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タイトル:【質問/考察?】主人公及び異世界の設定・描写、その解釈についての返信 投稿者: にわとり

1.
 現代でも公教育がまともに機能してない国に行けば、とくに貧困層では掛け算ができない大人なんてザラにいると思うし、異世界の教育水準によってはそういうこともあるのかなと思う……。
 まあ掛け算はともかく、描かれている異世界の文化水準に比して、ご都合主義と思えるレベルで異世界人の特定の知識が欠落している、みたいな作品はもしかしたらあるのかもしれない。だとしても、それがいいかどうかは時と場合によると思う。リアリティは間違いなく犠牲にしているけれど、整合性だけが物語の価値のすべてじゃないし。
 ギャグとして面白く仕上がっているとか、平凡な主人公が予期せず異世界住民によって賢者に祭り上げられてしまう展開が後々のストーリーのために必要だったりとか、そういう物語上の要請があればリアリティを捨てるのも選択肢のひとつではあるので。
 とくに後者、主人公が実力以上にスゴい人物のように周囲から見られてしまう、っていうのは巻き込まれ系主人公で話を転がしていく常套手段のひとつです。能力を過大評価されているが故に、周囲から無理難題が次々持ち込まれてくるわけですね。
 だからまあ、そういう低レベル知識チートも、話のきっかけとして活用するのであればアリなんじゃないかなという立場。一方で話のオチとか緊迫した場面での起死回生の一手としてこういうことをやっちゃうのは、やっぱりだめだと思う。幸運で窮地を脱したってことになるとどうしても物語的に盛り上がらないので。

2.
 異世界ジャガイモ問題、これは、A.それはジャガイモなのか、とB.そこは中世なのか、の2つの論点があると思う。

 まずA.について。たとえば英語を知らない日本人がアメリカに長期間ホームステイして、現地人との対話の中で英語を学んだとする。彼は、日本ではジャガイモと呼ばれる食材を彼らがポテトと呼ぶのを聞いて「ああ、ジャガイモはこの土地の言葉でポテトと言うんだな」と理解する。もしかしたら日本のいわゆるジャガイモとはDNAや品種が微妙に違ったかもしれないけれど、彼の味覚はそれをジャガイモと認識し、彼の聴覚はそれを地元民がポテトと呼んでいると認識する。
 そんな彼が日本に帰国し、日本人に向かって日本語でホームステイ中に食べたものについての思い出を語るとする。そのとき彼はポテトについてどのように説明するだろう。とくに説明なく"じゃがいも"って呼ぶんじゃないだろうか。
 厳密には「ジャガイモによく似ているが日本のジャガイモと厳密に同一であるかどうかはわからない、ポテトと呼ばれる食物」と呼ぶべきかもしれない。けれどいちいちそんなまどろっこしい説明を加えていたらいつになっても話が先に進まない。
 英語と日本語だって厳密には一対一で対応しているとは言い切れない。それでもポテトをジャガイモと呼ぶような"処理"を施さなければ翻訳したことにならないし、聞いている側も理解できない。
 フィクションの異世界探検記も同じことなんじゃないのかなと思う。ジャガイモとは厳密には異なるよく似た作物であっても、それを作中でジャガイモと表記する(=日本人に馴染みのある用語に翻訳する)のは、特に不当ではない自然な言い換えでしょう。それを否定するなら、任意の名詞や動詞は"現実世界とは関連付けられない異世界に固有の概念"ということになるので異世界で見聞きしたことを何一つ日本人の読者に理解できるように説明することは不可能、みたいな話になる気がする。だからこれって翻訳の問題なんじゃないのかなと。そういう意味において、異世界ファンタジーでジャガイモを登場させる(作中でジャガイモと表記する)ことに問題はないと考えます。

 続いてB.中世という言葉にまつわる問題について。これまで長々語ってきてあれだけど、中世ジャガイモ問題の核心はこっちだと思う。ジャガイモ警察がなんで中世ヨーロッパ風の世界観にジャガイモが登場するのを問題視しているのかといえば、そこが中世ヨーロッパ風で、かつ現実の中世ヨーロッパにジャガイモは存在しなかったからなんだよね。だから近代ヨーロッパ風ファンタジーとか、中世ペルー風ファンタジーだったらおそらくジャガイモ警察は発動しない。そう考えるとファンタジーであることより中世ヨーロッパ風という限定の付け方が警察諸氏の反感を買っているものと思われる。
 これは言い換えると、現実の中世ヨーロッパをどこまで再現する必要があるか、っていう話なんだと思う。中世ヨーロッパ風って紹介されると、読者は自分が思い浮かべる"中世ヨーロッパ"と比較しながら作品を読みすすめてしまうので、知っている中世ヨーロッパの事情と違う設定が説明なしに登場すると、つい警察になって知識マウントを取りたくなってしまう、みたいな。
 フィクションだからほどほどでいいんだよ、っていうのもひとつの答えですが、どっちかというと中世を全面に出しすぎないほうがいいんじゃないかと自分は考えてる。世の中で流通しているほとんどの中世風って、実質的に"剣と魔法のRPG風"ですよね。そうやって看板と中身が微妙にずれてるから揚げ足取られるんだよ……と個人的には思う。
 クリエイターはフィクションの嘘について開きなおるべき時っていうのが確かにあって、スターウォーズで宇宙空間での戦闘シーンに音響効果がついている(真空中では音は伝達しないはず)ことを指摘されたルーカスが"俺の宇宙では音が鳴るんだ"という趣旨の発言をした話が有名ですが、中世ジャガイモについては若干事情が違うのではないかなと思う。もちろん個別作品によっていろいろあるし、中世ジャガイモ問題という言葉だけが独り歩きしたために鑑賞者が色眼鏡で読むようになったっていうのもあるけど、その前段階として創作者サイドが『中世風』って言葉を都合よく使いすぎていたっていう土壌は間違いなくあったと思うのよね。その点で、中世ファンタジーに安易にジャガイモを登場させるのは良くないんじゃないかと思う。

 まとめると、異世界にジャガイモがあってもいいけど中世にジャガイモがあるのはたしかに考証ミスにあたるし、中世にジャガイモはないっていう認識が読者感に共有されつつある局面でもあるので、2019年現在において中世ヨーロッパ風を標榜するなら、なんらかの対策が必要なんじゃないのかなと感じる。ジャガイモ警察、"お前ら読者じゃねーから"って切り捨てるには層が厚すぎるように思えるし、ジャンルに求められるトレンドの一種みたいに考えるのが作家側としては無難なのかもしれない。

 最後に異世界シャワー問題について。これはね、ほんと山本弘には怒りしかない。新人潰す気かよ。やめてくれ。
 現代的な上水道を仮定しなくても、どこかに貯水槽があって高低差で水が出てるだけの原始的な仕組みなのかもしれないし、舞台は娼館なんだから水とか衛生とか大事だろ。いかに中世風の世界観でも施設の性質上、きれいな水が大量に供給可能な立地だったとしてなんら不自然ではない。もっというとあの世界観自体がよくある異世界転生のパロディで、設定の細部がガバいとこもふくめて異世界転生あるあるネタをうまく取り入れてるんだよね。そういうの、ちゃんと読めばチバや神様の言動からわかると思うんだけどな。戯画化された世界観にマジになってどうすんの?
 とにかく読んだことないならJKハルは読め。めちゃくちゃ面白いから。性的な場面がいっぱいあるのでここにリンク貼れないのが悔やまれるが……。

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