返信一覧の表示
意味不明で理解出来ない会話。 (No: 1)
スレ主 迷える狼 投稿日時:
最近のアニメ、特にライトノベル原作のものを見ていると、会話シーンの理解にとても苦しみます。
最近の作品は、キャラクターがみんな変人なのが多いからです。
「ナカノヒトゲノム」を例に挙げますと、中でも「アカツキ」は、セリフの半分が意味不明で理解出来ません。状況に合った事を話さない事が多くて、会話が成立していない場面も多いです。
アニメ 第7話冒頭の会話でも、
アンヤ「オメーからも何とか言えよ」
アカツキ「ん?何がですか?」
アンヤ「あの豆女。オレの言う事なんか聞きやしねえ」
アカツキ「2人が仲良くなって良かったです」
アンヤ「なってね~よ!」
という具合です。
もっとも、前述した通り、このアニメのキャラクターはおかしな人間ばかりで、それぞれも余り他人の言う事を聞いていない様ですが……。
「物語シリーズ」は、余談が多いものの会話としては成立しています。しかし、最近ではこのナカノヒトゲノムの様に、意味不明で理解に苦しむ様なセリフや会話が増えていると思います。
ただこの場合、アンヤがアカツキに投げた会話は無意味なものでは無いですし、考え方によるとアカツキの人間性を特徴付ける為という解釈も出来ます。
ですが、最近のラノベ原作アニメでは、セリフや会話に無意味なものが増えたと思うのです。
「何を言っているのか解らないセリフや会話」を見せられても、ユーザーは面白いと感じるものなのでしょうか。
また、そういった「切っても特に問題無い様な、無駄なセリフや会話」というのは、存在に何か理由があるのでしょうか。
応募作のコメントで、会話が毎回低評価なので、どうしたら面白いセリフや会話が表現出来るのか、知りたくて質問してみました。
カテゴリー: 文章・描写
この質問に返信する!意味不明で理解出来ない会話。の返信 (No: 2)
投稿日時:
意味不明で理解出来ない会話。の返信 (No: 3)
投稿日時:
お約束的な会話のように感じます。
ケンカップル?
喧嘩するほど仲が良いと言われるシチュではないでしょうか。
あくまで私の推測ですが、何かの参考になれば幸いです。
意味不明で理解出来ない会話。の返信 (No: 4)
投稿日時:
お示しの会話は、顔が入出アカツキそっくりながら体がスライムみたいな「プニツキ」の処遇を巡って言い争っているシーンですよね。プニツキは伊奈葉ヒミコになついているが、駆堂アンヤはプニツキを厄介がっており、捨てさせたい。
他のメンバーもシーンに現れると、「聞いてください! 駆堂さんがダメって言うんです!」と訴える。そこからがお示しの会話になるわけですよね。その部分については、アカツキとしては誤魔化したがっているように見えます。そのため、漫才で言えばボケ役になっているともいえます。何を話したいかはっきりしているアンヤがツッコミ。
> アンヤ「オメーからも何とか言えよ」(ツッコミ:自分への賛意を求める)
> アカツキ「ん?何がですか?」(ボケ:誤魔化しにかかる)
> アンヤ「あの豆女。オレの言う事なんか聞きやしねえ」(ツッコミ:ヒミコを非難)
> アカツキ「2人が仲良くなって良かったです」(ボケ:話を逸らす)
> アンヤ「なってね~よ!」(ツッコミ:話に応じないアカツキに向かう)
こうなってます。状況からキャラや台詞の意図は推測できるはずです(さらに申せば、絵もある)。アンヤはしっかりアカツキの話についていっています。しかし、アカツキがアンヤの舌鋒をかわそうと、話を知らしているわけです。かみ合わないのは当然です。
これを一貫したやり取りだと思うと、意味は取れません。フィクションにおいて、台詞のやり取りが一貫していて、過不足ない情報を逐次開示していると思うと間違います。台詞がロジック以外に気分、心情なども表しているのはご承知ではないでしょうか。
下手なために会話が本当に成立していないものもあるでしょう。しかし、お示しの部分についてはキャラの心情を考慮できていないように思います。ご質問の代表例文に挙げてしまうようでは、とてもまずいように思います。
そもそも、現実で行われる会話、特に雑談などですと、結構、つじつまの合わないことになっているのに気が付くはずです。なぜなら、たいていは相手の言うことの2割くらいしか聞いておらず、しかも自分の言いたいことを8割くらい言うからです。
台詞について物語に必要な情報、例えばストーリー進行に必要な情報に限ってしまうと、台詞がとても人工的で味気ないものになります。リアリティも感じられなくなる。論説文を無理矢理会話風にしたようなものになることも珍しくありません。
キャラの思考、気分、欲求等々は揺らいでいるはずです。台詞にも当然、その揺らぎが現れないと生きたキャラになりません。
言い換えれば、台詞は地の分とは違い、機能至上主義では処理できないということです。少なくとも、例えば冗長さは必要です。類義語的には遊び。必要な冗長さに面白さを取り入れた遊びがあるのがフィクションの会話ではないかと思います。
(議論、対話などでは事情が異なりますが割愛します。)
意味不明で理解出来ない会話。の返信 (No: 5)
