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問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか? (No: 1)

スレ主 兵藤晴佳 投稿日時:

https://www.raitonoveru.jp/cms2/2019/11/30/46153/
 「冒頭で主人公が焦っている傾向」が挙げられていますが、これは大昔からそうなっているので、決して珍しいことではありません。
 そもそも、「自己紹介パート」という概念があること自体が不自然なことだったのではないかと思いますが……。

 紀元前427年頃にソフォクレスが書いた『オイディプス王』では、主人公のオイディプスがテーバイを襲う天変地異に冒頭から焦っています。
 ここで長い長いセリフのやりとりによって語られるのは、事件の背景です。
 大事件を最初に起こしておけば、それを解決しようとして登場人物たちが動き出すのは当然のことです。その葛藤によるセリフのやりとりを通して「時・所・人」の情報を提示するのは、「自己紹介パート」の設定より効率的ではないかと思います。

 では、なぜ今まで、そんな当たり前のことが当たり前ではなかったのでしょうか?
 かくいう私もラ研の企画で「冒頭の葛藤でバックグラウンドを示す」方法を酷評されたことがありましたので……。
 
 言われた通り2~3本書き直しましたけど、いやほんと、キャラと背景の説明してから事件を示すのは、まどろっこしくていけません。書き直すんじゃなかったと後悔してます。

カテゴリー: 文章・描写

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問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信 (No: 3)

スレ主 兵藤晴佳 : 1 No: 2の返信

投稿日時:

「自己紹介パート」その他、設定を説明するための段落はそもそも必要なものでしょうか?
私から見ると、まどろっこしく感じられます。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信の返信 (No: 4)

投稿者 あまくさ : 0 No: 3の返信

投稿日時:

冒頭の葛藤でバックグラウンドを示すのは効果的な良い方法の一つだと思いますが、冒頭の書き方はそれだけがベストだと決めてかかるのも早計かもしれません。
兵藤さんの作品を酷評した人は本当に「まどろっこしい自己紹介パートや設定説明」を推奨したのですか?
具体的にどういう冒頭をどういう言葉で酷評されたのか読んでみないと、なんとも判断できないところです。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信の返信 (No: 6)

投稿者 のん : 2 No: 3の返信

投稿日時:

こんばんは。
ざっくり言いますと『設定を説明するための段落』は、伏線か答え合わせです。

簡単なので先に「答え合わせ」につい例を出しますが、これは推理小説の種明かしパートです。
犯人の動機や使われたトリックの説明ですね。

後に回しましたが、「伏線」もその名の通りです。
眼鏡をとるとキレる主人公と紹介しておいたから、あとの展開で眼鏡をとられたときに安心してキレることが出来ます。

でも説明らしいこういうのって「伏線」ぽくないですよね。主人公のステータスの羅列が「伏線」と言えるのか、と。

こういった戦闘力やスキルの羅列は、ストーリー的なものではなく、エンタメ的なものです。
読者様が先を予想し、どういう展開になるんだろうと考えて楽しむための情報開示です。

主人公の戦闘力は確か5000だったから、この敵相手には厳しいはず…どうなるの?
とか、
主人公は飛行スキルを持っていたはず!ここまで来れればヒロインを助けられる!
とか。

考えるのは楽しいですし、予想が当たれば嬉しいものです。
エンタメ的な伏線は、そういった喜びを届けるための情報開示、説明です。

なのでストーリーとは関係ありません。無くてもいいんじゃないでしょうか。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信の返信の返信 (No: 7)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 6の返信

投稿日時:

お返事ありがとうございます。
情報整理のためのシーンは必要かと思います。
これが戯曲なら、日記や調査メモを読み上げるところですが。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 9)

投稿者 のん : 0 No: 7の返信

投稿日時:

そうですね。
長編は全体を把握するのが大変です。読者様を補助するためにも、物語を仕切り直すためにも、情報整理パートは有用だと思います。

分類すると「答え合わせ」ですしね。そういう展開、とも言えるので、伏線と比べればストーリーとの絡みも多いでしょう。

未来のことに関係するのが伏線で、過去のことに関係するのが答え合わせです。
なので例えば、先の展開を冒頭に持ってくるのはエンタメ的な伏線ですね。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信 (No: 5)

投稿者 サタン : 1 No: 1の返信

投稿日時:

と、いうか。
言ってしまえば「序盤はインパクトが大事だよね」という話なのですよ。
「序盤で読者を引きつけるには」ってこと。
それで。
「インパクト」というと、推理小説を例に「最初に死体を出す!」と書かれていることが多く、確かラ研でも古い記事でそうした一文を見た気がする。
こうした例から「何か大きなイベント・事件」と考える事が多いですが、そうではなく。
ようは注目される要素の事で、推理小説の場合は事件を扱うから事件を全面に出しているだけなんですね。

で。
推理小説では「事件を扱うから事件を」となるわけですが、では「キャラクター主体になりやすいラノベでは?」と考えた場合、どのような答えがあると思われますか?
至極単純に考えれば、「キャラクター性をアピールできる場面から始める」という結論になりませんかね。
そんで、当たり前だけれど「キャラを紹介する」事を全面に出せば、冒頭は「主人公の自己紹介」から始まるのも、さもありなん、な構図なわけです。

要するに、スレ主さんは「自己紹介から始まる話」と「冒頭から事件が始まる話」で分けて考えているけど、これは本質的には同じことをしています。
ただ、扱うテーマが違うだけです。
まあ、本当に「ただ自己紹介してるだけ」のアマチュア作品は確かにありますが。

ほんで、ついでに記事に対しても答えておくと、
ラノベはキャラが主体になる事が多いので、特に「主人公・ヒロインが何をするか」って話なわけで、その「何か」に対する前置きを考えれば「主人公がこれから何かする」というシーンになるわけで、しかも冒頭であることから「説明不要で主人公が何かをする場面」と考えると、例えば「生命の危機」といった本能的な行動であったほうが説明が不要で説得力があるわけです。
すなわち「何かに追われて焦っている」という場面が最適解となるわけです。
もちろん、全てにおいて最適解なわけではありません。
最強ヒーローが主人公なのに焦ってる場面から始めるのは悪手でしょう。

ああ、それともう一つ
>「冒頭の葛藤でバックグラウンドを示す」方法
確かに、いきなり話を始めてバックグラウンドで人物描写をしていくほうが効率的なんだけど、それは作者の立場の話であって、読者の立場から言うとこれってやりすぎると「バックグラウンドを読み取らなければならない」わけなので、読書のハードルが上がるんですよ。
だから、読み取る必要がないほど自然に理解できるよう上手く書かないと、失敗しやすいです。
特にあれもこれも冒頭に詰め込むと、わけがわからない仕上がりになると思います。

よくあるんじゃないかなと感じる方法は、やはりラノベにおいてはキャラ描写に重きをおいた冒頭かなと思います。
例えばファンタジーあたりを想定して、敵が攻めて来て小さな村は絶体絶命、村人たちは動揺しまくっている。しかし主人公は涼しい顔をして村人を鼓舞すると指揮を取って活躍し、敵を追い返すことに成功した。
みたいな。
わかるかな。
これって「事件(ないしインパクト)」から始まっているけど、主に「主人公アピールのための場面」で、キャラ描写なんですよね。
要するにこれって「主人公の紹介のための冒頭」なので、「自己紹介から始まってる冒頭」なんですよ。
主人公の自分語りや来歴をアレコレ書いてないだけで、やってることは同じなわけです。
この例は「主人公の人物像」ひとつに焦点を絞ったバックグラウンドで、嫌でもアピールが目につくので読み取る努力をしなくても読み取れます。
言い方は悪いけど、こんな風に馬鹿でもわかるくらいにしないと「バックグラウンドを読み取ってもらう」のは難しいんですよ。

ラノベではない場合、まあラノベでもなくはないけど、事件からはじめてその事件に対するキャラの反応を冒頭に置くと、複数のキャラの描写が出来るので効率的です。もちろんキャラ以外のバックグラウンドを書くこともできる。
でもこれだとラノベの場合「誰の行動を追って読めばいい」のかわかりにくいので、キャラを主体に考えやすいラノベでは「わかりにくい」と言われるでしょう。

ちなみに余談だけど、
少なくとも私の場合は、前述した「主人公が敵から村を守ったエピソード」を指して「主人公の説明をする」と表現しています。
来歴を語ったり独白したりするだけの事は「説明」していないと考えています。
なので、今回の例は「主人公が敵から村を守る」というだけですが、「村を守る」ではなく「物語本編に関わる要素」を書いて主人公を説明し、冒頭から物語を始めてしまうのが一番効率的で、私はそうする事が多いです。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信 (No: 8)

スレ主 兵藤晴佳 : 1 No: 5の返信

投稿日時:

お返事ありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。
最も読解力のない読者でも、説明抜きに「時・所・人」が理解できるようなセリフのやり取りは本当に難しいんですけどね。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信 (No: 10)

投稿者 あまくさ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

例えばラストでキャラAとキャラBが命をかけて戦う物語があったとします。いきなり戦っているシーンを読まされても読者は何のために戦っているのかわからず、あまり興味もわかないものです。
これがアニメであれば作画や動きの迫力で魅せることも可能でしょうが、そこは文章だけの小説では太刀打ちできないところです。なので、小説はストーリーが重要なのです。

ストーリーの基本的な構造は、はじめに前提があり、前提を受けた展開があり、展開を受けた必然的な流れとしてのクライマックスがあり、クライマックスの結果としての結末がある。そういうものではないでしょうか?
それらを構成するストーリーの要所要所は、読者に的確に伝えなければなりません。そこを無味乾燥な説明でやってしまうのは確かにあまり良いやり方とは言えません。キャラの言動やエピソードで自然に伝えていく方がベターでしょう。

でも。

言動やエピソードで表現しても、その時点で結末を知らない読者には狙いがちゃんと伝わらない恐れがあります。すべて知っている作者が陥りやすい罠なんですね。
物語の軸にエピソードがどう絡んでいくのか理解できないと、読者にとってはただ散漫にエピソードが数珠つなぎになっているだけに見えてしまいかねません。
きちんと伝わらないことには何にもならず、そのくらいだったらいっそ地の文で説明してしまった方がまだマシです。

伝えるための方法として私なりに考えていることは、

1)まず何よりも作者自身が物語の狙い・着地点をきちんと把握する。

2)キーワードとなる印象的な言葉を織り込んで理解の補助とする。

3)重要なポイントにはフラグを立てる。

4)最終的な狙いを途中まで明示したくない場合は、ダミーのストーリーをつくり読者の興味をつなぐなどの工夫をする。

などです。

4は先のスレで気にされていた「読者を裏切ることにならないか?」という問題を生じますが、それについてはあちらに色々考えを書いたので省略します。

>「自己紹介パート」その他、設定を説明するための段落はそもそも必要なものでしょうか?

