自分の文体は、基本的に好きな作家を真似たものです。
私の場合は宮部みゆきと浅田次郎かな。影響を受けたとは自分にしかわからないレベルだけどね。
>文章を書いているとき時々いい単語や言葉が思い浮かばず、何十分もキーボードを打つ手が止まってしまうことがあります。
これは、文章に凝ってる人を全否定してしまうんだけど、「良い文章を書こうと意識するのを止めましょう」というのが本心です。
白状すると私もけっこう文章に凝るタイプだったんですが、当時の自分がいるなら止めろ今すぐ止めろ、変なこだわりを持つな、と言ってやりたいです。
理由は、
まず、素人が文章に凝ったところで読みにくくなるだけです。
良い文が出来たと満足することはあるけど、それが読者に伝わってるかは別の話。つまり自己満足でしかないです。
そして、表現や言葉選びに時間を費やすので筆が遅い。
文章にこだわる唯一のメリットが「良い文章が書けること」だけど、それは自己満足なので作品自体のクォリティにはさほど関係ない。小説は文章を読むものじゃなくて物語を読むものなんで。ほとんどデメリットしかない。
文章にこだわりたいのであれば、作品が完成したあとに推敲すりゃ良いのです。
そして、いざそれを実践してみると意外と手直しする場所は少なかったりします。
そもそも、作家はコピーライターではないので文章にこだわる理由はないんですよね。それ以前に物語にこだわれと。
日本語は、基本的に主語と述語の関係がしっかりしてりゃ意味が通じる文章になります。
そのシンプルな形が一番読みやすい文章なので、基本さえ出来てりゃセンス関係なく読みやすい文章は書けます。
文章の構造で基礎的なものは「単文」と「重文」と「複文」の3つしかないので、自分で書いた文章を読み直してどんな構造になってるのかを把握できれば読みにくい理由はすぐにわかります。
たとえば。
>どれだけ読んでもどれだけ書いてもなかなか改善が進みません。
この文章では主語が「改善が」になってるけど、ここで言いたいのは「文章技術が改善しない」ということではないかな?
だから、本当なら主語は「文章技術が」になってたほうがいいんじゃないかな。
主語はその文の主役になる語句なので、主語を省略するとしてもちゃんと意識したほうが良いです。
つまりこの文は「どれだけ読んでも書いても文章技術が改善しません」としたほうがわかりやすい文章だと思う。
別に「改善が進まない」でも良いのだけど、この場合、前後の文脈から「文章が改善しない」ということはわかるものの、この一文単体で見ると「改善しないって、何が?」となる。何が改善しないのか、一文の中には書かれていません。
繰り返し文脈から理解はできると書きますが、しかし、それは逆を言えば「文脈から読み解かねば理解できない文章だ」ということ。
これは持論でしかありませんが、可能な限り一文の中だけで理解ができる文章を心がけたほうが良いかと思います。
そのほうがわかりやすい。
正直、文章に凝ってたり言葉を選んで時間をかけて書く人ほど、読者に負担を強いる文章を書いてることが多い。
酷くなるとそれを描写だと思ってたりして、感想で描写関係を指摘されると読みにくさが加速したりもする。