第4研究室 創作に関するQ&A 288P | トップへ戻る |
幻惑さんからの質問
 国語教育について、小学校から英語を学ばせるべき?
 
 みなさまこんばんわ、鈴虫(を代表とする秋の虫たち)の鳴き声を聞いて
 「ああ、もう夏はおわりかぁ」と、たそがれている幻惑です。

 まぁ、それはさておき。今日、というか昨日。(2007年9月)
 携帯の待ち受けに出てくるニュース(今時の携帯ってすごいですね)を見て、
 「え?」と思ったことがありました。

『小学校授業時間、30年ぶり増 高学年は英語も 中教審(情報提供:朝日新聞』

 という記事がありました(本文抜粋してます)。
 私が疑問に思ったのはこの『英語(外国語)』教育についてです。

 もうずばっと言っちゃいますと、小学校で英語は不要だと思います。
 英語を教える前にきっちりと国語を教えて、日本語教育して欲しいと思います。
 日本語もろくに話せない、読めない人が増える中、英語に重点をおいてほしくないです。
 
 まぁ、こんなえらそうな事言っている私も正確な日本語を話せているか、
 と言われたら自信がないですが。でも、まずは日本語だろう、と思うわけです。
 じゃないと、たとえ英語を話せたとしてもカスカス(中身の無い)の英語しか話せないんじゃないかなぁと。

 と、このニュースを見て私は上記のように思ったのですが、皆様はどう思われますか? 
 もちろん、反対意見もずばっと言っちゃってください。

 では、……こんなこと書き込んでもいいのかなぁと少し不安に思ってきた幻惑でした。


●答え●

Vedaさんからの意見
一個人としての意見を言わせていただきます。m(_ _)m

>小学校で英語は不要だと思います。

 私はそうは思いません。
(全てが反対というわけではありませんが)

 反対に英語の教育は小学校から必須にするべきだと思っています。

 ひとつひとつ説明してゆくと長くなってしまうので、まず、まとめて挙げてみると……

【個人的な意見】
1)これからの時代、英語が重要になってくるから。
2)海外のほとんどの国では、小学校の時から英語を習っているから。
3)ヨーロッパの子供たち(特にスイス)は幼いころから数ヶ国語を習い、しゃべる。
 それならば日本でも不可能ではないから。
4)「日本語」は「日本」でしか使えないから。
5)中学校から英語を習っているはずなのに、大人になっても英語がしゃべれない人が多いから。


【アミダスを参照した個人的な意見】
*1)2050年以後は日本が国際的に弱くなることが懸念されているから。


【3)について】
 スイスではドイツ語をしゃべる地域、フランス語をしゃべる地域、
 イタリア語をしゃべる地域と分かれています。
 同じ国に住んでいて、同じ「スイス人」という国民なのに、彼らはお互いの言葉を理解できません。
 ですが最近ではそれを避けるために、幼いころから4ヶ国語(仏、独、伊、英)を、
 家庭で習わせる傾向があるようです。
 幼いころから4ヶ国語を習ったスイス人はきちんと4ヶ国語を理解し、分けています。
 それならば日本でも英語を小学校から習うぐらい不可能ではないのでは?と私は思うのです。

【4)5)について】
 これは若干、「*1」と関係するものですが……
 現在、もっとも使われている言語は、1位「英語」2位「スペイン語」3位「中国語」。
 そして将来、もっとも重要になってくるのは英語、中国語(またはインド語)、
 スペイン語だと世界では言われています。

 中国は世界の五分の一の人口を占め、将来的には強い経済国になるといわれているからです。

 スペイン語は経済力にさほど力があるわけではないのですが、
 スペイン語はスペインだけではなく、メキシコ、ウルグアイ、パラグアイ、コロンビア……
 などと、21カ国以上の国が使用しているため、切っても切り離せない存在になっています。

 一方、重要ではない(悪い意味ではありませんm(_ _)m)フランス語やポルトガル語、
 イタリア語、ロシア語なども、 数ヶ国で使われていて、
 少数語(たとえばアイヌ語のように)……となってしまい、消えてしまうことはないでしょう。

 ですが、日本語はどうでしょう?
 日本語は日本でしか使えません。


 それに日本は中国のように人口が多いわけでもありません。
 (かえって少子高齢化で減少傾向にあります)
 もし、海外に旅行に行くとしたら? ビジネスするとしたら? 万が一日本が……

 確かに「美しい日本語」は大切ではありますが、「万が一」に備え、(井の中の蛙にはならずに)
 頭の柔らかい幼いころから習って、慣れさせておくべきだと思います。



 【最後に日本語について……】

 日本語は世界一難しい言語だと、私は思います。

 なぜならば、例えば英語がアルファベット26文字に対し、日本語は
 ひらがなの基本(ちゃ、ちゅ、ちょなどは抜かし)が50文字、カタカナの基本が50文字。
 ローマ字(アルファベット)が26文字。
 さらに漢字が無限にあります^^;

