第4研究室 創作に関するQ&A 398P | トップへ戻る |
メネさんからの質問 2008年
 テーマは必要ない?
 
 どうも、ルルル応募予定のメネです。
 実は最近、テーマについて悩んでいるので、もしよろしければ皆さんの意見をお聞かせください。

 私が小説を書く場合、まずどういう世界観で書くかを決めます。
 どのような場所で、どのような人々が暮らし、そしてどのようなルールが存在しているかを先に決め、
 それに関する資料(本二・三冊読んで、後はウィキだのみ)を集めます。
 この時点では、漠然とこんな世界に行ってみたいなぁ、みたいな感じです。

 次にキャラクターを作ります。
 当然、もう世界観が完成しているので、ここで作られるのはその世界の社会に関わる人々となります。
 ここで主人公やヒロインも作られるわけですが、彼らの行動原理や目的は、
 彼らのその社会における立場、そして産まれ持っての気質によって決められます。
 
 これは現実の社会でもそうなように、基本的に人間の意思というのは、
 社会における立場(産まれや身分)と生まれ持っての気質によって規定されると私は考えているからです。
 
 人間ような知的生命体が暮らす社会は、例えそれが宇宙でも、ファンタジーの世界でも、
 死後の国でも、絶対に気質の違う者たちがいて、身分の違いや職種、
 果てはその社会全体の仕組みについての考え方の違いから、内部に争いごとを抱えています。
 そして、勝利するのは善でも、悪でも、信じる心でも、愛でもなく、
 
      戦いの技術に秀でたものが勝利します。
 
 これにならって、私の小説でも勝利するのは必ず、

      戦いの技術に秀でたものが勝利します。

 こうして私の小説は終焉を迎えるのですが……。

 テーマは? と聞かれると……なんと答えて言いかわかりません。
  
 上記の『戦いの技術に秀でたものの勝利』と答えると、『ジャイアニズム』。との批判を受けます。
 でも現実社会はそうなわけだし、ルールが違う世界(ファンタジーワールドや宇宙)での、
 そうした戦いはそれなりリアリティがあると思うし、面白いと自分では思い ます。

 で、もう一度テーマは? という話になるわけですが、
 個人的にはいらないんじゃないかと思ってしまうんです。
 ドラマ『西遊記』やジブリの『ゲド戦記』には、しっかりとしたテーマがありますが、
 ハッキリ言って私は見ていてウザかったです。
 
 なんでこんなもんが必要なのか。別にリアルな人間や人間的思考をもつ生命体が、
 現代社会とは違う世界観やルールの下で戦う。切磋琢磨する。
 それで十分私は面白いと思うんですが、皆さんはどうでしょうか?


●答え●

鮫さんからの意見
 テーマに優劣なんてものはありません。

 そりゃ、極端な例えをすれば「いじめは楽しくて楽しくてしかたない」
 なんてものをテーマにすれば、“読者を選ぶ”ことにはなるでしょう。
 それでも、世間的に正しいとか肯定されているものだけが、『テーマ』と呼ばれ、
 それ以外はテーマじゃない、なんてことにはなりません。
 例えば「復讐」。社会正義の立場からだと、これは認められてはならないものです。
 でも、古今東西、復讐劇である作品は、枚挙に暇がありません。

 それと、『テーマ』が現実の読者である我々に、
 必ずしもフィードバックされる存在である必要はありません。

 
 以前の例に「Aは何故ピーマンが嫌いなのか」もテーマ足りうるとしましたが、
 それで読者の実生活に何か影響を与えることなんて、ほぼ考えられないでしょう。
 テーマは「高尚なもの」と考えていませんか? それは作者の驕りに通じる思考でもあります。
 「この作品のテーマは高尚だから、良い作品だ」「この作品のテーマは低俗だから、悪い作品だ」
 なんて、短絡的に決められるものではありません。


>戦いの技術に秀でたものが勝利
>リアルな人間や人間的思考をもつ生命体が、現代社会とは違う世界観やルールの下で戦う。
 切磋琢磨する。


 あなたの作品にとってこれが『テーマ』であることに、何ら恥ずべきところはないでしょう。


 それと、「テーマは一つでなければならない」なんてこともありません。
 上記のあなたのテーマを見るに、状況が「戦い」に限定されています。
(肉弾戦だったり、知略戦だったり、その「戦い」そのものの範囲は広いのでしょうが)
 その物語で、戦い以外に、物語の目的となるものはありませんか?
 あるいは、戦いのルールと結果を通して、それ以外にも読者に伝えたいことが、あったりしませんか?

 戦いによって産まれるものが、勝利と敗北の「客観的な結果だけ」ということはないでしょう。
 戦いを通じて、勝利者が得たもの失ったもの。
 戦いを通じて、敗北者が得たもの失ったもの。
 「主観的な立場での結果」は、勝利と敗北の二元論だけでは決して語りつくせないと、私は考えますが。


鳥ノ木さんからの意見
 どうも、鳥ノ木です。

 いい前置きが見つからないので、早速答えていこうと思います。

 テーマ、とは何か――からですが。
 「テーマ」、色々当てはまる言葉や考え方がありますが、一つを取って書かせていただきます。
 例えば私は「この作品のテーマは愛」だとか「信じる心」だとか、
 「善と悪」なんて事を語る作品は先ず糞が付くほどくだらない作品だろうな、と偏見を持ってしまいます。
 
 重要なのは「愛」だとかetc……とかの漠然としたものじゃなく、
 その「愛」の形、つまり、作者であるアンタがそれをどう考え、おぼろげであろうが、
 どんな形の輪郭を見出すことができたか、ではないかと考えているからです。


 そうでなければ結局のところ誰にでも書ける作品なのですよ。
 自論を語らぬ物語は、所詮はただの価値のないストーリーだと思うのです。

 もちろん、別の部分で特化したり、それを売りにしている作品であれば、
 私はそれを楽しく読むことが出来ます。
 しかし、そうでなくて、ただのパッと出た思い付きを簡単に纏めた作品に出会ったときは、
 いつもこんなくだらないものを買ってしまったと言う騙された感が尾をます。

 さらに、言わせて貰えば。
 結局、その作者が何を伝えたいのかも理解できないし、感じることもできない物語を読んで、
 一体何が得られるのでしょうか?
 読んで、起承転結があって、「ああ、よかったなあ」でパタン。
 頭には何も残らず、後日読んだという記憶だけがちょっと残る程度。心に響くものは何もない。
 面白いと言えば面白いど、ただそれだけ。
 中には面白すぎて、自分で勝手にストーリーからテーマを見出して
 「そんなことを伝えたかったのかな」なんて想像してしまうことがありますが。それはごく一部ですね。

 メネさんの物語に例えれば、
 戦って、強い奴が勝つ。だからどうしたんですか?
 結局その物語の売りはなんですか?
 最後に、

>「リアルな人間や人間的思考をもつ生命体が、
 現代社会とは違う世界観やルールの下で戦う。切磋琢磨する。」


 これってテーマと違うんでしょうか?


