>『隙を見せたな! 自分語りしてやる!』というぐらいの気分です。
……(笑
寄らば斬るぞ!、って感じですね。
>あと、小説家志望なので多少話を盛っている可能性があるかも知れません。あるつもりで聞いてください。
そういう前置きを入れるところが、とても小説家的です。
個人的には「性格の偏ったクセの強い人」とASDの違いがいまいち分かりません。人に危害を加えたり犯罪に走らない分には、別にどうだっていいじゃんとも思います。そこまで行かなくても本人や家族の方が社会との齟齬によって生きにくくなるなら対策は考える必要はあるでしょうが、対策を立てて生きやすさを図っていくべき事案なんじゃないかと思っているんですね。齟齬が生じるのは個人の側が一方的に悪いとも限らず、社会の側に問題があることもあるだろうし。
私も自分が偏った人間だとは思っていますが、それを何と言うのかよく分からず、他人に愛情を感じることもあるし、他人の気持ちは分かるときもあれば、まったく分からないときもあり。だいたい、他人の気持ちが常に分かったら、その方がよっぽど異常じゃないですかね? エスパーじゃあるまいし。
いやね。おそらく本当のところ、誰も他人の気持ちなんて分かりゃしませんよ。分かるという人は嘘をついているか、分かると思い込んでいるだけ。
……そう睨んでいるんだけど、違いますかねえ。
これまでのやりとりを拝見した限りでは、大野さんは創作についての分析的思考が、かなり高いレベルでできている人だと思えます。それは、このサイトで関わりのあった全員がそう思っているんじゃないかな。
だったら自作を作るときは技術論だけ考えればいいわけで。技術論からこうした方が良いという判断と、大野さんがこうしたいということの方向が違ったとき、後者が大野さんの性格によるものだとしたら迷わず捨てると決めてみるのはどうでしょうか?
作者の「好き」を作品に盛り込むことは悪いことではないと思いますが、個人的なこだわりが作品の歪みにつながることは、それとは似て非なるものなんじゃないかと思いますね。