必要あるとも無いとも言えます、
上記のようにプロットに密接に結びついた設定であれば、何らかの形で伝える必要はあるでしょう。
仮にそうでなくてもキャラそのものの魅力、強烈に斬新な設定を売りにするような作品も有り得ますから、一概には言えないところかと思います。

まどマギ (No: 11)

投稿者 あまくさ : 1 No: 10の返信

投稿日時:

例として小説ではなくアニメになってしまいますが、キャラの言動やエピソードで徐々に真相に迫っていく流れ、それでいて視聴者の興味を途切れさせない技術という点で『まどマギ』は見事でした。(エヴァはそこが弱く、気分が乗らないと退屈になってしまう。 ←私見)
また「言葉による説明」をキュゥべえというキャラに担当させていたことにも注目。彼(?)のセリフはまさに無味乾燥なのですが、それが不気味さを醸し出しているんですね。一石二鳥のうまいやり方だと思いました。

死神 (No: 13)

投稿者 あまくさ : 1 No: 11の返信

投稿日時:

企画はアーカイブがあるのでちょっと拝見してきました。呪い屋と死神でしょうか? 間違っていたらすみません。

少しだけ分かりにくいと私も思いました。呪い屋と死神の能力の関係が途中までぼかされていて、しかも死神の能力の方にも微妙なずれがあることが最後の方で明かされます。これだとよほど工夫しないと少なくともスッと頭に入らないかもせれません。

まったく分からなくはないんですね。むしろストーリーの大筋、仕掛けの意味、作者様が何をやりたかったのかなど、おおむね理解はできた気がします。

しかしですね。少しだけ分かりにくいというのがけっこうクセモノ。あれだと読者は読みながら時々立ち止まり、「ここはたぶん、こういうことなんだろうとは思うけど……」と訝しみながら先に進む感じになりそうです。このもやっとした感じが邪魔になって、理解はできても物語を楽しめないのです。

ま、あくまで私はそう感じたという話ではあるのですが、向こうで感想をつけていらっしゃった方たちの半数以上が分かりにくいと口をそろえていたことも一応参考にされることをお勧めします。

何も設定説明のための「まどろっこしい」長めの文章を入れることを推奨しているわけではありません。向こうの感想もそういうことを言っているわけではないように私には読めました。
会話やエピソードで伝えることも含め、情報の見せ方や手順をもう少し工夫した方がいい。せっかく文章そのものは読みやすく、アイデアやストーリーもよくできているのに分かりにくさの一点で損をしているのでは。
それが勿体ないというのが、大方の総意なのではないかなと思いました。

死神の返信 (No: 14)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 13の返信

投稿日時:

わざわざ作品の講評までいただき、恐縮です。
私がお叱りを受けたのは、もっと昔の企画作品でした。現在では時系列順に改稿されてしまっていますが、まどろっこしい展開になっています。
ご覧くださった作品については、「読者が読み取った情報の整理」を行う場面が必要だったと考えています。
そういえば、井上ひさし『紙屋町さくらホテル』でも、序盤の最後で特高の刑事が登場人物についての調査メモを読み上げていました。
基本的な5幕構成でいえば、「開示」「葛藤要因の提示」「葛藤」「対決」「終局」のうち、最初の3つで情報整理のシーンが必要となるというところなのでしょう。
ご指摘ありがとうございました。

死神の返信の返信 (No: 18)

投稿者 あまくさ : 1 No: 14の返信

投稿日時:

再訪、再々訪、再々再訪ばかりですみません。レスはお気遣いなく。

>「読者が読み取った情報の整理」を行う場面が必要だったと考えています。

そうですね。それが一番手堅い方法だと思います。
井上ひさしさんのその作品を読んでいないので分かりませんが、ミステリの場合は解決編の前に探偵役が情報整理してくれるのはお約束。普通の小説では不自然になる場合もあるかもしれません。なので、要所要所の会話や、地の文に入れる主人公の思考などで段階的に理解させるのも良いかもしれませんね。
あと、先に書いたようにキュゥべえのようなキャラ(説明することが不自然ではない立ち位置のキャラ)を作る手もあります。

ただ、そういうことを施しても、少し問題は残るかもしれません。
これも繰り返しになりますが、小説の「分かりにくい要素」は、分かりにくいことだけが問題なのではなく、「分かりにくい! 先を読むのがめんどくさい! もう読むのをやめよう!」と読者に思われてしまうのがまずいのです。

このデメリットについては、後から情報を整理しても手遅れです。

御作の場合。
向こうの感想でも指摘されていましたが、死神の設定がやや複雑すぎるんです。元ネタである落語・死神の設定に確かに似ていますが、落語の方は一つも分かりにくくないですよね?
御作では、ストーリーの都合で死神の能力に一捻りも二捻りも加えています。そういう微妙なところまで展開だけで表現しようとしていて、明らかに説明不足でした。

解決策としては。

まずは向こうでも提案されていたように、死神の設定そのものをもっとシンプルにできないか考えてみること。それでもストーリーは成立する可能性を私も感じました。

いえ、やりたかったことは分かるのです。どんでん返しですよね?

終盤の意外な展開を演出するために、設定に捻りをくわえる必要が生じたのだと思います。しかし、そういうことは一度話を複雑にしてしまうと作者の思考がそれにとらわれてしまって、よく考えたらもっと単純にできることに気が付かないというのは、よくあることです。
なのでダメ元で、まずは設定そのものをもっとスッキリできないか一旦は検討してみるとよいと思います。

つぎに。

捻りを加えた設定のままでいきたいなら、やはりストーリーを通して段階的に理解させていくのがよいかなと。
また繰り返しになりますが『まどマギ』は好例だと思います。
『まどマギ』は主人公たちが全編を通して徐々に真相に近づいていく構成になっていましたが、途中の理解は方向が間違っていたんですね。しかし間違ってはいても、それぞれの段階の理解そのものは明快で分かりやすくなっていました。
そのようにして、一つ一つ視聴者にしっかりと理解させながら、フェイクの理解を次の段階で修正していく。そんな流れが作られていて見事でした。

パーツは分かりやすく。しかし、パーツの組み合わせにトリックがあったということです。

他に、魔女の斬新なヴィジュアルや、「マミる」という言葉を生んだ有名な第3話の衝撃など、視聴者をつかんで離さない工夫もふんだんに盛り込まれていました。
加えて真相がなかなか分からないじれったさも、逆手に取れば「真相を知りたい」という視聴者(読者)の欲求につなげることもできます。
そういうところも『まどマギ』はとてもよいお手本かと。「もやっとする分かりにくさと」と「興味を引き出す分かりにくさ」の違いを読み取ってください。

追記。読者と主人公の知識の一致。 (No: 21)

投稿者 あまくさ : 1 No: 18の返信

投稿日時:

一つ書き忘れました。

◎読者と主人公(視点人物)の知識の一致。

これも重要なのではないかと考えます。
御作の冒頭、呪い屋の主人公がヤクザと商談していますが、主人公のふてぶてしい態度は演技らしいというところまでは何となくわかります。しかし、その背景(死神の能力と呪い屋の関係)まではこの描写では分かりようがありませんよね。そのため、主人公は人を呪い殺せるらしいのにヤクザごときを怖がっている理由がわからず、読者の脳裏に?がうかびます。

実は怖がっているようなのだけれど演技で隠していて、そうする理由がわからない。
これだと読者はこのキャラクターに共感しようがないことはお分かりでしょうか? 怖がっているなら怖がっている、怖がっていないなら怖がっていない、そしてなぜそうなのか明瞭にわかる。それでこそ読者はキャラクターと心理を共有できるということです。

もちろん。
主人公の全人生の知識を読者と一致させることは不可能です。ただ、物語の本筋にかかわる部分の知識はできるだけ一致していた方がいいのではないかと。
それによって、読者と主人公が歩調を合わせて物語を理解していくことができる、というメリットも生じます。読者と主人公に一緒に発見させ、一緒に驚かせ、一緒に悲しませるのです。

オイディプス王というキャラは隠された秘密が満載ですが、戯曲のスタート時点では本人もそれらを知りませんよね? そこがポイントだと思うんです。
むしろ観客の方は戯曲以前のオイディプス伝説を知っているでしょうから、観客は知っているけど主人公は知らないという逆の不一致はあります。
しかし、こちらの不一致は大丈夫のようです。

◎名作は何度読んでも感動できるという事実。これはなぜなのか考えてみると、見えてくるものがあるのではないでしょうか?

結末を知っているのに何度も同じ物語を再体験できる。ここにこそ「物語の力」があるのではないかと思うんですね。

一方。
物語の根幹にかかわる重要なことを主人公は知っていて読者は知らないという不一致は、少なくとも主人公への共感という点においてはかなりマイナスです。そして往々にして読者に物語を理解させる段取りの調整がむずかしく、そこを失敗した作品になってしまいがちなのだと思います。

ストーリーは時系列を守った方がいいと言われる理由の一つも、おそらくここに関わっています。
落語の『死神』では、何も知らない主人公が死神と出会うところから始まります。そして設定説明を、聴衆と主人公は一緒に死神から聞かされるのです。それから半信半疑でニセ医者稼業をはじめ、うまくいったから調子に乗って設定の裏をかくことをやりはじめ~、という流れを聴衆と主人公は一緒に体験していきます。だから、分かりやすいのです。

エンタメ・ストーリーの主人公に巻き込まれ型が多い理由も、おそらくこれ。
昨今、異世界転生モノが大流行した本当の理由もこれなんじゃないかと。これほど読者と主人公の知識を一致させやすい形式もありませんよね?

