返信一覧の表示
恋愛小説への共感はどのような時に起きますか? (No: 1)
スレ主 ああああ 投稿日時:
小説の書き方が知りたいと言うより、純粋に好奇心から尋ねるのですが、そう言う場所でなければすみません。
恋愛小説を読むと胸が締め付けられる感じがします。多分自分だけじゃなく、同じことをここの人の何割かは感じるのだと思います。
そこで質問なのですが、これは感動や、あるいは悲劇を読んだ時の感情(カタルシス)と同じものでしょうか?
それともそれらとは別に存在し、それらとは異なる特定の描写でのみ喚起できる独立した感情でしょうか?
個人的な予想では独立した感情だと思っています。
ネットで調べたのですが、カタルシスは悲しみの疑似体験によってストレスが発散されるものであり、感動は誰かが予想されない相手から優しくされた時に起こるものです。
しかし恋愛小説の場合「その感情」はそれらのいずれとも異なるタイミングで起こるように感じます(強いて言うなら、恋愛対象の容姿等が視点人物にとってどう見えているのかが細かく描写されるタイミング?)
カテゴリー: その他
この質問に返信する!恋愛小説への共感はどのような時に起きますか?の返信 (No: 2)
投稿者 奥 義 得 人 素人 : 2 No: 1の返信
投稿日時:
超簡単に言えばその感動のシーンの説得力
その感動のシーンが説得力かあるそれまでの流れストーリー展開か納得できるかですね
つまり作品全体としてその感動のシーンに違和感なく説得力があるかですよ
感動する定義は人それそれとしてその感動のシーンに作品的説得力がないなら当然の如く共感しません
作品の共感とはそれが作品内で納得できる説得力がないと生み出しにくいです
胸を締め付けるのにもそこにその作中の感情の説得力が作品にないないなら生まれやしません
恋愛小説への共感はどのような時に起きますか?の返信 (No: 3)
投稿日時:
こんにちは〜若宮澪と言います。
一応確認しておきますが、恋愛小説を読んでいる際に「不意に胸が締め付けられる瞬間」はいつなのか、またそれは感動/カタルシスのシーンと違うのか、という質問という解釈でよろしいでしょうか? あくまでも私の個人的体験に基づいての話になるので一般的なのかどうかは分かりませんが、スレ主様のおっしゃるようにカタルシスとか感動ではないんじゃないかな?
≫強いて言うなら、恋愛対象の容姿等が視点人物にとってどう見えているのかが細かく描写されるタイミング?
前提として「主人公に感情移入している」のなら分かる気もします。無理矢理言語化してみるなら
(1)読者と主人公の一体化
(2)主人公が恋愛対象を愛しく思っている→その表出として、文章中では容姿・動作が細かく描写されている
この二つが同時に起こってるんじゃないかな? 一人称小説では基本的に、誰かの容姿や動作が細かく描かれている=主人公がその誰かを注視している、ってことになりますが、そこに恋愛的な感情が付加されることで、「主人公が恋愛対象のことを愛しく思っている」ということが暗黙裡に伝わる。そして読者が主人公に感情移入することで、読者=主人公の同一化が発生する。これによって、擬似的に「恋愛対象のことを読者自身が愛しく思っている」という構図が成立する。
いわゆる「胸が締め付けられる感覚」って、その擬似的な愛しさのことなんじゃないかな、と思います。それで、仮にその「擬似的な愛しさ」がスレ主様のおっしゃるような「胸が締め付けられる感覚」に該当するのならば、おそらくそれは感動でもカタルシスでもない。
≫カタルシスは悲しみの疑似体験によってストレスが発散されるものであり、感動は誰かが予想されない相手から優しくされた時に起こるものです。
それに関しては諸説あるというか、ぶっちゃけ捉え方は人次第なので。ただ、少なくとも「周囲、あるいは恋愛対象の取った何らかの行動に対して抱く感情」であることは間違いないわけです。対して「擬似的な愛しさ」は「読者=主人公が恋愛対象に対して自発的に抱いた感情」なわけだから、それとはまた別物なんじゃないでしょうか?
そしてその「擬似的な愛しさ」は恋愛小説においては不意に現れる。というか、そういう感情って割と読者の経験によるんじゃないでしょうか? たとえばある人にとっては何ともない動作描写であっても、別の誰かにとっては「そんな動作を見る→恋愛対象を意識している、愛しく思っている」というふうになって「擬似的な愛しさ」へと繋がる。なので、どのタイミングで起こるかに関しては結局は人次第だと思います。
以上長々と語らせていただきましたが、あくまでも個人的経験です。ので、なにかのきっかけにでもなれば幸いです。
恋愛小説への共感はどのような時に起きますか?の返信 (No: 4)
投稿日時:
カタルシスというのはそういう意味じゃないですね。
それは恋愛感情です。カタルシスと恋愛感情を同一視するのは、日本語として間違ってます。
逆にカタルシスの全くない物語というのを考えたら分かります。
恋愛要素の逆というのは難しいですが、無理やり政略結婚させられて、好きな相手と添い遂げられない、というような物語ですかね。
カタルシスのない物語というのは、当然こんなことをやっていたら最後はやられて当たり前だという人間が世界を支配し、正義の主人公はそれに惨殺されて、悪い人間は天寿を全うするというような物語ですね。物語とも言えないぐらいの、クソな話ですが。
こういう風に比較すると、意外と類似点があってびっくりしますが、カタルシスというのは、「救いがある」「救いがない」という時の「救い」のことなので、恋愛とはまた別です。また、恋愛要素だけでは、カタルシスにはなりません。
虐げられている人間が、貴族と結婚して幸せになる、というような救いの要素がないとカタルシスとは言えません。