第4研究室 創作に関するQ&A 393P | トップへ戻る |
逢坂遮那さんからの質問
 批評を書く意味と批評を受け取る意味について
 
 はじめまして、アイサカノシャナと申します
 手前は常々批評というものに疑問を持っていました。
 他者が他者の作品に評価を下して何の役に立つのだろう? 
 失礼ながら、同じ物書きでありながら自分の事を棚に上げた批評が多すぎるのではないでしょうか、
 自分ではできないことを他人に要求したり、
 単純に上から目線で自分の言うことは絶対だと言わんばかりに指摘をしたりする方もいます。
 前置きが長くなりましたが、批評を書く意味と批評を受け取る意味をどうか手前にお教え下さい。


●答え●

魏延さんからの意見
 職それ自体に貴賎はない、同じ職の中に貴賎がある――
 僕の好きな言葉のひとつです。
 もちろん、批評者の質も人によりけり。
 ですが、批評自体に意味がないなんてことをクリエーターが言ってはならないと思います。
 そういう世界で活動しなければならないのが“創作”というものではないでしょうか。

 批評される側には、批評を取捨選択する権利があります。

 高飛車な批評だろうと、生ぬるい批評だろうと、自分の利益になるならその意見に耳を傾け、
 参考にならなければ無視すればいいのです。
 それ自体には誰も文句をつけませんから。
 もっとも、どの意見が必要か・不要かを見分ける能力も、作者には要求されるのですが。

 何事につけても、
 「エラソーに言いやがって。お前だったらできるのかよ!」
 という感想は内部にとどめるのが常識だと思います。


 そういうのを言い出したところでなんにもならないですし、
 それをつきつめちゃったら、この掲示板だって
 「プロでもない人の回答に意味なんてあるの?」となりかねませんから。


蜜さんからの意見
> 失礼ながら、同じ物書きでありながら自分の事を棚に上げた批評が多すぎるのではないでしょうか、。


 スポーツ選手――例えば世界記録の現役ホルダーである金メダリストをコーチする立場の人間が、
 そのスポーツ選手と同じことができる必要がありますか?


 自分にないものを指摘してくれる人間が、それを持っていなければならないというのは、
 ただの論理の飛躍です。
 「じゃあ自分がやってみろ」と相手に言って相手ができなかったとしても、
 あなた自身がそれができないという事実は変わりません。
 
 例えば「1位になりたかったら100点を取れ」と言われて、
 それを言った人間が100点をとれなくても、
 あなた自身が100点をとれなければ1位になれないという事実は覆りません。
 相手の点数は関係ありません。1位になれるかどうかの結果を導き出すのは、
 相手の能力の有無ではなく、あなたが100点をとるかどうかだけです。

 相手の言葉の価値に、相手の能力の有無を持ち出すのは、今回の場合は無意味です。
 見るべきはそこではなく、自分自身の能力ですよ。



鳥ノ木さんからの意見
 はじめまして、鳥ノ木です。

> 手前は常々批評というものに疑問を持っていました。
 他者が他者の作品に評価を下して何の役に立つのだろう?


 つまり遮那さんは、他者が自分の作品をどう思っているか、とか。
 同じ志と言うか、文章の書き方を知っている人の感想を得ることは、
 何の役にも立たないことだと思うのですね。

> 失礼ながら、同じ物書きでありながら自分の事を棚に上げた批評が多すぎるのではないでしょうか、
 自分ではできないことを他人に要求したり、
 単純に上から目線で自分の言うことは絶対だと言わんばかりに指摘をしたりする方もいます。


 遮那さんは自分にしかできない範囲でしか批評ができないと。
 それで、例えば三人称の書き方をしない、できない、得意でない人は、
 三人称の書き方をしている小説全てに読みづらいと言ってはいけないと。

 後、上から目線と言うか、書き方が丁寧語じゃないところは仕方がないと思います。
 全てに丁寧語で答えていては、正直かなり文が長くなってしまいますし、面倒です。

 言ってしまえば感想を貰っている側は、「感想を頂いている」を意識したほうが良いと思います。

 相手も自分の力を伸ばすためかもしれませんが、
 わざわざ書いてくれていることに変わりはないのですから。

> 前置きが長くなりましたが、批評を書く意味と批評を受け取る意味をどうか手前にお教え下さい。

 受け取りたくないのなら、「批評は書かないでください」と書けば良いだけのことですよね。

 ぶっちゃけ批評の目的が、作者に対しての利益供与のみだったら批評しようなんて思いません。
 時間の無駄ですから。
 小説を読んで引っかかったり、意味が分からなかったりといったところがあれば、
 今後自分で書くときには使わないようにしようと思うだけです。
 いいところがあれば、参考にしようと思います。