以上のことはあくまで基本であって、実作においてすべて杓子定規に守る必要もないのだろうとは思います。
ただ基本をしっかり把握したうえで、計算づくでバリエーションを加えていく姿勢は大切かと。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信 (No: 12)

投稿者 読むせん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

わたし馬鹿だから良くわかんない

>>「自己紹介パート」という概念があること自体が不自然なことだったのではないかと思いますが……。

に関しては【自己紹介】を「何」とするかによるかと思います。
紹介する自己はなにか?名前、年齢、性別、職業。
とある作品では「精鋭学院の●年生、精鋭能力は○○です」というなんじゃそら!?な説明が続きました。

 唐突ですが兵藤さんは【オディプス王】観た事か読んだことはありますか?
私は筑摩書房のやつを読んだのですが・・・・・・・あちこちに注釈だらけで、ほぼ注釈で本の大半が埋まりそうな勢いでした。当時の人には注釈なんて一切いらないけれど、今の読者や視聴者である私達には必須の要素です。
古めの海外文学の翻訳ものなんかはそれが多いですねー。

ターキッシュ・デライトなんていわれても、それがトルコを知らぬ明治の日本国民からすれば、食品なのかすら分かんない「もの」ですから。

自己紹介する作品は、かならず「ターキッシュ・デライト」要素があるものな印象です。
==============================
自己紹介は同時に特殊なお国事情や能力事情スキル事情も説明できることが多いです。

異世界ファンタジー世界で奔走する【異世界推理もの】を読んだことあるけど、「いや、それ単なる説明不足・・・」という答えのものが多く、推理というより質問に一切答えてもらえずファイナルアンサーを求められるウミガメのスープ化していました。

魔法がある、でも威力やバリエーションを説明していないしリスクも説明してくれない。

「今回のトリックは被害者の死体を天井にくっ付けていたのです!!」
「「「どうやってー?」」」
「氷の魔法です!!」
「「「そうだったのか―!?」」」
「魔法でいったん死体を浮かせ、そこで凍らせると氷の力で魔法の補助がなくとも死体が天井に貼りつく。あとは氷が解けるまで放置すれば死体が上から落ちてきます」
「「「ゴイスー」」」
「魔法中は対象をガン見しなければならない。僕らの上から血が滴って来ず、さらに
その時上ばかり見ていた君が犯人だ!!」

・・・・・みたいな?
==================
現代社会常識で理解できる範囲でのトリックじゃないとモヤる。近未来sf推理やSF推理物とかも、けっこうモヤるの多いです。

モヤんなかった奴は・・・アイザックアシモフの黒後家蜘蛛の会であった「月食殺人事件のオチが決めかねる」ってやつくらい。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信 (No: 15)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 12の返信

投稿日時:

お返事ありがとうございます。
岩波文庫の『オイディプス王』には注釈が全くないんですね。
それほど訳が上手かったのでしょう。

因みに。
冒頭部分を要約すると、こんな感じですよね。

オイディプス:ちょっとちょっと、みんな、宮殿まで押しかけてきて何の騒ぎ?
神官:助けてください! 昔、通りすがりにスフィンクスの呪いを解いたその知恵で、この国を天変地異から!
オイディプス:あ、それなら僕の奥さんの弟クレオンに、神様のお告げを聞きに行かせてあるよ。あ、戻ってきた。
クレオン:先王殺した犯人が国内にいるから、始末しろって。
オイディプス:……と、そのへん詳しく。
クレオン:大勢いたらしいんだけど、唯一の目撃者も逃げちゃったんだよね、ビビって。
オイディプス:……あのさあ、なんで今まで放っといたの? 探せばよかったじゃない、すぐ!
クレオン:スフィンクスがさ、解けない謎かけしてたろ、あの時! そんな場合じゃなかったの!
オイディプス:……分かった、分かったよ。その謎も僕が解くよ……やれやれ。

これだけでも、それまでの経緯とオイディプスの天才キャラと、人間関係は示されているかと思います。
すごいのは作者ソフォクレス。
自己紹介はいりません。せいぜい「人みなにその名も隠れもなきオイディプス」と言っているくらいです。

まあ、このあとはご存知の通り。
1、クレオンの紹介した予言者に「犯人はお前だ」と言われてブチ切れたオイディプス。
2、俺様キャラの本性を現してクレオンを謀反人として追放。
3、姉さん女房の助けを借りて、卓越した推理力で真相にたどりついてみれば……。
4、自分で知らずに父親殺して、美しい母親との間に子供こさえていたっていう。
結局、責任取って自分の目を潰し、国から出ていきましたって話。

この場合、本当の問題は「1」で示されているわけなんですけどもね。
登場人物を動かすための問題は冒頭で、読者に示す「問題意識」はその次に、といったところでしょうか。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信の返信 (No: 19)

投稿者 読むせん : 0 No: 15の返信

投稿日時:

あああああ読み直したいのにオイディプスが部屋から出てこねぇぇぇぇぇ(´Д`)どこー!?
筑摩ではオディプスの出版してない・・・・なら岩波だっけ?なんか同じ岩波っぽい。たしか古書店で購入ってのは覚えているんですが・・・ジュールヴェルヌとチャンポン読みしてたせいかなぁ・・・(-_-;)別の未読本は、ぽろぽろ出るのに・・・

・・・えっと、読んだやつは

①これは演劇やねん
②当時の演劇ホールはこんな感じ☆
 役者チームと歌唱チームがいて、歌唱(コーラス)チームがBGM歌いながら状況説明をしてくれるの。
同時上映(?)はソフォクレスと人気を二分していた○○さんの脚本!!
このダブル上演で脚本バトルをする形式だったのよ☆

③コーラス組によるオディプス氏の功績をたたえる歌「オディプスさんのゴイスーなとこは~♪」
④コーラス「孤児からスタートで、そこまで成功しまくって調子こいているオディプスのもとに、その報せが届くのであった~♪」

って感じでした。いま読みたいのに・・・(´谷`;)うぐぅ
============================
このコーラス説明組がチートなんです。
シェイクスピアなんかにも【歌える説明係】がいて「こんなシュチュで物語が始まるんじゃ~♪」って前情報を観客に入れてくれる。

長台詞での説明も「あ、じゃあこいつがオディプス役か~」と観客に気付かせる程度の役割に近かったはず。
=============

>>かくいう私もラ研の企画で「冒頭の葛藤でバックグラウンドを示す」方法を酷評された
とのことですが、どこにあるのか分からなくて読めませんが・・・・私も辛口に批判してしまうと思います。

オディプスにおける【見どころ&見せ場】は

>>3、姉さん女房の助けを借りて、卓越した推理力で真相にたどりついてみれば……。

であり、ここをピックアップするために切り張りして調整した結果がこのシナリオだからです。
①父を探して三千里した挙句、②スフィンクス倒して美人の嫁をゲット!!③子作りもしちゃって4人子供ができたでござる。5年は王様業が続いてんぜヒャッハー!!・・・・というチートマシマシ挙げ太郎が逆転☆転落する部分やねん。

①の部分、捨て子疑惑で肩身せまく暮らす幼いオディプスの健気ムーブとか、忌まわしい予言から(養)父を守るため一人放浪の旅に出るセンチメンタルさ。夜盗や強盗、メンヘラ爺(実父)の襲撃を退け、たどり着いた国で②邪悪なスフィンクスを倒し③高貴な人に取り立てられる・・・・・とかをウッカリ丁寧に描いてしまうと悲劇というより、単に露悪趣味的な胸糞展開になるねん。

①~③観客「うう・・・良かったねオディプス君。幸せになってね!!」
↓⑤からオチを提示
観客「・・・・(絶句、ドン引き)」

娯楽というよりブラック・クラッシュやん。楽しめねーよ!!
 この物語を胸糞にしないための工夫として「冒頭の葛藤でバックグラウンドを示す」スタイルにしているだけだと思う。
--------------------------
・・・・ちなみに、実際にどんな具合なのか、ぜひ読んでみたいので、兵藤さんの作品はどこに置かれているか教えていただけないでしょうか?m(__)m

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信の返信の返信 (No: 20)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 19の返信

投稿日時:

『オイディプス』のテーマはかなり明確です。
「自分の才覚に溺れた、神をも畏れぬ男の転落」なんですね。
最初に「謎は私が解く!」と大見栄切らせておいて、その才覚の発揮によって破滅させる。
だから、それ以前のことを描く必要はないのです。
むしろ、問題解決の過程で、早いうちに語らせたほうがいいんですね。

下ネタでよろしければ、半日で殴り書いたものがここにあります。
https://ranove.sakura.ne.jp/story_system/public_story/07047.shtml

ドラマツルギーの本筋 (No: 22)

投稿者 あまくさ : 2 No: 20の返信

投稿日時:

横やり失礼します。

>『オイディプス』のテーマはかなり明確です。
>「自分の才覚に溺れた、神をも畏れぬ男の転落」なんですね。

あの戯曲の文学的テーマはそうかもしれませんが、ドラマツルギーとしてのポイントはそんな立派そうなこととは関係ありません。
犯人捜しをしていた男が、実は自分が犯人だったという事実に行き着く意外性。これが本筋です。

ドラマツルギーの本筋の返信 (No: 23)

投稿者 読むせん : 0 No: 22の返信

投稿日時:

まあ突き抜けてやると、「当時ちょう受けた【悲劇】の脚本」でも十分ですね~。

同時上演のライバル・シナリオはオディプスの4人の子息たちが主人公。
 父殺しの犯罪者で実母と近親相姦のトリプルリーチの果てに生まれた子だと皆にバレ、諸悪の根源である当の父親は発狂して逃亡
【呪いの果てに生まれたお前たちも、この呪いからは逃れられないぞBY父】という最高にいらん置手紙をもらってのスタート。【親の因果が子に報い】系の悲劇シナリオだった模様。
===================
そういう意味では、オディプスは究極的に言うとメタフィクション系の悲劇っす。映画でいう【ファイナル・デスティネーション】

 作中に出る【デルフォイの託宣】は、ギリシャ神話の演劇内によく出るやつ。いっそ「呪い」的なものになります。
 実際のデルフォイで行われる託宣は「あなたの父はなくなっていません(亡くなって居ません)(死んでない)」みたいなダブル・ミーニング言い回しを多用したようですが、演劇中の【デルフォイ】は嫌な意味で的中率100%。
無敵キャラを殺処分するための装置に近いです。ヘラクレスはたしかこれで死んでた。

ある意味ケルトに出てくるゲッシュ(誓い)に近いシステムですね(Fateとかのクーフーリンで検索しよう)。誓いを破らせたら相手は死ぬぜ☆
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オディプスさんも彼の父も母も「息子が父を殺し、母と子作りする」という呪いがかけられ、その呪いに抗うために奔走した挙句、逆に呪いを成就させてしまう感じ。

