第4研究室 創作に関するQ&A 71P | トップへ戻る |
DANNYさんからの質問  
 萌えとはなにか? 
 
 皆さん普通に使ってる萌えって何ですか?
 よく分からないので、教えてください!


● 答え ●

はやしさんの意見
 私は、萌えという言葉は苦手です。というより、恐いというのが本音です。
 この間、「萌え」の起源をここ掲示板で知ったとき、鳥肌がたちました。
 
 少女(が対象でしたっけ?)へ対する異常な情欲や、
 婉曲して言えば現実社会に適応できない男性による、
 二元的な女性像に対する歪んだ欲望、といったイメージがあるので……。


 萌え、とは、「私はこういう女の子が好きだ」ということでしょうか? 
 それなら、ただ単に「女性のタイプ」と言えばいい気がします。
 こういった考えを持っているのは私だけでしょうか?


はまさんの意見
 
とりあえず現状で「萌え」とは 別に女の子に限定する言葉ではないはずです。

 だから「三国志の関羽萌え」とか
 「指輪物語のサウロンさま萌え」と言ったって何の問題もない。
 「萌え」とはすごく曖昧な言葉なんです。
 道端に落ちている石コロを指して「萌え」と言ったって間違いではない。
 もしも「萌えとは何か」を完全に説明できたなら、
 その人は日本文学界もしくは日本思想界の一躍スターになれますよ。冗談抜きで。

 だから「萌え」とは、女子高生がキティちゃんを見て「カワイイ〜」と言ってしまうのと、
 同じような感覚だと、気楽に考えた方が宜しいかと思います。

 それから追伸ですが……小説書きがそう簡単に
 「歪んでいない恋」や「狂気でない愛」なんてものの存在を軽々しく口にしてはいけませんよ?

 
 「純粋で真実の恋愛」が真善美にカテゴライズされるとは限らない。
 醜く間違っていて、どれだけ他人に迷惑をかけようとも、ただひとつの真実である。
 そんな感情だってあるはずですし。
 「そういったもの」を描くのも、ブンガクの役割ってものでしょうから。


sstormさんの意見
 よく「萌え」という単語と使う友人にメッセで聞いてみたところ、
 『「萌え」というものは感覚的なもの』
らしいです。
 まぁ、「女性のタイプ」の動詞みたいなものでしょうか。
 実際、私もあまりわかりません。
 ちなみに自分は、「萌え」というのは人によって違うと思っています。
 では。


ハデスさんの意見
 わたしは『萌え』という言葉にはそれほど抵抗はありませんでした。
 軽い意味で使っております。すいません。
 ちなみに、はやし様の指す『萌え』はわたしも嫌いです。
 まあ、創作世界における誇張表現や象徴的表現かなと思っております。
 
そこまで大仰なものではないかもしれないですが……。


桃源さんの意見
 新参者ですが、書かせていただきます。
 私は、もし『萌え』を公式化するなら、18禁等も含めて、
 この式である程度説明できるかと考えています。

 『萌え』=『(フェチズム+シチェーション)』×『匠』×『妄想力』

 この式を解説するなら。
 特定の部位や存在、状況に対するこだわりにより、その表現を行う際に、
 匠の心(技術の粋)で表すこと、またそのこだわりを理解し、共感・共有する精神状態。
 さらに、その存在に対して、さまざまな状況の想定を脳内補完すること。また実行した精神状態。
 なのではないかと。(^-^;
 これは、あくまで私の勝手な意見なんですけど。(^-^;


珠翠さんの意見
 ご存知でしょうか?

 『不思議の国のアリス』で有名なルイス・キャロルが、
 現代のオタクの元祖ともいえる人なんです。


 突然、何をと思われるでしょうが、
 昨日の『萌え』論争で思いついたので、勝手に話させてもらいます。
 誰もが知ってるアリスの作者ですが、彼は、写真家としても有名なんです。
 で、被写体は、少女。
 ある程度、成長してしまうとどんなに魅力的でもその被写体に、興味を無くしたそうです。
 いわゆる、ロリコンですね。
 その上、彼は、少女に赤頭巾ちゃんや中国娘などのコスプレまでさせてたそうで……
 でも、一番、撮って楽しい格好は、裸だったそうです。
 彼、曰く、『何もつけない格好が、少女の愛らしさを最も引き出してくれる』とのこと。
 ロリコンで、コスプレで変態だーとか、私は、楽しくなって、
 発禁になっているらしい写真集を図書館で借りたところ、ちょっと、目を瞠りました。
 すごく綺麗なんですよね。一種の芸術です。
 その頃の、写真は、少なくとも一分は、動いてはいけないんです。
 子供を被写体に、そんな写真を撮ったキャロル。彼は、凄いです。

