第4研究室 創作に関するQ&A 371P | トップへ戻る |
リユウさんからの質問
 宗教の無い世界は存在できる?
 
 またワタシです。すみません。
 気になることがあったのできました。
 異世界の世界観を作るとき、
 その世界に、宗教という文化が無い。
 ということは有り得るのでしょうか?
 そして、その場合でも、宗教学の本は、
 読んでおいた方が良いのでしょうか?


●答え●

葉山宗次郎さんからの意見
 こんにちは、葉山宗次郎です。

 宗教のない世界ですか。
 設定としては面白いです。ライトノベルの場合、何でもありなので書いても構わないでしょう。
 
 ただし、どうして宗教が無いのか、無くても成立するなど、
 説得力のある状況設定や世界観が必要になります。
 ここの部分が書けるのなら存分に書くべきでしょう。
 
 宗教について私の私見ですが、宗教が生まれたのは人間の無知からです。

 例えば初めて「地震に遭遇した」としましょう。酷い災害で怖いです。
 そしてどうして起こったのか考えるのが人間の本性でしょう。
 
 そして調べますが、昔の人間ですから十分な知識も、考え方も立証方法も知らず、原因不明となります。
 ですが原因不明のままでいるとなんとも居心地が悪い。
 そこで、神様がいて神様が怒ったから地震が起きたといって説明します。
 
 現代の日本人から見れば馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、
 昔の人にはそれが嘘だと立証する手立てがありません。
 仮に否定しても地震が起きる原因は依然不明のままで不安のまま過すことになります。
 だから、自己完結に近いとしても全知全能の神様がやったと言って納得すれば、
 普段の生活を送れるというわけです。
 
 つまり宗教がないということは、原因不明のもの、説明不能のものがない。
 あったとしても、上手く過す方法が存在する世界だと私は思います。

 
 最後に宗教本ですが、読むべきでしょう。
 宗教がないということで宗教と接点を持っているのですから、
 現実とあなたの作る世界と対比させる意味でも必要です。

 ご参考になれば幸いです。


Sour Grapesさんからの意見
 異世界で人類と似た種族が発生したが、宗教を持たない。ありえる仮定でしょう。
 宗教の起こりは『人は死んだらどこへ行くのか』だったという説、
 (マックス・ウェーバーかな?)がありますから、例えばテレパシーを持つ種族で死の瞬間、
 精神が消滅するのを感じ取れるとすれば疑問を持たないでしょう。
 宗教学は日本人は苦手なのでお暇があれば目をとおしておくと良いと思います。


ベルンカステルさんからの意見
 宗教は、知的生命体が高度な文明を発達させるのに必要不可欠です。

 まだ、人間が知識や文明の記憶をうまく伝えられない時に、簡単な思考をしました。
「何処から、水や果物などの恵みが来るのだろう?」
 人間達は気付いた時から、そこにあるモノがなぜあるのかを考える始める訳です。
 そしてその謎は人がモノをつくり始めることでこんな考えが出てきます。
 「もしかしたら、我々がモノを作る様に我々を作った存在が要る」と考える訳です。

 それが宗教の起こりです。
 そして、その頃には情報の伝達がかなり自由になっているので、仲間同士で話をして一気に広がります。
 そして、その頃は群れや部落のリーダーには服従するのが常です。
 つまり、ここから人間や世界を創った存在に対する服従が始まるのです。

 この様に、生命体が知恵をつけて文明を発達させるには宗教は不可欠です。
 また、宗教を作るのは人類の生き残りを賭けた模索とも取れるので、
 やはり不可欠ではないかと思います。

 仮に人間が特例だとしても、人間の部族全てには宗教が存在しています。

 地形、気候、部族間になんの繋がりもない部族全てです。
 環境条件によって文明の発展速度は変化するが…

 だから、知的生命体が文明や技術を発展させるには宗教の発生は不可欠である。
 ちなみに、参考資料を希望ならば言ってください。


 Sour Grapesさんの意見についてですが、テレパシーを使える部族は意志疎通が出来ないモノに対して、
 考え、力が及ばない存在に対する恐怖を覚えて、物体に対する信仰が生まれると思われる。

 それ以外に、自然災害が信仰の対象になる場合もある。
 その信仰を昇華して、災害をおこす存在を信仰するかも知れない。
 典型的な古代信仰の出来上がりだ。

 多分、自分達に及ばない力が有る限り信仰は消えないと思います。

 現代人も自覚がないだけで、「科学」を物神化して信仰しているも同然で、
 昔の神主や巫女が科学者や技術者になっただけだ。
 宗教の本来の形としては、人々の心のよりどころとしての役割もある。
 だから、宗教は形は違えど存在はすると思う。


蜜さんからの意見
 他の方のおっしゃっているのは

・人類の歴史を語る上で宗教は発生するか否か?

