こんにちは〜若宮澪と言います。
一応確認しておきますが、恋愛小説を読んでいる際に「不意に胸が締め付けられる瞬間」はいつなのか、またそれは感動/カタルシスのシーンと違うのか、という質問という解釈でよろしいでしょうか? あくまでも私の個人的体験に基づいての話になるので一般的なのかどうかは分かりませんが、スレ主様のおっしゃるようにカタルシスとか感動ではないんじゃないかな?
≫強いて言うなら、恋愛対象の容姿等が視点人物にとってどう見えているのかが細かく描写されるタイミング?
前提として「主人公に感情移入している」のなら分かる気もします。無理矢理言語化してみるなら
(1)読者と主人公の一体化
(2)主人公が恋愛対象を愛しく思っている→その表出として、文章中では容姿・動作が細かく描写されている
この二つが同時に起こってるんじゃないかな? 一人称小説では基本的に、誰かの容姿や動作が細かく描かれている=主人公がその誰かを注視している、ってことになりますが、そこに恋愛的な感情が付加されることで、「主人公が恋愛対象のことを愛しく思っている」ということが暗黙裡に伝わる。そして読者が主人公に感情移入することで、読者=主人公の同一化が発生する。これによって、擬似的に「恋愛対象のことを読者自身が愛しく思っている」という構図が成立する。
いわゆる「胸が締め付けられる感覚」って、その擬似的な愛しさのことなんじゃないかな、と思います。それで、仮にその「擬似的な愛しさ」がスレ主様のおっしゃるような「胸が締め付けられる感覚」に該当するのならば、おそらくそれは感動でもカタルシスでもない。
≫カタルシスは悲しみの疑似体験によってストレスが発散されるものであり、感動は誰かが予想されない相手から優しくされた時に起こるものです。
それに関しては諸説あるというか、ぶっちゃけ捉え方は人次第なので。ただ、少なくとも「周囲、あるいは恋愛対象の取った何らかの行動に対して抱く感情」であることは間違いないわけです。対して「擬似的な愛しさ」は「読者=主人公が恋愛対象に対して自発的に抱いた感情」なわけだから、それとはまた別物なんじゃないでしょうか?
そしてその「擬似的な愛しさ」は恋愛小説においては不意に現れる。というか、そういう感情って割と読者の経験によるんじゃないでしょうか? たとえばある人にとっては何ともない動作描写であっても、別の誰かにとっては「そんな動作を見る→恋愛対象を意識している、愛しく思っている」というふうになって「擬似的な愛しさ」へと繋がる。なので、どのタイミングで起こるかに関しては結局は人次第だと思います。
以上長々と語らせていただきましたが、あくまでも個人的経験です。ので、なにかのきっかけにでもなれば幸いです。