 それで結局のところ、私が言いたいことは。
 小学生のころとか、国語の教科書の文学作品を読んでて、
 何が言いたいのか分からない時とかありませんでしたか?
 ハッキリ言って、私は分からないときが多く、今でもあのときの時間は無駄だったと考えています。
 文法とかの勉強にはなりましたが、作者が物語を通じて何が言いたかったのかが分からなかったのです。
 
 今読めば、間違いなくあれらの作品の中身はあの頃よりは格段と理解できるだろうと自負しています。
 つまり、私の考えでは、伝えたいことが相手に伝わらっていないのなら、
 言葉であろうが何であろうが、それはただの価値のないものなのです。
 もちろん色々と意味はありますけれど。


雷さんからの意見
 「テーマはにじみ出るもの」というのが持論です。雷です。

> 戦いの技術に秀でたものが勝利します。

 それが物語の中心を貫く柱となるのであれば、その柱そのものがテーマとなりえます。
 あるいは、その柱に対して登場人物それぞれが感じたことがテーマとなるでしょう。

 戦いの技術に秀でた者が勝利するのは、当然の帰結です。
 その技術が天賦の才であれ、努力の賜物であれ。
 弱肉強食。これは、世界の真理です。

 そしてぜひ、その真理について登場人物たちが思うところも物語で描き出して欲しいです。

 戦いに勝つ技術を手に入れるため、さらに激しい戦いに身を投じる者もいるでしょう。
 勝利するために手段を選ばない者もいれば、敵味方双方の犠牲を少なくしようとする者もいるでしょう。
 また、「戦いの技術」とは剣を振り回し、銃を撃つことばかりではありません。
 仲間や部下を指揮し、導くリーダーシップを発揮する者や、知性によって戦略をたてるブレーンもいます。
 戦う技術をろくに持てない者が、平和を望み、戦いを終わらせるため奔走するかもしれません。
 逆に戦う技術を持つ者が、ビジネスとして、戦いを引き起こすために暗躍するかもしれません。

 テーマに対し様々な立場にある人間を描けば、テーマはさらに際立ちます。


> 個人的には(テーマは)いらないんじゃないかと思ってしまうんです。

 じつは僕もそう思っています(爆)。

 僕は、小説を書くときテーマをまったく意識しません。
 作り上げたい場面がある、描き出したい人物がいる。だから小説を書く。
 これが僕のスタンスです。

 だけど、そんな僕の作品にテーマを感じ取ってくれた読者がいました。
 僕にとって「テーマ」とは、もっと気軽に考えるべきものです。
 ちらりと見える、かすかに聞こえる、ほのかに香る。
 ほんとうは、テーマは、その程度でいいと思います。



メネさんからの返信(質問者)
 雷さん、鳥ノ木さん、鮫さん。こんな私の質問に真剣に答えていただいて、どうもありがとうございます。
 私の作品の追記になるのですが、

『戦いの技術に秀でたものの勝利』
 
 や

『リアルな人間や人間的思考をもつ生命体が、
 現代社会とは違う世界観やルールの下で戦う。切磋琢磨する』

 というのは、すでに私の作り上げた世界観のリアリティを高めるために、導入されている手法であり、
 テーマとは違う気がするわけです。(テーマは? と聞かれたら、無理してこれを答えるわけですが)

 さらに追記すると、私の作品の場合、
 主人公が常に『戦いの技術に秀でた者』ではないということがいえます。
 皆さんは、昔からスポーツや勉強をする上で、常にトッ プだったでしょうか?
 残念ながら、私は違いました。
 
 今はキックボクシングに従事している私ですが、特に黒人選手が苦手で、
 黒人には勝ったことがありません。
 だから、私の描く主人公も物語の中で常にトップではないし、最終的にトップにならないこともあります。
 一人のチャンピオンの影に、無数の敗者がいる。
 そんな社会の構図を考えれば、その方がリアリティがさらに上がると私は考えているからです。

 『戦いの技術に秀でたものが勝利する』という世界観で、
 主人公が『常に戦いの技術に秀でた者ではない』というこれらの条件を踏まえると、
 テーマとなるべき、主人公の行動の範囲や存在感が弱く、もしくは制限されるということになります。

 さらに、これは当然のことですが、主人公がトップでない以上、
 主人公の仲間となるべきキャラクターに、主人公を凌ぐ戦いの才能を持ち合わせるものが登場します。
 そして彼らの目的は、ほとんどの場合主人公とは異なります。

 これもリアリティを高めるための私の手法なのですが、
 『みんなで、正義と愛と信じる心のために、悪と戦おう!』という集団よりは、
 『最終的な目的は違うけど、取りあえず目前の困難を克服するために、共闘しようぜ』
 という集団の方が当然リアリティがあると思うので、私の作品ではそういう流れが多いです。

 ここで問題になってくるのは、主人公とは別な目的を持つ仲間が、
 主人公より活躍してしまうということです。これが、さらにテーマを圧迫します。
 『主人公の行動から滲み出るもの=テーマ』というわけですが、
 主人公の仲間たちから滲み出るものを総合すると、これより多くなってしまうわけです。
 主人公が、他のキャラクターと同列か、それ以下になってしまうわけです。

 さらに、主人公以外のキャラの目的は、復讐だったり、
 女にもてたいという気持ちだったり、金銭欲だったりします。
(先ほどいただいたアドバイスには、テーマはさほど高尚でなくともいい。というお話もありましたが……)

 まとめると、上記のように私なりにリアリティを追求し、いろいろな目的を持った、
 いろいろな人間たちが活躍すると、テーマ(主人公の行動から滲み出るもの)が薄くなり、最終的に
     
      『この物語何が言いたかったの?』
 
 という感じになってしまうわけです。
 
 リアリティを追求すると、はからずも、洋ドラのERのような『多様性展開』に近くなって、最終的に
(多数のキャラクターに各々別の問題が持ち上がり、それぞれのストーリーが同時進行する)
 

      『この物語何が言いたかったの?』

 となってしまうわけです。
 
 そして、『テーマは?』とか、『何が言いたいのかわからない物語は最悪』
 という罵声を浴びせられるわけです。

 これは私個人の意見ですが、リアリティを追求すると、テーマは無くなってしまうのではないでしょうか? 
 そして、しっかりとしたテーマを持つ、持たないと、ストーリーの面白い、面白くないは、
 まったく関係ないのではないでしょうか?
 
 『テーマがしっかりしている=主人公が一番活躍しなければならない物語』
 
 という気が、私はしてなりません。これはこれで面白いと思うのですが、
 『主人公が一番活躍しなくても、面白い物語はある』

 と、私は思うわけです。

 皆さんはどう思われますか?


