ライトノベル作法研究所
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  4. 攻撃というスキンシップ公開日:2012/04/22

攻撃というスキンシップ

 1340万部以上を売り上げた大ヒット作『とある魔術の禁書目録』(2004年4月)のヒロイン、インデックスは、主人公、上条当麻に出会った際、彼の腕を差し出されたヤキソバパンごと囓ります。
 その後も、彼女は何か上条に対して怒る度に、頭を丸かじりにするなどの攻撃を行なっています。
 これが「攻撃というスキンシップ」です。 
 私もインデックスたんに頭を囓られたいです。

 なぜなら、これはインデックスが上条に心を許している証拠であり、彼らの心理的距離が近いことを示しています。

 出会いのシーンで、空腹に目を回したインデックスが上条を噛むというコメディを見せることで、これが彼らの間では異常なことではなく、スキンシップの一種であることを印象づけています。
 兄弟がいる人はわかると思いますが、兄弟はプロレスごっこのようなことをして遊んだり、気安く相手の身体をバンバン叩いたりします。
 また、恋人や結婚相手のような近しい異性に対しては、「もしかして太った?」などと、他の異性には絶対に指摘できないことを口に出したり、「それは違う」などの相手の意見を否定するようなことも行えます。

 これは、このようなことをしても、相手は決して自分を嫌いにならない、という信頼関係があるからです。

 上条は、「一体ナニ星人と通話中ですかこの電波はー?」と、魔術の用語を交えて自己紹介するインデックスに対して、バカにする態度を取っています。
 これも「攻撃というスキンシップ」の一種です。軽度の精神的な攻撃ですね。

 軽い攻撃の応酬というのは、信頼関係の証であり、いちゃついているのと大差ありません。

 例に挙げたシーンで、上条がインデックスをバカにしているのは事実ですが、同時に彼はそのようなことをしてもインデックスが自分を嫌ってくることはない、という信頼を無意識下で寄せているのです。
 あるいは、嫌われることを恐れずに本音をぶつけている、とも言えます。
 このような軽度の身体的、精神的攻撃を繰り返すことによって、二人はどんどん仲良くなっていきます。
 人間関係には、『感情を出したほうが好かれる』(参考、社会学者・加藤諦三の同名書籍)という法則があるのです。

 一言で言うと、本音で会話した方が、お互いの心理的距離が縮まって、仲良くなりやすいということです。

 この法則は、物語の主人公、ヒロインの双方間だけでなく読者にも適用されます。
 本音で行動しているキャラに、人間は好感を覚えやすいのです。「参考・ジャイアンの人気の秘密とは?
 ライトノベルのヒロインは、この心理的法則をフル活用しています。

 『ゼロの使い魔』(2004年6月)のヒロイン、ルイズは使い魔である主人公サイトを躾ると称して、ひどい暴力を振るいます。
 これはサイトが他の女の子と仲良くしたりした場合の嫉妬や照れ隠しであるのですが、常人なら死んでいてもおかしくない常軌を逸したレベルのものです。
 『ゼロの使い魔』は、「攻撃というスキンシップ」を二人の距離を詰めるのみならず、印象的なギャグとしても活用しています。
 ルイズの折檻シーンは凄惨なものではなく、軽いコメディ調、ドツキ漫才風に描かれています。非日常的な暴力は、非日常的であるが故に笑いに転換しやすいのです。

 また、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』(2008年8月)のヒロイン桐乃は、兄である主人公、京介に妹物の美少女ゲームを無理矢理プレイさせます。
 オタク属性の無かった京介は嫌がるのですが、妹の相談に乗ると約束してしまった手前、しぶしぶ美少女ゲームをプレイしなくてならなくなります。
 桐乃は自分の趣味のことを話せて大喜びですが、京介は大ダメージです。
 精神的な攻撃の形を取った「スキンシップ」です。
 桐乃はここで自分の心を開き、京介との心理的距離を縮めています。京介も、妹の秘密を共有することで、彼女との心理的距離を縮めます。

 この作品が巧みなのは、桐乃を最初はオタク属性など無いオシャレな女の子として描いておいて、その後、ハイレベルのオタクであることを示して、読者からの共感も得ている点です。
 読者も一度は経験したことがあるであろう、オタク属性を隠してきて、それを信頼できる人に話せるという喜びも描くことによって、桐乃への感情移入と好感を高めています。
 読者層を意識した見事な構成と言えるでしょう。

