《三人称》
視点の制約を設けない三人称という意味でいいですね?
その場合、三人称神視点・三人称多視点・三人称一元視点のすべてを含みます。つまり、一作品の中でこの三つの手法がまざってしまってかまわないということです。
ていうか、古典的な三人称ってそういうものだったんですね。要するに、どう書いてもかまわないということです。
しかし、「どう書いてもかまわない」というのは、けっこうクセモノなんです。初心者がそう言われると、「どう書いたらいいか分からない」となりがちでしょう?
それが自由な三人称のメリットとデメリットです。好きなように書けるけれど、どうやればちゃんとまとまるのか、つかみどころがありません。それを克服するには熟練してセンスを磨くしかなく、熟練した人なら特に意識しないで普通に書ける。
そんなようなものです。
《三人称一元視点》
これのメリットは、視点が安定するため読みやすいということです。
小説は絵がないので、読者は文章から頭の中でイメージを再現しないといけないんですね。だから視点が動くと負担がかかることにはなります。
ただ。
サタンさんが仰っているように、うまく書けさえすれば、視点を固定しなくても問題なくスラスラ読めるものになるんですよ、実は。
しかし、その場合の「うまく書く」というのは、どう書けばいいのか説明できるものではありません。経験とセンスでつかみとるしかないんです。だからどうすればいいか教えることも、ほぼ不可能です。
「視点の固定」ならどうすればいいか教えることができるし、書く方も目安があるので取り組みやすい。そういうことです。
>三人称一元視点(主人公)で、違う人間、組織を三人称で書いてしまうと、混乱しますか?
慣れない人がそれをやると、混乱するか、読んでいていかにもギクシャクした感じになりがちなのは確かです。そういう実例をたくさん見てきました。
ところが。
初心者でも一元視点と多視点を混在させて、けっこううまく書いてしまう人もいるんですね。
それは元々センスがいいのか、混在型のプロの作品を多数読んでいて「小説ってこんな感じにかけばいいのかな?」と何となくつかんでいるのだと思います。
そういうことが最初からひょいとできてしまう人もいるみたいで、そういう人にとっては「~視点」がいいかなんて話は、あまり意味のないことなんでしょう。そういう人は、斬新なキャラやストーリーや世界観を創出することだけに注力して、自由に書いているみたいです。