みつきさんからの意見
 メネさま、はじめまして。

>『テーマがしっかりしている=主人公が一番活躍しなければならない物語』
 
 『主人公が一番活躍しなければならない』というよくある決まり事は、
 別にテーマのためにそうなっているわけではなくて、
 『物語の分かりやすさ、読者が理解しやすい構成』のために必要な条件なんですよね。

 テーマはテーマ、つまり『作品の主題』ですから、主人公がどうとか、
 そういうことでは左右されないものと思いますよ。

 ところで、他の方々への返信を見てみますと、
 なんだかリアリティというのにすっかり足元を掬われてしまっているような気がしてなりませんでした。
 なんというか……一体何のための、誰のためのリアリティなんでしょうね。
 
 小説、物語の世界のリアリティというのは、絵空事の世界を作り、
 そこで読者に感情移入してもらうために必要であろう、と考え出された一舞台装置です。
 そんなただの舞台装置をメイン・目玉にして作られる物語なんて私は見たことないですし、
 舞台装置にだけ頼りきって出来あがった出し物なんて、なんの創造性もないと思うんですよね。
 あくまでもリアリティだけを追求して作品作りをしていきたいと思うのなら、
 それはフィクションという舞台で追求するのではなく、
 ノンフィクションという舞台でやったほうがいいのではないでしょうか。
  
 読者に何を伝えたいか、作品をどう読んでもらいたいか、読後にどんな感想を持ってもらいたいか、
 読んでどんなことを考えてもらいたいか、読者に楽しんでもらいたいのか、
 それとも、楽しんでなんかほしくないのか、『楽しんでもらう』ということを敢えて放棄するなら、
 代わりにどんなプレゼントを読者にあげられるのか。
 出来れば、そういうようなことを一度、ちゃんと考えてみたほうがいいと思いますよ。
 
 最初の書き込みを見ると、ルルルに応募予定とのことでしたが、今のままでは、
 レーベルが想定している十代の少女、という読者のことはまったく考えていない、
 それがどのような人たちなのか見てもいないのだろうな、というのが窺い知れます。

 
 応募原稿として書かれたものには常に受け取る相手というのが存在するわけですが、
 相手のことをまったく考えずに書かれた作品というのはあまり褒められたものではないですよね。
 受け取る相手の好みや趣味や実用性、利便性といったものを、
 まったく考えないで選んだプレゼント(作品)を渡すのは、相手に対して本当に失礼ですし、
 もらっても本 当に迷惑なだけです。
 もうちょっと、『読者』というものについて考えてみるべきではないのかな、とそう思いました。

 それではこれにて。


とある二次創作書きHさんからの意見
 海外ではわりと群雄劇が好まれるんです。
 色々な人物に焦点を当てる関係上、扱いは公平で、
 それぞれの登場人物にそれぞれ違ったの信念があります。
 登場人物たちのせめぎ合いと、運命に翻弄される姿が物語の主軸であり、
 テーマはあまり前面に出てきません。

 海外の翻訳物には群雄劇が多く、群雄劇が好きな人はだいたい海外小説のファンです。


 こういう人たちはもっぱら翻訳物を読むので、逆に日本の小説は読みません。
 アメドラが好きと言っているあたり、たぶん貴方はこっちのタイプに近いんじゃないかと思います。

 逆に日本では、一人の主人公にスポットを当てて、感情移入してゆくタイプの物語が好まれるんです。
 
 物語も自ずと主人公の立場に沿って展開されるので、
 だいたい主人公の信念がそのままテーマになります。
 特に主人公が現実の壁を打破する作品がみんな大好物です。
 貴方の小説に「テーマがない」と言ったのは、たぶんこの系統の小説のファンだろうと思います。
 こっちはこっちであまり群雄劇の物語を好みません。
 ……主人公と思っていた人物がいきなり死んだりするし(笑)。

 貴方が考えるべきは「何故、テーマのない作品はダメだと言われるのか?」ではなく、
 「テーマがない。テーマがない」としか言ってくれない人たちを、
 どうやって自分好みの話に引き込むか、です。
 
 個人的には田中芳樹氏の『銀河英雄伝説』を研究することをお勧めします。
 ひとくちにテーマと言っても、愛とか友情なんてありふれたモノだけじゃない。
 それを教えてくれる作品です。


鳥ノ木さんからの意見
 再びこんにちは。暑さのせいか、昨日から調子が悪くて家で栄養ドリンク飲んで寝込んでる鳥ノ木です。
 なんか、常に疲れている感が抜けません。少し前にハラぶつけたときからだし、そろそろ病院だなこりゃ。

> そして、しっかりとしたテーマを持つ、持たないと、ストーリーの面白い、面白くないは、
 まったく関係ないのではないでしょうか?


 例えば漫画「ジョジョの奇妙な冒険」では、読者からの「敵が弱くなった」という手紙の多さに、
 作者自身がテーマを発表したときがありました。
 作者は作中にテーマが隠されているとかで、あまり言うのはイヤだったみたいですけど。

 で。聞きたいのですが、外国の歌を言葉の意味が分からないまま聴いているのと、
 翻訳した歌詞カードを見ながら聴くのでは、
 どちらがその歌の伝えたい部分と言うものを深く理解できると思いますか?
 断然歌詞の意味を理解した方ではと私は思うのですが、どうでしょう。
 
 確かに「いい曲だ」と雰囲気的には言えるでしょうけれど、
 所詮それは英語やら何語やらを理解できてないために、
 それらの言葉を音としてしか認識できていないのです。

 「いい曲」「いい歌」と言いながら、その歌や曲が何を伝えたがっているのかを理解していない。
 これほど馬鹿なことはありません。でも、それが一般的な人の考えでしょうね。

 それで始めの「ジョジョ」の話に戻りますが、
 結局ファンは作品の伝えたいことをそれまで理解していなかったのです。


 作風が変わったとか、流れ的に表現が察しづらいものだったとか、
 色々あるのでしょうけれど。(私的な考え)
 それでも面白かったから売れていたのでしょう。

 そういう点では、テーマなんてなくてもOKっと言えるでしょう。

 テーマなんてなくても、面白さがあればいいと。
 でも、そうなると読者は絵とか、ストーリーとかで価値を見出していたことになりますけど。

 小説で言うと、キャラと物語の流れ。それか、文体とかのセンス、とかでしょうか。

 子ども向けの物語、大人向けの物語、何故そう分かれているかと言えば、
 子どもが大人向けのを読んだところで理解できないからなんです。


>『テーマがしっかりしている=主人公が一番活躍しなければならない物語』

 別にそうは思いません。
 主人公が活躍してなくても、理解できる作品はありますし。
 普通に考えて、ドラゴンボールも常に孫悟空が一番活躍してわけじゃありませんし。

> ここで問題になってくるのは、主人公とは別な目的を持つ仲間が、
 主人公より活躍してしまうということです。これが、さらにテーマを圧迫します。

 これは固定観念だと思います。
 例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」は、主人公のキョンの行動だけを見ていても何も掴めないと思うのですけど。

> さらに、主人公以外のキャラの目的は、復讐だったり、女にもてたいという気持ちだったり、
 金銭欲だったりします。

 何故復讐したいのか、女にもてたいのか、金が全てだと思ってしまっているのか。にもよると思いますが。
 すみませんが、失礼ながら。正直、少し考え不足だと思いました。


鮫さんからの意見
 ああ、これ、テーマのあるなしと関係ないですね。
 単純に、その話の「構成」を失敗していると見ました。

 実際のものを読まない限り断言できないものではありますが、
 悩んでいるところがズレているという私の印象です

 まず、「小説」は「歴史年表」ではありません。
 その時起こったあらゆることを網羅し、均等に記録するものではありません。
 それらの情報の中から、恣意的にピックアップし、「伝えるものと、伝えないもの」あるいは
 「強く印象深く伝えるものと、弱く簡潔に伝えるもの」を取捨選択し、方 向性を与える――
 『物語』として構成することが、『小説』の本分です。


>いろいろな目的を持った、いろいろな人間たちが活躍する
 これは当然です。特別なことでも何でもありません。
 でも、それら全てを網羅して、必要なことと必要ではないことを振り分けないでは、意味がありません。