 彼の小説と、写真は、何処か通じるものがあります。
 彼にとって、小説も写真も自分の世界を表現するためのものなんです。

 自分の世界を表現する為に、足を表すのさえタブーとされる時代にそんな禁忌を犯す。
 (猥褻という理由で、机の脚さえ布で隠されてるんですよ)
 しかも、彼はオックスフォード大学の教師という地位にあったにも関わらずです。
 そこまでして、自分の世界を作り出そうとした、偉大なる変態を私は、尊敬しています。
 すみません、長々と。それでは。


ハデスさんからの補足
 珠翠様。
 聞いた事はあります(笑)。
 何でも彼は、少女の友達がたくさんいたようですね。
 でも、ここで誤解してはならないです。彼はロリコンでしょうが、
 あくまで愛でるだけで……いわゆる一線は超えていないこと。
 楽しい話を聞かせたり、一緒にピクニックをしたりと、健全なお付き合いだったようです。

 今はロリコン=犯罪者という図式が成り立っているような気がしますが、
 それは『真のロリコンではぬわい!』と魂込めて主張します!


 写真集、わたしも探して見ようかな。
 では、失礼します。


春日さんからの意見
 はじめまして、春日と申します。
 『萌え』という言葉については私も考えたこと、
 疑問に思う事がありますので軽く意見を述べさせて頂きます。

 桃源さんの『萌え』=『フェチズム』+『匠』+『妄想力』の公式は確かに、と膝を打ちました。
 私は『萌え』という単語について間接的なイメージがあります。

 上の公式でいう、『妄想力』の部分が最も重要なのではないかと思います。

 例えば、ある小説に自分好みのキャラが出ていたとします。
 ただその小説を読んでいるだけでは『好き』で、
 こいつがこんなことしてたら面白いなぁとか可愛いなぁ、
 という妄想が生まれて初めて『萌え』になるのではないかと。
 『萌』という漢字にはもともと『草木が芽を出す事』という意味があります。
 大元となる種が妄想を糧に成長して、萌える。という解釈をしています。
 ただ妄想という言葉が悪いのか、『萌え』にあまりいい感情を持たない方もいるようですが。
 ここでの妄想は『みだらな想い』という意味でなく、『根拠の無い想像』で捉えたらどうでしょう。
 となれば、文中で語られていない登場人物の心情を考えることもまた、妄想となりますよね?
 だとすれば誰しも一度は萌えを感じているのではないかな、と思います。
 かく言う私自身、日々萌えを実感しつつ生活しています(笑)


所長からの意見
 萌については、賛否両論、さまざまな意見があるでしょうが、
 私はこういうこだわりを持つことが、個性やオリジナリティ、
 果ては共感に繋がると考えています。

 
 例えば、ギリシャ神話に出てくるピグマリオンという芸術家青年は、
 自らの作った彫像の少女に恋をしてしまいました。
 そして、毎日、その彫像が本当の人間の娘に変わることを祈ったのです。
 すると、アフロディーテという恋の女神(美の女神)が彼の願いを聞き入れ、
 彼女を人間にしてしまったそうです。
 
 さて、この話は、純愛にカテゴリーされているようですが、
 現代に直せば、フィギィアオタクそのものです。
 無機物に恋をしてしまうなんて人間の生理より外れています。変態と言えるでしょう。
 しかし、この逸話が人々の間で語り継がれたのは、
 それがおもしろかったからではないでしょうか?
 芥川賞受賞作家にして、早稲田大学小説教室教授・三田誠広氏はその著書
 「深くておいしい小説の書き方」  の中で、

 『小説は変態を育てる思考実験である』

 という、爆弾発言をしております。
 もちろん、否定的、軽蔑的な意味ではなく、

 真実の愛を描こうとすると、それはどうしてもフリークなものとなり、
 そしてその方が真実に近づけるということです。


 また「バカの壁」 で有名な養老孟司氏は、人間の心は共通性を求めており、
 個性的に振る舞う者を排除するようにできているとも言っています。
 つまり個性=オリジナリティを求めれば、それはどうしても異端と映るというわけです。
 本当のオリジナリティとは、まず受け入れられない。
 でもオリジナリティがなければ、おもしろくないという二律背反。
 だから、女性の好みにフリークなこだわりを持つのも、
 そんなに悪いことではないと思います(ちょっと強引な理屈かな?)。


NOAHさんからの意見
 初めまして。
 私も少し「萌え」に対して思う所があって、書き込みさせて頂きます。
 皆さんの意見を読み、確かにそうだなと思いつつ、私なりの解釈を。
 まず、正直に言ってしまえば、個人的には「萌え」という単語は苦手なんですけどね。
 どうしてもオタク系由来なモノ故に。
 でも、かなり使い勝手のいい言葉だとは思います。
 自分が良しと思ったものについて、すべからく応用出来るので。
 日常レベルにまで落すなら、ファンシーなものに抱く「かわいい!」という感情で十分ですから。
 ただ、これがやっぱりフィクションに関してということなら、私は以下のように捉えています。

