ライトノベル作法研究所
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  4. 想いが届かない切なさ公開日:2012/06/13

想いが届かない切なさ。それでも愛する人のために

 女友達から少女向けレーベルの『幻獣降臨譚』(2006/06)がおもしろいとオススメされたので読んでみました。
 すると第一巻の冒頭で、男性二人が、転びそうになったヒロインをどちらが助け起こすかで、喧嘩していました。この二人は、一人がヒロインの憧れの青年で、もう一人が幼馴染みの少年であり、二人とも彼女の婿候補です。
 ヒロインは、喧嘩はやめて、こんなのうれしくない、とか思って困っていますが……

「いや絶対、喜んでいるだろお前!」

 と、思わずツッコミを入れたくなりました。
 少女向けレーベルや、少女漫画ではこのようにイケメン二人がヒロインを巡って争う、という展開が手を変え品を変えて出て来ます。
 このような展開に女性は萌えるのか、疑問に思って女性に尋ねてみたところ、目を輝かせて「萌える!」と答えてくれました。おそらくこれは、自分を巡って喧嘩するほど愛されている、イコール自分には価値があるという承認を与えてくれからでしょう。

 少女漫画では、恋の争いに負けた男が「お前には振られたけれど、お前のことが好きなのは変らない」といって、ヒロインがピンチになると助けてくれたりします。
 『ふしぎ遊戯』(1992年)という漫画では、ヒロインに振られた紅南国の皇帝が、それでも熱烈アタックし続け、彼女を守るために戦ってくれます。
 皇帝にここまで愛されて、しかもその求愛を断ることができるなんて、快感ですね。

 特に「彼の想いは叶わないという切なさ」「それでも愛する彼女のために」がポイントです。

 こんな男は絶対にいないよ、と男性から見るとツッコミを入れたくなりますが、男性に本能的に愛されたいと願う女性にとっては快感なのです。純粋な愛とは、例え見返りが得られなくても、愛する人を幸せを願って行なう行為ということなのでしょう。
 こういった少女向け作品の技法は、少年向けレーベルにも輸入されています。

 少年向けレーベルの『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』(2009/5)は、アニメ化され135万部以上のヒット(2012年6月現在)を記録した作品です。
 この作品は、全校生徒で男子が主人公一人だけで、後は全員女の子という男子中学生の妄想をそのまま具現化したような作品です。ふつうの作者なら恥ずかしがってできないような妄想ド直球の内容にしたのが、ヒットの要因だと考えられます。

 メインキャラクターの美少女たちは、出会ってちょっとしたイベントの後、すぐに主人公に対して好感度マックスになるか、好感度マックスの状態で現れて、彼を巡って喧嘩します。
 特筆すべきは、幼馴染みが二人いるという、ハーレム物なら致命的である属性被りを起こしていたことです。
 しかし、彼女らは「幼馴染みは私だろうが!」「私は昔、彼とこういった約束をした!」と、主人公と積み上げてきた歴史や、彼との仲の良さをアピールし合って争うのです。
 美少女ゲーム的なハーレム物のお約束を外し、争いの種にしている点がうまい、と感じました。
 読者は少女漫画と同じように、美少女たちが自分を巡って争ってくれるという展開に頬が緩みっぱなしになってしまうのです。

 『ゼロの使い魔』(2004)では、ヒロイン同士は露骨に主人公サイトを巡って喧嘩はしないものの、サイトが選ぶのはルイズであるため、全員がその想いをあきらめなくてはならなくなります。
 しかし、主人公が好きなことは変らないため、愛する主人公の幸せを願って力を貸し続けてくれます。

 ここで生じる切なさが、先に例に挙げた少女漫画とまったく同種のものなのです。

 タバサは、サイトのことが好きで彼のことを助けてくれるけれど、それを口に出さずに胸の奥に隠していている、この「タバサの想いは決して叶わない」「それでも愛する彼のために」という点がイイ!のです。

 これは単なる、妹、メイド、猫耳とった記号の組み合わせで起る条件反射的な「萌え」ではなく、少女漫画的な「切なさ」です。これをやることによって、タバサは単なるペラペラの二次元キャラではなく、涙を流す生きた人間として読者は感じられるようになります。

