そもそも中二ワード自体が感性の領域の話だから、特定のワードや漢字が特別「中二である」と定義されてるわけでもないわけで。
結論を言えば、それって単なる「常用外漢字」であって、別に「中二漢字」ではないのではなかろうか。
繰り返し、これは感性の話だから、考えすぎてゲシュタルト崩壊するがごとく何がどうなってるのかわからなくなってるんじゃないかな、と思います。
>「慉(そだてる)」や「蹮(よろめく・ふらふらあるく)」とか
これらを珍しいという理由だけで中二ワードとして扱えるだろうかと考える時点で、それは明らかに迷走を始めてるんじゃないかと思う。
感性の話なので、その漢字の意味は二の次、単純に字面がカッコいいかどうかって事でしかないと思います。
それで言うと、この2例は別に何もカッコよくはないと思う。旧字などにありがちなゴチャついてて印象が薄い漢字。
で。
じゃあ使わないべきかというとそういう話でもなくて。
例えば浅田次郎の作品に「蒼穹の昴」って清王朝末期が舞台の話があるんですが、そこでは「哥哥、オイラみたいなただの糞拾いでも宦官になれるのかい」とか、そんな感じのセリフがよく出てきます。
桂香さんには言うまでもないと思うけど、「哥哥」は中国語で兄貴を意味する言葉。
浅田次郎は自身の作品の中で「中国感」を出すために、セリフの一部を中国語で書いたりしていました。まあ呼びかける一言だけだけど。
これは別に珍しいことではなくて、新水滸伝なんかでも「兄」を「哥」と書いていたりしています。
このように雰囲気を出すために実際とは違うけどあえて旧字や中国漢字を使うということは割とよくあることでしょう。
そういう雰囲気作りは、私は演出の一つだと思うし、「中二かどうか」って話以前に、「貴方の作品の作風にはそういう字が良く出てくるもんなんじゃないの?」って話じゃないかなと思います。
難しい漢字はルビを振ればいいだけなんで、特に気にする必要はないのではないかなと。
完成した後で「やりすぎ」と感想を貰ったのなら、そんときに改めて考えりゃいい話で、最悪は推敲して旧字にした字を崩していけばいいだけだし、ネーミングの話にしてもワードの置換で置き換えれば良いだけの話。
全力を出すコツは躊躇わないことですよ。出来上がってから迷えばいいんですって。書きましょ。書きましょ。