 個人の趣味や嗜好をベースにした、
 マニアック魂とフェチシズムからなる、非常に感覚的なものだと。
 そして、それは歪んだ愛だったり、フィルターが掛かっていることもしばしば。


 尚且つ、対象がフィクションである限り、
 その「萌え」は必ずしも現実世界に対応するものではないとも思っています。
 言い換えるなら、現実で良いと思うものと、
 妄想で良いと思うものは違うんじゃないかなということです。
 何らかの繋がりがないとは言いませんが、基本的には別物だと。
 例えば、物語の中ではこのキャラいいなぁ〜と思っても、
 それはあくまで物語の中だからであって、
 実際にこんな奴が身近にいたらちょっと困るよなぁ〜みたいな。

 また、男女間でも、「萌え」の姿勢は若干異なっているような印象を持ってます。


 男性の「萌え」は美少女キャラへの「恋愛対象としての理想の女性像」として見受けられるように、
 結構現実と妄想が地続きではないかなと感じます。
 一方、女性が美少年キャラへ「萌え」を抱くとして――
 もちろん、同じく「恋愛対象としての理想の男性像」の場合もありますが――
 どちらかと言うと、愛玩的要素が強いような。
 割合それはそれ、これはこれと割り切っちゃって、冷めている部分が男性よりは多いかなと。
 まあ、どのファクターで萌えるかは個人差でしょうけど、
 何にせよそのファクターにおけるその人個人のある種の理想形なんだろうと思います。
 というか、

 「萌え」とは何ぞや? と訊かれて率直に応えるならば、
 「くーっ!」と胸に迫って来る感覚としか言いようがないんじゃないでしょうか。


 少なくとも私は、最終的にこれが最も的確な説明だと考えています。
 いや、実質的には説明にはなってませんけど。
 なんともまとまりの悪い文章ですみません。

 追伸1。
 「萌え」の対義語に「萎え」というのもありますね。

 追伸2。
 「ロリコン」とは、幼児を鑑賞対象として愛でるだけで、本来性愛の対象ではありません。
 幼児を性愛の対象としてみるのは、心理学的には「ペドフィリア」というそうです。


虎助さんからの意見
 第四研究所で、萌について話題が出ていたので私なりの意見を出させていただきます。
 (ちなみに私は萌が日常生活にまで侵食した男ヲタクです)

 まず「萌」とは好きの最上級だと言われますが、
 私の中ではこの意見は大きな間違いだと思います。


 萌は結局の所、架空のキャラクターに対する恋愛感情(しかも、一方的な偏愛)です。
 いくら「○○萌〜」とか口にする世間で言うヲタクでも、
 これを現実の異性に対してはまず使いません。

 つまり、萌は二次元の空想上の異性キャラに対する好きと言う感情を、
 言語化した物だと私は考えます。


 萌と好きは似て異なるモノです。
 人(オタク)は異性キャラに対して、萌という言葉で自分の好きと言う気持ちを表現します。
 しかし、現実世界の異性に対しての好きという気持ちは、
 萌ではなくてちゃんと好きという言葉で表現しています。

 私が好みのタイプの女性を見た時の感情を言語化すると。
 「かわいい」or「タイプ」or「好き」のどれかです。

 私が好みのタイプの二次元キャラクターを見た時の感情を言語化すると。
 「萌〜」or「萌える」のどちらかです。

 この二つの大きな違いは、自分が恋愛感情を示す対象が実在するか、しないかです。

 その異性を現実に存在すると認識した場合は萌とは言いません。
 あくまで萌は自分がその異性(キャラ)が現実に存在しないと認識した場合のみに持つ、
 かなり特殊な感情です。
 その証拠に、オタクは異性声優さんを萌の対象にしません。
 声優さんは現実に存在する人間ですからね。

 ただ、現実世界の人に対して萌という言葉を使う特別な例外があります。

その1 ヲタク以前に危ない人
 現実世界と架空の世界の区別がなくなった人です。
 リアルとバーチャルの境界が存在しないので、現実世界の異性に萌を求めてしまいます。
 
その2 特定の服装や髪型の異性を特別に好む場合。
 これは二次元の世界でよくある関係性(妹、幼馴染、眼鏡っ娘、巫女等)やコスプレなどの事です。
 その異性自身ではなくて、異性の服装や髪型、職業や身分などの属性を捕らえて、
 好きと表現する場合です。
 