 それだけではなく、一人称や二人称、三人称も数え切れないほどあるばかりか、
 敬語、謙譲語などというものが存在します。
 (外国人の友達に話したらびっくりしていました/笑)

 それだけ難しい言葉を、それだけ人間(日本人)は覚えられるなら、
 英語ぐらい小学校のころから教えたっていいのでは……
 (少なくとも日常会話レベルは身につくはず)
 と私は思うのです。


 長くなってしまい、大変申し訳ございませんm(_ _)m


Y氏さんからの意見
 私のようなゆとり世代よりマシだと思う自分がいます……。
 将来なにかミスしたり悪いことしちゃったときに、さもありなん、という感じで、
 『さすがゆとり世代だ』などと嘲笑されるかと思うと、
 日本の教育の根無し草っぷりにほとほと嫌気が差す今日この頃です。

 英語教育はいいと思います。なんと言ってもこれからはグローバル化の時代ですからね。

 なにより外人とペラペラ喋れたらかっこいいですし、第一学ぶということは掛け値なしにいいことです。
 確かに国語力の低下は不安ですが、私が思うに『活字離れ』なんてのはウソだと感じます。
 やはり小学校就学前から本を読むのが好きな子もいるし、
 我々のように小説まがいのものを書いている人もいる。
 何か調べ物をするには結局書物が一番詳しいため、
 最近全国の図書館の利用者が増えつつあるという調査結果もあります。

 さらに日本人は世界で一番『話』さず、世界で一番『記述する』民族だというのを聞いたことがあります。

 要するに日本人がずば抜けて筆まめなので、余計に国語力の低下を感じるのだとしたら、
 それはむしろ誇るべきことなのかもしれません。

 ですが唯一不安なことは英語の変なところでの普及です。
 米屋の看板に『RICE SHOP』なんて書いてあるのをたまに見かけたりするし、
 最近JPOPなのにサビが全部英語だったりするので、私としてはイライラします。
 HIPHOPならいざ知らず、『英語かっこいいじゃん』ぐらいの軽率な気持ちで、
 英語を歌詞に入れるようなアーティストなんてアーティストじゃない気がします。


MAYOさんからの意見
『好きこそものの上手なれ』
 マヨです。

 人間は基本的に、好きなこと・必要性を感じたことに対しては驚異的な吸収力を発揮します。
 漢字もろくに書けない小学生が、ポケモン全種言えた上に技まで答えたりね。
 重要なのは英語を『学ばせる』ことではなく、『必要だ・覚えたい』と感じさせることだと思います。

 ぶっちゃけ普段の生活で、英語の必要性を感じたことなど、大人になった今でも皆無です。
 全然使いませんから。出会ったとしても辞書や翻訳サイトなどで済みますから。
 公用語が四カ国あることで有名なスイスでは、日常会話の時点で他の言語とぶつかります。
 つまり、覚えていないと他人とのコミュニケーションすらまともにできないわけですね。
 公園デビューしたときからそんな環境なので、
 スイス人は物心ついた時点で四カ国語を覚えようとするわけです。
 話ができなきゃ、友達と遊ぶのも難しい。

 ゆえに小学校でまず教えるべきことは、「これからの時代、英語は覚えておいたほうがいい」
 と認識させることだと思います。
 
 ……小学生相手では難しいかなぁ。
 でもここさえクリアすれば、あとは放っておいても英語を覚えるでしょう。
 それこそ自分の小遣いはたいてゲームの攻略本を買うような感覚で。
 好きになっちゃえすれば、あとは楽です。

 以上、今の英語教育は学生たちに苦痛を与えているだけではないのか? と思うマヨの意見でした。


 ……個人的にはこれからの時代、英語よりも先にネットマナーを教えていくべきだと感じたり。
 小学生のうちから2ch語とか使われた日にゃ、将来が不安でたまらない。


迷夢 翼さんからの意見
 こんにちは。失礼します。

 私の学校では、小学年と中学年では国語をしっかりして、高学年から英語の勉強をやってました。

 前(一昨年かな?)学校でこれをディベートした時は、
 「幼い時から学ぶほうが頭に入る」ということで、
 小学校から英語の勉強をしたほうがいい、という結果になりました。
 実際中一の時習った英語より小学校のとき習った単語の方が難しいの覚えてたりしてます。私は。

