まず、一つ質問します。
スレ主様ご自身は、宗教に肯定的なのか否定的なのか、どちらのお考えをお持ちなのでしょうか?
それによって「宗教にのめりこんだ主人公」の描き方が真逆になります。
日本人はだいたい宗教オンチなので、宗教というのがどんなものなのかちゃんと理解している人は少ないです。なので、知性・意識が高めの人ほど宗教に冷笑的か、そこまでいかなくても距離を置く人が多い傾向があります。
しかし、宗教そのものは、別に良いものでも悪いものでもないですよ。
ご質問の文面を拝読すると、無意識なのかどうかは分かりませんが、前提として宗教を悪しきものと捉えている感じが見受けられます。
仮にそうであれば、構想されている作品は、悪しきものになぜかはまってしまった主人公をどう描くかが課題ということになります。
しかし、作者の思想や作品の基本的な世界観が宗教に対して肯定的であれば、もっとポジティブな形で主人公の目指しているものを読者に伝えるのが目標になりますよね?
以上のどちらの方向性で書きたいのかは、確認しておいた方がいいかと。
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次に技術論として、一人称で書くか三人称で書くかということもあります。
宗教にかぎらず、同時代の一般的な常識から逸脱した思考傾向を持つキャラクターを一人称で書くのは、難易度がやや高いと思います。一人称というのは、作者はそのキャラになりきって書くものだし、読者にも強めの感情移入を求めるからです。
面白い例として、『帰ってきたヒトラー』という作品がありました。映画にもなりましたが、原作小説は現代にタイムスリップして甦ったヒトラーの一人称で書かれていました。
いかにもヒトラーらしい偏頗な思考でありながら、語り手が誰だか知らずに部分だけ読むと、鋭い現代批評と思ってしまいかねないという趣向なんですね。
読者の心の中にもヒトラーが隠れているかもしれない。それを突きつけるのが作者の狙いだったのだと思われ、かなりの力業と言えます。
極端な主人公を描くにしても、三人称なら作者も読者も必ずしも共感する必要は無いので、そういう意味では一人称よりハードルが低いと思われます。