何やら勘違いをしているようなので、僕からも補足を。
まず、一視点、多視点、神視点と区別するのは、何も間違っていません。
あなたの「一視点も多視点も結局は神の視点」という主張自体は正しい。しかし、一視点や多視点が神の視点であろうと、「三人称神視点」という書き方を否定する事はできません。
というのも、そもそも「三人称神視点」という書き方があるからです。
「三人称一視点=1人のキャラに寄り添った第三者の視点」「三人称多視点=対象のキャラを切り換えながら描写する第三者の視点」「三人称神視点=どのキャラにも寄り添わず、中立的な立場を保った第三者の視点」という3つの三人称視点は、ラノベに限らずあらゆる創作物において利用されています。
それだというのに、「一視点も多視点も神の視点」という主張から「三人称神視点」を否定するのは、正しいと言えません。
そしてもう一つ。
>三人称では、登場人物の内面を知るためには、台詞にしたり、「悲しい、と◯◯は思った」と客観的に描かれる必要があります。
これは誤解です。
三人称視点にて、登場人物の内面を直接的に描写する事は高難度ながら可能であり、何も間違った表現法じゃありません。
事実、多くの作品では、三人称視点でもキャラの心の声を直接描写しています。
もちろん、杜 値様が仰った事全てが間違いという訳ではありませんが、「三人称神視点は一般的かつ多用されている書き方」、「三人称視点でもキャラの内心を直接描写していい」ということだけ、ご理解下さい。