 実は、群れを作って行動する社会的動物である人間が共感し、魅力を感じるのは、魂を持った同種の人間だけです。

 男性は視覚を通して性欲を感じるように本能にプログラムされているので、二次元美少女イラストを見ただけで「萌える」ことが可能ですが、これは性欲だけに頼った、低次の快感であると言えます。
 本当の快感は、その二次元美少女イラストのキャラクターが、どういったストーリーの中で生きているかを知って、そのストーリーに思いを馳せ、彼女のことを魂を持った生きた人間であるかのように感じた(錯覚)時に生まれます。

 例えば、『魔法少女まどか☆マギカ』(2011年1月放送の大ヒット深夜アニメ)の杏子のイラストを見て、「杏子は、さやかと幸せにならなくちゃいけないんだ!」と感じた時、彼女は二次元キャラではなく、魂を持った共感可能な人間として知覚され、それ故に、魅力が倍増するということです。
 実は、少女漫画における「想いが叶わない切なさ」「それでも愛するあの人のために」、という演出をおもしろいと感じるのは女性特有のものではなく、男性にも応用可能なのです。

 杏子は、自己中心的に生きてきた少女でしたが、友達になりかけた、さやかを救うために命を犠牲にします。その際に生じる「杏子の想いは決して届かない」「それでも、さやかのために」、という「切なさ」にオタクたちは萌え狂ってしまったのです(私もしばらく杏子とさやかのことが頭を離れませんでした)。

 『魔法少女まどか☆マギカ』は、残酷展開で話題になりましたが、その根底にあるのは、「少女の想いが愛する人に届かない」「それでも愛するあの人のために」という、少女漫画的な切なさにあると言えます。
 さやかが好きな男の子のために身を犠牲にしたのにも関わらず、彼が選んだのは別の女の子だった! という痛いくらいに切ない展開は必見です。ここはまさに少女漫画的。

 1967年に刊行された筒井康隆の恋愛SF小説『時をかける少女』は、絶大な人気を誇り、実写映画化、アニメ映画化、テレビドラマ化、漫画化され、40年以上経っても支持されているという希有な作品です。
 2009年に角川つばさ文庫(児童書レーベル)から再版されています。

 通常のライトノベルの新刊が二ヶ月そこそこで本屋の棚から消えていく現状(2012年現在)、ここまで長く愛されるこの作品の魅力は何なのかと考えたところ、やはり根底にあるのは「想いが届かない切なさ」「それでも愛するあの人のために」という少女漫画的な王道にあるのではないかと考えます。

 この作品では、ヒロインの恋の対象である少年が未来から訪れた異邦人であったため、彼は自らの研究を完成させるために未来に帰ってしまいます。彼は、ヒロインに愛の告白をするのですが、過去に干渉したことを無かったことにするために、ヒロインの記憶を消します。ヒロインは「あなたのことを忘れたくない」と叫びます。ここに二人の「想いが届かない切なさ」が生まれます。そして、いつかまた巡り会うことを約束して別れます。
 彼は、ヒロインや彼が愛した人々を守るため、彼女らを襲う火事や交通事故といった不幸の種もすべて消していってくれます。これが見返りを求めない無償の行為、「君が僕のことを忘れても、僕は君を守り続ける」という「それでも愛する彼女のために」です。
 この二つの合わせ技により、彼の愛は純粋で真実味のあるものとなり、読者の心を打ったのです。

 筒井康隆は男性作家ですが、おそらく少女小説をかなり研究して書いたのでしょう。
 少女が求めるロマンスがギュッと詰め込まれています。
 これは男性が読んでもおもしろいです。だからこそ、歴史的超ロングセラーになったのだと考えます。

 恋愛なら少女漫画、萌えなら美少女ゲームに優るものはありません。
 女性たちは、神話の時代から、『ピュラモスとティスベ』といった『ロミオとジュリエット』のモチーフになるような切ない恋愛物語を紡いできました。
 美少女ゲームは1994年にコナミの『ときめきメモリアル』がヒットした後に隆盛した歴史の浅いジャンルであるものの、オタクを萌えさせる事に関しては妥協しない、修羅の如き世界です。

 この二つから学べる点は大きいです。『ゼロの使い魔』『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』は、この両方の良いところを受け継いでいると言えます。

 女の子にモテモテというハーレム展開に、主人公をめぐっての恋のバトル、少女漫画的な切なさを取り入れているのです。
(『IS』には主人公をめぐっての恋のバトルはあるものの、「想いが叶わない」という「切なさ」は若干欠けています。いつまでも友達以上、恋人未満の「恋愛における一番楽しい状態」を維持することに腐心しています。少女漫画より、美少女ゲームを意識した作品であると言えます)

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