 言葉的によく意味が分かりませんが、受け取る意味? としては、今度は書く側とは逆ですよね。
 ここが読みづらいと指摘され、何故読みづらいかを訊くことが出来れば、
 そう言う考えもあるのかなどと自分の作品をより理解できます。
 やはりそう取ってくれましたか、なんて、試すことも出来ますよ。


夜霧さんからの意見
 どうもこんばんは夜霧です。
 気になったので、少しだけ意見でも。

> 他者が他者の作品に評価を下して何の役に立つのだろう?
 さぁ? 役に立つ、立たないは各々が考える事であって、決まった答えは無いのではないでしょうか?

> 失礼ながら、同じ物書きでありながら自分の事を棚に上げた批評が多すぎるのではないでしょうか

 一流の批評家が小説を書いたとしても、ヒットするとは限りませんし、
 一流作家だからと言って的確な批評を書けるわけではありませんからね。
 『腕と眼は別物』と考えた方がいいかもしれませんね。


 まぁ、上から目線で押し付けがましいのは頂けませんけど、
 『書けない人間が偉そうに批評するな』と言うのもまたおこがましいと思いますよ。
 正直な話、プロになれば「一般人」という「書けない人間」を相手に商売するわけですし。
 そうした『自分以外の目線からの評価』ってのが大事だと思いますよ。

>批評を書く意味
 個人的には『他人の作品を読み、良い所や悪い所を探して書き出す事で、
 相手と自分双方の成長を試みる』って感じでしょうか?
 批評を書くのは相手の為でもあり、同時に自分の為でもあると思いますよ。
 だって『作品の何処が悪くて、何処が良いのか』を見極める事ができれば、
 自作の推敲にも役立つでしょうしね。

>批評を受け取る意味
 個人的には『自分では気付けない事を指摘してもらう』です。
 コレばっかりは他人に読んでもらい、批評してもらわないとどうしようもないですから。

 まぁ、個人的にはだいたいこんな感じですね。
 では、駄文乱文失礼しました。


連夏さんからの意見
 こんばんわ。

 批評の意味が理解できないとのこと。
 どんなよいアドバイスも理解する気がない人には意味がないですよね。
 結局は受け取る側の気持ち次第だと思います。

 批評者の態度や能力は批評そのものとは関係ありません。
 作者が気にするべきなのは、作品に対して読者がどう感じたのかだけです。


 読者の多くは感想を言葉にせず飲み込みます。
 その中で、わざわざ作品に対して意見を述べてくれているのだから、感謝しなければなりません。
 
 これらの読者からのアドバイスをどう使うかは作者次第です。
 
 真に受けて、そのまま言う通りにするもよし、否定して、自分の表現にこだわるもよしです。
 ただし、否定するなら、気に食わないからなんて感情的な理由でなく、
 自分の作品に合う合わないをきちんと考えてからの方が、自分の創作活動の糧となると思います。

 以上、参考になれば幸いです。


TOCさんからの意見
 どぉも、TOCです。
 まぁあれですよ。人のアラは良く見える。


特に無しさんからの意見
 こんばんは[特に無し]と申します。

 批評は必ずしも必要という訳では無いと思いますが、
 出来るだけして貰った方が良いのではないかな? と自分は思います。


 もし、文庫本かなんかとして売り出されたとき、
 読者のなかには批評をする人がいると思いますし、売り上げなどで批評されてしまうと思います。
 他の皆さんの書き込みのように批評全てを受け取るのではなく、
 的確に指摘をしてきているような批評を選んで受け取る力が必要ではないかと思います。

 批評のときの言葉使いなんかは気にしないで、
 中身がしっかりした批評なら別に構わないのではと思います。
 けど、たまに酷い書き込みのもみるので自分は出来るだけそうならないよう気をつけます。