 このような、「攻撃というスキンシップ」のポイントは以下の2つです。

・本音で話せる関係。お互いに悪態を吐いたり、身体的攻撃(女性から男性側へ)を行なっても壊れない信頼関係。
・ピンチになったら相手を全力で助けことで証明される「愛情」。

 「読者の心を揺さぶるには?」でも紹介しましたが、快感を得るためには、その逆となる感情を募らせる必要があります。

 普段から仲良しこよしの二人が助け合うより、普段は、お互いに悪態を吐いているような二人が助け合う方が「愛情」の真実味が増して、感動を呼ぶのです。

 しかも、「攻撃というスキンシップ」は、相手を無条件で好いてはいない、というポーズになります。
 このため、ムカツク奴なのに、なんだか知らないけれど惹かれていった。というラブコメ展開に説得力が出るのです。昔から、喧嘩するほど仲が良い、という諺があるので、これにはリアリティがあります。

 このようなラブコメ物が2000年代初頭より増えてきたのは、現代社会における人間関係の希薄化が背景にあると考えられます。

 例えば、『“文学少女”シリーズ』(2006年4月)のヒロイン天野遠子は、第一巻の冒頭で、自分の好きな文学作品のことをベラベラ感情にまかせるままにしゃべっています。
 これを聞かされていた主人公は、彼女の珍妙さを揶揄するようなことを言いますが、遠子は気分を害したりせず、笑って流してくれます。

 正直、このような関係はラノベ以外では滅多にお目にかかれません。
 自分の趣味のことを異性にベラベラしゃべったりするのは、かなりリスキーな行動です。キモイと思われたり、どん引きされかねません。
 これにツッコミを入れられても動じないでいられるというのは、強固な信頼関係を必要とします。
 「あーっ、俺の部活に遠子先輩のような文学少女がいたら!」と頭を抱えて悶絶した人は多いことでしょう(私もその一人です)。
 本音を出して痛い奴だと思われたり、嫌われたりしたら、学校や組織で生きていけないから、みんななかなか本音を出せないのです。
 しかし、本音を出さないと、他人と本当の意味での関係を築けない、というジレンマがあります。

 ライトノベルは、このジレンマを解消した理想的な人間関係の夢を見させてくれるのです。

Rainさんの意見2012/04/22

 こんにちは、Rainです。ラ研ではほぼすべてのコンテンツにお世話になっております。

 さて、本題です。本日の更新「攻撃というスキンシップ」ですが、どうにも良い印象を持っていない人もいるようです。

 というのも、例として「とある魔術の禁書目録」より御坂美琴を挙げますと、主人公である上条当麻に即死レベルの攻撃を加えている描写が多々あります。これに対して「やり過ぎ」という意見がありました。
 また、「ツンデレ」の代表的な存在である「ゼロの使い魔」のルイズ(略)ですが、彼女の行動にも否定的な意見が存在します。なお、恐らくこのルイズ(略)により完成した「ツンデレ→暴力で照れ隠し」というテンプレ的キャラ付けにも「事あるごとに暴力とか、キチ○イとしか思えない」という意見も見受けられました。

 果たして描写不足か、攻撃過多か、読解力不足か……原因は明確ではありませんが、「ヒロインからの一方的な攻撃」に対して良くない印象を持つ人もいるようです。使い方を誤れば、簡単にキチ○イの出来上がりです。
 もっとも、そこらのまとめサイトを回って得た情報ですので、あまり当てにならないかもしれませんが。

 とりあえず、用法についての注意書きでも添えていただければ、と連絡いたしました。

うっぴー(管理人)の返信2012/04/24

 こんにちは。
 『とある魔術の禁書目録』も『ゼロの使い魔』も売れているんですよね。
 前者は、累計発行部数1340万部、後者は450万部だそうです。(2012年04月現在のデータ)

