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タイトル:作中の障碍者の扱いについて。の返信 投稿者: サタン

障害者ってのを、良くも悪くも重く考えすぎだと思いますよ。
「野球の才能ない人が球界で頑張っていく話」と何が違うんでしょうか?
球界において野球の才能がない事は、当たり前の事が出来ないわけだから障害に等しい事です。
それが球界という狭い世界の話でなく、日常生活という身近な話だから重大なことになってくるけど、それはあくまで「現実の話」として。
創作の話、つまり物語においては「才能ない人の努力」と大差ない物語です。

でも、言わんとしてる事の一部は理解できます。
例えば身体の障害で有名なのが五体不満足の乙武洋匡。
五体不満足でありながら運転免許を取ろうと頑張ったり、タレントとして頑張ったり文筆家として活動したり、スポーツライターをしたりしてる。すごい人。
でも、本当に凄いのはそんな彼を支えてる人でしょう。五体不満足の代わりに動いてる周囲が頑張ってるんじゃないの、と思う。
国会議員になった れいわ議員もそう。神輿にかつがれてるだけとは言わないけど、頑張ってるのは周囲の支えてる人。もちろん本人も頑張ってると思うけど。
それで障害者にスポットをあてて「さあ感動しなさい」というのは烏滸がましいというものだね。

ただ。
人間、読者ってのは、そんな当然の事を言われても面白くないんだよね。
「弱い主人公が強い敵に打ち勝つ」から面白いんであって、「才能ない人が頑張って成功を収める」から面白いわけです。
「障害者の話」を「才能ない人の話」とどう違うのか、って最初に書いたけど、
ようするに、障害者をテーマにした作品はこうした面白さが詰まってるドル箱なんですよ。
「声」というコミュニケーションツールに不自由がある人の、心温まる人間ドラマ「聲の形」とかね。

だから、私の本心としては「障害者が凄いんじゃなくて、支えてる人が凄いんだろ」って思うわけだけど、創作的にそれは不正解でしょう。
そんな身も蓋もないこと言ったら面白くないので。

で。
スレ主さんの相談は最初の頃から見守っていたけど、時々返信もしたけど、どーも、この「現実の話」と「創作の話」がごっちゃになってる気がします。
「それは現実には正しい」ないし「現実に君がどう思うかは自由」という主張を、そのまま創作の世界に持ってこようとしてる。
例えば私の主張「障害者が凄いんじゃなくて支えてる人が凄いんだろ」って話を書いても面白くないでしょ。
作品内で弱者の象徴となるであろう障害者を踏み台にして支える人の活躍を書くことになるので。そんなん面白くない。
創作的には「弱者が強者を見返す」という基本、まあそればかりではないけど、そうしたカタルシスが大事なので、これを作っていかなければならない。

そんなわけで、ただの人生相談でないのなら、
>僕は『障害を抱えたまま、成長していくこと』については大賛成です。それが本来の障碍者の讃えられるべき生き様だと思うからです。
そういう自己主張は掲示板ではなく作品でしてるだろうからどうでもいいんだけど、それを創作としてどう落とし込むのかって話が出来ないとダメだと思う。
「障害を抱えたまま成長していくこと」そこにどんなカタルシスがあって、どういうところが面白いの?

アルプスの少女ハイジを例に上げてるけど、これもそう。
親友が「障害を克服した」から面白いんであって、障害者を出すに当たって「面白い場所」をちゃんと作っている。
だから、現実問題として障害者を克服するだなんてと思う読者もいるけど、創作としては大正解(というか王道)の設定と構図になっています。

>皆さんは障碍者を物語の中心に据える場合、どんな書き方をしますか?
あくまで創作として物語を考えます。
つまり、現実どうなのかよりも、面白さが優先。
まあ、いまの私にはそれほどテーマに込めたい想いもないので、スタンダードに「才能ない人が頑張って成功する話」を土台に考えます。
人間関係のコミュニケーションを主に書きたいのであれば「聴覚障害」や「吃音」といった障害を扱うし、勇気を出して前へ進もうとする話なら、そうだな「足」が動かない人か、ナルコレプシーとか何かあるとすぐ止まってしまう人がいいな。

ありがちだと思うのだけど、作者の思いを込めた作品は、思いが込められすぎて「面白さ」を込めるスペースがなくなってるものが多いです。
なので、私ならそれを気をつけるかなと思います。

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