いろいろとご指摘ありがとうございました。
たぶん、ドラマトゥルギーそのものについての考え方からして、根本的に違うのだと思います。
正直、どうしてあの描写にしたのかはよく覚えていませんが、読み返してみるに、「探し物に気を取られてるんだから女の人をじっくり見られるわけがない」と考えたからだろうという気がします。
それはたぶん、「靴紐を結ぶ」叙述に字数を割こうとするのと同じ理屈だったのでしょう。
注意があさっての方向にそれで、気が付いたら「え?」という状況になっているという。
(因みに、靴紐のほうはコントにありがちな、『今までの何だったんだ』という不条理オチのパターンですが)