その3 特別な関係性やシュチュエーションに対する萌
 現実世界にお兄ちゃん大好きな妹や自分に恋してくれている幼馴染が身近にいる可能性は、
 言うまでも無く0に近いです。
 また、曲がり角で美少女とぶつかったり、
 美少女のピンチに自分が都合良く居合わせて、それを助けるだなんて、まず絶対にありえません。
 だからこそ人は、この手のシュチュエーションを喜びます。
 そして、この現実にはまず存在しないシュチュエーションを好きだという場合に、萌えというのです。

 これらの点から、萌は好きの最上級ではなく、好きと似て異なるモノだと私は考えます。


黒白さんからの意見
 こんにちは、黒白(女)といいます。
 NOAHさんの意見の中に「男女間の萌えの違い」の記述があってのを見て、
 意見があるので投稿します。

 さて、私は女です。けれど、もちろんキャラに対して『萌え』を感じるときはあります。 
 美少年美青年、時には(ホントに時たま)女の人にだって、萌えを感じます。
 無論、私はレズではありません。
 
 女性の萌えという言葉の中には男性諸君の考えとは違い、
 多かれ少なかれ母性愛的な要素が入っているのではないでしょうか。
 

 クールな男性が感情を見せたときや、いつも泣き虫の子が怒った時など、
 私は萌えであろう感情を抱きます。もう、本当にハグしてあげちゃいたいくらいです。
 このパターンの延長線上に、女キャラへの萌えも入ってきます。

 内面性というのでしょうか、普段とは違うキャラの一面を見たとき女性はときめくのだと思います。
 (もちろん、違う方もいるでしょうが)


 ある友達は(BL好き)普段はつっけんどんな態度なのに、
 恋人の前だと弱いところをさらけ出す瞬間に萌えるそうです。
 言わせてもらいますと、女性の萌えの観点には確実に内面というものが入ってきます。
 そこに母性愛という、守ってあげたくなるような要素が入っていることによって、
 女性は萌えを感じるのでしょう。

 この意見はもちろん黒白の個人的な意見でしかありません。
 絶対違う、など反対意見も多くあると思います。
 また、萌えとは何かの質問にも答えていない気がします。
 というか答えになっていないです、ごめんなさい。
 これはもう、ホントに補足というか、蛇足というか、そんな感じです。
 そんな文章を長々と書いてしまってすみませんでした。


空気さんからの意見
 むかしむかし。と言っても、2004年くらいまでの話。
 
 「萌え」は、「動詞」として扱われていました。
 例えば『昨日○○見てすっげぇ萌えた!!』みたいな感じで。
 「萌え」は、アニメやゲームのキャラに対してのみ、使われるものでした。
 上の○○にはエヴァのレイやギャルゲの登場人物が当たり前のように入りました。
 「萌え」は、ネット上でのみ使われるものでした。口に出して言う単語ではありませんでした。

 そして現在。電車男をキッカケに、オタクの存在がTVなどを通じて世間に晒された今。
 「萌え」は、『〜萌え』のような名詞として扱われ、
 メイド喫茶のメイドさんや実在する芸能人・声優に向けて使われ、普通に一般人が口にしています。
 
 「萌え」は、かなり広い、そして色んな意味で解釈されているのです。

 昔なら、一つのものに対してほぼ満場一致で「萌える」と言えたのですが、
 「萌え」の定義が曖昧となった今は、一つのものに対して、
 A君が「萌える」と言ってもB君は「萌えない」と言う状況になっています。
 小説の感想でも、「萌え」を狙って登場させたキャラでもないのに
 「萌えました」なんて言われることも。

 「萌えとはなにか?」という質問ですが、答えは人それぞれになってきます。
 ただ、「萌え」も元をたどれば「好き」という感情であることは確かです。


 自分自身ではっきりとした「萌え」像を確立しましょう。


小栗さんからの意見
 『萌え』の起源にそんな説があったとは……。
 僕はどうやら友人たちいわく、
「お前は、腐女子位しか、付き合える女の子はいない」ほどオタクだそうです……。
 まぁどうでもいい話ですが……

 最近は上記の友人の言葉を自覚しつつある僕ですが、そういえば『萌え』はよく感じます。
「何と言うか……○○の■■な部分がなかなか(萌える)……」
「(あるアニメやイラストを見て)ヤヴァイなぁ(萌えるわぁ)………」
 友人との会話や部屋で見ているときにこんな感じですね…

