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タイトル:ストップストップ!回答しきれない! 投稿者: 壱番合戦 仁

 作家志望、とくにエンタメ作家志望はさ、もっと自虐を大切にしたほうがいいと思うんだ。社会不適合者が社会不適合者に妄想を売っているのが文学で、われわれはそういうイカれた数寄者にみずからなりたがっているクズ中のクズだという自覚。この感覚が共有できなければ何言っても虚しい。自分たちは小説というものに心惹かれてしまっている時点でゴミクズだ。これだけは忘れないようにしたい。選民思想に囚われた読書家や創作者ほど鼻持ちならない人種はいないからね。あれにだけはなりたくない。

 エ゛ッ⁈作家って、ゴミクズなんですか⁈社会不適合者(ゴミクズ)が小説家(ゴミクズ)から、夢を買っている……。なるほど、言われれば確かにその通りですね……。
 ( ゚д゚ )ノハイセンセイ!! それ僕です。選民思想でがちがちの愚か者です。「自閉症患者=ギフテッド(予備軍)」という図式を平気で人に吹聴して回る選民思想の持ち主です……。スイマセン。

 合格しない人が出てしまうのも事前に織り込んで、不合格者を社会全体でバックアップするみたいな。

 
 あと、成人の儀の事を僕は何か誤解していたようです……。あれって社会不適合者を排除するための装置だったんですね……。僕が云いたかったのは、肉体年齢を基準にした成人よりも、精神年齢査定+性格検査+生活技能検定を基準にした成人の方がいいんじゃないかなってことです。で、そこに至るまでに、行って帰ってくる物語を生で体験する機会があれば、絶対に楽しいし、成長できると思うんですよ。
 成人の儀があった頃って、モラトリアム期の課題が達成されやすかったという論がありまして。「何をもって自分は成長したのか」「大人ってそもそもどういう意味?」みたいなのが、すごくはっきりしていた時代だったと思うんですよね。その辺があいまいな今の時代は、「普通の人にとっては非常に生きにくい」んだそうで。

 ジョーゼフ・キャンベルなんかが「神話と成人の儀は密接な関係があって、神話を楽しむ人は図らずも主人公を通して成人の儀式を繰り返している」といっています。

 「横暴な魔王の父親から逃がすために、母親の女神が主人公を人間の住む町まで流れる川にゆりかごと流して、里親に出す(貴種流離譚というテンプレート)」→
 「幼馴染ができて、育ての親である王様からはそこそこ愛されて幸せだけど、主人公は自堕落な自分を至らない奴と感じる(冒険への召命)」→
 「自分が治める城下町と王城が、魔物の軍勢に焼き討ちされる(RPGツクール系の鉄板ネタ)」→
 「育ての親が、死の間際に『お前は半神半人なのだ』と告げ、『師匠になってくれる人がいるからそこまで逃げろ』とのことだったので逃げる」→
 「メンターのもとで修業して、物語の中身にかかわることついて主人公が考察する&不思議な力を使いこなせるようになって肉体的にもビルドアップ。旅立ちのはなむけに三度までどんな敵でも撃退するアイテムを授ける」→
 「道中、幼馴染と再会したり、ライバルと決闘して仲間にしたりして、少しずつパーティーを強化する」→
 「魔王城へ到着。四天王を撃破して謁見の間へ突入」→
 「父親である魔王のすさまじい強さの前に屈服。洗脳されそうになったところを母親の女神に助けられ、加護を受けて復活!倒れ伏す仲間を守るために立ちふさがる」→
 「魔王の力の源であった魔神のオーブを手に入れて、次の神になる。女神である母親は息子の成長を喜び、楽園の世界を創造してそこに主人公を招く」→
 「以前の様な自堕落な生活を望まなかった主人公は激昂。母親を超えるために強姦殺神する」
 「魔王と女神を殺して秘宝を手に入れた主人公たちを、配下の魔物たちと女神の眷属が追跡する。メンターからもらったアイテムで何とか逃げ切る」→
 「非日常世界と日常世界の界まで到達。父親と母親の配下は追ってこられず、彼らは悠々と凱旋する」→
 「旅の間に育んできた幼馴染との恋が実り、結婚。戴冠式を経て国王になり、貧しかった国は、秘宝によって栄えた。めでたしめでたし」

 この一連の流れ、いわゆる「行って帰ってくる物語」を通して、主人公はしがないお飾り領主だったのが、誰もが認める一国の王になっています。この過程が、大人になる過程、つまり、成人の儀が担うプロセスとそっくりなのだといいます。
 様々な民話を伝えてきた原住民の神話を解析すると、物語の内容に教訓を込めつつ、英雄譚を通して大人になる筋道を明示するという含みがあったのではないかと言います。

>>結局小説を諦めてるじゃん。活字の力を信じてないじゃん。
 活字という媒体の限界を感じてなおラ研にいる理由is何? 楽だから? 他ジャンルに比べて創作が楽だからなのか?