 例えば、『織田信長』とタイトルをつけ、彼の生涯を小説化したとしましょう。
 その中で、「豊臣秀吉」も「徳川家康」も、とても魅力的で様々な活躍をする人物です。
 でも、この人物達を織田信長と均等に区別することなく描いたら、『織田信長』という小説にはなりません。
 『織田信長』の生涯に必要ではない情報は、バッサリと切り落とさなければならない。
 例えば、豊臣秀吉が織田信長に仕えるようになるまでの幼少期の物語など、
 『織田信長』という物語に必要ありません。
 よしんば必要だったとしても、織田信長の幼少期を100ページかけて書いたのに比べて、
 同じ100ページを豊臣秀吉のために費やす意味は、『織田信長』という物語にはありません。
 これが『織田信長と豊臣秀吉』というタイトルの小説だったら、均等に書くことに意味はある。

 でも、その小説が『織田信長』である限りは、均等に“描いてはならない”んです。


>リアリティを追求

 様々な事象が絡み合うことに、確かに「リアリティ」はあります。
 でもそのことと、「全てを網羅して描写に強弱をつけない」ことは関係がありません。
 「織田信長が桶狭間の戦いに勝利した」ことを100ページ使って書くことはいい。
 でも「豊臣秀吉が墨俣に一夜城を建築した」なんてことは、
 『織田信長』の物語では1ページで書けるものならそれで十分なんです。

>いろいろな目的を持った、いろいろな人間たちが活躍する

 活躍するから全部書こう、であってはならないんです。

>『何が言いたいのかわからない物語は最悪』という罵声

 『何が言いたいかわからな物語』というのは、『テーマの不在』が問題なのではありません。
 『物語の焦点の置き所が不明瞭』なんです。

 
 「伝えるものがない」のではなく、「伝えることを失敗した」んです。
 読者に第一に注目して欲しいところと、その次以降に注目して欲しいところの区別を、
 正しく誘導して読者に伝えられるかどうかは、作者の責任です。
 織田信長の物語なのに、織田信長以上に親身になって豊臣秀吉を描いてはならないんです。

>しっかりとしたテーマ
 この「しっかり」というのは、「込められたメッセージが立派かどうか」ではありません。
 ただ単に「伝える手法を間違っていないか」ということです。

>リアリティを追求すると、テーマは無くなってしまうのではないでしょうか?

 散々繰り返しましたが、「リアリティの追求」をしたからといって、
 「その表現方法」が「全てを網羅して描写に強弱をつけない」ことではありません。
 テーマの表現性とは全く関係がありません。

●情報とその密度の取捨選択
 何を、どうやって伝えるか。その優先順位。
 これを区別せず闇雲に書いてはいけません。
 「個々のシーンが面白いものになるから、徹底的に微にいり細にいり描く」を繰り返しては、
 物語にメリハリがありません。
 「全体を通して、そのシーンがどんな重要性を持っているのか、
 全体に対してどう描くのが相応しいのか」を考えましょう。

 それを踏まえて、

>『テーマがしっかりしている=主人公が一番活躍しなければならない物語』
>『主人公が一番活躍しなくても、面白い物語はある』


 この『活躍』を、「役に立つ」「ヒーローのように華々しく行動する」と勘違いしてはいけません。
 
 『活躍』とは、『主人公にきちんと物語の焦点が当たっている。その上で、魅力的に描かれている』
 ということです。(『魅力』に能力の有無や性格の善悪は関係がありません)


>『主人公が一番活躍しなくても、面白い物語はある』
 ↓
 主人公が一番役に立つ、あるいはヒーローのように華々しく行動する、
 ということがなくても、面白い物語はある

 こう定義するのはかまいません。そんな小説はいくらでもあります。
 ですが、

>『主人公が一番活躍しなくても、面白い物語はある』
 ↓
 主人公ににきちんと物語の焦点が当たってない。その上、魅力的に描かれていない。
 けれど、面白い物語はある。

 こうは定義されません。
 もしかしたら「面白い物語」を結果として書くことができるかもしれませんが、
 その時「主人公」は、読者にとってはきっと作者が意図した人物とは違う人物になっていることでしょう。

 主人公がヒーローではない物語で、面白い物語はある。
 しかし、主人公が活躍しない=魅力的ではない物語で、面白い物語はな
い。
 (あったとしても、それは偶然の産物である)


 最後に、
>洋ドラのERのような『多様性展開』

 これだって、ただ無目的にイベントを多発させているのではなく、
 多発させることで得られる効果をきちんと狙って、行っているのだと思いますよ。

 
 私はこのドラマを見たことがないのではっきりと申し上げることはできませんが、
 世に『群像劇』と呼ばれる作品を見たことはあります。
 個々の色々なピースは一見関係ないように見えるけれど、
 全体を通してジグソーパズルが出来上がるかのように一枚の絵が完成する。
 しかもそれはよく出来ていて、ただ無造作に切り分けたのではなく、
 目立つ大きいピースや特別な形のピースがあって、それを基点に、
 それに繋がるピースが段々と集まるよう、読者が混乱しないよう誘導して、
 全体の一枚絵をきちんと鑑賞できるようになっている。 
 そういう「構成」をきちんと考えてあるものです。


 上手く伝えられたとうぬぼれることはとてもできそうにない拙い文章となりましたが、
 この辺りで締めさせていただくことにします。


夜霧さんからの意見
 どうもこんばんは夜霧です。
 なんとなく気になったので少し意見でも。
  個人的に思うんですが、その作品が面白ければ『面白かった』や『感動した』で終わると思うんですよ。

 でも『この物語のテーマって何?』と聞かれるって事は
 『つまらなかった』『意味不明だった』って事だと思うんですよ。


 つまり『テーマは?』と聞かれるって事は『読者に何も伝えられなかった』って事ではないのでしょうか?
 そして『読者に何も伝わらない作品』ははたして『面白い作品』なのでしょうか?

 個人的に私は『テーマは伝わるモノ』だと思っています。
 作者が意識しようとしていなくても、読者に『何か』が伝われば、
 その『何か』が作品の『テーマ』になるって感じでしょうか。
 まぁつまり

 『テーマが無いからつまらない』ではなく『面白く無いからテーマを聞かれる』って感じだと思いますよ。

 あと自分が『面白い』と感じても、他人も同じく『面白い』と感じるとは限らない、
 それを認め受け入れるのも大事だと思いますよ。

 では、駄文乱文失礼しました。


言成嗣さんからの意見
 詭弁ですが。
 みんなが聞くテーマは同じものでしょうか。
 一人一人テーマの定義は違いますよね。
 作品を読んでテーマは? とみんな聞いたとしても、同じ意見同じ理由など無いでしょう。
 人から意見を聞いたときには何でその意見を言ったのかは、自分で考えないといけないと思いますよ。

 これでは回答にならないので僕の意見を。

 僕の思うテーマとは、メネさんの仰る「メッセージ性のない作品」それ自体がテーマです。
 堅苦しい愛だ友情だ、うさん臭い。そんなものぶっ壊してやろう。
 十分テーマです。

 既存のものに満足しないからペンを取るのでしょう?
 他に無いから自分で書くんですよ。


 他の人がやっていることをまねしていてはテーマは作れないでしょう。
 他の誰でもない自分自身のやりたいことがテーマです。

 まあアドバイスですが、テーマは何? と聞かれたときは
 「何がしたいの?」と聞かれたと変換してみてはどうでしょう。

 参考になれば幸いです。言成嗣でした。


へべれけさんからの意見
 どうも、はじめまして。へべれけと申します。
 未だ若輩の身ですが、少しでもお役に立てればと参上しました。
 他の方々のレスを拝見しておりませんので、意見が重複していましたらごめんなさい。

 さてテーマについて。これは難しいですよ。
 口で説明できるか、いささか不安ではありますが個人的な意見として述べましょう。

 いるかいらないか。と聞かれればボクの場合は前者です。
 創作物においてテーマの欠落は”仏造って魂入れず”の状態です。
 どれだけ小説として体裁が優れていても、創作物としてはNGでしょう。
 それはなぜか?
 
