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タイトル:つむぎさん。僕は貴女の質問に精いっぱい答えたいと思います。 投稿者: 壱番合戦 仁

 皆様。渦中の壱番合戦 仁です。

 僕自身、まさかここまで話が膨れ上がるとは思いませんでした。お騒がせしてしまったこと、今も申し訳なく思います。

 皆様にいくつかお伝えしたいことがございます。

 僕は今まで、自身の個人的な悩みをスレッドに記載したことがあります。それによって、なんども版を荒らしてしまいました。

 ですが、誤解を恐れずにいうと、僕の小説の主人公は限りなく僕に近く作ってあります。僕という人格を丸ごとコピーしたものです。当初この小説は、私小説の部類に相当する幻想小説でした。そこから膨れ上がっていき、今の形を得ているのです。

 幾年かを経て、僕は「行って帰ってくる物語」という形式があることを学びました。それは、個人が精神的に成熟する過程、すなわち成人の儀と深いかかわりを持っていることが、多くの神話学者や民俗学者が示唆しています。

。「行って帰ってくる物語」自体、ロールプレイングゲームの根幹をなす概念でもあります。J・R・R・トールキンの作品群からおおくのRPG がうまれ、今もなお多くのライトノベルの理想的なフォーマットとして使われています。これと 私小説を混ぜると何ができるのか。
 それは、作者の影を主人公にした冒険譚に他なりません。当然、成人の儀と深いかかわりがある、行って帰ってくる物語の形式を採用している以上は、作り手が望むと望まざるとにかかわらず、内容も影である主人公の精神的な成人が大きな要素となります。影を動かすには影の主を動かさなくてはいけないのは、致し方のないことだと愚考します。

 実際、自分を抜きにして主人公を動かさなければいけないはずなのに、元が元である以上はそうせざるを得ないのです。
 僕は、この小説に四年間の間心血を注いできました。一度は完成したものの、出来はお世辞にも十分とは言えず、また、桂香/玉城つむぎさんと出会ってからは、第三版の執筆に取り組みました。

 ですが、ウリにするはずだった『「知名度の低い発達障害を描く」というライトノベル出版業界の禁忌に挑む』というスローガンがいつしか遠のいていく現状に、あらがうことができない自分に気づきました。

 どうしても、露骨な表現を避けようとする流れができてしまっているのです。試しにそういった描写をしても、非常に受けが悪く、当初想定していた「自身が当事者である」というアドバンテージを駆使しても、全く歯が立たないことに焦りを感じていました。

 「当事者でしか書けない圧倒的なリアリティを!」
 これを実現すべく努めると「しつこすぎる」とお叱りを受けてしまう。
 やがて、当事者であること。つまり自分の事としてとらえていることが、主観的な描写につながり、自分酔いしているように見えるのではないかということに気が付きました。

 すると次に求める材料が、自然と見えてきます。
 すなわち、「主観的な描写」であるならば、「客観的な意見」を取材するべきだ。
 こう思いいたりました。

 正直言って僕にとっても、こうした掲示板で私事についてお尋ねすることは苦肉の策でした。それでも、感情や思想を含めて一から構築する必要があったのです。それらはすべて、作品のコンセプトの中核を占める重要な要素でもありました。

 端的に言えば、「主人公を変えるには、自分が変わらなくては話にならない」ことに気が付いたのです。

 これを踏まえて、以前からの問題だらけの質問を投稿しようと決意しました。実際に自作を見てもらう方が早いと思い、URLを公開したこともあります。内心曰く、この本文から何かを感じ取ってくださるのではないか、と。

 期待は少しだけ外れました。投稿した質問文があまりにもつたなかったのです。
 こうして今書いている返信も、誰の怒りを買うのかよくわかりません。それでもサタンさんや、あざらしさんを始めとした皆さんは丁寧に回答して下さいました。

 僕のわがままともとれる、めちゃくちゃな自己開陳は多くの人々に迷惑をかけましたが、そこから得た着想はこれまでの比ではなく、レイヤの造形に大きくいい影響を与えました。
 ですが、まだ決定的なものをつかんでいない。かけているものがあります。

 《主人公、風祭レイヤを【障碍者として魅力的に描写する】》。
 これを成し遂げるためには、緻密なプロットづくりが要求されると、さる論客は評されました。僕も論を同じくして、高度な技術を要すると思います。
 無論、彼が障害を抱えていることは、彼の一側面にすぎません。ですが、彼が大人になれない大きな理由は、『自身の障害を受容できない事』。また、『他人との絆を結ぶことに大きな困難を持つ事』。この二つがあげられると思います。

 これを解決すべく、まずは後者の他人との絆について重点を置いて描写しました。
 ですが、結果的にそれは大きなテーマの欠如を生み出しました。
 「自身のみならず、他者の障害を受容する事」と、「障害乗り越え、成長すること」。これを情熱的に掻き切れば、いわゆる「燃え」につながると僕は踏みました。

 あざらしさんにはいつもお世話になっておりまして、この点については非常に惜しい回答をくださいます。痛しかゆしここに極まり、困っています。

 脱線してすみません。とりあえず、僕があのような、「面の皮の千枚張り」と罵られても仕方のないことをした理由を、述べさせていただきました。

 関連しているとはいえ、ご質問の真意に沿った提言ができず、僕も悔しいです。
 まだ、ご質問の意図をつかみ切れておりません。

 つむぎさん、まずは何について、決着をつけましょうか?

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