投稿日時:
申し訳ない、どこが理解出来ないのか、もうちょい説明が欲しいかも。
ちなみに例文は、
>アンヤ「あの豆女。オレの言う事なんか聞きやしねえ」
>アカツキ「2人が仲良くなって良かったです」
「俺の言うことを聞いてくれない」というアンヤのセリフに対し、アカツキもアンヤの言葉を聞いてないよね、という事だと思うので、意味は通じていると思う。
そしてどちらかと言うと、そうやって「振り回されてます」って事を描写してる、アンヤのキャラ描写のシーンではないかと思う。
まあ、アニメは未視聴なので例文からの読み取りでしかありませんが。
理路整然とした文章はわかりやすいですが、面白味がないです。
「これはこういう意味だ」と作者が説明するのではなく、「これはそういう事か」と読者に気づかせる書き方が望ましいと思います。
それを会話文で行うと、ウィットに富んだ会話文になります。
会話の評価が低いというのは、つまり真っ当な会話しかしてないのではないでしょうか。
例えばAが「バカなヤツだ」とBを笑うと、Bは「なんだとこの野郎」と怒り出す。
普通です。
そりゃバカにすりゃ相手が怒るのは当たり前。なんも面白くない。
これがーーそういや綿矢りさの「インストール」で良い場面あったな。
友人が主人公をバカにして言いたい放題言うと、主人公はスッと顔を上げて「もっとなじって」と答える。
というシーン。
これは主人公が自分のバカさ加減を再認識する場面だったと思う。
そんな場面で「もっとなじって」は、よくその言葉が出てきたなと思ったのを覚えてる。
主人公はドMなんじゃなくて、友人の口から叱りつける言葉をもっと聞きたかったわけだね。
で。
繰り返しになるけど、「相手をバカにする」「バカにされて怒った」という当たり前の反応をするコミュニケーションを書いたって面白くないので、理路整然としている常識的な会話文は面白くないわけです。
これは会話文のことを言ってるので、シチュエーションが非常識なものであっても同じ。
「敵が来るぞ」「よし迎撃だ」みたいな、これは極端だけど、とにかく「当たり前のコミュニケーション」は基本的に面白くないです。
でも、割と常識的な話なのでそういう会話文はよく書く人が多いと思う。
ほんで。
>また、そういった「切っても特に問題無い様な、無駄なセリフや会話」というのは、
これは考え方が逆でしょう。
こういう読者的な見方をすれば、「無駄なシーンなんて一個もないよ」と答える他ないのですが、たぶんそれじゃ納得しないでしょう。
逆説的な解説ですが、いっそ、「その通り。そんな無駄なセリフは切っても何も問題ありません。存在価値はありません!」としましょう。
その場面はまるっと無駄な場面です。
実際、無駄をカットして小さくまとめれば30分アニメなんて15分でまとまるだろうし、文庫本のラノベも半分以下に収まるでしょう。
別にそれでもいいんですよ。
でもページ数って規定があるし、それ以上に作者としてもっとじっくり書きたい部分もあるし、そんな「必要な部分だけでコンパクトにまとめた作品」なんて盛り上がりに欠けてしまう。
なので、その「コンパクトな作品」にいろいろ無駄なエピソードを接げ足すわけです。
でも、本当にそれが「無駄なエピソード」だったら、そりゃ単なる蛇足で、コンパクトなままのほうが良い作品だと言えてしまう。
なので、当然のこと「作品がよりよくなるエピソード」を足していくことになる。
そのエピソードとは何かというと、「キャラクター描写をはじめとしたキャラ関連のエピソード」なわけです。
「アンヤとアカツキ」の例のように、キャラクター関係やキャラクターのポジションがわかる描写をエピソードに起こしたりして、作品の登場人物を濃くしてゆき、作品をより良いものにしてゆきます。
ですから、それは確かに本編とは関係なく「無駄で存在理由のないエピソード」ですが、作品にとっては「無駄など一つもない」と言えるわけです。
読み手の視点で言うと、これは本編と関係ないので、別に他のエピソードに変更しても問題なく無駄と考えられますが、そうではなく、逆、「そういう無駄な空きスペースだから、必要なものを詰め込んでいる」というシーンなんです。
で。
そういう場面はつまり「キャラ描写」、言い換えるとキャラを立てる会話って場面なので、ここをおろそかにするとキャラの「らしさ」が読者に伝わらず、例えば設定面で良いキャラを作っていたとすると、会話文がすげえ勿体ないな、って思ったりすることもあります。
意味不明で理解出来ない会話。の返信 (No: 6)
投稿日時:
私はヒトノナカゲノムという作品を知りません。その点をご留意ください。
まず、アンヤは第三者と言い争い?喧嘩?をしていて、全く互いに引かず、話が付かない。
そこで、傍観していたアカツキに助けを求める。
「オメーからももなんか言えよ」
苛立っているだろうセリフに対して
「ん?何がですか?」
不思議そうな顔で、首を傾げているのでしょうか? 可愛らしく感じます。
この二人の温度差にも笑えます。
「あの豆女。オレの言う事なんか聞きやしねぇ」
豆女を指差しながら、呆れたように肩をすくめて居るのでしょうか?