 第三者に見せようとする気概が感じられないからです。
 ただ作家の好きなように書き進めていくと、内容が飛び飛びのままダラダラと展開します。
 これは読みにくいですよ正直^^;

 ひとつ、テーマとは作品全体を貫く一本の”軸”である。
 
 これによってストーリーに纏まりが出て、
 複雑な伏線を張ろうとも、すぐに本線に戻れるという利点があります。
 またお話にブレがなくなるため、読者さまにも安心してお読みいただけるのです。

 ふたつ、テーマとは作者の言いたい事、表現したい事に限ったものではない。
 先ほども言いましたが大事なのは”軸”です。
 そこに作者の美意識を据えようが、未来に発信するメッセージを込めようがそれは作家の自由です。
 あえて言いたくない事、認めたくない事を”軸”にしても物語は成立します。

 どうですか? メネさんの仰るテーマと、
 ボクのテーマとの間には大きな隔たりがあるような気がしませんか?

 偉そうなお題目なんかなくても小説は書ける。ボクもその通りだと思います。
 ですが、作家が好き勝手に書きなぐったものが世間に受け入れられるかどうかは別の話です。


 そんなものは趣味レベルでのお話ですよ。
 もし仮に公共の場に作品を公開されるのでしたら一度お考え下さい。
 他人が読んで自分がこの作品でなにが言いたかったのか分かってくれるかな、という事を。

 テーマは”軸”それがボクの考えです。
 読みすさには不可欠な要素ですよ。
 それさえ守れば、たとえテーマが「やかん」とかでも時間さえあれば長編だって書けます^^

 それではこの辺で。
 よりよいお答えに辿り着けますように。へべでした。


峰しずくさんからの意見
 こんにちは。

 思うに、「テーマ」と大上段に構えて物事を考えたり、語ったりしようとするから、
 「テーマなんてなくていいんじゃないの?」ってことになるかと思うのですが、
 メネさんの投稿を拝読していると、

 「戦いの技術に秀でたものが勝利する」

 これが見事にテーマになってると思うんです。
 つまり、作品を通じて何を言いたいのか、てのがテーマですよね?


 ここで言う「戦いの技術」とは、おそらく軍事的な戦闘技術という意味だと解釈しています。

 では、これ以外に勝利の要素とは、なんでしょうか?


「情報を制したものが勝利する」
「人類愛こそが本当の勝利に人々を導くことが出来る」
「宗教を作って洗脳したらええねん」
「知性こそが勝利のカギだ」
「理念・哲学だ」

 どれによって勝利させても、それぞれ小説は成立するはずですが、
 メネさんの小説は、「戦いの技術に秀でたものが勝利する」という結末を迎えるわけですから、
 それはそれでひとつの個性であり、立派にテーマだと言えると思います。

 「戦いの技術に秀でたものが勝利する」はあくまで表面的なことであって、そこにさらに、
 「愛は無力である」「思想は無力である」というテーマを持たせることも可能ですが、
 ここまでしたら、ウザいですよ、ということなのかなと勝手に想像しています。

 それでいいと思うんですよ。
 ラノベはエンタテイメントですからね。

 面白いと思うことを存分に書き尽くす。
 それで十分だと思います。


夜月さんからの意見
 私の大好きな本のひとつに『甲賀忍法帖』という、故・山田風太郎氏がお書きになった本があります。

 簡単に粗筋を説明しますと、徳川三代将軍を誰にするか決めかねた家康が、
 甲賀と伊賀の精鋭忍者格十名を戦い合わせ、
 勝ち残ったグループを選んでいた候補者を三代将軍にする、という滅茶苦茶な話です。
 お気づきでしょうけど、三代将軍は「家光(幼名竹千代)」なのですから、
 つまり家光が選んだグループ(伊賀)が勝ち残ることが決まっています。
 
 それにも関わらず、作者は総勢二十名の忍者を戦い合わせます。
 決まりきっている事を実現させるために数多の忍者を殺し合わせているのです。
 彼らの死に意味なんてありません。
 ただ殺し合いが少年ジャンプのバトルものみたいに面白いだけです。
 
 はたしてこのような小説に意味、すなわちテーマなどあるのでしょうか? 
 私にはあるとは思えません。
 本人の意思とは関係なく登場人物が殺し合い、
 しかも結果が決まりきっている話に意味(テーマ)があるとは思えません。
 強いていえば、この話のテーマは無意味ですね。つまり、テーマがないんです。

 でもこの話は抜群に面白いです。
 先ほど述べた通り、バトルに使われているアイディアが秀逸なために、
 楽しんで読み進めていくことができます。
 ですからテーマなんてなくても良いと思います。ただ読んで面白ければそれで結構です。


 また故・山田風太郎氏は自身の随筆でこのように仰っておりました。

 「忍法帖」を「アイデアだけだ」と評した人があった。
 私はこの評語を誇りとする。
 全然無意味な物語を書くというのは私の目的の1つであったのだ。
 だいいち人生人生というけれど、人生はおたがいにイヤになるほど味わっており、
 かつしょせん無意味な人生が多いのではないですか。
 しかも、語る能力鈍昧にして、語るに値しない人生を語ろうとする。
 そもそも、この地球上の歴史や運命を動かしているのは、
 大分前から「人生」ではなくて「アイデア」だといってさしつかえない。


黒尻尾の駄猫さんからの意見
 通りすがりの野良猫です。
 人生テーマレスなオイラが、オイラなりの答えを残します。

 オイラはハリウッド映画が大好きです! 
 特にB級の安い作りでアイディアいっぱいの奴はたまりません!!!

 ところで、ハリウッドアクションものにテーマ性を求めている方はいるのでしょうか?


 インディー・ジョーンズを通じてルーカスが何かを訴えていると考えている人か、
 エイリアン・バーサス・プレデターに何か隠された
 深いテーマを見出したりしている人っているのでしょうか?(まあ、いるのかもしれませんが……)

 そりゃ、言いはりゃなんでもテーマをこじつけられますが、そりゃ野暮って物だと思います。

 アクションエンタメは楽しめばそれでいいのですから。

 逆にいえば、テーマとは作者が作品を通じて何かを訴えたいときに、
 最初から存在するものであって、あとからこじつけるようなものではありません


 オイラはそう思っています。

 何か作品を通じて読者に訴えたいものがありますか?
 なら、そういう作品を書けばいいのだと思います。

 ギャグ、アクション、サスペンス、ホラー。
 他にも色々ありますが、娯楽色の強い作品には野暮ったいテーマは不要だと思いますよ。

 オイラはね。

                         ではでは


東堂心さんからの意見
 お話聞かせて貰いました。
 ですが、幾つか勘違いをなさってる部分がありますね。
 「テーマ」=作品ではないです。
 テーマを作品完成後後付けで行われてある物も世にはたくさんあります。