なろう系でいう【シナリオ補正力】から脱出しないと訪れるメタ系悲劇でもあるっす。
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もっともっと突き抜けていくと「運命を変えることができたのはゼウスだけだから、ただの人が運命に勝てたら、ゼウス(神々の王)にだってなれる」という神話レベルの王位簒奪物にもなるよー。んな下克上は神が許さぬから、神々もシナリオ手伝っちゃうよー。

ギリシャ神話において、シナリオ補正力に勝てたのは、ゼウスだけなんやで。

なのでなろう系の、神をぶっ飛ばして主人公が新世界の神になり女神ハーレム作るのは、にわかどころかギリシャの時代から続く男の子黄金テンプレ(笑)いつの時代も男の子ってやつわwwww

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 24)

投稿者 ヘキサ : 1 No: 20の返信

投稿日時:

さらに横やり失礼……

戯曲の場合は上演時間も気にしなくちゃいけないから、けっこう圧縮気味にしないといけないんですよね。圧縮しないで一人の男の栄華と転落を描いたものというと「源氏物語」かな。女三の宮を迎えたあたりから、これまでの栄華の報いを受けるかのように光源氏の運気が下降していってる(それまで自分が不倫三昧だったのに、不倫される側になったり紫の上の信頼を失ったりとかで)。

通常だったらこれ読みたくねー、宇治十帖なんかほんと、人気が出た後の番外編として次世代の話をファンサービスで描いてるだけみたいに思えてくるんですが、穿った解釈かな。

それはさておき、御作を拝見しましたが、なんだか「前半の説明が妙にわかりにくい」という意見には頷けるかも。「伏線としてうまく機能していない」感じがするんですよね……(私は感覚から入ってその後その感覚の出どころを探るために分析するんですが、そのため論評は超テキトーなので、その程度と思ってもらっても構いません)

女性に下心を持つあたりの描写はともかく、故郷に対する複雑な気持ちはもう少し早めに表出させておいたほうがいい感じがしました。事件のことは伏せておいて構いませんが、そこが「伏線としてうまく機能していない」感じがしたところです。「場所の名前を言えなかったのはこういうことなんだよー」という伏線回収が、いまいち盛り上がらなかった感が。

他作品やコラムなどのテクニック論を参考にするのは構いませんが、それが自作に該当するかを客観的に判断するのは……難しいことだと思いますが、できる範囲で頑張って下さい。自分も研鑽中の身ではありますが。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 25)

投稿者 読むせん : 0 No: 20の返信

投稿日時:

読んできました。うんズバリ読みにくい。

アメリカ純文学がこんなイメージです。

散弾銃のように意味深なくせに実は不必要な情報をドパラタダダーッ!!と掃射しておきながら、いざ大事な情報は行間から察しやがれwwwって感じの書き方。
 初めて読んだアメリカ純文学が「ワンダー・ボーイズ」という後日に映画化した作品ですが・・・・あまりの散文的な文章に、読んでいて始めて心が折れるかと思った小説です。どうにか読み切れたけど、読後「くだらない情報で嵩まししてないで本編を書けやボけぇぇぇぇ!!!」となりました(笑)

 ちなみに後日、ワンダー・ボーイズの映画を見ましたが、めっちゃ内容をはしょって、ちゃんと分かりやすく改変してあった(笑)wikiのまとめもメッチャわかりやすい。映画かwikiみてから読みたかったチクショウ"(-""-)"
 アメリカのラノベ畑と児童文学畑にいるスティーブン・キングとカニグズバーグ作品は、どれも読みやすかったし分かりやすかったんですけどね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

忌まわしい記憶がこびりついてしまった故郷に戻る羽目になった主人公が、過去のトラウマ関係者に再開してしまい、記憶と地獄のカマの蓋が開く・・・・って感じなのでしょうが、

主人公がちゃこぽこ観光→なんだ仕事かよ→混浴・おっぱい(?)→美人・おっぱい(書いていない)→口説くも未亡人だったらしく、おっぱい失敗→未亡人となぜか会社で再開→真相みたいな、連続性のない印象でした。

 「後だし戦法」かもですが、この物語には【歌って踊れる説明役】―—————世にも奇妙な物語でいう司会の「タモリさん」のナレーションが無いないまま物語が始まるため、「これは奇妙な物語だ!!常識を疑え!!」という心構えができていないまま臨(のぞ)んでしまい、どうにもついていけねーや・・・ってなっちゃう感じ。

伏線とかもある意味、意味不明で無意味に見える情報に連続性や関連性をもたせる【共通項】でもあるんやなーっと感じました。うん、ためになった。
読ませていただき有難うm(__)m

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信 (No: 16)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 12の返信

投稿日時:

お返事ありがとうございます。
岩波文庫の『オイディプス王』には注釈が全くないんですね。
それほど訳が上手かったのでしょう。
因みに。
冒頭部分を要約すると、こんな感じですよね。
オイディプス:ちょっとちょっと、みんな、宮殿まで押しかけてきて何の騒ぎ?
神官:助けてください! 昔、通りすがりにスフィンクスの呪いを解いた知恵で、この国を天変地異から救って!
オイディプス:……あ、それ、僕の奥さんの弟クレオンに、神様のお告げを聞きに行かせてある。あ、戻ってきた。
クレオン:先王殺した犯人が国内にいるから、始末しろってさ。
オイディプス:……と、そのへん詳しく。
クレオン:大勢いたらしいんだけど、唯一の目撃者も逃げちゃったんだよね、ビビって。
オイディプス:……あのさあ、なんで今まで放っといたの? 探せばよかったじゃない、すぐ!
クレオン:スフィンクスがさ、解けない謎かけしてたろ、あの時! そんな場合じゃなかったの!
オイディプス:……分かった、分かったよ。犯人も僕が探すよ……やれやれ。

これだけでも、それまでの経緯とオイディプスの天才キャラと、人間関係は示されているかと思います。
すごいのは作者ソフォクレス。
自己紹介はいりません。せいぜい「人みなにその名も隠れもなきオイディプス」と言っているくらいです。
まあ、このあとはご存知の通り。
1、クレオンの紹介した予言者に「犯人はお前だ」と言われてブチ切れたオイディプス。
2、俺様キャラの本性を現してクレオンを謀反人として追放。
3、姉さん女房の助けを借りて、卓越した推理力で真相にたどりついてみれば……。
4、自分で知らずに父親殺して、美しい母親との間に子供こさえていたっていう。
結局、責任取って自分の目を潰し、国から出ていきましたって話。
この場合、本当の問題は「1」で示されているわけなんですけどもね。
登場人物を動かすための問題は冒頭で、読者に示す「問題意識」はその次に、といったところでしょうか。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信 (No: 17)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 12の返信

投稿日時:

お返事ありがとうございます。
岩波文庫の『オイディプス王』には注釈が全くないんですね。
それほど訳が上手かったのでしょう。
因みに。
冒頭部分を要約すると、こんな感じですよね。

オイディプス:ちょっとちょっと、みんな、宮殿まで押しかけてきて何の騒ぎ?
神官:助けてください! 昔、通りすがりにスフィンクスの呪いを解いた知恵で、この国を天変地異から救って!
オイディプス:……あ、それ、僕の奥さんの弟クレオンに、神様のお告げを聞きに行かせてある。あ、戻ってきた。
クレオン:先王殺した犯人が国内にいるから、始末しろってさ。
オイディプス:……と、そのへん詳しく。
クレオン:大勢いたらしいんだけど、唯一の目撃者も逃げちゃったんだよね、ビビって。
オイディプス:……あのさあ、なんで今まで放っといたの? 探せばよかったじゃない、すぐ!
クレオン:スフィンクスがさ、解けない謎かけしてたろ、あの時! そんな場合じゃなかったの!
オイディプス:……分かった、分かったよ。犯人も僕が探すよ……やれやれ。

これだけでも、それまでの経緯とオイディプスの天才キャラと、人間関係は示されているかと思います。
すごいのは作者ソフォクレス。
自己紹介はいりません。せいぜい「人みなにその名も隠れもなきオイディプス」と言っているくらいです。

まあ、このあとはご存知の通り。
1、予言者に「犯人はお前だ」と言われてブチ切れたオイディプス。
2、俺様キャラの本性を現してクレオンを謀反人として追放。
3、姉さん女房の助けを借りて、卓越した推理力で真相にたどりついてみれば……。
4、自分で知らずに父親殺して、美しい母親との間に子供こさえていたっていう。
結局、責任取って自分の目を潰し、国から出ていきましたって話。
この場合、本当の問題は「1」で示されているわけなんですけどもね。
登場人物を動かすための問題は冒頭で、読者に示す「問題意識」はその次に、といったところでしょうか。

おごと温泉 (No: 26)

投稿者 あまくさ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

短編の間の作品を拝見してきました。

う~ん。
やはり、分かりにくいです。

ストーリー上の仕掛けとして意図的にぼかされている情報もありましたが、ぼかさなくてもよいことまでぼかしている文章が散見されました。

例えば。

>背中にも、さっきとは真逆のぴりぴりした空気が感じられた。
>振り向かなくても分かる。夏の休日のレジャーを楽しもうと、早朝から新幹線に乗る客は少なくないはずだ。

後ろに並んでいる客がイラつき始めたのを背中に感じたということですね。ところが直接的にそう書くことをなぜか避けるかのように、妙に遠回しな表現をしています。でもここは遠回しにするところでしょうか?

