今思いついたのですが、読者の中に「蓄積されたテンプレ的な展開」のようなものがあって、その展開を連想させる/その展開の有無について問題提起するようなものが脚本に盛り込まれているのであれば、それはギャップ萌え的な、いわゆる「読者の本能に基づいた脚本の作り方」であって、努力というより才能の問題だと思うので、もし友人がソシャゲのストーリーを楽しんでいる理由が「それ」だとするなら、この件に関しては考えてもしょうがないという可能性が出てきました。
「それ」では無かったとしてもサタン 様の言うこともあるので、これ以上は考えないことにします。