全体を見通した上でのシーンの意味の返信
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全体を見通した上でのシーンの意味(元記事)
>たぶん、ドラマトゥルギーそのものについての考え方からして、根本的に違うのだと思います。
たぶん考え方は違いません。
>正直、どうしてあの描写にしたのかはよく覚えていませんが、読み返してみるに、「探し物に気を取られてるんだから女の人をじっくり見られるわけがない」と考えたからだろうという気がします。
シーンの空気感やリアリティを重視するのなら、あの書き方が最適な場合もあると思います。別にそれを否定しているわけではなくて、あの場合にあそこに挿入するパートとしては適切ではないように思えるという話をしているだけです。そこをご理解ください。
ついでに『オイディプス王』について、もう少し。
>『オイディプス』のテーマはかなり明確です。
>「自分の才覚に溺れた、神をも畏れぬ男の転落」なんですね。
その通りだと思いますが、私的には「神に挑もうとして果たせなかった男の物語」と要約した方が分かりやすいかなと思ったりしました。
父殺しの予言を克服しようとしてあがき、克服し得たと思ったからこそ、彼は「自分の才覚に溺れた、神をも畏れぬ男」になったのだろうと思います。だから彼の前半生を描くことは必要ないとは言えないでしょう。
ただ、上演時間を考えると尺が足りないんですね、要するに。
オイディプス伝説なんて観客はだれでも知っていただろうし、冒頭の退屈な言葉の説明だけでくどくど紹介するくらいなら、そこはばっさり切ってしまおう。じゃあ、どうするか? 最初から物語の核心にせまる要素を何かバ~ンと放り出し、それによってストーリーがただちに動き出すようにするのがいいだろう。あと何かひねりもほしいから、「俺が謎を解く!」と大見えを切った男が、自分が犯人だったことを知って愕然とするという皮肉や落差に重点をおくのがいいかな?
とかなんとか考えているうちにできたのが、あの脚本だろうと思いますよ。
つまり、典型的なやや長めの短編~中編くらいの考え方です。
全体を見通した上でのシーンの意味の返信
スレ主 兵藤晴佳 投稿日時: : 1
詳細な解説ありがとうございます。
女性の存在を繰り返し意識しながらのモノローグという方法もあったかと思います。
ドラマトゥルギーについては、参考までに次の文章をご覧ください。
https://www.johnan.jp/soukei/pdf/2018/waseda_seikei_kokugo_01.pdf
古典的な5幕構成(悲劇)の順序が説明されています。
1、AとBの対立の事情
2、対立を通してAの力が強くなる
3、AとBの決定的対立
4、Bに敗れたAの力が弱まる
5、終結=調和
もし、伝説を観客が知っていたのであれば、「ひねり」は感じられないでしょう。
むしろ、観客の興味を引き付ける「劇的なもの」は、運命の反転を招いたものです。
そこでソフォクレスが選んだ「1」は「神をも畏れぬ傲慢」、つまり「人と神の対立」だったのではないかと思います。実際、「オイディプスが犯人だ」と告げる盲目の預言者テイレシアスは「第1エペソディオン」で登場していますから。
余談ですが、平田オリザなども……。
「仮名手本忠臣蔵」で最も重要なのは「大評定」の場だといいます。これは「バカな殿様のせいで家臣たちが右往左往する話」だからです。
「ロミオとジュリエット」なら、「2人が出会ってしまった」ことが最も重要ということになります。「無鉄砲な子供が大人たちを振り回した挙句、2~3日で死んでしまう」話なのですから。
ではなぜ、「忠臣蔵」は「松の廊下」が先に来るのか。
それはまさに、日本の伝統的な「絵巻物的方法」によるといえるでしょう。ひとつひとつの出来事が、独立した事件なのです。
それでも全体を通してみれば、「大評定」での対立が吉良邸討ち入りまでの事件を動かしているという点で、「ドラマトゥルギー」が働いているとみることができます。
カテゴリー : 文章・描写 スレッド: 問題を早めに提示するのは当たり前のことではないか?