 ということで、私の意見でいくと
 小学校の時から英語を勉強するのはいいこと。
 でも最低でも小学年のときは日本語に重点をおいてほしい。
 というのが一意見です。
 では失礼しました。


oukaseiさんからの意見
 英語の話せない35才です。

 小学校からの英語教育は良いと思うのですが、
 私の意見はちょっとずれているかもしれません。危惧です。

 つめこみ教育がいけないということで、こどもたちに心からゆとりをもって学んでほしいという理屈で、
 「ゆとり教育」が始まったように文部科学省は、
 いまひとつ具体的観点から学問をみていないような気がしてなりません。
 ゆとりを持つのは精神的なもので学問の中身ではないはず。

 同じようにこれからはグローバルでなくてはいけないとかなんとか、
 安直に考えて深く考慮しないで小学校にての英語教育をはじめそうで恐いですね。

 私は早い内からの英語教育には賛成です。
 どんなに幼い頃からはじめても続けなければ意味がありませんが。


 問題は教える側の姿勢ですね。
 単純な理由でゆとり教育を取り入れた文部科学省(または政府)が、また何も考えず英語教育ですか?W
 としか考えられません。

 捻くれた意見ですみません。


みつきさんからの意見
 幻惑さま、こんにちは。

 英語の時間、小学生からあるのはとてもいいことだと私は思いますよ。
 頭の柔らかい時に英単語をたくさん覚えておけば、
 後々、外国の方との意思の疎通がとても楽になると思います。
 
 今は海外に進出したり、外国企業と仕事をする会社も多くなっている……
 というか、今現在も普通に外国から英語で電話がかかってこない会社はほとんど無いくらいですから、
 英語はもう社会生活上必須と言ってもいいくらいです。
 英語が理解できないと、本当に困るんですよね(^^;。
 
 って言っても、私も片言分かるくらいなので、
 外国からかかってきた電話はすぐに英語の得意な人にバトンタッチですけど……
 ああ、クライアントに失礼をしてしまわないかと、一人の時間がとても怖い(汗)。


 日本語教育については、今の日本の教育プログラムはとても良いものだと私は考えています。
 平仮名を教えて片仮名を教えて漢字を教えて文法を教えて……
 すごく効率的に、上手に教えてもらったと、学校教育にはとても感謝しています。

 ただ、今も昔も子供が本を読む時間がすごく少ないですから、小学校高学年くらいから、
 授業の一環として、もっとたくさんの良い日本語で表現された本を読ませる事ができればOKかなー、
 という感じですね。
 
 読書が楽しい子はほっといてもどんどん読んで、大人になってからも読書が苦痛とは感じませんが、
 そうじゃない子はぜんぜん読まないまま大人になって、大人になってもやっぱりずっと読まないまま、
 それはもったいない事です。
 
 日本では、『読書は趣味』と捉えている人が多いようですが、私は読書は必須項目だと考えています。
 小学校から高校まで、『読書』を科目としてまとまった時間を取るべき、と思っているくらいです。
 やっぱり言葉を学ぶ基本は読書ですからね。

 それではこれにて、失礼させていただきます。


カロンさんからの意見
 こんばんは。
 私はちょっと皆様の意見と違うようなので、遅ればせながら書かせていただきます。

 英語教育賛成派です。
 理由は、英語を話せたほうがいい、からではありません。
 
 もちろん、話せるようになるならそれもメリットですが、授業以外で外国語を話す機会がない、
 必要がないこの日本では、習っても会得には直結しないと思います。
 ですが、自分が今英語を学んでいるから感じるのですが、英語も国語も同じ「言語」です。

 日本語を話す時、いちいち文法を考えますか? 
 主語述語動詞副詞助詞形容詞、それらの順序つながりが正しいかを、いちいち考えますか?
 「国語」の授業は、読むことがメインだった気がします。
 単語や漢字を覚え、読解力を鍛える。自分で文を作ることは、意外と少ないんじゃないでしょうか。
 受験のための小論文くらいしか思いつきません。
 まともに「日本語の組み立てを考える」授業というのは。

 英語の文法は日本語よりずっと厳格(あるいは単純)です。
 規則を守らなければならない、正否を考えながら文章をつくらなければならない、
 という状況で、ふと「じゃあ日本語は?」と思う人もいるでしょう(私のことですが)。
 
 単純に、「英語と日本語はここが違う。面白い!」と感じるだけで、
 日本語に対する意識というのは強化されると思います。
 日本語に興味を持つ、ひいては日本語力向上につながるんじゃないでしょうか。


 強引な例ですが、帰国子女の宇多田ヒカルちゃん(Mステに出てたので書いちゃいますが)。
 彼女の書く詩は、とてもきれいな日本語ですよね? 文学的でさえあります。
 これはもちろん、彼女の頭の良さの表れでもありますが、
 ひとつの言語だけで完結している(ある意味視野の狭い)我々と、
 少し違った目線を持っているからではないか、と思うのです。


