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タイトル:飯テロモノを書きたいのですが、『飯』そのものの描写をどこまでやっていいのか基準が分りません。の返信 投稿者: 手塚満

飯の描写に客観的な文章量基準はないと思われます。面白く読める、というのが大原則で、料理自体が大事でないとか、描写しても目を引かないようなら減らしたり、削ったりです。逆に作中キャラが料理に夢中になることで面白くできそうなら(例えば、レストランで自分の料理が来るのを待つ間、他の客の美味しそうに食う様子に目を奪われるとか)、きちんと文章量を取って描くことになります。

その料理自体の描写では、料理人やエピソードで食べ物の周辺を表現するといい、等々の良回答がありますんで、料理そのものにアプローチできるかどうか、少し考えてみます。

某コミックで、ラーメンを題材にしてだったと思いますが、「客はラーメンではなく、情報を食っている」と断言しているのが話題になっていました。これは直接的には、味や香りが分からず、評判や雰囲気で流される愚を指摘したものですね。美味しいと思い込んでいるから美味しく感じるだけだと。

しかし、味や香りを伝えられない文章作品では使えそうな手とも思えます。例えば、コミック「美味しんぼ」では、作中キャラ多数が「美味い」と言う、食通とされるキャラターの料理に対する反応を見せる等々の手法が頻繁に用いられてます。

やはりコミックですが「クッキングパパ」では、レシピ、調理過程を見せるのが主体です。こう作ったんだから美味しいはずだ、という演出です。全く調理知識・経験がなかったら、伝わりにくいかもしれません。が、家庭や厨房の見える食堂で、空腹をこらえながら調理を眺めて、わくわくしたり焦れたりしながら待った経験のある人は多そうです。

古いTV短編のものでは「味の招待席」(1980~1992年)というのがありました。調理過程のみをナレーション付きで見せ、食べるシーンはなしです。ナレーションが米朝師匠であったため、その喋りで料理の魅力を出していました。調理中の音も重要で、「ジュー」と焼ける音などが効果的に使われています(コミックや文章作品なら擬音が使える)。

コミック・アニメの「空挺ドラゴン」ですと、架空の食材(ドラゴン)を使いますが、あり得そうなレシピ、現実的な調理で見せる工夫がありました。調理が済むと作中キャラ多数が美味そうに食うわけですが、おそらく調理シーン段階で「料理の美味しさ」の8割くらいが決していたような印象があります。「味の招待席」と同じ方向性の工夫です。

これは不味さの強調にも使えます。例えば「フルメタふもっふ」で、武骨な軍人がボルシチを調理するシーンがあります。ボルシチは妻がよく作ってくれたもので、味を再現したいんだとその軍人は言う。加熱調理するのに、デジタル温度計、タイマーやストップウォッチ等々を駆使し、トドメに「ココアパウダーと味噌ペーストが決め手だ」と言う。それを食わされた他のキャラの反応は言わずもがなです。

これらは映像作品であるわけですが、文章作品にも応用できると思います。調理過程は論理的な面が強く、映像で見せる作品でも(視聴者に理解してもらうには)解説は必須となります。文章作品なら言葉で説明入れるのは必然ですから、「バターでこんがりするまで炒めたら、仕上げにブランデーでさっとフランベして」とか書くのは自然です。コミック同様、擬音も使えます。

もっとも、主人公の料理に対する実感、感想、感動のほうが描写効果が大きいのは確かです。読者が感情移入しているのは主人公ですから、主人公が感じ取るものが最も伝わる。もし食材や調理過程を描くとしても、主人公の実感に説得力を与える等の、補助的なものと考えるほうが無難でしょう。

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