 限界はあると思いますが、可能性はまだまだあると思いますよ。小説の性能の中で最も優れているのは、「媒体から目を離しても、物思いにふけることで没入感を保てる」というのと「非常に抽象的な表現が可能」ということです。
 どんなに機械で頑張っても、こればかりは再現できません。純粋に言葉だけで表現するなら、わざわざ機会に媒体を変えて新しいアプローチを探す必要はないからです。そこに僕は可能性を感じています。
 ただ、ね。どんな媒体でも同じなんですが、ゲームでも本でも映画でも、読んだり、やった後に「残らない」んですよ。気持ち的にも、人生的にも。物語という夢が覚めた後、「だから何?」と思ってしまう自分がいる。
 帯や広告で絶賛されていた漫画とか、映画を見ても、上澄みではいろいろ言っているけど本質的には同じ人間が作ったものなので、似たり寄ったりです。それらに対して、お行儀がいいなんて皮肉は言いません。ただ、面白くはないです。
 一度でいいんですよ。人生が変わる読書体験、あるいは映画体験をしてみたい。でも、そのためには傑作を求める必要があります。読み終わった後、「大好きになった登場人物みたいな人が、そういえばそばに居たな……」と思えるような、そんな作品。
 半ばあきらめているんですよ。画面の中『だけ』の出来事として感動できる作品ならごまんとあります。
 僕は、万人に向けて書かれた物語に飽きました。とんでもない意見かもしれませんが、『極上の物語というのは、役者しか観客のいない現実並みにリアルな即興劇を演じ終わった後、恋人役の相手と交際できるような物語の事』だと思います。

 作った人が、客の人生に何かをプレゼントしてくれなきゃ、僕はそんな物語など傑作とは呼びません。

 勝手な意見ですが、精神的停滞も立派な成長のプロセスですよ。ぼろぼろの精神は成長できませんから、停滞もある程度は必要です。そのことを僕は身をもって知っています。傷ついた心には徹底的な癒しが必要です。甘えられる相手(可愛いヒロイン)と、優しい世界(俺tueeeが許される世界)が必要です。だからこそ、ラノベは求められると思います。
 問題は立ち直った後の話です。にわとりさんのおっしゃるほど、物語の価値は低くないと思いますよ。
 病院を経営するゲームがあって、医者稼業を体験できるんですけど、そのゲームでは医大二年生前半レベルまでの本物の医療知識が学べるという仕組みですし、他にも実際物語によって成長したダメ人間がアメリカに居ますから。

 https://www.youtube.com/watch?v=fkJJl7hZxdY

 これ見てください。催眠術の力を借りているとはいえ、術師が用意した舞台の上で、物語に沿って成長しています。しかも、キャストとも非常に親密になっている。
 こういう物語が僕の理想です。

>>これは単純に欲求を持つことと欲求を表出することの違いを区別してないだけじゃね? 万民の万民による闘争を良しとしないのであれば自然法は必須でしょ。ある種のタブーはまさに自然の摂理から要請されたもののように思うけれど。

 確かにそれはそうですね……。何でもありにしたら、戦争になりますし。人間らしさって、形のない概念を実在すると思えることなのかもしれませんね。

 とはいえ、欲求の表出先を絞り込みすぎると、欲求自体も変質しますよって話。
 要は、もっとはけ口の多い社会にした方がいいよね、って事。あまりにも、ストレスを解消するのにお金がかかりすぎる。

 考えてもみてください。温泉ランドって、チェーン店とかだと高いでしょう?辺境と都市部二極集中だから、半端な田舎町にはない訳。とてもじゃないけど未成年者が出入りできるような値段じゃない。
 ブッフェなんか都心一極だし、そもそもそこまで行くのに疲れる。家で寝てた方がよほど楽。

 僕もタブーは現存のままでいいとは思いますけど、例えば千円くらいの低額ブッフェを地方にも普及させるとか(食欲)。『新世界より』みたいに、人気のないところでカップルが交わっていたら見て見ぬふりをするけど、さすがに人前でやったら逮捕(性欲)。とか。ワンコインのカプセルホテルをもっと増やすとか(睡眠欲)。

 人間関係の種類自体を増やすとか(承認欲求とか諸々)。

 実現できるかどうかは別として、いろいろやりようはあると思います。

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