その意見には、さすがに疑問があります。
>自分が間違えて入ないから、相手を批判していい。
本気でそう思っていらっしゃいますか?
しかし、間違いを一切しない人間は一人もいないというのが私の認識です。したがって、上の主張が正しければすべての批判は許されない行為ということになると考えますが、それでいいのでしょうか?
>医者だって人をウッカリみす☆で殺してしまう事はある
ありますよ、もちろん。
それを認めないとしたら、あなたには現実が見えていないだけです。医療事故は時間をかけて慎重に課程を検討してはじめて、医師を断罪すべきなのか許すべきなのか結論を出すことができるのではないでしょうか? 安易に極論化してこのようなところで例に出すことの方が不謹慎な行為だと思います。
>運転手は人を引き殺しても仕方ない
これは「医者だって~」からの文章と異なる部分があります。
お分かりでしょうか?
違いは「~しても仕方がない」が入っていることです。
誰でも間違ってしまうことはあります。しかし、仕方がなくはない。つまり、開き直ってはいけないということです。
* * *
>A→はい
>と答えてしまっている時点で【自分の感想は絶対である】という意味になってしまうんです。
そうはなりません。
ここでは読むせんさんが、ロジックに「仮定」を一つ忍び込ませてしまっています。
それが前述の、
1)自分が間違えていないから、相手を批判していい。
という仮定です。この仮定を真とすることによってのみ、
2)「A→はい」と答えてしまっている時点で【自分の感想は絶対である】という意味になってしまうんです。
という命題も真となります。
2から逆算して1を変換しますと、
3)自分の感想は絶対であると信じている者だけが、他人を批判して良い。
となりますが、本当にそうでしょうか?
私は3の主張自体に疑問を感じます。理由は前半で説明しました。
3の主張は間違ってはいません。正論ではありますから正面切ってそう言われると反論はしにくいんです。
しかし、正論ではあっても現実的ではありません。現実に流されてなあなあで生きていけとは言いませんが、一方で、正論を主張して他者の行為を規制しようとする姿勢は、ロベスピエール的なのではないかと私には思えます。
>そもそも自分側が間違えて入たら?相手の批判こそが正しかったら?
>その不安も覚悟も無いまま、
ここに、読むせんさんの金木犀さんに対する「決めつけ」が生じています。
私には、このようなスレを立てた金木犀さんの意図に金木犀さんなりの「不安と覚悟」は読み取れるように感じました。それは私の主観的な判断ではありますが、少なくとも読むせんさんが金木犀には「不安と覚悟」がないと論証できているとは思えません。(あえて言えば、ただの感情論、反感に見えます)
* * *
そもそも、読むせんさんご自身が金木犀さんを批判していませんか?
そのことと、
3)自分の感想は絶対であると信じている者だけが、他人を批判して良い。
という主張との関係をどうお考えなのかも、お聞きしてみたいです。