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タイトル:簡単に出来ません。の返信 投稿者: 手塚満

「けいおん!」アニメ1期なんて凄かったですよ。特に誰も批判してないですけど。
何が凄いって、まず唯。あっという間にギターが弾けてます。多少、家などで練習している描写はある。(スティール弦)ギター弾きによくある、始めてから遭遇する指先の傷もあった。

だけど、弾いたこともなかったギターがあっという間に上級者レベルに達している。それだけじゃない。一度聞いたギター演奏を即座に自分でも弾けるようになってしまう。恐るべき耳コピ能力です。弾けなくて詰まるのは、チョーキングなどの技術的なことを知らなかった場合だけ(それも教わるや否やできるようになる)。

唯の妹はもしかするともっと凄い。姉の唯がギター弾いているのを見ただけ、姉に一度ギターを触らせてもらっただけ、なのに姉に匹敵するレベルでギターが弾けてしまう。

全部、楽器を真面目にやった人、やろうとした人ならほとんどが、「嘘だろ」「あり得ない」と言いたくなる話です。だけど、誰も文句は言わない。努力がテーマの作品ではないですからね。

高校時代の部活が楽しかったという話ですから、楽しい部分を強調したに過ぎない。観ていても面白かった。だから文句を言う必要を感じない。1期終了前から、唯が持っていたギブソンのギターが大量に売れました。非常に高価なギターなのに、生産能力を超えてしまい、2年も予約待ちになるほどでした。

じゃあ、簡単にギターが弾けて、あんな楽しい生活を送れると思ってしまった人が大量に出たのか。そんなことはないはずです。ギターに限定せずに楽器ということなら、ほとんどの人が経験してますよね。小中学校でハーモニカ、リコーダーくらいはやっている。楽器が簡単に演奏できないことくらいは知っている。簡単にできないとは知りつつ、上手い人がやっていることは自分もしたくなるという、ごく普通に起こる気持ちゆえです。

やはり音楽ですが、歴史上、物凄い速筆の作曲はいます。ヴィヴァルディ、シューベルトなんかも凄かったそうです。モーツァルトも凄くて、20年で700曲。モーツァルトの凄い点は曲数だけでなく、曲想の多彩さにもあります。4小節ごとで曲想が変わる。聞くところによると、メロディ、伴奏が非常に素早く浮かんできて、楽譜に書くのが追い付かない様子だったとのことです。

天才ですからそんな人もいる、とだけ考えたくなりますが、ウィキペディアにも収録されているモーツァルトの言で、「長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです」というのがあります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88#%E6%99%A9%E5%B9%B4

作曲は速いけど、その裏付けとなるインプットがあるんだということですね。でも、モーツァルトは短命したし、作曲以外で多忙でもあった。上記のようなことを言えるほど、時間を割いていないはずだ、と考えたくなるかもしれません(実際、自分が陥った誤謬であり反省でもあります)。

モーツァルトは天才です。しかし、自分定義ですが達人の面を持っています。自分定義の達人なんですが、特長の1つに「何もしていないように見えるし、本人も何も考えていないつもりなんだけど、無意識、潜在意識では常に最善の努力が払われている」があります。

私が直接的、間接的に教わった方々の多くがそうでした。教わってみて、自分でも必死に勉強してみる。だけど差が開いて行くんです(←自分の理解が進んだことにより、彼我の差がよく見えてくる効果を補正しても)。相手は努力している様子はなく、自分は必死にやっている。なぜ差が開くんだと思いました。

何人もの市井の達人に教わってみて、だんだん分かってきました。まず、自分がやるようなレベルの勉強はもう頭に完全に入ってしまっていることがあります。だけど、それだけなら勉学を積んで差を縮めることができるはず。そうではないのは、頭に完全に入った基礎を使って、常に頭を働かせているからだと気が付きました。

達人ですと、飯食っているときに以前に考えた問題の答えがふっと浮かんできたりします。寝ていて、夢の中で答えを知ることもあります。自分ですと、意識的に勉学し、意識的に問題を考えているとき出ないと、答が出てくることはありません。勉強するときだけ、頭を使っているわけです。

達人はそれが24時間休みなくです。だから差が開くわけです。追いつけるわけありません。差が開かないようになるときは、いずれ来ます。自分でも無意識に常に頭を使えるようになったときです。

よく、「1万時間やってみろ」「該当ジャンルを千冊読んでみろ」といったコツが言われます。おそらく、それくらいやっていると常に頭を使うような習慣が身に着くのだと思います。執筆していないときでも文章を練ったり、キャラ設定を詰めたり、プロットを進めたりできる境地ですね。作業的にやっていると、それでも身に着かないかもしれませんが。

批判してお出での作品について申し上げれば、モーツァルトのようなラノベ作家はあり得ませんか? ご自身ができないという理由が不可能の論証になりますか?

言葉は生まれてこの方使ってるわけですよね。思考も言葉頼りが多いですよね。多少複雑なことだと、言葉抜きの直感だけで片付けるのは難しいはずです。宿題やるの忘れるなどして言い訳考えたりなんて、しょっちゅうありますよね。やろうとしていることが、やってみたらどうなるか考えますよね。その他もろもろ、日常茶飯事のはずです。どれも物語作りと密接につながっています。

実際に「タイプライターに向かったら、流れるように物語が書ける」なんて天才がいたらいけませんか? それとも、フィクションには天才、異才、奇才がいたらいけませんか? むしろ逆ですよね。めったにいない、あるいは、絶対にいそうもない人のほうが好まれてませんか?

フィクション通りに自分もできるなんて勘違いする人はごく少ないはずです。スーパーマン見て、空を飛ぶ練習をする人はいません(実は、試みて不可能を知った人はいたりしたけれどw)。フィクションではない、現実にあるんだと言って、騙される人はいます。超能力なんかもありましたよね。だけど、フィクションとリアルを混同して間違う人はめったにいません。

刑事ドラマでも、そんな刑事はいないと知っている人は多い。警察関係者だと特に作中の嘘が目につくそうですが、それでも楽しんでいる人が多いと聞いています。刑事ドラマで警察官に憧れて、警察を志望する人とて現実は知っています。

それでも、アニメを見てライトノベルが簡単に書けると思って、バカにされるのは嫌かもしれません。でも、自分でやるつもりのない人なんて、アニメを見なくたってそう思ってる人が多いんです。自分がやる見込みがないものには無責任になりやすいですから。

全く他のジャンルですが、例えば筋トレする人も頻繁にバカにされます。重いもの持ってちょっと上げ下げすればムキムキになるんでしょ、とか。何度正しく説明しても(1日に得られる筋肉はどんなに頑張っても7g以下で、計画的に太ったりダイエットしたりして等々、小一時間分の説明)、無駄、あるいは聞いてくれません。

そんなもんです。迷える狼さんとて、例外ではないんじゃないでしょうか。詳しくは(旧掲示板も無くなったこともあり)控えますが、ずいぶんと思い込みであれこれ駄目出しなさっていたと思いますよ。

仰ることがいかに間違いであるか、他にもいろいろ理由を挙げて説明できます。例えば「俺TUEE」なんてジャンルと言っていいほどあるわけじゃないですか。ラノベ作家主人公で「俺TUEE」やって、何かいけないんでしょうか。

素人さんが誤解するから(←かなり、いわゆる上から目線の物言い)という理由で、非現実的なことを抑制していいってもんじゃないと思います。特に非現実的の基準が自分基準であればなおさらです。

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