>科学技術なら、時代が下るにつれて発展する(性能が上がる)イメージです。ですが、魔法の場合には、古い時代のほうが優れているイメージがあります。
それは何とも言えないでしょう。
そもそもフィクションに登場する魔法は実在する物ではありませんから、実在の科学技術と比較することに無理があるし、どうとでも設定できるとしか言いようがありません。
ただし、実在しないなら実在する物のうちから似たものを見つけ、それによって類推することはできます。
例えば漢方医学。鍼やツボなどは原理が科学的に解明できているとは言えず、現状では疑似科学の域を出ません。しかし経験則としては一定の有効性は認められているようです。
西洋医学は現在進行形で原理と応用の研究が推進されている体系、漢方医学は原理が忘却され、応用のみが伝承されている体系なんですね。原理が分からないということは、「古い書物にこう書かれている」「先人はこのように行ってきた」ということを無批判に踏襲するしかなく、よって進歩・発展する推進力が弱いのだと考えられます。
物語において、現代または近未来社会に魔法を登場させる場合、失われた超古代・超文明の遺産という位置づけを与えていることがわりと多いように見えます。そういうものであれば、古代に行われていた手法と根本は変化せず、むしろかつてよりも不完全になっているだろうと予想されます。
よって、
>主人公にとっての「現代」と「2、300年前」とで、魔法の水準が同じで構わないのでしょうか。
これは同じ、またはいくらか衰退しているという状態が自然に思えます。
しかし一方で、設定の項に書かれている日常の道具として定着した魔法というイメージならば、すでに科学技術の一つとして社会に組み込まれている感じが強いです。そういうことなら原理も解明されている、または解明されつつあるということなのでは?
超古代文明の技術が一度忘れられ再発見されたという歴史を考えるにしても、再発見されたのは理念なのか、原理なのか、技術なのか、伝承なのか。そのあたりをどう設定するのかによって、いろいろバリエーションは広がるのではないかと思いました。