極論すると、三人称には視点はありません。あるいは、視点はあってもなくてもどちらでもいい、と言った方が正確かも。
1)AとBは、レストランで向かい合って食事した。(視点なしに事実だけを書いている)
2)AとBは、レストランで向かい合って食事している。(視点を特定のキャラにおかず、空間のどこかに「カメラ」をおいている)
3)Aは、レストランでBと向かい合って食事している。(特定のキャラに視点をおいている)
要はこれだけのことです。
1と2は結果としてほぼ同じ文章になります。1は書き手が視点を意識せず、淡々と事実だけを書き連ねているということです。
3を採用する場合の主な目的は臨場感。
ストーリー的には、二人が会話しているということと会話の内容に意味があるわけですが、どうせならAの視点からBの表情を見て思惑を想像したり、店内の様子や空気感を見渡したり、会話の途中でドアが開いて別のキャラが入ってくるのが見えたりとか、そんなふうに書く方が読者は情景をイメージしやすいのではないか? ということです。
で、おわかりのように、こういう書き方をしたいならば普通は一人称を採用します。
しかし、この一場面だけのために一人称にしてしまうと、他の場面も一人称の制約を受けることになり、すこぶる窮屈です。他の場面の大半は三人称向きということもあるでしょう。
なので、ベースを三人称にしておいて、必要なときだけ3の書き方をするという手法があるわけです。繰り返しますが、三人称は視点を入れても入れなくてもいいのです。
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というわけなので、個人的にはベースは普通の三人称、必要なパートだけ一視点という書き方がいいんじゃないかと思います。
ただ、三人称一視点は読み味が一人称っぽくなるので、ルールもどきを逸脱すると違和感が生じるということはあるかもしれません。
そこは作者の感覚で匙加減すればよいと思いますが、すべてをセンスでコントロールするのは大変でしょうから、一視点でいくなら一視点で通した方が簡単、ということはあるかもしれません。