困ったな。
途中から大野さんの反論が、かなり「反論のための反論」になってしまっていると思う。私の主張はわりと一貫しているはずなのですが、それについては後述します。
(1)
>ですが、『尺度の基準』を人間に合わせてから『人間と動物』を論じるのであれば、論じ方として人間側に偏り過ぎている。
それは当然です。
だって、このスレはもともと人間の話をしていたんでしょう?
私が「人間尺度に合わせているわけではない」と書いたのは、「人間のに都合の良い尺度に頭がとらわれているわけではない(人間が複雑だから動物より優れているとは思っていない)」と言っているだけです。
・人間に都合のいい考え方をする。
・(人間の話をしているのだから)人間を軸にして、議論を進める。
この二つを混同していないでしょうか?
もしくは、この二つをゴッチャにして反論してきているようにみえます。
(2)
>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』ととられかねないとは思いませんか?
>『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』
これはYES。
>『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』
こちらはNOです。
私は最初から一貫して人間社会の話をしていて、動物を持ち出すときは比較対象として出しているだけです。
だから、『人類の社会を基準にした時の動物の社会の話をしている』のは当然です。あくまで論点は人類社会であって、動物の社会は主題ではないからです。
>『人類の学習や思考を前提に、動物の思考や学習を考えている』
これがなぜNOかと言うと、論旨に即して人間を軸として語ることと、それ以前に私が人間寄りに偏った思考の持ち主であることは違うからです。
>『人類の善悪の話をしているところに、他の動物の社会性に関する話を抱き込んだ』ように見えた訳です。
それのどこがおかしいのですか?
私も一貫して「人類の善悪の話」をしています。繰り返しますが、比較対象として有効だと考えたから他の動物の話を持ち出しただけです。
>大本のところが、人間の善悪論に帰結するわけですから、『人間の社会に比べて動物の社会はどうか』と言う話にならざるを得ない訳ですし、
そうではなく、『動物の社会に比べて人間の社会はどうか』という話をしています。
(3)
まあ、(2)のような議論の混乱は、私の説明がヘタだから生じている面もあるのだろうから、その点については謝罪します。
ただ、流れとしては(1)の齟齬を引きずったままやりとりして、その結果齟齬がまとまらず逆に増幅するような感じになっています。
だから、話をもどしますね。
(4)
人間という動物が、かなり奇妙で不安定な生き物であることは確かだと考えています。
奇妙な点は、
・脳が発達しすぎている。
・本能がこわれているのではないかと見る説がある。
・脳が発達しすぎた結果本能がこわれたのか、本能がこわれているため、それを補うために脳が発達したのかは分からない。
・脳の発達も人間という生物の「自然」であり、「本能」に根ざしているのかもしれないが、他の多くの動物が「本能」の比較的直接的な作用(こう簡単に言ってしまうと語弊があることは承知。しかし、そんなに間違ってはいないと思う)によって自然とやりとりするのに対し、人間はそれとは違う方法を複雑に発達させて自然と対応している。
*こういう部分で、ときどき動物の話を持ち出したわけですが、そちらは論点ではないわけです。まあ、話を分かりやすくするための譬え話に近いものと考えてください。
ただ、人間は特殊で不安定な生物なのではないかという視点で話をしているので、動物の話もある程度せざるを得ないわけで。
・上記のような形で、人間は生物としては特殊な部分を大きく複雑に肥大化させて社会を作っている。
・そのような社会の仕組みやルールは直感だけで体得できるものではないので、人間は20年以上かけてそれを学習しなければならない。
・その学習の体系は別に神が作ったわけではなく、やはり人間という不完全な存在が長い歴史の試行錯誤の果てに何とか作り上げてきたものなので、これ自体がそうとう不完全で欠陥が多い。
・人間はそういうシステムの中で学ばざるを得ないので、一人前になるまでに余分で雑多な情報も大量に受け取ってしまう。
・余分で雑多な情報の受け取り方にも個人差があるので、良くも悪くもそこで人間の個性が形成される。
だから余分で雑多な情報が常に悪いわけではないが、争いやトラブルの原因となることも多い。
・先に「神が作ったシステムではない」と書いたが、いわゆる「神の見えざる手」という仮説がある。事象間の調整がいたるところで起こる結果、全体がしだいに調和に向かうものらしいという仮説です。
・神の見えざる手が働いた結果かどうかは分からないが、現状の社会はトラブルや悲惨なできごとの坩堝である反面、部分的にはそう悪くもないと思える状態を維持してもいるようです。
(5)
で、最初の、「どういう人が嫌いですか?」にもどります。
上記のような人間観でまわりを見ていると、倫理的な理由で誰かを嫌いになることはあまりないんですよ。
むしろ、理由もなく何となく虫が好かない、ということの方が強いです。
言ってしまえばそれだけなのですが、最初の方で「生まれつき悪い人間はいない」と書いたところ理想論としての性善説を述べたと誤解されたフシがあったので、私の基本的な人間観について説明させていただきました。
こんなところで、どうかな?