 なんか、グチャグチャになってしまいすいません。執筆頑張ってください。


クロウドさんからの意見
 まぁ、意見は出尽くした感がありますが、思うところがあり、書き込ませていただきます。

 貴方が言っている事は『てめぇに出来ねぇ事書いてんだから、最大級の賛辞を寄越せよ。
 んじゃなけりゃ書き込むんじゃねぇ』とも受け取れます。

 ラ研は『互いに切磋琢磨する』事を標榜としておりますから、
 互いの弱点を指摘しあい更に高めあうのが、此処における批評の意味だと私は考えます。

 もし、その標榜に疑問があるか、上述の邪推とも言える感じ方を否定されないのでしたら、
 此処に投稿する意味も批評を受ける意味は無いでしょう。
 それこそ、『称賛の感想』以外は削除されるようなサイトで楽しまれた方が良いかもしれません。

 もし、切磋琢磨という標榜を理解するのであれば、玉石混淆の批評から、
 『自身に、本当に必要なモノ』を見出だす努力が必要な事も理解できるはずです。


 なんにせよ、社会に出れば、正しい行いでも私怨以外何物でもない批評にさらされます。
 ええ、相手の言葉や態度がどうであれ、必要なモノを取捨選択する技術は人として必須ですよ。

 お気を悪くされましたら、申し訳ありません。
 乱文で失礼しました。


安眠妨害禁止区域在住の猫さんからの意見
 意見はどんなものでも価値があると思う人には価値があります。
 そう思わなければプロの人の言葉でも無価値です。
 
 実際、作家の間では「意見には耳を貸せ、でも有名だから正しいと言うわけではない」
 と言われているそうです。プロ同士でもそうなのですから、それを見習っても良いでしょう。


 少なくとも私は能力が低いからこそ批評を行っています。
 それは指摘することで自分の未熟さを知れるからです。
 教授するまでには至らなくても教えたり指摘する経験は必ず役に立つから行っています。
 自分のことを棚に上げるのは当然の行為。
 むしろ自分に能力がないからと問題点があると感じたのに、
 意見を言わない方が幾倍も問題がありますよ。
 
 立場や能力で意見言うことの方が貴方には好む世界なのかも知れません。
 立場の偉い人は意見を豊富に言い、
 地位のない民草は意見など持たないでもよいと思うかも知れません。
 しかし、地位も能力も考えないで書いた意見の方が純粋で、価値があると思っています。
 
 その価値をどう捉えるかは自由ですが、使える部分は使った方が有益でしょう。

 私は元々文章が硬いのと、意見はハッキリスッパリ言う人間なので、
 高圧的に取られるかも知れません。それも「受け方」の一つなので、良いでしょう。
 しかし、他の方は悪意があって、そういう意見を言っているわけではないですよ。
 少なくとも意見と言うのは自分が正しいと信じなければ形を成しません。
 批評者は自分の意見に責任を持って発言しているのですから、
 自分が信じなければそれこそ意見を貰った側に失礼、
 それを信じようとした人に失礼ではないでしょうか?

 本気で言っている意見なら受け入れて考える意味もあるでしょう。
 しかし冗談の意見を貴方は受け止めたいですか?

 私の意見をどう受け止めるかは自由ですが、
 本気で向かってくる相手こそ、一番敬愛するべき相手だと私は思っています。

 追記:私の場合、気分屋さんなので言っていることが支離滅裂だったり、意味不明だったりしますが、
 それは単純に猛進バカの一言で片付けてしまえば大したことありません。
 見下しているというより、鼻息荒く突進しようとして、暴走しているだけなので、
 赤い外套でも両手でひらひらさせてれば、見世物になりますよ。


パプテマスさんからの意見
 まあ、自分の作品は我が子可愛さというかなんというか、いまいち出来が判断しにくいんですよね。
 だから、批評してもらうことが重要なんですね。
 

 自分より下手な人もいるでしょうが、優れたスポーツ選手が優れた指導者ではないように、
 優れた作家が優れた批評家とは言い難いですしね。

 でも、確かにやけに高圧的で独善的な方もいますよね。
 そういう方はぶっちゃけ適当にあしらっておくのがいいと思いますよ。

 万人に受け入れられる文章を書ける作家など古今東西どこにもいませんから。


Vedaさんからの意見
 こんにちは、Vedaです。
 他の方々の意見をまだ読んでいないので、
 意見が正反対だったり似たようなものだったりするかもしれませんが、
 自分なりの意見を書きたいと思います。

 自分が批評させていただいたり、他の方から批評をいただいたりしてもらっているのは、
 やはり「他の人の価値観」が知りたいからです。

 
 「あ、自分はこう思っているけれど、こうゆう捉え方もあるんだ」
 ということを感じられるって、わくわくして、とても楽しいとは思いませんか?

