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ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。 (No: 1)

スレ主 兵藤晴佳 投稿日時:

横光利一『頭並びに腹』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000168/files/2158_23275.html
突然止まった急行列車に右往左往する群衆と、最初から最後まで平然としている小僧の対照が笑えます。
つまり、感情抜きに出来事だけ羅列しても、その配置の仕方で読者の反応はコントロールできるということです。
大事なのはむしろ、変化のほうです。(変化が起こらないことも含めて。)

さらに、読者の感情・作者の感情・登場人物の感情は区別したほうが書きやすいのではないかと思います。
登場人物の感情は、あくまでも「出来事」。
読者の感情はそれによって動かす「対象」。
そう思えば、作品をより客観的に書くことができるのではないでしょうか。

カテゴリー: 創作論・評論

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ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信 (No: 2)

投稿者 サタン : 1 No: 1の返信

投稿日時:

もとより読者は、対象がどう変化するかを観察するものだし、その変化の結果に興味を持つもの。
例えば「主人公が悪人を倒す」と、これだけではただの事実。書き慣れてない人のバトルものだと「戦ってるだけ」のものがあるけど、そういったものは戦闘は書けていても変化が書けていないから戦闘そのものに面白味がない。「その戦闘の結果どうなったのか?」とか「戦う前と比べてどう変化して(技を覚えて強くなった・認識が変わったなど)勝利に至ったのか?」とか、そもそも、その悪人を倒した事で次の展開が待ってるわけで、ここでもやはり変化になる。
要するに対象AがA'になる過程が物語である、と私は定義しています。
そして、そのAがA'になる変化に落差があればあるほど、面白味が湧いてくる。
王道なところでは「いじめられっ子の弱者」が「強者に打ち勝つほど強くなる」といった具合。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信 (No: 7)

スレ主 兵藤晴佳 : 1 No: 2の返信

投稿日時:

おっしゃる通り、「変化」なんですよね。
それを逆手にとって、ゴタゴタあったけど何も変わらなかった、でもいいんですけど。
読者の感情を動かすのは、むしろ「プロット」のほうではないかと思います。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信の返信 (No: 12)

投稿者 サタン : 0 No: 7の返信

投稿日時:

あぁ、ストーリープロットは別物だって話かな?
私もけっこう混同して説明したりすることが多いな。
プロットは物語の概要、要点を書き出すもの。その要点とは何が変化しているのかという事で、それが面白さに繋がるものである。
という事だよね。
しかし一方ストーリーは、そういった変化にスポットを当てなくても「同じ内容」を書くことはできる。例えば私がよく例に挙げる「勇者が魔王を倒す話」は、勇者が魔王を倒せばそれで終わりなので、
弱者である勇者が仲間をみつけて力をつけ、やがて強敵である魔王を倒すという「強さ・勇気といった変化」に注目してもいいし、
最初から強い勇者が次々と敵を倒して魔王を討伐するという「特に変化のない話」でもいい。
面白いかどうかは置いといて、変化を書かなくとも同じ物語は成立する(なので私は面白さを度外視して成立する物語の説明をすることが多い。そもそも物語を作れない相談が多いので)。

もっと身近な例で例えると、「主人公が朝おきて学校へ行く」というだけの話を考えると、目が覚めて身支度をし朝食を食べて家を出て通学路を通って学校へたどり着く、と、何もない面白くない物語を書ける。
これがストーリーを考えるということで、
夜ふかしをした事で寝坊した主人公が通学路をショートカットしようとする。そこで不運に見舞われ酷い目にあってようやく学校へたどり着き、もう二度と夜ふかしはすまいと反省する。と、「夜ふかし」に対して考えに変化を持たせる。この考え方がプロットを考えるということである(正確には変化に対する要点を考える)。
という感じかな。
両者ともに「魔王を倒す話」「通学する話」という同じものを作れるんだけど、その結果の面白味はまったく違う。

読者の感情を動かすには、「面白く書く」という執筆面でストーリーで盛り上げるのではなく、そもそも「最初から面白い組み立てをしなさい」という事だ。
それがプロットを作るってことだ、って感じかな。