 ですので、
 過去を振り返るのではなく宗教が“その時点ではない”というのであれば、
 考えられうるんじゃないですか?

 遠い未来など、何らかの方法で(あるいは何らかの間違いで)
 「神の不在の証明」ができてしまった(あるいはできたと錯覚してしまった)世界は考えられると思いますよ。
 それでも“神”という存在に依存するのが人間だとは思いますが、
 “不在が証明されてから何百年も経ってそれでも依存し続けるか”は一考の価値があるでしょう。

 それと、「神が実在する世界」で、「え? この世界を作った神さま? 
 ああ、それなら三軒隣の家に住んでるよ」という身近な存在であるならば、
 殊更“宗教”という概念は育たなかったり、「神の降臨」によってそういう実在を得てしまったのなら、
 “宗教”はその役目を終えて別の存在になってしまったり、というのはあるかもしれませんね。

 どんなものにせよ、そういった「思考実験」はいくらでもできると思います。
 ただそれは、既存の宗教のことをよく知った上でなければリアリティは得られないと思いますが。


加藤さんからの意見
 宗教は「理解を超越したものに対する答え」だと思うので
 それを答える存在がいれば宗教が無くても成り立つのではないでしょうか?
 まあ結果的に精霊信仰とか呪術とかに繋がるのかもしれませんが。
 でもそれで呪術や精霊がその世界に実在するなら宗教にならないと思います。

 まあ要するに上で言われている「神が身近なら宗教にならない」ということですけど。

 ファンタジーじゃない世界だとすれば、
 もうこの際不思議な現象を一切起こさないとか(無理がありますね)
 お役に立てたでしょうか?


公ちゃんさんからの意見
 私も別に宗教が無い世界もあっていいと思います。
 ただ、仮に宗教が存在しない世界を書くときに気をつけるべき事項は二つです。

1、作品内の人物について

 宗教があるないでは、生活様式、概念、思想などが違ってきます。
 貴方が理想とする世界観では、どんな人物が動くのでしょうか?

2、執筆するにあたっての表現方法について

 この研究所のどこかに書いてあったことですが、
 その作品の世界観を壊す表現方法は、あまり受け入れられません。
 「アーメン」「南無阿弥陀仏」「イースター」とか、
 宗教専門用語は使わないのが無難です。
 もしかしたら「神」「悪魔」という言葉すら存在しないかもしれませんね。

 1は既にお気づきかもしれませんが、
 意外と2を見落としやすいんです。
 結局はどんな世界なのかは書く人の自由ですが
 それなりのメリット、デメリットが人によってあります。
 まあ、臨機応変に行きましょう。


安眠妨害禁止区域在住の猫さんからの意見
 宗教と言うのは政治的な側面と人道的な側面があります。

 正しき人の道を教えるということに、箔を付けて神の言葉とする。そういう部分もあります。
 逆に政治的・権威的な側面も強くあります。

 この世に生死があり、人生があり、存在があり、謎が少しでも残っている限り、
 定義としてはかなり広義になりますが、神という存在が消えることはないでしょう。
 死を直前にした時、神を信じない人でも何かに縋ろうとするのではないでしょうか?
 そこに神の存在を見ているとすれば、神は人が人である限りは存在するでしょう。

 完全生物であるなら、なくなる可能性はありますけれどね。


風月堂さんからの意見
 すっかり遅れてしまいましたが、参考になると思われる話があるので、紹介します。

○宗教否定国家旧ソ連のこと
 宗教(的な側面)が本当に無いといえるかは微妙ですが、「公式には」宗教を否定した国としては、
 社会主義国家の旧ソビエト連邦(旧ソ連)が挙げられるでしょう。
 同じく社会主義を国是とする(特に以前の)中国については、よく分かりません。