 話は少し変わりますが、「金八先生」役をやっている俳優さん(名前忘れました)が、
 この間「深イイ話」という番組でとてもいいことをおっしゃっていました。

 「人間って、相手をバカにしたりさげすんだりすると、
 その人からは何も学ぼうとしないし、学べなくなってしまう。
 だが、どんな人間――たとえ、相手がホームレスであったとしても、
 自分が学ぼうと思えば、どんなことだって学べる」


 言葉はうろ覚えですが、内容はざっとこんな感じです。
 とてもいい言葉だなあと心底感心しました。

 ですが、私も人間。
 点数の良し悪しに関わらず、「カチンッ!」とくる批評も多いことも事実です。
 その際は、その場で書いてしまうと自分の感情と勢いだけで書いてしまう場合があるので、
 間≠置いてから書くようにしています。
 
 そして、「ああ、こうゆう批評の仕方は相手に不快な思いをさせるだけなんだなあ」
 と、もし自分が他の方に批評するときは気をつけるようにしています。



いちおさんからの意見
 こんにちは、いちおと申します。

 他人の意見を聞くと言うことは、自分が思いつかなかった発想を知ると言うことでもあり、
 それは自分の視野が広がることに繋がるかと。


 それは、ここの掲示板で皆さんがあれこれ質問されたり、
 答えたりしているのにも通じるかと思いますけれど。
 「同じ物書き」と仰っておられますが、読んで批評する際の視点は「物書きの視点」でありながら
 「ただの一読者の視点」でもあり、ひとりよがりで書くだけではなく、
 誰かに読んでもらうことを前提として何かを書くのであれば、
 読む人の大半は「無責任に読む読者」です。

 彼らは、言いたいことを言いますし、自分は出来もしないことを当たり前に要求しますよ。
 それが読者ですもん。


 だけど、「自分が出来ないから言うのはやめておくけど……素直に感じたことと言えば××だよなあ」
 と言うのが本音の感想であり、人間って自分の能力とは無関係に感想を持つ生き物なんです。

 歌を歌う人がいるとします。
 自分よりは上手いかもしれない、だけど金を払って聞きたいかと言えば、
 別にCDを買おうとは思わない程度、しかし彼はプロを目指しているとします。
 自分よりは歌えてると思って誰もが褒めるとしたら、
 恐らくその人は他者からの自分の評価の真実を永遠に知らないままで、
 プロになることは出来ないんでしょうね。
 だって、多少上手くとも、実は誰も金を払いたいとまで思わないわけですから。
 
 これって、本当に本人の為になることなんでしょうか?

 能力に関係なく、事実と思える意見を伝えてあげる……
 その中には正しいものも間違ってるものも身勝手なものもありがたいものもあるでしょう。
 けれど、それの総合が、(大袈裟に言えば)そのものの価値なんです。


 それが、批評ってものじゃないでしょうか。
 文章の向上は、ひとりよがりでは出来得ません。
 少なくともわたしには無理ですので、他人から見た冷静な意見と言うものを必要とします。
 批評を受け取る理由です。

 批評をする意味と言うのは(ここではあんまり参加してなくてごめんなさいなんですけど)、
 自分と同じように恐らく本人には見えていないだろう良い部分と残念な部分を伝えることで、
 その人の注意の喚起に繋がれば良いなあと思いますし、
 自分にない点もしくは自分もやりがちなことに気がつけたりします。

 確かに、受け取る批評の中にはカチンと来ることもあるし、
 「これをわたしに伝えることでどうしたいの?」と思ったこともあります(ここではありませんが)。
 批評も、所詮は人間が書いているものですから、書く人間の人となりってのが出るんですね。
 でもまあ、そこはそれ……相性ってもんでしょう。
 読者の全てが好意的に読んでくれるわけではないと言う現実を考えれば
 、「こんなふうに考える人もいるわけですね」と言うことで片付けて、
 また、視野が広がったことになるかなと思ってます。

 ではではお邪魔しました。
 何かの参考になれば幸いです。


冬さんからの意見
 ここいらで冬的に纏めると、他人に評価される意味も、批評を受ける意味も、
 また他人を批評することの意味も、全部ご自分で見出さなければ意味は無いものですよ。