 『萌え』とは要するに『感情』ではないでしょうか?
 「好き」とか「好み」とか、まぁこれはほかの方々もおっしゃっていますが……。

 
 僕がなぜそう思うかと言うと『対義語』とまでは言いませんが、
 『萌え』には対をなす言葉があると思うからです。
「○○をして、熱く燃えろ!」
 みたいな言葉を聴いたことありませんか?
 そこで使われているのは「燃える」という言葉です。
 「燃える」は、スポコンアニメ(最近は見ないなぁ……)や、
 戦隊ものの番組みたいに「激しく感情を出して戦いあったりする」時に感じる、
 「興奮」みたいなものだと考えるからです。
 僕らは、よくそういうシーンをみて、「熱いなぁ」などと言います。

 『萌え』は男であれば『かわいいキャラクター』、
 女性であれば『母性愛的な要素(黒白さんの意見より)』を見た時の感情。
 『燃え』は上記のような内容のモノを見たときの感情。
 
 無理があるような気がしますが、『萌え』=『燃え』の図式を作ることができます。
 よって、どちらも感情を表していると言っても良いと思います。


 結局のところ、僕の考える『萌え』は、ほかの方もおっしゃっているように、『感情』です。
 いまさらと思うかもしれませんが、僕も一つ意見を、と思い投稿させていただきました。


ロンさんからの意見
 初めまして。小説を書こうとして半年近く四苦八苦している、ロンともうします。
 虎助様の‘萌え≠好きの最上級’という意見ですが、

 私は少なくとも‘萌え⊂好き’ではあると思います。

 一口に好きといっても、恋愛感情としての好き、
 友人や家族としての好き、他にも色々あると思います。
 萌えとは、この多くの「好き」の中の一つ、
 実在しないフィクションのキャラに対する好きを表現する言葉だと思います。

 また、複数の人が同じキャラを「萌え」と言った場合、
 その意味は必ずしも同一であるとは限りません。
 そのキャラに対して、恋愛感情、性的好意、シンパシーなどを抱いて萌え(好き)と言ってるのか、
 また、外面、性格、一部の属性(猫耳、メイド、巫女、妹)など、
 キャラのパーツを捉えて萌え(好き)と言っているのか、など、
 同じ萌えでも、その質や意味には違いがあると思います。
 (私は外面、一部の属性はあまり好きではありませんが)

 乱長文すいませんでした。


蒼い人さんからの意見
 さて、これまで萌えには多くの見解が出されてきました。
 そこでは肯定的な意見が大勢を占める中で、否定的な見方もされているのは事実です。
 どうしてそんなことが起きているのか、考えたことは無いでしょうか?
 今回はこの場を借りてやや学問的なアプローチをしてみたいと思います。
 相当長くなりますので、御容赦下さい。


[概要]
・「萌え」は「好き」ではなく、美に対する肯定的な価値を置く感情である。
・美は崇拝されたりもするが、破壊されることもある。永遠もしくは変化を望む声がある。
・「萌え」はキャラクターの存在を認めることであるから、その後どう扱うかは個人に委ねられる。

T「萌え」は「好き」とは言えない?

 いきなり定説の否定に走っていますが(笑)、ちゃんと訳があります。
 まず現状について私見を述べます。

1.萌えの対象は女性キャラが大半を占めています。
 ここからまず、「男性本位」の言葉であることがわかるでしょう。
 以下、萌えキャラは女性として話を進めます。

2.昨今は、我らが男性の要望に応えるが如く、
 様々な萌え属性を有したキャラクターが登場しています。
 身体の特徴のみならず、性格や衣装、設定にまで広範囲に及んでいますね。

3.そうした二次元のキャラクターが溢れかえる中、賛美だけの声はありません。
 少し探せば、数多の同人サークルがエロい同人誌やソフトを次々に製作しています。
 そこには萌えキャラへのアブノーマルな性交もあったりします。SMやら、陵辱やら、調教やらです。
 無論、全てではありません。
 しかし、「男性(成人)向け」と銘打たれたものは大概性描写が入るものです。

 この三点から、萌えについて賛否両論が生じる理由は明らかです。
 「理想の女性像」として崇拝する一方で、
 「快楽を得る手段」としてそのキャラを破壊する人もいるのですから。

 デカルトという思想家はこんなことを述べています。
 「肯定的な価値感情(好意や愛着)を置く対象には接近しようとする」
 「否定的な価値感情(敵意や憎悪)を置く対象からは遠ざかったり、破壊しようとする」
 彼の言うことが本当に真実であるならば、
 萌えるキャラを調教・陵辱するソフトはできない筈なのです。
 あるのは、完全にラブラブな路線or神の如き崇拝でしょう。
 崇拝は不変を、そのままであり続けることを望みます。それが彼の拠所になるのです。