 旧ソ連政権は、(史的唯物論などの)マルクスの思想は科学的には神の存在を否定している、
 として、宗教を全面的に否定しました。
 このため、学校教育でも「神は存在しない」といった宗教否定に重点を置いた教育がなされ、
 反宗教博物館をつくったりして、国家レベルで宗教否定を定着させようとしました。

 霊魂や神仏の完全否定が科学的かどうか、信仰のよりどころとなる宗教的なものが、
 宗教に代わる形で存在していたか、という点は私には分かりません。
 見ようによっては、「神は存在しない」という唯物論も、一種の信仰と言えなくも無いかもしれません。
(ベルンカステルさんの仰るように *1)。
 
 ただ、少なくとも「公式には」宗教を否定し、
 宗教否定を国民に定着させようとした国が実在したとは、いえます。


 ちなみに、旧ソ連が崩壊し、ロシアになってからは宗教の公式の否定はなされなくなりましたが、
 それからまもなく(1995年)の宗教の状況は、
 人々の「宗教への免疫の無さ」が感じられ、少し衝撃を覚えます。
 旧ソ連の宗教否定教育とロシアになってからの開放後(1995年)の様子は、
 「宗教をどう教えるか/朝日新聞社/菅原延郎」で紹介されています。

 ただ、この旧ソ連の宗教全否定社会は、ある意味人工的につくられた社会といえますし、
 また、(宗教否定を全国民に強要するという)一種の巨大な社会実験と言えなくもないでしょう。
 「無宗教」というよりも「反宗教」といえるかもしれません。
 ただ、自然発生的な社会が何らかの信仰を生じさせないことがあるのかどうか(*1)は、分かりません。
(個人的には、かなり疑わしいとは思いますが)。

*1
 蜜さんの発言を借りますと、

>人類の歴史を語る上で宗教は発生するか否か?

 というのがこれにあたります。
 また、旧ソ連の状況は、再び蜜さんの発言を借りますと

>過去を振り返るのではなく宗教が“その時点ではない”

 というのというものに、近いのではないでしょうか。
 少なくとも、為政者は、この状態を目指した、とはいえます。
 学校で唯物論を正当なものとして教育させたように。

 しかし、創作であるなら、そこまで気にする必要はないかもしれません。
 リアリティといいますか、説得力があればいいのだとおもいます。
 ただ少なくとも、そのような設定を考えていらっしゃるのなら、
 宗教否定を本気で行なおうとした国があったということは知っておいてもよいと思います。


○文化人類学の「宗教起源説」

 ちなみに、宗教の起源についてですが、文化人類学上の見解としては、
 19世紀以降、「宗教起源説」として研究されましたが、
 霊魂信仰から神信仰へという「宗教進化論」は支持されなくなり、
 1960年代には、宗教の起源の研究は放棄されました。
 文化人類学上は過去のものとなっています。
 むしろ、宗教の社会的な面が、今日ではテーマとされています。


○宗教学の関連分野

 宗教学に限定せずに、総論的な文化人類学の入門書や、
 社会現象として宗教を扱う宗教社会学などの関連分野や、
 それ以外のジャンルでも宗教が関わるものはありますから、
 「宗教学」にこだわならい方が良いと思います。
 
 相談内容は、宗教の無い社会を想定するようなので、
 宗教の「社会的な側面」も気にして良いと思います。
 そういう意味では、宗教社会学や文化人類学も参考になるのではないかと思います。

 文化人類学の入門書としては、
 「社会人類学入門/J・ヘンドリー著/桑山敬己 訳/法政大学出版局」
 をお薦めします。各分野についてまとまってるだけでなく、
 今日の日本も事例として多く取上げられてるので、
 その点からも、文化人類学の理解に役立ちやすいと思います。

 ちなみに、宗教学の本では、神の存在を認めない儒教を、
 宗教の一種として扱うものも少なくありません。


○広く知るということ

 民俗学、宗教学、歴史に限らず、もっと幅広く一般教養を身につけると良いと思います。
 いろいろ知ろうという姿勢は大変良いと思います。
 とりあえず、地理や日本史・世界史の資料集(便覧)を見てみるとか、
 図書館へ行って司書に聞いたり、適当に棚をあさってみることをお薦めします。
 その中で、自分にあった本を見つけるとよいと思います。


