第4研究室 創作に関するQ&A 200P | トップへ戻る |
蔵神紫苑さんからの質問
 どの程度までリアリティを意識して書く?
 
 どうも、蔵神です。いや〜やっぱ新潟(実家)は雪国だからより寒く感じます。
 
 というのは置いといてタイトルどおりの質問です。
 正直これは人それぞれ……だとは思うんですが。
 「いくらリアルに書いたって所詮はフィクションなんだから」と現実的な人もいれば
 「フィクションであっても、いやフィクションだからこそより現実みたいにリアルに書くべきだ!」
 という人もいますよね。

 ちなみに俺は後者の人です。実際にリアルに書いた方がより作品にも深みがでると思いますし。
 でも最近「だからといってどこまでもリアルすぎるとかえって、
 逆効果になってしまうんじゃないだろうか?」などという疑問を感じてきました。
 そこで皆さんにお聞きします。皆さんはどの程度までリアリティを意識して書くでしょう?


● 答え ●

鈴忌さんの意見
 こんにちわ、鈴忌です。
 以前、鈴忌はある方から「リアリティとリアリズムの違い」について指摘されたことがあります。
 
 それは鈴忌が現実感を重視するあまりに、
 虚構作品としての面白さや読みやすさを損なっていたからなのですが、なるほどと思いました。

 
 リアリティというのは確かに重要だと思いますが、それはリアルに書くこととは少し違うみたいです。
 例えば会話にしても現実での会話は非常に冗長で繰り言も多く
 「あ〜」「え〜」などがたくさん入ります。
 でも、それをリアルだからという理由で小説に取り入れるのは
 「嫌なリアリズム」であって読者から見て面白いものではないことは間違いないですよね?
 この会話の例は極端な話ですが、コレに近いことを、
 リアルを追求する人は大なり小なり犯してしまっていると思います。

 現段階での鈴忌の理解なので正しい保証はありませんが、小説におけるリアリティとは……

「リアルに現実を描くことではなく、
 虚構世界を実在レベルの存在感を感じさせるように補強することである」


 と思ってます。なので「リアリズム」とは完全に別です。
 省略するべき所は省略するべきでしょうし(冗長な会話など)、
 嘘にしてしまった方が面白い部分は嘘にすべきでしょう。
 そのさじ加減は一概に言えませんし、
 作者さんが自分の物差しを持つべきものだろうと思うので敢えて助言しませんが、
  リアリティとリアリズムの違いを意識するべきです。

 リアリティを出すための手法は色々ありますが、常に意識をしないといけないのは
 「読者にとって面白いか?」「読者にとって読みやすいか?」
 「エンターティメントになっているか?」あたりです。


 そこを忘れて「よりリアルに……」と思い始めるとリアリティは一転して「嫌なリアリズム」になります。
 蔵神さんが感じられている「リアルすぎると〜」というのは、
 ようするにこういうことを漠然と感じられているのだろうと思います。
 そこまで来ていらっしゃるんですから、あとは読者の立場に立って
 「何処までやるか」を決めるだけでしょう。

 と、少し抽象論気味になりましたが……


> 皆さんはどの程度までリアリティを意識して書くでしょう?

 鈴忌の場合は物理法則や日本の法律、秒レベルでの運動量、医学的な考証、
 その他、非常に細かいところまで意識します。
 ただ、意識することと、それをそのまま小説に反映させるのは別です。
 実際問題、考えた上で嘘を通すことも多いです。
 なので、鈴忌的には……

「意識は何処までも自分の知識の許す限りすべき。ただし、
 それをそのまま小説に反映させるべきではない」

 というのが回答になるかと思います。
 いつも通り、長々としたレスですが何かの役に立てば幸いです。では、失礼します。


ふるでらまことさんの意見
 あ、自分も新潟人です。
 年末にかけて大荒れみたいで寒くなるみたいですね〜こたつに潜る毎日です。

 本題
 誰だったかな…? ラノベ作家の誰かが「小説家なら嘘を信じ込ませやがれ、この野郎」
 的な事を言ってましたね。
 それを前提として、自分の意見。

 まるでそれが本当の事なんじゃないか? と一瞬思い違えてしまうような、
 そういうものじゃないでしょうか。
 ストーリーの障害になるような条件があるなら、それを引っくり返して、
 それが当然と思えるような、それがリアリティじゃないかと。