Veilchenさんからの意見
 初めまして。
 遅ればせになってしまいますが、思うところがあるので書き込ませていただきます。

 まず、私は英語の早期教育には反対です。

 言語とはコミュニケーションや表現のためのツールであり、
 言語力そのものよりも言葉を使って何をするか、が重要だと思うからです。
 天気や趣味の話をするだけならば、今の義務教育程度で十分な筈。
 わざわざ小学生から教えるからには、
 文化や政治経済、社会まで語れるようになって欲しいものですが……
 小学生では語るほどの意見もないでしょう。
 免許を持っていないのにスポーツカーを買うような無駄を感じます。

 「将来英語を使う場に備えて早い時期に語学力を」という意見も当然出てくるでしょうが、
 個人的には、小学生の貴重な時期は母国語で自らを深めていって欲しいと思います。
 小学生時代、どれだけ忘れられない本と出会ったかを思うと、
 この時期を外国語の学習に費やすのは勿体ないなあと思ってしまいます。
 第一、母国語で語るものを持たない人間が、外国語で何を語れるというのでしょう。

 「複数の言語を普通に操る人たちもいる」という主張に対しても疑問が……。
 既出の通り、地理的・歴史的背景があるということ。
 そういった国や地域では、言葉の壁が就職など社会生活の上での障害になりうること。
 (=学習の必要性が非常に大きい)

 ヨーロッパ系の言語はお互いに文法や単語が似ている場合が多いこと。
 (ドイツ語を知っていると、オランダ語はノリで理解できそうな気さえします。
 イタリア語とスペイン語は似すぎていて、友人曰く「テストの時混ざって逆に困る」そうです)。

 と言うわけで、上の主張は単純に日本に適用することはできないと思うのです。
 まあ、じっくり教え込めば二カ国語や三カ国語は習得可能でしょうが……
 使う場所がないのに覚える意味はないでしょうね。
 
 熱意があれば、あるいは必要に迫られれば、語学なんて独学でいくらでも身に付くものですし、
 無理に小さいうちから教え込まなくても良いのでは、というのが個人的な意見です。


 あと、横レスになってしまって恐縮なのですが、カロンさんのご意見に対して……。
 「他の言語を知って日本語の深さを知る」とのこと、大いに頷けるのですが、
 これは、ある程度日本語の感覚を身に付けていることが前提にあると思うのです。
 
 仰るとおり、我々は普段全く意識せずに、複雑な日本語の文法を使いこなしています。
 ですが、小学生くらいだと、無意識過ぎて、
 例えば助詞助動詞などの概念はないのではないかと思うのです……。

 少なくとも私は、高校受験まで日本語の文法を考えたことはありませんでした。
 また、英語を習い始めた最初期は、パズル感覚で主語や動詞を組み合わせていて、
 それが言語であるという実感はなかったと思います。
 二つの言語の相違点を実感するにはそれなりの知識や経験が必要な訳で、
 そのためには、やはり英語の前に日本語での学習が必須なのでは、と思います。

 語学は、好きなときに好きなきっかけで、楽しみながら学ぶのがサイコーだと思っています。
 外国語を知ることで世界が(物理的にも精神的にも)広がるのもまた良いこと。
 実のある語学教育にして欲しいものです。

 長文失礼しました。


めたさんからの意見
 自分も、早期英語教育には反対です。なぜなら、中途半端だから。
 小学校からやれば、文法など妙な事を考えずに自然に英語を使えるようになる……
 という考えなのでしょうが。
 
 それだと、『遅い』のです。
 
 小学校はようやく母語の基礎が固まってきた時代。
 そこに別の言語を加えてしまうと、結局どちらも中途半端になるのは目に見えています。
 そこで得た英語の知識は、中学高校で十分に取り返せるレベルのものでしょう。
 どうせやるなら幼稚園or保育園からやらせろ、という話です。


カロンさんからの意見
 横レスに返信していいものか迷うのですが、私の名前が出ていたので書き込ませていただきます。
 またこれは、自分の意見のつけたしでもあります。

 しょーじきな話、私も「小学生で英語? やんなくていーじゃん」と思ってます(笑)
 代わりに漢字をやってもらいたいですね。
 記号でしかないアルファベットより、絵画でもある漢字の方が単純に面白いし、ロマンを感じます。
 漢詩なんて、たった七文字で泣けますし(実体験)。

 今回なんであえて賛成派にまわったかと言いますと、英語は英語で魅力を感じるからです。
 英語って、基本が「主語+述語+……」でしょう?
 これが『相違点』と言ったところなのですが、「私は〜です」「私は〜と思う」と、はっきり主張する言語です。

 日本語はあいまいですよね。
 「私はこう思う」とは言わず、「〜じゃないの?」と相手の同意を確認しながら主張したり、
 「〜と思われる」のように主語をぼかし、まるで世間の意見を代表して言っているかのような言い回しが、
 よく見られると思うんです。