リンチェさんからの意見
 リユウさん、こんばんは。

 ロバート・J・ソウヤーの小説、「ネアンデルタール・パララックス」シリーズに出てくる
 ネアンデルタール人の社会は、まさに宗教のない世界です。

 この作品では、ネアンデルタール人の脳の構造はホモサピエンスとは異なるため、
 宗教や霊という考えを生み出すことはなかったという設定になっています。


 人間が霊の概念を持つのは、脳の構造や本能に起因したものとする説は、
 別に小説だけでなく、現実でも考えられていることです。
 このことについては、リー・M・シルヴァーの「人類最後のタブー」(NHK出版)
 という本に詳しく書かれています。この本によれば、人間が死の概念を手に入れた時、
 同時に霊という概念を持つようになったと考えられているそうです。

 これらを踏まえて、宗教のない異世界を考えるのでしたら、
・住民が完全に理性的である。
・不老不死や不老長寿、死者の蘇生が実現されているなど、死が克服されている。

 などの設定が考えられるでしょう。


じさんからの意見
 自分自身の見解を述べれば、そのような世界は有り得ないと思います。
 ある程度の文化を持っているなら尚更です。

 世界史を学べば、ある程度はわかると思いますが、国を纏める為には宗教が必要です。

 科学技術が発展した今でも宗教が根強く残っています。
 戦争の際も宗教上の事が理由になったりしています。
 現代でさえ、宗教が深く影響しているのに、
 産業が未発達の世界でこういう事がありえるとは思えません。

 中世を舞台にしたようなファンタジーは宗教は物語の核になります。
 仮に宗教を持たない国があったとすれば、間違いなく持っている国に負けて滅びます。
 団結力がまるで違いますし、そもそも庶民達は心の拠り所を無くし、生産性が落ちると思います。
 つまり、ないものを舞台にはできません。

 人間というのは非常に心が脆いです。
 苦しい時の神頼みという言葉があるように、神を信仰していない者でも神に頼ったりします。


 長くなりましたが、結論を言えば、ありえないと思うという事です。


黒尻尾の駄猫さんからの意見
 通りすがりの野良猫です。
 オイラなりの想像を垂れ流しておきます。

 まず、辞書によると以下のような感じです。

 大辞林 第二版 (三省堂)
/*------------------------------------------------------/*
しゅうきょう ―けう 【宗教】

(1)神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。

(2)〔religion〕経験的・合理的に理解し制御することのできないような現象や存在に対し、
 積極的な意味と価値を与えようとする信念・行動・制度の体系。
 アニミズム・トーテミズム・シャーマニズムから、ユダヤ教・バラモン教・神道などの民族宗教、
 さらにキリスト教・仏教・イスラム教などの世界宗教にいたる種々の形態がある。
/*------------------------------------------------------/*

 なるほど、もっともらしいですよね。

 短絡的に解釈すれば、心の安らぎを超自然に求めなければいいということだと思うのです。


 つまり、年間を通して気候が安定していて、作物や動物等の食料に困ったことがなく、
 目立つ危険はなく、大きな災害も経験したことがない。

 そんな土地なら、別段神様にお願いしたりすることもないと思うのです。
 まあ、更に言えば戦争もほとんど経験がないと勝利祈願を集団で行うこともないと思います。

 それでも、そこがファンタジー名世界で、実際に妖精やらモンスターや神様まで存在するとしても、
 それらは特定地域を騒がす「たまに出て悪さする妖怪」の延長としか考えられないでしょう。

 宗教も世情や文化的な背景が、社会的なストレスとなって顕在化したとき、それを緩和するため、
 或いは、もっともらしい正当性(権力者は神の末裔等)を主張する際に、
 人間が作り出したものだと思います。

(この場合、実際に神様がいるかいないかは関係なく、人間が必要だから宗教を作ったという考え)

 宗教なんかなくても楽しい世界が描かれるといいですね。

                         ではでは


ベルンカステルさんからの意見
 どうも、宗教肯定のベルンカステルです。

 今回は現実に神が存在している場合は宗教が無いのではとの意見と、
 神の不在による宗教の喪失について意見を述べたいと思います。

 まず、神が現実に居れば宗教は生まれないのではないか、と言う問いについてですが、
 現人神と言う存在を知っていますか?