豆女は、速攻で反発するでしょう。
「なんだと〜!」みたいな感じで。
そこから再び、アンヤと豆女の言い合いが始まるのかな?きっと互いに顔を突きつけて、火花を散らしているに違いない。
そこでアカツキの
「二人が仲良くなって良かったです」
嬉しそうな笑顔を浮かべてそうです。
無論、アンヤと豆女は犬猿の仲でしょうから、大声で反発するでしょう。
でも全て馬鹿正直に書くのは、はっきりといって、疲れる。作者も読者も。
さらに言えば、読書は疲れます。
必要な物だけで固めた文章は、読みやすい反面、つまらないし、疲れます。
だから、その緩和剤として、「読者が気を抜いていられるシーン」を入れます。
和んだり、鼻で笑えるようなシーンです。
例えば
化物語の「かみまみた問答」
八九寺真宵の一番重要なセリフは
「私はあなたのことが嫌いです」
終盤の伏線になるこのセリフです。
「かみまみた問答」はなくても成立します
キャラの特徴は、
変なリュックを背負った
迷子の毒舌小学生。
これで十分すぎるほどあります。
「かみまみた問答」は切っても特に問題のない無駄なセリフや会話です。
なぜなら、無くても物語が成立するから。
ではなぜそんな会話があるのか?
あった方が面白いからに他なりません。
まとめ
切っても問題のないセリフの存在意義は
「読者又、作者の息抜き」だと私は考えます。そして何より読んでて面白いです。
長くなりましたが回答とさせて頂きます。
意味不明で理解出来ない会話。の返信の返信 (No: 7)
投稿日時:
まず訂正
×ヒトノナカゲノム
○ナカノヒトゲノム
続いて追記
私のアンヤと豆女の、会話に対する想像は
違う点も多いかもしれません。が。
「想像しながら読む」のが
たまらなく楽しいです。
「行間を読む」と言うやつですね。
このセリフは喜怒哀楽のどれだろう?
このキャラとこのキャラは相性悪そうとか
このキャラはこんなときこんなセリフ言うだろうなぁとか。
面白い会話って言うのは、
想像しながら読める文章ではないでしょうか。
アニメ版を見た後に小説版を読むと、
あの面白いシーンはこうやって表現してるんだ!とか発見があってオススメです。
同じ理由で、私は映画を見た後に、本屋で文庫版を買います。それで、感動したシーンを探します。あの感動を文章で表現するにはこうするんだなぁ。って思うわけです。
もしかしたら、面白い会話の書き方のトレーニングになるかもしれません。
なにかの参考になれば幸いです。
意味不明で理解出来ない会話。の返信 (No: 8)
投稿日時:
迷える狼さんの仰ることは、ある意味では非常に正しいです。
会話、というものを『情報伝達手段』として見た場合、重要なのは正確かつ、手短に、素早く情報を伝えることであり、それ以外の余計な要素は排除されるべきものであり、必要ないものです。
よって、会話を『情報伝達手段』として見る場合においては、そこに迷える狼さんの考えるような『正誤』や『優劣』が存在します。
きちんと情報が伝わるなら、『正』。伝わらないなら『誤』。
わかりやすい、もしくは簡潔なら『優』、わかりにくい、または冗長なら『劣』という風に。
言語が誕生した当初であれば、これらが最重要課題であったものと思われます。
しかしながら、会話というものは今現在単なる情報伝達手段ではなく、『自己表現』であるとか、『笑い』『言葉遊び』のツールとしての側面も持ち合わせています。
そして『自己表現』や『笑い』『言葉遊び』などにおいては、厳密ではないですが、『優劣』こそあるものの、基本『正誤』がありません。
ある人からどんなに間違って見えても、主流は基本的に『正』の側です。
かと言って、マイナー側が『誤』という訳でもなく、このあたりは人それぞれということになります。
推測になりますが、迷える狼さんは『会話』を『情報伝達手段』としての側面しか捉えていないのではないかな、と。
そのために、『情報伝達手段』として見た場合、どう見ても余計なものでしかない部分を切り捨てているのではないでしょうか。
ですがすでに触れたように、会話には『情報伝達手段』の側面と、「自己表現」「笑い」「言葉遊び」などの『娯楽手段』の側面も持っています。
