障害を抱えた人に限った話ではありませんが、だれしも、【他人には見せられないむき出しの自分】という面を持っています。でも、その自分だけで人生を生きていこうとすると、他人と要らぬ摩擦が起きます。だから、皆、『キャラ』をかぶって生きている。
別にあれは、化粧なんてわかりやすい演出が無くてもよかったんです。元からすっぴんで、ああやって切り出してから、「彼女が持つ本当の顔を知る」事になれば好い。化粧なんかなくても、『表情と発音の制御をオフにする』という切り替えができれば何でもよかったんです。
僕も健常者と同じように、「人前に出ても恥ずかしくない自分」を演じていて、演じ切るのに苦労しています。
例えば、この前のニュースでは、知的障害を抱えた男性が、きちんと原稿を持って来て報道陣に理解できる言葉としゃべり方で声明を発表していました。相当言い方や振る舞いには気を払われたと思います。
会見のために慌てて用意したのか、スーツも真新しく、気慣れていない印象を受けました。
これは僕の単なる恋愛の主義ですが、「症状を隠さず、素の自分で接する」ことは、僕にとっては最大の信頼表現です。「この人なら大丈夫」と、確信していないとできないことですからね。
それを、あのシーンに適用したら、僕が求める結末により近づくのではないかと思ったのです。