 
 宗教の中には現実に存在する神を信仰するものもあります。
 日本の天皇や古代エジプトのファラオ、ロシアのロマノフ一家やイエス・キリストが代表的でしょう。
 神と王様がセットになっているのに宗教はなぜか存在していました。
 さらに、日本の八百万の神々は物体や生命のありとあらゆる物に憑いている上に、
 ピンからキリまで多種多様だ。信仰対象が日常のいたるところに居る状態でも宗教はあった。
 つまり、神がありふれていようと無かろうと信仰は存在する。

 また、神の不在が証明された場合はどうなるかですが、これ少し長くなりますよ。
 不在が証明されても信仰を捨てない人間が存在します。
 日本では終戦に伴う天皇の人間宣言で、信仰を砕きましたが、
 信じないと堅くなに言う人も居れば、心の拠を失わないために信じ続ける人間も居る。
 
 ヨーロッパではキリスト教勢力に滅ぼされた教えも、
 言語や思考パターンに宗教が深く染み込んでいたために、
 精霊や悪魔に対する考え方などに置き換わり、現在では悪魔信仰も存在します。
 
 宗教は人間の行動、思考、言語などに大きく関わるので、
 完全に信仰を絶ちきるにはそれ相応の時間と労力が必要です。


 しかし、それも支配人種が被支配人種に、
 自分達の思想や信仰を押し付ける形を取るので、結局結果は変わらない。
 宗教が無い民族には古代社会の未来思考性が出来上がらないので滅んでいる筈だし、
 信仰を棄てた人間は自覚が無いだけで、
 その生活様式や行動・思考はその民族の持つ宗教に行き着きます。
 
 信仰を棄てた人は、信仰を知らない人間と前の信仰を信じるが故の破棄に分けられる。
 信仰を知らない人間とは、国内においては現代日本の宗教自由化による副産物であり、
 集団を形成するには至らない。

 純粋に無宗教な人間は、俗世を完全に棄てた人間か、
 日々を送るのに手一杯でかつ宗教を知らない人間か、
 それとも宗教を知覚できない人間か、何も考えないバカしか居ないでしょう。

 また、心の拠が無くなる事により人心が腐敗します。


 この類は「考えないバカ」を量産する温床になります。
 つまり、宗教が存在しない事は、人身の腐敗が世界を覆い、
 刹那主義な暴力の集団を伴い、また世捨て人による絶望が蔓延する世界だ。
 何時崩壊してもおかしくない状態。まさに百鬼夜行の原義やハルマゲドンに深く当てはまります。
 つまり、世界の崩壊寸前に発生する小さな間隙なのです。

 また、万一にこの状態を人類が打破したとしても、その英雄を祭る宗教が発生します。
 文明崩壊の後の世界は北斗の拳などで解るように、古代社会に戻る訳だ。
 そこでは新たな伝説や教えも発生するだろう。
 それが世代を重ねたり政治に利用される事で、宗教化します。
 ですから、宗教の無い世界は存在しません。
 もし無くなる期間があるとすれば、
 人心が腐敗し悪が蔓延する未来の無い滅亡寸前の一瞬だけ宗教が喪失する。

 と言う訳ですがどうでしょう?


ベルンカステルさんからの意見 
 上の私の書き込みは、あくまでも、高度な知的生命体が技術を持った後の話です。
(問が人間でしたので人間本意で書きました。)


 それ以外の宗教概念を持たない生命体の場合は可能、宗教が無くても平気です。
 また、エントロピーの法則を無視した不老不死の生命体は思考能力が無いか、あっても低い、
 またはモノ忘れしやすい生物だと考えられます。

 参考までに…


エンデバーさんからの意見 
 ベルンカステルさん、こんにちわ。

 神の不在の証明、これ自体矛盾が生じてるんじゃないかと思うんです。
 第一、神って証明できる存在でしょうか? その範疇で語れるようなモノでしょうか?

