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キャラの描写が過剰になている気がしてなりません (No: 1)
スレ主 ものす 投稿日時:
初質問失礼します、ものすと申します。
自分は今、あるゲームの二次小説を書いています。二次の話をこの場でするのが場違いでしたらすみません。ですが、もし良かったら話だけでも聞いて欲しいです。
自分は今、あるキャラの描写がくど過ぎるのではないかと悩んでいます。
私が書いている二次小説の内容を簡単に表すと、ある者達が宿敵を倒す為に戦い続けると言うお話です。
悩んでいるのは、その小説の参謀的キャラの描写についてです。
そのキャラは真面目な性格で、知恵はよく回るけど武力はそこまで無い、寧ろ仲間の中でも弱い方です。様々な展開を想定して入念に戦いの準備をしたり、仲間にもどんなに簡単な戦いでも注意を怠らない様にと言う用心深さもあります。
次のお話で、そんなキャラがリーダーとなり小隊を率いて戦いに赴くつもりです。
ですが上記の様な性格故に、昔からの旧知の仲の者だけには『自分で本当に良いのだろうか』と弱音を吐かせる描写をしたのですが、実はそうやって悩む描写をするのは二回目なんです。
前回は初めてのボスキャラに挑む部隊の一員として、そのキャラを選びました。そのキャラはその性格と能力のせいで、自分で良いのかと悩む描写をそこで既にしてしまったのです。
二度も自分に出来るのか、やれるのか、と不安がる描写をいれるのはくどいでしょうか?正直書いていて、このキャラがくよくよし過ぎの様に感じてきてしまいました……傍から見てもどうなのか、このまま旧知の仲の者に弱音を吐く描写をいれてもいいのか、どうか教えてください。よろしくお願いします。
カテゴリー: キャラクター
この質問に返信する!キャラの描写が過剰になている気がしてなりませんの返信 (No: 2)
投稿日時:
心配されてる通り、確かにくどいかな? と思います。
それは、二度も同じ性格描写で「くよくよしすぎ」というのもありますし、「前と同じネタを使ってる」という事でもありますし、「じゃあ前回出来たのはなんでだよ」というツッコミもあります。
特に個人的に気になるのは最後の「前回の事が無駄になりかねない」ってとこで、その前回の様子がわかりませんが、例えば仲間に支えられて立ち向かう勇気を得たという展開だったとすると、今回また同じ事で思い悩むとそういう仲間への信頼がなかったことになってしまう。
だから、「くよくよしすぎ」な性格で弱気な人物であったとしても、二回目はすぐに立ち直るほうが良いし、深刻に悩んで弱音を吐き出す場合は前回と明確な違いがある場面にしたほうが良いと思う。
例えば、前回は頼りになる仲間がいたけど、そのときの戦いで死んでしまい、今回はいない、とか。
仲間の死は大きすぎる変化なのでもっと身近なパターンにすると、
例えば、前回は自分の無力さに悩んでいて、今回は自分の采配で仲間を死地に追いやってる事に悩んでいる、とか、「弱音を吐く」という展開自体は同じでもその内容が違うという形。
やりすぎればやはり「くよくよしすぎ」という印象しかなく、例にするなら「新世紀エヴァンゲリオン」のシンジくんがこのパターンで最終的には立ち直れないくらいまで凹むわけですが、まあそこまでではないでしょう。
「弱音を吐く描写」を入れるかどうか悩んでおられますが、正直、作品を読んでみてコンセプトをもうちょい聞かないと、描写自体の是非は答えられないと思う。
入れるならば「前回と同じ」にはならないようにすべき。
で、「前回と同じ」ではない最たる選択が「描写は入れない」という事なので、「入れない」選択がトップに来ていると思う。
ただ、それだとキャラ表現としてどうなの、という事もあろうし、しかしそれは作者本人や作者に近いほど作品を理解していないと意見として正しく発言できないと思う。
