鍛錬投稿室の方と文章の感じが違いますね。鍛錬はラノベ寄り、こちらはやや一般寄りかなと。
文章力が高く、そこはプロで通用するレベルだと思います。ただ、分かりやすいかどうかということなら、鍛錬よりも分かりやすいとは思いませんでした。また、ラノベの読者にはややまどろっこしく感じられるかもしれません。
途中で視点が変わりますが、あれは必要でしょうか?
先の構成のためにどうしても必要なら別として。少なくとも掲載された部分の中で何らかの効果を発揮しているとは思えず、分かりにくさにはつながっています。
ああいう感じの場面転換は、アニメならよくあるんですね。しかし視覚的表現の場合は急にシーンが変わっても視聴者は一瞬で受け取ってくれます。
しかし文章で表現する小説はそうはいきませんから。特に冒頭では読者の頭は作品世界に対して白紙。その状態で読者を引き込むにはただでさえ工夫が必要なのに、何とか引き込んだかなというタイミングでリセットをかけてしまっています。
ちなみにそういう書き方、本格SFなどではよく見かけるんですね。と言うかもっと極端な例が多く、やつらの作品は往々にして死ぬほど読みにくいです。
ただ本格SFはガチガチに内容勝負のジャンルで、読者もそういうものが好きな人だけが読みます。だから分かりやすさなんてはなから重視していないんですよ。
神視点については、私は気になりませんでした。そのへんは書き手の資質というかタイプの問題で、大野さんはわりと神視点が向いているのかもしれません。読んでいてそんな感じがします。
ただ、だいぶ以前にも指摘したことがある気がするのですが、地の文にタメ口っぽい言い回しが入ることがあるようで、そこだけちょっと違和感がありました。
>「ケーッ! GGの一台、銃の一丁もねェでやんの。しけてやがる」
>文句を言ったって、三カ月にも渡って彼女が盗掘に来ていたのだから、残り物が無くなるまで掘り続けた彼女の自業自得である。
>「ケーッ! GGの一台、銃の一丁もねぇの。しけてるなぁ~」
>文句を言ったって、残り物が無くなるまで掘り続けたのはそもそも彼女である。
カクヨム版も微妙に修正してますかね?
前者はやや理屈っぽいところ後者でも言いたいことは伝わるので、この2文なら後者の方が良いと思います。
私が気になるのは「文句を言ったって」という書きぶり。なんかちびまる子ちゃんのナレーションみたいなんですよ。
「文句を言ったって」や「自業自得」には作者の主観が入っているんですね。そこが「神視点」的なわけですが、個人的にはそれは別にいいと思っています。単に作風の問題ですから。
ただ、その場合、「作者が顔を出している」といいう印象を読者に与えるのは薄めた方がいいんじゃないかと。これも「没入感」の問題で、せっかく読者が物語に入り込んでいるのに、そこで覚めてしまうということになりかねません。
まあ、神視点そのものにそういう欠点があるのですが、そこは匙加減というか。理屈じゃないんですね。読者に作者を意識させず、さりげなく作者の意図する方向に誘導するという書き方が神視点の理想型だと考えています。
加えて、もっと単純な話、全体に端正な筆致の中で、「文句を言ったって」というくだけた言い回しがちょっと浮いている感じがするということもあります。
(それと、別のところで自業自得なのかどうかという疑問が出ていたようですが、そんなに深い意味はなく、軽く突っ込んでいる感覚なのでしょうから、私的にはそこは問題ないと思います)
>戦争で壊され尽くしたこの世界は、かつての魔道具の普及率の高さゆえに、今では貧しくなる一方であった。だからこそ魔道具の眠る戦時中の廃墟は宝の山である。
ここ、ちょっと意味が分かりませんでした。
かつて真道具に頼りすぎていたために、それが破壊されてしまってからは貧しくなったという意味でしょうか?
後半の戦闘シーンはかなり巧みに書けていたと思います。ただ、もともとアクションはアニメなどと比べて小説の不利な部分なので、他に小説ならではの魅力を見つける必要があるかもしれません。
同じ作品を何度も改稿されているようですが、そういうのって作者はかなり工夫したつもりでも、読者から見るとどこが変わったのか良く分からない「間違い探し」になってしまうものです。
作者の努力の10分の1くらいしか受け取ってもらえないと覚悟した方がいいのかもしれません。