お考えのキャラは、実戦力は低めながら、知恵で切り抜けるタイプでしょうか。NARUTOのキャラで考えてみると、奈良シカマルみたいなタイプですね。
知恵者であることを考慮すると、自分の実戦パワーの弱さ以外に、カリスマ性の低さも意識していることになりそうです。かつ、そこを超えていけそうもないことも、賢いゆえによく分かっている。
もしそうだとすればですが、繰り返し「自分でいいのか」と言ったり、思ったりするのは意味があります。物語はテーマがありますが、主人公だけでなく主要キャラそれぞれにテーマがあることはよくあります。
その知恵者キャラのテーマが、例えば「実戦力の低さ→仲間を求める」であれば、「自分でいいのか」が仲間内での口癖であっても問題ありません。読者向けには確かにくどいかもしれませんが、知恵者キャラの仲間キャラに影響を及ぼせます。
例えば、最初は大事な場面で弱気になった知恵者キャラに仲間キャラは怒り、半ば見放す。しかし知恵者キャラの知恵で困難を切り抜ける経験も重ねている。最後の大一番で、またもや知恵者キャラが弱気になったとき、仲間キャラが「お前でいいんだ、いやお前しかいない」と言って、みたいな展開ですね。「自分でいいのか」が口癖だったことにより、効果が出せます。
そうではなく、単なる性格描写だとか、盛り上げる前の盛り下げ(負けそうだったけど勝った印象にしたいとか)で同じ意味の台詞を多用すると、さすがにマズいでしょう。またかよ、みたいな感じになります(作中のキャラとしても、読者にとっても)。単なるフラグにしかなりません(自分でいいのか、と呟いたら勝つはず、みたいな)。
つまり、繰り返しが即マズいのではなく、その先も含めた効果を考えての繰り返しか否かなんです。ですので、結局「作品なりプロットなりを拝読してみないと分からないなあ」ということにはなります。
それでももう少し申し上げてみると、一度目と二度目の勝敗を逆にする手があります。用いやすいのは一度目は惨敗/惜敗、二度目は辛勝/完勝というパターンです。一度目と二度目は同じような段取りなんだけど、一度目の失敗に学んで二度目は成功するという、古くからある、繰り返しを活かすパターンです。
一度目で敗れたのなら、二度目を前にしての不安は最初より増して当然です。二度目でも敵が優勢であれば、「自分でいいのか」どころか、「やっぱり自分ではダメだ」くらいになります。そこで、周到な準備+仲間の支え+前にも増しての機転等々で勝てば、知恵者キャラが繰り返し悩んだことを活かせます。成長を描けるわけですので。