 テーマがあるから素晴らしいか、と言う問いかけには私はノーと言います。
 
 何故なら一人一人の客観論があるように作品も様々見方が存在します。
 よってそれらを統合させる役割がテーマであり、
 あとは勝手に読者の存在に任せるのもまた手法の一つなんです。
 だからテーマはさほど重要視されません。
 問題は作者がその作品に何を込め、読者に伝えたいか。その一点です。

 テーマに縛られず、自分が思うがままに書いて相手に伝わる。それが作品と言う者ではないでしょうか?
 余談ですが的外れな映画のテーマも幾つかあるんですよ。
 所詮は売り込みに理由されている感が私には拭えないですね(笑)


808さんからの意見
 こんにちは、808です。

 あるいは一般的ではないかもしれませんが、僕がライター時代に教わった用語法でもって話しますね。


 まず『テーマ』と『メッセージ』を分けて考えてください。

 で、『テーマ』と『メッセージ』をどう区別するかですが、『テーマ』は日本語にすると『主題』です。
 『メッセージ』は、なんでしょうね……『伝えたいこと』『伝えるべきこと』といったところでしょうか。

 具体的に例を挙げるならば
 『テーマ』……浮気
 『メッセージ』……裏切りは身を滅ぼす
 という感じでしょうか。

 要するに、
 「これは何についての話?」と聞かれたときに答えるのが『テーマ』、
 「この話は何が言いたいの?」と聞かれたときに答えるのが『メッセージ』
 と考えればいいでしょう。


 メネさんの場合でしたら、
 テーマは『戦争』『戦い』でしょうし、
 メッセージは『戦いの技術に秀でたものが勝利する』となるでしょう。

 ところで、『メッセージ』については、必ず事前に決めておかねばならないということはありません。
 書くうちに自分自身の考えが変化することがありますが、下手に事前に決めておくと、
 その変化に対応できずに、柔軟性に欠けた物語となることがあります。
 長い間創作をされている方なら、実際に書いてみて自分自身の考えが見えてきた、
 といった経験もあるのではないでしょうか。
 逆に、書いている最中に考えがコロコロ変わってしまうようならば、
 メッセージを絞り込んで書くべきでしょう。

 また、読者によって読み取るメッセージが異なることも多々あります。
 小説はそもそも論文ではないので、これは悪いことではありません。
 むしろ、その小説はそれだけのポテンシャルを持っていたということで、歓迎すべきことでさえあります。
 正反対のメッセージを読者同士が読み取ったとしたら、
 その小説は多面性、両面性を持ち得ている、奥の深い作品だと考えてもいいかもしれません。

 しかし、『テーマ』は事前に決めておく必要があります。

 
 ここがぶれてしまっていると、恋愛を主題としてはじまったはずの物語が、
 最終的に戦闘を主題として終わってしまう、なんていうことが起こってしまいます。
 一見、そんなことあるわけない、と思えるでしょうが、
 恋愛を盛り上げるためのエッセンスとして戦いを入れてみたのに、
 戦いが物語全体を喰っちゃった、みたいなことは、創作に不慣れな人には、結構起こりがちです。

 こういうふうに、物語の軸がぶれないように、『テーマ』は先に決めておくのです
 
 ちなみに、テーマはひとつに絞る必要はありません。2、3個並列している場合もありますし、
 大テーマの下に複数の小テーマがあることもあります。
 『戦争』と『恋愛』が並立している場合もあれば、『戦時下での恋愛』というふうに、
 それでひとつのテーマとして独立していることもあるでしょう。
 ひとつ『戦争』という大テーマの下に『恋愛』だったり『友情』だったり『信仰』だったり、
 『極限での人間性』だったりといった小テーマが並列していることもあるでしょう。

 あと、複数人が創作に関わる場合、
 事前に『テーマ』『メッセージ』をともに念入りに決めておく必要があります。
 「自分たちが作ろうとしている物語がどういったものか」といったコンセンサスが絶対に必要だからです。
 僕自身は、商業ライトノベルがどのように作られていくのか実際には知りませんが、
 もし編集者と二人三脚で作っていくような感じならば、
 自分の作ろうとする物語の『テーマ』『メッセージ』は
 きちんと言えるようになっておいたほうがいいでしょう。


きぜとさんからの意見
 読書専門、文章はwwwなきぜとです。

 読者としての意見です。

 テーマってのは、単に物語の方向性を決めるものだと思いますね。
 キャラクター小説でいえば、それは主人公の行動原理と結末の形を決定する役割を担うはずです。


 ラブコメなら「好きな子に告白する」だけで十二分なテーマでしょう。
 あとは男の子が四苦八苦しながら意中の彼女に求愛するだけで物語になります。
 熱血系なら「決して挫けない意志が運命を切り開く」とかですか?
 主人公にその信念を追わせれば、適宜苦境を与えるだけで劇的な物語を作ってくれるはずです。

 *理屈だと。
 その意味では、テーマは必要不可欠なものだと考えます。
 「テーマがない=何がしたいのか分からない」ですから。
 大河小説だとまた話は変わってくる気もしますが、
 メネさんの場合はそうでもなさそうなので(当て推量ですみません)。

>なんでこんなもんが必要なのか。別にリアルな人間や人間的思考をもつ生命体が、
 現代社会とは違う世界観やルールの下で戦う。切磋琢磨する。それで十分私は面白いと思うんですが、


 その通りだと思います。
 ただ、気づいていないようですが、その「リアルな~」のリアルがテーマだと思いますよ。
 何をもってリアルとするのか、が。

 異世界のリアルってのは難しいです。
 冲方 丁の「ばいばい、アース」が参考になると思います。
 指輪物語を読みなおしてもいいかもしれませんね。


アウグストゥスさんからの意見
 携帯からはじめまして、では早速。

 私は、テーマはなんでもいいと考えます。

 メネさんがあげた理想でもいいですし、それに反する事でもかまいません。
 例えば、リアリティの追求というテーマで作品を作ることもできます。
 その作品でリアリティ が失われることはないでしょう。

 ではテーマというものを区切って、『理想的』なテーマはリアリティと反するのでしょうか?

 確かに、努力は必ず報われる、とか愛の力は無限大とか言われると私も、何甘いこと言ってんだ?
  と思います。現実には努力が報われない事も多々ありますし、愛の力 が負けることもあるでしょう。
 ですが、だからといってそれら理想的なテーマにリアリティがないとは思いません。
 努力が必ず報われるとは限らない、だけど絶対に報われないわけではない。
 愛の力が必ず勝利するなんてありえない、でも勝利する事だってある。
 だったら、その作品のリアリティを決めるのは、テーマではなく、作者の技量なんじゃないでしょうか?