アノニマス・カワードさんからの意見
 カワードです。
 私は人がどんなスタイルで批評に臨もうとも、構わないとおもいますけどね。

 批評感想に意味は無いと思うなら、ばっさり斬り捨ててもいいんじゃないかと。
 お礼の一言は言うべきだと思いますけどね。礼儀として。


 けど結局それをどう受け取るかは、自分しだいです。必要ないと思うならそれでいいと思いますよ。


Hitoさんからの意見
 二次サイト持ちのHitoです。
 自分で作ったサイトに送られてくる感想というのは、批評めいた事はないです。
 そのかわり、なかなか感想は貰えません。

 読者が本当に心動かされ、それを作者に伝えたいと思わなければ、
 わざわざ感想なんて書かないからです。


 だからこそ、「本気の感想」を貰った時は、作者として胸が熱くなります。
(比喩ではなく震えた経験があります)

 ここの投稿所の主流ような批評は、このような感想とは違って、たとえ面白くなくても、
 寧ろ面白くなければそれだけ言える事はあります。
 その作品の良い所悪い所を見て、それを指摘するからです。

 そういうスタンスには長所も短所もあるかと思います。
 長所というのは、作者のひとりよがりや、至らない所がわかり、
 作品の改善の道が見出だせる事でしょう。
 また、どんなに未熟な作品でも誰かは読んで何か言ってくれます。
 
 短所は、評価する人にもよりますが、評価する側にとっては、評価をしようと構えて読むせいで、
 細部が目につき全体が見えなくなったり、
 本来楽しめるはずの作品が楽しく読めなくなったりする事で、
 評価される側にとっては、自信を失ったり相手を快く思えなくなったり、といった事だと思います。

 そこで、作者としてはどの道を行くか、選べばいいのではないでしょうか。
 ここのような所で批評を受けるか、滅多に来ない読者の心からの感想を待つか……
 
 ここのように批評をする所でない限り、滅多な事では「批評」する人など現れませんよ。



飛車丸さんからの意見
 批評を書く意味。
 私は「自他の研鑽」だと思っています。


 どこがどんな理由で良かったのか、あるいは悪かったのか「発見」があれば、
 それだけで何らかの役に立つ。
 そして「良かった」の理由が分かれば、それはそのまま吸収すればいいですし、
 率直にそのことを書けば受け手の自信にも繋がるでしょう。
 逆に「悪かった」の理由が分かったなら、その改善策を考えることで自身の成長に繋がり、
 それを書いてもらった受け手も同様に成長しうる機会を得ることとなります。

 私としては、こうしたやり取りが「互いに切磋琢磨すること」に繋がる、と思うところです。


・蛇足
 評価を論じるに足る人物であろうがなかろうが、
 その批評が役に立つかどうかとは全く関係がありません。


 私のような人間の屑の意見であっても、時には誰かの役に立つこともあるでしょう。
 歴史に残る偉人の言葉であっても、時には役に立たないどころか間違っていることもあるでしょう。


火眼黒駿猊さんからの意見
 批評の意味ですが、逆に、批評がなかった場合のことを考えて下さい。

 あなたが書いた小説を、誰かに読んでもらうとします。そしてその読者は一言。
「つまらない」
 あなはた、なぜ、どうして、どこが、と問い詰めるでしょう。そに対して読者は、
「さあ? とにかくつまらないものはつまらない」
 これで、はたしてあなたの実力は向上するでしょうか。

 スポーツなんて特にそうですが、自分の悪い点に気付かず練習しても、いい結果には結び付きません。
 悪い投球フォームのままひたすら投げ続けても、その努力が実を結ぶ事は少ないでしょう。
 ですが、他の誰かが、「そのフォームのここが悪い」と言ってくれれば、改善の余地が出てきます。

 もしこの時、「じゃあ実際にやってみろ」とその人に食ってかかり、
 その人が「できない」と答えたために、そのアドバイスには意味がないと判断したなら、
 結局振り出しに戻り、意味のない練習を繰り返すだけになります。


 そもそも自分は実際にはできなくても、批評はできるなんてことはザラにあることです。
 例えばやたらと味付けの濃い料理に対して、味付けが濃い、と指摘する事ができるでしょう。
 その理由は、調味料の分量かもしれませんし、加熱時間や材料の大きさ、
 料理の手順の問題かもしれません。
 理由は分かりませんが、とにかく結論として味付けが濃いのが問題点です。
 よってその料理人は、味付けを薄くすべく、努力をすることができます。
 もちろん、ここで料理人が、「じゃあお前がやってみろ」などと言うことが、
 どれだけ愚かなことかは分かるでしょう。

