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タイトル:リンク先について 投稿者: あまくさ

さて。
リンク先、読んできました。

まずドラマツルギーという言葉の意味については、私は劇作術でいいと思いますけどね。技術を軽視してはいけないと思います。

次に。
日本における文学や演劇の理解が浅いという話をしたいのなら、それは明治日本の近代化という問題ですよ。
近代って言ったって、それは西洋の近代なんですから。日本には日本の精神文化史があったところに、わりと強引に西洋流を持ち込もうとしたんです。19世紀ヨーロッパの芸術思潮はロマン主義全盛ですが、明治時代は19世紀も後半なのであっちではロマン主義はやや通俗的なんじゃないかとか言い出して自然主義が勃興。日本近代文学はそこらへんを移植したので、自然主義が至高と思われてやや極端な形でもてはやされた時期もあります。でもって日本独特の「私小説」がガラパゴス的に席巻していったんです。そりゃもうね、小説には0.1ミリも嘘を書いてはいけないという思想ですが、そんなことできるわけないじゃんという。

もどってヨーロッパ19世紀のロマン主義の本質は、ものすごく簡単に言い切れば「自我に目覚めよ」。これです。
18世紀の終わりころにフランス革命というのがあって、宗教もからんだ伝統的世界観が崩壊。個人の価値を尊重する思想がむちゃくちゃ重視されて、それが芸術や文学に強い影響を与えたんです。音楽なら革命から生まれたナポレオンを絶賛して英雄交響曲を作曲し、皇帝になったナポレオンを嫌悪して自曲の表紙を引き裂いたというベートーベン。ベートーベン自身は古典派と呼ばれますが、シューベルトやブラームスなどロマン派の巨匠たちがベト氏をめちゃくちゃ尊敬しています。
文学ならスタンダール・ドストエフスキーとか。ドストエフスキー『罪と罰』の主人公はナポレオンに憧れて殺人を犯し、神と個人の自我という問題に苦しむんですね。哲学者ニーチェは「神は死せり。されば我々は超人の出現を望む」と書きました。
19世紀の西洋人は神を殺してしまったのですが、神のいない世界では「自己責任」が重要になるんですね。そういう精神的葛藤の中で生み出された「近代文学」を、明治の日本人は蒸気機関とかと同じような感覚で「なんか分からないけど、すげえ」という感じで移植したんです。

次。演劇ね。

演劇が小説と違うのは、当たり前ですけど「劇場」という現実空間があることです。そこには役者がいて、観客もいます。脚本家の書くシナリオは小説にわりと近いものですが、劇場空間における役者と観客の一体感は独特なものです。つまりライブ感覚。今ならロック・コンサートなんかの方が近いかもしれません。
そういう意味では日本の能や歌舞伎だって同じだと思うんですね。能や歌舞伎にないものは、西洋流の「個人主義」。それと精緻をきわめる劇作術。
だから、ドラマツルギーは劇作術でいいと思うんですよ。それこそが日本の伝統にはなかったきわめて高度な技術です。

ゆえに。

ドラマツルギーを劇作術と解釈するのは理解が浅いという人は、理解が浅いんじゃないかと私なんかは思ったりします(笑

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