 以上の考えから、テーマとリアリティは対立するものではない、と思います。


 と、テーマはなんでもいいとは言いましたが、
 反社会的なテーマが受け入れられるかどうかは別問題です。
 というか大々的に受け入れられる事はないでしょう。
 受け入れるのは、一般の、そういう嗜好を持つ人だけかも知れません。
 
 なぜなら、たいていの人は『世界は素晴らしい』という幻想を信じたいからです。
 だから、綺麗なテーマが持て囃される。
 そして私はその事を悪いとは思いません。

 メネさんの言っていることは、リアリティの追求ではなく、
 単にリアルを作品に持ち込んでいるだけだと思います。
 
 以前このサイトで、自分の尊敬する方が言っていた言葉ですが、リアリティとリアルは別物です。
 読者は小説の中の幻想を求めてやってきます。
 その幻想が本物であるように見せるのがリアリティです。


 幻想を否定するのはただのリアルです。
 かのネズミの国で、こいつらは全員着ぐるみだ、と言うことに何の意味があるんでしょうか?
 大人は分かってそれを楽しんでいますし、子供の夢をわざわざつぶす必要もないでしょう。

 では、長くなりましたがこれで。


むーむーさんからの意見
 テーマとリアリティの関係については、私の中でそれぞれ次のように定義しています。
 
 テーマ……物語の向かっているベクトル
 リアリティ……物語内部における約束事。


 ですので、この二つは、皆さんもおっしゃるように、対立するものではないと考えます。
 いわゆる、綺麗事とされるテーマは、一般性を持ちやすい(多人数の共感を得やすい)ので、
 描かれることが多いのではないかと思います。
 
 テーマはあくまでも、作者が物語をどのような方向に進めていきたいか、ということと私は捉えています。

 また、リアリティについては、小説内部の構造を補強して、
 読者の感情移入を促すための手段だと思っているので、
 私の中ではテーマとリアリティは対立するものではありません。
 的外れならば大変申し訳ありませんが、以上です。


銀 朗月さんからの意見
 しろがねと申します、こんばんは。
 結論から申します。

 必要だと思います。

 テーマというものは、要するに「伝えたいこと」ですよね?
 テーマにより作品の軸が定まり、芯も通ります。
 「何が書きたいのか」がはっきりするからです。


 テーマがない作品は、技術があっても「ああ、よく出来てるな」で終わってしまいます。
 心に響くものが無く、感動もできないかと。

 あとこれは蛇足ですが、『戦いの技術に秀でたものの勝利』私は良いと思います。
 でもそれはきちんと裏を書く必要も在るかと思います。
 華々しく活躍し国民から崇められる勝者の英雄、
 跪かされ垂れたこうべを軍靴で踏みつけても文句を言えない敗者の捕虜など。
 勝利者側が絶対に正しい、とすると作品が薄っぺらくなるような気がしてしまいます^^;
 勝者サイドだけ書くから『ジャイアニズム』になってしまうのでは? と思った次第です。

 正直初心者さんなら「テーマ? んなもん参考程度にしておけ」と返答しようかと思ってましたが、
 応募されるなら必要だと思います。


東堂心さんからの意見
 お話聞かせて貰いました。
 ですが、幾つか勘違いをなさってる部分がありますね。
 
 「テーマ」=作品ではないです。
 
 テーマを作品完成後後付けで行われてある物も世にはたくさんあります。
 テーマがあるから素晴らしいか、と言う問いかけには私はノーと言います。
 何故なら一人一人の客観論があるように作品も様々見方が存在します。
 よってそれらを統合させる役割がテーマであり、
 あとは勝手に読者の存在に任せるのもまた手法の一つなんです。

 だからテーマはさほど重要視されません。
 問題は作者がその作品に何を込め、読者に伝えたいか。その一点です。
 テーマに縛られず、自分が思うがままに書いて相手に伝わる。それが作品と言う者ではないでしょうか?
 余談ですがCMで流される映画のテーマには的外れな物が幾つかあるんですよ。
 所詮は売り込みに理由されている感が私には拭えないですね(笑)


安眠妨害禁止区域在住の猫さんからの意見
 貴方は単純に一般読者の目線から作品を見ているだけな気がします。
 クリエーターの目線とは思えません。
 そもそも、物事をどう受け取るかなんて「人それぞれ」。
 作者以外が「これがテーマだぜ」って言ってもそんなの推測に過ぎません。

 雲を見て白くて綺麗と思う人もいれば、青空が見えなくて鬱陶しいと思う人もいる。
 お魚みたいと思う子がいれば、雨降るのかしらと思う主婦もいる。
 物の見え方に真実はありません。
 
 一方、作者は作品に一本の筋を通さなければならない。
 筋がブレブレの作品は非常に面白くないからです。
 行動原理が破綻し、人の行動ではなくなってしまう。
 だから目的地と道であるテーマが物語には必要なのです。

 
 そして編集者にアピールする「プレゼンテーション」の時に
 「こうこういう視点で、こういうテーマで描きたいと思います」
 という説得力が生まれるので、書かせて貰いやすい。

 テーマが決まれば物語の構成は簡単に出来ます。
 「戦いとは常に技術の高いものが勝利する。友情や愛に意味はない」
 こういうテーマなら、簡単です。

 友情を信じた主人公が裏切られて、力だけを求め、勝利する話。
 しかし、これでは物語的に一般受けが悪い。

 だからこの一文を追加します。
 「戦いとは常に技術の高いものが勝利する。友情や愛に意味はない。
 でもそれを持たない人間が幸せだとは限らない」
 こうすると構成はガラリと変わります。
 主軸が変われば物語は変わる。この主軸がテーマなんです。
 愛なんて漠然としたもので、物語は書けません。
 こういうような物語っていうこういうものこそがテーマなんです。
 それは単語一個で表すのはほぼ無理でしょう?

 俗に言う愛やら何とかっていうのがテーマだと言っているのは
 「売り文句」「批評家の言葉」だけであって、それは読者向けのテーマ。
 学校の国語で習うのも同じです。そんなもの、気にしても無意味ですよ。
 一般的なテーマとクリエーターの言うテーマは違いますから。



風月堂さんからの意見
 私はどちらかというと、テーマは必ずしもなくとも良いという考えです。
 誰もがそうだと思いますが、作品によっては、
 テーマ性があることで印象に残るものもあれば、
 (道徳的な)テーマは関係なしに面白いと思うこともあります。


 以下はすべて、私の個人的な考えです。

 テーマについての意見ですが、
 私の場合、(書く側としてみれば)作品のテーマは、
 せいぜい作品を書く上での指針・目安といった程度です。
 ただ、そうするこで、シーンの配分等でメリハリが付けやすくなると思います。
 また、それによって、"結果として"、そのテーマが作品・ストーリーの軸になるのだと思います。

 一方、読者の側から見れば、
 (作者の思惑はどうあれ)ストーリの軸と「解釈するもの」だと思います。

 メッセージ性が明確であれば、作者にとってのテーマと読者の解釈するテーマは一致するでしょう。
 反対に、作者があるテーマを持たせて書いたにもかかわらず読者は、
 その作品にテーマを見出さなかったり、作者は道徳的なテーマを与えずに書いても読者が
 (いわば勝手 に)何らかのテーマを見出すこともあるかと思います。
 
 同じ理由で、作家の持たせたテーマと、読者の解釈したテーマが食い違うということも、
 あるのだとおもいます。



 このような訳で、
 作者にとってのテーマと、読者が読み取るテーマは、
 (作品の軸、という点では同じでも)意味合いが異なるように思えます。
 この考えは、先述の通り、テーマを、作者の側から見て
 「作品を書く上での指針・目安」(でしかない)と考えることに由来します。

 それでは。


はなもげさんからの意見
 超ひさしぶりに書き込むはなもげです。
 結論から言うと、テーマは必要だと思いますよ。
 ネメさんもテーマが必要ないと書いてありますが、
 勝利するのは善でも、悪でも、信じる心でも、愛でもなく、戦いの技術に秀でたものが勝利します。
 というテーマが立 派にあるわけじゃないですか。
 これを読者に伝えるために物語を書くわけでしょう?

