流行りものだからこれを書こうと思っても、書く人が
「この物語の中でこの人がこうしているのは、行動原理として全く理解できない、こんな人間はこの世界にはいないはずだ」
と思っていたら、書けませんよ。
まず自分が書きやすいように書く、それによって、既存の設定に基づいたありふれた物語にも、個性が生まれてきますし、いちいち凝った設定を考えるよりも、簡単に書けます。
たとえば、主人公が仕事中にかけている音楽のボリュームを、わざと小さくして嫌がらせをするとか、そういうぐらいの些細なことでもいいんじゃないですか?
ドアマットのように踏んづける、というのは私の感覚としては、おかしいですね。
今の日本でそんな酷い目にあっている人はいませんし、行きすぎると昔のアフリカの黒人奴隷のように、仕事のノルマを達成できないだけで腕を斬られる、なんてこともありえます。匙加減が難しいんですよ。
自分の立場で考える……ということも大事ですが、私ならなにかされたら
「やめてください」
と言いますね。いじめっていうのは、いじめられる側の性格が誘発するところもありますから、まずいじめられないように毅然とした態度を取る、ということを物語の人物にも要求してしまいそうです、私は。
まあ、それでは物語が成立しないのかな。
でも、いじいじした人物は私は書く気が起きませんね。
最低でも、衣食住とか、身体の健康という条件はクリアした両者、いじめる側といじめられる側の、些細(ささい)な争い、ということでしょうか。