ホラーということなのですが、何をどう怖がらせたいのか整理した方がよいかもしれませんよ。
だんだんストーカーになっていく主人公の姿や心情が恐怖の対象ということでよいでしょうか?
しかし読者にすれば恐怖を感じるものに感情移入はしにくいだろうと思われるので、そもそもそこに矛盾があります。一人称か三人称かという問題ではありません。
また、サタンさんも仰っているようにストーカーになっていく主人公に感情移入させること自体は可能だと思います。ですが、感情移入させてしまったらもはやその主人公は恐怖の対象ではあり得ません。
つまり、ストーカーを一人称で描くと読者が感情移入できなくなるということではなく、ホラーとして成立しなくなりかねないのが問題です。
あるいは。
読者が主人公に感情移入させた上で、そういう主人公が壊れていく恐怖――つまり、自分の心が壊れていく恐怖を描くといった方向性ならあるかもしれませんが。
うん、そういうホラーもあるかもしれませんね。実例としては、エドガー・アラン・ポーの『黒猫』は近い感じかもしれません。
そういう方向なら当然一人称で書くべきですし、『黒猫』は一級品のホラーになっています。ただ、ポーの作品は、読者にふと「自分の心にも、こういう闇がひそんでいるかもしれない」と思わせることはありますが、それは感情移入とは別物でしょう。
普通の意味での感情移入とストーカーの恐怖を両立させたいのならば、素直に普通のキャラクターである主人公がストーカーに苦しめられる話にするのが自然です。
また、読者を惹きつける要素は主人公への感情移入だけではありません。恐怖そのもによっても惹き込むことは可能だし、ホラーというのは本来そういうものです。なので、ホラーに感情移入は必ずしも重要ではないとも言えます。