヒロインを当て馬にするのが手っ取り早いという、物語の構造、あるいは作者の技量の問題。
>やはりそう言う「作劇の都合」と言う部分は大きいみたいですね。
もうすこし踏み込めば、「暴力ヒロインが主人公と結ばれる」という結末が確定しているのなら、その他にどんなに魅力的なヒロインが登場しようとも、彼女たちはすべて当て馬となり、ただひとりの暴力ヒロインが主人公と結ばれるというストーリーは変えられないのです。
この場合、「作者の都合」ではなく「物語の都合」と言い換えた方がいいかもしれません。
>>(3)優しいヒロインが主人公と結ばれ、暴力ヒロインが当て馬にされている小説の存在を、バカモンさん自身が知らない、あるいは無視している可能性。
>>ぶっちゃけ、優しいヒロインが当て馬にされる作品と同じ数だけ、あるいはそれ以上に、暴力ヒロインが当て馬にされる作品が存在しているのではないかと僕は思います。
>他の方へのレスにも書きましたが、今回は敢えて外した形になります。
>流行のアレを考察してみようと言う議題で「例外はいくらでもある」と言い出したらもうキリがなくなるので(汗)
どうも僕とバカモンさんとでは、話の前提が大きくことなるようです。
たとえばバカモンさんは「暴力ヒロインが主流で、優しいヒロインは例外」と考えていらっしゃるようですが、僕は「優しいヒロインが主流で、暴力ヒロインは例外“だった”」と考えています。
「だった」と過去形にしたのは、暴力ヒロインが、いまや「優しいヒロイン」に匹敵する、スタンダードなヒロイン像にまでなったと思っているからです。
その一方、かつては勇気にあふれ膂力に優れているのが理想とされていた主人公像も、現代では、軟弱だったり、非力だったり、寂しがったり、怖がったり、泣いたり……
端的にいえば「女々しい」側面を持つのがあたりまえになっています。
これもまた、社会情勢の変化に遠因を求めることは可能です。
もうひとつ言及しておくと、僕は「優しいヒロイン=非力なヒロイン」とも思いません。
ファンタジーバトルモノを例にとれば、勇者を支える心優しい幼馴染魔法使いなんてのは典型的ですし、傷ついたドラゴンの手当てをしたり、敵である魔族との友和を模索したりするかもしれません。
試練に打ち勝てず落ち込んでいる勇者に、あえて冷たい言葉を投げかけて叱咤するかもしれませんし、冒険の途中で仲間を亡くしても、自分たちの使命のため、誰よりも早く涙をぬぐい立ち上がるかもしれません。
そういう“優しさ”と“強さ”を兼ね備えたヒロイン像も、よく見かけるものだと思うのですけどね。
どうも、桜色さくらと申します。
私はあまり、自分の作品で、優しくておっとりした性格の子をヒロインとして起用しません。これは単に好みの問題なんですが、私は、意志の強い子が好きです。
さて本題。たとえばです。
主人公が自分の家に帰って来て、お風呂に入ろうとしたとします。すると、なぜかヒロインが風呂に入ろうとしていて、脱衣中だった 。うほっ。
で、裸を見られたヒロインが赤面しながら、「なに覗いてるのよ、痴漢、変態!」と言いながら、主人公に洗面用具とか洗濯機(?) とかを投げつける。
などという展開があったとして、アメリカの人がこういうのを見ると、あまりに理不尽すぎて不愉快に思えてしまうそうです。どうやらアメリカでは、暴力的なヒロインというのは受けが悪いそうで。
まぁそもそも日本とアメリカとでは、思い描くヒーロー像がまるで異なっているわけですが。
はい、かなり余談でしたが。
日本におけるヒーローつまり主人公像。私の意見だと、日本では少し頼りない感じの主人公が好まれると思うんです。そこに心優しい ヒロインがいたとして、ではこの二人は釣り合いがとれていると言えるでしょうか? 私の意見だと、物語を展開させていくうえでは、あまり良い循環は生まないように思います。
主人公が情けなく落ち込んでいたとして、優しく声を掛けて癒やしてあげるヒロインだったら、何だか互いを慰め合うだけの関係なよ うな……。その点、暴力的なヒロインだったら口調は厳しいけど、主人公に発破を掛けてくれると思うんです。
逆に、もし主人公が粗野な性格だった場合、ヒロインも同じように元気すぎる性格だったなら、ちょっと釣り合いがとれない気がします。主人公とヒロインが洗濯機を投げつけ合ってても、ただの喧嘩です。少なくともコメディとしては、見ていて全然面白くありません。
つまりは釣り合いです。強気な主人公なら、優しいヒロイン。弱気な主人公なら、厳しいヒロイン。これはきっと、現実でのカップリングでも言えることではないでしょうか?
互いを補い合う関係というのは、良好なものになりやすいと思います。そしてメインの二人が釣り合っていれば、自然と物語全体も整合性がとれていく……かもしれない。
だから、優しいヒロインがダメとかではないんです。そういう人物を出すのなら、対照的な人物を出す必要があるというだけの話。
RPGでも、主人公が物理型の剣士とかだったら、ヒロインは回復魔法を使える魔法少女ですよね?
私は、昨今の暴力ヒロインブームには疑問を感じますね。
皆さん方がいろいろな意見を述べている中に「共働きが増えて外で働き稼ぐ女性が求められているから」とか「自分と友に世間の荒波と戦ってくれるパートナーの女性」が少年の成長を描いているとか意見がありましたが、果たしてこれらのヒロイン像は暴力ヒロインに直結するものでしょうか?
「働く女性=暴力ヒロインで主婦タイプ=優しいヒロイン」という図式は必ずしも現実には即していませんですし(現実には主婦でも暴力的な女はいる)、実際に働いている女性に大して失礼でしょう。
「自分と友に世間の荒波と戦ってくれるパートナーの女性」についてもこれが暴力ヒロインに直結するものかは大いに疑問です。俺妹の桐乃などは暴力ヒロインの代表格でしょうが、彼女が主人公と協力して何かを行った場面などほとんどありませんでしたから。
日本においては「少し頼りない感じの主人公が好まれる」→だからその釣り合いをとるため暴力ヒロインが必要という意見もありました。しかし俺TUEE系と呼ばれるジャンルがじわりと浸透していることをみれば、必ずしも「少し頼りない感じの」主人公を望む読者ばかりでもないと思います。
私が思うに、暴力ヒロインを好んで登場させる作家・編集者たちは「こういうものこそが望まれる」みたいな思い込みに囚われているのではないでしょうか? 皆が売れ筋(と思うもの)をこぞって書いた結果はライトノベルのマンネリ化であり、キャラクターの陳腐化・テンプレ化に過ぎません。
優しいヒロインに癒される平坦な物語や、強い主人公に献身的なヒロインがつき従う物語には需要がないと、どうして断言できるのでしょうか? ですので、作家を志す人間ならば「これが売れ筋だから暴力ヒロインを登場させる」みたいな流行に囚われた発想をするのではなく、自らが書きたいものを書けばよいのだと思います。