A・B・Cという文章のつながりがあるとして、A・Cは普通の日常描写、Bは伏線としてわざとぼかした表現にしたいということはあると思います。
その場合、A(分かりやすい)・B(分かりにくい)・C(分かりやすい)ならいいのです。分かりやすい文脈の中に1点だけ分かりにくい文章があることで、そこが浮いた感じになってむしろ読者の印象に残ります。「ん? これはどういうことだ?」というのは、アクセントにもなるんですね。
ところが御作は、A(分かりにくい)・B(分かりにくい)・C(分かりにくい)になりがちなので、重要な分かりにくさが、どうでもいい分かりにくさの中に埋没している感じです。

これは想像なのですが、ものごとを直接的につづった文章を、芸がない、または粗雑と感じていらっしゃるのではないでしょうか? しかし小説の文章は散文をベースにする方が効果的だと思います。

おごと温泉の返信 (No: 27)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 26の返信

投稿日時:

ご指摘の点は、「何が起こっているかは、直接的に描くべきだ」ということだと思います。
おっしゃる通りです。出来事に重点を置く場合は。
しかし、出来事というのは他のことを描く場合に使われることもあります。

「彼は傍らの友達が真剣に語りかけている間、下を向いたまま靴紐の固い結び目に悪戦苦闘していた」

 事実だけを述べれば、

「彼は靴の紐を解くのに夢中で、傍らの友達の真剣な話を聞いていなかった」

この次のシーンで、彼に「え? 何?」と言わせるなら、前者の描写が適切だと思うのですが。

 短時間の殴り書きにあまりこだわる気はありませんが、あの場面で肝心なのは後ろで待っている客の苛立ちではなく、「隣の綺麗な女性への意識」になるんじゃないかと思います。
 私がひねくれているのかもしれませんが。
 「隣の綺麗なお姉さんが気になる」ことを描写するために、「気もそぞろで見つからない探し物」のせいで「後ろの客を怒らせてしまう」話のほうが私の好みです。
 「食えない下町のおっさん」を描くために、「狭い裏道を駆け抜ける」ことで「粗末な古自転車が金持ちのスポーツカー」を追い抜くのと、語り方の構造はそんなに変わらないと思うのですが。

おごと温泉の返信の返信 (No: 28)

投稿者 あまくさ : 0 No: 27の返信

投稿日時:

その「隣の綺麗な女性への意識」と「後ろで待っている客の苛立ち」の描写の仕方が似ていたためまぎらわしくなっていて、「隣の綺麗な女性への意識」がかえって埋没している感じがありました。すなわち、描写の匙加減にきわめて重大な計算違いがあったのだと考えます。
「隣の綺麗な女性」は後半きわめて重要な役割をするのだから、前後の描写を含めてこの女性にピントを合わせ、最新の注意をそそいで文章を調整するべきです。
そのためにこそ、「気もそぞろで見つからない探し物」と「後ろの客を怒らせてしまう」の描写は端的で素っ気ない方がよいと私は感じたのですが、いかがでしょうか?

おごと温泉の返信の返信の返信 (No: 29)

投稿者 あまくさ : 0 No: 28の返信

投稿日時:

しろうとの書く「何の変哲もない文章」と、巧者の書く「何の変哲もない文章」は別物です。
後者は「レトリックを駆使し技術の高さを誇示するような文章」よりも高い技術に支えられているはずです。

ライトノベル作法研究所管理人うっぴー /運営スタッフ:小説家・瀬川コウ:大手出版社編集者Y - エンタメノベルラボ - DMM オンラインサロン

プロ作家、編集者にアドバイスしてもらえる!勉強会で腕を高めあえる!小説で飯を食べていきたい人のための創作コミュニティ。学生には交通費1000円を支給。

問題点の所在がよく分かっていらっしゃらないのでは? (No: 30)

投稿者 あまくさ : 1 No: 29の返信

投稿日時:

>「彼は傍らの友達が真剣に語りかけている間、下を向いたまま靴紐の固い結び目に悪戦苦闘していた」

> 事実だけを述べれば、

>「彼は靴の紐を解くのに夢中で、傍らの友達の真剣な話を聞いていなかった」

>この次のシーンで、彼に「え? 何?」と言わせるなら、前者の描写が適切だと思うのですが。

この例で言うなら、そもそも。

「靴紐を解く」とか「「え? 何?」と言わせるとかが、そんなに重要でしょうか? 考え方が逆だと思うんですよ。

1)彼に「え? 何?」と言わせたい。

   ↓

2)そのためには簡明に事実だけを書くのではなく、靴紐を解くのに悪戦苦闘している様子を描写した方がよい。

   ↓

3)しかし、そう描写した結果、全体が分かりにくくなっている。

こういうことが起こっています。
1・2だけについて考えるなら、まったくその通りだと思います。しかし、御作の中のあちらこちらで3のような事態が起こっている。そう指摘しているわけです。

では、1と3のどちらが重要なのでしょうか? そういう話です。

上記の場合、「え? 何?」と言わせることを諦めれば一気に解決することです。
にもかかわらず、「え? 何?」になぜこだわるのですか?
そこを考えてみてください。

「隣の綺麗なお姉さんが気になる」の例で言えば、後ろの乗客の様子を描くことがそれを伝える最適の描写とはまったく思えず、むしろ逆効果になっているように思えます。そう思う理由はすでに書きました。

◎まぎらわしい文章がつづくために、肝心の部分が埋没してしまっているのではないか?

そういうことです。兵藤さんの返信は、この指摘に対する答えになっていません。

私は、つねに描写よりも端的な叙述が優れているなんて一言も言っていませんよ。ケース・バイ・ケースでどちらが効果的か判断するべきだと言っているのです。

おごと温泉の返信の返信の返信 (No: 31)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 28の返信

投稿日時:

いろいろとご指摘ありがとうございました。
たぶん、ドラマトゥルギーそのものについての考え方からして、根本的に違うのだと思います。

 正直、どうしてあの描写にしたのかはよく覚えていませんが、読み返してみるに、「探し物に気を取られてるんだから女の人をじっくり見られるわけがない」と考えたからだろうという気がします。
 それはたぶん、「靴紐を結ぶ」叙述に字数を割こうとするのと同じ理屈だったのでしょう。
 注意があさっての方向にそれで、気が付いたら「え?」という状況になっているという。
(因みに、靴紐のほうはコントにありがちな、『今までの何だったんだ』という不条理オチのパターンですが) 

おごと温泉の返信の返信の返信の返信 (No: 32)

投稿者 読むせん : 1 No: 31の返信

投稿日時:

最新欄にお邪魔します(/・ω・)/わーい 読ませていただいた感想書いたけど、埋もれたのかスルーされてるのか分かんないし(笑)

>>『今までの何だったんだ』という不条理オチ
というのは、やっぱり難易度が高いと「読む側」は思ってしまいますね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
昔、試したことがあるんです。
思い付きで自宅のリビングのテーブルの上を撮影し【これをどう思う?】と議題を上げてネットにアップしました。

無造作に放り出された砥ぎかけの鉈(なた)、安物のチーク、遊戯王のカード、奇妙な言葉が書きつけられたプラスチック・カード。齧りかけて皿に放置された干し柿と部分入れ歯、飲みかけのコーラと湯気の立つコーヒー、垢じみたテレビのリモコン、赤いチェックのこたつカバー。

父母兄妹祖父母のB型似たもの6人家族が、やりかけ食いかけ作業中のまま放り出した我が家の日常風景で
「私の家のテーブルってカオスぎない?WWWWどうやって片づけたらええねんWWWアドバイスくれ」
くらいのつもりでアップしたのですが・・・・・・レスポンスは【それらの寓意性や関連性を推理する推理会場】と化してしまいました。

・・・・提示されるからには、少なくとも日本人の読者は、それに法則性や意味、意義を見出そうと【してしまう】のです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q、①笹②ひまわり③パンダ
この中から一つ仲間外れを選んでください

正解は③パンダ。なにせ①②は同じ植物ですから

多くの日本人は②ひまわりを選んでしまいます。だってパンダは笹食うもん。日本人は物事を「つい関連付けてしまう」思考パターンがあるそうなんです
===================
またまたオディプスさんを引き合いに出しますが、前王殺しの犯人が実は【この演劇内に一切出演していなかった、赤の他人だった】としたら、そこにドラマはあるでしょうか?それをすごいと思えたでしょうか?

「この作者のことだから、また本編に一切出ないやつが真犯人とかだよ。どうせ(笑)」

「どうせ本編のほとんどが無関係なミスリードだろうから、ちゃんと読まなくてもいいや」

「へー、こいつを犯人に【した】のかー、謎解き?聞かされると逆にモヤっとするようなトンデモ推理だろうから、どうでもいいや」

そうならずに、あなたは読み続けることができますか?見続けられますか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これがあくまで文学ならいいっちゃあいいのですが、推理やミステリーっぽく仕上げたい、どんでん返しを仕込みたい場合、すごく足を引っ張ってくるんですよ。

いま話題のドラゴンクエスト・ユア・ストーリーみたいなものですね。後半十分とかで、今まで見てきた本編の価値がなくなるような不条理オチを提示された気分に、なりかねないです。

おごと温泉の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 33)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 32の返信

投稿日時:

返信できなくてすみませんでした。
どうもシーンとシーンのつながりを感じさせる書き方ができないんですね、私。それを辛抱強く読んでいただいて恐縮です。

ええと。
「じゃあ今までの何だったんだ」のミステリーを敢えて挙げるとするなら……なくもないんですけど、それってパラドックスになるので、できません。江戸川乱歩の作品を探してみてください。彼はもしかすると、「徒労」の価値が分かっていたのかもしれません。そんな短編もありますし。
文学作品でいえば、ゴーゴリ『査察官』の結末が不条理オチにあたるのですが、この作品はそんなに肩肘張って書かれたものではありません。(光文社のは、『鼻』も『外套』もかなり軽いノリで翻訳されます。)
落語なんか、『崇徳院』とか『猫の忠信』とか、「本筋どこいった!」を数え上げたらキリがないんですが……。

苦笑いしながら「時間と金返せ!」と言えるのが不条理オチなんだろうな、と私は思っています。

おごと温泉の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 35)

投稿者 読むせん : 0 No: 33の返信

投稿日時:

ゴーゴリも乱歩もそこまで読んでないです(;´∀`)。乱歩は自力で集めないと読めない環境なので財布と相談だし。

夢野久作と探偵安吾シリーズは読みかけていますけど、探偵安吾はどうにも性に合わずモヤっとしました。
 あと「まーやん」こと麻耶 雄嵩 の作品とかは【摩耶雄が出たぞ!!気をつけろ!!】とか叫びそうになります。
この人の不条理オチはドリフMAD【ドリフで人類滅亡】みたいな壮絶に理不尽なオチで爆散させてくるから。
 あと西尾維新もわりとそっち形だから初見の人ほどトラウマになりやすいですよね。

>>苦笑いしながら「時間と金返せ!」と言えるのが不条理オチ

【オディプス】のオチは「時間と金返せ!」とは思わないし、【クオリティーの低い不条理オチ】は単に【へぼ作家が、「俺の発想力すげだろーー!!」と、どや顔しながら繰り出すクソ落ち】と区別がつかないので、どうしても読忌避感。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
よく書いている暴論ですが・・・・・
【自己顕示欲オバケなアマチュアが、「俺の発想力すげだろぉぉぉぉーー!!」と、どや顔しながら繰り出すクソみたいなオチ】の作品のほうが【絶対数】が多いから、見切りをつけちゃいますね。

ドラゴンクエスト・ユアストーリーも「このオチを描きたいから映画化の監督を引き受けた」と山崎貴監督も公言していて、狙って打った不条理オチで【こう】ですから。

同じ不条理オチに近いやつで賞を取りまくっている「カメラを止めるな!」はユアストーリーの脚本に【実写かアニメか】【ちょっと驚くくらい大量の伏線】くらいの差しかないです。

おごと温泉の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 41)

投稿者 読むせん : 1 No: 35の返信

投稿日時:

あと、なんか『問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか? 』という議題が『脈絡のない不条理オチでもいいんじゃない?』に変わっちゃっているかも?