これは、うーん……
私も同じ考えではいるし、間違っていないと私も思います。
ただ、これはメインプロット、物語本筋を考える場合の話だよね。それのみで良い短編や掌編なら問題ないのだけども、長編の場合は
序盤で「勇者は魔王を倒すために故郷から旅立つ」というシーンを設定すると、このシーンもシーンの中に「変化」がないとこのシーンは面白くないってことになるよね。
だから古典王道で言えば「勇者の故郷が魔王の軍勢に滅ぼされ、大事な人を失った主人公は旅立つ決意をする」とか、主人公の心情の変化を置いたりしてる。
とすると、その変化を書くためには「平穏で幸福に満ちた故郷」という描写がないと、「それが失われた絶望」という変化を書けない。
そしたら「平穏な故郷」というシーンでもまたこのシーンの中に「変化」がなくてはならなくて……
ってなって、プロットがめっちゃ細かくなる。
プロットを「どこまで考えるか」は人それぞれだから、どこかで「面白く書く」という執筆面での話になっちゃう。

細かく設定するとワンシーン単位で全て「プロット」を作っていくことになるんですが、こうすると「成立する物語」を書けるには書けるけど、今度は全体像が把握しにくくなるので、書き慣れてないとシーンの取捨選択が出来なくてバランス悪く、面白くないプロットに仕上がってしまったりします。
例えば、序盤なんかはさっさと物語を始めたほうが良いため、ある程度は省略させたほうが良いでしょう。「平穏な故郷」なんてのはキャラ紹介とかぶせて雰囲気だけ伝わるようサッと済ませたいし、主人公が旅立つまでの過程は極力短くコンパクトにしたい。

ほんで、「変化」というのは結局は「AがA'になる」ということで、最短では「A」と「A'」という2シーンだけあれば書けるので、慣れると「この場面は執筆で面白く書く」で書けるんですよ。
ようは何が変化するって注目するポイントを押さえれば良いだけだし、物語の本筋に関係ないのであれば執筆中の即興で合わせていけば良いだけ。
だから、「そこは面白くなるように書きましょう」といった書き慣れてる人の発言は、ストーリーとプロットを混同してるわけじゃなくて、変化することは当然のこととして意識してないってだけ、ではないかなと。
そもそも才能ある人は気づいてすらいにままコレが出来てると思うし、別の方法論を持ってる人なら「変化」以外の答えを出していると思う。

私の考えはスレ主さんと近いので、けっこうわかる部分も多いですが、その答えは万人に当てはまる創作論ではないことに注意されたほうが良いかと思います。
例えば、「じゃあ流行りの無双チートは何が変化してんの? なんでウケてんの?」って事になりますからね。
私は私なりに答えを出せますが、その答えもまた万人が納得できるものではないと思っています。
読者の感情を動かすのはストーリーではなくプロットでの組み立て、というのは万人に当てはまる回答ではないけど、その通りだと思います。
ストーリーはそのプロットをどう演出するかに注力したほうが良いと思う。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信 (No: 3)

投稿者 ヘキサ : 0 No: 1の返信

投稿日時:

リンク先を拝読しましたが、これは「誰の心情にも入り込まない神の三人称」ですね。栗本薫は「物語の視点」と呼んでいます。栗本薫いわく「神の三人称」のときは、『全員の心理感覚に立ち入ってしまう』か、ないしは『完璧に外側でとまる』。この後者の手法を指しています。前者は「近代心理小説の視点」ともいえる、とのことです。

>作品をより客観的に書くことができるのではないでしょうか。

まあ、当然ですね。現存する視点分類の中で最も客観的な方法ですので。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信 (No: 8)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 3の返信

投稿日時:

ヨーロッパの古い小説は、1シーンで全ての登場人物の心理を描いてしまったりします。
日本でこれはタブーとされているのは、私小説の伝統によるものではないかと私は考えています。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信の返信 (No: 13)

投稿者 あまくさ : 0 No: 8の返信

投稿日時:

そこまで単純ではないですけどね。
もともと洋の東西に関わらず、神話・説話・民間伝承などを伝えたり記述したりする場合に誰も「視点」なんて細かく気にしないわけで。
そんな中で19世紀のヨーロッパには若干特殊事情があって、それは市民革命。それまでの王政・貴族政・宗教などの権威が否定され「個人の自立」がきわめて重視される社会思潮が芸術や文学にも反映したんです。その結果、特にフランスで個人の心理を克明に分析して描写するという「心理小説」というのが流行して。とりわけ(フランス人の嗜好かどうか知りませんが)恋愛心理を描くのが好まれたため、「フランス流心理小説」の実態は「恋愛心理を分析的に理屈っぽく描く小説」という感じだったんですね。
そういうものだから「男女双方の心理のすれ違い」みたいなことにフォーカスされて、結果的に「1シーンで全ての登場人物の心理を描いてしまう」みたいなのが流行ったんです。
それがヘキサさんが仰る(もしくは栗本薫さん?)「近代(19世紀)心理小説の視点」ってやつです。

で、長くなるから詳述しませんけど、19世紀の終わりから20世紀にかけては客観描写を重視する「自然主義」とか、ある意味哲学的に「視点」にゴリゴリにこだわる「実存主義」なんてのが擡頭して、なんか小説ってのがやけに難しくなってしまいました(技術的に難しいんじゃなくて、観念的に難しくなった)。

で日本ですけど、明治時代の一大特徴である「西洋化」というのがあって。当時はヨーロッパのものは何でも最高っていう感覚があって、文学もかなりそんな調子だったんですね。そして明治~大正の日本文学が一番影響を受けたのが「自然主義」だったために、それを日本流に曲解ぎみにアレンジした「私小説」が小説の最高峰と信じられたんです。

しかし、そういう伝統は有りますが、現在のエンタメ小説の世界でも「視点の統一」が推奨されるのは、その種の文学史的事情とはあまり関係ありません。
ごくごく実践的な考え方として、不用意に視点が動きすぎるのは読者にとって読みづらいということが明らかになったので、「それじゃダメよ」って話になっただけ。
なので、読みやすく書ける分には視点なんていくらでも動かしてもいいけど、それができないうちは黙って視点は統一しておきなって、そう言われているだけの話です。

立ち位置の統一 (No: 14)

投稿者 あまくさ : 0 No: 13の返信

投稿日時:

なお。

1シーンや1章で視点を統一するというのとは別の意味で、「この話は誰の物語なのか?」ということはあります。

変化ということで言うなら、冒頭で提示されたある登場人物が中盤~終盤でどう変化するのか? そういうことには読者は引き付けられるんじゃないかと。
なので、物語の主軸になる人物はきっちり決めた方がいいのだろうと考えます。

視点の統一ではなく、立ち位置の統一と言ったらいいかな。

で、人物の立ち位置を統一した場合、書き方として視点も統一した方が相性がいいことはいいだろうと。

そういう意味で視点を統一するのなら、本質的な意味で重要な感覚だと思います。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信 (No: 4)

投稿者 あまくさ : 1 No: 1の返信

投稿日時:

仰っていることの一つ一つは判るのですが、全体として何を言いたいのかがもう一つ判りません。

作者の感情と読者の感情が異なるのは当然です。それゆえ、作者に強い想い入れがあるだけでは読者に伝わらない、ということがまま起こります。

登場人物の感情と読者の感情が異なるのも当然ですが、これについては注意が必要です。
人間は他人の感情の影響を受けやすいところがあるので、登場人物の感情は上手く書けば読者に伝わります。なので、軽視はできません。

すなわち。

1)読者の感情をコントロールする手段として、登場人物の感情を直接的に描くことは必須ではない。

2)感情表現を排して行動のみを描く、出来事の推移や変化のみを描く、という方法で読者の感情をコントロールすることは可能。

3)ただし、登場人物の感情を前面に出して描くことは、読者の感情をコントロールするために有効な手法の一つではある。

ラノベ・少年マンガなどの読者は、どちらかというとキャラの行動や状況を深読みするよりは、直接的な感情表現を好む傾向はあるように見受けられます。
なので、(効果を計算した上で)感情をややオーバーに盛り込むことはかなり有効な手法とは言えるのではないかと。

まあ問題があるとしたら、そういうことについて「推奨」を通り越して「必須」であるかのように強調する人がいることかもしれませんが。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信 (No: 9)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 4の返信

投稿日時:

