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タイトル:ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信の返信 投稿者: あまくさ

そこまで単純ではないですけどね。
もともと洋の東西に関わらず、神話・説話・民間伝承などを伝えたり記述したりする場合に誰も「視点」なんて細かく気にしないわけで。
そんな中で19世紀のヨーロッパには若干特殊事情があって、それは市民革命。それまでの王政・貴族政・宗教などの権威が否定され「個人の自立」がきわめて重視される社会思潮が芸術や文学にも反映したんです。その結果、特にフランスで個人の心理を克明に分析して描写するという「心理小説」というのが流行して。とりわけ(フランス人の嗜好かどうか知りませんが)恋愛心理を描くのが好まれたため、「フランス流心理小説」の実態は「恋愛心理を分析的に理屈っぽく描く小説」という感じだったんですね。
そういうものだから「男女双方の心理のすれ違い」みたいなことにフォーカスされて、結果的に「1シーンで全ての登場人物の心理を描いてしまう」みたいなのが流行ったんです。
それがヘキサさんが仰る(もしくは栗本薫さん?)「近代(19世紀)心理小説の視点」ってやつです。

で、長くなるから詳述しませんけど、19世紀の終わりから20世紀にかけては客観描写を重視する「自然主義」とか、ある意味哲学的に「視点」にゴリゴリにこだわる「実存主義」なんてのが擡頭して、なんか小説ってのがやけに難しくなってしまいました(技術的に難しいんじゃなくて、観念的に難しくなった)。

で日本ですけど、明治時代の一大特徴である「西洋化」というのがあって。当時はヨーロッパのものは何でも最高っていう感覚があって、文学もかなりそんな調子だったんですね。そして明治~大正の日本文学が一番影響を受けたのが「自然主義」だったために、それを日本流に曲解ぎみにアレンジした「私小説」が小説の最高峰と信じられたんです。

しかし、そういう伝統は有りますが、現在のエンタメ小説の世界でも「視点の統一」が推奨されるのは、その種の文学史的事情とはあまり関係ありません。
ごくごく実践的な考え方として、不用意に視点が動きすぎるのは読者にとって読みづらいということが明らかになったので、「それじゃダメよ」って話になっただけ。
なので、読みやすく書ける分には視点なんていくらでも動かしてもいいけど、それができないうちは黙って視点は統一しておきなって、そう言われているだけの話です。

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