 しかし、実際にはそうしたソフト巷に溢れかえっているようにも見えます。
 マスメディアは性犯罪と結び付けた報道を行ったりもしました。
 その一方で、「オタクだからこそ、女の子を守ります!」なんて主張する人も出てきています。
 さて、どちらを信じたら良いのでしょうか。「萌え」は本当に好意の一派に属するでしょうか。
 ならば、どうしてアブノーマルな性欲の対象にもなってしまうのでしょうか?
 これに対して私は「どっちにも転ぶからだ」と考えています。


U「萌え」は美への接近だ

 バタイユという思想家はこんなことを述べていた……気がします。

 「定められた禁止を侵犯するすることで、大きな快楽を得ることができる」

 彼の『エロティシズム』という著書を読んだことがあるのですが、大体そんなことを言っていますね。
 いや、本当は「禁止を侵犯することで、死への不安を一瞬だけ乗り越えられる」
 というものなのですが、今回のテーマに合わせると、前者のようになるかと思いましたので。
 しかし実際、その通りではないでしょうか。
 可愛らしい女の子を眺めるだけで満足する男はそうそういないかと思われます。
 性的な欲求を満たすなら、鑑賞より性交の方が早いです。
 精神だけでなく肉体的な快楽も得られるからです。

 手元に『現象学は<思考の原理>である』という本があります。
 一部でエロティズム論について書かれていますが、曰く、
 「人間の欲望は性的対象に知覚的に反応するのではない」とあります。
 つまり、乳房やら性器やらにダイレクトに反応するのではないのです。
 
 それが隠されていたから、隠されているのに見ることを誘っているから、
 その覆いが取れたときに男は興奮するのです。

 
 隠していた覆いが取れること、それは変化です。

 また、前述の通り、萌えの対象として一般的なのは魅力的な女性キャラです。
 決して山姥や醜女ではないでしょう。それらが萌えの対象となる際は、「萌え化」されます。
 「ビスケたん」「びんちょうタン」「OSたん」などのキャラクターは、
 擬人化している上に「萌え化」していると私は考えています。
 そこには美があるのです。
 美は肯定的な感情を抱ける「魅力あるもの」、「良い」という言葉の対象です。

 また更に、妄想はオタクの必須スキルと言えるでしょう。
 それは創作の原動力ともなり、危険な匂いも少々します。
 
 最近言われる「オタクは無害」というのは、この技能に優れているのであって、
 現実に悪事を働かないからだ、という論法があるのだと私は思います。


 しかしながら実際は、行為としては同じなのでしょう。
 ただ場所が「現実」ではなく、「自分の妄想」という領域というだけで。
 つまり、性的欲求に関する妄想の場合、それは実際の行動に対する「代償」なのであって、
 行われようとしていることは全くもって同じなのです。
 (;´Д`)ハァハァ というようなアスキーアートがありますが、
 これが表しているのは「実動前の状態」に他なりません。
 情欲が溢れていないだけで、現実か妄想のどちらかに流れ出るのか判明する一歩手前なのです。
 美少女や美女を眺めているだけでは興奮するだけで、その先はありません。

 彼女達の持っている美は崇拝・理想化されるような「神聖性」があり、通常は侵しがたいものです。
 しかし、それを侵すこと、その美に変化を与えることによって、快楽は急速に増大します。


 エロに関して言えば、侵犯しがたい彼女達を乱れさせること、隠されたものを露呈させること、
 彼女の悩ましげな変貌を男は望んでいるのです。
 成人向け同人誌(性的妄想の展開する場)が、何よりもその証明になっています。
 その手段として先鋭化したものがキャラへの加虐なのでしょう。そこには死さえもあります。

 バタイユに言わせれば、エロスは死に向かうものですから、
 「愛しているが故に殺す」という話は十分ありえるのです。

 基本的な所は、
「オレ、この子が大好きだけど、もしあんなことやこんなことになったらさ、どうなるかな……
 うん、やっぱ凄く興奮するかもしれねぇよダンナ!!」
 という発想から来ているかと。
 実際、愛している女の子を最後には食べてしまうという漫画はあったようです。


V「萌え」に愛はあるか?

 萌えにはエロの部分もありますし、非エロの部分もあります。
 
 そこから考えられるのは、萌えは美に対する感覚なのであり、
 厳密に「好き」とは言えないということです。少なくとも、私はそう思います。


 そこには肯定的な価値を置くという行為だけがあります。
 「好き」も含まれていますが、「好き」と断言はできない訳です。
 肯定する、ということは、その美は「あるべきもの」としてその存在を認めることです。
 図にすれば、こんな感じになるでしょうか。


 萌え:美に対する感覚
  ↓
 「ここに美がある!」
  ↓
 「じゃあ、どうしよう?」
  ↓
 禁止への侵犯┬実動 →犯罪になるかも?
          └鑑賞or妄想 →思想・良心の自由の内