 まずコレについては、宗教云々とは少しずれた話ですけれど。

 なにか私が宗教を信仰してる訳じゃありませんが、神があっての宗教ですよね。
 加えてえ神は証明できない、定義すらありません。
 定義のないモノを証明も否定もできないと考えます。
 
 人の価値観のみで解釈可能なモノにそもそも定義づけはできないんという訳だと思います。
 宗教はただ鎮座しているだけのモノでしか無く、其れがなんなのか、
 どの角度から見ようと、教義などで縛られようと、結局は人それぞれで、解釈可能だというわけです。

 ちなみに神と王家が繋がっているのは王権神授説で片付く事です。
 これは宗教の範疇ではなく、政治の範疇としてみた方が良いとおもいます。
 この角度から見れば、天皇人間宣言なども問題はありません。


 また信仰を完全に断ち切るというのは、おそらく不可能だと思います。
 現代のように文章の保存が容易な文化レベルでは、なおさら。

 信仰する対象がすり替わるだけ、前述の鎮座している何かが変わる、それだけの問題だけです。
 信仰の対象としての神の存在すら一様ではないので、対象が変容するだけでいいんです。


 南米のキリスト教などは地元の民俗信仰を強く受け継いでいますし。
 宗教のない世界は存在しないのは同意です。
 人間の魂や心の存在、解明できてないのにどうして神がいない世界を想像できるでしょうか。

 宗教は変容します。神も変容します。
 しかし信仰は消えない、神の存在も消えない、
 成立宗教と民俗宗教は混ざり合い続けると思います。


 変容という普遍性を利用して王権神授説が生まれただけですから、
 信仰の対象の消滅が信仰の消滅にはなり得ません。

>宗教のない民族には古代社会の未来思考性ができあがらないので滅ぶ

 宗教のない民族とはおそらく成立宗教の話ですか?
 民俗宗教はあるでしょう。それらが全くない集団なんて聞いたことがありません。
 集団のレベルには宗教が存在しますし。

 そもそもここでの『未来思考性』ってなんですか?
 地獄とか天国の話? 極楽とか浄土とか? 前世とか来世?
 現世利益を望むだけでも未来を思考してると考えますがねぇ。
 来年の豊作を豊穣の神に祈るとかの土着信仰も未来を見据えた宗教だということです。


酒魚さんからの意見 
 初めまして、酒魚です。遅ればせながら意見を。

 宗教と「祈り」を分けて考えたなら、宗教無しの世界も有り得るかと思います。

 人は祈るものです、自分の卑小を知っていますから。
 ある程度発達した生き物(悲しいかな、今のところ人間だけっぽいですが)は、
 自分の「欲」を認識することができます。
 いい暮らしがしたい、子供が欲しい、極論を言えば明日は運動会だから晴れて欲しい、などなど、
 人は自分の欲を相対化して自分の努力次第でどうにかなるもの(食糧がある状態での食欲等)。
 自分・他人の努力ではどうにもならないもの(天候・死など)。
 の二つに分けます。

 後者を担当するのが祈りです。
 どうにもならないと知ってはいても、何かせにゃならんと念じてみる。


 宗教は、その念じる対象に名前をつけます。
 こんなことを言っては怒られるかもしれませんが、
 祈る対象の名が「神」でも「仏陀」でも、
 「羽乳追えかどあせかあkdfj化フィ絵kフェア星人(即興です」でも、
 ぶっちゃけ「なんとかしてよ偉いんだから」という祈る人の念に変わりはありません。

 よって、宗教という概念を発生させないためには
1.全員、苦労を知らない
2.祈ることは祈るが、祈る仲間内で統合しようとはしない
3.人間同士のかかわりが異常なほど浅い(自分以外の人間と会う機会が誰にも、一度も無い等)。


 等の状況が有効かと思います。

 以上です。


Sour Grapesさんからの意見
 今までのご意見のいずれも間違いではないと思います。
 しかし宗教に対する認識が意見の相違となっているように感じました。
 大辞泉には以下のように書かれています。
 
 『宗教』《 religion 》神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。
 古代から現代に至るまで、世界各地にさまざまな形態のものがみられる。
 原始宗教 →民族宗教 →世界宗教

【原始宗教】

 原始・未開社会で行われる宗教。特定の開祖がなく、儀礼が公共的に行われ、
 法・政治・経済・道徳・慣習などと密接にかかわる。
 アニミズム・マナイズム・トーテミズムなどの形態をとる。未開宗教。

【民族宗教】

 特定の民族によってのみ担われる宗教。その民族の伝統や習慣と深く結びついて成立・存続する。
 ユダヤ民族のユダヤ教、日本の神道など。

【世界宗教】

 民族・国籍・階級などにかかわりなく世界に広く伝播(でんぱ)している宗教。
 仏教・キリスト教・イスラム教がその代表的な例で、開祖があり、
 人間性の深い理解に基づく個人の救済を教説の中心としているのが共通点。