えっとね・・・・例題「真夏のおごと温泉物語」を、自分でオディプス王と同じような①②③④で書いてしまえる【あらすじ】として説明してみることは、できそうですか?

そして書き出した時、主人公が慌てている事は『問題定義』において、むしろ邪魔な要素になっていまいません?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
もし冒頭で、「やあ諸君!!僕は主人公☆年齢26歳のナイスガイ。このたび就職に成功し、今日は新人研修のため、おごと温泉にある施設に向かっている最中だよ☆」とでも書いてくれていたら、内容の把握が早かったし、意味深な内容も挟みやすいし、読み取りやすかったと思う。

①思った位置に切符券売機がないとか(どこだよ!?)
②電車の本数が思った以上に少なく驚愕(まにあわない)
③(恥ずかしいから)駅員にあまり顔を見られたくないとか
④美人に見とれる(不真面目やろうww)
⑤アクセス検索すれば必要所要時間が分かるのに、主人公は別にそれを検索しなかったために遅刻した。(時間にルーズ)

①券売機の位置が昔と変わっていたことに戸惑い
②過疎により本数が減ってしまったことに時代を感じ動揺
③顔見知りの駅員に合ってしまう事を恐れる
④因縁の相手のような気がする・・・・もしかしたら彼女は・・・
⑤検索しなくともアクセス順路を覚えていた
という【単にドジな新入社員】と【因縁の地元に戻る破目になった男】の二重写しにすることができたと思う。

そういう二重写しが生きてこそ、クツヒモへの固執みたいなくだらない【かけがえのない日常の象徴】に固執する男という見立てを読者が勝手にすることができますね。

筆者の描きたい心情とか「しめきりやべぇwww」とかでいいんです。

全体を見通した上でのシーンの意味 (No: 34)

投稿者 あまくさ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

>たぶん、ドラマトゥルギーそのものについての考え方からして、根本的に違うのだと思います。

たぶん考え方は違いません。

>正直、どうしてあの描写にしたのかはよく覚えていませんが、読み返してみるに、「探し物に気を取られてるんだから女の人をじっくり見られるわけがない」と考えたからだろうという気がします。

シーンの空気感やリアリティを重視するのなら、あの書き方が最適な場合もあると思います。別にそれを否定しているわけではなくて、あの場合にあそこに挿入するパートとしては適切ではないように思えるという話をしているだけです。そこをご理解ください。

ついでに『オイディプス王』について、もう少し。

>『オイディプス』のテーマはかなり明確です。
>「自分の才覚に溺れた、神をも畏れぬ男の転落」なんですね。

その通りだと思いますが、私的には「神に挑もうとして果たせなかった男の物語」と要約した方が分かりやすいかなと思ったりしました。
父殺しの予言を克服しようとしてあがき、克服し得たと思ったからこそ、彼は「自分の才覚に溺れた、神をも畏れぬ男」になったのだろうと思います。だから彼の前半生を描くことは必要ないとは言えないでしょう。
ただ、上演時間を考えると尺が足りないんですね、要するに。

オイディプス伝説なんて観客はだれでも知っていただろうし、冒頭の退屈な言葉の説明だけでくどくど紹介するくらいなら、そこはばっさり切ってしまおう。じゃあ、どうするか? 最初から物語の核心にせまる要素を何かバ~ンと放り出し、それによってストーリーがただちに動き出すようにするのがいいだろう。あと何かひねりもほしいから、「俺が謎を解く!」と大見えを切った男が、自分が犯人だったことを知って愕然とするという皮肉や落差に重点をおくのがいいかな?

とかなんとか考えているうちにできたのが、あの脚本だろうと思いますよ。
つまり、典型的なやや長めの短編~中編くらいの考え方です。

全体を見通した上でのシーンの意味の返信 (No: 36)

スレ主 兵藤晴佳 : 1 No: 34の返信

投稿日時:

詳細な解説ありがとうございます。
女性の存在を繰り返し意識しながらのモノローグという方法もあったかと思います。

ドラマトゥルギーについては、参考までに次の文章をご覧ください。
https://www.johnan.jp/soukei/pdf/2018/waseda_seikei_kokugo_01.pdf
 古典的な5幕構成(悲劇)の順序が説明されています。
1、AとBの対立の事情
2、対立を通してAの力が強くなる
3、AとBの決定的対立
4、Bに敗れたAの力が弱まる
5、終結=調和
もし、伝説を観客が知っていたのであれば、「ひねり」は感じられないでしょう。
むしろ、観客の興味を引き付ける「劇的なもの」は、運命の反転を招いたものです。
そこでソフォクレスが選んだ「1」は「神をも畏れぬ傲慢」、つまり「人と神の対立」だったのではないかと思います。実際、「オイディプスが犯人だ」と告げる盲目の預言者テイレシアスは「第1エペソディオン」で登場していますから。
余談ですが、平田オリザなども……。
「仮名手本忠臣蔵」で最も重要なのは「大評定」の場だといいます。これは「バカな殿様のせいで家臣たちが右往左往する話」だからです。
「ロミオとジュリエット」なら、「2人が出会ってしまった」ことが最も重要ということになります。「無鉄砲な子供が大人たちを振り回した挙句、2~3日で死んでしまう」話なのですから。

 ではなぜ、「忠臣蔵」は「松の廊下」が先に来るのか。
 それはまさに、日本の伝統的な「絵巻物的方法」によるといえるでしょう。ひとつひとつの出来事が、独立した事件なのです。
 それでも全体を通してみれば、「大評定」での対立が吉良邸討ち入りまでの事件を動かしているという点で、「ドラマトゥルギー」が働いているとみることができます。

全体を見通した上でのシーンの意味の返信の返信 (No: 37)

投稿者 あまくさ : 0 No: 36の返信

投稿日時:

ひねりと書いたのは結末までストレートに進展しないという意味です。観客が先を知っているかどうかは関係ありません。
そういう意味で前の書き込みに、「犯人を捜す者自身が犯人だったと分かる意外性」と書いたのは、「意外性」という言葉は適当ではなかったかもなと後で少し思いました。なので、「ひねり」または、「皮肉な展開」。

なお、意外性についても、「先を知っていても意外な展開が効果を持つ奇妙な読者(観客)心理」について、先の書き込みで触れました。
ここにくると、さすがに私の個人的な持論にすぎないかもしれませんが……
名作は結末を知っていても何度も読み返せるのは、どうしてなのでしょうか?

ここんとこ、創作者が「器用に作品をまとめあげられる」レベルから抜けられるヒントが含まれているような気がします。

5幕構成については、これから出かけるところなので、帰ってから考えてみます。

全体を見通した上でのシーンの意味の返信の返信の返信 (No: 38)

スレ主 兵藤晴佳 : 1 No: 37の返信

投稿日時:

木下順二は、ドラマトゥルギーを支えるものとして「2つの力がなぜ対立するのか」を問題にしています。さらに、その対立の根源的な理由は現実の中にあるといいます。優れた創り手は、それが変化をもたらす対立であることを受け手に示すということです。
そこまで行くと、もう創り手の世界観(思想)の問題になってきます。書いたものには作者のものの考え方が現れてしまうわけですね。恐ろしいことです。

その一歩手前のところでいえば、劇的な対立は変化を起こし続けるということになります。逆に言えば、書き手はそのために、次々に対立と危機のレベルを上げていかなければなりません。それが「ひねり」だといえばそうでしょう。登場人物にとって予想外の「危機」です。
こう考えると、「器用に作品をまとめあげる」ことは、対立と変化の関係の語り方によるといえそうです。

名作が何度も読み返すに足るのは、ここにとどまらないからでしょう。やはり、それは書き手がいかに現実と向き合うかというところにかかってくるのではないかと思います。作品中にあらわれた「対立の構図」に、読者が「ああ、そういうことってあるよな」と思えることが、読み返しを誘う本当の感動となるのでしょう。

ただし。
作品が読者の間口に合わないと、どんな傑作でも埋もれてしまうものです。
就学前児童に古典落語は理解できません。
ナチスから解放されたパリで観客を大爆笑させたベケットの『ゴドーを待ちながら』を、戦火の「せ」の字もしらないフロリダのマイアミビーチで上演したところ、幕が降りた劇場に残っていたのは、劇団関係者とテネシー・ウィリアムズ(と、ワイルダーだったかな?)だけだったそうです。
満を持した作品が受けなかったときは、これを思い出して自分を慰めるしかないですね。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信 (No: 39)

投稿者 あまくさ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

>名作が何度も読み返すに足るのは、ここにとどまらないからでしょう。やはり、それは書き手がいかに現実と向き合うかというところにかかってくるのではないかと思います。作品中にあらわれた「対立の構図」に、読者が「ああ、そういうことってあるよな」と思えることが、読み返しを誘う本当の感動となるのでしょう。

そのへんは兵藤さんと私では考え方が違うのかもしれません。
私は物語には「型」があって、人間の脳が条件反射的にそれに反応するのだと考えているんですよ。

小説ってすべからく作り話ですよね? まあ、私小説というのもあるし、それでなくても純文学寄りの作者は虚構の真実性みたいなことをいいますけど。「事実ではないが、真実ではある」とかね。

それはそれでいいのですが、私的にはもっと不思議に思っていることがあります。それは、物語性の豊かな、読者をハラハラドキドキさせるタイプのストーリー
何が不思議かというと、そういう作品の読者って作り話だって分かりきっている物語を読んで、どうしてハラハラドキドキするのでしょうか? (ハラハラドキドキすることを否定しているわけではなく、そういう物語の力に驚いているんです)