作品をなんも知らない第三者が無責任に助言するなら「同じなら入れんほうがええんちゃう?」って感じですが、描写を入れるにしても工夫のしようはある、と考えてみると良いかもしれません。
余計な事かもしれないけど、「同じ展開にして同じネタで悩む」という展開から、前回との違いを浮き彫りにして、例えば「そうか、ヒロインは大事な人だったんだ」とか気がつく、というキャラ描写とは別の描写もできるし、「同じネタはダメ」というわけじゃなく、何にしても工夫次第。
そのため、そもそも「その描写を入れたいかどうか」という作者の選択が全て。
ただ、「キャラ描写のためだけ」というなら、すでにやったネタだし、何度も強調することではないと思うし、作者としてもやりすぎかもという自覚があるため、物語的には不要な描写ではないかと思う。
キャラの描写が過剰になている気がしてなりませんの返信 (No: 3)
投稿日時:
お考えのキャラは、実戦力は低めながら、知恵で切り抜けるタイプでしょうか。NARUTOのキャラで考えてみると、奈良シカマルみたいなタイプですね。
知恵者であることを考慮すると、自分の実戦パワーの弱さ以外に、カリスマ性の低さも意識していることになりそうです。かつ、そこを超えていけそうもないことも、賢いゆえによく分かっている。
もしそうだとすればですが、繰り返し「自分でいいのか」と言ったり、思ったりするのは意味があります。物語はテーマがありますが、主人公だけでなく主要キャラそれぞれにテーマがあることはよくあります。
その知恵者キャラのテーマが、例えば「実戦力の低さ→仲間を求める」であれば、「自分でいいのか」が仲間内での口癖であっても問題ありません。読者向けには確かにくどいかもしれませんが、知恵者キャラの仲間キャラに影響を及ぼせます。
例えば、最初は大事な場面で弱気になった知恵者キャラに仲間キャラは怒り、半ば見放す。しかし知恵者キャラの知恵で困難を切り抜ける経験も重ねている。最後の大一番で、またもや知恵者キャラが弱気になったとき、仲間キャラが「お前でいいんだ、いやお前しかいない」と言って、みたいな展開ですね。「自分でいいのか」が口癖だったことにより、効果が出せます。
そうではなく、単なる性格描写だとか、盛り上げる前の盛り下げ(負けそうだったけど勝った印象にしたいとか)で同じ意味の台詞を多用すると、さすがにマズいでしょう。またかよ、みたいな感じになります(作中のキャラとしても、読者にとっても)。単なるフラグにしかなりません(自分でいいのか、と呟いたら勝つはず、みたいな)。
つまり、繰り返しが即マズいのではなく、その先も含めた効果を考えての繰り返しか否かなんです。ですので、結局「作品なりプロットなりを拝読してみないと分からないなあ」ということにはなります。
それでももう少し申し上げてみると、一度目と二度目の勝敗を逆にする手があります。用いやすいのは一度目は惨敗/惜敗、二度目は辛勝/完勝というパターンです。一度目と二度目は同じような段取りなんだけど、一度目の失敗に学んで二度目は成功するという、古くからある、繰り返しを活かすパターンです。
一度目で敗れたのなら、二度目を前にしての不安は最初より増して当然です。二度目でも敵が優勢であれば、「自分でいいのか」どころか、「やっぱり自分ではダメだ」くらいになります。そこで、周到な準備+仲間の支え+前にも増しての機転等々で勝てば、知恵者キャラが繰り返し悩んだことを活かせます。成長を描けるわけですので。
キャラの描写が過剰になている気がしてなりませんの返信 (No: 4)
投稿日時:
読んでみないと分かんない!!
まぁ、私的には・・・・・たぶん、そこまでくどくは取らないかなー。演出の仕方次第だと思います。
同じセリフを言わせるとかだと「またかよ・・・・・」ってなりますが、次のセリフとかが某シンジ君の『逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ…』
系なら、弱音と苦悩を必死に押し殺す演出として「やっぱ怖いよな・・・分かる」ってなります。分からないなりに(;´∀`)