 いわゆる「健全なオタク」は禁止への侵犯に対して下の選択をしているのです。

 ただ対象を眺めるだけで満足するように欲求のレベルを落としていたり、
 もしくは妄想の中で「迷惑をかけない」ようにしているだけです。
 イエスも言っています。姦淫するなという戒律を守っているようだが、
 淫らな思いで他人の妻を見る者は、心の中でその女を犯している、と。
 現実にいるオタクは、この手段が多様化しているのです。

 では、そのキャラに対して愛はあるのでしょうか。
 今の私では「難しい」としか答えられません。

・愛着はあっても、大概に貞節は無い
・相手が創作した虚構である為、意志が伴わない


 この二点から、私達とキャラクターには相互的結び付きはありません。
 相手から何の「生の反応」は無いのですから。
 また、対象の破壊さえあるということで、
 「愛」と「破壊」が萌えの先で同居するという一見して奇妙な感覚もあるのです。

 Uで萌えとエロが結び付きやすいと言っているように見えますが、私はそうだと思っています。
 そこを逆説的に考えれば、「萌える」という言葉を使う時、
 私達は「この子にあんなことやこんなことやっちゃうかもしれないな〜」という考えを、
 他に人がいれば自分の意見を了解してもらう為に言うのかもしれません。
 または、「妄想の中で済ませる」ということを盾に、欲求の充足を公言し、
 正当化するための横言ないしは決まり文句だ、とすることもできるでしょう。
 本質的なところは何とも言えないのですが、そういう分析も可能だ、ということで。


W終わりに

 欲望が満たされる時、人は満足を覚え、快楽を得ます。
 そこから、萌えは快楽とも繋がっているとも言えるでしょう。
 
 言わば、オタクは快楽主義者でもあるのです。

 しかし快楽を得る手段は、人により様々です。
 ある人は小さきものを愛でるように、ある人は快楽の量のみを求めて、
 大好きなものをその手段にしてしまったり。

 そこに第三者が、その人の倫理観や好みを駆使した論法で、
 「萌え」の断罪しようとしたりする訳です。


 しかし、行為自体は事実として受け止めなければならないでしょう。そうした事実がある。
 ならば自分はどうするか? ただ、そこに善悪を導入するのは人間の独断でしかありません。

 とにかく私が思うのは、萌えとは理想を描写する為の下敷き・手段として用いられる概念なのだ、
 ということです。


 美に対する感覚、それが様々なものを生み出し、
 時には魅力的なキャラクターを魅力的に動かす力となるでしょう。
 またある時には快楽を得る為の道具を造る原動力にもなるのです。
 快楽の為には、缶ジュースを開けるように、その形を変えることも許されます。
 しかしこれは人間が選んだ方向性です。「萌え」自体に罪はありません。

 故に、私は「萌え」を美に対する感覚の呼称として捉えるのです。

 そこから対象をどう動かすかも含めて、そのキャラが存在していることに歓喜し、
 賞賛する声、それが「萌え〜」という魂の叫びなのです!
 幾千の人にそう叫ばせる為には、私達は魅力的な描写を心掛けなければならないのです。


風月堂さんからの意見
 人間でなくキャラクターに対する愛好としての"萌え"

 一般人は二次元愛好に対し、「現実にそんな女性はいないからおかしい」と主張しがちです。
 では、一般人はリアルでないキャラクターは否定するのでしょうか?
 しかし現実には、ディズニーのキャラクターを見るとき、
 必ずしもそこに"現実の"動物を想定しません。

 例えば"ライオンキング"では、ハイエナの描写は偏見を与えるものだとか、
 植物や昆虫の命を軽視した安易な菜食主義的描写だとかという論調を
 全くといっていいほど聞きません。
 そこにあるのは、真の動物愛護でなく、キャラクターへの愛好です。
 それは、一般人にとっても、リアルが必ずしも全てではないことの一つの証左といえます。

 一般人であっても、キャラクターが好みならリアリティーは二の次だといえます。

 そこに無自覚であるが故に、二次元に対してのみ執拗に「リアルさ」を論点にするのでしょう。
 それがダブルスタンダードだとは気付かずに。

 キャラクターへの愛好はリアリティーよりもデフォルメの仕方が好みを分けます。
 問題とされるべきは特有のデフォルメです。二次元の場合は性的なファンタジーを含んだものです。
 幼げなデフォルメ(目が大きいなど)自体、性的な含意があるといっても良いでしょう。
 二次元の、過激な性的な描写との結びつきの強さは当然といえるでしょう
 (どこまでそれが許せるかは個人の好みです。穏健な二次元で十分な人も少なくありません)。
 また、それ故いくら露出がなくても、一般人は無自覚にもそれを感じ取り、
 否定的な感情を抱くのではないでしょうか。