 もちろんそんな日本語が大好きで、変えたいとも思わないのですが、
 そうとうに自己主張が強いはずの政治家でさえ、
 外国人との交渉事には勝てない、意見が言えない、というのは、よく聞く話です。
 
 なので小さいうちから「自分の意見をはっきり言う言語」を習わせるのは、
 まあ悪くないんじゃないかな〜と思った次第です。

 前の投稿とちょっと主旨が変わっていてすみません。
 今回は「英語の魅力について」でした。


シバタさんからの意見
 こんにちわ
 学生時代、喋れん英語なろても意味ないやーん。と考えてたシバタです。

 でも今は違います、小さい全ての子供に英会話を教える必要、意味はあまりないと思います。
(必要な職種の人は別ですが)

 私はグローバル社会だからこそ、人と違う考え方、つまり日本語で考える事が貴重だと思っています。
 英語、つまりアルファベット圏の人達の思考と、
 また別の角度から考察できる日本語は世界の進歩にとっても有用かと。

 そして歴史的背景を考えると喋れない英語にも納得できます。
 明治前後の人達はひたすら欧米の文物を富国の為に取り入れましたが、
 言葉や文字の文化は手放さなかった。
 
 世界を見ると固有の言語、公用語を潰された民族は多いです。
 
 アフリカ諸国は公用語がフランスやポルトガルが多いですね、インドとかは英語ですか。
 理由は植民地と何といっても先端技術などの高等教育ができる言語は意外と少ないという点です。
 福沢諭吉をはじめ明治の人達は、
 一生懸命『日本語で高等教育』ができるように言葉を作った《経済》とか《自由》とか色々。
(これは漢字圏の人達は取り入れてます)

 お陰で英語に頼らずに高等教育ができるようになりました。
 欧米人のアルファベット圏以外は野蛮人という風潮にも風穴をあけたと思います。
 ですから英語教育も会話より翻訳に主題があるのだと私は思ってます。

 で、文法的にも珍しいですからね日本語は。
 普通は動詞(つまり主張)が前にくるのが圧倒的に多いと聞きます。(中国とかもそうだときいたよーな?)

 あと欧米の人達が数カ国語話せるというのは英会話学校の謀略(笑)では?
 所詮同じアルファベット圏の言葉なんだから、日本でいったら幾つかの方言が話せるといった程度でしょう。

 おっと、長文になりまして申し訳ない。ではでは


蒼さんからの意見
 現在中3、英語教育真っ最中の自分がきました。はい。
 私は小学校から英語を習わせることに反対はしません。

 ただ、習わせたところで将来使えるかといわれれば、私はNOと答えます。
 なぜなら、今の学校の英語教育は「話す英語」ではなく「書く英語」の教育だからです。


 小学校から英語を習えば、そりゃあ今よりは英単語やらの知識はよく覚えられるでしょう。
 しかし、今までの小学校の教師に急に「英語教えろ」といい、
 まともな発音が可能な人間は何人いるでしょうか?
 
 ……文法等は覚えていたとしても、アクセントなどは厳しいものがあると思います。
 中学校の教師でさえ影で「あいつ発音カタカナだよなぁ」なんて密かに囁かれているぐらいです。
 よって、英語教育をやらせるならやらせるで将来に繋がるものを教えてほしいですね。

 と、英語が1番苦手な中3の独り言でした。


Veilchenさんからの意見
 横レス続きで申し訳ないのですが……私も意見の付け足しを。

 「英語が話せればグローバル社会で活躍できる、自分の意見がはっきり言える人になる」
 という主張が私には非常に疑わしいのです。


 公共の場で傍若無人に騒ぎ暴れるアメリカンスクールの子供たちやら、
 「留学で鍛えられたので、話し合いでは自分の意見は絶対に曲げません!」
 と自信たっぷりに言い切る人を見てきているもので……(そりゃアンタ空気読めてないだけ……)。

 そもそも交流とは何か、と言えば。
 自分の意見を述べ、相手の意見に耳を傾け、それを涵養した上で適切な・建設的なリアクションを取る。
 よりレベルの高い議論や考え方を発展させる。


 ここまで出来て、初めて一人前だと思うのです。
 そして、これは語学力以前の人間性やコミュニケーション力の問題だと思うのです。

 補助輪を外せない子にマウンテンバイクを与える必要はない。
 読み書きを習い始めたばかりの子に万年筆は不要。

 我ながら例えが微妙ですが、先のレスで私が「言語はツール」
 と言ったのは、「正しく活用するには使う側の能力も問われる」という意味も込めていたのです。
 成長の段階に応じて、身の丈にあった道具を与えていけば良い。
 英語は、日本語で十分に考え、話すことが出来るようになってからで良い。私はそう思うのです。