 ところで『宗教』という言葉が今の意味で使われ始めたのは、
 明治時代”Religion”の訳語として用いられてからだそうです。
 辞書(ジーニアス)で語源を見ると、再び(re)(神と)結ぶこと(ligion)とありますが、どうも違うようでした。
 この説を唱えたのはキリスト教神学者らしく言われてみれば、いかにもそれらしい解釈です。
 そして元々は『恐れや、畏敬の念を表す言葉』だったようです。
 
 さて宗教のない世界を物語の中で構築するとして、
 我々と全く同じ人類が主人公の場合どうなるでしょう。
 原始宗教が全くないと言うのは考えにくいと思います。ではその次のレベルでは?
 
 世界最古の一神教であるらしいゾロアスター教からが次の段階と言えると思います。
 これはユダヤ教、キリスト教だけでなく初期仏教にも影響を与えたようです。
 ゾロアスター教、ミトラ教、それからアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、
 これらが発生しない、あるいは廃れてしまう歴史改変は可能でしょう。


興味本位さんからの意見
 はじめまして。色々出尽くしてると思いますが、重箱の隅を突きに参りました(ナニ?)
 
 えーと、宗教の無い世界というのは、
 つまり宗教が関わる文化や言葉の無い世界という見方も出来る訳ですよね?
 些末な事かも知れませんけれど。


 リユウさんがそこまで厳密に宗教の排除を作中でなさるのかは存じませんが、
 少なくとも表現や言い回しで宗教用語から派生する言葉がふんだんに使用されてるなら、
 ちょっと興醒めしちゃうかも知れません。(あくまでも私が読者ならという意味です)

 多少使われている、また宗教用語が語源になっている事を知らなければ、
 ある程度、違和感なく読めるかも知れないですが、あからさまな表現が出来なくなるなと思います。
 確かに難しいですが、創作の上で縛りを作るのは高みに上り易いでしょう。
 そういう意味では頑張って欲しいと思います。


 後、ちょっと他の方のレスを見て思った事を一つ。

 東南アジアかアフリカ辺りかは忘れましたが、実は未開の地の、ある部族には宗教がありません。
 他の地域にある様な精霊信仰も存在せず、自力で暮らしています。
 これは他地域や他部族・民族との交流も無く、完全に何千年も自分達だけで生きてきて、
 世界がもっと広いという事も自分達以外の人間がいるなど知らなかったそうです。

 確か狩猟や木の実等の採取が主な食料だったと記憶してますが、
 世界にはこういう部族もいるという事で。

 きちんと調べた訳ではないので正確な事は言えませんが(笑)

 それでは失礼します。


エンデバーさんからの意見
 ならばその部族の中で死者の扱いはどうするのでしょうか?
 弔うという行為が存在しないでしょうか?
 極端に言えば、死者の肉を食べたり等の行為もしないと言うことでしょうか?

 何かしらあるでしょうね、その畏怖が畏敬に変化して信仰となる。
 一応畏怖などの畏れ敬う行為も信仰とみてはどうでしょう?


興味本位さんからの意見
 エンデバーさんから指摘があったので再び失礼します。

 死者は自然に還すという様にしてたと思います。
 普通に土葬して。

 動植物の一部という捉え方で、自然界の一部として生きていました。
 畏怖とか畏敬とは神や精霊等の目に見えないモノに対してですよね?
 そういう概念を持たない人がいるという事です。
 ある意味動物に近く、動物より知能が高い。そして独自の文化を形成して営んでいる訳です。

 きちんと調べた訳ではないと申し上げたのは、
 この部族の存在を知ってから名前が思い出せず、調べられなかったからです。
 その点については私の記憶力の乏しさの所為ですから、何と言われても仕方のない事です。


雷さんからの意見
 いつも意見が出揃ってから、結論が出てからやってくる雷です。

 黒尻尾の駄猫さんやSour Grapesさんが示されたとおり、宗教には様々な形態があります。
 そもそも神という存在を想定しない宗教もあります。
 呪術や魔術、占いも宗教の構成要素であり、また宗教そのものです。
 定義なんて、できるわけがないんです。