 きれい事なんて全然使えない。無力で愚かなものだと。
 そういう風に書くなら、主人公は戦いの技術を信望していて、
 ヒロインかライバルあたりがそれを否定している。
 そんな感じでかな。

 で、物語の最中愚かなヒロインとライバルは綺麗事に信じたために死んでいく。
 主人公は戦いの技術を磨いて切り抜ける。
 と、こんな感じの話になる。
 これが逆に綺麗事が勝利するというテーマだと、今度は立場が逆で、
 綺麗事を信じなかった故に主人公は死んでいく。
 <たぶん、仲間あたりに裏切られて>ということになる。
 キャラクターが同じでも話が違っていくわけです。

 小説家はこのことをしっかり認識していないと、
 書いてる最中ごちゃごちゃになってしまい、よくわからない話になる。
 漫画でもよくありますよね、こういうの。
 連載途中人気がなくて路線を変えてみたり、作者がノリで書いてしまい話がズレっていくことって。
 そうならないよう、テーマはあったほうがいいとおもいますよ。
 作品がまとまります。


鳴海川さんからの意見
 どうも。最近改名を考えている鳴海川です。
 少しばかり発言を。参考になるどころか、愚かな考え方だと思われるかもしれませんが。

>テーマは? と聞かれると……なんと答えて言いかわかりません。

 まず書いてみては如何でしょう?
 これは自分の場合ですが、自分は物語を書こうとする際にまず「書きたい場面」が頭に浮かぶんです。
 例えば、主人公がヒロインを何かから助け出す場面とか。
 そして「その場面を書くためにはどういう設定が必要か?」と考えます。
 結果、キャラ、世界観、その他諸々の設定が決まります。テーマは考えません。
 そこまで決めたら、まずどんなものでもいいから書いてみる。
 そのキャラを使った番外編みたいなものをいきなり書いたりもしますし、本編を書いたりもします。
  まぁ 大抵の場合書けませんがとにかく書こうとする。
 二次創作のつもりでいると、気分が非常に楽なのですが、
 それは今関係ないので置いておくことにしてっと。
 
 そうして書いていくと、自然と物語が自分の中で固まっていくんですね。
 そして、それについて考えていたある日ふと思う。
「あ。この物語のテーマってもしかするとこれ?」
 
 書こうとしているうちに何時の間にかテーマができてしまう――
 否、物語がテーマを生み出してくれるんですね。


 別に自分がわざわざ決めなくてもテーマは生まれる。
 だから結果として「テーマ」ができる。これが自分の書き方です。
 なので、自分はこう考えています。

「絵画じゃあるまいし、わざわざ決めなくてもいーじゃん。『書きたいから書く』じゃいけないわけ?」

 うわぁお、ザ・アバウト。

>なんでこんなもんが必要なのか。
 「必要なのか」という言葉が出るということは、
 メネさんは「テーマは必要である。決めるべきである」とお考えなわけですよね?
 必要かどうかは自分には判りませんが、上記の通りわざわざ決める必要はないと思いますよ。
 書いていれば勝手に物語が生んでくれますし。
 事実、あなたの質問文でもうテーマは生まれてると自分は思います。
 他の方々も仰っていますが、「戦いの技術に秀でたものが勝利する」
 というこれは十分テーマにな るのでは?
 ほら、別にあなたが決めなくても勝手にテーマは生まれてる。

 別の視点から言わせてもらえば、自分はテーマなど作者には必要ないと思います。
 「テーマ」は物語を書く上で最も重く、大切なものです。
 故に、先に決めてしまうと物語はそれに縛られてしまう。
 これは逆を言えば物語が暴走するのを止めてくれているわけですが、
 物語の進む方向をかなり限定してしまっているという事実も否定できません。
 
 「鋼の錬金術師」で有名な荒川弘先生の師匠も、
 「設定は決めすぎない方がいい」と仰られていますし、
 問答無用で有名な高橋留美子先生の「うる星やつら」などテーマにほとんど縛られてないように見えます。
 
 上の二つは漫画ですが、ライトノベルでも同じような作家の人はいます。
 例えば、高橋弥七郎先生の「灼眼のシャナ」は
 設定に引っ張られてテーマができているように 思えますし、
 谷川流先生の「涼宮ハルヒ」シリーズに至っては設定がテーマになりつつあります。
 
 ですので、作者にとって「テーマ」など必要ないと思います。
 必要なのはアイデアと、設定。まずは書いてみたらどうでしょう?


 長々と駄文を失礼致しました。では、これにて失礼。


ウラさんからの意見
 こんにちは。面白そうなテーマのスレッドなので割り込みにきました。ウラです。

 私なりの意見を述べさせていただきますと、物語にテーマなんていりません。
 以下、あえて断定的に言わせて下さい。

 テレビや映画の宣伝でやる『愛』、『友情』とかはテーマじゃねーです。建前です。
 そんでもってドラゴンボールに一貫したテーマはありません。
 クレヨンしんちゃんに一貫したテーマはありません。
 ドラえもんに一貫したテーマはありません。お話一つ 一つにテーマがあるときもありますが。

 悟空は自分が普通でないことに悩みません。しんちゃんに悩みはありません。
 のび太君はロボットに依存しきりの現状を嘆きません。
 だから私も彼らと苦しみを共有しません。でも彼らの活躍は見ます。面白いので。
 メネさんの小説、主人公は何かに悩んでますか?

 私はテーマとは『問い掛け』だと考えています。
 メネさんのこの質問だって『テーマなんているの?』というのがテーマです。


 私なら、最初から「テーマは『○○』にしよう」なんて決めて書きません。
 疑問形、質問形にします。そして小説を書きながら自分で答えを見つけだします。
 見つからな くても構いません。あとは読者に任せます。
 無責任だとは思いません。最初からそんな責任を負ったつもりありませんから。

 テーマを最終的に決めるのは読者です。最初から断定してあるテーマなど、意見文です。
 西遊記とかゲドは「俺の言ってること合ってるだろ?」みたいな感じだからうざく聞こえるのです。
 だからほら、この文章もどこと無くうざい感じです(笑)


 以上、私見でした。これにて失礼します。


加藤 汐朗さんからの意見 2014/02/02
 へべれけさんに賛同いたします。
 作家デビューしたとします。次回作の会議の場で作者がテーマはありませんなんて言ったら、執筆GOサイン出ないと思います。

1)いつ
2)どこで
3)だれが
4)何をして
5)どうなる話なのか
 普通は最初に考えますでしょう。

 例えば~
 小学生の頃、引っ越してしまった幼なじみと高校入学を機にクラスでばったり再会。お互い意識し合うようになり、障害を乗り越えて結ばれる。
 そんな物語ならばテーマは端的に、再会・恋愛・成長ではないでしょうか。
 これが物語の軸となり、ストーリー構成を決め、章ごとのイベントや盛り上げるポイントをプロットに落とし込んで行くものではないかと小生は考えます。
 そこに作者の主義主張を前面に出すのか抑えるのかは、レーベルや読者層に合わせるものであって別の話かと。
 テーマを決めないまま、気の赴くままに書き進めてしまうと、盛り上がりの無い平坦な展開、主人公やヒロインがブレるといった症状がすぐ文章に表れると小生は思いますよ。

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