 カロンさんが仰るとおり、英語ははっきりと言いやすい言語ではありますが、例えば
 they say〜, It is said〜,It seems〜等の表現を使えばいくらでも責任回避した言い方が出来ます。
 I think を、「私はこう思う」というよりも、「個人的な意見だから間違ってるかも知れないけど分かってね」
 くらいの逃げ腰な姿勢で発する、私のような者もいます。
 
 やはり言語の特性よりも、人間性や育った環境によるところが大きいのではないかと思うのです。
 自分の意見をきちんと言えるようにする、「日本語」の教育が必要なのでは、と思います


 余談ですが、私は外国語をやっていて、

・ll,mmなど二重子音も表現できるが、語頭の濁点は表現できないハングルと、
 小文字も使えばかなり細かい発音のニュアンスも表現できる日本語、どちらが表音文字として優秀か? 
 と妄想したり

・マジャール語で「皇帝」はcsaszar(チャーサール、aの上にアクセントあり)だと知って。
 「明らかにカエサル(caesar)が語源だ! ドイツ語とロシア語は知っていたけど、
 こんなところにも影響してるなんて、流石!」
 と興奮したり

 ……という辺りが楽しくて仕方ないので、余計にある程度勉強してからの外国語学習の方が良いのに、
 と思ってしまうのでしょうね。
 マニアックといえばそれまでですが……ここまで考えなくても外国語に興味は持てるでしょうが……。
 でも、これが私の楽しみ方なのです……。


1029さんからの意見
 夏休みの勉強合宿で精神的にきてる1029です。

 英語教育ですか、自分は一応小学校では2年やりましたかな。
 意味なしです。
 だって英語で遊ぼう程度ですから。

 自分は反対です。大体が教え方がなっていない。というか、環境的に無理。
 語学を身につける最短ルートは現地に行くということです。


 馬鹿でもアメリカに長い期間通訳なしの生活すれば話せるようになるでしょう。
 日本の国語で単語を学ばないように、向こうの英語で単語を学ばないはずです。
 つまりはそういうこと。

 グローバル化ってつまりは一体化っていう事ですよね。したければすればいいじゃない。

 自分は日本語は最も美しい言語だと思っています。そう言う自分もまだ使いこなせていません。
 英語は意思の伝達においては勝っているかもしれないですが、
 日本語の描写も失ってはならないと思います。他にもいろいろ……。
 つまり、もっと小説読もうよと。そう小学生にいいたい。漫画よりよんでもらいたい。
 そして、守ってほしい。
 人として軸がぶれてる若干16歳の1029でした。

 要約。
 日本語が残ればいいんじゃない? でも今の英語教育では無意味。
 暴走してしまったので、言いたいことはこれです。では。


木庭夏樹さんからの意見
 いきなり話を脱線させてしまって申し訳ないのですが、
 日本語・英語について私なりに考えている見解と、
 本に書かれていた話とを以下に述べさせていただきます。
 長文になりますが、何かの参考にしてもらえれば幸いです。

 まず第一に、
 日本の英語教育には根本的な欠陥がある、という話を聞いた事があります。

 その欠陥とは、

 文法・リスニング・長文読解・etc……というように、
 ひとつながりの言語であるはずの英語を細切れにして教えている、という事なのだそうです。
 外国ではそんな教育はしていません。

 (と、その本には書いてありました)

 そのため、学校で教えられる「受験英語」と、
 日常会話で使われている「英語」との間に大きな溝が出来ているのだそうです。
(個人的には、学校教育の目的は科目の内容そのものを習得する事ではなく、
 理解・記憶・論理的思考の強化だと考えているので、それはそれで異論は無いのですが)

 だから、中高六年間英語を勉強してきても、実践に生かせない、という現象が発生するのだとか。

 そして第二に、日本語は世界有数の難しい言語である、そして
 英語は世界で最も習得がたやすい言語である、という二大神話も、私はあまり信じていません。


 前者については、確かに、英語・フランス語・ドイツ語・中国語など、
 使用人口が多い言語と比較すれば曖昧な点(助詞の使い分け・敬語の用法など)が多く、
 難しいかもしれません。

 しかし、アフリカなどに存在し部族単位で使われているあまたの言語を考慮したところ、
 「日本語が特別難しい」という事実は決して無いのだそうです。

 次に後者です。
 ここから下は読み飛ばしてくださって構いませんが、
 英語の基本的な文型といえば主語+動詞の形をとりますよね?