 そこで視点を変えてみます。

 僕は、宗教には常に二面性があると考えています。
 科学的な面と非科学的な面です。合理・不合理と言い換えてもいいでしょう。



 具体例を挙げていきます。たとえば「くじ引き」。

 複数人の中から特定の役割を負う人間を選ぶとき、ひろく用いられている方法ですね。
 これは、特定のくじを引く可能性を、関係者全員に等しく振り分けるためのものです。
 同時に、くじを使うことで、神などの超自然的な存在に選択をゆだねることもできます。
 合理的な面と不合理的な面が共存しているのです。


 世界で広く見られる「屈葬」にも二面性があります。

 日本でも江戸時代まで一般的だった屈葬は、手足を折り曲げた状態で埋葬するという葬法です。
 胎児と同様の姿勢をとらせることで母なる大地の胎内に還し、転生を促す。
 手足を折り曲げときに縛ることで死霊を封じ込め、生者への災厄を防ぐ。
 これらが屈葬を行なう非科学的な理由です。
 手足を折り曲げることで必要面積が減じ、墓地をより有効に活用できる。
 遺体を埋めるための穴が浅くすみ、葬儀の手間を省くことができる。
 これらが科学的な理由です。


 農作業では宗教的儀式が多く行なわれます。たとえば「雨乞い」。

 作物の生育のために降雨を望むとき、雨乞いが行なわれます。
 神への祈祷に始まり、太鼓を叩いたり水を撒いたりなどの呪術を使います。
 すると雨が降り、田畑は潤います。
 しかし自然のサイクルはよくできたもので、定期的に雨季というものがくるのです。
 雨乞いをしなくても、暦を見ながら作業していれば、しかるべきときに雨は降ります。
 まったくの無駄骨で、気休めでしかありません。


 西洋では、年嵩の傭兵が「魔術師」とされることがありました。

 幾多の戦線を経験し、戦う術、生きる知恵を身につけた傭兵は、とうぜん生存可能性が高いです。
 将兵として優秀なのですから。
 ですが彼が率いる部下は、この傭兵が不死不敗の魔術を身につけているのだと考えました。
 だから何度も死線を切り抜けてきたのだと。
 こうした概念は、王権神授や王のマナと相通ずるものがあるでしょう。


 科学的に見れば当然の帰結といえる事実が、人によっては神がかったものに見える。
 宗教の原点とはここにあると、僕は考えています。

 宗教が不在の物語世界を作るにしても、宗教の存在する世界を作るにしても、
 人間が併せ持つ合理的な部分と不合理な部分を考慮した方が良いと思います。

 参考にしていただければ幸いです。


Sour Grapesさんからの意見
 わかりやすいようにwikipediaから引用します。

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 一神教(いっしんきょう)は、一柱の神のみを信仰する宗教。次のように大別される。

* 唯一神教(monotheism):
 世界に神は一つであると考え、その神を礼拝する。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など。

* 拝一神教(monolatry):

 複数の神を認めるが、一つの神のみを礼拝する。古代イスラエル民族の宗教など。一神崇拝ともいう。

* 単一神教(henotheism):

 複数の神を崇拝する。特定の一神を主神として崇拝する。古代インドのヴェーダの宗教など。

* 交替神教(Kathenotheism):

 他の神々の存在を認める。崇拝する神が交替する。バラモン教など。


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 ユダヤ教は古代の中近東で始まった唯一神。

 唯一神教 は神は唯一であるとし、その唯一なる神を崇める信仰、宗教の形態である。
 同じ一神教でも拝一神教や単一神教が他の神々の存在を認めた上で、
 一つの神を崇めるのに対し、唯一神教においては他の宗教の神々の解釈が問題になる。


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 拝一神教(monolatry) は、一神崇拝ともいい、一柱の神を信仰する宗教。
 同じ一神教でも唯一神教が他の神々の存在を認めないのに対し、
 拝一神教は他の神々の存在を前提とする。
 
拝一神教の例
 * ゾロアスター教
 * ユダヤ教以前の古代イスラエルのヤハヴェ信仰


 単一神教は一柱の神を信仰する信仰、宗教の形態。
 同じ一神教でも唯一神教が他の神々の存在を認めないのに対し、
 単一神教は他の神々の存在を前提とし、その中の一柱を主神として特に崇拝する。
 パンテオンの中に主神に従属的な神々を認める点で、他宗教の神々の存在は認めるものの、
 自己の宗教の中に他の神を持たない拝一神教とも異なる。

単一神教の例
 * 古代インドのヴェーダの宗教

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