私はヒトノナカゲノムという作品を知りません。その点をご留意ください。
まず、アンヤは第三者と言い争い?喧嘩?をしていて、全く互いに引かず、話が付かない。
そこで、傍観していたアカツキに助けを求める。
「オメーからももなんか言えよ」
苛立っているだろうセリフに対して
「ん?何がですか?」
不思議そうな顔で、首を傾げているのでしょうか? 可愛らしく感じます。
この二人の温度差にも笑えます。
「あの豆女。オレの言う事なんか聞きやしねぇ」
豆女を指差しながら、呆れたように肩をすくめて居るのでしょうか?
豆女は、速攻で反発するでしょう。
「なんだと〜!」みたいな感じで。
そこから再び、アンヤと豆女の言い合いが始まるのかな?きっと互いに顔を突きつけて、火花を散らしているに違いない。
そこでアカツキの
「二人が仲良くなって良かったです」
嬉しそうな笑顔を浮かべてそうです。
無論、アンヤと豆女は犬猿の仲でしょうから、大声で反発するでしょう。
でも全て馬鹿正直に書くのは、はっきりといって、疲れる。作者も読者も。
さらに言えば、読書は疲れます。
必要な物だけで固めた文章は、読みやすい反面、つまらないし、疲れます。
だから、その緩和剤として、「読者が気を抜いていられるシーン」を入れます。
和んだり、鼻で笑えるようなシーンです。
例えば
化物語の「かみまみた問答」
八九寺真宵の一番重要なセリフは
「私はあなたのことが嫌いです」
終盤の伏線になるこのセリフです。
「かみまみた問答」はなくても成立します
キャラの特徴は、
変なリュックを背負った
迷子の毒舌小学生。
これで十分すぎるほどあります。
「かみまみた問答」は切っても特に問題のない無駄なセリフや会話です。
なぜなら、無くても物語が成立するから。
ではなぜそんな会話があるのか?
あった方が面白いからに他なりません。
まとめ
切っても問題のないセリフの存在意義は
「読者又、作者の息抜き」だと私は考えます。そして何より読んでて面白いです。
長くなりましたが回答とさせて頂きます。