 例えばシンプルに「私が行きます」と言いたければI go.となります。
 しかし日本語なら主語を省略して「行きます」と言ってもほぼ同義に聞こえるのです。
 いや、逆に「私が行きます」という言い回しをすれば、
 「私」、つまり主語の部分を強調して聞こえるのです。
 要約すると、英語では主語+述語の形を崩せない。

 「それがなんだ」とお思いになるかもしれませんが、
 実はこれ、言語界ではかなりマイナーな存在なんです。少数派です。


 そのほかにも英語の習得において難所となる部分を挙げてみます。
 例えば「英語の規則は全ての言語の中で一番単純で簡単」と言いますよね?
 しかしその分、英語の規則には「世界で一番例外が多い」んです。
 単純なルールでは解決できない内容が多いので、
 例外を作って対処するしかないんですね。
 普段から英語を聞き、読み、話していれば自然に対応できるのですが、
 教科書で習っているとその例外・矛盾をスムーズに理解できない。

 以上の二点から導き出される第一の結論、それは、
 「英語は会話の中で学ぶのが一番」。


 長々と駄文を書き連ねておいて、結局こういうオチかよ金返せみたいな空気になって、
 本当に申し訳ない、書いてる自分もびっくりです。
 しかし私の経験から言わせていただいても、これは紛れも無い真実、本当です。

 私は幼い頃から姉に附いて英会話スクールでの言葉の応酬を聴き、ニュアンスをなんとなく学び、
 その後十数年英会話スクールに通いました。
 
 おかげで中学三年の夏に英検二級を取得出来ました。
 会話を聞く中で、英語を学ぶのが一番の近道だという何よりの証明だと思っております。
 「いまどき英語の一つや二つ話せないとね」などとお考えの御仁は、学校教育に頼るのではなく、
 英語の中に飛び込んでいく事こそが答えだと知るべきです。

 これ以上スペースを取るのが怖いので
 一番大事な回答を箇条書きにさせていただきます。

・小学校から英語を学ぶのは悪い事ではないが、会話を重視した授業にするべき。

・教育の中で日本語を学ばせよう、と考えるより、
 家庭での教育や読書時間を増やした方が品のある日本語になると思います。

・日本語は加工産業の国であり、言語に関してもそれは言えます。
 (溢れんばかりの外来語がその証拠です)
 ですので他の言語に触れる事は、日本人の気質にあっているはずです。

 以上を、私の回答とさせていただきます。
 ご一読、まことにありがとうございました。


茶色さんからの意見
 初めまして。
 初めて意見を投稿します、茶色です。
 今まではずっと、読む側だったのですが、
 質問が、自分にも大きく関わる内容だったので、意見させていただきます。

 私の通っている学校では、幼稚園から、英語の授業があります。
 もちろん、小学校でも週に一度、英語の授業があったのですが。
 はっきり言いましょう。
 
 私は、この幼稚園、小学校、と小さい頃から英語を身近に感じる環境にありましたが、
 英語がものすごく嫌いです。


 なんで日本人なのに、英語なんか勉強しないといけないんだ! というくらいに嫌いです。
 一度、小学三年生のとき、通っていた塾の先生に、私の学校で使っている英語の教科書を見せたところ
 「これは、大学生が習うレベルだよ?」と言われました。
 それを、たったの週一回の授業でしか習わないのです。
 好きになれるわけがありません。
 
 これは、私が通っている学校、または、教えていた教師にも問題があったのでしょうが、
 中学校に改めて入学した時、私が知っていたのはアルファベットくらいのものでした。
 だから、私も幻惑さんと同じように、小学生の頃から、英語教育することには反対です。
 小学生に向かって、現在進行形だとか、過去完了形だとか、そんなことを教えても、
 はっきり言って、八割がたは理解しきれないと思うのです。

 これは、私の超個人的意見ですが、小さい頃から英語教育をやっていたとして、
 本当に英語が喋れるのか、それ以前に、その子が英語を好きになれるのだろうか、と思うのです。


 とある番組で、3歳の頃から、英語教育をさせている、という男の子が出ていました。
 彼はカメラの前で流暢な英語を、普通の顔をして喋っていましたが、番組スタッフがその子に、
 「将来は何なりたいの?」と日本語で質問した時、
 彼は自分の母親に英語で「何て言ってるの?」と聞いていました。
 恐怖です。
 日本人が、日本語を喋れないなんて。

 いくら英語が話せても、日本語もロクに喋れないまま大人になってしまっては、
 本末転倒ではないでしょうか。

 長くなってしまってすいませんでした。


√さんからの意見
 まず最初に結論をいうと、私は反対です。

 理由はまず現在の小学校教育の授業時間的に不可能です。
 つまり英語を増やす分、何かの教科の時間を削減しなければならない。


 『グローバル化』が消し去ろうとしているのは、国語だけではなく、社会もです。
 現在の社会の教科書を見た人ならわかると思うのですが、
 なんと歴史において、江戸時代は徳川吉宗ですら出てこない。
 しかも教科書どおり教えたら、弥生時代から始まってしまう。
 現在の時間割りですら、授業内容が教師の裁量と努力によって、
 大きく左右される授業形態になっているのです。
 