(注1)
 「萌えの研究/大泉 実成/講談社」では、オタクは画面上の二次元を好む、と記述していますが、
 ディズニーや"ちびまるこちゃん"などの女性キャラが、
 画面上の二次元であっても決して"萌え"の対象とはされません。
 画面上の二次元なら何でも良いわけではない理由を、著者は何も説明していません。

(注2)
 「趣都の誕生 萌える都市アキハバラ /森川 嘉一郎/幻冬舎」では、
 エロゲーのキャラクターの描写が、欧米ではリアル志向のため3Dが好まれるのに、
 日本のはわざわざ立体感を損なうような独特な描写が好まれているという差を指摘しています。


 "萌え"の前提として、そこには必ずデフォルメされたキャラクターが存在します。
 二次元だという前提があって初めて、"萌え"が認められるものです。


 メイド喫茶やコスプレは確かに微妙ですが、
 一方で80年代以来の(?)いわゆるアイドルとは異なり、
 二次元的だという前提(あるいは"合意")を必要とします。
 メイド喫茶やコスプレは、メイドとかゲームの制服とか妹キャラとか、
 二次元的表現であるという前提があって初めて"萌え"の対象とされます。

 先述したように、"萌え"は性的な空想・願望を含んだ
 (特有の)デフォルメがあって初めて語られます。
 そこでは、人間ではなくキャラクターが対象とされます。

 蒼い人さんの
>「この子にあんなことやこんなことやっちゃうかもしれないな〜」という考え

 が、なぜ現実の人間ではなく、デフォルメされたキャラクターを想定するのか。
 なぜ、現実的(だと錯覚させるような)な実写ではないのか。
 その違いを無視しては、キャラクターに対する"萌え"と、
 二次元以外に対する"かわいい"との違いを説明したことにはならないでしょう。

 "萌え"とは、人間でなく特有のデフォルメ・キャラクターという
 前提を必要とするものなのです。

 一般人がやりがちな、「現実にそんな女性はいないからおかしい」という考え方は、
 この違い、すなわち現実と虚構の違いを理解しないが故の考え方に他なりません。


たつみ章乃さんからの意見
「欠点や短所に対して、『だからこそいいんじゃない』という感情を、人は『萌え』と呼ぶのよ。
 それが良点や長所に惹かれる『好き』という感情と違うところよね。
 『好き』は欠点や短所を、『嫌う』から。『好き嫌い』と『萌え』は待遇なのよ。(後略)」


 以上、『アナザーホリック ランドルト環エアロゾル』より抜粋。
 個人的に西尾維新は好きではないのですが、あまりにも秀逸だったので、
 思わず頷かされてしまいました。まったくその通りだと思います。


千音さんからの意見
 はじめまして。ちねと申します。
 先日このサイトを見つけて以来、物書き魂を掻き立てられていたのですが、
 投稿は初めてです。

 それは置いといて。
 『萌え』という言葉についてですね。
 他の方々の意見を見ていると、割と肯定しているものが多いので、あえて私は否定します。
 私は根っからの腐女子でヲタクですが、『萌え』だけは使いません。
 別にヲタクを否定しているわけではありません。
 ですが、いくら昨今のアキバブームがあっても、
 『萌え』が社会に浸透してしまうのは間違っています。

 先日、学校の体育の授業で創作ダンスの発表会がありました。
 みんな恥じらいながら踊る中、ある人が「○○萌え〜」と叫んだのです。
 ○○とは同級生の名前です。二次元のキャラクターなどではありません。
 恐らく、○○さんのダンスがうまいとか、可愛いと彼女は言いたかったのでしょう。
 ですが、私がこの発言を聞いた瞬間鳥肌が立ちました。

 こんな風に、『萌え』と言う言葉は世間で安易に使用されています。
 本来の使い方はもっと別にあるはずです。

 そもそも、『萌え』に限らず『流行り言葉』は、
 日本人の語彙力の欠如を明確に表した危険信号だと私は思います。
 例えば『ヤバイ』
 美味しいや可愛いなど、何でもこの言葉一つで片付きます。便利ですね。
 ですが、冷静に考えると自分の頭の悪さをひけらかしているだけなのです。
 その他にも、最近(?)の流行語『どんだけ〜』や『そんなの関係ねぇ』などもです。

 『萌え』の由来は様々でしょう。
 しかし、それ故に何でもありになってしまうのです。
 可愛いのなら『可愛い』、好きなら『好き』と明確に!
 とまでは言いませんが、もっとうまく自分の感情を表現する方法があるのでは?
 とりあえず、表現力を求められる我々小説書きは、
 『萌え』は出来るだけ使わないのが身のためだと思います。

 論点からずれていたらごめんなさい。

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