何年か前に読んだ本に、純文学系の研究者がラノベに興味を持ち、それについての研究成果をラノベ形式で書いてみたというのがあったんですね。主人公は若い芥川龍之介の研究者なのですが、ある女の子がラノベを読みながらうっすら涙を浮かべている姿に強い印象をうけます。で、「芥川龍之介を読んで泣いている読者を見たことがない」と思い、読者を泣かせる力を持つラノベって何なんだろうと。

「現実と向き合っている」文学者や批評家なら、もしかしたらその種の心の動きを「感動ではなく感傷に過ぎない」と軽蔑するかもしれませんけどね。
しかし私は、そういう素朴な涙にも人間の本質が表れているんじゃないかと思います。まだ文明がなく、裸で洞窟に住んでいた、知恵のある動物の一種でしかなかった人間。自然に対する畏れ、獲物を狩ることに成功して今日は飢えなくてすむという安堵感。山の端にのぼる曙の美しさ。火をおこして暖をとり、食物を口にしやすく変えることもできることを発見した驚き。
そういうプリミティブな感動の数々が人間の心のどこかに刷り込まれていて、それを言葉によって語り継ごうとしたのが物語の原型なんじゃないかと思うんです。

蛇が怖いのは、毒をもつ種類がいるから。しかし蛇の写真や絵を見ても気持ち悪いのは、理性を超えて人間の防衛本能が刺激されるからなんじゃないですか?
ゴキブリというのはたいして害はない生き物ですが、ひどく気持ち悪いのはたぶん異質感です。異質なものには未知なる危険が潜んでいるかもしれないという、これも本能的な防衛意識なのだろうと考えられます。
文明化された人間の心の奥底にもそういう原初の本能は生きていて、作り話だと分かっている物語に反応してしまうという読者心理につながっているのだと。

創作されたコンテンツによる感動とは、何らかの形でそういう人間の原始的な深層心理を揺さぶるすべを発見した創作者によって作るられるのだと私は思います。

まあ。
純文学系の小説家は「現実に真摯に向かい合う」ことによって、そういう人間の心の深淵に辿り着くのかもしれません。そういう人って真摯に向かい合いすぎて自殺したりしますけどね。
でも私みたいなヘナチョコは自殺なんてしたくないですから、一つの技術と割り切って読者心理の誘導術を探ります。

なので。

私は物語には「型」があって、人間の脳が条件反射的にそれに反応するのだと考えているんですよ。

という乾いた思考でアプローチしようとしているわけです。

対立の構図。
そうですね。それは心理操作のテクニックと割り切ってしまえば、もっともっと精緻にできます。プラグマティックなヤンキーはそのへんを割り切るのが得意みたいで、ハリウッド式なんてなかなかイイ線行ってますぜ、旦那さん。

リンク先について (No: 40)

投稿者 あまくさ : 0 No: 39の返信

投稿日時:

さて。
リンク先、読んできました。

まずドラマツルギーという言葉の意味については、私は劇作術でいいと思いますけどね。技術を軽視してはいけないと思います。

次に。
日本における文学や演劇の理解が浅いという話をしたいのなら、それは明治日本の近代化という問題ですよ。
近代って言ったって、それは西洋の近代なんですから。日本には日本の精神文化史があったところに、わりと強引に西洋流を持ち込もうとしたんです。19世紀ヨーロッパの芸術思潮はロマン主義全盛ですが、明治時代は19世紀も後半なのであっちではロマン主義はやや通俗的なんじゃないかとか言い出して自然主義が勃興。日本近代文学はそこらへんを移植したので、自然主義が至高と思われてやや極端な形でもてはやされた時期もあります。でもって日本独特の「私小説」がガラパゴス的に席巻していったんです。そりゃもうね、小説には0.1ミリも嘘を書いてはいけないという思想ですが、そんなことできるわけないじゃんという。

もどってヨーロッパ19世紀のロマン主義の本質は、ものすごく簡単に言い切れば「自我に目覚めよ」。これです。
18世紀の終わりころにフランス革命というのがあって、宗教もからんだ伝統的世界観が崩壊。個人の価値を尊重する思想がむちゃくちゃ重視されて、それが芸術や文学に強い影響を与えたんです。音楽なら革命から生まれたナポレオンを絶賛して英雄交響曲を作曲し、皇帝になったナポレオンを嫌悪して自曲の表紙を引き裂いたというベートーベン。ベートーベン自身は古典派と呼ばれますが、シューベルトやブラームスなどロマン派の巨匠たちがベト氏をめちゃくちゃ尊敬しています。
文学ならスタンダール・ドストエフスキーとか。ドストエフスキー『罪と罰』の主人公はナポレオンに憧れて殺人を犯し、神と個人の自我という問題に苦しむんですね。哲学者ニーチェは「神は死せり。されば我々は超人の出現を望む」と書きました。
19世紀の西洋人は神を殺してしまったのですが、神のいない世界では「自己責任」が重要になるんですね。そういう精神的葛藤の中で生み出された「近代文学」を、明治の日本人は蒸気機関とかと同じような感覚で「なんか分からないけど、すげえ」という感じで移植したんです。

次。演劇ね。

演劇が小説と違うのは、当たり前ですけど「劇場」という現実空間があることです。そこには役者がいて、観客もいます。脚本家の書くシナリオは小説にわりと近いものですが、劇場空間における役者と観客の一体感は独特なものです。つまりライブ感覚。今ならロック・コンサートなんかの方が近いかもしれません。
そういう意味では日本の能や歌舞伎だって同じだと思うんですね。能や歌舞伎にないものは、西洋流の「個人主義」。それと精緻をきわめる劇作術。
だから、ドラマツルギーは劇作術でいいと思うんですよ。それこそが日本の伝統にはなかったきわめて高度な技術です。

ゆえに。

ドラマツルギーを劇作術と解釈するのは理解が浅いという人は、理解が浅いんじゃないかと私なんかは思ったりします(笑

リンク先について、続き (No: 42)

投稿者 あまくさ : 0 No: 40の返信

投稿日時:

リンク先の文章を簡単に要約すると、戯曲とは、

1)現実の事象の中から「入り組んだ対立」を拾い上げ、

2)それを戯曲という形式に落とし込むことによって「整理された対立」に変質させ、

3)その「整理された対立」を観客と共有することによって初めて完成する。

4)日本の作家がそのような外来の戯曲の形を取り入れることが困難だったのは、作者と観客のよって立つ現実のあり方が西洋のそれと異なっているため、劇作術だけを取り入れても内容が伴わなかったから。

私なりの理解でだいぶ意訳しましたが、こういうことだと思います。

で、言いたいことは分かるけど、いろいろ異論があります。

まず論者は「思想」と書いているのですが、上記の1~4はどう考えても思想ではありません。強いて言えば1における入り組んだ対立への着目と、2における整理の仕方が思想になるのだと思われます。1~4の全体については、それを含む「状況及びアプローチの方法」と捉える方が妥当ではないでしょうか?
ただ、一般用語として「設計思想」のようにコンセプトのことを思想と言い表す場合もあるんですね。論者がそのような思想という言葉の二つの用法を錯綜させているとまでは言いませんが、思想という言葉の定義をあいまいにしているために何を言いたいのかがぼやけてしまっているように思われます。

まあ、これは私流の解釈であって間違っていたら指摘してほしいのですが、要するに作品を通して作者と観客が「思想」を共有することが重要だと言っているのであって、素材をどう料理して共有を実現するかは方法論の話なのだから、ドラマツルギーという言葉そのものは劇作術と訳して何ら問題ないと思うんですよ。

また、ピラミッド型の五幕形式というのにも少し疑問があります。
まず日本の伝統的な方式としている「順々に事件を並べていく絵巻物的方法」との対比ですが、これは単に構成という概念の有無を言いているにすぎません。「中・近世の説話型の物語には仕掛けがないね」という程度の話であって、今時ストーリーに仕掛けを施すなんてラ研の参加者だって普通に考えていますよ。
それと五幕形式の内容説明にしても、あれだと真ん中あたりが盛り上がる構成になっているようで、純粋に思想を整理する方法としてはよいのかもしれませんが、少なくともエンタメ・ストーリーの構成としては適当ではないでしょう。

ちなにご存じかと思いますがハリウッド式の三幕構成は、真ん中に折り返し地点をおいて、前半に小さな山、後半に大きな山を作るのが基本的なストーリーのカーブ。そして前半の山を主人公の不完全な目的達成、後半の山を真の目的達成と位置付けるなど、ピラミッド型よりは複雑なプロットになっています。

論者は楽しませるだけのストーリーを否定し、戯曲は現実を変えなければダメだというようなことも言っていますから、創作に対する目的意識が根本的に異なるのかもしれませんが。

リンク先について、続きの返信 (No: 43)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 42の返信

投稿日時:

そういうわけで、ドラマトゥルギーについては、考え方が違うと申し上げています。
その意味で、木下順二の論を引用しました。
基本的なドラマの法則が述べられているだけで、種々の方法論との優劣が論じられているわけではありません。
ただ、「2つの力の対立」を用いる西洋の方法論に依るなら核心を突こうと言っているだけです。
(つまり、仕掛け以前の問題です。現実には、歌舞伎にも浄瑠璃にもプロットのひねりは存在します)
本当に現実を変えるほど「ドラマティック」であるということは、ドラマに触れた観客の生活が変わるということなのであり、そのきっかけはまだ日本で見つかっていないだけで必ずある、という「思想」を筆者は述べています。(だから問題7の選択肢『ホ』は誤りとなるのですが。)
本文中に上げられている5幕構成の展開は悲劇向きのものなので、Aが勝ってBが負けるエンターテイメントに置き換えるなら、Bの力が下降線をたどる過程がクライマックスと考えればよいかと思います。
まあ、3幕の中心か終わりにポイント・オブ・ノーリターンが来るといったところでしょう。
私も、作品中の情報整理の方法としては5幕(折り返し点を含めたら6幕)構成を使っています。

エンタメを目指すのか、文学を目指すのか (No: 44)

投稿者 あまくさ : 1 No: 43の返信

投稿日時:

暴走気味の議論に返信していただき、有難うございます(本心)。
スレ主様にも他の方にもご迷惑かとも思いつつ、この件については少しこだわりたい理由がありましたので、ご容赦ください。

しかしこれ以上論じても平行線かと思いますので、一応最初の本題に戻って私なりのまとめを。

>「自己紹介パート」その他、設定を説明するための段落はそもそも必要なものでしょうか?