Y氏さんの意見
 これはナンセンスな質問ですね。
 そりゃ、いくら小説(とくにライトノベル)は嘘だからといっても、
 人は空言ばかりの世界では生きていけません。

 人が非日常的な世界を空想する場合、そこにはある種の約束事が必要なのです。

 つまり、物は上から下に落ち、水は方円の器に従う(これは少し違うたとえですが)。
 人間、突けば血が出るし、たとえ宇宙に行ってもパンダは白黒。
 エジソンはいつでもどこでも偉い人であり、中国の人は語尾に必ず『〜アルヨ』とつける。
 そういうのがいわゆる『常識』であり、物語のもっとも重要な屋台骨なのです。

 リアリティというのはいわばかすがい、現実と虚構とをつなぎ合わせる大事な部分です。

 リアリティの部分をないがしろにする小説は、私が見た感九割ダメ小説です。
 たとえ魔法ファンタジーでも、使われる魔法には火、水、空気、土と、
 四大元素の法則が息づいているわけで、それはそれでなかなかリアリティのある設定なのです。


みつきさんの意見
 蔵神紫苑さま、こんにちは。

 小説に必要なのは、リアルではなく『それらしさ』です。
 読者に、ナルホド、と納得させるための手段が必要になってくるわけです。


 たとえば、現実にどんなに面白いことが起こっていても、それをそのまま人に話しただけでは、
 望むような反応を得られない、というときがありますよね。
 そういうときには、話相手を引き付けるために多少の脚色を加えたり、喩えを使ったり、
 身振り手振りをつけたり、いらない部分をはしょったり、話し声に強弱を持たせたりと、
 『事実』にいろんなものをくっつけて、
 自分以外の人にもその『面白いこと』を一緒に楽しんでもらおうとすると思います。

 小説でも、それは同じことです。
 リアルにそのまま書かない、必要のない部分は削る、脚色する、ありえないことを描写する、
 などなど色々ありますが、でもそれらは別に嘘をついているわけではなく、
 相手に届きやすいようにするための工夫なんですよね。
 
 大事なのは『リアル』はなく、相手を楽しませること、飽きさせないこと、分かりやすく伝えること。
 つまり、『そのままを話す人』ではなく、『話し上手な人』になることを目指すべきです。

 
 小説は調査報告書だとか研究論文ではないですものね。
 それでは、これにて、失礼させていただきます。


んぼさんの意見
 質問自体に突っ込みたい所が多々あるため、質問にだけ答えます。


> どの程度までリアリティを意識して書くでしょう?

 仮定した存在が説得力を持つまで。
 以上。


jogtyさんの意見
 私は作品が面白いことが全てだと思います。

 リアリズムを追求することが面白さに繋がる小説(業界の内幕を描く作品など)なら、
 リアリズムの追求は必須です。
 
 読者がそこに「えっそんなこたねぇよ」と違和感をバリバリに感じ、リアリティに疑問を持っても、
 それがその作品の面白さを支えるリアリズムなら、迷わずに取るべきです。


 逆にそこまでのリアリズムを必要としない小説ならば、
 読者が違和感を感じない程度にリアリティを出せば問題は無いと思います。
 別に銃弾がまっすぐに飛ぼうが、読者がそれで納得するのならば、それでいいと思います。

 それと作品主体のリアリティから、人間主体のリアリティに視点を移しますが、
 リアリティは作者が作るものでなく、読者が感じるものだと思います。
 作者がどんなにリアルに書こうと読者がそこに違和感を覚えれば、
 その読者にとってその作品にリアリティはありません。
 