ストーリーと事実の羅列の違いは、感情ではないんですよね。
ストーリーは、人物同士の葛藤や目的達成の過程、あるいはテーマのもとに関係づけられる出来事の展開です。
感情を動かすのは、その構成すなわちプロットです。
何だかストーリーとプロットが混同されているような、そんな記事をラ研で見かけましたので、このスレッドをたてさせていただきました。

個人的な考えを述べますと、作品への感情移入は作者にないほうがいいと思います。
もし、感情移入するなら主人公ではなく、敵役ですね。
果てしなく「都合のいい」に話は、作者の感情移入が透けて見えることが多いものです。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信の返信 (No: 15)

投稿者 あまくさ : 0 No: 9の返信

投稿日時:

>さらに、読者の感情・作者の感情・登場人物の感情は区別したほうが書きやすいのではないかと思います。

最初にそう仰っていましたが、兵藤さんご自身がそのへんを混同気味に論じていらっしゃらないでしょうか?

>個人的な考えを述べますと、作品への感情移入は作者にないほうがいいと思います。

それは同意します。
で、これは作者の感情の話ですよね?

では、

>感情を動かすのは、その構成すなわちプロットです。

これは誰の感情の話ですか? 構成すなわちプロットによって感情を動かすということは、これは結果としての「感情」。すなわち「読者の感情」ということになるように思います。

ストーリーと事実の羅列の違いは、感情ではないんですよね。
>ストーリーは、人物同士の葛藤や目的達成の過程、あるいはテーマのもとに関係づけられる出来事の展開です。

では、これは?

「ストーリーは」「感情」ではなく「人物同士の葛藤や目的達成の過程、あるいはテーマのもとに関係づけられる」という文脈ですから、ストーリーを作るツールとして「感情」は妥当ではないと仰っているように読めます。
だとしたら、この「感情」は結果として読者の心に生まれる「感情」ではないことになります。何らかの形で作中の要素として盛り込む感情ということになり、無生物や出来事に感情は宿りませんから結局「登場人物の感情」ということになりそうです。

このように3種類の「感情」を曖昧につなげて論旨を述べてしまっておられるように見えるのですが、どうなのでしょうか?

   *   *   *

ちなみに個人的には、小説においての「感情」とは、ここでわかりやすく盛り込むこむのが効果的だと思ったときに盛り込むものにすぎません。

で、この場合、もちろん作者の感情とも読者の感情とも別物です。

ただ、まったく別の意味で、作品を世に問うからには、何らかの形で読者の感情を刺激することを目指しはします。この「読者の感情」には「知的好奇心」なども含みます。
そして、そういう感情を読者に与える設計のためには、読者の感情がどういうものであるのか知る必要はあり、それを知るためには作者自身の感情は参考にはなります。
そういう意味で「作者の感情」と「読者の感情」に大いに興味はありますが、それらは実際に作品に盛り込むものではありません。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信の返信の返信 (No: 16)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 15の返信

投稿日時:

3つの感情の区別は、おっしゃるとおりです。

登場人物の感情を描かなくても「何がどうなったか」というストーリーは進められます。
読者の感情を動かすには、プロットによる語りの構成が必要です。
そのどちらにしても、作者は登場人物に感情移入するべきではないでしょう。
するとしても、それは敵役のほうです。

言葉が足りなくてすみません。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 17)

投稿者 あまくさ : 1 No: 16の返信

投稿日時:

作者の感情・登場人物の感情・読者の感情を区別した方がいいという提言には同意します。むしろ、それが当然でしょう。

>そのどちらにしても、作者は登場人物に感情移入するべきではないでしょう。
>するとしても、それは敵役のほうです。

このご指摘の1行目もわりと同意見。ただ、敵役には感情移入してもよいという見解が付随しているところが興味深いです。
論理的な説明が無いので若干「なんで?」と思わなくもありませんが、実践的にはうなづける点があります。
主人公は物語の軸を担う存在なので、そこに作者の想い入れが入りすぎると作品全体がグダグダになりかねません。
それに対して、敵役というポジションなら客観的な視点とのバランスが取りやすいのが一つ。
それともう一つは、あくまで経験則ですが敵役に魅力がある作品はヒットしやすい傾向があるようです。