エンタメならNO(不要というより、基本的に無い方がいい)。純文学ならYES(必要な場合がある)。

一言でいうなら、これが私の結論です。

エンタメにおいて冒頭の設定説明パートがマイナスになるのは「つかみ」の問題であって、それ以上でもそれ以下でもありません。ただしエンタメではつかみは死活的に重要です。中盤~終盤がいかに素晴らしくても、そこまで読んでもらえなくては無価値だからです。

純文学の場合は考え方が違います。冒頭において前提を説明する必要があると判断される場合は、まどろっこしいというだけの理由でそれを排除してはいけません。その結果ほとんど読まれない作品になってしまったとしても、少なくとも無価値ではありません。

純文学でも「ついて来られない読者はついて来なくてもよい」という姿勢の是非は問われるところかとは思います。作者側に伝える努力は必要でしょう。
それでもエンタメと純文学とでは真逆というほど考え方が違う部分があります。そして、どちらが優れているということもありません。
ジャンルに貴賎なし。

次に、尺の問題。

>「自己紹介パート」その他、設定を説明するための段落はそもそも必要なものでしょうか?

短編ならNO(不要というより、基本的に無い方がいい)。長編ならYES(必要な場合がある)。

エンタメでも純文学でも、短編なら核心に近い部分を切り取って構成することは強く求められる技術でしょう。
一方で長編はスロー・スタートの方が適していることが有り得ます。ただエンタメの場合は「つかみ」の問題と抵触するので、多くの書き手が悩むところだと思います。そこは作者の腕の見せ所でしょう。

純文学とエンタメは作品の作り方がかなり異なります。別物と言って過言ではないほどです。純文学・ラノベ・アニメを比較した場合、近いのは同じ小説である純文学とラノベではなく、ラノベとアニメだと私は思います。

兵藤さんに質問したいのは、文学寄りの作品を書きたいのか、エンタメを目指していらっしゃるのかという1点です。
いくつかの実作を拝見したかぎり、ラノベとは少し違う気もしますが一般のエンタメ志向だとは思えるんですね。このスレと前の女ボスの相談も、最初の質問はエンタメ方向と思えました。
ですからエンタメを前提にして意見を述べたところ、やりとりをかさねるうちに純文学寄りに話がずれていく感じがしたので、そこにやや戸惑いました。

エンタメか文学かと杓子定規に線引きはしなくてもいいですが、やりたい方向性がエンタメ寄りなのか文学寄りなのかは明確に意識された方がよいのではないかと思います。
そこがぶれていると、アクセルとブレーキを同時に踏むようなことになりかねないからです。

たぶん、これが最後です (No: 45)

投稿者 あまくさ : 0 No: 44の返信

投稿日時:

……それと、すみません、やはりもう1点。

>本当に現実を変えるほど「ドラマティック」であるということは、ドラマに触れた観客の生活が変わるということなのであり、そのきっかけはまだ日本で見つかっていないだけで必ずある、という「思想」を筆者は述べています。

私に言わせれば、それは思想ではありません。
ただ、繰り返しますが「設計思想」というような用法なら、思想の一種ではあります。

木下さんの論じる文脈において「思想」というなら、重要なのは明治日本における「近代の受容」という歴史的な課題に際し、当時の日本人が理解しがたかった「思想」とは何か?
そういう問いかけなのではないでしょうか?

ヨーロッパ特有の中世的権威の否定。キリスト教=神への懐疑。それは中世以来千年以上に及ぶ西洋の歴史を生きていない日本人には少なくとも体感として理解しがたいものです。(ジイドやドストエフスキーの作品を読むと少しだけ体感できる気がするのですが、本当の意味で理解できているのかどうかは分かりません。ただ、そういう巨大な何かの影くらいは知ることができました)

詳述するスペースがないので簡単に書きますが、19世紀西洋の文学者は神を否定してしまったゆえに「個人」という問題に悩み、そこから生じる精神的な葛藤を作品に盛り込んでいます。そのきわめて真摯な文学的態度に明治日本の文学者は衝撃を受け、しかし精神的な葛藤の内実を体感的には理解しきれなかったために、「文学は真摯でなければならない」という形で受け取ってしまったように思います。
でも、これって本末転倒だと思うんですね。
人間は悩む理由があるから真摯になるのであって、真摯であることそのものが立派なわけではありません。理由もなく真摯ぶってもしょうがなくね? ということです。

日本近代の文学者や劇作家にとって西洋文学の本質を取り入れることが困難だった理由は、以上のようなことと私は考えています。
「ドラマツルギー」とは、真摯な思想を表現するために精緻に鍛え上げられた技術ではあるでしょう。しかしあくまで技術であって、思想そのものではありません。よってエンタメにはエンタメの技術があるのであって、そこに優劣はつけられないと強く考えるのですよ。
ヒロインとイチャコラして読者を萌えさせる技術も立派な技術です。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信 (No: 46)

投稿者 読むせん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

そして安定のガン無視される私の返信!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
おごと温泉の返信の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 41)
投稿者 読むせん : 1 No: 35の返信
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(笑)かまってくれ~(´Д`↑のリアクションがほしいのぉぉぉぉぉ

あ、あと
>>落語なんか、『崇徳院』とか『猫の忠信』とか、「本筋どこいった!」数え上げたらキリがないんですが……。

とおっしゃっていますが、めっちゃ【タイトルそのままの上手いオチ】だとおもいます。粗筋を読んだだけですが、クスリと笑わせる一品ですし、本筋が無いからこそ、あえて題名に伏線を貼ったセンスもいいと思いました。
 
あと前回にも尋ねたものの、ガン無視されて(´・ω・`)あう・・・っとなった事

【ドラマツルギー】?とかいうものと【コンセプト】と【ギミック】ごっちゃにしていらっしゃいませんか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
立身出世のために、さらわれた姫君を助けようとしている」主人公だと読者に思わせておいて、「さらった方の女ボスが実は魅力的な女性だということが分かって、そちらに心惹かれてしまう」展開
を考えていらしたようですが・・・・・私なら、こんな風にする。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
①主人公は功名心に逸(はや)る青年(イエ―イ!!自己紹介)
②立身出世のため、魔女に浚われた王女を救う旅に出る
③だが、その途中で主人公の真の目的が明かされる
④主人公が異常なまでに立身出世を目指したのは、とある高貴な人に繋がりを持ちたかったから。
そしてその高貴な人とは―――———王女その人だったのだ。
⑤主人公は王女に逢いたいがために主人公は執拗に魔女と戦い続け、そして魔女の人間性?に惹かれてしまう
⑥主人公は狂気的なまでに葛藤する
⑦なぜか?主人公は、どうしても王女に一目会いたいからだ。そして叶うならば王女に・・・・・可能な限りの苦痛と絶望を与え、惨たらしく殺したいからだ。

⑧主人公の正体・・・それは無邪気な王女の、他愛ない行為によって愛する女を踏みにじるように殺された復讐者だったのだ。
⑨主人公は邪神との契約により、王女を生贄にすることで愛する女を蘇らせてやる・・・・という【希望】を与えられている
⑩主人公にとって王女を諦め、魔女への愛を選ぶということは、邪神との契約を破棄し、愛した女を見殺しにするという事でもあった。
⑪復讐と希望は主人公の人生だった。王女を殺すため生き続けることを選べたし、王女を殺せば愛する人を取り戻せるかもしれない事は彼の心を温めてくれた。王女への殺意があったからこそ、主人公は魔女に出会い、愛を覚えるまで活きられたのだ。
⑫苦悩の果てに主人公が選んだ選択はーーーーーー

ーーーーーーーーーーーーーーーー
とか、
ドラマツルギー⑩⑪(今カノか元カノか?)(愛のために生き様を捨てるか)

コンセプト②⑤(あれ?これあくまで展開だっけ?)

ギミック③④⑦のつもり(目的と手段の逆転)(ベタな王道とおもわせてダーク路線。読者的には①のゲスい功名心からダーク路線は予感していると思う)二段構えなので伏線に注意・・・・・とかかな。

問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?の返信の返信 (No: 47)

投稿者 ヘキサ : 2 No: 46の返信

投稿日時:

ガン無視され組その2が再度横槍入れますよ!!
(いや、私はほんとにあれでレスなしでよかったんだけれども、あまりに他の方とのやりとりの噛み合ってなさについ気になった)

他者から借りて来た論を持ち出さずに、シンプルに自分の作品をよく見つめてみて。
「問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?」→他の方から「それを論じる以前の問題で、あなたの作品の問題提示はわかりづらい」→「わかりづらいのがなぜいけないの?」自分の主張がブレてることに気づいてください。それが読むせんさんの言う「オイディプスはしっかり理解できるように説明されているけれど、あなたの作品では理解の邪魔になっている」あまくささんの言う「アクセルとブレーキを同時に踏む行為」です。

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タイトル:問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか? 投稿者: 兵藤晴佳

https://www.raitonoveru.jp/cms2/2019/11/30/46153/
 「冒頭で主人公が焦っている傾向」が挙げられていますが、これは大昔からそうなっているので、決して珍しいことではありません。
 そもそも、「自己紹介パート」という概念があること自体が不自然なことだったのではないかと思いますが……。

 紀元前427年頃にソフォクレスが書いた『オイディプス王』では、主人公のオイディプスがテーバイを襲う天変地異に冒頭から焦っています。
 ここで長い長いセリフのやりとりによって語られるのは、事件の背景です。
 大事件を最初に起こしておけば、それを解決しようとして登場人物たちが動き出すのは当然のことです。その葛藤によるセリフのやりとりを通して「時・所・人」の情報を提示するのは、「自己紹介パート」の設定より効率的ではないかと思います。

 では、なぜ今まで、そんな当たり前のことが当たり前ではなかったのでしょうか?
 かくいう私もラ研の企画で「冒頭の葛藤でバックグラウンドを示す」方法を酷評されたことがありましたので……。
 
 言われた通り2~3本書き直しましたけど、いやほんと、キャラと背景の説明してから事件を示すのは、まどろっこしくていけません。書き直すんじゃなかったと後悔してます。

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