 設定に矛盾なく自然な勘定の運びでリアリティ溢れる描写をしても、
 魔法が出てくるだけでリアリティがないといわれれば、その読者にとってリアリティはありません。
 逆にものすごく適当に、極端に言えば作者がそのことについて何も知らずに全部想像で書いても、
 読者がそこにリアリティを感じれば、それはその読者にとってリアリティがあったといえます。


びばるD(仮名)さんの意見
 小説、特にラノベなどは、現実から如何にリアリティを無理なく剥ぎ取っていくかにあると思います。


出城さんの意見
 出城と申すものです。僭越ながらお答えしましょう。

 まず、自分の主義を申し上げると、「物語はリアルが全て」と、いうことになります。
 しかしこれだけでは全く説明不足なので続けますと、

 以前自分でどこかに書いたことなのですが、そもそも現実というものは、
 無限ともいえる情報の集合体です。
 情報の多さだけでは、あらゆる創作物は現実に決してかないません。
 
 そこで作家は、「現実」のなかの特徴的な論理、
 因果関係(たとえば、真理)を抜き出して読者に示すことで、
 現実と同等以上の価値をそこに生み出すのです。

 
 洋の東西、作品のジャンルの関わらず、面白い作品の作者は、
 自然とこのことを理解していると思います。
 日本にゴマンとあるファンタジーがいまいちつまらないのは、
 それらが「指輪物語」を源流としていながら、彼の作品のもつ、
 「現実というものの容赦の無さ」、「現実を乗り越える辛さ」というリアリティを無視して、
 カタルシスの表現だけに走ってしまっていることに大きな原因があると思っているのですが。

 要するに、「とんでもなくかわいい女の子と恋するお話」も、「
 超能力でバトルするお話」もけっこうですが、
「人と恋するって、大変なことなんだよ? おまけにその娘、すっごくかわいいんでしょ、
 人がしないような苦労、するに決まってるよね?」
「人って、筋肉でしか運動できないわけだけど、その超能力って、
 それよりずっと凄いものなんでしょ、一体どうやって存在してんの?
 持ってることで、自分の体や社会生活にリスクが生じない訳ないよね?
 あと、人を傷つけ、ときに殺すってことの重大さ、わかってる?」
 と、こういった疑問(イチャモン?)を読者が抱くのは当然ですし、
 
 作者はそれに対する返答を、つまらない言い訳や、
 ましてや「フィクションだもん」などという屁理屈でごまかすべきではないということです。


 長文乱文失礼しましたが、参考になれば幸いです。


グニルさんの意見
 こんばんは、蔵神紫苑さん。半年ぶりの書き込みとなるグニルと申します。

 私なりの意見を述べさせてもらおうと思います。
 いきなりですが、私はよくスポーツを題材にしたマンガを読みます。
 私事ながら、私は野球がとても好きです。
 どのくらい好きかなんて言ってると、とても長くなるので割愛させてもらいますが、
 野球マンガなら何でもいいのか、と言われますとそうではありません。
 
 私の読む野球マンガはとても『現実的』です。
 投手が物理的に有り得ない変化球を投げることも高校生のくせに
 日本人には一人も達成者のいない夢の百マイルを投げることもありません。
 ふつうの(たまに天才がいますけど……)高校球児がひたむきに甲子園への切符をかけて
 白球を追いかけるといういたって普通のマンガです。
 そんなの何が面白いんだって言われたら私は即答で、現実的だからと答えるでしょう。
 だから、その本を読んだんですから。
 そんな私でも、魔法が出てきたり、精霊が出てきたりする本も読みます。
 
 それは、魔法が出てきたり、精霊が出てきたりするのが、
 その世界での『現実的』な事柄だからです。

 
 えーと、前置きが長くなりましたが私が言いたいのは、
 その世界の『現実』の基準をよく考えてから物語を書けばいいのではないでしょうか? 
 もし、一瞬で移動が出来る魔法があったとして、更に気軽にそれが使えるとしたら、
 馬や車で移動するなんてのは、よっぽどリアリティがないと私は思います。

 なんだか、すごく偉そうな事言って、しかも的はずれなこと言ってるようで申し訳ありませんが、
 万が一誰かの参考になることを祈るばかりです。駄文を失礼しました。

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