 これらの作品に共通している部分というのは、ヒット作を生み出す手法と考えて良いかと思います。

 御坂美琴は、上条当麻に即死級の電撃攻撃を加えていますが、これは上条がその攻撃を完全無効化できるのを知っているからです。普段出せない全力を思い切り出させてくれる、自分を解放してくれる相手として上条を選んで、じゃれて遊んでいる訳です。
 つまり、一般人の目から見たらやり過ぎの行為でも、彼女にとっては、自分より強い人間に挑戦している、軽く頭をドツいているくらいに思っているのだと言えます。これによる周囲への被害が甚大なので、性格破綻者なのは、間違いないと思いますけどね。
 しかし、これも裏を返せば、周囲が見えないほど上条に夢中だということ。読者としては、こんなに夢中になるほど、女の子に追いかけて貰いたい、という願望を持っているので、ウケたのではないでしょうか?
 上条は、この子のことを「迷惑な奴だ」とうざったく感じていますが、美少女から追いかけられて、これをうざったいと感じられる、というのは、かなりおいしいシチュエーション です。

 私もルイズに関しては、やり過ぎだと思います。
 でも、彼女の行為はサイトが好きなことの裏返しで、ここまで怒るほどに愛されている、サイトに感情を乱されている、ということなのですよね。
 だから、受けているのだと思います。
 また、やり過ぎだから、『ゼロの使い魔』と聞くとルイズがサイトをボコっているところを連想してしまうほどに、印象に残っています。

 もし気を付ける点があるとしたら、主人公からもそれなりのお返しをする、ということでしょうか。
 上条もサイトも、ヒロインに対しては、言いたいことを遠慮せずに言っています。
 『ゼロの使い魔』を初めて読んだとき、立場上ルイズの下僕になってしまったサイトのあまりに堂々とした態度に、感銘を受けてしまったほどです。
 ただし、同じように暴力を返したりはしていません。
 女の子を傷つけたりする行為は、ヒーローとして失格だからです。

 また、ライトノベルのキャラクターは、とにかく個性的、極端な性格にするのがコツというのが、私の知り合いのライトノベル作家の言葉です。

 個性の薄いキャラだと印象に残らないため、読者に覚えてもらえないのだそうです。
 とすると、「やり過ぎ」「性格破綻者」とネットで罵られるのは、むしろ作者にとっては狙い通り、うまく読者の印象に残っている、と言えるのではないでしょうか?

 本当につまらないキャラ、どうでも良い登場人物なら、物議を醸すことなく埋もれて終わりです。

 累計発行部数1000万部以上の売り上げを記録した『フルメタル・パニック』(1998年)の作者、賀東招二さんは、『ライトノベル完全読本』(2004年)の「私はこうしてデビューしました」のインタビューで次のように答えています。 

 商業的には成功しているものの、くだらない作品、ばかばかしい作品、稚拙な作品がたくさんあります。それを無理に褒めろとは言いませんが、無視はしないでください。なぜ売れているのか、それだけを考えてください。
引用・『ライトノベル完全読本』、賀東招二のインタビュー

 ネット上の作品批評というのは、メタ的な視点で、「ラノベのヒロインって、どうしてこうキチ●イが多いの? コイツら、ただの危ない女じゃん」と、揶揄して楽しむものが多いです。
 ラノベ作家や作家志望としては、これに同調したり、真に受けたりせず、賀東招二さんの言うように、「どこが受けているのか?」「どうして売れているのか?」と考える視点を持つことが大切ではないでしょうか?

朴念仁さんの意見2012/11/03

  ルイズの攻撃が過多だという意見が出ておられるようですが、中世ヨーロッパの貴族と平民の身分の差を考慮してから振り返ると、ルイズの攻撃はまだ愛があると思います。
 極端な例をあげると、

 貴族の屋敷に使える使用人と平民が殴り合いの喧嘩をしたとします。(または一方的に使用人を平民が殴った)
 すると平民は引っ捕えられて、殴った手を斬り落とされたそうです。
 他にも、一人の平民が貴族の気に障った言動をしたせいで、その村の住人300人ほどが皆殺しにされた、とか。
 貴族付きの侍女が冬の湖の傍で全裸にされ、湖の氷を割り、侍女に水をかけていったとか。結果、またたく間に水は凍りつき、生きた彫像と化してしまったものを笑いながら置き去りにした、とか。

 そういう歴史的背景を踏まえたうえでルイズの言動を見ると、まだマシに感じるのですが、いかがでしょうか?

 もちろん自分の意見が歴史のすべてではないので、当然色々な意見がありますでしょうが、個人的には肉体損壊や命にかかわるようなお仕置きに至らないだけ、愛があるように思えてなりません。
 ルイズびいきな意見ですが、参考までに聞き流していただければ幸いです。

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