 だいたい、こんな風に指摘してくれるなんて滅多にないことです。
 普通であれば、その客は何も批評せず、ただ二度とその店には足を運ばなくなるだけです。


 料理人は、何を改善すればいいのか分からないまま、結局その店はつぶれます。
 小説だって同じです。つまらなければ読者は買いません。
 どうして読者が買わないのか作者は分からず、ただつまらない作品を量産するだけに終わります。

 つまり、例え素人意見だとしても、他人の批評に耳を傾けた方がいいということです。
 それが嫌なのであれば、他人に自分の作品を見せなければいいだけの話です。


 他人に作品を見てもらったときは、とにかく出来の善し悪しに関わらず褒めて欲しい、
 というのであれば、そういうお友達を探すが、絶対に褒め言葉しか書かないサイトを見つけて、
 そこに投稿するのがよろしいかと思います。
 
 結局は、逢坂遮那さんしだいです。あなたはなぜ小説を書くのですか? 
 どの程度まで腕を上げたいのですか? なぜ作品を人に読んでもらうのですか? 
 これらの問いに確たる答えが出せれば、自ずと道は見えてくるのではないでしょうか。

 最後に。安西先生のありがたいお言葉を載せておきます。
 
 「下手糞の 上級者への 道のりは 己が下手さを 知りて一歩目」

 
 自分で自分の欠点に気付ければいいのですが、なかなかそれは難しいことです。
 だから他人様の力を借りるのです。


黒尻尾の駄猫さんからの意見
 通りすがりの野良猫です。
 オイラなりの答えを残します。

 時に 逢坂遮那 さんはボクシングというプロスポーツをご存知でしょうか?
 コーチとかトレーナーと呼ばれる方はたいていボクシング経験者なんですが、
 チャンピオンだったとは限らない。

 しかし、そんなトレーナーの指導のもとでチャンピオンは誕生したりします。

 オリンピック選手のコーチ、野球のコーチ、
 皆それぞれにかつては活躍した方がほとんどではありますが、必ずしも1番に上り詰めた方じゃない。

 技術は正しく理解していれば誰でも習得できますし、誰でも教えられるようになります。

 文章も大半は技術的なもので成り立っています。
 それはオイラ達アマチュアでもそれぞれに習得しているものがあり、
 その経験やレベルによって作品に対して技術的な不備を発見することが可能です。

 その点について、技術的な不備の指摘や習得方法について、
 アドバイスを提案することは別段特殊とは思わないのですがどうでしょうか?



 小説は文学であり芸術であります。
 なにより、娯楽です。

 その評価には感覚的なものは必要でしょう。まずは「面白い」というのが大前提ですから。

 技術的な話と、感性による評価は違います。

 技術面において、作品の面白さの構造と、
 そこに欠けた要素があればそれを指摘するのが批評だとオイラは考えます。

 面白さを技術的に構築していくのが小説作家であり、
 直感でテキトーに文字を連ねるわけではない。
(そうならプロットはいらないし、構成なんて言葉も必要ない)

 通常の読者は小説を批評する必要はない。
 いちいち、物語を分解して構成要素やテーマの洗い出し等々やらなくても感性で感じるまま読み、
 想ったことを感想にすればいいと思います。


 しかし、オイラ達はアマチュアです。
 往々にして感想と批評が入り混じった妙な文を書いてしまう。

 最初は批評していたのに、途中から読み手の趣味性が前面に滲み出てきて、
 好みの押し付けのようなものになってしまう。

 なので、アマチュアの批評は、それ自体を批評できる目がないと大変なことになります。
 それでも、技術的に自分が未熟な部分を指摘してくれる人もいるわけで、それはとてもありがたい。

 批評は、受ける側にも文章技術について理解度を試される。
 特にアマチュア同士の場合は(仰るとおり、まともに技術的な指摘を行っていないものもあるし、
 批評を受けた側が技術を理解できていない場合もある)。

 オイラはそう思っています。

 ただ、技術は知っていれば総て役に立つわけではありません。
 この辺が好みが出てくる部分ですが、作家ごとに主として使う技術には偏りがあります。

 オイラが仮にちゃんと技術的に理にかなった批評を送ったとしても、
 その作者さんに、その技術が必要とは限りません。
(面白い作品を書く方法論なんか、多種多様であり、面白さも種類が多い。
 幾つかの技術を知らなくても別段問題ないことなんかざらですよ)