 では総合的な学習の時間を減らせばいいのではという意見は、当然あるとおもいますが。
 それに実際そういう風に進められていますが。
 教師という職業に、どこまで負担を押し付ければ気が済むのかと。
 学ぶ側としては必要かもしれませんが、学ばせる側としては非常な努力が必要になります。
 そして結局内容が中途半端になってしまう。

 ならば、英語教育は定められているわけではないという曖昧な部分を作って各小学校に任せるか、
 それが嫌なら私立に行けばいいのでは、という話になると思います。

 そして、言語能力の習得ですが、幼ければ幼いほどいいです。
 つまり、どちらかというと小学校でやろうとするよりは、それ以前の段階で学ばせた方がてっとり早いです。
 やろうと思えば、幼稚園から英会話教育に行けばいい話です。
 言語は必要だと思うならば、自分で手に入れるべき能力だと思います。
 それに、脳科学の分野でも、多重言語が可能かどうかはある程度の生まれつき能力がかかわる、
 という理論もありますし。ですから、そんなに学ばせたいなら親が英語を覚えればいい話でしょ? 
 というのが基本的な私の意見です。

 結局、『小学校から英語を学ばせるべき』という意見は、学ばせる側、
 つまり保護者の怠慢でしかないのではないのでしょうか。
 『自分はできないし、お金かけるのは面倒だからはい学校で』という、
 日本の教育信仰が明け透けてなりません。

 と、教育学の見地からの意見でした。


サワラさんからの意見
 サワラと申します。
 とても興味深いタイトルだったので私も意見を述べさせていただきます。

 私としては、早期英語教育は反対ですね。しかも本格的にやろうとすればするほど、です。
 下手にバイリンガルにしようなどとしたら「I want 水」とかいうおかしな言葉になってしまいます。
 
 ある程度の年齢にまでなったら英語を
 「日本語ではない、別の言語である」と理解することができますが、
 日本語をまだきちんと習得していないうちから英語単語や英文法を教えていくと、
 例えば水を目の前にして「これは『みず』なの? 
 『うぉーたー(water)』なの? どっち?」と混乱してしまうことになります。
 
 下手をすれば何かを言いたいとき、日本語で言えばいいのか英語で言えばいいのか分からなくなり、
 とっさの言葉が出てこず、吃音障害のようなものが表れてしまいます。
 やはり思考形態の主軸となる言語(日本在住なら日本語)を確立するのが先だと思います。
 
 英語教育に大切なのは、英語という「言語」を習得させることではなく、
 英語という「科目」(算数や理科と同じカテゴリで)を好きになるようにさせることではないか、と思います。
 小学生で英語を習わせるのであれば、英単語がどうだとか文法はああだとかではなく、
 楽しく・面白くが重要事項。
 生徒が好きなアニメソングを英語で歌ったりとかですね。
 どの英単語がどの日本語に対応しているのか、などを教えるのは二の次ではないかな、と。


 あと、蛇足になりますが、日本語は世界トップクラスの難しい言語だから、
 それを理解できるのなら英語は易しいはず……という話がありますが、そんなことはありません。
 日本語が世界一難しいと思うのはそれは我々が日本人だからです。
 他のどの民族よりも日本語を理解しているから、
 日本語の事細かなところまで知っているから、そう思うのです。
 英語圏の人は英語圏の人で英単語の膨大さ、
 英文法の例外の多さを知っているので「英語は難しい」と感じています。

 たとえば、日本語ならば単語の意味を知らなくてもそれが漢字の熟語で、
 その漢字の意味を知っているのであれば大体の語意を知ることはできます。
 ですが英単語はその単語を知らなければ文脈からしか推し測ることはできませんので。
 まともに英単語を覚えるだけでかなりの労力を必要とするのです。だから、英語は難しい。
 旅行するのに全く不自由のない英会話ができる人でも、
 ビジネスとなると全くもって話にならないのは往々にしてあることです。
 旅行で使う語彙なんてたかが知れてますからね。


n3kさんからの意見
 小学生に英語を習わせるべきではないと思います。
 まず、義務教育において英語教育の必然性がありません。
 義務教育ならもっと教えるべきことがあるでしょう。
 英語を勉強させるくらいなら国語や総合学習といった時間を増やすべきです。

 義務教育でなくても英語を使わざるを得ない状況には陥ることはありません。
 今の英語教育は話すことよりも書くことを重視し、しかもひたすら暗記では学習意欲がわきません。
 まさに不毛です。

 外国の人でも日本語を習いたいという人はいるでしょう。
 それは日本語は外国語に決して劣っていないということです。
 もっと日本語の独自性を大切にしたほうが良いと思うのです。
 英語は習いたい、または必要だと思う者だけが習えばそれでいいと思うのです。

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