日常の会話においては、この分類は場面場面で異なってきますが、基本小説というエンターテイメントにおいては、概ね両方の属性を兼ね備えていると言って差し支えないかと思います。
つまり、
会話は『情報伝達手段』かつ『娯楽的手段』としてのツール。
こう考えた場合、おそらくは迷える狼さんの判断基準である『情報伝達手段』的側面のみで判断を下してしまうと、まず上手く行かないものと思われます。
というのも、大半の人間は会話というものを『情報伝達手段』と『娯楽手段』の両方の性質を兼ね備えている前提で使用しているからです。
あくまで印象なので明言は避けたいところですが……7割〜8割ぐらいは『娯楽手段』としての側面も理解した上で使用しているように感じます。
あるいはもっと多いかもしれません。
(例文のやり取りは、迷える狼さんが思う以上に多くの人が意味を汲み取れるはずです)
ともあれ。それぐらいの人間が、会話においてのユーモアやセンスを求めているわけですから、小説においてはなおさらでしょう。
この『娯楽手段』としての会話をどう理解するか、が今後の課題となるように思いますが……。
1 もっと会話を楽しむ。
2 ユーモアを学ぶ。
ぐらいしか思い浮かびません。
多くの方が少なからずこういったことを好む傾向にある……と思っているので、提案としては微妙な気がしますが、もし上記二つに違和感や忌避感を覚えるようであれば、徹底的に純文学の芸術方面の文体や会話に逃げて、読者に「よくわかんないけど面白い!」と思わせる手もありかもしれません。
あるいは。
会話分でこれらいずれも無理であるなら、地の文で遊んでみるというのはどうでしょうか?
少なくとも、現状のままでは厳しいと思われるので、道筋としては。
1 徹底的に会話とそのユーモアを学ぶ。
2 その方向を完全に諦めて別の面白さを生み出す方を選ぶ。
でしょうか?
もしかすると第三の道もあるのかもしれませんが、私からはこんなところです。
それではご武運をお祈りいたします。
意味不明で理解出来ない会話。の返信 (No: 9)
投稿日時:
>1 徹底的に会話とそのユーモアを学ぶ。
●失敬。
よく考えてみると、似たような事例で元々その手の感性が無いか弱い人にこういったことを言っても逆効果か無意味になりがちだったので、諸々自覚した上で強みを探して高めるほうが現実的かもしれません。
全く無意味では無いかもですが、まあ一応。
意味不明で理解出来ない会話。の返信 (No: 10)
投稿日時:
言語論でいわれる、発話の事実確認的(コンスタティブ)/行為遂行的(パフォーマティブ)側面、って話と対応するのかなと思った。発話は事実確認的(事実について陳述している)だけではなく行為遂行的(その発話をすることによって何ごとかを為している)という理論。
たとえば電話口で「太郎さんはいらっしゃいますか?」と言われたとする。
・事実確認的側面:「太郎はいるのかいないのか?」
→ことの真偽が焦点になる。
→こちらの返答:「います(真)」/「いません(偽)」
・行為遂行的側面:「相手は発話によって"太郎さんがいたら呼んできてほしい"という要求をしている(ことを為している)」
→行為の適切さが焦点になる。
→こちらの返答:「太郎を呼んできます(適切な要求と判断)」/「太郎を呼ぶことはできません(不当な要求と判断)」
この場合、事実確認的側面にだけ注目した返答では用が足りない。文章の内容的には確かに噛み合っているけど、このシチュエーションで「います。以上」とだけ返すことはまず考えられない。
また、発話の行為遂行的側面に注目した場合でも、現実の場面では上記のように「太郎を呼んできます」「太郎を呼ぶことはできません」などの事実確認的な言い回しは普通しない。「少々お待ち下さい」とか「どちらさまですか?」「太郎にどういったご用件で?」など、またしても行為遂行的に読まないと意味が取れない返答を実際にはするはず。
というわけで、当該のアニメは観てないので正直なところはわからないけれど、アカツキの台詞はその遂行性に着目して理解されるべきだと思う。アンヤの『豆女』に対する非難の言葉に取り合わないことで、アカツキはどのような意思表示をしているのか、ということに注目したら見えてくるものがあるんじゃないかと。