作品中に盛り込む「感情」は取扱注意の危険物とは思いますが、うまくコントロールして使う分には大きな効果を発揮することもあるので、一概に排除するものではないと思います。

   *   *   *

なお、なろう的な「主人公にとって都合の良すぎるストーリー」がわりとお嫌いなのかなと見受けられますが。
あれは必ずしも作者が主人公に感情移入しすぎることによって起こる現象ではないので、注意は必要かと思います。そういう展開が読者受けしやすいと冷静に計算している作者も多いはずです。

エンタメの場合、計算の上に立って行い、効果が出ているのであれば、正しい方法なのだと思います。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信の返信の返信の返信の返信 (No: 18)

投稿者 あまくさ : 0 No: 17の返信

投稿日時:

少年マンガ的なストーリーの場合、主人公の背景はシンプルな方がいいんですね。主人公に複雑な背景を設定すると、読者が理解するのに時間がかかってしまうのでかえってマズイんです。
それでいて主人公を空気にもしないためには、本編ストーリーの中で活躍させればいいのだと思います。

それに対して敵役の背景は複雑な方がいい。
読者が敵役を理解したり同情したりするのはストーリーのラスト近くでもかまわないので。悪一辺倒に見えた敵役に同情すべき過去があったと明かされる流れは、うまく使えばかなり効果的みたいです。

あと、敵役に対しても「作者」はやはり感情移入しすぎない方がいいと思います。冷静な判断ができなくなるおそれがあるので。
「感情移入」というのは、あくまで読者にそれをうながすものです。

よって。

1)作者は、主人公にも敵役にも感情移入してはならない。

2)読者も、主人公に感情移入する必要はない(!)
  読者は、ストーリーを通して主人公の行動に乗れればよい。

3)読者には、敵役には感情移入させた方がよい。

これが、私としての結論になりますかね。
ただし繰り返しますが、あくまで少年マンガ的ストーリーの話です。
例えば少女マンガの読者には、主人公の微妙な心理の揺れに感情移入することを好む傾向が見受けられます。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信 (No: 5)

投稿者 読むせん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

え?うん?
どのみち読者に配慮して・・・とか言っている人は、きほん書かないよ?
作者「ワイこれおもろいと思うんやけど、どうや?」(作品を発表)

読者「「「おもしろーい!!」」」OR「(ガン無視)」
みたいな?

試しに書いて好評だったら、それでいいんじゃない? 

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信の返信 (No: 10)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 5の返信

投稿日時:

さらに書きたくないのに書かなくてはいけないときは、「変化」を設定して、それを語る順番を並べ替えると効果的かな、という気がします。
その際、「何を誰に示さないか」が重要でしょう。
読者に情報を伏せて興味をかきたてるか、情報を知らない登場人物を右往左往させて読者を笑わせたり、同情させたりするかということです。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信 (No: 6)

投稿者 かにさん : 0 No: 1の返信

投稿日時:

ああ、キャラクターの感情をオブジェクトとして捉える視点は確かに面白いですね。
そうすると「キャラクターに感情を代入する関数」として感情変化イベントやアクションを捉えられるようになりますね。抽象関数を構想すれば一般化できますし、確かに発想としてアリですね。
んー、でもやはり価値を提供する(読者に刺激を創造する)ところまでいくには、それを含めた、もっと大きな関数や構造を考えないといけないんでしょうね。ただその部品にはなると思います。

ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。の返信 (No: 11)

スレ主 兵藤晴佳 : 0 No: 1の返信

投稿日時:

刺激を与えるというか、読者自身の変化を引き起こすことができるのが理想的ですね。
変化に落差を持たせたり(期待外れも含めて)、情報を伏せたり。
前者はストーリーの問題ですが、後者はプロットの問題ですね。

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タイトル:ストーリーとは、感情よりも「変化」ではないでしょうか。 投稿者: 兵藤晴佳

横光利一『頭並びに腹』
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つまり、感情抜きに出来事だけ羅列しても、その配置の仕方で読者の反応はコントロールできるということです。
大事なのはむしろ、変化のほうです。(変化が起こらないことも含めて。)

さらに、読者の感情・作者の感情・登場人物の感情は区別したほうが書きやすいのではないかと思います。
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