 作者さんに技術的なことに対する理解があり、
 批評にその作者の必要とする技術的なコメントが含まれているとき以外は、無視してよいと思います。

 まあ、あくまでオイラ一個人の意見ですけどね。

                        ではでは


峰しずくさんからの意見
 こんにちは。

 確かに、正面切って「批評を書く意味とは?」「批評される意味とは?」と問われると、
 「え〜と……」となってしまいそうですね。

 でも、それは、こういう風に考えることはできないでしょうか?

 作品を読むことにおいてはプロである読者は、「この作品、つまんな〜い」とか、
 「わけわからん、なんじゃこりゃ?」とか、「こいつ、下手クソだなあ」くらいのことしか言ってくれません。

 しかし、批評となると、具体的に色々と指摘してもらえる(はず)なので、
 良いところをさらに伸ばし、良くないところを少しでも良くする手助けになる、
 ということではないかなと思います。

 批評を書く意味としては、相手のお役に立ってあげる(あげた)という充足感を得ること、
 そして、自分自身にも勉強になること、でしょうかねえ。

 自分のことは棚に上げて、と言いますが、
 「知ってる」と「出来る」の間には、大きな壁があるものですよ。
 だから、志を同じくするものが、お互いに批評しあうことは、意味のあることではないでしょうか?



人形使いさんからの意見
 率直に言わせて頂きます。
 
 他者の批評を選別できず、かつ、批評の意味も自分で見出せないのなら、
 こういう場所を利用するメリットはどこにもありません。


 妥当で正当な批評のみを常に得られる場所などどこにもありません。
 自分の責任において批評の選別ができないのなら、
 常に無難な意見や誉め言葉のみをもらえる生ぬるいコミュニティにでも属しておけば良いだけの話です。
 ただしその場合、自身の筆力が上がることは絶対にありません。

 また批評うんぬん以前に、「自分でできないくせに批評をするな」とは、
 一見まっとうな意見に見えますが、作者が絶対に口にしてはいけない言葉の一つです。


 そもそも世にある作品を手に取る読者は全員もの書きで、プロと同等の筆力を持っていると思いますか?
 もしプロ作家でそんなことを口にする人間がいれば、
 その時点でその人は自ら作家でなくなると僕は考えますし、それ以前に人間性の低さを感じます。
 それがアマチュアであっても同じです。
 批評に身を晒し、かつ、自身に有効な批評を選別することは、
 もの書きであるならできて当然のことです。
 確かに「読者様は神さま」ではありませんが、「作者様は神さま」でもないのです。

 以上、参考になれば幸いです。


シンレイさんからの意見
 批評は自分で気付かない問題点を指摘して向上するためにあるのですよ。
 他人の意見意耳を傾けるのは大切だと思います。

 ただ中傷を意図した批判となれば話は別です。

 中傷が無くても批判は出来るのだし、
 馬鹿にする行為も書き手という同じ立場に立っていない限り卑怯だと思う。


私はアフォですさんからの意見
 お久しぶりです。しばらく死んでいた、私はアフォです。

 言っちゃいますが、ぶっちゃけ批評なんて実は大して役に立たないもんですよ。
 ああ言われたからこうしてみたら、
 今度は別の所から文句が来たなんてザラですし、実際そんなもんですよ。
 
 およそ半分以上の人間が、上から目線で他人を批判したくてたまらない人であり、
 つまり半分以上は全く役に立たない意見です。
 
 他人の意見ばかりに気を使って、とにかく周囲が納得するような作品を書いたら、
 果たしてそれが本当に面白いものになるでしょうか。

 自分の事を棚に上げて批評するな、という考えも横暴ですが、
 作り手は全ての批評を甘んじて受け入れ、それを反映させるべきである、
 という考えも同じように横暴です。


 なので、なまじ素人も多いこのサイトの意見の半分以上は、
 大したことのないどうでもいい意見が氾濫していると受け止めるのが精神衛生上、好ましいと思います。
 まあ、にちゃんねると同じようなものだと思えばいいかと。
 因みに批評している人間を客観的になって更に批評してみると、
 非常にちんぷんかんぷんなこと言っていることもよくあります。
 よく見てみましょう。

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